武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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き、気持ちいぃ……

 

 

 

 「フッ」

 

 虎杖悠仁が掌を前へと静かに突き出した瞬間、そこに集約された圧が音もなく膨張し、目には映らぬ掌の形をした波動となって空間を押し広げた。それは単なる衝撃ではなく、周囲の空気そのものを巻き込みながら前方へと進む不可視の圧であり、直線的に飛ぶというよりも“押し潰す”性質を持った一撃である。

 

 源頼光はそれを視認してはいない。だが、皮膚を撫でる空気の歪みと、足元から伝わる圧の変化、そして何よりも生来の勘が告げる“避けろ”という直感によって、その存在を察知した。身体が思考よりも先に反応し、軌道を捻じ曲げるように身を滑らせると同時に、彼女はそのまま攻勢へと転じる。

 

 一気に踏み込む。

 

 黒き雷が迸る。

 

 術式——超躍電導が発動し、呪力を電気質へと変換されたエネルギーが脳、神経、筋肉のすべてに同時に流れ込み、神経伝達は極限まで加速され、筋繊維は常識を超えた速度で収縮する。髪が逆立ち、筋肉が隆起し、肉体は瞬間的に最適化された戦闘形態へと移行する。

 

 その結果として生まれる動きは、もはや“速い”という言葉では表現しきれない。踏み込みの時点で空間との摩擦が希薄になり、放たれる拳は雷速に等しい域へと到達する。通常の視覚では捉えることすらできない一撃が、一直線に虎杖の急所を穿つ軌道で放たれた。

 

 だが——

 

 虎杖悠仁は、それを“見ていた”。

 

 視覚ではない。流れとして。

 

 筋肉が動く前の微細な予兆、重心の移動、空気の裂け方、それらすべてが一本の連続した線として認識され、その終点が自然と導き出される。虎杖はそこへ腕を差し込み、衝突の中心を外す形で受け流しながら、そのまま頼光の腕を掴み取った。

 

 止める。

 

 完全に。

 

 関節の可動域と筋の流れを正確に捉え、逃げ場を潰すことで、その一撃の続きが成立しない位置へと固定する。超躍電導によって引き上げられた膂力を前にしてもなお、その拘束は崩れない。

 

 そして——

 

 虎杖は反対の拳を握る。

 

 力を込めるのではない。

 

 集める。

 

 肉体の内側を巡る“流れ”を一点へと収束させ、外へと押し出すための準備を整える。全身の連動が、ただ一つの動作へと集約される。

 

 「第四式——」

 

 その言葉と同時に、虎杖の拳が開かれる。

 

 掌が前へと伸びる。

 

 突きではない。

 

 刺突。

 

 指先を揃え、空間ごと貫くように前へと送り出すそれは、貫手と呼ぶに相応しい軌道で頼光の胴体へと迫る。接触よりも先に圧が先行し、皮膚を押し込み、内部へと侵入する力が形成されていく。

 

 「『仏問迦藍』」

 

 当たれば必殺。

 

 衝突の瞬間に外側を破壊するのではなく、内部へと力を浸透させ、内側から爆砕する。門をこじ開けるように貫き、その内側を破壊する技である。

 

 だが——頼光はそれを“掴んだ”。

 

 常軌を逸した反射神経が、到達する寸前の軌道に手を差し込み、貫手の進行を止める。黒き雷が指先へと集中し、筋肉がさらに収縮することで、内部へと浸透しようとする力を外側で押し留める。

 

 衝突。

 

 だが貫通はしない。

 

 頼光の手が、虎杖の掌を完全に封じている。

 

 互いに腕を掴み合う形となり、両者の動きが一瞬だけ止まる。

 

 静止。

 

 しかしそれは均衡ではない。次の動作へ移るための、わずかな溜めに過ぎない。

 

 そして頼光の目が細まる。

 

 その技を、確かに見覚えがあった。

 

 「その技……まさか如来神掌」

 

 驚きと、確信が混ざった声。

 

 対する虎杖は、掴まれたままの距離で問い返す。

 

 「知ってるのか?」

 

 その短いやり取りの裏で、両者の筋肉は既に次の衝突へ向けて収縮を始めていた。

 

 「知ってる。天より降る掌法、その掌は寂滅の掌であり、破壊を齎らすものでもある」

 

