武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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おい、お前赤ん坊の時からそんな感じなのかよ。壮絶過ぎるだろ

 

 

 

 虎杖悠仁が目醒める、ほんのわずか前——

 

 今まさに崩れ去ろうとしている空間の中で、虎杖悠仁と両面宿儺が向かい合っていた。床であったはずのものは既に輪郭を失い、足元は曖昧な感触だけを残している。壁も天井も形を保てず、端から崩れ、溶けるように消えていくが、不思議なことに二人の立つ位置だけは最後の均衡を保っていた。

 

 世界が壊れている。

 

 だが、対話だけは残されている。

 

 「小僧」

 

 宿儺が虎杖を見据え言った。その顔に表情はない。ただ空虚が映っている。怒りも愉悦もなく、ただ“そこにあるもの”としての視線だった。

 

 「なんだよ」

 

 虎杖は崩壊を認識しながらも視線を逸らさない。足場が消えかけていることも、視界の端が削れていることも理解しているが、それよりも今この瞬間の言葉の方が重要だと、直感的に判断していた。

 

 「お前の祖父の名はなんという」

 

 唐突な問いだった。

 

 だが虎杖は迷わない。

 

 「あ?爺ちゃん?倭助だよ、虎杖倭助」

 

 その名を口にした瞬間、記憶の奥で何かが微かに揺れる。病室、背中、最後の言葉。だがそれを掘り下げる前に、宿儺の返答が重なる。

 

 「そうか」

 

 短く返した宿儺は、腕を組んで少し俯いた。その仕草は僅かだが、明確に思考の間を示している。視線を落としたまま、何かを整理している沈黙が流れる。

 

 空間の崩壊は進んでいる。

 

 足元の感触がさらに薄れ、距離という概念すら曖昧になっていく。周囲の景色はもはや断片でしかなく、存在の境界がほどけていく感覚が、じわじわと侵食していた。

 

 それでも宿儺は動かない。

 

 そして、そのまま口を開く。

 

 「小僧、俺は双子だった」

 

 俯いたまま言うその声音には、抑揚がない。

 

 「母の胎の中にいる時に片割れを喰らい、双子として落ちる運命を退けた」

 

 淡々と語られるその内容は、常識から外れている。だが、そこに誇張はなく、ただ事実として置かれているだけだった。

 

 「おい、お前赤ん坊の時からそんな感じなのかよ。壮絶過ぎるだろ」

 

 虎杖は思わず苦笑いを浮かべ、頭を掻きながら言う。軽口のように聞こえるが、その内側では理解が追いついていない。目の前の存在がどれほど逸脱しているかを、改めて突きつけられていた。

 

 「なんとでも言え」

 

 宿儺は一切の感情を乗せずに返す。

 

 「いやお前が勝手に言ってきたんだろ」

 

 虎杖が即座に返す。やり取り自体は軽いが、その間にも空間は確実に崩れ続けている。足場はほぼ消え、視界の外縁は完全に無へと落ちていく。

 

 それでも、言葉だけは残る。

 

 宿儺がわずかに顔を上げる。

 

 その目には、先程までとは異なる鋭さが宿っていた。

 

 「あのな小僧、さっきも言ったが、お前は俺との闘争を楽しめばよい。有象無象など気にするな、自分の身の丈だけ考えて生きればいい」

 

 言葉は短い。

 

 だが、その一文に込められた圧は重い。

 

 他者を切り捨て、自分の強さと対峙しろという、あまりにも一方的な価値観。それは忠告でも助言でもなく、ただ“そう在れ”と押し付けるようなものだった。

 

 「はぁ?」

 

 虎杖が眉をひそめる。

 

 理解はできる。

 

 だが納得はできない。

 

 誰かを無視して、自分だけで完結するような生き方は、これまでの虎杖悠仁とは相容れないものだった。

 

 だが、その反発を言葉にする前に——

 

 宿儺が切り捨てる。

 

 「さっさと起きろ。痴れ者が」

 

 その一言と同時に、空間の均衡が完全に崩れる。

 

 支えていた何かが途切れ、残っていた形が一斉に解けるように消えていく。足場も、距離も、意味も、全てが消失し、存在そのものが引き剥がされる感覚が一気に押し寄せた。

 

