武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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現代の術師とは基準が違う。平安の術師だ

 

 

 

 獄門疆。

 

 それは単なる呪物ではない。かつて“生きた結界”と呼ばれた僧——源信の成れの果てであり、術式として固定化された異質な存在だ。その内側には外界とは断絶された空間が広がり、あらゆるものを封じ込める絶対的な封印能力を持つ。

 

 内部では、物理的な時間が流れない。

 

 老いも、飢えも、疲労すらも本来の意味を失う。ただ“在る”という状態だけが持続する。封印期間に制限はなく、一度捕らえた対象は、外部からの解除がない限り永遠にそこへ留め置かれる。

 

 そして——

 

 封印可能な対象は一名のみ。

 

 枠は一つ。既に何かが収まっている限り、新たな封印は成立しない。内部の人間が自ら命を断つか、あるいは封印そのものが解かれない限り、この檻は再び開かれることはない。

 

 だが、その内側に閉じ込められた者に、完全な拘束が与えられるわけではなかった。

 

 空間は存在する。

 

 行動も可能だ。

 

 ただし、そこから外へ出る術がないだけで。

 

 ——その内部。

 

 白でも黒でもない、曖昧な空間の中に、無数の骸骨が転がっていた。

 

 床を埋め尽くすほどの量。

 

 それぞれが異なる形を持ち、異なる時間を経て朽ち果てたものだと分かる。ここに封じられた者達が、外へ出ることも叶わず、やがて自ら死を選んだ結果が、そこには積み重なっていた。

 

 その骸の上を踏みしめながら、一人の男が動いている。

 

 五条悟。

 

 現代最強の術師。

 

 その男は、封印されてなお、止まってはいなかった。

 

 掌が空を打つ。

 

 何もない空間へ向けて、正確な軌道で掌底を突き出す。その動きには一切の淀みがない。無駄な力みもなければ、緩みもない。繰り返し、繰り返し、同じ動作を積み重ねる。

 

 次の瞬間には走り出している。

 

 足場は骸骨だらけの不安定な地面。それでも体幹は揺れず、踏み込みは深い。加速、減速、方向転換、その全てが研ぎ澄まされていく。

 

 さらに負荷を上げる。

 

 関節が悲鳴を上げるような角度で身体を折り、筋肉へ極端な負荷をかける。普通の人間であれば壊れる動きだ。だが、この空間では肉体は破綻しない。だからこそ、限界のその先まで踏み込める。

 

 そして——静止。

 

 座禅。

 

 呼吸を整え、思考を沈め、意識を内側へと潜らせる。時間の流れが存在しないこの空間で、その行為に終わりはない。ただ無限に繰り返される鍛錬の一部として、そこに組み込まれている。

 

 どれだけ続けたかは分からない。

 

 時間の指標が存在しない以上、測る術もない。

 

 だが、確実に変化は積み重なっている。

 

 やがて、五条はゆっくりと目を開けた。

 

 「悠仁に返すの忘れてたな〜コレ」

 

 軽い口調で呟きながら、ポケットへ手を入れる。

 

 取り出したのは、一冊の冊子。

 

 角は擦り切れ、紙は折れ、所々破れている。だが内容は失われていない。丁寧に扱われてきたことが分かる痕跡が、逆にその“使い込まれ方”として残っている。

 

 虎杖悠仁から借りた——いや、借りたまま返していない如来神掌の冊子だった。

 

 「どれどれ……」

 

 軽く頁を捲る。

 

 開いた先に記されているのは、第一の型。

 

 「如来神掌第一の型『仏光初現』ね。前に試したやつだね」

 

 視線を落とし、記述を追う。

 

 そこに書かれている内容は、あまりにも簡潔だった。

 

 『掌に流れを満たし、打つ』

 

 それだけ。

 

 余計な説明はない。理屈も補足もない。ただ動作と結果だけが記されている。

 

 「絵は凄い詳しく描いてるから動きはできるけどさ……」

 

 五条は指で頁をなぞりながら呟く。

 

 描かれている図は精密だ。身体の角度、重心の移動、指先の向きに至るまで細かく示されている。だから“形”は再現できる。

 

 だが——

 

 「『流れ』ってなんなんだろうか?」

 

 そこが分からない。

 

 動作は模倣できる。だが、その中核となる要素が曖昧なままでは、技として成立しない。

 