 源頼光は虎杖悠仁の掌を掴んだまま、わずかに口元を歪めてそう告げた。その声には確信と、そしてどこか懐かしさにも似た響きが混ざっている。単なる知識ではない、実際に見聞きし、あるいは対峙した記憶の断片が、その言葉の奥に宿っていた。

 

 互いの腕は未だ絡み合ったまま。

 

 離れれば即座に決着へと繋がる距離でありながら、あえて引かない。いや、引けない。掴んでいる側も、掴まれている側も、その状態を維持したまま次の手を探っている。

 

 頼光の瞳が、さらに深く虎杖を覗き込む。

 

 「……平安の時代でも噂はあったわ。実在するかどうかすら定かじゃない、伝承の中の技法……それを今、目の前で使ってる」

 

 言葉を重ねながらも、頼光の身体は止まっていない。超躍電導によって極限まで強化された神経は、掴んだ掌から伝わる微細な力の流れを余さず拾い上げ、次の動作へと繋げる準備を整えている。

 

 同時に筋肉が膨張する。

 

 ただ力任せに振りほどくのではなく、関節の角度、筋繊維の方向、すべてを計算した上で最も効率よく拘束を崩すための動きへと移行していく。

 

 「面白いわ……本当に」

 

 その瞬間、頼光の脚が動いた。

 

 掴まれている腕を支点にしながら、身体を捻り、もう片方の脚を鋭く振り上げる。膂力と速度を兼ね備えた蹴撃は、空気を裂きながら虎杖の側頭部へと迫る。

 

 だが虎杖もまた、止まってはいない。

 

 蹴りが放たれるよりも前に、その“流れ”を読み取り、重心をわずかに落とすことで衝撃の通り道をずらす。同時に掴んでいた腕を引き寄せ、頼光の軸を崩そうとする。

 

 そして衝突、鈍い音と共に空気が爆ぜる。

 

 完全には避けきれない蹴撃が虎杖の腕に当たり、その衝撃が骨を震わせるが、直撃はしていない。逸らされている。

 

 そのまま両者は同時に力を解放した。

 

 弾ける。

 

 互いに一歩ずつ距離を取る形で後退し、地面を抉りながら着地する。わずかに開いた間合いの中で、再び対峙する。

 

 頼光の肩が上下する。

 

 呼吸は乱れていない。

 

 だが興奮は確実に増している。

 

 「その掌……いいわ。壊すためにある技、だけど同時に“終わらせる”ための形をしてる」

 

 頼光はゆっくりと構え直す。右腕を前へ、左を引き、重心を低く保ちながら、次の踏み込みに備える。

 

 黒い雷が再び迸る。

 

 先程よりも濃く、鋭く、明確に殺意を帯びている。

 

 「でもね——」

 

 頼光の目が細まる。

 

 その視線は虎杖の奥、そのさらに奥を見据えている。

 

 「それでも足りないわ。あの男を引き摺り出すには」

 

 宿儺。

 

 その名を口にせずとも、意味は明白だった。

 

 対する虎杖は、静かに構えを保ったまま応じる。

 

 「出さないって言ってるだろ」

 

 短く、だが揺るぎない言葉。

 

 その声音には迷いがない。

 

 頼光はそれを聞いて、わずかに笑う。

 

 「なら、壊すしかないわね」

 

 次の瞬間——

 

 地面が砕けた。

 

 頼光の踏み込みが、先程よりもさらに深く、鋭く、そして速い。超躍電導によって引き上げられた出力が限界を一段階超え、筋肉の膨張と同時に空間そのものを引き寄せるかのように距離を潰す。

 

 拳が来る。

 

 それも一つではない。

 

 連撃へと移行した頼光の動きは、もはや一撃ごとの区切りが存在しない領域へと踏み込んでいた。超躍電導によって加速された神経伝達は思考と動作の遅延を消し去り、筋肉の収縮は限界を越えて連続し、その結果として生まれる打撃は“同時”と錯覚するほどの密度で虎杖へと降り注ぐ。拳は直線ではなく、わずかな弧を描きながら死角を縫い、次の一撃へと滑らかに接続され、空間そのものを押し潰すような圧を伴って迫る。

 

 だが虎杖は崩れない。

 

