武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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……あれ、あなた誰です?というか……大丈夫ですか?

 

 

 

 投射呪法——禪院家相伝の生得術式。

 

 術者はまず、自らの視界を一つの画角として捉え、その中で次の一秒間に行うあらゆる動作を、あらかじめ頭の中で“完成された連続画”として構築する。静止したコマを積み重ねるように二十四の動きを順に確定させ、それを寸分違わず再生することで、現実の時間の流れへ干渉し、異常な加速を成立させる術である。設計が完了した時点で肉体はそれを自動でトレースし始め、術者はもはや思考を挟む余地すらなく、決められた未来をなぞる存在へと変わる。

 

 ただしその精度は絶対だった。構築した動作が物理法則や軌道から逸脱した瞬間、術式は破綻し、術者自身が一秒間の完全停止という致命的な隙を晒す。圧倒的な速度と引き換えに、わずかな誤差すら許されない。極端なまでの完成度を要求する、危うい術でもあった。

 

 さらにこの術は接触によって他者へと強制的に適用される。触れられた対象は同様に一秒間を二十四分割した動作の構築を強いられ、それを正確に再現できなければ即座に破綻し、一秒間の完全停止へと陥る。理屈の上では対等に見える条件も、術式の情報も猶予もない状態で瞬時に二十四コマ分の動きを構築するなど不可能に近く、結果として“触れた瞬間に拘束する”絶対的な優位を生む。

 

 その完成された術式を、禪院直哉は迷いなく起動した。

 

 欄干の上に立ったまま、次の一秒間の全てを脳内で確定させる。跳躍の角度、着地の位置、踏み込みの速度、腕の伸びる軌道、接触の瞬間に至るまで、その全てが既に“終わった未来”として固定される。

 

 そして——動いた。

 

 身体が滑る。

 

 跳び、着地し、走る。

 

 連続しているはずの動作は、直哉にとっては既に完結した工程の再生でしかなく、実際の時間の流れはその後ろを追うように遅れてくる。空気は粘つくように重く、周囲の景色は静止に近い速度でしか変化しない。その中で、直哉だけが異様な密度の時間を進んでいた。

 

 虎杖悠仁へと一直線に迫る。

 

 (は?なんで目合ってるん?)

 

 その異常に、直哉は一瞬だけ思考を割かれる。

 

 虎杖の視線が、こちらを捉えている。単なる偶然ではない。顔がわずかに動き、視線がぶれることなく直哉の位置をなぞっている。投射呪法の加速下において、それは本来あり得ない。認識すら追いつかない速度域であるはずの動きに対し、虎杖はまるで“そこにいるのが当然であるかのように”反応していた。

 

 (いやいや気のせいやろ)

 

 違和感を切り捨てる。術式は成立している。構築も完璧だ。ならば問題はない。

 

 間合いに入る。

 

 腕を伸ばす。

 

 触れる。

 

 接触した瞬間、術式は相手へと適用される。対象は一秒間を二十四に分割された動作として再構築することを強制され、その全てを正確に実行できなければ即座にフリーズする。特級呪霊ですら抗えず停止する絶対の拘束。

 

 ——だが。

 

 虎杖悠仁は、例外だった。

 

 一秒。

 

 それは彼にとって短い時間ではない。

 

 むしろ長い。

 

 内部領域において両面宿儺と幾度も肉体の主導権を巡る争いを繰り返し、その中で一瞬の遅れが致命へと繋がる戦いを経験してきた彼にとって、刹那の中で複数の動作を組み立てることは日常の延長にある。短い時間に押し込められるのではなく、その時間そのものを引き延ばし、分解し、再構築する感覚が既に身体に刻み込まれていた。

 

 1/24秒。

 

 その分割は拘束ではない。

 

 処理しやすい単位に分けられたことで、むしろ選択肢が明確になる。

 

 結果として——虎杖悠仁は止まらない。

 

 (はぁ!?)