 五条は頁をめくる。

 

 後半。

 

 最終項目へと視線を移す。

 

 そこに書かれているのは、一文。

 

 『如来神掌最終課題、経絡を開く。さすれば如来神掌は完成する』

 

 「うーむ……」

 

 低く唸る。

 

 経絡。

 

 それは肉体に存在する“流れ”の通り道。

 

 だが、それを“開く”とはどういうことか。

 

 思考を巡らせながら、五条は再び冊子を見下ろした。

 

 この空間には時間がない。

 

 だからこそ——

 

 答えに辿り着くまで、試し続けることができる。

 

 「まぁでも……まだまだ出れなそうだし?とりあえず修行しまくりだね」

 

 軽い口調でそう呟きながらも、その目は既に冊子へと落ちていた。五条悟は迷いなく最初の頁を開く。そこに書かれている言葉は、これまでのどんな高度な呪術理論とも違う、極端なまでに単純で、それゆえに本質だけを突きつけてくる一文だった。

 

 『水に向かって掌を打つべし、流れを捉えられなければ、流れは起こり得ない』

 

 「ここに水はないから空に向かって打つしかないんだよね〜」

 

 肩を竦めながらも、五条は躊躇しない。構えを取り、掌を前へ突き出す。空間には何もない。だが、それでも動作は変わらない。水があるかどうかは本質ではないと、すぐに理解したからだ。重要なのは“打つ”という行為の中で何を捉えるか、その一点に尽きる。

 

 掌が空を裂く。

 

 一度、二度、三度——やがてその数は容易に数えられる域を超えていく。動作は反復され、精度を増し、無駄が削ぎ落とされていく。肩から腕、腕から掌へと連なる連動が洗練され、力の伝達はより直線的に、より鋭く変化していく。

 

 だが、“流れ”は掴めない。

 

 感じるものはある。呪力の移動、筋肉の収縮、骨格の連動、それらは全て把握できる。だが、それらを束ねる“何か”が、まだ曖昧なままだった。

 

 それでも五条は止めない。

 

 「一万回くらいやればなんか分かるでしょ」

 

 軽く言い放ち、そのまま数を重ねていく。回数を重ねるごとに、意識の向け方が変わる。単なる動作の反復から、感覚の探索へと移行していく。どこに力が入り、どこが抜けているのか。どこで途切れ、どこで繋がっているのか。その全てを一つ一つ確かめるように、掌を打ち続けた。

 

 やがて頁をめくる。

 

 『全力で走り、走り、走る。それは流れとなる事と同義』

 

 「意味分からんけど走ります」

 

 即断だった。

 

 次の瞬間には、五条の身体は既に動き出している。足元に広がるのは無数の骸骨。踏み場としては最悪に近い。だが、その不安定さが逆に感覚を研ぎ澄ませる。踏み込みの角度、接地の瞬間、重心の移動、その全てに意識が向く。

 

 速度を上げる。

 

 加速に伴い、身体の各所で“繋がり”が強調されていく。脚の動きが腰へ伝わり、背骨を通って上半身へと抜ける。腕の振りがバランスを取り、呼吸がリズムを整える。その全てが一連の連動として成立し始める。

 

 走る。

 

 ただひたすらに。

 

 思考を挟まず、動作に没入する。やがて“走っている”という意識すら薄れ、ただ前へ進む存在へと近づいていく。個々の動作ではなく、全体としての運動。その総体が“流れ”に近い何かを形成し始めていた。

 

 だが、それでも掴み切れない。

 

 五条は止まらずに頁をめくる。

 

 『柔剛一体。筋は剛を生み、骨は柔を生む』

 

 「悠仁みたいにエゲツない角度の筋トレ!」

 

 笑いながらも、次の瞬間には身体を折り曲げている。常識では考えられない角度で関節を使い、筋肉へ負荷をかける。力を込めるだけではなく、抜くことも同時に求められる。剛と柔、その両立。単純な筋力強化ではない、制御の問題だ。

 

 力を入れれば硬くなる。

 

 だが硬さは動きを阻害する。

 

 逆に抜けば柔らかくなるが、力は伝わらない。

 

 その境界を探る。

 

