武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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崩落原因は現在も調査中であり、未だ特定には至っていません

 

 

 

 

 これが黒閃……そう思った瞬間から、身体の内側にある何かが明確に変わっていた。単純に力が上がったわけじゃない。筋肉の出力とか、速度とか、そういう表面的なものじゃなくて、もっと奥にある“流れ”そのものが澄み切っている。余計な濁りが消えて、必要な情報だけがそのまま通ってくる感覚で、呼吸一つ、視線一つで、周囲の全てが繋がって見える。

 

 地面の硬さ、空気の揺れ、呪力の濃淡、それらが一つの流れとして頭の中に入ってきて、自然と次にどう動くかまで繋がっていく。その状態に入ったまま、まだ残っている余韻の中で立っていたとき、流れの中に違和感が混じった。

 

 それは明らかに異質だった。

 

 「『おい小僧ーーーっ!!指だ指だ指だ!!指が六本動いているぞ!!』」

 

 頭の中に叩きつけられるような声が響く。宿儺の声だが、いつもと違って焦りが混じっている。怒鳴りつけるような声音に引きずられるようにして意識を向けた瞬間、黒閃で鋭くなった感覚が、それをはっきりと捉えた。

 

 動いている。

 

 宿儺の指の気配が、高専の内部から外へと一直線に離れていく。しかも一つじゃない。まとまって、同じ方向へ、とんでもない速度で移動している。まるで誰かが意図して運び出しているみたいに、迷いもなく、加速しながら遠ざかっていく。

 

 速い。

 

 そして、どんどん薄くなっていく。

 

 「……あ〜……」

 

 「『おい』」

 

 思わず声が漏れた。

 

 間の抜けた声だと思う。でも、それ以外の反応が出てこなかった。理解が追いつかない。いや、理解はしてる。してるのに、現実として受け止めるまでに少しだけ時間がかかる。

 

 俺たちが戦ってる間に、全部持っていかれてる。

 

 その事実が、遅れてじわじわと広がってくる。

 

 そのとき、上空で何かが弾けるような音が響いた。

 

 視線を上げると、帳が砕け散っているのが見えた。空間に張り付いていた呪力が破片みたいに崩れ落ちて、その中心から五条先生が降りてくる。いつも通りの軽い動きなのに、その存在だけで場の空気が一気に変わるのが分かる。

 

 周りではみんなが動き始めている。状況の確認、安否の確認、多分そういうことをやってる。

 

 俺はその中を抜けて、ゆっくりと五条先生の方へ歩いていく。

 

 身体の中の感覚はまだ残っている。黒閃の余韻で、全部が繋がっているあの状態。だからこそ、余計に今の状況がはっきり分かる。

 

 「五条先生」

 

 声をかける。

 

 「ん、悠仁。よくやった」

 

 軽い調子の返事。

 

 いつも通りの声音で、そこには緊張も焦りも感じられない。つまり、この人はまだ気づいていない。指のことに。

 

 「黒閃、決めたみたいだね。帳の外からでも分かったよ」

 

 その言葉と同時に、頭の中では別の声が被さる。

 

 「『おい小僧、早く追え』」

 

 情報が重なる。

 

 外からの声と、内側からの声。どっちも同時に入ってきて、一瞬だけ思考が引っかかる。でも、迷ってる時間はない。

 

 言わなきゃいけない。

 

 「宿儺の指が取られた」

 

 はっきりと口に出す。

 

 その瞬間、空気が変わった。

 

 五条先生の目が見開かれる。さっきまでの軽さが消えて、はっきりと状況を捉える側の顔に変わる。

 

 「マジで?」

 

 低い声。

 

 「マジ」

 

 短く返す。

 

 でもそれだけじゃ足りないと思って、続ける。

 

 「黒閃のおかげか、すげぇ冴えててさ……それで分かった。それに宿儺も感じてた」

 

 言いながらも、まだ感覚の端にその気配が残っているのが分かる。遠い。かなり遠い。でも完全には消えてない。

 

 「げぇ……じゃあこれって全部陽動だったってことか。マジか」

 

 五条先生が頭をかく。

 

 軽く言ってるけど、その意味は重い。

 

 俺たちが戦ってる間に、全部持っていかれたってことだ。

 

 拳を握る。

 

 さっきまでの高揚とは違う、冷たい感覚が内側に残る。

 

 逃がした。

 

 その事実だけが、はっきりと残っていた。

 

 「……よし、じゃあとりあえず——団体戦はこれで終了だ。みんなお疲れ!」

 

