武術の王『虎杖悠仁』 作:やめろ小僧、その技は俺に効く
「やっぱアンタ雰囲気変わったわよね」
目の前でたこ焼きをもぐもぐ食いながら、釘崎がそんなことを言ってきた。普通に口に入れたまま喋ってるの、毎回思うけどなかなかすげぇなと思う。ただまぁ、ここで指摘すると面倒くさくなりそうだし、黙っておくのが正解だろう。
今は寮でたこ焼きパーティーの真っ最中だ。鉄板の上でコロコロ転がるたこ焼きと、油の弾ける音、そこに混ざる香ばしい匂いが部屋に広がっていて、なんというか……かなり平和な時間が流れている。伏黒と釘崎、パンダ先輩と狗巻先輩がそれぞれ好き勝手やってるこの空気も、妙に落ち着く。
「そうか?」
串でたこ焼きをひっくり返しながら答える。表面がきつね色に焼けていくのを見て、焼きムラが出ないように回していくこの作業、単純だけど意外と楽しい。前の俺なら、こういうのもただの手順として処理してた気がするけど、今はちゃんと「いい感じだな」とか思えてるあたり、自分でも少し変わったなとは思う。
まぁ実際、変わったのは間違いない。
宿儺に色々言われてから、自分の中で何かがズレたというか、逆に噛み合ったというか……うまく言えないけど、前よりもちゃんと自分で動いてる感覚がある。前はもっと、決められた最短ルートをなぞってるだけだった気がする。
「確かに俺らの知る虎杖っぽくないな」
パンダ先輩がタコを刻みながら言う。
いや、やっぱりその光景おかしいだろ。
パンダが包丁持ってタコをリズムよく刻んでるの、どう考えても慣れすぎてる。しかも手際いいのがまたじわじわくる。ツッコミどころ多すぎるのに、もう誰もツッコまないあたり、この場の適応力がおかしい。
「俺は今の虎杖の方が違和感はないですね」
伏黒がさらっと言う。トングでたこ焼きを回しながら、いつもの調子で言ってるけど、その言葉は妙にしっくりきた。
あぁ、そうか。
伏黒は知ってるんだよな、変わる前の俺を。
高校で宿儺の指を呑み込んだ時の俺も、あの日のことも。
「あー確かに言ってたわね。虎杖が性格変わったって。今のが本性なわけ?」
釘崎が腕を組んでこっちを見る。その顔、ちょっと面白がってるな。
「本性っていうか……正直、俺にもよく分かんねぇんだよな」
頭を軽く掻きながら答える。
「前はさ、こうすればいいってのが最初から決まってる感じだったんだよ。迷う必要もなくて、ただその通りに動けばいいっていうか」
鉄板の上でたこ焼きを転がしながら続ける。
「でも今は、ちゃんと選んでる感じがある。無駄かもしれないことも含めて、自分で決めてるっていうか」
言葉にするとちょっと曖昧だけど、感覚としてはそんな感じだ。
「ふーん、なんか楽しそうね」
釘崎が言う。
「まぁな」
素直に頷く。
動くのも、こうやって過ごすのも、前よりちゃんと楽しいと思える。理由はうまく説明できないけど、それでいい気もする。
「バカね」
「あぁバカだな」
釘崎とパンダ先輩が同時に言ってきた。
「うるせぇよ」
反射的に返すと、二人とも普通に笑った。こういう軽いやり取りも、前なら必要ないって切り捨ててた気がするけど、今は普通に悪くないと思ってる。
「フフフ、ブラザーとするたこ焼きはいつ振りだ?」
横から妙に重い声が入ってきた。
東堂先輩だ。
いやほんと、なんでいるんだよこの人。
「いや初めてだろ」
軽く肩を叩きながら言う。
一ヶ月前に会ったばっかなのに、この距離感なのは未だに慣れきらないけど、嫌な感じがしないのがまた厄介だ。普通に場に馴染んでるのが一番おかしい。
「あの東堂くん?京都いなくていいのか?ここ東京だよ?」
パンダ先輩が聞く。
それは本当にそう。
「愚問だな」
東堂先輩は腕を組み、堂々と胸を張る。
「ブラザーとの時間は何物にも代え難い。それに高田ちゃんの個握が東京であった以上、ここに来るのは必然だ」
言い切った。
迷いが一切ないのが逆にすごい。
「結局そっちが本命かよ」
伏黒がぼそっと突っ込む。
俺も同じこと思った。
でもまぁ、それでいいんだろうなとも思う。こういう、無駄で、騒がしくて、よく分かんない時間も含めて——今の方がしっくりきてる。
たこ焼きが転がる音を聞きながら、ふと周りを見る。
伏黒が淡々と焼き加減を調整していて、釘崎は遠慮なく出来上がった分を食い続けているし、パンダ先輩は全体を見ながら自然に仕切っている。狗巻先輩は「しゃけ」とか「おかか」とか言いながら皿を回していて、その中に東堂先輩が違和感なく混ざっているこの状況は、冷静に考えればかなり意味が分からないはずなのに、妙に成立しているのが不思議だった。
