武術の王『虎杖悠仁』 作:やめろ小僧、その技は俺に効く
虎杖悠仁の生得領域。
水面は鏡のように静まり返り、その上に無数の蓮が規則性もなく、しかしどこか意志を持つかのように浮かんでいる。淡い光を帯びた花弁は風もないのにわずかに揺れ、触れれば崩れそうなほど繊細でありながら、同時にこの空間そのものと一体化しているかのような確固たる存在感を放っていた。
その中央に、歪な樹が立つ。
巨大な盆栽のようにねじ曲がり、幹は幾重にも重なり合いながら上へと伸び、枝は不自然な角度で広がっている。自然物でありながら人工的な歪みを内包したその姿は、この領域の本質を象徴しているかのようだった。生命と死、成長と停滞、循環と断絶——それらが混在し、均衡を保たないまま成立している異質な景観。
遠景には富士山が聳えている。
本来であれば神聖さと威厳を象徴するはずのその姿は、この空間においてはどこか現実から乖離した存在として配置されていた。輪郭ははっきりとしているのに、距離感だけが曖昧で、手を伸ばせば届きそうなほど近くにあるようにも、永遠に辿り着けない彼方にあるようにも感じられる。
そして——
世界の中心。
黄金に満ちた光の中に、骨の山が築かれている。
積み重なった骸は白く乾き、崩れ落ちることもなく、ただそこに存在している。無数の死が積層し、その上に築かれたものが何であるかは、見れば一目で理解できた。
玉座。
その上に、両面宿儺は座していた。
頬杖をつき、もう一対の腕は組み、微動だにせずに思索へと沈んでいる。その姿には退屈も焦燥もなく、ただ静かに、確実に何かを見定めているような気配があった。黄金の光がその輪郭を縁取り、影すらもこの空間の一部として取り込まれている。
やがて、わずかに口元が動く。
「二度の死を経験したか」
低く、重く、しかしどこか愉悦を含んだ声音が空間に落ちる。その言葉は反響することもなく、水面にも波紋を生じさせないまま、ただこの領域全体へと浸透していった。
呪術という体系において、“死”は特別な意味を持つ。
それは単なる終焉ではない。到達点であり、極限であり、同時に新たな分岐を生む契機でもある。負の感情から生まれる呪力にとって、死とは最も純度の高い負の極点であり、そこに触れた者が変質する可能性は理屈として存在している。
だが、それを二度越える者はほとんどいない。
一度目で終わる。
終われなかった者だけが、次へと進む。
宿儺の視線がわずかに細められる。玉座の上から見下ろすその先に、直接的な対象は存在しない。それでも彼の意識は確実に、外界の虎杖悠仁へと向けられていた。
一度目の死で経絡を開いた。
肉体と魂を同時に破壊されながら、その境界を越え、再び戻ってきたことで“流れ”を掴んだ存在。それは本来あり得ない循環機構を持つ異端であり、すでに呪術の枠組みから逸脱し始めている。
そして二度目。
既に成立していたその循環に、“死”という現象が再び重なったことで、変化は加速する。単なる再現ではない。前提条件が異なる以上、結果もまた別の領域へと至る。
満ちる。
流れる必要すらなくなるほどに。
宿儺の口元が、ゆっくりと歪む。
それは笑みだった。隠すことのない、純粋な愉悦の発露。かつて幾多の命を踏み潰し、その果てに存在している怪物が見せる、期待そのものの形。
「いい、いいぞ小僧……」
声に熱はない。
だが、その内側にあるものは明確だった。
興味。
そして、待望。
「お前はもっと強くなる」
断言だった。
可能性ではない。予測でもない。ただ確定した未来として、その言葉は置かれる。水面に浮かぶ蓮がわずかに揺れ、骨の山の影が長く伸びる。領域そのものが、その言葉に呼応するかのように、ほんの僅かに脈打った。
宿儺は動かない。
ただ、見ている。
「クク…………虎杖倭助か」
