武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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いいか小僧、俺はお前の為にアレやコレやと働いてやった

 

 

 

 

 「『おい小僧、大事な話があると言ったろうが、いい加減にしろ』」

 

 拳が呪霊の核に届いた瞬間、手応えが変わる。表面の肉質を突き破った感触から一転して、内側にある“硬さ”に触れた感覚が伝わり、そこに意識を集中させたまま力を一気に押し込む。骨でも肉でもない、存在そのものを支えている部分に衝撃が直撃した次の瞬間、内部から弾けるように崩壊が起こり、手首まで伝わっていた抵抗が一気に消えた。

 

 遅れて、破裂音。

 

 核が砕け、呪霊の身体が内側から膨張するように歪み、黒い粘液と肉片のような残滓を撒き散らしながら四散する。飛び散ったそれが空中で軌跡を描き、地面や壁に叩きつけられて潰れると同時に、腐臭が一気に広がった。衝撃で押し出された空気が周囲を揺らし、粉塵が舞い上がる。

 

 その余韻がまだ残っている中で、頭の奥に直接割り込むように声が響いた。

 

 宿儺だ。

 

 「『どれだけ待ったと思っている』」

 

 低く、抑えきれていない苛立ちが混じっている声音だった。普段みたいな嘲りじゃない。明確に不機嫌で、しかもそれを隠す気もない。

 

 「悪い悪い、色々あってさ」

 

 軽く返しながらも、内心では少しだけ引っかかるものがあった。宿儺がここまで露骨に急かしてくるのは珍しい。あいつは基本、待つことすら楽しむタイプだ。それが今は違う。

 

 俺は一度周囲を見渡す。

 

 崩れた建物、転がる瓦礫、さっきまで動いていた呪霊の残骸がそこら中に散らばっている。呪力の残り香みたいなものもまだ濃くて、完全に戦闘が終わったとは言い難いが、少なくとも今すぐ殴りかかってくる奴はいない。

 

 なら、一旦抜けても問題はない。

 

 そう判断して、俺は声を張った。

 

 「脹相ー!壊相ー!血塗ー!」

 

 呼びかけた瞬間、瓦礫の向こうで気配が動く。

 

 ガラッ、と崩れる音と一緒に三つの影がこっちに向かってきて、ほとんど時間を置かずに目の前に集まった。

 

 「「「おーう!!」」」

 

 声が揃ってる。なんでそんなに息ぴったりなんだよって思うくらい、間もタイミングも一緒だった。

 

 俺は軽く肩を回して、拳に残ってる違和感をほぐしながら言う。

 

 「悪りぃ、俺ちょっと座禅組んでくるからさ、兄ちゃん達ちょっと休んでてよ」

 

 そう言った瞬間、三人の反応は予想通りだった。

 

 「何言ってるんだ悠仁、俺たちも座禅するぞ!」

 

 脹相が即答する。迷いも疑問もない顔だ。

 

 「兄弟で修行だな」

 

 壊相が胸を張って、筋肉を強調するように動かす。皮膚の下で筋繊維がうねるのが見えるレベルで、なんか無駄に迫力ある。

 

 「修行だナー!」

 

 血塗は普通に楽しそうだ。完全にイベント感覚で乗ってる。

 

 ……いや、違うんだけど。

 

 俺がやるのは修行っていうか、宿儺との対話だ。あいつに呼ばれてるだけで、みんなでやるもんじゃない。

 

 でも、それを説明したところで多分通じない。むしろ余計に面倒なことになる気がする。

 

 だったら、別にこのままでいいか。

 

 そう割り切る。

 

 それに——

 

 少しだけ、口元が緩む。

 

 本当にいい奴らだな、こいつら。

 

 「『早く』」

 

 また声が響く。さっきより苛立ちが強い。

 

 (分かってるって)

 

 心の中で返しながら、俺はその場を離れて近くの路地に入った。瓦礫に囲まれて、外からは見えにくい位置を選んで、ゆっくりと腰を下ろす。

 

 脚を組んで、背筋を伸ばす。

 

 呼吸を整える。

 

 外の空気がまだわずかに揺れているのが分かる。さっきの戦闘の余波だ。振動みたいなものが、地面から、空気から、じわじわと伝わってくる。それを一つ一つ意識から切り離すようにして、内側に集中していく。