 五条先生が手を打ち鳴らした瞬間、張り詰めていた空気が一気に緩むのが分かった。戦闘の余韻がまだ身体に残っているのに、それでも終わりを告げられると、意識のどこかが自然と切り替わる。さっきまでの緊張と集中がほどけて、周囲の音や気配が一気に戻ってくる感覚があった。

 

 その流れの中で、東堂がいつも通りの勢いで近づいてくる。

 

 「ブラザー、黒閃はどうだ」

 

 胸を張りながら言ってくるその姿は、さっきまで殴り合ってた相手とは思えないくらい堂々としている。むしろ、俺が何かを達成したことを自分のことみたいに誇ってる感じすらある。

 

 「あぁ、いい感じだよ。何か掴めた気がする」

 

 そう答えると、東堂は一度ゆっくりと頷いてから、何故か空を見上げた。

 

 「ほぉそうかそうか……」

 

 そのままの流れで、急に泣き始める。

 

 何でだよ。

 

 涙を流しながら、拳を天に突き上げている姿は、喜びなのか感動なのか、何かよく分からない感情が混ざっているように見える。

 

 「俺は嬉しいぞ虎杖!これでより俺達は強くなれる……!」

 

 声は無駄に通るし、動きも大きい。周りから見たら完全に意味不明だと思うけど、不思議と嫌な感じはしない。ただ、黒閃で頭が冴えてる今だと、その“異常さ”が妙にくっきり見える。いい奴なのは分かってる。でもやっぱり、ちょっとおかしいわコイツ。

 

 そんなことを考えていると、後ろから声がかかった。

 

 「おい悠仁、行くぞ」

 

 振り返ると、真希先輩がこちらを見ている。隣には伏黒と狗巻先輩もいて、三人とも大きな怪我はなさそうだった。多少の疲労はあるだろうけど、それでも動きに支障はない。

 

 「おう」

 

 短く返して、そのまま合流する。

 

 こうして俺たちは高専へと戻ることになった。

 

 移動の間、周囲ではそれぞれが今回の戦闘について話している。さっきの動きがどうだったとか、あの呪霊がどうだったとか、そういう内容だと思う。けど、それがほとんど耳に入ってこない。

 

 理由は一つ。

 

 頭の中で、あいつがずっと喋っているからだ。

 

 「『あのな小僧、俺はそこまで我慢強くない。貴様はいいだろうな。自由に戦えて、自由に闘争を享受できる。比べて俺はどうだ?こんなところに閉じ込められて見たくないもの聞きたくないものを強制的に感じさせられる。それにな小僧、俺はお前と縛りを交わし、戦う約束をした。今お前はそれを反故にしようとしてる。いや待て、言い訳はするな。いいか?縛りとは呪術において絶対的なものだ。もし破ればどんな災禍が身に降りかかるか分からない。それは小僧、お前であっても例外ではない。早く……』」

 

 長い。

 

 そして止まらない。

 

 さっきからずっとこの調子だ。追えだの行けだの、同じことを言い方を変えて延々と続けてくる。しかも無駄に理屈を挟んでくるから、余計に鬱陶しい。

 

 (分かってるって……)

 

 心の中で返しても、まるで止まる気配がない。

 

 そのせいで、外の会話がほとんど拾えない。音としては入ってくるのに、意味として認識する前に内側の声に押し流される。二重に喋られてるみたいな状態で、集中しようとしても片方が邪魔をしてくる。

 

 気づけば、東京校と京都校の全員が集まっていた。

 

 何か話し合いが始まっている。

 

 俺もその中に混ざって、座ってはいる。

 

 ただ、聞いてる“フリ”をしてるだけだ。

 

 内容が頭に入ってこない。

 

 それでも断片的には拾える。

 

 「今年は個人戦ないよ?」

 

 五条先生の声。

 

 軽い調子だけど、その一言で場の空気が少し動く。

 

 「は?マジか」

 

 真希先輩が即座に反応する。

 

 「じゃあ何すんだ?」

 

 パンダ先輩が続く。

 

 話の流れが変わっていくのは分かる。

 

 でも、その全体像が掴めない。

 

 頭の中では、まだ宿儺が喋り続けている。

 

 外の現実と内側の圧が同時に押し寄せてきて、意識の焦点がどこにも定まらないまま、ただその場に座っていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 時はわずかに遡る。

 