 筋肉が震え、骨格が軋む。だが五条は止めない。負荷を調整しながら、どの状態が最も“繋がる”のかを探り続ける。身体全体が一つの塊ではなく、連動する部位の集合体として認識され始める。

 

 さらに頁をめくる。

 

 『明鏡止水、己の肉体の流れを掴め』

 

 「心を無にするって意外と難しいよね」

 

 そのまま座り込む。

 

 胡坐をかき、背筋を伸ばし、目を閉じる。呼吸を整え、意識を内側へと沈める。外界は存在しない。この空間には干渉するものが何もない。だからこそ、己の内面に向き合うしかない。

 

 思考を止める。

 

 だが完全には止まらない。

 

 雑念は浮かぶ。だがそれを否定しない。ただ流す。意識を一点に留めず、漂わせる。その中で、身体の内側へと注意を向けていく。

 

 心臓の鼓動。

 

 呼吸の上下。

 

 筋肉の緊張と弛緩。

 

 それらを一つ一つ感じ取る。

 

 やがて、それらが独立した現象ではなく、連続した一つの流れとして繋がり始める。だが、それを“掴む”には至らない。触れかけて、すり抜ける。

 

 五条は目を開ける。

 

 「なるほどね〜……分かりそうで分からないやつだこれ」

 

 冊子を閉じることはない。

 

 再び最初の頁へと戻る。

 

 掌を打つ。

 

 走る。

 

 鍛える。

 

 沈める。

 

 その循環を、ただひたすらに繰り返す。

 

 時間の存在しないこの空間で、終わりはない。

 

 だがそれでも五条悟は、確実に近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「とりあえず情報の整理はできたな。あとはそれぞれの役割だ。由基さんと脹相、壊相、血塗が天元様の護衛。私は禪院家に戻って呪具の回収」

 

 真希さんの声は淡々としてるけど、決断は早いし迷いがない。さっきまで天元様と話してた内容が頭の中でぐるぐるしてる最中でも、その全部を一旦区切って次に進む感じ、やっぱこの人すげぇなって思う。

 

 俺も頭の中で整理してみる。

 

 夏油傑……いや羂索。あいつの目的は日本丸ごと巻き込んで人間を進化させること。そのために真人の術式を使って一般人を術師に変えて、死滅回游っていう殺し合いを始めた。北海道以外の十ヶ所にコロニーがあって、その中でルール付きの戦闘を強制されるとか、正直ゲームって呼ぶには悪趣味すぎる内容だ。

 

 でも、それも全部前準備に過ぎない。

 

 人間を呪いに慣らして、最後に天元様と同化させる。その結果どうなるかは、さっき聞いた限りだとマジで洒落にならない。個人の境界が消えて、悪意が一気に広がるとか、想像しただけでヤバいのが分かる。

 

 ……止めるしかねぇだろ、こんなの。

 

 それにもう一つ。

 

 獄門疆『裏』。

 

 天元様から受け取ったそれは、見た目はただの箱なのに、触れてると妙に重い感じがする。物理的な重さじゃなくて、もっと奥にある何かが詰まってる感じだ。これで五条先生を助けられる可能性がある。ただし術式の無効化が必要らしい。そこが問題だけど、手段がゼロじゃないってだけでだいぶ違う。

 

 術式の無効化の手段ってのは特級呪具『天逆鉾』と『黒縄』というやつがあったんだけど……これは五条先生が色々やったらしく、現状入手不可。何やってんすか五条先生って感じだが仕方ない。

 

 でも東京の東側のコロニーに『術式を消滅させる術式』を持ってる千年前の術師、来栖華って人がいる。その人を探すのも目的の一つだ。

 

 「憂太は?」

 

 真希さんが乙骨先輩に視線を向ける。

 

 「僕は早速結界に入って回游に参加するよ。津美紀さんや伏黒君達が回游に参加する前に、少しでも情報を集めたい。それに点を稼いでこちら側に有利に働くようにルール追加できればって感じだけど、連絡の手段がなぁ……」

 

 さらっと言うけど、それめちゃくちゃ大変じゃねぇか?コロニー一つ一つが戦場みたいなもんなのに、それを回るって普通に危険度高すぎるだろ。でも乙骨先輩の顔は落ち着いてて、やるって決めてる顔だ。

 

 だったら——

 

 「あ!俺も俺も!」

 

 反射で手が上がってた。

 