そして静かな領域に、かすかな笑いが落ちる。水面に広がる蓮は微動だにせず、ただその声だけが、空間の奥へと滲むように溶けていった。骨の山の頂に築かれた玉座の上で、両面宿儺は頬杖をついたまま、わずかに口角を吊り上げている。その双眸は細められ、視線はこの場に在らぬ何かを確かに捉えていた。
そして、ゆっくりと呟かれる名。
虎杖悠仁の祖父——虎杖倭助。
その音は軽く、しかし意味は重い。記憶を辿るでもなく、ただ確認するかのように口にされたその名には、過去と現在を繋ぐ歪な糸が絡みついている。
「羂索め……気色の悪い事をする」
声音がわずかに低くなる。先ほどまでの愉悦とは別種の色が混じり、空気の密度が僅かに変わる。怒りと呼ぶには冷えすぎているが、嫌悪と断じるには静かすぎる。だが確かに、それは快ではない感情だった。
「小僧を作ったことはいい——だが、俺の片割れを利用
その言葉と共に、宿儺はゆっくりと腕を動かす。骨の山の一部として積み上げられていた牛の頭骨に手を伸ばし、指先で掬い上げるように持ち上げた。乾いた骨は軽く、掌の上で静かに収まる。その白い表面にはひびが入り、長い年月を経た痕跡が刻まれている。
宿儺はそれを見下ろす。
まるで、別の何かをそこに重ねているかのように。
「俺だけが喰らったもの、喰らうべきもの……それを——」
言葉は淡々としている。だが、その内側にある認識は明確だった。喰らうという行為。それは単なる捕食ではない。選択であり、奪取であり、存在の取り込みだ。宿儺にとってそれは、力の根源であり、在り方そのものでもある。
その領域に、他者が手を入れた。
しかも、歪めた形で。
掌がわずかに閉じる。
骨が軋む音が、乾いた音となって空間に響いた。指が食い込み、圧力が一点に集約される。次の瞬間、牛の頭骨は耐えきれず、砕け散った。
粉々に。
形を保つこともなく崩壊した骨片は、白い塵となって宙に舞い、風もないはずの空間でゆっくりと散っていく。その粒子は光を受けて淡く輝きながら、やがて痕跡すら残さず消え失せた。
握り潰されたものに、未練はない。
ただ、意味だけが残る。
「ケヒッ……まぁいい」
短い嗤いが漏れる。先ほどの低さとは打って変わり、どこか軽さを含んだ音だった。怒りも嫌悪も、そこで一度切り捨てられる。執着はない。だが、無関心でもない。その中間に位置する、宿儺という存在特有の距離感がそこにあった。
興味はある。
だが、それ以上ではない。
むしろ——その先にあるものの方が、価値がある。
宿儺は目を閉じる。
黄金に満ちた領域の中で、その存在だけが一瞬、静止したように見えた。思考は過去へと沈む。千年前、己が生きていた時代へ。血と呪いが渦巻き、強者のみが価値を持った世界。斬り、喰らい、奪い、踏み潰すことでしか均衡が保たれなかった日々。
あの頃と、何も変わっていない。
ただ、舞台が変わっただけだ。
そして——間もなく訪れる。
至高の闘争が。
宿儺の口元が、わずかに歪む。それは先ほどの愉悦とは異なり、より深く、より純粋な期待を孕んだ笑みだった。目を閉じたまま、その気配だけが領域全体へと広がり、水面に浮かぶ蓮が一斉にわずかに揺れる。
静寂の中で、確かに何かが動き始めていた。
何やかんやあって、俺達は高専に戻ってきていた。渋谷から離れたとはいえ、空気はまだ重い。結界の影響ってやつなのか、街そのものがどこか沈んでる感じがする。でもまぁ、そんなこと気にしてる余裕もねぇ。やることが多すぎる。
拠点で話した内容は、正直どれも軽く流せるもんじゃなかった。乙骨先輩が俺を殺した理由、それに死滅回游っていうクソみたいなゲーム、あと五条先生の封印の話。どれもこれも、今の状況をひっくり返すには避けて通れないやつだ。
まず乙骨先輩の件だけど、あの人は上層部と“俺を殺す”って縛りを結んで、強引に処刑人になったらしい。普通に考えたら意味分かんねぇけど、話を聞くと筋は通ってる。俺を一度殺して縛りを達成、そっから反転術式で生き返らせて、上には“死んだことにする”。そうすりゃ俺の死刑は帳消し、自由に動けるってわけだ。