 虎杖悠仁が花御へと黒閃を叩き込むよりも前、五条悟が帳の破壊に意識を集中させていたその最中、高専内部では複数の戦闘が同時に進行していた。表面上は分断された戦場でありながら、その全てが一つの意図のもとに繋がっている。結果として、それらは単独の戦闘ではなく、全体として機能する陽動として成立していた。

 

 侵入した呪詛師は二名。

 

 それぞれに対し、迎撃に当たる術師たちは即座に割り振られ、状況に応じた戦力配置がなされている。戦場は分かれているが、互いに影響し合う形で推移し、どこか一つでも崩れれば全体へ波及する可能性を孕んでいた。

 

 組屋鞣造の前に立ったのは、楽巌寺嘉伸、庵歌姫、そしてメカ丸を降した後に異常を察知し増援として駆け付けたパンダである。

 

 戦闘開始直後、流れは明確に組屋側へ傾いていた。膂力に特化した肉体と、破壊を前提とした戦闘様式は、正面からの対応を困難にする。振り下ろされる斧は単なる打撃ではなく、呪力を伴った圧として空間そのものを押し潰し、受け止めることすら許さない質量を持っていた。間合いに入れば、そのまま押し切られる。そう判断せざるを得ないほどに、攻撃の一つ一つが重い。

 

 楽巌寺と庵は連携を取りながら応戦していたが、主導権を奪うには至らず、徐々に押し込まれていく。防御を優先すれば崩され、攻勢に転じれば打ち負ける。その均衡は長くは持たない。

 

 だが、その流れを断ち切ったのがパンダの介入だった。

 

 戦場へと飛び込んだパンダの動きは、それまでとは明確に異なる質を持っていた。虎杖悠仁との訓練によって体得した近接格闘、その中でも特に“間合い”と“軌道”の扱いが従来とは一線を画している。正面から力をぶつけるのではなく、わずかな角度の差で攻撃を外し、衝撃を流し、そのまま反撃へと繋げる。

 

 組屋の攻撃は確かに重い。だが、その重さは当たってこそ意味を持つ。

 

 当たらなければ、ただの空振りだ。

 

 外される。逸らされる。空を切る。その繰り返しの中で、徐々に組屋の動きに綻びが生まれる。踏み込みの際の重心、振り抜いた後の隙、その一瞬を逃さず差し込まれる打撃は、確実に機能を削いでいった。関節へ、可動域へ、支点となる部分へと的確に打ち込まれるそれは、単なる牽制ではなく、戦闘能力そのものを削るための一手だった。

 

 流れは反転する。

 

 防御が崩れ、動きが鈍り、最終的に組屋の四肢は機能を失う。地面へと叩き伏せられた時点で、戦闘は完全に終わっていた。

 

 意識を失い、そのまま拘束へと移行する。

 

 なお、その一連の過程を間近で見ていた庵は、戦闘の緊張とは無関係に「カンフーパンダだ!」とはしゃいでいたが、それはほんの一瞬、場の空気を緩める程度の余白に過ぎなかった。

 

 一方で、重面春太と対峙していたのは釘崎野薔薇と禪院真依である。

 

 こちらの戦闘は、開始直後から主導権が一方に偏っていた。

 

 重面の動きは一見すると予測不能だが、その実、軌道が定まっていない。回避を優先するあまり、攻撃の意志が希薄になり、結果として流れを作ることができない。対する釘崎は、その不安定さを即座に見抜き、間合いの出入りを自在に繰り返しながら圧をかけ続ける。

 

 視界から外れる動き。

 

 軌道を断ち切る踏み込み。

 

 予測を裏切る角度からの接近。

 

 それらが連続することで、重面の認識は徐々にずれていく。攻撃を捉えられず、防御も間に合わない。戦闘は成立する前に崩れ、流れは完全に一方へと傾いた。

 

 最終的に、重面は戦闘の継続を放棄する。

 

 帳の破壊によって状況の不利を悟り、そのまま離脱を選択した。追撃も可能ではあったが、全体の状況を優先し、深追いは行われない。

 

 後に釘崎はこの戦闘を「逃げてばっかでつまらなかった」と評しているが、その言葉は的確だった。勝敗は戦闘の中で決したのではなく、開始の時点でほぼ確定していたと言っていい。

 

 そして——

 

 この一連の混乱の最中。

 

 誰にも気づかれることなく、高専内部へ侵入を果たした存在があった。

 

 特級呪霊、真人。

 

 その行動は徹底していた。

 

 気配を極限まで抑え、魂の形そのものを圧縮することで存在の輪郭を曖昧にする。感知を避け、接触を避け、戦闘すら行わない。目的に不要な要素を全て排除し、ただ一点へと向かうためだけに動く。