 考えるより先に身体が動いた感じだ。危ないとかそういうのは頭に浮かばなかった。むしろ、行くべきだって感覚の方が強い。さっきまで死んでたとは思えないくらい、身体が軽いし、やれる気しかしない。

 

 乙骨先輩が少しだけ驚いた顔をしてから、すぐに頷く。

 

 「じゃあ虎杖君は西の方へ行ってくれるかな?僕は東側を回る。連絡の手段は追々なんとかしよう」

 

 分担ってやつだな。合理的だし、効率もいい。

 

 「了解っす!」

 

 即答だった。

 

 西だろうが東だろうが関係ない。コロニーに入って、ポイント稼いで、ルールをいじれるようにして、止める。それだけだ。

 

 「よし、憂太と悠仁はそれで決まりだな。恵と野薔薇は予定通り秤のとこ行け」

 

 真希さんの一言で、全体の動きが一気に固まる。秤っていうのは前に聞いたことがある。問題児だけど実力は本物ってやつだ。伏黒と釘崎がそっちに行くのも納得だ。

 

 「了解」

 

 伏黒が短く返す。その顔は真剣そのものだ。津美紀さんのこともあるし、気合いの入り方が違うのが分かる。

 

 「ま、派手にやってやるわよ」

 

 釘崎も肩を回しながら言う。いつも通りの強気な顔だけど、目の奥はちゃんと状況を見据えてる。こいつもやる気満々だ。

 

 脹相たちは少し離れた位置でこっちを見ている。

 

 「悠仁、無茶はするなよ!」

 

 脹相が低い声で言う。その言葉にちょっとだけ笑いそうになる。

 

 「無茶しなきゃ無理っしょ、これ」

 

 正直に返すと、脹相は一瞬だけ言葉に詰まって、それから小さく息を吐いた。

 

 「……なら、生きて戻れ。それだけだ。俺たちも必ず生き残る。そしたらまた皆で遊ぼう」

 

 ああ、なるほどな。

 

 そういうことか。

 

 「任せろって」

 

 軽く拳を握る。

 

 中を流れる“流れ”が、前よりもはっきりと感じられる。意識を向けるだけで、全身がちゃんと応えてくる。この感覚がある限り、そう簡単にはやられねぇ。

 

 それに羂索。

 

 あいつのことも、頭から離れない。

 

 母ちゃんの体を使って、俺を作ったとか、まだ全部は飲み込めてない。でも、放っておく気はない。あいつがやろうとしてることも含めて、全部ぶっ壊す。そのためにも、まずは……

 

 「よし、行くか!!」

 

 自然と口から出た言葉に、身体が前へ出る。

 

 やることは決まってる。

 

 あとは、それをやるだけだ。

 

 

 「少し待ってくれるかな、虎杖君」

 

 

 白い空間の縁に足をかけたところで、不意に呼び止められる。振り返ると、天元様はさっきと同じ場所に立っているはずなのに、距離の感覚が妙に曖昧で、近いのか遠いのか分からなくなるような奇妙な存在感を放っていた。

 

 「お?」

 

 軽く返しつつ、俺は一歩戻る。背中越しに、仲間たちがそのまま出口へ向かう気配が流れていく。

 

 「俺たちは先に出てるぞ」

 

 伏黒の声が聞こえた。

 

 「おう」

 

 短く返して、視線を天元様に戻す。こういう時に足を止められるってことは、ただの雑談じゃないのは分かる。

 

 「天元、あまり時間をかけるなよ」

 

 横から九十九さんが口を挟む。腕を組んだまま、わずかに顎を引いて天元様を睨んでる感じがする。あの人、基本軽そうに見えるけど、こういう時はちゃんと圧がある。

 

 それにしても——

 

 脇で脹相たちが妙にテンション上がってるのが視界に入る。小刻みに身体揺らしたり、意味もなく腕組んだり、なんかよく分からんポーズ取り始めたりと、落ち着きがない。

 

 いや気持ちは分かるけど今じゃねぇだろ。

 

 「……ちょっと静かにしてくんね?」

 

 小声で言うと、三人ともピタッと止まった。言えば止まるんかい。

 

 「虎杖君、君は西側の結界を回ると言ったな」

 

 天元様の声が再び空間に満ちる。響きは静かなのに、確実に意識を引き寄せる力がある。

 