 その視界に映るのは個々の拳ではなく、それらすべてを繋ぐ一本の流れであり、連続する動作の終着点を先取りすることで、最小限の動きで応じることが可能となっている。掌を差し込む位置は常に的確で、真正面から受けることを避けながらも決して逃げず、衝突の中心を外して力の向きを逸らし、余剰となった圧を外へと流すことで致命的な崩壊を回避していく。

 

 弾き、逸らす。

 

 その一つ一つの動作は単純に見えて、実際には極めて精密な制御の上に成り立っている。わずかに角度が狂えば骨が砕け、遅れればそのまま打ち抜かれる。だが虎杖の動きは常に“間に合っている”のではなく、“先に置かれている”。

 

 そして衝突のたびに黒い雷が迸る。

 

 それは単なる視覚的な現象ではない。打撃と呪力の一致、その誤差が極限まで削ぎ落とされた瞬間に発生する空間の歪み——『黒閃』が、頼光の一撃一撃に伴って連続的に発生している証左である。空気が裂け、衝撃が圧縮され、通常であれば偶発的にしか起こり得ない現象が、連鎖するように空間へ刻み込まれていく。

 

 黒閃とは、本来“狙って起こすものではない”。

 

 発動した瞬間、術者は呪力の核心へと踏み込む。普段は意識して制御しているはずの呪力操作が、呼吸のように自然なものへと変質し、出力そのものも一段階上へと引き上げられる。その状態は一種の“ゾーン”に近く、成功すればするほど感覚は研ぎ澄まされ、精度は増し、さらなる成功へと繋がっていく。

 

 だが通常、そこへ至るのは偶然に近い。

 

 いかなる術者であっても、完全に意図して黒閃を発生させることはできない。例外的な視覚情報(六眼)を持つ者でさえ、その発生条件を正確に再現することは不可能とされている。

 

 しかし、源頼光は違う。

 

 頼光の術式によって生み出される黒き雷は、単なる視覚的な演出ではなく、周囲の環境へも干渉している。空気中の水分、温度、微細な電位差、それらを瞬間的に整え、黒閃発生の前提となる条件を“強制的に満たす”役割を担っている。そして同時に、神経と筋肉の同期を極限まで高めることで、打撃と呪力の重なりの誤差を限りなくゼロへと近づける。

 

 結果として、偶然ではなく必然として黒閃が発生する。

 

 環境と肉体、その両方を同時に支配することで成立する、極めて特異な再現。

 

 頼光はそれを無意識に、あるいは本能的に行っている。

 

 黒閃が一度発生すれば、術者は呪力の核心へと一歩踏み込む。操作は呼吸のように自然となり、出力は跳ね上がり、感覚は研ぎ澄まされる。そしてそれが連続すればするほど、その状態は深まり、さらに高い精度で次の黒閃を引き起こすことが可能となる。

 

 今の頼光は、その循環の中にいる。

 

 打つ。

 

 黒閃が起こる。

 

 感覚が研ぎ澄まされる。

 

 さらに精密に打つ。

 

 また黒閃が起こる。

 

 その繰り返しが、際限なく積み重なっていく。

 

 だが——その中にあっても、虎杖悠仁は崩れない。

 

 視線は一点に固定されているわけではない。むしろ全体を捉えている。連撃のすべてを個別に見るのではなく、それらを繋ぐ流れとして認識し、その中で最も効率的な介入点を選び取っている。

 

 掌を差し込む。

 

 角度をわずかにずらす。

 

 衝突の中心を逸らし、力の方向を変える。

 

 弾いて、逸らす。

 

 必要な分だけ受け止め、余剰を外へと逃がす。

 

 単純な動作に見えて、その実、極めて精密な制御が行われている。黒閃によって強化された打撃を正面から受ければ、いかに虎杖であっても無事では済まない。だからこそ、真正面ではなく“流れの中”で対処する。

 

 衝突のたびに、地面が沈む。

 

 空気が裂け、周囲の木々が軋み、根元から揺らぐ。

 

 それでも、両者は止まらない。

 

 頼光の目が細まる。

 

 その奥に浮かぶのは、明確な歓喜だ。

 

 「……いいわね」

 

 抑えきれない衝動が、その一言に滲む。

 

 目の前の少年は、ただ耐えているのではない。黒閃を連続発生させるという異常な攻勢の中で、それを理解し、適応し、なお正面から応じている。

 