 虎杖の視界が白く弾ける。

 

 最後に見えたのは、わずかに口角を上げた宿儺の顔だった。

 

 次の瞬間、世界は完全に途切れた。

 

 そして虎杖悠仁の意識は、崩れ落ちた空間の残滓ごと光に飲み込まれた。

 

 輪郭を失った世界は、そのまま溶けるように消え、代わりに満ちてきたのは濁りのない輝きだった。白でもなく、透明でもなく、ただ純度だけが際立った光。その中で虎杖の意識は拡散することなく保たれ、むしろ収束するように一つへとまとまっていく。

 

 引き剥がされる感覚はない。

 

 落ちていくわけでもない。

 

 ただ、戻る。

 

 それだけだった。

 

 光が収束する。

 

 一点へと凝縮され、それがそのまま“核”として現実へと接続される。

 

 心臓。

 

 破壊され、停止していたその臓器が、内側から脈動を再開する。外部からの刺激はない。反転術式の流れとも異なる。あくまで内発的な再起動であり、その起点は肉体そのものの深部にあった。

 

 ドクン、と一拍。

 

 金色の光が弾ける。

 

 裂けた傷口から溢れ出したそれは、血液とは別の“流れ”として血脈へと侵入し、全身へと走り出す。血管をなぞり、神経を伝い、骨の奥へとまで染み渡るように広がっていくその様は、単なる循環ではなく、構造そのものを塗り替えていく過程だった。

 

 筋繊維がほどける。

 

 骨格が応答する。

 

 停止していた細胞が一つずつ起動し、連鎖的に機能を取り戻していく。

 

 その全てが一拍の中に収まっていた。

 

 「フゥ」

 

 肺が動く。

 

 空気が喉を通り、胸郭が広がり、内部に溜め込まれていたものを押し出すように吐き出される。その呼吸は乱れず、むしろ整い切ったものだった。死から戻った直後とは思えないほど、滑らかで無駄がない。

 

 そして——目が開かれる。

 

 「悠仁!?」

 

 目前にいた脹相が声を上げる。

 

 その反応は一瞬遅れたものではなく、ほぼ同時に起きたものだった。目覚めと認識が重なり、現実が一気に確定する。

 

 「え!!」

 

 乙骨もそれに気付き振り向く。

 

 その視線の先にあるのは、確実に一度死んだはずの存在。だが、今そこにいる虎杖悠仁は、何事もなかったかのように呼吸を整え、視線を動かしていた。

 

 (やっぱり反転術式効いてたのかな?……あれ?)

 

 思考が一瞬止まる。

 

 違和感が走る。

 

 乙骨は気づく。

 

 何も、感じない。

 

 先程まで確かに存在していたはずの圧がない。呪力の流れも見えない。あれほど明確に感じ取れていた存在が、今は完全に空白になっている。

 

 目の前にいる。

 

 視覚的には確かにそこに立っている。

 

 だが、感覚としては“いない”。

 

 そこに在るはずのものが、そこにない。

 

 それは抑えている状態ではない。隠しているのでもない。そもそも“発していない”。存在が外へ干渉する必要を失っているかのような、異様な静けさだった。

 

 「……?」

 

 乙骨の眉がわずかに寄る。

 

 だがその違和感を言葉にするより早く——

 

 「あれ……俺寝てた?」

 

 虎杖が声を発した。

 

 その声音はいつも通りで、軽く、力みのないものだった。だがその一言が、この場の緊張を一気に崩す。

 

 「おぉぉぉ!!悠仁ー!!」

 

 脹相が叫びながら飛びつく。

 

 その動きは遠慮も加減もなく、全力だった。抱きつくというよりは、衝突に近い勢いで虎杖へと突っ込んでいく。

 

 「起きたのかー!!」

 

 壊相が横でポージングしながら歓喜を露わにする。腕を大きく振り上げ、意味の分からない構えを取りつつも、その表情には明確な安堵が浮かんでいた。

 

 「すげぇ!生き返った!」

 

 血塗は軽やかに跳び、虎杖の頭の上へと着地する。そのまま前屈みになり、顔を覗き込むようにして状態を確認しようとする。

 