騒がしくて、無駄も多くて、整っているとは言い難いのに、場としてはちゃんと回っている。
それが少し面白くて、同時に妙に落ち着く。
こういう空気の中に自分がいること自体が、以前の感覚からすると少しだけ不思議で、でも今はそれを自然に受け入れている自分がいる。
……なんだろうな、この感じ。
ちゃんと楽しい。ちゃんと今ここにいるって、実感できる。
「……これが青春だな!」
「そうだぞ。ブラザー」
そう言って、焼き上がったたこ焼きを皿に移す。表面が綺麗に揃っていて、形も崩れていないのを見ると、それだけで少し満足感がある。
こういう時間、普通に好きだと思えるのは、悪くない変化だ。
「はい!どうもー!五条先生だぞー!お!たこパ?いいねぇ」
ドンッ!と勢いよく扉が開いたかと思ったら、予想通り五条先生が妙にテンション高めで入ってきた。気配はなんとなく感じていたが、やはりこの人は入ってくるタイミングもやり方も雑だ。もう少し普通に来るという選択肢はないのかと毎回思う。
その勢いに驚いたのか、パンダ先輩の手元がわずかにズレて指を切っている。白い綿のようなものが見え、その隙間からじわっと赤い色が滲んでいるのを見て、構造どうなってるんだと内心でツッコミを入れざるを得なかった。
「五条先生も食べます?」
伏黒が自然に声をかけると、狗巻先輩が間髪入れずに皿を差し出す。この二人の連携は相変わらず無駄がなく、こういう場面で妙に完成度が高い。
「いくら!」
「うーん食べたいとこだけど!ちょっと悠仁に話があるんだよねー」
「しゃけ……」
五条先生が肩をすくめながら言う。流れ的にそのまま食うかと思わせておいてからの仕事の話、たぶんわざとやってるんだろうなと思う。軽いノリに見えるが、この人の「ちょっと話がある」は大体任務だ。
「ブラザーをたこパから連れ出すのは許せん。それがたとえ五条悟であってもな!」
東堂先輩がズイッと前に出る。なぜか俺を庇うような位置取りで腕を組み、無駄に堂々と構えている。
そしてその瞬間、違和感に気付く。
いや、違和感というか確定でおかしい。
なんで上裸なんだよ。
さっきまで普通に服着てなかったか?いつ脱いだ?その動作どこにあった?理解が追いつかないまま、とりあえずスルーするしかない状況なのが逆に怖い。
「葵は何でここにいるのかな?ちょっとビックリだけど……」
五条先生が軽く首を傾げる。そこじゃないだろと思いつつも、ツッコミを入れる余裕がない。
「でもごめんね〜あとで
……今なんて言った?
一瞬思考が止まる。
「……………許そう!!」
即決だった。
さっきまでの覚悟はどこにいった。
「お前、ちょっと考えただろ」
横から思わず言うと、東堂先輩は真顔で頷いた。
「無論だ。だがブラザーの未来と高田ちゃんのブロマイド、天秤にかけるまでもない」
いや、その天秤普通に成立するだろ。
むしろ逆に振れる可能性すらある。
「チョロすぎでしょあんた」
釘崎が呆れたように言う。俺も完全に同意見だった。
とはいえ、この人に関してはこういうものだと理解してしまった自分もいるので、深く考えるのはやめることにする。
「じゃ行こうか、悠仁」
五条先生が軽く手を振る。その口調は相変わらず軽いが、内容が軽いはずはない。
「おす」
立ち上がりながら答える。鉄板の上で焼けているたこ焼きの匂いが少しだけ惜しいが、仕事なら仕方ない。
部屋を出る前に振り返ると、パンダ先輩が気にするなという感じで手を振り、伏黒はもう次のたこ焼きを回し始めていて、釘崎は変わらず食い続けている。狗巻先輩が「しゃけ」と言いながら皿を配るその光景は、さっきと何も変わらない。
……うん、いつも通りだ。
「行くぞー」
五条先生が先に歩き出す。
その背中を追いながら、軽く息を吐いた。
さっきまでの空気と、これからの空気は違う。
切り替わるのは分かっているが——それでも今は、そのどっちも嫌じゃないと思えた。
そうして俺は五条先生に連れられて部屋を出て、そのまま廊下を歩きながら別の部屋へと向かった。さっきまで漂っていたたこ焼きの匂いが少しずつ遠ざかっていくのが妙に名残惜しいが、こういう切り替え自体は嫌いじゃないし、むしろ気持ちのスイッチが入る感じがして悪くない。楽しい時間は楽しい時間としてちゃんと区切って、やることはやる、それだけの話だ。
