武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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パンダなのにカンフー使うのか……!?

 

 

 

 

 キネマシネマを発端とした一連の出来事から、数日が経過していた。

 

 街に滞留していた異質な気配は徐々に薄れ、表層だけを見れば日常は元の形へと回帰しているように見えるが、呪術師たちの認識はそれとは大きく乖離しており、あの事件が“終わった”のではなく、単に一つの段階を終えただけであることは明白だった。魂を直接操作し、人を歪めて呪霊へと変える存在。その異常性は、従来の呪霊の枠組みから逸脱しているどころか、呪術という体系そのものに対する危険性すら孕んでおり、誰もが言葉にせずとも、今後さらに大きな波紋を呼ぶであろうことを直感的に理解していた。

 

 それでも、予定は変わらない。

 

 京都姉妹校交流会。

 

 呪術高専東京校と京都校の生徒が一堂に会し、互いの実力を競い合う年に一度の行事であり、その名目はあくまで“交流”とされているが、実際には双方の戦力を測る場としての側面が強く、緩やかな形式の中に明確な優劣が刻まれる、半ば実戦に近い意味合いを持っていた。

 

 会場は前年の勝者である東京校。広大な敷地の一角が試合区画として指定され、自然の地形をそのまま利用した起伏の多いフィールドには、あらかじめ複数の呪霊が放たれている。

 

 一回戦は団体戦。

 

 指定された区画内に配置された二級呪霊を先に祓ったチームが勝利となるが、それだけでは終わらない。区画内には他にも複数の呪霊が解き放たれており、単純な討伐能力に加え、状況判断、連携、さらには相手チームへの妨害といった要素も含めた総合的な戦闘力が試される内容となっていた。

 

 「相手を殺したり、再起不能の怪我を負わせることのないように。以上、開始時刻の正午まで解散」

 

 低く響く声で告げたのは、東京校学長・夜蛾正道。その言葉は簡潔でありながら重く、場に集まった生徒たちへと確実に浸透していく。説明が終わると同時に、張り詰めていた空気がわずかに緩み、それぞれが思い思いに動き始める。

 

 そこには既に、東京校の生徒たち——虎杖悠仁、伏黒恵、釘崎野薔薇、禪院真希、狗巻棘、パンダが揃い、教師として五条悟がその場に立っている。対する京都校もまた、楽巌寺嘉伸を筆頭に、東堂葵、加茂憲紀、禪院真依、三輪霞、西宮桃、そして究極メカ丸といった面々が顔を揃えていた。

 

 表面上は穏やかな空気が流れているが、視線の交錯する先々には明確な警戒が滲んでいる。初対面の者同士であっても、互いの力量はある程度感じ取れる。言葉を交わさずとも、既に勝負の前哨戦は始まっていると言ってよかった。

 

 その中で、ひときわ遠慮のない動きを見せる者が一人いた。

 

 「ハッハッハ!ブラザー!久しぶりだな!今回は負けないぞ?」

 

 東堂葵が大股で虎杖悠仁の元へと歩み寄り、そのまま遠慮なく肩を叩く。まるで長年の親友と再会したかのような距離感と声音で、その言葉には一切の迷いがない。

 

 「俺も負けねぇよ」

 

 虎杖もまた即座に応じる。軽く肩を回しながら発せられたその返答には、躊躇も遠慮もなく、自然体のまま戦いを受け入れている気配があった。

 

 だが、そのやり取りを見ている周囲の反応は対照的だった。

 

 「久しぶりじゃねぇだろ。少し前もアイツ来てたぞ」

 

 真希が呆れたように呟く。

 

 「この前なんてたこパしたけどな」

 

 パンダが肩を竦めながら補足する。

 

 「しゃけ」

 

 焼肉も行った、と狗巻が短く付け加える。

 

 「ほんとどういうことなの?」

 

 釘崎が眉をひそめる。

 