 状況は一気に騒がしくなる。

 

 だがその動きは全て、虎杖が“生きている”という事実を前提にしたものだった。

 

 (なんか様子がおかしい)

 

 乙骨は一歩引いた位置からそれを見ていた。

 

 違和感は消えていない。

 

 むしろ強まっている。

 

 だがそれを指摘する余地はない。

 

 目の前では、明らかに別の問題が発生していた。

 

 「ぶほぉ!ちょっと兄ちゃん達危ねぇって!」

 

 虎杖の声が押し潰される。

 

 脹相に抱きつかれ、血塗に頭を押さえつけられ、壊相の動きが視界を塞ぐ。その全てが同時に襲いかかり、物理的に呼吸が阻害されていた。

 

 だが、その状況でも虎杖の身体は崩れない。

 

 力を入れている様子もないのに、姿勢は安定している。押されているはずなのに軸がぶれず、全ての力を自然に受け流しているかのようだった。

 

 それは無意識の制御だった。

 

 本人は気づいていない。

 

 だが確実に、以前とは違う“何か”がそこにあった。

 

 

 

 

 

 「いやぁ……生き返って良かったぁ」

 

 乙骨先輩が肩の力を抜いたまま、ほっと息を吐くみたいに言った。その声はさっきまでの張り詰めた戦闘中のものとはまるで違って、完全に気が抜けた状態って感じだ。

 

 「乙骨先輩にはマジで完敗っすね」

 

 俺はそう言って、軽く笑った。

 

 いや、ほんとに負けた。あの流れは完全にやられたわ。領域展開されて、雷をぶち込まれて、それでもなんとか凌いで、いけると思った瞬間に背中から心臓ブスリ。あれはもう言い訳できない。

 

 完全に油断してた。

 

 あの一瞬、勝った気になってたのがダメだったな。

 

 乙骨先輩は申し訳なさそうに立ってる。服はボロボロで、あちこち裂けてるし、血も滲んでる。あれだけやり合って、領域まで使って、それでも立ってるって時点で普通じゃねぇけど。

 

 ……にしても。

 

 俺、死んだよな?

 

 あの感触、間違いなく心臓だったし、呼吸も止まってたはずだ。普通ならそこで終わりだろ。でも今こうして普通に立ってるし、むしろ身体の調子はめちゃくちゃいい。

 

 なんだこれ。

 

 まぁいいか。

 

 めっちゃ気分いいし。

 

 身体の中、なんかスッキリしてる。変な引っかかりが一切なくて、全部がスムーズに繋がってる感じだ。呼吸も軽いし、動くのも楽だし、力を入れてないのにちゃんと芯がある。

 

 「虎杖君、君を殺したのは訳があるんだ。もう分かってると思うけど……」

 

 乙骨先輩が真面目な顔で言ってくる。

 

 あー、やっぱそこ説明来るよな。

 

 そりゃそうだ。いきなり殺された側としては、理由くらい聞いとかないと気持ち悪いし。

 

 でも俺の方にも、ちょっと引っかかってることがある。

 

 さっき見たやつ。

 

 あの女。

 

 宿儺の言葉。

 

 全部が中途半端に頭に残ってて、なんかモヤモヤする。

 

 ここで話す内容じゃねぇな。

 

 周りを見る。

 

 ビルは崩れてるし、道路もバキバキに割れてるし、瓦礫だらけだ。街灯も壊れてて暗いし、夜のせいで余計に見通しが悪い。

 

 こんなとこで腰据えて話すのは無理だな。

 

 それに腹減った。マジで腹減った。

 

 なんでこんな腹減ってんだ俺。さっき死んだからか?知らんけど、とにかく今は飯が欲しい。

 

 「とりあえず拠点行きません?暗いし、腹も減ったんで」

 

 自然と口から出る。

 

 「あ、そ、そうだね」

 

 乙骨先輩がちょっと苦笑いしながら頷く。なんかまだ引っかかってる感じはあるけど、とりあえずついてくる気はあるらしい。

 

 「悠仁、どこも痛くないか?」

 

 脹相がすぐ横から覗き込んでくる。

 

 距離が近い。いやマジで近いって。

 