 

 掌を合わせる。

 

 印を結ぶ。

 

 その動作は、驚くくらい自然だった。頭で考える前に身体が動いて、気付いた時には形が出来上がってる。違和感がない。最初から知ってたみたいに、身体に馴染んでる。

 

 宿儺に呼ばれてる。

 

 ただの雑談じゃない。あいつは“大事な話がある”って言った。あの声の感じは、いつもの軽口とは明らかに違う。

 

 思い出すのは、高専から指を盗まれた時のあの反応だ。余裕を崩してるようで、でも完全には崩れてない、底の見えない冷静さが残ってるあの感じ。

 

 ゆっくりと意識を沈める。

 

 音が遠ざかる。

 

 呼吸の感覚も薄れていく。

 

 代わりに、内側へ落ちていくような感覚が強くなる。境界が曖昧になっていく中で、ある瞬間を境に——空気が切り替わった。

 

 目を開ける。

 

 黄金の水面が広がっている。

 

 どこまでも続くその表面に、蓮の葉と花が浮かんでいる。光は柔らかいのに、直視すると眩しくて視界が揺れる。何度か見てるはずなのに、未だに慣れない。

 

 でも——今回は違う。

 

 明らかに前と違うものがある。

 

 視界の端に、見覚えのない木が立っていた。幹は不自然に捻じれて、枝は空を掻くみたいに広がってる。その形自体がどこか歪で、でも同時に、妙に“そこにあるべきもの”みたいな存在感がある。

 

 ただ立ってるだけなのに、意識が引っ張られる。

 

 それだけじゃない。

 

 少し離れた場所——黄金の水面の向こう側に、あり得ないものが見える。

 

 富士山。

 

 場違いにも程がある。なのに、不思議と“間違ってる”って断言できない。むしろ、この領域の一部として成立してるような感覚すらある。

 

 綺麗だとは思う。

 

 でも、それ以上に疑問が勝つ。

 

 ……なんだあれ。

 

 前に来た時、こんなのあったか?

 

 気にはなる。

 

 あの木も、富士山も、この領域の変化も全部引っかかる。けど、今ここで考えても答えが出る気はしない。むしろ、余計な思考に引っ張られる方が危ない。

 

 そう判断して、意識を切り替える。

 

 深く息を吐いてから——ゆっくりと立ち上がった。

 

 視線を前に向ける。

 

 黄金の水面の中央、その全てを見下ろす位置に、最初からそこに在ることが当然みたいな顔で座っている存在がいる。骨を積み上げて形作られた玉座は歪で、不均一で、どこか不安定に見えるのに、崩れる気配は一切ない。その上に腰掛けている男は四本の腕を持ち、俺と同じ顔をしているはずなのに、纏っているものが違いすぎて別物にしか見えなかった。視線の圧、呪力の密度、存在そのものの重さが、同一の器に収まっているとは思えないほど乖離している。

 

 両面宿儺。

 

 この空間では、こいつが中心だ。

 

 「小僧」

 

 呼ばれる。

 

 声は低く、底の方から響くようで、耳ではなく内側を直接震わせる。単なる呼びかけのはずなのに、そこに含まれている圧が強すぎて、空気そのものが一瞬重く沈んだ気がした。

 

 「で、話ってなに?」

 

 俺は間を置かずに返す。わざとじゃない。自然とそうなった。こいつ相手に駆け引きなんて意味がないし、下手に間を作れば、その分だけ主導権を持っていかれる気がしたからだ。

 

 宿儺はわずかに目を細める。

 

 その仕草一つで、水面に走っていた微細な波紋が止まったように見えた。

 

 「あまり俺を怒らせるなよ。指の事だ」

 

 その言葉が落ちた瞬間、頭の中でバラバラだった情報が一気に繋がる。

 

 俺と宿儺は、これまで指を追って日本中を走り回ってきた。どれくらい動いたのか正確には分からないけど、体感で言えば三周くらいしてる気がする。それくらい、ずっと指を追っていた。メカ丸からの情報を頼りに辿り着いたのが渋谷で、そこでようやく手に入れた。

 

 ……いや。

 

 今の言い方は違う。

 

 俺が“手に入れた”わけじゃない。

 