 京都校の面々もまた困惑していた。東堂の突飛な行動自体は珍しくないが、その対象である虎杖がこれほど自然に受け入れている様子は予想外だったのだ。

 

 「虎杖悠仁は東堂に任せよう。それしかない」

 

 誰かが小さく呟く。

 

 だが当の二人は、そんな周囲の視線など一切気にしていない。

 

 「今回はチーム戦だが、親友と俺は別だ。互いに全力でぶつかる。それが礼儀というものだ」

 

 東堂が真顔で言い切る。

 

 「分かってるって」

 

 虎杖は軽く笑って応じる。その表情には余裕があり、同時に静かな集中も宿っていた。

 

 その変化に気づいた者は、まだ多くはない。だが確実に、以前とは違う。軽さの奥に芯が通り、動きの一つ一つに無駄がない。感覚だけで突っ込むのではなく、選び、踏み込み、そして結果へと繋げる、その質の変化が所作の端々に滲んでいた。

 

 「東堂はあのまま虎杖に任せて、俺たちは呪霊を祓いましょう」

 

 伏黒が短く指示を出す。

 

 「だな、あっちはあっちで勝手にやるだろ」

 

 「違いねぇ」

 

 パンダが応じ、真希が軽く骨を鳴らす。

 

 戦力の分配としては合理的だった。むしろ、あの二人を同じ枠の中で制御しようとする方が無理がある。それぞれがそれぞれの戦いをする方が、結果として全体の戦力は最大化される。

 

 正午まで、残りわずか。

 

 空気が、ゆっくりと張り詰めていく。交流会という名の戦いが、まもなく始まろうとしていた。

 

 

 その一方で、同じ時刻、同じ世界のどこかで、まったく別の“意図”が静かに進行していた。人間側の視点では捉えきれない、しかし確実に現実へ干渉しようとしている悪意の連なりが、水面下で形を整えつつある。中心にいるのは、呪詛師・夏油傑。そして彼と利害を共にする特級呪霊たちの一派だった。

 

 会合の場は、現実とは切り離された空間。

 

 陀艮の領域。

 

 そこは常夏のリゾートビーチのような光景が広がる、異様なまでに穏やかな空間だった。白い砂浜はどこまでも続き、透き通る海は穏やかな波を繰り返し、頭上には雲一つない青空が広がっている。だが、その全ては“現実ではない”。呪力によって構築された、完全に閉じた領域の中でのみ成立する景色であり、そこに漂う空気はどこか現実味を欠いている。

 

 その不自然な安寧の中で、襲撃前の最終調整が行われていた。

 

 「えぇ!?俺が行くの!?」

 

 真人が声を荒げる。その反応は予想通りと言わんばかりに、夏油は軽く肩を竦めながら微笑を浮かべる。

 

 「そうだよ真人。この仕事は君にしかできない。君にしか“感知できない”からね」

 

 淡々と告げられたその言葉は、事実でありながらも、同時に逃げ場を塞ぐものでもあった。真人の術式——魂への直接干渉。それは他の誰にも代替できない特性であり、今回の計画において中核を担う要素でもある。

 

 「いやいや、それは分かってるけどさ」

 

 真人は頭を掻きながらも、どこか落ち着かない様子で言葉を続ける。

 

 「あそこには虎杖悠仁がいるんだろ!?今度こそ俺、逃げられないって!」

 

 その言葉には、軽口では済まされない実感が滲んでいた。

 

 かつて接触した際に見たもの。

 

 魂に触れた瞬間に広がった、理解不能な光景。

 

 あれは単なる強さではなかった。もっと根本的な、存在の在り方そのものが異質だった。

 

 夏油はそれを聞いても、表情を変えない。

 

 「大丈夫、大丈夫。君が高専の結界内、宿儺の指が保管されている忌庫に潜る間は、外で陽動が派手に行われる。君に気づく余裕のある術師はいないよ」

 

 軽く言い切るその態度には、計画全体を俯瞰した上での確信がある。

 