部屋の前で立ち止まり、五条先生が何の躊躇もなく扉を開ける。
中にいたのは、見知らぬ男だった。
金髪をオールバックにしていて、丸眼鏡をかけている。スーツをきっちり着こなしていて、立ち姿も無駄がない。なんというか、見た瞬間に「ちゃんとしてる人だな」と分かるタイプで、だらけた感じが一切ない。年齢は俺よりかなり上だろうけど、その分だけ積み重ねてきたものがそのまま出ているような印象だった。
で——強い。
見える“流れ”がはっきりしている。淀みがなくて、無駄もなくて、全部が整理されている感じだ。呪力がただ多いとかそういう話じゃなくて、ちゃんと“使える形で収まっている”のが分かる。体の作りもいいし、姿勢一つとっても隙がない。
あぁ、これ普通に強い人だな。
そう判断したのとほぼ同時に、五条先生がその人の肩に手を回した。
「脱サラ呪術師の七海くんでーす!」
脱サラ……?
いや、その紹介はどうなんだ。
「その言い方はやめて下さい」
男——七海さんが即座に肩を外す。声は落ち着いているが、ちゃんと嫌がっているのが分かる。こういう対応が自然にできるあたり、やっぱりこの人かなりまともだなと感じる。
「初めまして、七海建人です。虎杖君、あなたの噂は聞いています。なんでも、呪術ではなく武術で呪霊と戦うとか……」
まっすぐこちらを見る視線が、変に探るようなものじゃなくて、ちゃんと評価しようとしている感じなのが分かる。余計な色がないというか、無駄な感情が乗っていないのに冷たくはない、不思議とバランスの取れた視線だ。
「虎杖悠仁です。如来神掌っていう武術で戦ってます。知ってる?」
そのまま答える。
少しくらい反応があるかと思ったが——
「知りません」
即答だった。
知らんのかい。
まぁ別に有名なものでもないし、知らなくて当然かとも思う。むしろ変に知ってる方が不自然かもしれない。
「虎杖君、私が呪術高専で学んで気づいた事が一つあります」
七海さんが淡々と言う。
なんとなく雰囲気が変わる。軽い話じゃないなと分かる空気だ。
「呪術師はクソという事です」
……そっちか。
いや、分かる。分かるけども。
「そして一般企業で働いて気づいた事も一つあります」
まだあるのか。
というかこの流れ、嫌な予感しかしない。
「労働はクソという事です」
断言された。
ここまで迷いなく言い切られると逆に納得しそうになるのが怖い。
「……なんかすげぇ納得しそうで怖えよ」
つい口に出る。
七海さんは軽く頷くだけで、特に感情を表に出さない。その感じが妙にリアルで、逆に変に笑えてくる。
「はいはいはいー!というわけで今回僕は引率に行けなくてねー」
五条先生が唐突に話を切り替える。相変わらず流れをぶった切るのが上手いというか、雑というか、どっちにしろペースを持っていく力は強い。
懐から資料を取り出し、そのままホワイトボードに貼り付けていく。
そこに映っていたのは、三人の死体の写真だった。
……うわ、これは。
頭部が押し潰されたみたいに変形している。見た目としてはかなりえぐいのに、不思議と血がほとんど出ていない。その違和感が、単なる惨状以上に引っかかる。
「神奈川県川崎市の映画館で見つかった死体だ。どう見ても呪霊の仕業なんだけど、不可解な点があってね。呪霊っぽくないというか、
五条先生が指で示しながら言う。
確かにその通りだと思う。
普通の呪霊なら、もっと無茶苦茶に壊すはずだ。血も飛ぶし、肉も散る。それがほとんどなく、ただ形だけが歪んでいるこの状態は、逆に不自然すぎる。
「これを二人で調べて、犯人を見つけて祓ってほしい。ってのが任務!じゃよろしくー!」
言うだけ言って、五条先生はそのまま部屋を出ていった。
……自由すぎるだろ。
毎回思うけど、この人ほんと説明だけして消えるの早い。
「では、捜査を始めましょう。虎杖君。よろしくお願いします」
七海さんがこちらに向き直る。
その一言だけで、空気が少し締まる。
「うす!よろしくおなしゃす!!」
思わず背筋が伸びる。
ちゃんとしてる人と組むと、自然とこっちもちゃんとしなきゃって気になるのが不思議だ。
任務か。
たこ焼きの続きは気になるけど——まぁ、それはまた今度でもいい。
七海建人が虎杖悠仁に対して最初に抱いた印象は、単純なものではなかった。
(静かですね。本当に16歳なんですか?)
