武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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バッター!フラーーイ!アウト!

 

 

 

 

 宿儺が鹿紫雲一へ向けて領域展開を発動する少し前——

 

 崩壊した京都コロニーの別区域では、源頼光、万、裏梅の三人が互いを見据えながら睨み合っていた。砕けた高層ビルは斜めに傾き、地面には巨大な亀裂が蜘蛛の巣のように広がり、遠方で発生する衝撃波が遅れて到達する度に瓦礫の山が微かに跳ね上がる。

 

 宿儺と鹿紫雲の激突だけで都市の形が変わり続けている異常な戦場であったが、それでも三人の意識は目の前の敵から一瞬たりとも逸れていなかった。平安という狂気の時代を生き抜いた術師達にとって、強者との対峙とは呼吸と同じであり、相手の瞳から視線を外すことは自らの死を招く愚行に等しい。

 

 「全くあなた達は本当にしつこい」

 

 裏梅が青筋を浮かべながら吐き捨てた瞬間、その足元から白い霜が音もなく広がり始める。冷気は周囲の水分を瞬時に凍結させながら地面を覆い、転がっていた鉄骨やコンクリート片までも白く染め上げていった。空気は凍てつき、吐き出された吐息は白煙となって漂う。やがて地面から幾本もの氷柱が隆起し始め、その一本一本が大型建築物を容易く貫通するほどの密度と鋭さを帯びていた。宿儺へ近付く者を許さないという裏梅の執念そのものが、呪力となって世界へ干渉しているかのようだった。

 

 「あなたやっと女の肉体になれたのね!私たちの土俵に上がれたってとこ?うふふ……可愛い顔してるじゃないの」

 

 万は顔面を覆っていた甲殻だけを解き、心底愉快そうな笑みを浮かべながら言った。その視線は敵を見るものではなく、獲物を弄ぶ悪戯好きの子供に近い。だが背後では構築術式によって生み出された虫型装甲が絶えず蠢き、無数の脚部が金属音を立てながら展開している。装甲の先端は刃物のように鋭く尖り、その一本一本が特級呪具級の強度を誇っていた。軽口を叩いてはいるものの、万もまた戦闘態勢へ完全に移行している。

 

 「黙れ」

 

 裏梅の返答は短かった。しかし、その一言だけで周囲の温度がさらに数度低下する。凍結した地面が悲鳴を上げるように軋み、漂う冷気の濃度が目に見えるほど増していった。

 

 「怖い怖い。そんなに怒らなくてもいいじゃない。私は褒めてるのよ?」

 

 「貴様の言葉など塵ほどの価値もない」

 

 「それは傷付くわねぇ」

 

 そう言いながらも万の笑みは消えない。むしろ面白がるように口角を吊り上げている。

 

 その二人を見ながら、頼光は深く息を吐いた。全身を黒い雷が走る。超躍電導によって強化された神経は周囲の情報を極限まで読み取り、風向き、体温、筋肉の収縮、呪力の循環に至るまで鮮明に把握していた。視界に映る世界は常人とは別物であり、彼女にとって敵の動きとは未来予知に近い精度で観測可能な現象だった。

 

 「裏梅、万……宿儺を討つ前にあなた達を討つ」

 

 静かな声音だった。しかし、その言葉が発せられた瞬間、頼光の周囲で黒い雷が爆ぜる。地面が砕け、空気が震え、瓦礫が浮き上がる。平安最強の退魔師として積み重ねてきた年月と覚悟が、その一言に凝縮されていた。

 

 万が肩を竦める。

 

 「相変わらず真面目ねぇ。宿儺を巡る女の戦いってだけじゃない」

 

 「一緒にするな。痴女」

 

 「あなたもでしょ」

 

 即答だった。

 

 頼光の瞳には宿儺への恋慕も憧憬も存在しない。あるのは討伐対象としての認識だけだった。平安の時代から変わらぬ因縁。怪物を滅ぼすという使命感だけが彼女を動かしている……が、その内心では闘争が渦巻いている。

 

 裏梅は宿儺への忠誠()

 

 万は宿儺への執着()

 

 頼光は宿儺への殺意()

 

 三者三様の感情は決して交わらず、それ故に互いを理解することもできなかった。

 

 冷気が膨張する。

 

 黒雷が迸る。

 

 甲殻が軋む。

 

 三人の呪力が正面から衝突しただけで周囲の瓦礫は粉砕され、近くに残っていた高層ビルの残骸が耐え切れず崩落を始めた。まだ誰も攻撃していない。ただ存在しているだけで環境が破壊されているのである。

 

 そして最初に動いたのは万だった。

 

 背中から展開された無数の虫脚が一斉に射出される。空気を裂く轟音と共に放たれた刃の群れは頼光と裏梅を同時に狙い、その直後には万自身も地面を蹴り砲弾のような速度で前進した。裏梅は即座に巨大な氷槍を形成し、頼光は黒雷を纏った拳を構える。