 交流会という大規模な催しの最中、複数の呪詛師と特級呪霊による同時多発的な陽動が行われれば、戦力は分散せざるを得ない。その隙を突く形で、最も警戒の薄くなる一点へ侵入する。合理的であり、同時に悪意に満ちた構成だった。

 

 「そんなこと言われてもさぁ……」

 

 真人はなおも渋る。

 

 軽薄な口調の裏に、はっきりとした“恐れ”がある。

 

 それは敗北の記憶ではない。

 

 理解できなかったものへの、本能的な忌避だ。

 

 「私の言うことが信用できないのかい?」

 

 夏油がわずかに目を細める。その声音は穏やかだが、内側に含まれる圧は明確だった。

 

 「宿儺の指六本と、呪胎九相図の一番から三番を回収するだけだよ。難しい話ではないだろう?」

 

 提示される目的は単純だ。

 

 だが、その単純さが逆に、逃げ場を与えない。

 

 「だからそれが嫌なんだってば!」

 

 真人は思わず声を荒げる。

 

 軽口を叩く余裕はある。だが、それでも拒絶したいと思うほどには、虎杖悠仁という存在が引っかかっていた。

 

 そのやり取りを、別の視点から見ている者がいる。

 

 「おい真人……夏油の言う通りだぞ」

 

 低く響く声。

 

 振り向けば、そこにいるのは漏瑚だった。かつて五条悟との戦闘で大きく損傷した身体は既に再生を終え、今は元の姿へと戻っている。その全身から発せられる熱量と呪力は、以前と遜色ない。

 

 「花御も出る。それに呪詛師も何人か陽動に回るんだろう。貴様は回収に行って帰るだけだ。それほど難しい話ではない」

 

 淡々とした指摘。

 

 そこには感情の揺れはほとんどない。

 

 ただ事実として、役割を遂行すればいいと告げているだけだ。

 

 真人はしばらく沈黙する。

 

 波の音が、静かに繰り返される。

 

 現実ではあり得ないほど穏やかなその音が、かえってこの場の異質さを強調していた。

 

 「……分かったよ」

 

 やがて、肩をすくめるようにして息を吐く。

 

 「分かった、分かったって。行くよ、もう!」

 

 半ば投げやりな言い方ではあるが、それでも決断は下された。

 

 計画は動き出す。

 

 それぞれがそれぞれの役割を果たすために。

 

 そしてその全ては、まだ何も知らないままの高専へと向かっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よし、じゃあ悠仁は予定通り東堂のアホを任せる。そんで私とパンダ、恵、野薔薇で周囲の呪霊を祓いつつ京都側を引きつける。そんで単独の棘が二級呪霊を見つけて祓う。これでいいな?」

 

 開始直前の最後の作戦確認は、無駄のない一言で締められた。真希先輩の言葉は簡潔で、それでいて現場の動きを正確に切り取っている。役割は明確、連携もシンプル、誰がどこで何をするのかが一瞬で頭の中に収まる。複雑なことは何もない。ただ、それぞれが自分の役目を確実に果たすだけだ。

 

 俺もその内容に異論はない。

 

 むしろ、この形が一番やりやすい。

 

 京都側で警戒すべき相手ははっきりしている。東堂葵。あいつ一人だけで、戦況の流れを変えられる力がある。単純なパワーだけじゃない。間合いの詰め方、攻撃の通し方、そして何より戦闘中の判断が速い。正面からぶつかればぶつかるほど、その差がはっきり出るタイプだ。

 

 だからこそ、俺が引き受ける。

 

 それが一番自然だし、一番納得がいく。

 

 つい最近まで一緒にいた。修行もしたし、飯も食ったし、何ならパチンコにも行ったかもしれない。あいつが何を考えてるか全部分かるわけじゃないけど、少なくとも戦い方は知ってるし、あいつも俺のことをある程度は分かってるはずだ。

 