 「どこも痛くないよ。寧ろめっちゃ調子良いぜ」

 

 これは本音だ。

 

 痛みはないし、違和感もない。それどころか、今までで一番調子いいまである。身体の中が全部繋がってる感じで、動かすだけで気持ちいい。

 

 「流石俺たちの弟だ!」

 

 「ハッハッハ!」

 

 「悠仁すげぇ!」

 

 兄ちゃん達は相変わらず元気だな。

 

 テンション高すぎるだろ。いやまぁ、俺が生き返ったからってのもあるんだろうけど、それにしたって振り切れてる。

 

 ……爺ちゃん、俺には兄がいた!

 

 内心でどうでもいいこと思いながら、歩き出そうとしたところで——

 

 「あ」

 

 乙骨先輩が急に止まる。

 

 「どうしたっすか?」

 

 振り返ると、なんか思い出した顔してる。

 

 「あの……虎杖君がぶっ飛ばしたあの人……忘れてた」

 

 ……あ、完全に忘れてた。

 

 「え、どうするっすか?」

 

 俺はそのまま乙骨先輩に視線を向けながら言った。

 

 さっきのアイツのことだ。いきなり現れて、意味の分からんこと言って、そのまま殴りかかってきたから反射でぶん殴っちまったけど……冷静に考えたらあれ、普通にヤバいよな。あの感じ、ただの通りすがりってわけでもなさそうだったし、目的持って来てる動きだった。

 

 それに何より——

 

 あの状態で生きてるのか?

 

 顎とか顔面とか、結構派手にいってた気がするんだけど。

 

 「あの人、誰か知らないんだよね。何言ってるか分からなかったし……」

 

 乙骨先輩が困ったように言う。

 

 だよなぁ。

 

 俺もマジで分かんなかった。何言ってるか聞き取れなかったっていうか、そもそも発音が崩壊してたし、言語として成立してなかった気がする。

 

 「いや、まぁ……俺のせいなんですけどね!!」

 

 思わず笑いながら言う。

 

 だって仕方なくね?殴りかかってきたんだから反射で返すだろ普通。むしろあの程度で済んでるの奇跡だろ。

 

 乙骨先輩は苦笑いしながらも、すぐに真面目な顔に戻る。そのまま少しだけ考え込むように視線を落として、周囲の状況も含めて整理してる感じだ。

 

 夜の空気が静かに流れる。

 

 崩れたビルの影が長く伸びて、瓦礫の隙間から風が抜けるたびに小さな音が鳴る。戦いの余韻がまだ残ってる場所で、こうして立ち止まってるのは妙に落ち着かない。

 

 その沈黙の中で、乙骨先輩が顔を上げた。

 

 「そうだな……恐らく虎杖君を殺しにきたのであれば、少し利用できるかもしれない」

 

 その言葉に、俺は自然と口角が上がる。

 

 「ほぉほぉ」

 

 なんか面白い流れになってきたな。

 

 乙骨先輩がこっちをまっすぐ見る。その目はさっきまでとは違って、完全に状況を組み立ててる時のそれだ。

 

 「虎杖君、死んだフリできるかな?」

 

 言われた瞬間、頭の中で一気に繋がる。

 

 あぁ、そういうことか。

 

 上層部に「虎杖悠仁は死んだ」って情報を流させる。そうすれば俺の死刑問題も一旦外れるし、裏で動く余地ができるってわけだ。合理的だし、かなり有効だ。それに……

 

 「大丈夫っす。さっきまで死んでたんで楽勝っすね」

 

 これはマジでそうだ。

 

 冗談抜きで感覚として分かってる。力の抜き方も、呼吸の落とし方も、どの状態が“完全に死んでるように見えるか”も全部理解できてる。

 

 実体験あると違うなこれ。

 

 そんなわけで、俺は死んだフリすることになった。

 

 乙骨先輩に担がれる。

 

 肩に乗せられてる状態って思ってたより不安定だな。身体の力抜いてるから余計に揺れがダイレクトに来るし、ちょっとでもバランス崩したら普通に落ちそうだ。

 

 でも落ちない。

 

 無意識に重心合わせてる自分がいるあたり、完全に身体に染み付いてるなコレ。

 