 だからこそ——頼光の踏み込みが、さらに深くなる。

 

 黒い雷が一段と濃く迸り、空間そのものを引き寄せるかのように距離を潰す。

 

 そして次の瞬間、源頼光の拳が虎杖悠仁の肉体へと到達した。

 

 それは単純な打撃ではない。連続する黒閃によって研ぎ澄まされた精度と出力が、超躍電導によって整えられた環境と神経加速によって極限まで一致し、流れを読んで合わせられたはずの防御の一点だけを捻じ曲げるように通過し、その縁を擦り抜けた一撃が肉体へと到達したのである。その瞬間、衝撃は表層で拡散することなく内部へと潜り込み、骨と内臓を同時に揺らしながら遅れて外へと爆ぜる圧へと変換された。

 

 「グフッ!」

 

 虎杖の身体がくの字に折れ曲がり、肺の空気が強制的に押し出されると同時に、そのまま地面から浮き上がる。外側の破壊ではなく内側を直接揺さぶる打撃は、肉体の制御を一瞬奪うには十分だったが、頼光はその僅かな空白すら見逃さない。踏み込みと同時に重心を前へ送り、連動した動きの中で次の拳を顔面へと最短距離で叩き込む。

 

 その一撃は虎杖の頬に深く食い込み、骨を歪ませながら軌道を下へと変換し、そのまま地面へと叩き付ける結果へと繋がった。着弾と同時に地面が爆ぜるように抉れ、土と石が跳ね上がり、その中心へと虎杖の身体が埋め込まれる。

 

 だが終わらない。

 

 沈んだはずのその中心から、即座に反撃が放たれた。虎杖の拳が下から跳ね上がるように伸び、頼光の顔面を捉え、その衝撃がわずかに彼女の頭部を揺らす。その瞬間に体勢を立て直しながら、虎杖は地を蹴って起き上がり、そのまま後方へと飛び退いた。

 

 距離が開く。

 

 互いに土煙の向こうで対峙する。

 

 頼光の口元が歪む。

 

 「ふふふふ……あなたやっぱり普通じゃない。宿儺が出てこれない理由が分かった気がするわ」

 

 その声には、明確な歓喜と確信が混ざっている。目の前の少年は、単なる器ではなく、内部の存在を抑え込むだけの強度を持ちながら、外側でも成立している異質な存在であるという理解が、戦いの中で裏付けられていた。

 

 虎杖は応じない。

 

 ただ静かに施無畏印と与願印を結び、視線を逸らすことなく頼光を見据えている。その姿勢は崩れず、呼吸は既に整っている。

 

 しかしその顔は、先の打撃によって大きく変形していた。頬骨は陥没し、輪郭は崩れ、皮膚の下で骨格が歪んでいるのが明確に分かる。だが次の瞬間、その異常はさらに異様な光景へと変わる。

 

 肉の内部から金色の光が漏れ出す。

 

 裂けた皮膚の隙間から蒸気が立ち上り、骨が元の位置へと戻り、筋繊維が再接続され、血流が正常化していく。時間を巻き戻すかのような速度で損傷が消失し、歪んでいた顔面が本来の形へと復元されていく。

 

 それは単一の要素ではない。

 

 虎杖悠仁が本来持つ異常な回復力に加え、肉体内部を巡る“流れ”が自己修復を補助し、さらに反転術式がそれを強制的に加速することで成立している三重の治癒機構である。その複合によって、通常では考えられない速度での再生が現実のものとなっている。

 

 頼光の顔にもまた、同様に蒸気が立ち上る。先の反撃によって受けたわずかな損傷が、超躍電導による代謝の強化と反転術式の併用によって瞬時に修復されていく。

 

 「あなたを感じない。これだけ打ち据えたのに、捉えられない。まるで別の位相にいるような感じ」

 

 その言葉は評価ではなく観察であり、同時に困惑でもあった。そこに確かに存在しているにも関わらず、掴めない。触れているのに輪郭が曖昧で、圧として固定できない。

 

 「ただそこに“在る”。摩訶不思議ね」

 

 頼光は構えを変える。

 

 足の位置を微かに調整し、重心を落とし、片手で掌印を結ぶ。その形は刀印であり、指先に集約される意識と呪力が鋭く一点へと収束していく。

 