 ブラザーって呼ばれる理由は正直よく分からない。

 

 でも、その距離感にはもう慣れてる。

 

 だから、やることは単純だ。

 

 真正面からぶつかる。

 

 「時間だ」

 

 伏黒の声で、場の空気が切り替わる。壁に掛けられた時計の針は、ちょうど正午を指していた。さっきまでの軽い会話や、わずかな緩みが一瞬で消えて、それぞれの意識が戦いへと向くのが分かる。

 

 「よーし!みんな!頑張っていこうぜ!」

 

 パンダ先輩が拳を打ちつけながら声を上げる。その身体の奥にある三つの核がわずかに揺れるのが見える。それぞれが別のリズムを持ちながら、同時に一つの動きとしてまとまっている。

 

 「ツナマヨ!」

 

 狗巻先輩の短い言葉にも、しっかりとした力がこもっている。

 

 「やってやんよ!」

 

 釘崎の声はいつも通り強気で、迷いがない。

 

 その全部を聞きながら、俺は一度だけ深く息を吸った。肺に空気を入れて、ゆっくり吐き出す。それだけで身体の中の“流れ”が静かに整っていく。余計な力は抜けて、必要な分だけが残る。足の裏が地面に吸い付くように安定して、視界が自然と広がる。

 

 準備はできてる。

 

 「いくぞ」

 

 誰かの声と同時に、全員が一斉に外へ飛び出した。扉を抜けた瞬間、空気の温度が変わる。開けた空間、広がる森、そしてその奥に潜む複数の気配が一気に感覚へと流れ込んでくる。

 

 俺は迷わず前に出る。

 

 作戦通り、ただ突っ込む。

 

 真っ直ぐに。

 

 地面を蹴る。足に力を込めるんじゃなく、地面を押して反発を前に流す。最初の一歩から加速に繋げて、無駄な動きを挟まずに身体を運ぶ。森の中を走る感覚は、もう身体に染み付いている。視線を動かさなくても足場が分かるし、障害物も自然と避けられる。

 

 前方に気配。

 

 呪霊だ。

 

 姿を確認するより先に間合いを詰める。反応する暇を与えずに踏み込みを変え、真正面から拳を叩き込む。掴んだ宿儺の呪力をそのまま乗せるだけで十分だった。余計な工程はいらない。

 

 鈍い音と同時に、呪霊が砕ける。

 

 止まらない。そのまま抜ける。

 

 これまでなら、正の呪力を練って、流して、確実に祓うって手順を踏んでた。でも今は違う。宿儺が言った言葉——「闘争を楽しめ」「それは作業だ」——あれが、思ったより残ってる。

 

 確実に祓うこと自体は変わらない。けど、その過程を全部削って最短で終わらせるのは、確かに“作業”だ。必要なことではあるけど、それだけだと、なんというか、噛み応えがない。

 

 だから、少し変えた。

 

 如来神掌を開花させる前の、ステゴロ。型もクソもないただの拳!

 

 正の呪力を叩き込めば一瞬で終わる。でも、そこに至るまでの動き、踏み込み、間合い、崩し方、そういう“戦うための要素”をちゃんと使う。無駄に長引かせるつもりはないけど、ただの処理で終わらせる気もない。

 

 そんな感じで、数体の呪霊を連続で祓いながら森の奥へ進む。

 

 そして気配を探る。すぐに見つけた。

 

 「きやがったな?」

 

 前方から、はっきりとした気配が立ち上がる。隠す気なんて一切ない、むしろ来るのを待っていたみたいな圧だ。

 

 早い。もうそこにいる。早すぎんだろ。

 

 「悠仁!頼んだ!」

 

 真希先輩の声が背後から飛ぶ。それと同時に、他のメンバーの気配が一気に散る。それぞれがそれぞれの役割に沿って動き出したのが分かる。

 

 「おう!」

 

 短く返す。それで十分だ。

 

 視線は前。気配は一つ。

 