 「そうっすね」

 

 頷きながら答える。さっき決まったばかりの役割で、そこに迷いはない。

 

 「京都にあるコロニーに入る際は、少し気をつけたほうがいいかもしれない」

 

 その一言で、空気の温度がわずかに変わったように感じた。ただの注意じゃない、何か具体的な危険があると分かる言い方だ。

 

 「なんで?」

 

 間を置かずに問い返す。曖昧なまま動くのは危険すぎる。何に警戒すればいいのかを知る必要がある。

 

 天元様はほんの一拍置いてから答えた。

 

 「京都には、君に宿る宿儺を狙う者がいる」

 

 その言葉が落ちた瞬間、胸の奥に引っかかる感覚が生まれる。俺じゃなくて、宿儺を狙う存在。つまり、俺を通してあいつに辿り着こうとするやつがいるってことだ。

 

 「……俺じゃなくて、宿儺か」

 

 思わず口に出して確認する。自分が狙われるのとは違う意味で、状況が少しだけ変わる気がした。

 

 その時、頭の奥で低い笑いが響いた。

 

 「『京か……ククッ』」

 

 いつもの嘲るような笑いじゃない。どこか懐かしむような、楽しみにしているような、そんな混じり方をした声だった。

 

 「なんだよ、知ってんのか?」

 

 意識の内側に問いかける。こういう反応をする時は、大体こいつは何かを知っている。

 

 「『知り合いと言えば知り合いだ。退屈しのぎには丁度いい相手だったな』」

 

 軽く言っているが、その裏にある意味は軽くない。つまり、過去に戦ったことがある相手、それも宿儺が“退屈しのぎ”と呼ぶレベルの存在。

 

 「『小僧、お前も楽しめるだろうよ』」

 

 ……嫌な予感しかしない。

 

 こいつが楽しめって言う時は、大抵とんでもない相手が来る。

 

 俺は小さく息を吐いてから天元様に視線を戻す。

 

 「そいつ、どれくらい強いんすか?」

 

 聞きながらも、答えはある程度分かっている。宿儺が興味を示す時点で、普通の術師じゃない。

 

 「現代の術師とは基準が違う。平安の術師だ」

 

 やっぱりな。

 

 言われた瞬間、身体の奥がじわりと熱を帯びる。恐怖じゃないし、単なる緊張でもない。もっと別の、戦いに向かう時の感覚が静かに広がっていく。

 

 「……いいっすね」

 

 思わず口元が緩む。強いやつと戦える、その事実に対して否定的な感情は一切浮かばない。

 

 ただし、さっきの戦いを思い出して、すぐに意識を引き締める。凌いだと思った瞬間に背後から刺される、あの一撃は完全に油断だった。

 

 「でもまぁ、油断はしないっすよ」

 

 肩を回しながら言う。あれをもう一度やるつもりはない。

 

 天元様はわずかに頷いた。

 

 「理解しているようで何よりだ。あの時代の術師は理ではなく本能で戦う者が多い。予測が難しい」

 

 理屈じゃなく感覚で来る相手。読みづらいが、それだけに隙もあるはずだ。

 

 「上等っす」

 

 短く返すが、その中に決意はしっかり乗せる。どう来るか分からないなら、その場で全部捌けばいい。

 

 今の俺なら、それができる気がしている。理由はうまく言えないが、この“流れ”がはっきり見えている限り、対応できるという確信だけは揺らがない。

 

 「話は以上だ。気をつけて行きなさい」

 

 静かな締めの言葉が落ちる。

 

 「了解っす」

 

 軽く手を上げて応え、踵を返す。白い空間の出口へと向かいながら、頭の中ではもう次の行動が組み立てられていく。

 

 京都のコロニー、平安の術師、宿儺を狙う存在、そして羂索。

 

 全部まとめて相手にするしかない。

 

 そう思った瞬間、胸の奥がわずかに高鳴る。その感覚をそのまま抱えたまま、俺は一歩前へ踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死滅回游——北海道を除く日本各地に張り巡らされた結界の内部で、術師と非術師を巻き込んだ強制的な殺し合いが行われる異常な術式体系。その結界は十ヶ所に分かれ、それぞれが独立した“コロニー”として機能していた。外界とは隔絶され、内部では生存のための闘争が日常となり、命の価値は著しく軽くなる。逃げ場はなく、終わりも見えない。その構造そのものが、人間を追い詰めるために設計されている。