 

 直哉の内側で驚愕が弾ける。

 

 だが投射呪法は止まらない。トレースは続く。途中で動作を逸らせば、自身が一秒の停止に陥る。だからこそ、目の前で起きている異常を認識しながらも、直哉は設計された攻撃を振り抜くしかない。

 

 拳が走る。

 

 その軌道に——

 

 虎杖の拳が差し込まれる。

 

 踏み込みは最小。重心の沈みと同時に腰が回り、肩から腕へと連動した打撃が一直線に伸びる。構えの段階で既に間合いは制圧されている。

 

 直哉の頬へ。

 

 回避は間に合わない。

 

 (なんでやねん)

 

 その思考が最後だった。

 

 衝突。

 

 骨が砕ける音が、内部から響く。

 

 拳が頬にめり込み、皮膚が引き延ばされ、歯が根元から弾け飛ぶ。顎の骨が横方向へ歪み、耐えきれずに砕け、衝撃がそのまま頭蓋へと伝播する。視界が白く弾け、次の瞬間には真っ暗に潰れる。

 

 吹き飛ぶ。

 

 身体が空中で回転する。制御を失い、受け身も取れないまま、背中から道路脇の壁へと叩きつけられる。

 

 ドゴン、と鈍い衝撃音が響く。

 

 コンクリートがひび割れ、粉塵が弾け、壁面が内側へと歪む。

 

 そのまま力は止まらず、直哉の身体は壁を抉りながら滑り落ち、地面へと崩れ落ちた。

 

 (……は?)

 

 思考が追いつかない。

 

 直哉は崩れ落ちながら、視線だけで虎杖悠仁を捉えた。砕けた顎の感覚が遅れて神経を焼き、口内に広がる血の味と、歯が抜け落ちた空虚な隙間が現実を無理やり突きつけてくる。だがそれ以上に、今起きた現象そのものが理解の外にあった。

 

 虎杖は頭をぽりぽりと掻いている。

 

 申し訳なさそうな顔。

 

 緊張も警戒もない、ただの人間のそれ。

 

 「急に目の前出てきて殴ろうとしてきたからやっちまった!大丈夫か?」

 

 軽い。あまりにも軽い。

 

 だがその軽さと、先程までの暴力の落差が、直哉の中で噛み合わない。殴られたという事実よりも、その後の態度の方が異様だった。

 

 そして一瞬の間、虎杖が足を一歩動かす。

 

 踏み込むというほどの動作ではない。重心を前へ移しただけの、ごく自然な動き。だが足裏が地面に触れた瞬間、空気が一度、内側へと押し潰される。見えない圧力が周囲の粉塵を引き寄せ、遅れてそれを外側へ弾き飛ばす。

 

 直哉の視界の中で、世界が一瞬だけ歪む。

 

 そして——

 

 次の瞬間には、目の前にいた。

 

 壁にめり込む自分の眼前に、虎杖悠仁が立っている。

 

 音がない。

 

 風もない。

 

 踏み込みによる余波も、空気の裂ける音も、一切が存在しないまま、ただ“そこにいる”という結果だけが置かれている。連続しているはずの移動の過程が丸ごと欠落しているような、異様な感覚。

 

 (は?なんや今の……見えんかった)

 

 直哉の瞳孔がわずかに開く。

 

 投射呪法で鍛え上げられた動体視力は、通常であれば残像の分解すら可能だ。呪力によって強化された視界は、空気の歪みや圧力の流れすら拾い上げる。だが今、そこには何もなかった。軌跡が存在しない。原因が消え、結果だけが現れている。

 

 虎杖はゆっくりとしゃがみ込む。

 

 視線の高さを合わせるように、膝を折る。その動作には一切の緊張がない。まるで倒れている一般人に声をかけるような、気安さだけがある。

 

 「というかあんた誰だよ?」

 

 声音は軽い。

 

 威圧も敵意も感じられない。

 

 だがその無防備さが、逆に直哉の神経を逆撫でする。警戒がないということは、脅威として認識していないということだ。その事実が、じわりと胸の奥に不快な熱を生む。

 

 「いきなりやってきて悠仁にぶっ飛ばされて、大変だな」

 

 脹相が歩み寄る。

 

 ゆったりとした足取り。しかし間合いの詰め方は正確で、逃げ道を自然に削り取る配置になっている。

 

 「大変だ」

 

 壊相が腕を張り、無駄に力の入ったポージングを取る。その筋肉の張りは見せかけではなく、いつでも踏み込める戦闘状態そのものだった。

 

 「大変ダ」

 

 血塗が胡座をかきながら頭を掻く。脱力した姿勢のまま、視線だけが微動だにせず直哉を捉えている。逃げようとすれば即座に反応できる距離を維持したまま、あえて気を抜いているように見せている。

 

 (なんやねんコイツら……)

 

 直哉の喉がわずかに鳴る。

 

 囲まれている。

 