 あの時、俺は途中で意識を飛ばしていた。脹相の血が流れ込んできて、存在しないはずの記憶が脳に溢れて、処理しきれなくなって、そのまま壊相と血塗の攻撃をまともに受けて、完全に落ちた。思考も判断も何もかも止まって、ただ無防備な状態で倒れていた。

 

 その間に——十一本。

 

 一気に呑まされた。

 

 その過程の記憶は曖昧だ。映像としてはほとんど残っていないのに、結果だけが異様に鮮明で、身体の奥に刻み込まれている。喉を通った感覚、内側に沈み込んでいく重さ、そして一気に広がる呪力の圧。

 

 あの瞬間、俺の中に何かが“増えた”のは確実だった。

 

 「いいか小僧、俺はお前の為にアレやコレやと働いてやった」

 

 宿儺が言う。

 

 その声音には、わずかな苛立ちと、それを抑え込んでいるような響きが混じっている。ただの自慢じゃない。自分の行動に対する評価を、こっちに突きつけている。

 

 「……あぁ、分かってるよ」

 

 俺は視線を逸らさずに答える。

 

 全部を見たわけじゃない。それでも分かる。断片的にでも、確実に感じ取れる。伏黒が生きていること、ナナミンがあの状態でも繋がっていること、あの場で終わっていたはずの命が残っていること。それを成立させたのは、間違いなく宿儺の行動だ。

 

 その代わりに、壊れたものもある。

 

 人も、街も、関係ないものまで巻き込んで、踏み潰した。

 

 それでも、助かった命があるのは事実だ。

 

 なら、それを無かったことにはできない。

 

 都合よく切り分けることもできない。

 

 全部まとめて、受け取るしかない。

 

 「俺は俺の為に最善を選んだ」

 

 宿儺の言葉は短い。

 

 だが、その中に一切の揺らぎはない。言い訳も、弁明も、後悔も含まれていない。ただ、自分が選んだ行動を、そのまま肯定しているだけだ。

 

 それがこいつの在り方だ。

 

 「お前はどうする、小僧」

 

 問いが落ちる。

 

 逃げ道はない。

 

 最初から選択肢は一つで、その上でどう動くかを確認されているだけだと分かる。曖昧に濁しても意味はないし、適当に誤魔化せば、その場で見抜かれる。

 

 「……どうしてほしいんだよ?」

 

 俺は正面から聞き返す。

 

 視線は逸らさない。逸らした瞬間に、何かを失う気がした。

 

 宿儺の口元がわずかに歪む。

 

 「十一だ」

 

 短く、断定的に告げられる。

 

 「十一の機会が失われた」

 

 その意味は理解できる。

 

 俺と宿儺の間にある縛り。指を一本取り込むごとに、肉体の主導権を賭けて戦う。単純で、明確で、だからこそ曖昧さを許さない取り決め。

 

 一本につき一回。

 

 それが前提だった。

 

 「だが……一度に取り込む量までは——分かっているだろう」

 

 宿儺の視線は一切揺れない。

 

 真っ直ぐに俺を射抜いたまま、言葉を重ねてくる。

 

 本来は一本ずつ。

 

 それが、まとめて十一。

 

 つまり、本来なら発生していたはずの“十一回分の戦い”が、最初から存在しなかったことになる。

 

 それは単なる数の問題じゃない。

 

 縛りそのものの前提を崩しかねない、構造の問題だった。

 

 「縛りを破った事にはならないのか?」

 

 俺は骨の玉座に腰掛ける宿儺を見上げたまま、できるだけ声を平らにしてそう問いかけた。

 

 平静を装ったつもりだったが、喉の奥はわずかに硬く、自分でも分かるくらい呼吸が浅くなっている。この話はただの確認じゃない。俺と宿儺のこれからに、そのまま食い込んでくる話だ。指を一本取り込むごとに、肉体の主導権を賭けて戦う。そういう縛りを俺達は結んでいる。単純で、分かりやすくて、だからこそ例外を前提にしていない。

 

 そこへ今回みたいな、一度にまとめて十一、本来なら十一回に分かれているはずの出来事が一息に押し込まれた。これが“そのまま”扱われるはずがないという感覚だけは、考えるまでもなくあった。

 