 

 忌庫。

 

 結界の内側、そのさらに奥に位置する保管施設へと到達すると、躊躇なく侵入し、目標を回収する。

 

 宿儺の指、六本。

 

 呪胎九相図、一番から三番。

 

 それらを確保した時点で、任務は完了していた。

 

 そのまま隠密を維持したまま離脱し、誰とも接敵することなく戦場から姿を消す。

 

 結果として、この行動は完全な成功を収めた。

 

 要因は複数ある。

 

 五条悟が帳の解析と破壊に意識を割いていたこと。

 

 虎杖悠仁が東堂との戦闘、そして特級呪霊との交戦に集中していたこと。

 

 さらに、宿儺がその瞬間に沈黙していたこと。

 

 加えて、虎杖悠仁が放った黒閃という現象によって帳内部に強烈な呪力の波動が満ち、感知そのものが攪乱されていたこと。

 

 それら全てが重なり、わずかな“隙”が生まれる。

 

 感覚が鋭敏な虎杖でさえ、異常を捉えるには遅れが生じた。

 

 そして、その一瞬を突いた存在がいた。

 

 条件が揃った結果としての成功。

 

 真人は、それを成し遂げた。

 

 そして、陀艮の領域。

 

 常夏の光に満たされたリゾートビーチのような空間は、外界で繰り広げられていた激戦とは無縁の、歪に穏やかな静寂を保っていた。白い砂浜は均一に広がり、波は一定の律動で寄せては返す。その光景は安らぎを思わせるはずのものだが、そこに在る存在の性質ゆえに、むしろ異質な“静けさ”として成立している。

 

 その空間に、一つの気配が滑り込む。

 

 歪むように、溶け込むように現れたそれは、やがて輪郭を取り戻し、一人の人影として顕在化した。

 

 真人。

 

 魂を極限まで圧縮し、外界での任務を終えた彼は、そのまま領域内へと帰還していた。

 

 「真人、よくやった」

 

 穏やかな声で迎えたのは夏油傑だった。

 

 その隣には漏瑚がいる。視線は鋭く、ただ帰還を喜ぶものではない。結果を求める視線だ。

 

 「は、はは、もう絶対にあんなとこ行かないよ?」

 

 真人は乾いた笑いを浮かべながら、手に持っていた袋を地面へと下ろす。袋には呪力遮蔽が施されており、その内部の気配は外へと漏れていないが、内包されている“重さ”だけは確かに存在していた。

 

 夏油がそれを拾い上げる。

 

 指先で軽く感触を確かめるように持ち上げ、ゆっくりと中身を確認する。その仕草は慎重でありながら、同時にどこか楽しげでもあった。

 

 「うんうん、しっかり回収できてる」

 

 袋の中に収められているものを一つ一つ視認しながら、夏油は満足げに頷く。

 

 宿儺の指、六本。

 

 呪胎九相図、一番から三番。

 

 どれも欠けることなく、確実に揃っている。

 

 「すごいよ真人」

 

 その言葉には、評価と同時に確信が含まれていた。今回の任務において最も重要だった部分を、彼は完璧に遂行したのだ。

 

 だが、その言葉を遮るように、荒々しい気配が膨れ上がる。

 

 「おい!真人!」

 

 漏瑚の声が響く。

 

 怒気を含んだそれは、領域の空気を一瞬で熱に変える。頭部の火口からは熱気が噴き出し、白い蒸気が周囲へと拡散する。穏やかな海辺の景色が、その一瞬だけ歪んで見えた。

 

 「花御はどうした!!」

 

 問いというよりも、確認だった。

 

 否。

 

 答えを理解したくないがゆえに、言葉として吐き出したものに近い。

 

 真人はその視線を受け止める。

 

 いつもの軽薄さは、ほんのわずかだけ薄れていた。

 

 ほんの一瞬、言葉を選ぶような間が生まれる。

 

 それでも、隠すことはしない。

 

 「……死んだよ」

 

 短く、だが確定的な一言。

 

 空気が止まる。

 

 波の音すら、遠くに引いたように感じられるほどの静寂が落ちた。

 

 「なにぃ!?」

 

 次の瞬間、漏瑚の怒声が爆発する。

 

 熱が跳ね上がる。

 

 地面の砂が焦げ、周囲の空気が歪む。感情がそのまま現象として表出するほどに、その怒りは強烈だった。

 

 だが真人は視線を逸らさない。

 