……まぁ、その反転術式が効かなくてめちゃくちゃ焦ったらしいけどな。実際俺、完全に死んでたし。あの時の乙骨先輩の顔、今思い出してもちょっと面白い。いや笑い事じゃねぇんだけどさ。
それでも結果的にはこうして生きてるわけだし、文句言う気はねぇ。むしろ、あの状況でそこまで考えて動いてくれたのは普通にすげぇと思う。だからまぁ、あんま気にしてないってのが正直なところだ。
で、次が死滅回游。これがまたタチ悪い。夏油傑……っていうか中身は別物らしいけど、そいつが一般人を無理やり術師にして、結界の中で殺し合わせてるらしい。ルールも複雑だし、抜け道もほとんどない。完全に人間使った実験って感じだ。
しかも伏黒の話だと、津美紀さんがそれに巻き込まれてる。
それを聞いた時点で、やることは決まったようなもんだ。理屈とか関係なく、助けに行くしかない。伏黒がどんな顔してそれを言ったのか思い出すだけで、選択肢なんて最初から一つしかねぇって分かる。というか伏黒に姉貴がいたことを、この時初めて知った。でも関係ねぇ、助けるもんは助ける。
最後に五条先生の件。これが一番どうしようもない。渋谷でメカ丸が残してくれた情報で、獄門疆に封印されてるってとこまでは分かってる。でもその呪物を持ってるのが夏油傑で、そいつの居場所が全く掴めてない。
つまり、封印を解く手段も、そもそも対象の位置も不明ってことだ。
詰んでる。
いや、マジで。
だからこそ、天元様に頼るしかないって流れになった。あの人なら何か知ってるかもしれない。少なくとも、俺達よりは確実に情報持ってるはずだしな。
そんなこんなで拠点から移動して、俺達は高専に戻ってきた。伏黒と釘崎、乙骨先輩、それに脹相達も一緒だ。正直このメンツ、改めて考えるとだいぶカオスだよな。よくこれでまとまって動いてると思うわ。
建物の中に入ると、懐かしい匂いがした。血と呪力が染み付いた感じ。安心するわけじゃないけど、“戻ってきた”って実感はある。
「おっ悠仁」
声のした方を見ると、そこには真希先輩がいた。
「真希先輩」
思わず名前を呼ぶ。けど、近くで見るとちょっと驚いた。全身に火傷の跡が残ってるし、髪もバッサリ切ってショートになってる。前よりずっと鋭い雰囲気になってるっていうか……いや、普通にカッコいいなこれ。
「真希先輩大丈夫っすか?」
つい口から出た言葉に、真希先輩は肩をすくめる。
「楽勝だ」
即答だった。強ぇなこの人。
それ以上突っ込むのも野暮って感じがして、俺はそれ以上は聞かなかった。どうせ聞いたところで“問題ねぇ”って返ってくるのがオチだろうしな。
ふと視線を奥に向ける。
ソファに座ってた人影が、ゆっくり立ち上がった。
金髪の長い髪に、やたらスタイルのいい体つき。雰囲気だけで分かる。“強い側”の人間だ。普通の術師とは明らかに違う圧がある……はずなんだけど、なんか妙に掴めない感じもある。
その人が、こっちを見て口を開いた。
「君が虎杖悠仁君だね?どんな女性がタイプかな?」
……なんだこの人。
一瞬で頭に浮かんだ感想はそれだった。
状況的にもっと聞くことあるだろ普通。なんで最初の一言がそれなんだよ。いや、なんか既視感あるなこの感じ。誰だっけ……あぁ、東堂だ。あいつと同じ系統の匂いがする。
俺は思わず、その人をまじまじと見た。
変な人だ。だけど、ただの変な人じゃないってのも、なんとなく分かる。
でも俺のタイプか……
その問いを聞いた瞬間、妙に懐かしい感覚が頭の奥に浮かんだ。似たようなことを、前にも聞かれた覚えがある。誰だったかと記憶を辿るまでもなく、すぐに思い出す。東堂だ。あいつも初対面でいきなり同じことを聞いてきた。あの時も大概どうかしてると思ったけど、まさかここでも同じ流れになるとは思わなかった。
なんなんだ、この質問は呪術界の通過儀礼か何かか?