 宿儺はすぐには答えなかった。四本の腕のうち二本で頬杖をつき、残る二本をだらりと垂らしたまま、ただじっとこちらを見下ろしている。その目は相変わらず重い。視線というより、重しを乗せられているみたいな圧がある。何もしていないのに、心臓の拍動と血の流れまで覗かれているようで居心地が悪い。こっちが喋り終えてから沈黙が落ちるまでのほんの数秒がやけに長く感じられて、その間にも黄金の水面は静かに揺れ、蓮の葉の縁に溜まっていた光が微かに震えていた。

 

 やがて宿儺は口を開く。

 

 「それは分からん」

 

 短い言葉だった。だが、その短さの中にあるのは投げやりさじゃない。今この時点で掴めている事実の境界線を、そのまま示しただけだ。知ったかぶりも、都合のいい断定もせず、分からないものを分からないまま口にするあたりが逆に嫌らしい。

 

 「今、現時点で何も起こってはないという事は、破られてはないのだろうな」

 

 その言葉を聞きながら、俺は頭の中で一つずつ整理する。確定じゃない。あくまで“今のところ何も起きていない”という結果から逆算して、そう判断しているだけだ。つまり、今は平気でも後から何かが起こる可能性は残っているし、問題がないと断言できる材料もない。安心材料ではあるけど、保証ではない。その微妙な線引きが、逆に現実味を持って胸の奥に残った。

 

 「これは憶測の域を出んが——」

 

 そう言って宿儺がわずかに身を起こす。たったそれだけの動きなのに、空気の密度が変わる。玉座の周囲に沈んでいた威圧が前へとせり出してきて、俺の皮膚の上を這うみたいに圧が乗る。

 

 「お前が自らの意思で呑んだ訳ではなく、無理矢理呑まされた……という点が良かったのかもしれん」

 

 その言葉に、俺は一瞬だけ息を止めた。確かに、あの時の俺に選択肢なんてなかった。意識は飛んでいたし、判断も抵抗もできなかった。ただ一方的に、強制的に取り込まされただけだ。

 

 縛りってのは意思が関わるものだと聞いたことがある。自分で選び、自分で受け入れた上で成立するもの。だとすれば、今回みたいに“自分の意思が介在していない”ケースは、そもそも前提条件そのものが満たされていない扱いになる可能性がある。そこまで考えてようやく腑に落ちた。だから今、何も起きていない。縛りが壊れていないというより、発動条件を満たせていないまま保留になっている状態なんだろう。

 

 「俺にとっては良くはないが」

 

 最後に付け加えられた一言には、露骨なくらい不満が滲んでいた。当然だと思う。本来なら一本ごとに発生していたはずの“戦いの機会”が、まとめて消えた。その事実は俺から見ても異常だし、宿儺の価値観からすれば尚更だ。あいつにとって戦いは勝敗だけじゃない。選び、試し、削り合い、積み上げていく過程そのものが価値なんだろう。なら、それを一気に奪われた今回の状況は、単なる条件のズレなんかじゃなく、楽しみを丸ごと削ぎ落とされたのと同じ意味を持つ。

 

 「……そっか」

 

 俺は小さく息を吐いた。今すぐ何かが起きるわけじゃない。それだけは分かった。

 

 でも同時に、この問題が終わったわけじゃないのも分かる。保留されているだけで、どこかのタイミングで必ず向き合うことになる。先送りにされた爆弾みたいなもんだ。

 

 いつ、どんな形で爆発するのか分からない。その不確定さは気持ち悪い。でも、そこで立ち止まる理由にはならなかった。宿儺はあの状況で最善を選んだ。その結果として助かった命がある。伏黒もナナミンも、本来ならあの場で終わっていた可能性が高い。それを見なかったことにはできない。

 

 だから答えは一つだった。

 

 俺はもう一度息を整え、視線を上げて宿儺を見据える。

 

 「分かったよ。宿儺には感謝してる。十一だっけ?いいよ、やろうぜ」

 

 口に出した瞬間、自分でも驚くくらい自然に言えていた。躊躇がなかったわけじゃない。でも、この場で引く選択肢は最初からなかった。宿儺の口角がゆっくりと吊り上がる。

 

 「ほぉ……」

 