 「私もね、宿儺みたいに飛ばせるのよ?」

 

 その言葉と同時に、黒い雷が腕を包み込むように迸る。電導が筋肉と神経を駆け巡り、内部で生まれるエネルギーが外へと漏れ出すことで、空間そのものがわずかに歪む。

 

 そして次の瞬間、頼光は腕を振るった。

 

 それは単なる振りではない。収束された力が解放され、斬撃のように空間を走る圧となって前方へと放たれる。

 

 対する虎杖は、静かに構えを深める。

 

 視界が澄む。

 

 流れが見える。

 

 そしてそのまま、口を開いた。

 

 「第五式——」

 

 

 

 

 

 

 

 顔面に残っていた歪みが内側から押し戻されるように整っていくのを感じながら、俺は目の前のヨリミツさんから視線を外さなかった。骨が戻る感覚も、筋が繋がる感覚も、今となってはもう違和感として引っかからない。ただ流れの中で自然に起きている現象みたいに受け入れている自分がいる。

 

 その時、頭の奥で声が響いた。

 

 「『小僧、お前が負けたら俺が出ていいんだな?』」

 

 (何言ってんだ。俺は負けねぇよ)

 

 間髪入れずに返す。今ここであいつに出られるわけにはいかないし、そもそもそんな前提で戦ってない。

 

 「『ククッ……そう言ってこれまで何度負けた?お前は渋谷で気を失い、憑霊のガキに殺されたではないか』」

 

 (うるせぇ、あれは油断してただけだし、必要なことだっただろ)

 

 あの時のことを持ち出されると、胸の奥が少しだけ重くなる。でもそれを表に出す意味はない。今は目の前だ。

 

 「『結果論だがな』」

 

 好き勝手言いやがって、と思いながらも、俺はもうそれ以上返さなかった。今はあいつと口論してる暇はない。意識を切り替えて、目の前の相手だけを見る。

 

 ヨリミツさん。

 

 この人、やっぱり強い。

 

 顔をぶん殴られた衝撃がまだ奥に残ってる。骨が戻っても、痛みの記憶は消えない。久々だ、こんな風に真正面から殴られたの。思い返すと、山で修行してた頃に出くわしたあのバカでかい熊とやり合った時以来かもしれない。あの時も同じように、理屈じゃない力で叩き潰されそうになった。

 

 でも、あの時と違う。

 

 今は見える。

 

 「ただそこに“在る”。摩訶不思議ね」

 

 ヨリミツさんがそう呟きながら構えを変えたのが分かった。腕の角度、足の位置、重心の落とし方、全部がさっきまでと違う。指先の形……あれは刀印か?

 

 その瞬間、黒い雷が腕にまとわりつくように走り始めた。

 

 バチバチと音がする。

 

 ただの見た目じゃない。あの中で何かが圧縮されてる。筋肉の動きも変わった。さっきよりもっと速い、もっと鋭い。

 

 「『小僧、飛ぶぞ』」

 

 (はい?)

 

 意味を理解する前に、殺気が来た。

 

 「私もね、宿儺みたいに飛ばせるのよ?」

 

 何を?

 

 その瞬間、ヨリミツさんの腕が振られる。

 

 速いとかじゃない。視界の中で消えたと思った瞬間にはもう終わってる。だけど、見えた。いや、“流れ”として分かった。あれはただの打撃じゃない。空間ごと切り裂くみたいな圧が一直線に走ってくる。

 

 斬撃だ。

 

 俺はその場で構えを崩さず、両腕を動かした。

 

 直線じゃダメだ。受け止めたら終わる。なら——円。

 

 流れに逆らわず、絡め取る。

 

 「第五式——」

 

 腕を円を描くように回す。迫ってくる斬撃の軌道に合わせて、その周囲をなぞるように動かし、中心からわずかにズラす。触れる瞬間に力をぶつけるんじゃなくて、流れを掴んで、そのまま自分の中に引き込む。

 

 「『迎仏西天』」

 

 ぶつかった。

 

 でも弾かず、そのまま回す。

 

 圧が腕に絡みついてくる。重い。押し潰されそうな力だけど、流れがある。だから離さない。回転の中に閉じ込める。

 

 そのまま圧縮する。

 

 円の中心に、全部を集める。

 