 視界は下向きで固定される。

 

 アスファルトの割れた表面と、瓦礫の影がゆっくり流れていくのが見える。音も、風も、全部が遠く感じる。

 

 脹相達は先に拠点へ向かってる。

 

 あの三人がいたら絶対成立しないからなこの作戦。誰か一人でも声上げたら即バレる。特に脹相は確実に叫ぶ。

 

 トンネル入口近くの道路まで戻ってきたところで、俺はそっと地面に下ろされる。

 

 そのまま全身の力を完全に抜く。

 

 呼吸も極限まで抑える。

 

 胸の動きが外から見えないように、内部でだけ最小限回す。意識ははっきりしてるけど、身体は完全に“停止”した状態に近い。

 

 これ、完璧だろ。

 

 「はよはふけてくれん?」

 

 例の男の声が聞こえる。

 

 ……やっぱ分かんねぇなコレ。

 

 音としては聞こえるんだけど、意味に変換できない。単語の形が崩れてて、何を言ってるのか推測するしかない状態だ。

 

 たぶん「早く治せ」って言ってるんだろうけど。

 

 いやそれにしても酷ぇなこれ。

 

 ちょっと笑いそうになる。

 

 「あなたが誰か知りませんけど……虎杖君は僕が殺しました」

 

 乙骨先輩の声が静かに響く。

 

 さっきまでの柔らかい感じとは違って、ちゃんと外向けに切り替えてる。距離も保ってるし、余計な感情も乗せてない。

 

 完全に交渉モードだ。

 

 「助けてほしいなら条件がある。上層部に虎杖悠仁の死を伝えてもらえますか?」

 

 その言葉は淡々としてるけど、内容はかなり重い。

 

 これで了承すれば、俺は一応“死んだことになる”。逆に断られたら……まぁその時はその時だな。

 

 「へへで、はよ」

 

 いやだから分かんねぇって!

 

 たぶん了承してる。

 

 たぶん。

 

 でも音だけ聞くと本当に意味不明すぎて、なんか変なツボに入りそうになる。

 

 ダメだ、笑うな。ここで笑ったら全部台無しだ。

 

 腹筋に変な力入るのが逆に危ない。意識逸らすために、呼吸のリズムに集中する。

 

 「僕、反転術式使えるんでサクッと治せますよ。治したらさっさと行って下さいね」

 

 乙骨先輩がさらっと言う。

 

 軽く言ってるけど、内容は割とドライだな。治すけど、その後は関わるなってライン引いてる。

 

 ……にしても。

 

 死んだフリしながら普通に状況把握できてるの、なんか変な感じだな。

 

 これ、慣れたら色々使えそうだ。潜入とか、奇襲とか、やりようによってはかなり幅広がる気がする。

 

 ……まぁまずは。

 

 笑わないことに集中だな。

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 

 禪院直哉。禪院家二十七代目当主になるはずだった男は、今やその面影を大きく損ない、無様な姿でコンクリートの壁にめり込んでいた。背面から叩きつけられた衝撃で外壁は大きく抉れ、ひび割れたコンクリートが蜘蛛の巣状に広がっている。その中心で、直哉の身体は半ば埋まるように固定され、外へ抜け出すことすらままならない。

 

 顎は砕け、歯は数本失われ、口内には鉄臭い血の味が広がっている。舌を動かすだけで激痛が走り、まともに言葉を発することもできない。視界は滲み、焦点が合わない。それでも意識だけは妙に鮮明で、現実から逃げることすら許されない。

 

 そんな状態のまま、直哉は目の前で繰り広げられている戦いを見ていた。

 

 虎杖悠仁と乙骨憂太。

 

 二人の衝突は、もはや人間同士の戦闘という枠を逸脱していた。踏み込み一つで地面が抉れ、拳が交差するたびに空気が爆ぜ、周囲の建造物が余波だけで崩れていく。打撃の音は遅れて届き、そのたびに空間が揺れるような錯覚を覚える。

 

 壁にめり込んだままの直哉の視界に映るそれは、現実感の薄い光景だった。

 

 理解が追いつかない。

 

 速度も、威力も、次元が違う。

 