 他は全部切り捨てる。

 

 目の前の相手だけに集中する。

 

 身体の中の流れが自然と一点に集まる。無理に力を入れなくても、必要な動きだけが浮かび上がる。踏み込み、間合い、打点、全部が繋がって一つの動作になる。

 

 空気が張る。ぶつかる直前の、あの独特の感覚。

 

 息を整える必要もない。

 

 もう入ってる。

 

 「来いよ、ブラザー」

 

 口元が自然と緩む。

 

 次の瞬間、空気が弾ける。上から落ちてくる気配。

 

 地面に叩きつけるような着地音が、遅れて耳に届く。衝撃は足元から波紋のように広がり、乾いた土が跳ね上がって視界の端をかすめる。その力の入り方は乱暴に見えて、実際は一切の無駄がなく、重さと速度をそのまま地面へ逃がすことで反動を殺している。普通なら骨が軋むような落ち方でも、あいつにとってはそれが基準なんだろうと、見慣れた動きに改めて納得させられる。

 

 舞い上がった土埃の向こうから現れる体躯は、もう説明するまでもなく分かっている。幅の広い肩、分厚い胸板、そして全身に張り付くような筋肉の密度が、立っているだけで圧として伝わってくる。

 

 東堂葵。

 

 腕を広げ、まるで舞台の中央に立つ役者みたいに堂々と構えている。その姿勢には一切の迷いがなく、むしろここから始まることを心から楽しんでいるのが、その立ち方だけで分かる。

 

 「フフフハハハハー!ブラザー!」

 

 響く笑い声は、相変わらず遠慮がない。

 

 「おう」

 

 短く返す。それで十分だ。余計な言葉は要らない。この場にいる理由も、これからやることも、全部共有できている。

 

 「行くぞ!虎杖(ブラザー)!」

 

 「よっしゃ!」

 

 声が重なった瞬間、互いに地面を踏み抜いた。示し合わせたわけじゃない。それでもタイミングはぴたりと合う。踏み込みの力がそのまま足元に叩き込まれ、地面が押し潰されるように沈む。遅れて周囲の空気が弾け、木々の葉が一斉に揺れたが、そんなものは意識の外に追いやられている。

 

 距離は、一瞬で消える。

 

 視界の中心に、東堂の姿が収まる。

 

 次の瞬間には、腕と腕が正面からぶつかり合っていた。

 

 衝突の感触が骨に響く。ただ硬いだけじゃない。ぶつけた衝撃を逃がす構造を身体そのものに組み込んでいるような受け方で、力を真正面から受け止めるのではなく、内部で拡散させながら芯だけを残す。だから崩れない。普通なら踏ん張りきれずに姿勢が流れる当たりでも、東堂はその場に立ち続ける。

 

 「フッ」

 

 俺は一度右腕を引く。ほんの僅かに間合いを作り、そのまま溜めを挟まずに縦拳を打ち込む。肩の回転と体幹の捻りだけで加速させた一撃は、最短距離で東堂の胸へと届く。

 

 だが、避けない。

 

 真正面から受ける。

 

 拳が当たった瞬間、確かな手応えはある。だが、その奥へと入り込む感覚が途中で止まる。厚い層にぶつけたみたいに、衝撃が分散して消えていく。思わず歯を食いしばる。

 

 「うーむ……やはり凄まじい威力っ!」

 

 感心したように言いながら、東堂の動きは止まらない。俺の腕を払うようにして軌道を逸らし、そのまま一気に距離を詰める。振り上げられた肘が、真っ直ぐに落ちてくる。

 

 近い。

 

 避ける余裕はない。

 

 だから、受け流す。

 

 左手を差し込むようにして肘の軌道に触れ、真正面から弾くのではなく、角度だけをずらして衝撃を逃がす。接触の瞬間に力を殺し、そのまま身体を半歩ずらして空いたラインを作る。

 

 そこへ、右掌を叩き込む。

 