 さっきまで外に広がろうとしてた力が、今度は一点に押し込まれていく。逃げ場をなくして、ただ凝縮されていく。

 

 熱い。

 

 腕が焼けるみたいに熱い。

 

 でも、いける。

 

 限界まで絞る。

 

 そして、そのまま掌に集める。

 

 手のひらの中に、さっきの斬撃がそのまま収まってるみたいな感覚。

 

 内側に閉じ込めた圧が逃げ場を求めて暴れ出しそうになるのを押さえ込みながら、俺は一気に踏み込んだ。足裏で地面を噛むように捉えた瞬間に重心を前へと滑らせ、全身の連動を崩さずにそのまま距離を詰めると、視界の中でヨリミツさんの輪郭が一気に近づき、ほとんど間合いという概念が消えたような感覚になる。

 

 同時に、ヨリミツさんの腕が振り抜かれるのが見えた。黒い雷がまとわりついたその一撃はさっきまでよりもさらに鋭く、速く、まともに受ければ終わると直感で分かる。でも、流れは見える。筋肉が収縮する前の微細な動き、重心の沈み、肩の入り方、その全部が一本の線として繋がっていて、どこに差し込めばいいかはっきりしている。

 

 だから迷わない。

 

 反対側の手を差し込む。真正面から止めるんじゃなくて、軌道の内側に潜り込んで接触の瞬間に角度をズラす。完全に止める必要はない。流れを外せば、それだけで十分だ。

 

 弾く。

 

 黒い雷が弾ける。

 

 空気が裂ける音が遅れて耳に届く。

 

 でもその時点で、もう勝負は決まってる。

 

 ヨリミツさんの胴体が完全に開いた。

 

 ガラ空き。

 

 そこに、俺は躊躇なく踏み込む。

 

 掌の中で圧縮していた力を、そのまま前へ押し出す。叩きつけるんじゃない。刺し込む。内部に入れて、そのまま解放する。

 

 当たる。

 

 確かな手応えがある。

 

 その瞬間、押さえ込んでいた圧が一気に解き放たれた。

 

 「ッ!!!!」

 

 息を呑む音が聞こえた。

 

 次の瞬間、空気が破裂したみたいな音と一緒に衝撃が広がって、周囲の空間ごと押し広げるみたいに圧が爆ぜる。地面が軋み、風が遅れて吹き荒れ、視界の端で木々が大きく揺れるのが分かる。

 

 その中で——

 

 ヨリミツさんの服が、全部弾け飛んだ。

 

 破裂したみたいに細かく砕けて、そのままハラハラと地面に落ちていく。完全に繊維単位でほどけたみたいに散って、静かに落ちていく。

 

 「……」

 

 俺は一瞬フリーズして、そのあと反射的に顔を下げながら飛び退いた。

 

 見ちゃいけない。

 

 これはダメだ。

 

 完全にダメなやつだ。

 

 頭の中で警報が鳴るみたいに同じことが繰り返されるけど、視界に入ってくる情報は止められないし、でも直視するわけにもいかないし、どうすればいいのか分からなくなる。

 

 「き……」

 

 ヨリミツさんの声がした。

 

 固まってる。

 

 そりゃそうだ。

 

 俺だって逆の立場だったら絶対固まる。いや既に俺はパンツ一枚なんだけどさ!

 

 やべ、やっちゃったよ。

 

 いやほんとに、これ狙ってやったわけじゃない。あの技は本来カウンター用で、相手の攻撃の流れをそのまま倍増させて返すっていうやつで、普通ならそのまま吹っ飛ばして距離を取る技だったはずなんだけど、ヨリミツさんの体幹が強すぎて身体自体は踏みとどまって、その代わりに外側だけ全部持っていかれた感じになってる。

 

 つまり、完全に俺の想定外だ。

 

 「き、気持ちいいぃ……」

 

 「え?」

 

 思わず間の抜けた声が出た。

 

 いやちょっと待って、今なんて言った?

 

 頭の中で状況整理しようとしてたのが全部止まる。

 

 普通この流れで出てくる言葉じゃないだろ、それ。

 

 視線を逸らしたまま、でも完全に無視もできなくて、どうしていいか分からないままその場に立ってる自分がいる。

 

 ……なんか、思ってた展開と違う方向に転がってる気がする。




直哉「なんやねんコレ、行き先南と北しかないやんけ」
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