 低く漏れた声と共に、奴が玉座から立ち上がった。骨の山が軋むような錯覚と一緒に、空間そのものの圧が変わる。嬉しいのかよ、と思うくらい分かりやすい反応だった。

 

 「でもさ」

 

 俺は軽く肩を竦めながら続ける。

 

 「俺のタイミングでいいだろ?お前もそんな連戦して、勿体無いとか思ってるんじゃねぇか?」

 

 一方的に受け入れるだけじゃ意味がない。どうせやるなら、こっちにも選ぶ余地は必要だ。宿儺は一瞬だけ目を細め、それから喉の奥で笑った。

 

 「ククッ……生意気な奴だ」

 

 首を鳴らすように傾ける仕草。その動きは明らかに戦闘前のそれで、四本の腕がわずかに開き、力が溜められていくのが分かる。

 

 「何度も言うが——油断するなよ」

 

 宿儺の声は低く落ちる。軽口でも挑発でもない。ただ純粋な警告だった。

 

 「分かってるよ」

 

 そう返した瞬間、視界から姿が消えた。いや、消えたんじゃない。俺の認識が追いついていないだけで、確実に動いている。次の瞬間、目の前に拳が現れる。間合いも速度も無視した踏み込み。空気が裂ける音が遅れて届くより先に、衝撃が目前まで迫っていた。

 

 俺は反射で腕を上げ、真正面からその拳を受け止める。骨が軋む感覚が掌から腕にかけて走るが、崩れない。踏みとどまる。衝突の瞬間、圧縮された力が爆ぜ、足元の黄金の水面が弾け飛ぶように波打った。遅れて衝撃が全身に広がる。それでも離さない。

 

 「……やっぱ強ぇな」

 

 思わず口から漏れる。押し込まれる力は桁違いだ。それでも、不思議と恐怖はなかった。むしろ身体が応じている。視える。理解できる。宿儺の動きが。

 

 「ククッ……いいな、小僧」

 

 宿儺の口元がさらに歪む。そのまま力を込め、押し潰すように拳を前へと進めてくる。俺は足を踏み込み、真正面から押し返した。黄金の水面が爆ぜ、蓮の葉が散り、幾重にも波紋が広がる中で、俺と宿儺は互いの力を真正面からぶつけた。

 

 

 

 

 

 

 虎杖悠仁と両面宿儺が、生得領域の中心で真正面から衝突した。

 

 黄金の水面にわずかに波紋が広がった次の瞬間、二人はほぼ同時に踏み込んでいた。距離を測るような間もなく、互いの動きは初めから噛み合うことを前提としているかのように一致している。

 

 虎杖の掌と、宿儺の拳。

 

 その二つが中央で激突した瞬間、圧縮されていた力が一気に解放され、空気が遅れて破裂する。衝撃は下へと逃げ、足元の水面が爆ぜるように弾け飛び、周囲に浮かんでいた蓮の葉と花が一斉に吹き散らされた。

 

 衝突の余韻が消える前に、次の動作へと移る。

 

 虎杖が踏み込みを維持したまま、右手を滑らせるように宿儺の顔面へと伸ばす。指が頬骨を捉え、そのまま頭部を強引に固定する。動きを奪うための掴みであり、同時に次の一撃の布石でもあった。

 

 「フッ!!」

 

 吐き出すような呼気と共に、左の拳が横から振り抜かれる。腰の捻りを最大限に乗せた一撃が、宿儺の側頭部へと叩き込まれる軌道を描く。

 

 だが同時に、宿儺も動いていた。

 

 虎杖の動きを読むように、あるいは最初から織り込み済みであるかのように、伸びてきた腕を逆に利用し、虎杖の頭部を掴み返す。四本の腕のうち二本が固定に使われ、残る二本が躊躇なく振り下ろされる。

 

 「シッ!!」

 

 短い呼気と共に、二つの拳が虎杖の頭部へと叩き込まれる。

 

 ほぼ同時。

 

 互いの打撃が完全に重なり合い、逃げ場を持たない衝撃が頭蓋を貫通する。骨が軋む音すらかき消すほどの圧が内部から外へと抜け、衝撃波となって水面を吹き飛ばした。

 

 黄金の水が空中へと持ち上がり、蓮が引き裂かれる。

 