 今度は、通る。

 

 「ぐぺっ」

 

 顎を捉えた掌の感触が、骨を通して腕へと返ってくる。手応えが明確に変わる。東堂の身体がその場で浮き、そのまま一直線に後方へと弾き飛ばされた。

 

 数メートル先の木に背中から叩きつけられ、幹が鈍く軋む。葉が大きく揺れ、細い枝が折れて地面に落ちる。それでも東堂は崩れない。衝突の勢いを一瞬だけ背中で受け止め、そのまま足を踏み直して体勢を立て直す。

 

 「やるなぁブラザー……だがまだまだ!」

 

 笑っている。

 

 明らかに効いているはずなのに、表情に出ているのは痛みじゃない。むしろ、さっきよりも踏み込みの圧が増している。打たれた分だけ前に出る、そのままの動きだ。

 

 俺は軽く息を吐く。

 

 身体の内側に意識を向けると、衝突の余韻は残っているが、どこにも滞りはない。流れは素直に巡っていて、次の動きにそのまま繋がる。力を溜め直す必要はない。このまま踏み込める。

 

 視線を上げる。

 

 東堂がこちらを見ている。

 

 構えは変わっていないが、重心の位置がさっきよりも低くなっている。地面を掴むような姿勢で、次の踏み込みに備えているのが分かる。

 

 次は、さっきより重い。

 

 そう直感する。

 

 だが、それでいい。

 

 むしろ、その方が面白れぇ。

 

 東堂の姿が、ふっと視界から消えた。

 

 消えたというより、捉えきれなくなっただけだと分かっている。気配は消えていないし、むしろ一瞬だけ濃くなった。その濃さが移動の軌跡を示しているのに、目が追いつかない。ほんの僅かな遅れ。その差が、そのまま攻撃の成立に繋がる。

 

 次の瞬間、横腹に重い衝撃が叩き込まれた。

 

 「グフッ」

 

 息が押し出される。鈍く、しかし芯に届く一撃。骨を砕くほどじゃないが、確実に内側を揺らす力だ。だが、その程度なら耐えられる。むしろ、どこに入ったのかが分かる分だけ、次の動きに繋げやすい。

 

 踏ん張る。

 

 衝撃が抜け切る前に、身体を動かす。

 

 打ち込まれた拳の軌道をなぞるように手を落とし、そのまま外側へ弾く。完全に逸らすわけじゃない。ほんの少し角度をずらすだけで十分だ。力の流れを崩せば、次の連撃は繋がらない。

 

 そのまま、足を振り下ろす。

 

 狙うのは東堂の足元。踏み抜く。地面ごと押し潰すつもりで、力を一点に集める。

 

 だが、届かない。

 

 「それは食らわんっ!」

 

 東堂がわずかに足を引く。その動きは最小限で、余計な力が一切入っていない。踏み込みの直前で重心をずらし、俺の攻撃を空振らせる。そのまま体勢を崩さず、次の動きに繋げる流れが綺麗すぎる。

 

 間合いが、また詰まる。

 

 そこから先は、言葉にする意味がない。

 

 拳が飛ぶ。

 

 それを受ける。

 

 返す。

 

 蹴りが来る。

 

 いなす。

 

 頭突きが入る。

 

 ずらす。

 

 掌底が押し込まれる。

 

 打ち返す。

 

 それぞれの動きが途切れずに繋がり、攻撃と防御の境目が曖昧になっていく。どちらが先に動いたかなんて関係ない。見てから動くんじゃなく、感じた瞬間にはもう動いている。

 

 「うおおおお!!!」

 

 「おおおおお!!!」

 

 叫び声が重なる。

 

 声を出すことで力が乗るとか、そういう理屈じゃない。ただ、この状況に対して、身体が勝手に応じているだけだ。ぶつかるたびに骨が軋み、筋肉が震え、それでも止まらない。

 

 拳が当たるたびに、手応えが変わる。

 