 だがそれは意図的な連携ではない。命令も合図もない。それぞれが独立して動いているにもかかわらず、結果として最適な包囲が完成している。個の判断がそのまま全体の最適解へ収束しているという異常。

 

 「まぁいいか、行こうぜ皆……」

 

 虎杖が立ち上がる。

 

 興味を失ったように背を向けるその動作に、ためらいは一切ない。敵として認識していない。脅威ですらないと判断している。

 

 直哉の奥歯が軋む。

 

 だが——その瞬間。

 

 虎杖の動きが止まる。

 

 踏み出しかけた足が空中でわずかに静止し、首がゆっくりと傾く。視線が反対側へと流れていく。

 

 「……ん?」

 

 小さな声。

 

 その一言だけで、場の空気が変わる。

 

 全員の意識が同じ方向へ引き寄せられる。

 

 虎杖の視線の先。

 

 崩れたビルの上階、その縁に一つの影が立っていた。

 

 割れたコンクリートに片足を掛け、微動だにせず佇んでいる。背には袋に収められた刀が担がれ、制服の裾が風にわずかに揺れる。その輪郭は細く、どこか頼りなげに見えるが、周囲に滲む気配は鋭利で、触れれば即座に切り裂かれるような緊張を孕んでいた。

 

 呪術高専の制服。

 

 目の下に薄く刻まれた隈。

 

 童顔の奥に沈む、底知れない圧。

 

 乙骨憂太。

 

 特級術師。

 

 そして——虎杖悠仁の死刑執行人。

 

 

 

 

 

 

 

 ものすげぇ呪力を感じて、その方向に目を向けた瞬間、ビルの上に人影が立ってるのが見えた。

 

 ……いや最近流行ってんのか?ああやって高い所から人を見下ろすの。さっきの奴もそうだったけど、なんかみんなやたら上に立ちたがるよな。それにあの立ち方、ちょっと反りすぎじゃねぇか?腰痛くならないのか普通に気になるんだけど。

 

 そんなことを思う余裕があるくらいには、視界ははっきりしていた。

 

 でも、その余裕の裏で、身体の奥が勝手に緊張しているのも分かる。

 

 いやほんと、すげぇ呪力だ。

 

 目に見えるっていうか、もう溢れてる。男の身体の輪郭から、抑えきれない水みたいに噴き出してるのに、それが崩れない。散らばらない。

 

 イメージとしては、水道の蛇口を限界まで捻って、そのまま壊したみたいな感じだ。普通なら止まらなくなって溢れて、周りに飛び散って、収拾つかなくなるはずなのに、こいつの呪力はそうならない。流れっぱなしなのに、一本の太い川みたいにまとまってる。

 

 制御してるっていうより、最初からこの状態が“普通”みたいな感じだ。

 

 あれだけの量を内側に抱え込んで、暴走もしないし、自分の身体も壊れてない。それだけで、もうただの強い術師って枠から外れてる。

 

 ……あともう一つ。

 

 魂。

 

 視線を合わせた瞬間、そっちにも引っかかる。

 

 意識して輪郭をなぞると、違和感がはっきりする。真希先輩とか真依さんの時に見えた“繋がり”とは全然違う。あれは血とか縁とか、そういうのが糸みたいに繋がってる感じだった。

 

 でもこいつは違う。

 

 混ざってるわけじゃない。

 

 離れてるわけでもない。

 

 ただ——覆ってる。

 

 本来の魂の上に、別の何かが薄く重なってるみたいな、妙に気持ち悪い状態。剥がせそうで剥がれない、でも完全に一体化もしてない。その中途半端さが逆に不気味だった。

 

 「あれ?一人じゃないんだ」

 

 男がそう言った。

 

 声は普通。むしろちょっと軽いくらいなのに、その背後にある圧が全然軽くない。

 

 呪術高専の制服。

 

 年齢的にも先輩っぽいけど、見覚えがない。けど、この呪力で知られてないはずがない。頭の中で記憶を引っ張る。

 

 ……あれ、もしかして——

 

 そう思った瞬間、そいつの姿が消えた。

 

 いや、違う。

 

 見えてる。

 

 踏み込みの瞬間、足裏が地面を捉える角度も、空気が押し潰される流れも、そのまま前に抜けていく加速も全部見えてる。呪力が濃すぎて、動く前から“どこに来るか”が分かるくらいだ。

 

 一直線に降りてくる。

 

 ビルの上から、そのまま落ちるんじゃなくて、叩きつけるみたいに加速してくる。

 

 着地。

 

 ドンッ、と鈍い音が鳴る。

 

 道路脇の壁にぶつかるように足をつけて、その衝撃でコンクリートが割れる。破片が跳ねて、遅れて風圧が広がる。

 

 ……いや、そんな派手にやる必要あるか?