 むしろ、そのまま続ける。

 

 「虎杖悠仁」

 

 その名を口にした時、わずかに表情が歪む。

 

 恐怖と、理解と、そして嫌悪が混ざったような、曖昧な感情の揺れ。

 

 「あいつが祓った」

 

 それは単なる報告だった。

 

 だが、その一言に含まれる意味は重い。

 

 特級呪霊が祓われたという事実。

 

 それも、宿儺の器である少年の手によって。

 

 波の音が、再び戻ってくる。

 

 だが、そのリズムは先ほどまでとはわずかに違っていた。

 

 静かなはずのこの領域に、確かな“亀裂”が生じていた。

 

 

 そうして、一連の騒動はひとまずの終着を迎えることとなった。

 

 高専内部への侵入、特級呪霊の襲撃、呪詛師の介入、そして宿儺の指の奪取。幾つもの事象が複雑に絡み合いながら同時進行した今回の事件は、本来であれば交流会そのものの中止すら検討される規模のものだったが、それでも予定は完全には崩されなかった。

 

 結果として、一戦目は無効試合という扱いとなり、勝敗はつけられないまま終了する。だが内容としては明らかに東京校優位であり、その認識は両校の間で暗黙の了解として共有されていた。

 

 そして二戦目。

 

 本来であれば個人戦が行われるはずだったが、五条悟の独断によって内容は変更される。

 

 競技は——サッカー。

 

 戦闘から一転して、あまりにも場違いな種目に、生徒たちは揃って困惑を隠せなかったが、それでも命令として下された以上、従わないという選択肢は存在しない。

 

 渋々ながらも、各自はルールの確認に取り掛かる。

 

 ボールを扱う動きの確認、走行のイメージ、チームとしての連携の仮定。普段の任務とはまるで異なる内容でありながら、それでも彼らは“やる以上は勝つ”という前提で思考を組み立てていく。

 

 戦闘とは違う。

 

 だが、勝敗がある以上、それは彼らにとって立派な“競争”だった。

 

 一方で、拘束された呪詛師——組屋鞣造は尋問にかけられていたが、得られた情報は極めて限定的だった。彼自身が計画の中核に位置していたわけではなく、あくまで駒の一つに過ぎないことは明白であり、今回の件の全体像を掴むには至らない。

 

 そして迎えた、試合当日。

 

 高専のグラウンドに両校の生徒たちが集まる中、一つの違和感が浮かび上がる。

 

 「おい、悠仁はどうした?」

 

 禪院真希が周囲を見渡しながら言った。その視線は冷静だが、わずかに引っかかりを感じていることが分かる。

 

 集まっている顔ぶれを確認していく中で、一人だけ欠けている存在があった。

 

 虎杖悠仁。

 

 「えっ?虎杖?……あれ、そういやいねーな」

 

 パンダが首を傾げながら周囲を見回す。普段であれば、あの性格からしてこういう場に遅れることは考えにくい。

 

 「もしかして流石にサッカーできなくて逃げた?」

 

 釘崎が半ば冗談のように言うが、その言葉に即座に反応が返る。

 

 「いや、あの虎杖がサッカー程度でいなくなるわけない」

 

 伏黒が短く否定する。その判断は的確だった。虎杖悠仁という人間を知っていれば、その可能性は最初から除外される。

 

 だが——

 

 現実として、姿がない。

 

 「……」

 

 言葉にならない違和感が、場の空気に滲み始める。

 

 そこへ、五条悟が歩み寄ってくる。

 

 「あれ?悠仁は?」

 

 軽い調子で口にしたその問いは、しかし状況の異常を際立たせるものだった。

 

 誰も答えられない。

 

 「アイツどこ行ったんだ?」

 

 疑問は共有されるが、答えは存在しない。

 

 虎杖悠仁。

 

 その姿は、高専から完全に消えていた。

 

 行方不明。

 

 そう表現する以外にない状態である。

 

 結果として、サッカーは虎杖不在のまま開始されることとなった。

 

 戦力の要である彼を欠いた東京校は、本来の連携を発揮することができない。対する京都校は、東堂葵の術式を軸に試合を組み立てていく。

 

 拍手一つで位置が入れ替わるその能力は、ボールと選手の配置を自在に攪乱し、視覚と認識を強制的にずらす。連携を前提とした競技において、その効果は絶大だった。

 

 だが、それ以上に決定的だったのは——

 

 京都校側が、その術式に“ついていけていない”という事実である。

 