 最初にぶつけた時よりも、東堂の身体がさらに“硬く”なっているのが分かる。ただ固めているんじゃない。衝撃を受けるたびに、その受け方を微調整している。だから同じ攻撃でも通り方が違う。

 

 こっちも同じだ。

 

 さっきよりも力の流し方が自然になる。受けた衝撃をそのまま溜めるんじゃなく、流して次の動きに変える。ぶつかるたびに、身体の使い方が更新されていく感覚がある。

 

 これが、闘争。

 

 頭で考えるより先に、身体が応える。相手の動きに対して、その場で最適な動きを選び続ける。この繰り返しが、そのまま戦いになる。

 

 楽しいとか、そういう単純な言葉じゃ足りない。

 

 ただ、集中している。

 

 それだけだ。

 

 「『くだらん、俺は寝る』」

 

 内側から声が響く。

 

 宿儺だ。

 

 だが、その声は遠い。意識の端で聞こえているだけで、今の動きには一切影響しない。あいつがどう思おうが関係ない。今やってることは、俺自身の戦いだ。

 

 視界の中で、東堂の肩がわずかに沈む。

 

 来る。

 

 踏み込みの前兆。

 

 それに合わせて、俺も重心を落とす。

 

 次の一撃は、さっきまでの応酬とは違う。

 

 もっと深く、もっと重い。

 

 そう分かっていて、それでも前に出る。

 

 止まる理由がない。

 

 むしろ、このまま続ける方が自然だ。

 

 呼吸が揃う。

 

 間合いが詰まる。

 

 そして——次の衝突へ。

 

 

 

 

 虎杖悠仁と東堂葵が森の一角で激しい肉弾戦を繰り広げるその裏側で、他の生徒たちもまた、それぞれの戦場において己の役割を果たしていた。広大な区画内に解き放たれた呪霊の気配は散在し、それに呼応するように術師たちの呪力が点在している。その一つ一つが独立した小さな戦場となりながら、全体としては確実に連動しており、見えない糸で繋がれたように戦況は進行していた。

 

 「——あんた飛び回ってばっかでつまんないわね!!」

 

 甲高い声と共に、釘崎野薔薇の手から放たれた釘が鋭い軌道を描いて空を裂く。狙いは正確、角度も無駄がない。しかしその軌道を読み切ったかのように、西宮桃は箒の角度を僅かに変え、風を切るように滑らかに回避する。そのまま高度を上げ、釘崎の頭上を取る動きには一切の淀みがなく、空中という優位を最大限に活かしている。

 

 「そんであんたもウザい!」

 

 釘崎は即座に視線を切り替え、飛来した弾丸をトンカチで弾き落とす。金属がぶつかる乾いた音が森に響き、弾かれたそれは木の幹に当たって鈍く跳ねた。視線の先、枝の上には禪院真依がハンドガンを構えたままこちらを見下ろしている。

 

 「私たち2人に勝てるかしら?」

 

 余裕を含んだ声音。上空と樹上、二方向からの制圧は単純ながらも厄介で、包囲される側にとっては逃げ場を削られる構図だった。だが釘崎の表情には焦りはない。むしろ、その状況を楽しむように口元を歪める。

 

 「ハッハーン、あんた達舐めてるわね。私たち普通に()()()()()()()

 

 言葉の意味を理解する間もなく、釘崎の姿が視界から消える。踏み込みと同時に地面を蹴り、木の幹を一度だけ踏み台にして軌道を変える。その動きは直線的でも連続的でもなく、見る側の予測を断ち切る“途切れた動線”だった。

 

 「な!?」

 

 「え!?」

 

 真依と西宮の反応がわずかに遅れる。その一瞬を逃さず、釘崎は一気に距離を詰める。上を取られた状況を力で覆すのではなく、視界そのものをずらして主導権を奪う。その発想は、単純な力押しではなく、戦いの組み立てとして明確に洗練されていた。