 そして、いつの間にかその近くには、先ほどまで戦闘に参加していたはずの三人が並んでいた。

 

 脹相、壊相、血塗。

 

 彼らは負傷しているにもかかわらず、戦場の縁で落ち着いた様子で立ち、まるで見世物でも観るかのように戦いを眺めている。

 

 「悠仁は本当に強いなぁ!」

 

 脹相が感嘆の声を上げる。

 

 その声には心底からの誇りが滲んでいた。弟の強さを目の当たりにしている兄としての感情が、そのまま言葉になっている。

 

 「あのパイ乙骨とやらも中々だ」

 

 壊相が腕を組みながら頷く。その評価は冷静で、戦闘を客観的に見ている余裕がある。

 

 「悠仁が楽しそうだな」

 

 血塗は静かに呟いた。その視線は戦いの中心ではなく、虎杖悠仁という存在そのものへ向けられている。

 

 三者三様の反応。

 

 だが共通しているのは、この異常な戦闘を“受け入れている”という点だった。

 

 しかし直哉の内心は、全く違う。

 

 (なんやアイツら、めちゃくちゃ強いやんか……)

 

 思考が追いつかない。

 

 理解しようとしても、基準が合わない。

 

 乙骨憂太の存在は知っている。特級術師。その肩書きが示す強さは、禪院家にいた頃から嫌というほど叩き込まれていた。だが、今目の前で起きている光景は、その認識すら上回っている。

 

 そしてもう一人。

 

 虎杖悠仁。

 

 その名は知っている。だが、その実力は知らなかった。

 

 いや——知らされていなかった。

 

 目の前で繰り広げられている攻防は、明らかに乙骨憂太と同格、あるいはそれ以上の圧を持っている。打撃一つ、踏み込み一つに込められた力が異常だ。単なる膂力では説明がつかない。

 

 (なんも見えん)

 

 直哉は歯を食いしばる。

 

 見えなかった。

 

 最初の一撃。

 

 虎杖悠仁が踏み込んだ瞬間、視界から消えた。そのまま何が起きたのかも分からないまま、気付いた時にはこの有様だ。

 

 反応すらできなかった。

 

 術式を使用してもなおそれに追随してきた。

 

 (たった一撃やぞ……)

 

 その事実が、重くのしかかる。

 

 自分は何もできなかった。

 

 だが、乙骨憂太は違う。

 

 あの速度、あの威力の中で、確実に応じている。捌き、受け、反撃し、戦闘を成立させている。

 

 その差は、あまりにも明確だった。

 

 やがて空間が歪む。

 

 戦場の一角が、外界から切り離されるように閉じていく。見えない壁が形成され、内部と外部の境界が曖昧になる。

 

 領域展開。

 

 直哉の瞳がわずかに見開かれる。

 

 (領域展開までできんのか)

 

 その言葉は心の中で静かに沈む。

 

 領域展開。それは術師にとっての極致であり、到達点の一つ。そこに至る者は限られている。

 

 だが、目の前の戦いは、その段階にすら達している。

 

 そして理解する。

 

 (これアカンわ)

 

 思考が静かに結論へと収束する。

 

 (あっち側の人らや)

 

 自分とは明確に違う。

 

 同じ土俵にすら立っていない。

 

 その事実を、直哉はようやく受け入れた。

 

 そうして現在——

 

 瓦礫と粉塵がまだ完全には収まりきらない路上に、ゆっくりとした足取りで乙骨が現れた。

 

 その肩には、力を失ったままぐったりと垂れ下がる虎杖悠仁の身体が担がれている。腕は重力に従ってぶら下がり、指先には一切の緊張がなく、首も自然な支えを失って傾いている。その様子は、外から見れば完全に生命活動を終えた肉体のそれであり、つい先ほどまであれほどの戦闘を繰り広げていた人物とは到底結びつかない静けさを纏っていた。

 

 その光景を、地面に崩れ落ちたままの直哉が見上げている。視界はまだ完全には安定しておらず、輪郭はわずかに滲み、焦点も揺れているが、それでも目の前に立つ存在だけははっきりと認識できた。逆光の中で浮かび上がる乙骨の姿は、戦闘直後とは思えないほど落ち着いており、その静謐さがかえって異様な圧となって周囲に広がっている。