 

 その一つ——京都府、比叡山を中心に張られたコロニー。

 

 古来より霊的な要所とされてきたその地は、今や別種の意味で“濃い”。

 

 空気は淀み、呪力の流れは滞り、視界の奥に常に何かが蠢いているような感覚が付き纏う。そんな空間の中で、一人の術師が戦っていた。

 

 「フッ」

 

 短い息が漏れる。

 

 その瞬間、黒き雷が迸った。

 

 ただの光ではない。空間そのものに亀裂を走らせるような質量を伴い、軌跡を残しながら一直線に伸びる。雷光は音よりも先に到達し、対象へと吸い込まれるように迫る。その速度は視認することすら困難であり、回避という選択肢を最初から削ぎ落としている。

 

 次の瞬間、拳が叩き込まれた。

 

 肉体に触れたその一点から、黒き雷が爆ぜる。衝突の瞬間、空間が歪む。視覚的には一瞬の揺らぎに過ぎないが、その内部で発生している現象は常識の範疇を逸脱していた。圧縮された呪力が解放され、時間と空間の接続がわずかにズレることで、通常の打撃とは比較にならない威力が叩き出される。

 

 術師の身体がくの字に折れ曲がる。

 

 骨が軋み、内臓が押し潰される感覚が一瞬で全身を駆け抜ける。だがその苦痛を認識するよりも早く、衝撃は肉体を吹き飛ばしていた。地面を抉りながら後方へと弾かれ、転がる間もなく瓦礫に叩きつけられる。

 

 『黒閃』

 

 それは呪力を用いた戦闘において、ごく稀に発生する現象。

 

 打撃との誤差が0.000001秒以内に収まった瞬間、呪力が肉体と完全に同期し、空間に歪みを生じさせる。その結果として生まれる威力は、通常の打撃を遥かに上回り、平均で2.5乗という異常な増幅を伴う。

 

 理論としては存在する。

 

 だが、それを“意図的に”叩き込むことは極めて困難とされている。

 

 その一撃を、まるで呼吸の延長のように繰り出したのは一人の女性だった。

 

 長い黒髪を背に流し、スカジャンの背には龍が刺繍されている。デニムのハーフパンツにサンダルという軽装でありながら、その立ち姿には隙がない。捲られた袖から覗く腕は、女性らしさを残しつつも明確に鍛え上げられており、ただの見た目ではない実戦の蓄積を物語っている。

 

 黒き雷光が、彼女の周囲でわずかに揺らぐ。

 

 それは残滓でありながら、未だに空間へ干渉し続けていた。

 

 平安の時代に名を刻んだ呪術師。

 

 強者を求め、戦いを渇望し、そして——宿儺を討つために。

 

 羂索と契約を交わし、自らを呪物へと変じ、時を越えて現代に受肉した存在。

 

 源頼光。

 

 別名——黒きライコウ。

 

 吹き飛ばされた術師は、既に戦意を失っていた。立ち上がることすら叶わず、ただ地に伏したまま息を荒げている。だが、頼光の視線はそこにはない。倒した相手に興味はない。彼女にとって価値があるのは、より強い存在のみ。

 

 拳を握る。

 

 その指先に、再び黒い雷が集まり始める。だが、それは解放されることなく静かに収束した。

 

 「宿儺……」

 

 呟きが漏れる。

 

 その名を口にした瞬間、空気がわずかに震える。遥か彼方にいるはずの存在へと、確かに意識が繋がるような錯覚。あるいは、それは錯覚ではないのかもしれない。

 

 視線が空へと向けられる。

 

 曇った空の向こう側、そのさらに先を見据えるように。

 

 次の瞬間——黒き雷が迸った。

 

 そのまま姿が掻き消える。音も、残像も、置き去りにすることなく、ただ“そこからいなくなる”という現象だけが残る。残されたのは、地面に刻まれた焼け焦げた痕跡と、遅れて響く微かな轟音のみ。

 

 源頼光は動き出した。

 

 目的はただ一つ。

 

 最強へ至るための、闘争へ。

 

 

 そして同じ京都コロニーの別の一角。

 