 空間そのものが揺れるような振動が広がり、遅れて轟音が領域全体に響き渡る。

 

 打撃の瞬間、両者の視界が僅かに揺らぐ。

 

 脳へ直接叩き込まれた衝撃が神経を揺さぶり、わずかな遅延を生む。だがそれは崩れには繋がらない。むしろ、互いにその程度で止まるような強度ではないことを確認する材料に過ぎなかった。

 

 次の瞬間、二人は同時に距離を取る。

 

 足元を蹴り、水面を弾き飛ばしながら後方へと跳ぶ。その動きは全く同じタイミングで、どちらが先に離れたのか判別がつかないほどだった。

 

 着地と同時に、赤い線が走る。

 

 鼻腔から溢れた血が、わずかに遅れて滴り落ちる。

 

 それを拭う動作すら見せず、二人は互いを見据えたまま立っていた。

 

 そして笑う。

 

 「はは……」

 

 虎杖が息を漏らすように笑い、

 

 「ククッ……」

 

 宿儺が喉の奥で愉しむように嗤う。

 

 その表情にあるのは痛みでも苛立ちでもない。

 

 純粋な高揚。

 

 ぶつかり合ったことで、互いの強度を理解したが故の納得と愉悦。

 

 次の一撃が、既に始まっている。

 

 「解」

 

 宿儺の指先が僅かに動く。

 

 それだけで十分だった。

 

 刀印をなぞるような最小限の動作に呼応して、空間そのものが裂ける。不可視の斬撃が発生し、音もなく虎杖へと走る。その軌道は直線でありながら、単純な直進ではない。周囲の流れを巻き込み、歪め、切断しながら進むそれは、触れた瞬間に結果だけを残す性質を持っていた。

 

 だが——

 

 虎杖の目はそれを捉えている。

 

 見えないはずの斬撃が、確かに“視えている”。

 

 それは線ではない。

 

 流れ。

 

 空間を構成する何かが断たれ、そこに生じた歪みが、明確な軌跡として認識されている。虎杖はその変化を直感的に読み取り、身体を半身だけ横へとずらす。

 

 斬撃が、掠める。

 

 衣服も肉体も切断されない。

 

 ほんの紙一重。

 

 そのまま虎杖は踏み込んだ。

 

 水面が弾ける。

 

 足元の黄金が砕けるように散り、次の瞬間には姿が掻き消える。視覚情報が追いつかない速度で距離を詰めるその動きは、もはや単なる加速ではなく、空間の中を滑るような移動に近い。

 

 しかし宿儺は動かない。

 

 むしろ、その場でわずかに口角を上げる。

 

 「ククッ……」

 

 嗤いながら、さらに指を走らせる。

 

 「解」

 

 連続。

 

 間を置かずに放たれる不可視の斬撃が、複数の軌道を描いて空間を切り裂く。前方だけでなく、側面、背後に至るまで、虎杖の進路そのものを封じるように配置された斬撃群。

 

 だが虎杖は止まらない。

 

 身体を捻り、沈み、時に腕で流れを弾きながら、最小限の動作でそれらを回避していく。完全に避けるだけではない。逸らし、崩し、通り抜ける。視えているからこそ可能な選択。

 

 その中で、虎杖は力を収束させていた。

 

 踏み込みと同時に、拳へと意識を集中させる。

 

 呼吸が整う。

 

 身体の内側を巡る流れが一点へと集まり、圧縮される。

 

 「第二式——金剛拳『金頂仏灯』」

 

 低く、しかし確かな響きを伴って名が告げられる。

 

 次の瞬間、虎杖の拳に光が灯る。

 

 金色。

 

 ただの発光ではない。

 

 凝縮された何かが外へと滲み出し、拳の形をなぞるように纏わりつく。その輝きは静かでありながら、触れれば全てを砕く確信を孕んでいた。

 

 虎杖の身体が一気に前へと滑り込む。

 

 距離が消える。

 

 宿儺の胴体へと、拳が迫る。

 

 だが——

 

 宿儺は、それを受ける側ではない。

 

 その目には、既に同じものが映っている。

 

 「……いい」

 

 低く呟き、腕を引く。

 

 四本の腕のうち二本が後方へと絞られ、同時に同じ流れが収束する。

 

 宿儺の拳にも、光が宿る。

 