とはいえ、聞かれた以上は答えるしかない。変に濁しても意味がないし、俺自身、こういう話題を隠すタイプでもない。むしろ、こういうどうでもいい話をしてる時の方が、妙に頭が回る気すらする。
自然と、ある光景が浮かぶ。
昔、山で修行してた時のことだ。色々あって、なんだかんだで一人で身体を動かしてたあの頃。何を思ったのか、山の中で拾った一冊の本があった。正直、中身の大半はよく分からなかったし、当時の俺には刺激が強すぎた気もする。
でも、その中に一枚、妙に印象に残ってる写真があった。
ページの端に載ってた、綺麗な女の人。金色の髪が光に反射してて、背も高くて、全体的にスラッとしてるのに、妙に存在感がある体つきだった。何がどうって説明しづらいけど、とにかく“目に残る”人だったのは間違いない。
なんとなく、そのイメージがそのまま口に出る。
「金髪で背がデカくて尻がデカい人っすね!!!」
勢いよく言い切った。というか九十九さんがマジそのままだ。
まぁ変に考えず、そのまま思った通りを出した感じだ。部屋の空気が一瞬だけ止まる。釘崎が横で「は?」って顔してるのが視界の端に入るし、伏黒は呆れたように目を細めてる。真希先輩は腕を組んだまま、ほんの少しだけ口元が動いた気がした。
で、目の前の人。
「ッ!!!」
反応がデカい。
その場で一歩踏み込んでくる勢いで、目を見開いた。さっきまでの落ち着いた雰囲気が一瞬で吹き飛んで、何かスイッチが入ったみたいな変化だ。
なんだこの人。
やっぱ東堂系統じゃねぇか。
内心でそう思いながら、じっと様子を見る。こういうタイプは、ここから急に距離詰めてきたりするから油断できない。というか、既にちょっと距離詰めてきてる気がする。
「素晴らしい……!」
低く、しかし熱のこもった声が返ってきた。
やっぱりだ。
この流れ、完全に見覚えある。
俺は思わず小さく息を吐いた。なんかもう、こういうのにいちいち驚くのも面倒くさくなってきた。呪術師ってやっぱりどっかズレてる奴多いよな……いや、俺も人のこと言えねぇか。
でもまぁ、悪い感じはしない。
変な人だけど、嫌な感じはないっていうか、むしろ分かりやすい分だけ楽だ。変に取り繕ってる奴よりは、こうやって全部出してくるタイプの方が信用できる気がする。
問題はこの人がどれくらい強いか、だ。
見た目や雰囲気だけじゃ測れないけど、さっきから感じてるこの妙な圧。隠してるようで隠してない、でも掴みきれない感覚。少なくとも、ただの変人で終わるタイプじゃないのは確かだ。
俺は軽く肩を回しながら、その人を正面から見据えた。
さて、どうなる。
九十九由基——日本に存在する特級術師四人の内の一人。
金髪のロングヘアーを揺らし、長身に加えて豊かな曲線を持つその肉体は、単なる見た目の印象だけでも人目を引くものだった。だが、その本質は当然ながら外見ではない。呪術師としての在り方、その思考、その異質さにこそ価値がある存在であり、だからこそ彼女は特級という枠に収まっている。
そんな九十九が、虎杖悠仁を初めて見据えた瞬間——
何も、感じなかった。
それは単なる印象の薄さではない。視界には確かに映っている。そこに人間が立っているという事実も、五感の情報としては完全に成立している。だが、呪術師としての感覚が拾うべきもの——呪力の揺らぎ、圧、気配、そういった“存在の輪郭”が一切引っかからない。
(この子、気配がない。呪力も圧も、何も感じない)
九十九の内心に浮かんだ評価は簡潔だった。