 

 威圧にはなるけどさ、普通に壊してるじゃん。後で怒られないのかそれ。

 

 「僕は乙骨憂太。虎杖悠仁君、僕は君を処刑する為に来たんだ」

 

 名乗られて、やっと繋がる。

 

 あぁ、やっぱり。

 

 「乙骨先輩すか」

 

 「……あれ、僕の事知ってるんだ」

 

 少しだけ意外そうな顔をする。

 

 そのまま肩に掛けていた袋を外して、中から刀を取り出す。鞘から滑るように抜かれた刃が、空気を細く裂く音を立てる。

 

 無駄がない。

 

 構えも自然で、変に力が入ってる感じがしないのに、どこからでも斬り込める余裕がある。

 

 ……なんか、すげぇやる気満々だなこの人。

 

 「ほほっとまはって(ちょい待って)」

 

 ……なんて?

 

 さっき吹っ飛ばした男が、なんか言ってる。

 

 振り向くと、瓦礫の中から這い出しながら、こっちに手を伸ばしてた。コンクリートの粉まみれで、顔もぐちゃっとしてて、さっき殴ったところがまだ歪んだまま戻りきってない。歯も何本か無くなってるっぽいし、顎もズレてる。

 

 なのに、必死に腕だけ伸ばしてくる。

 

 ……ちょっと申し訳ねぇな。

 

 「……あれ、あなた誰です?というか……大丈夫ですか?」

 

 乙骨先輩が、俺越しにそいつへ声をかける。

 

 声音は落ち着いてるけど、警戒は解いてない。視線はしっかり相手を捉えたまま、刀も軽く構えた状態を崩してないあたり、やっぱりただ者じゃない。

 

 「へんいんなほややや(禪院直哉や)」

 

 「ちょっと何言ってるか分からないですね」

 

 ですよね。

 

 俺も分からねぇ。

 

 というかあの状態で喋ろうとするのすげぇな。普通もうちょい休まない?

 

 後ろから、気配が寄る。

 

 脹相達が、俺のすぐ背後まで距離を詰めてきてる。さっきまでのゆるい雰囲気のままなのに、立ち位置だけはきっちり詰めてきてるのが分かる。

 

 「悠仁、お前を処刑に来たとか言っているが……」

 

 脹相が声を潜める。

 

 「全員でいけば倒せるか?」

 

 壊相が小さく続ける。

 

 「悠仁だけデも楽勝ダロ」

 

 血塗が軽く笑う。

 

 その声は冗談っぽいのに、位置取りは完全に戦闘用だ。俺を中心にして、自然に囲いを作る形になってる。いつでも動けるし、何かあれば即座にフォローに入れる距離。

 

 ……頼もしいな、ほんと。

 

 でも——

 

 視線を戻す。

 

 乙骨先輩。

 

 さっきから感じてる違和感。

 

 呪力量が、とにかくおかしい。

 

 ぱっと見で分かる。流れてる量が段違いだ。溢れてるっていうより、もう“そこにあるだけで周囲を満たす”レベルで存在してる。

 

 それだけじゃない。

 

 制御も崩れてない。

 

 普通、あれだけの量を出してたらどこかで乱れる。漏れる。歪む。でもこの人は違う。流れっぱなしなのに、全部が一つの塊としてまとまってる。

 

 正直、宿儺と比べても遜色ないどころか、純粋な“量”だけで見たら上かもしれない。五条先生よりも多いんじゃないかって思うくらいだ。

 

 しかも——

 

 さっき見えた、あの魂。

 

 あれがどう動くか、まだ分からない。

 

 だからこそ、底が知れない。

 

 簡単に囲んでどうにかできる相手じゃない気がする。

 

 「『……』」

 

 頭の奥で、宿儺が黙っている。

 

 さっきまでうるさかったくせに、今は何も言わない。

 

 その沈黙が、逆に気味悪い。

 

 けど——まあいいか。

 

 どうせやるなら、正面からだ。




直哉「まひひゃんほひふへきやへ」
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