 東堂の思考速度と判断は極めて速い。

 

 だが、その意図を即座に理解し、連動できる者は限られる。結果として、入れ替えによって生まれた好機を活かしきれず、逆に連携が崩れる場面すら発生する。

 

 それでもなお、虎杖を欠いた東京校との差は埋まらない。

 

 試合は一方的な展開へと傾き、そのまま京都校の勝利で終わることとなった。

 

 そして——

 

 その頃、当の虎杖悠仁は。

 

 高専にはいない。

 

 グラウンドにもいない。

 

 誰の視界にも入らない場所で、ただ一つの目的に従って動いていた。

 

 宿儺の指。

 

 それを追い、全国を駆ける。

 

 道路を、屋根を、山を、川を、地形を無視するような軌道で移動しながら、途切れかけた気配を繋ぎ止めるように感知し続ける。その速度は常識の範疇を超え、視認することすら困難な領域に達していた。

 

 戦いの延長。

 

 あるいは、より大きな戦いへの移行。

 

 いずれにせよ、彼は既に次の局面へと踏み込んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある住宅の一室。

 

 夜の静寂の中、生活音に紛れるようにしてテレビの光だけが部屋を照らしていた。ソファに腰掛けたまま、何気なく流されているニュース番組。その映像の中で、異様な光景が映し出されている。

 

 「『え〜ご覧下さい。鯉ノ口峡谷八十八橋が崩落しています!』」

 

 現地からの中継。

 

 画面越しにも伝わる混乱と緊張の気配の中で、キャスターが必死に状況を伝えている。背後には規制線が張られ、パトカーの赤色灯が明滅し、複数の作業員や警察関係者が慌ただしく動き回っていた。

 

 かつて橋であった構造物は、その原形を留めていない。

 

 中央から崩れ落ちるようにして断裂し、巨大なコンクリート片が川へと沈み込み、流れを遮るように折り重なっている。鉄骨はねじ曲がり、引きちぎられたように露出し、まるで内側から破壊されたかのような痕跡を残していた。

 

 通常の崩落では説明がつかない。

 

 そう直感させるほどに、その破壊は異質だった。

 

 「『崩落原因は現在も調査中であり、未だ特定には至っていません。しかし現場には不可解な痕跡も確認されており……』」

 

 キャスターの声がわずかに緊張を帯びる。

 

 言葉を選びながらも、その異常性を隠しきれていない。

 

 そして、カメラがゆっくりと角度を変える。

 

 崩落した橋の一部、川岸に近い場所。

 

 「『あちらをご覧下さい』」

 

 指差された先。

 

 そこには——

 

 明らかに不自然な形状の痕跡が刻まれていた。

 

 地面を押し潰すようにして残された巨大な窪み。

 

 五指が開いた形。

 

 掌の輪郭がはっきりと浮かび上がり、その一つ一つが周囲の土砂を押し固め、深く沈み込んでいる。

 

 「『巨大な手形のようなものが確認されています。まるで——』」

 

 キャスターが言葉を詰まらせる。

 

 一瞬の沈黙。

 

 それから、慎重に続ける。

 

 「『巨人が手をついたかのような跡です』」

 

 冗談のような表現。

 

 だが、それ以外に形容する言葉が見つからない。

 

 実際に映し出されているものは、それほどまでに現実離れしていた。

 

 周囲に爆発の痕跡はない。

 

 重機の形跡もない。

 

 外部からの衝撃で崩れたのではなく、内側から圧し潰されたかのような破壊と、その中心に残された掌の痕。

 

 科学的な説明が追いつかない。

 

 だが、それでも現実として存在している。

 

 テレビの前でそれを見ている者にとっては、ただの“不可解な事故”に過ぎない。

 

 だが——

 

 その現場で起きたことを知る者にとっては、違う。

 

 あの掌は、ただの痕跡ではない。

 

 振り下ろされた一撃の結果であり、そこに込められた力の証明でもある。

 

 不可視の衝撃。

 

 圧倒的な質量を持った掌波。

 

 それが橋ごと呪霊を砕き、地形そのものを書き換えた。

 

 その結果として残されたのが、この痕跡だった。

 

 ニュースは続く。

 

 専門家の見解、過去の事例、仮説。

 

 だがどれも核心には触れない。

 

 触れられない。

 

 なぜなら、それは人の理解の外側にある現象だからだ。

 

 そして、その原因となった少年は。

 

 すでにその場にはいない。

 

 ただ、次の“気配”を追って、走り続けている。




夏油「やべっ」
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