天与呪縛の可能性が頭をよぎる。呪力を持たない代わりに肉体を極限まで強化された存在。だが、それとも違うと即座に否定される。あれは“無い”のではなく、“在るが故に感じ取れない”という種類の違和感だ。
(……天与呪縛じゃないよな)
視線を逸らさずに、ただ観察する。
虎杖悠仁はそこに立っている。間違いなく存在している。だが、その存在は周囲の空間に干渉していないかのように静かで、呪術的な意味での“重さ”がまるで感じられない。異常だった。特級術師である九十九にとってすら、測定不能な状態。
それでも、形式としてのやり取りは必要だ。
「君が虎杖悠仁君だね?どんな女性がタイプかな?」
問いは軽い。
だが、九十九にとってこれは挨拶の一種だ。相手の本質を測るための、極めて単純で、しかし有効なフィルター。くだらない答えを返すようであれば、その程度だと判断するだけの話であり、場合によっては一発叩くこともある。それくらいの温度感の問いだった。
だが返ってきた答えは、想定の範囲を外れていた。
「金髪で背がデカくて尻がデカい人っすね!!!」
虎杖悠仁は躊躇なく、むしろ誇らしげに言い切った。さらにガッツポーズまで添えてくるあたり、迷いも照れも一切ない。
その瞬間、部屋の空気が僅かに歪む。
後方にいた面々の反応はそれぞれだった。釘崎は眉間を押さえ、伏黒は視線を逸らし、乙骨は困ったように頭を掻く。脹相はなぜか感極まったように涙を浮かべ、壊相はよく分からないマッスルポーズを取り、血塗は小さな身体でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
だが、九十九はそのどれも視界に入っていない。
意識は完全に、目の前の少年へと集中していた。
「ッ!!!」
ほんの一瞬。
時間にすれば刹那以下の短さ。
だがその瞬間、九十九の脳内に“何か”が流れ込む。
それは記憶に似ていた。
しかし、確実に自分のものではない。
存在しないはずの光景。
泥にまみれた地面。荒い呼吸。拳を突き出す動作の反復。何度も、何度も、無意味に見えるほど繰り返される正拳突き。その中心にいる少年の姿。
「俺は修行が好きなんだ」
声が響く。
だが、それは耳で聞いたものではない。
直接、内側に刻まれるような感覚。
次の瞬間、その全てが消える。
まるで最初から存在しなかったかのように。
九十九自身ですら、その内容を明確に把握することはできない。ただ、“何かがあった”という感覚だけが、わずかに残る。
そして現実。
目の前には、先程と何も変わらない顔で立っている虎杖悠仁がいる。
理解は追いつかない。
だが——それでいい。
九十九由基という術師は、理解できないものを恐れる側の人間ではない。むしろ逆だ。未知を歓迎し、解析し、踏み込む側にいる。
だからこそ、その口から出た言葉は自然だった。
「素晴らしい……!」
それは純粋な賞賛だった。
外見でも、答えの内容でもない。
その奥にある“何か”に対する評価。
九十九の目が、わずかに細められる。
興味が、確信に変わる瞬間だった。
そして、九十九が口を開いた。
「よし、じゃあ天元の元に向かおうか」
軽い調子の声音だったが、その一言で場の空気が引き締まる。ここに集まっている面々は誰一人として状況を楽観していない。死滅回游という異常事態、その裏にある意図、そして天元という存在に直接触れる必要性——すべてを理解した上での決断だった。
九十九は視線を巡らせる。伏黒、釘崎、乙骨、虎杖、そして脹相達。それぞれが異なる立場と目的を持ちながらも、今は一つの方向へと収束している。その全体像を把握しながら、わずかに頷いた。