 

 直哉は口を開いた。砕けた顎と失われた歯が邪魔をして、まともな発音にはならない。それでも、今の自分に残されている選択肢は一つしかないという現実が、その喉を強引に動かしていた。

 

 「はほはふけてくれん?(はよ助けてくれん?)」

 

 喉の奥から絞り出された声は、言葉としての体裁をほとんど成していない。だが、それが懇願であることだけは明確に伝わる。もっと丁寧に頼めばいい、頭を下げればいい、そうすれば通る可能性も高まるはずだと、理屈では理解している。

 

 しかし、それを実行に移すことを、身体の奥に残ったわずかな矜持が拒絶する。惨めさを理解していながら、それでも完全には捨てきれないものが、言葉を歪ませていた。

 

 乙骨はその様子を一瞥し、感情の揺れを一切見せることなく淡々と口を開いた。

 

 「あなたが誰か知りませんけど、虎杖君は僕が殺しました」

 

 事実のみを並べた簡潔な言葉だった。その一文に余計な装飾はなく、ただ状況の結論だけが提示される。

 

 直哉の瞳がわずかに揺れる。内心で浮かんだのは短い感想だった。

 

 (マジかい)

 

 だが、その言葉を疑う余裕はない。視界に映る情報は、そのままそれを裏付けている。担がれている虎杖の身体からは、先ほどまで感じていた異常な圧も、呪力の気配も一切消えており、そこにあるのはただの“空”の肉体にしか見えない。

 

 違和感はある。それでも、今の直哉にとって重要なのはそこではない。

 

 「助けてほしいなら条件がある。上層部に虎杖悠仁の死を伝えてもらえますか?」

 

 乙骨の声は穏やかだが、その内側には揺るぎがない。提案の形を取りながらも、実質的にはそれ以外の選択肢を許さない提示であることは明白だった。

 

 直哉は即座に理解する。ここで拒否すれば終わりだ。受け入れれば、最低限の生存は確保できる。

 

 「へへで、はよ(ええで、はよ)」

 

 潰れた声で返す。意味としてはただ一つ、了承だ。

 

 思考の中で補完される言葉は単純で、そこに迷いはない。もはや体裁や誇りを守る段階ではない。生き延びること、その一点だけが優先される。

 

 だが、その瞬間——直哉の視界がわずかに引っかかった。

 

 違和感。極めて微細な変化。通常であれば見逃してもおかしくない程度の揺らぎだが、投射呪法で鍛えられた認識が、それを確実に捉える。

 

 担がれている虎杖悠仁の身体が、一度だけピクッとわずかに震えた。

 

 それは苦痛に伴う反射のようにも見えない。筋肉の硬直とも違う。むしろ……

 

 (……笑いでも堪えとるんか?)

 

 一瞬、そんな考えが頭をよぎる。

 

 あり得ない。そう即座に否定できるはずの内容だ。生命活動を停止しているはずの人間が、そんな反応を示す理由など存在しない。

 

 それでも、見えたものは消えない。

 

 直哉はその違和感を思考の奥へ押し込む。今はそれを追及する余裕はない。優先すべきは、この場から生き延びることだ。

 

 (まぁええわ……約束は守ったる)

 

 結論を出す。思考を切り替える。だが、その奥底には確かに何かが残っていた。それは折れた誇りの残骸ではなく、もっと単純で生々しい感情——敗北を認識した上でなお消えない執着と、次を見据える意志だった。

 

 (せやけど——次は負けんで)

 

 歪んだ視界の中で、直哉は静かにそう思った。




宿儺「小僧、そろそろだな」



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それと、毎日沢山の感想や評価もありがとうございます。皆様のおかげでここまで書いてこれたのかなと、嬉しさが五臓六腑に染み渡っております。
謝罪なんですが、感想の返信が全然できず申し訳ないです。以前は全ての感想に返信していたんですが、追いつけなくなり、次第に……といった感じで現在返信できていません。ですが全て目を通しています。とても励みになります。本当にありがとうございます。

色々とガバや粗がある本作ですが、これからもよろしくお願いします。
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