率直に言えば、違和感だった。
七海の知る同年代の人間——それも高校生という存在は、もっと騒がしく、無遠慮で、エネルギーの方向を持て余しているものが多い。隣に立つ五条悟のように、と言えば少々極端ではあるが、少なくとも“落ち着き”や“間”を自然に持つ年齢ではないはずだった。
だが、目の前の少年は違う。
話す時の間合い、視線の置き方、言葉の選び方、そのどれにも無駄な揺れがない。焦りも、過剰な自己主張もなく、かといって消極的でもない。その立ち姿には、どこか一度“整理された”ような気配があった。
(……達観、している)
そう表現するのが最も近い。
だが同時に、その内側には確かに熱もある。抑え込まれているわけではなく、むしろきちんと制御された状態で保たれているような印象だった。静かでありながら、活発でもあるという、通常であれば両立しにくい性質が自然に同居している。
(虎杖悠仁、両面宿儺の器、そして武術を使い呪霊を祓う異例の存在……)
事前に与えられていた情報を思い返す。
呪術ではなく武術。
それも独自の体系を持つ技術——如来神掌。
その名を聞いた時点では半信半疑だったが、報告書に記されていた戦闘内容は無視できるものではなかった。特級相当の呪霊を相手に、苦戦することなく、出血すら伴わず、淡々と処理したという記録。
誇張である可能性も考えた。
だが、目の前の存在を見れば、それが誇張だけではないことは分かる。
無駄がない。
力の流し方、留め方、循環の仕方、そのすべてが自然でありながら、明確な意図を持っている。呪力の扱いにおいても、単純に量が多いのではなく、管理され、整理され、必要な場所にだけ通されている。
(……整っている)
それは訓練の結果というよりも、一度壊してから再構築したような完成度だった。
(羨ましいですね)
七海は心の中で呟く。
その感情は嫉妬とは少し違う。
ただ、純粋に思ったのだ。
もし、このような存在がもっと早く現れていたならば。
もし、自分が呪術の世界に足を踏み入れた頃に、こうした“例外”が既に存在していたならば。
(もう少し、違う形もあったかもしれません)
過去を振り返ることに意味はないと理解している。
選択は常にその時点での最善だったし、結果もまた受け入れるしかない。だが、それでも一瞬だけ思考が過去へと向かうのは、人間である以上避けられないことだった。
灰原の顔が、脳裏に浮かぶ。
何も知らず、何も疑わず、それでも前に進もうとしていたあの頃の自分達。理不尽に対する理解も、構造に対する認識も不十分なまま、それでも“正しいこと”をしようとしていた。
(……子供でしたね)
静かに結論づける。
今なら分かる。
あの世界は、そんなに単純ではなかった。
そして——
目の前の少年は、その単純さを既に越えている。
「虎杖君」
七海は声をかける。
「うす」
即座に返る声。
その反応の速さにも、やはり無駄がない。
「今回の任務、状況はまだ不透明です。ですが、ただの呪霊ではない可能性が高い」
淡々と告げる。
その言葉に対し、虎杖はわずかに視線を落とし、そしてすぐに上げた。
理解している。説明を重ねる必要はないと判断する。
「無理はしないでください。あなたはまだ学生です」
そう付け加える。義務としての言葉でもあるが、それだけではない。
(……この少年は、踏み込みすぎる)
直感的にそう感じていた。
力があるからこそ、限界を見誤る。
理解しているからこそ、引くべき場面で止まらない。
それは危険だ。
「了解」
虎杖は頷く。
その返答は素直で、曖昧さがない。
だが——
(……さて、どこまで守る気があるのか)
七海は内心でそう思う。
言葉通りに受け取るべきか、それとも行動で判断するべきか。
どちらにせよ、今回の任務である程度は見えるだろう。
そして同時に、もう一つの予感があった。
(これは——長くは続かない)
今の均衡。
この静けさ。
それらはすぐに崩れる。
そう確信できるだけの“兆し”が、既に現れていた。
七海は静かに視線を前へ向ける。
その先にあるのは、まだ見えぬ異常。
だが確実に、そこへ向かって進んでいる。