だが、その流れに一石を投じる声がある。
「天元様の居所に行くには、1,000以上ある扉の内の一つを引き当てないといけねぇんだろ?それはどうするつもりだ?」
真希が腕を組みながら言った。言葉は簡潔だが、指摘の核心は鋭い。薨星宮へと至る経路は単純ではない。数多の扉の中から正しい道を引き当てる必要がある以上、ただ闇雲に進めば辿り着けるものではない。
九十九が口を開こうとする。
「それは——」
だが、その言葉を遮るように、別の声が重なった。
「俺」
「達に」
「任せてくれ!」
三つの声が揃う。
脹相、壊相、血塗。
それぞれが一歩前に出る形で立ち、視線を真希へと向けた。その表情に迷いはない。むしろ、役割を得たことに対する確信すら感じられる。
「扉から薨星宮へ向かう途中には、高専が呪物や呪具を保管している忌庫があるな」
脹相が口を開く。声は低く、落ち着いているが、その奥には確かな熱があった。
「忌庫には俺たちの弟達……膿爛相・青瘀相・噉相・散相・骨相・焼相の亡骸がある」
その名を挙げるたびに、空気がわずかに重くなる。ここにいる者達の多くは、その名に直接の縁はない。だが、言葉の中に込められた意味は理解できる。単なる物品として保管されているのではない。そこには“繋がり”がある。
「亡骸でも、6人も揃えば……」
壊相が続ける。拳を握りしめながら、言葉を補強するように。
「俺たちで感知できるってわけだぜぇ」
血塗が結論を述べる。理屈としては単純だ。血によって結ばれた存在であれば、肉体が滅びようと完全に断絶するわけではない。その残滓を辿ることで、正しい経路へと導くことができる。
沈黙が一瞬だけ落ちる。
そして——
「Good!」
九十九が軽くウィンクしながら言った。
その反応はあまりにもあっさりとしているが、同時に完全な肯定でもあった。脹相達の提案を、そのまま受け入れる意思表示。余計な確認も、疑問も挟まない。その判断の速さが、彼女が特級である理由の一端を示している。
「それじゃ決まりだね」
九十九はそう言いながら軽く肩を回す。話はまとまった。後は動くだけだ。
だが、その空気の中で、ふと真希が別の方向へと視線を向けた。
「ところでよ、この三人は誰なんだ?」
顎で脹相達を指す。言葉の通り、彼女にとっては初対面に近い存在だ。ここまで自然に会話に混ざっていること自体が、むしろ異質とも言える。
それに対して、間髪入れずに返答が飛ぶ。
「俺の兄ちゃんたちだ!」
虎杖悠仁だった。
迷いもなく、誇らしげに言い切る。その言葉に嘘はない。血の繋がりがどうこうという理屈を抜きにして、彼の中では既に確定している事実なのだろう。
「マジかよ」
真希が素直に驚きを口にする。その反応は当然だ。普通に考えれば、状況の説明がつかない。
だが、その“普通”が通用しないのが、今のこの場だった。
脹相達は特に否定しない。ただ静かに、そこに立っている。その姿は奇妙でありながら、同時に妙な一体感を持っていた。血の繋がりという言葉では片付けられない、しかし確かに存在する“兄弟”という関係。
九十九はその様子を一瞥し、口元に薄く笑みを浮かべる。
理解できるかどうかは重要ではない。
機能するかどうか。
それだけだ。
「面白いね、本当に」
小さく呟き、視線を前へと戻す。
進むべき道は決まった。
薨星宮へ。
天元の元へ。
それぞれの思惑を抱えたまま、一行は次の段階へと踏み出そうとしていた。
宿儺「今……一瞬何か……気のせいか」