 比叡山から流れ落ちる霊的な濃度がまだ残る区域とは対照的に、そこは人の痕跡が色濃く残された場所だった。崩れかけた建物、瓦礫で塞がれた道路、その合間に無理やり確保された空間。そこに集められたのは、呪術とは無縁だったはずの非術師達だ。怯え、疲弊し、それでも互いに身を寄せ合いながら生き延びている。

 

 簡素な布で仕切られた避難所のような形。外周には瓦礫を積み上げた防壁が築かれ、その内側に人々が集まっている。だが、それは完全な安全を保証するものではない。結界の内部である以上、術師がその気になれば簡単に侵入できる。だからこそ——そこには一人の男が立っていた。

 

 外縁部。

 

 防壁の前に、ただ一人。

 

 「オラァッ!!!」

 

 怒号と共に、腕が振るわれる。

 

 それは“振るう”という言葉では足りない。叩きつける、というよりも、空間ごと押し潰すような一撃だった。拳が空気を裂き、圧縮された呪力が肉体の動きと完全に同期することで、前方へと暴力の塊が解き放たれる。

 

 対峙していた術師が術式を展開する。

 

 結界のような防御を張り、攻撃を逸らそうとするが——意味をなさない。

 

 拳は術式ごと叩き割った。

 

 防御の構造そのものが耐えきれず、ガラスのように砕け散る。次の瞬間には、その内側にあった肉体へと衝撃が到達していた。

 

 術師の身体が宙に浮く。

 

 骨格が悲鳴を上げ、内臓が押し潰される。受け身を取る余裕もなく、そのまま後方へと吹き飛び、瓦礫の山に叩きつけられた。衝突音と共に粉塵が舞い上がり、視界を一瞬覆い尽くす。

 

 それだけで終わりだった。

 

 術式『怪力無双』

 

 呪力をそのまま膂力へと変換する、極めて単純な術式。だが単純であるが故に、余計な干渉が存在しない。純粋な出力として肉体へと還元されるその力は、使用者の鍛錬次第で際限なく増幅される。

 

 そして——

 

 その術式を扱う男の肉体は、常軌を逸していた。

 

 二メートルを優に超える巨躯。筋肉は鎧のように全身を覆い、動くたびにその密度が視覚的に伝わってくる。袖と裾が弾け飛んだ学ランを無造作に羽織り、露出した腕には無数の傷痕が刻まれている。それらはすべて、戦いの積み重ねの証だった。

 

 底の見えない呪力が、静かにその体内で渦巻いている。

 

 暴発することも、外へ溢れることもない。ただ内側に圧縮され、必要な瞬間にだけ解き放たれる。それは制御というよりも、本能に近い。

 

 平安の術師。

 

 呪霊と人間の血を引く存在。

 

 自然との調和を重んじ、力を振るう理由を常に他者へと向ける男。

 

 黒きライコウの配下にして、その右腕。

 

 同じく呪物として時を越え、現代に受肉した者。

 

 坂田金時——通称、『金太郎』

 

 瓦礫の向こうで、術師が動かなくなる。

 

 それを確認しても、金時は追撃を行わない。必要以上に痛めつけることも、命を奪うことに執着することもない。ただ、その場から脅威が排除されたかどうか、それだけを判断基準としている。

 

 背後から、かすかなざわめきが聞こえる。

 

 避難所に集まった者達の気配だ。恐怖と安堵が入り混じった視線が、彼の背中に集まっている。それを振り返ることはしない。ただ、そこに守るべきものがあるという事実だけを認識している。

 

 金時はゆっくりと息を吐いた。

 

 肺に溜まった空気が、静かに外へと押し出される。その動作一つとっても、無駄がない。戦闘の余韻を残したまま、しかし完全に次へと意識を切り替えている。

 

 「……」

 

 言葉はない。

 

 無口というよりも、必要がないだけだ。

 

 視線が前へと向けられる。

 

 まだ終わっていない。

 

 この結界の中で、戦いは続いている。強者も、弱者も関係なく、ただ生き残るために争い続けている。その中で、自分が何をするべきかは明確だった。

 

 拳を握る。

 

 その中に込められた力は、破壊のためではなく——守るためにある。

 

 坂田金時は、一歩前に踏み出した。

 

 次に現れる脅威へと向かって。




天元「スッゴイ眩しいね」
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