 「第二式——『金頂仏灯』」

 

 同一。

 

 全く同じ技。

 

 構造も、流れも、発現の理も、一切の狂いなく再現される。

 

 そしてぶつかる。

 

 金色の光と光が正面から衝突した瞬間、空間が沈んだ。

 

 音が消える。

 

 一瞬の静寂。

 

 その直後、圧縮されていた力が一気に解放され、爆発的な衝撃となって外へと広がる。

 

 水面が抉れる。

 

 黄金が裂け、蓮が跡形もなく吹き飛び、波紋が幾重にも重なって領域全体へと走る。

 

 衝撃は地を這い、空を震わせ、空間の境界そのものを軋ませる。

 

 中心にいるのは二人。

 

 虎杖悠仁と両面宿儺。

 

 同じ技を、同じ強度で叩き込んだ者同士。

 

 拮抗。

 

 だが、それは均衡ではない。

 

 次に崩れるための、ほんの一瞬の静止に過ぎなかった。

 

 そして衝突の余波が収まり切る前に、虎杖悠仁の身体が弾かれるように後方へと飛び退いた。

 

 足元の水面を蹴り、衝撃を逃がすように滑りながら距離を取る。その動きは無理に引き剥がされたものではなく、次へ繋ぐための整理に近い。余剰の力を殺し、姿勢を整え、再び踏み込むための間合いを自ら作り出している。

 

 その最中、虎杖は口元に僅かな笑みを浮かべた。

 

 「へぇ……やっぱお前もできるんだな」

 

 軽く言っているようで、その実、感心と確信が混ざっている。

 

 目の前で再現された技は、ただの模倣ではない。流れも、圧も、発現の質も、全てが同一だった。ほんの一瞬の観察だけで、そこまで到達しているという事実を、虎杖は肌で理解している。

 

 対する宿儺は、動じる様子を一切見せない。

 

 その場に立ったまま、崩れた水面の中央で静かに構えを解き、わずかに首を鳴らす。四本の腕がそれぞれ独立して微細に動き、次の動作へと備えているのが分かる。

 

 「お前の中にいればな。覚えるのは簡単だ」

 

 短く返す声音は、あくまで事実を述べているだけだった。誇張も、誇示もない。ただ、自分にとってそれが難しいことではないと断言している。

 

 だがその言葉の裏にある実態は、決して“簡単”という一言で片付くものではない。

 

 如来神掌。

 

 それは単なる技術体系ではない。常軌を逸した修行と、肉体の奥底に存在する経絡を強制的に開き、流れそのものを制御下に置くことで初めて成立する領域だ。本来であれば、習得に至るまでに積み重ねられる時間と負荷は、常人の限界を遥かに超える。

 

 だが宿儺は、その過程を必要としない。

 

 観る。

 

 理解する。

 

 そして取り込む。

 

 それだけで足りる。

 

 己を高めるために必要なものを選別し、躊躇なく吸収するその在り方は、修練という概念そのものを飛び越えている。経験を積むのではなく、構造を奪う。

 

 それが両面宿儺という存在だった。

 

 「やるじゃん」

 

 虎杖が言う。

 

 軽口のようでいて、そこには明確な評価がある。自分の技をそのまま返されたという事実に対する、純粋な認識。

 

 宿儺はそれを受け、わずかに口角を上げた。

 

 「闘争を楽しめ、小僧」

 

 声音は低い。

 

 だがそこに含まれているのは命令ではない。

 

 確認。

 

 そして誘い。

 

 戦うという行為そのものを共有するための、最低限の言葉。

 

 虎杖はそれを受けて、ゆっくりと構えを取り直した。

 

 拳を軽く握り、肩の力を抜きながら重心を落とす。呼吸が自然と整い、視界が澄んでいく。目の前にいる存在だけに、意識が収束していく。

 

 「あぁ、そうだな!」

 

 迷いはない。

 

 言葉と同時に、空気が再び張り詰める。

 

 黄金の水面がわずかに揺れ、散った蓮が静かに沈んでいく中で、二人の間にある距離が再び意味を持ち始める。

 

 次の一手は既に決まっている。

 

 互いに、それを理解していた。




宿儺「俺を無視するとはいい度胸だな小僧っ!!!!」
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