 

 一方その頃、別の地点では伏黒恵と加茂憲紀が対峙していた。

 

 「玉犬!!」

 

 伏黒の影が揺れ、そこから二体の犬が飛び出す。黒と白、対となる式神が低く唸りながら地を蹴り、一直線に加茂へと迫る。だが加茂は動じない。弓を引き、呪力を纏わせた矢を連続で放つ。その一射一射は無駄がなく、確実に軌道を捉えている。

 

 だが、矢は犬の身体をすり抜けた。

 

 まるで影そのものを貫いたかのように、手応えなく通過する。完全な実体ではない。あえて不完全な顕現に留めることで、攻撃判定を曖昧にし、相手の判断を狂わせる。その代償として威力は落ちるが、戦術としては十分に成立していた。

 

 (なるほど……)

 

 加茂がその仕組みを理解しかけた、その瞬間。

 

 伏黒は既に動いている。

 

 玉犬を遮蔽物として利用し、その影の中を縫うように距離を詰める。足音を殺し、視線の死角に入り込み、一気に踏み込む。拳が放たれる瞬間、その動きには一切の迷いがない。

 

 (虎杖との修行が活きている……!)

 

 加茂の目がわずかに見開かれる。式神使いでありながら、この距離でここまでの圧を出すとは予想していなかった。術式だけに頼らず、身体そのものを武器として組み込んでいる。

 

 さらに別の場所では、禪院真希と三輪霞が刃を交えていた。

 

 「あんたじゃ私に勝てねぇ、地力が違うんだよ」

 

 短く言い切ると同時に、真希の動きが一段階速くなる。踏み込みから振り抜きまでが一つの流れとして繋がり、無駄な間が存在しない。三輪の構えが崩れるよりも早く、その武器は弾かれ、次の瞬間には勝負が決していた。

 

 圧倒的な差。

 

 技術の優劣ではなく、基礎そのものの密度が結果として現れている。

 

 (三輪の動き自体は悪くねぇ……でも足りねぇな)

 

 真希は軽く肩で息を整えながら、得物を担ぐ。

 

 (虎杖式の修行でイイ感じだ)

 

 自らの変化を確かめるように一度だけ拳を握り、そのまま視線を森の奥へと向ける。まだ終わりではない。次の戦場へ向かうため、迷いなく足を進める。

 

 そして、別の地点。

 

 「パンダなのにカンフー使うノカ……!?」

 

 「ふっふっふ……ズバり!カンフーパンダよ!アチョー!!!」

 

 「そのまま言ウナ!!」

 

 機械仕掛けの異形と、もう一つの異形が対峙するその場でも、戦いは確実に進行していた。交流会という名の下に、各所で繰り広げられる戦闘は、それぞれが独立しながらも、全体として一つの大きな流れを形作っている。

 

 その中心で、最も激しくぶつかり合っているのは——言うまでもなかった。

 

 森の中。

 

 「フハハハハー!虎杖(ブラザー)!いいぞぉ!」

 

 「くぅ〜!!最高だぜ!東堂!」

 

 拳と拳、蹴りと蹴りが激しく交錯する。打ち合いは止まらず、衝突のたびに衝撃が周囲へと弾け、地面が抉れ、木々が揺れる。その熱は周囲の戦場とは明らかに質が違い、純粋なぶつかり合いとして極まっていた。

 

 互いに笑っている。

 

 痛みも疲労も、その瞬間だけはすべて押し流され、ただ目の前の相手に向き合うことだけが残る。

 

 その異様な熱量を、ただ一人、内側から感じている存在があった。

 

 「『……』」

 

 虎杖悠仁の内に宿る両面宿儺。

 

 その視線は、外界の光景を淡々と捉えていたが、やがて静かに閉じられる。

 

 興味を失ったわけではない。

 

 ただ——

 

 その熱が、あまりにもくだらなく見えただけだった。




宿儺「俺と戦え!!!!!」


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