 

 三人の怪物が真正面から激突する。

 

 平安最盛期を生きた三人の怪物が、宿儺を巡る因縁と感情を抱えたまま、互いを叩き潰す為に動き始めた。戦場の別方向では宿儺と鹿紫雲が殺し合いを続けているが、この場所もまた別種の意味で地獄だった。

 

 誰一人として譲る気はなく、誰一人として引く気もない。その事実だけが、迫り来る激突の凄惨さを何より雄弁に物語っている。

 

 そしてぶつかる。

 

 虫脚と氷槍、そして黒雷が交差した瞬間、崩壊した街区そのものが爆発したかのような轟音が響き渡った。万が放った数十本の虫脚は構築術式によって生み出された超硬質の甲殻であり、その一本一本が特級呪具にも匹敵する強度を持つ。対する裏梅の氷槍は宿儺のためだけに研ぎ澄まされた殺意の結晶であり、空気中の水分を瞬時に凍結させながら質量を増し続けていた。そして、その両者へ真正面から叩き込まれたのが源頼光の拳である。

 

 黒い雷が炸裂する。

 

 頼光の拳が最初の虫脚へ触れた瞬間、黒閃が発生した。打撃と呪力が寸分違わず一致した一撃は虫脚を根元から粉砕し、その衝撃は後続の甲殻群へ連鎖するように伝播していく。砕けた破片が周囲へ散弾のように飛散し、近くに残っていた高層ビルの外壁を蜂の巣へ変えた。しかし万は止まらない。砕かれる前提で放った虫脚だったからだ。

 

 「引っ掛かったぁ!」

 

 甲高い声と共に万自身が突っ込んでくる。

 

 虫脚は囮。

 

 本命は接近戦だった。

 

 全身を覆う甲殻鎧が軋み、無数の関節が展開する。昆虫とも機械ともつかぬ異形の装甲は人間離れした可動域を実現しており、万はあり得ない角度から膝蹴りを放った。頼光は即座に腕を交差させて防御するが、激突した瞬間に地面が陥没する。数十トン級の質量が衝突したような衝撃だった。

 

 「チッ……!」

 

 頼光が舌打ちする。

 

 重い。

 

 構築術式で形成された甲殻は単なる防具ではない。構造そのものを最適化することで、人間を遥かに超えた出力を生み出している。平安時代においても万が危険視された理由の一つだった。

 

 だが、その瞬間だった。

 

 万の背後が凍る。

 

 音もなく。

 

 予兆すらなく。

 

 巨大な氷塊が出現した。

 

 「え?」

 

 万が振り返る。

 

 既に遅い。

 

 裏梅が片手を掲げていた。

 

 「『霜凪』」

 

 冷気が解放される。

 

 世界が白く染まった。

 

 氷塊は瞬く間に拡大し、津波のような勢いで万を飲み込む。地面、瓦礫、崩壊したビルの残骸、その全てを巻き込みながら凍結領域が広がり続けた。温度は絶対零度に迫り、空気中の酸素ですら白い結晶へ変わっていく。

 

 万の甲殻が軋んだ。

 

 表面へ霜が張る。

 

 関節部が凍結し始める。

 

 だが次の瞬間、甲殻の内部から凄まじい呪力が噴出した。

 

 「誰が凍るかぁぁぁぁ!!」

 

 甲殻が変形する。

 

 増殖する。

 

 展開する。

 

 構築術式によって新たな装甲が次々と形成され、凍結した部分を内側から破壊していく。氷が砕け、蒸気が噴き上がり、その中心から現れた万は先程よりも巨大な甲殻へ包まれていた。

 

 裏梅の眉が僅かに動く。

 

 万はニヤリと笑った。

 

 「宿儺の隣に立つ女を舐めないでちょうだい」

 

 「気持ち悪い」

 

 裏梅の返答は即座だった。

 

 額に青筋が浮かぶ。

 

 万も顔を引き攣らせる。

 

 「今なんて言った?」

 

 「気持ち悪いと言った」

 

 「もう一回言ってみなさい」

 

 「何度でも言ってやる。気持ち悪い」

 

 殺気が爆発した。

 

 万の背後から数百本の虫脚が展開される。

 

 裏梅の周囲には無数の氷槍が浮遊する。

 

 空間そのものが悲鳴を上げた。

 

 しかし、その中心で頼光だけは冷静だった。

 

 平安の術師は総じて癖が強い。

 

 その中でも、この二人は別格である。

 

 宿儺という存在を中心に千年以上拗らせ続けた執着は、もはや呪力と同じく実体を持っていると言ってよかった。普通の術師なら互いを殺すことだけに集中する局面でさえ、この二人は口論を挟む。そして、その口論の最中ですら周囲へ致死級の術式を撒き散らすのだから性質が悪い。

 

 だが頼光にとっては好都合だった。

 

 二人が言い争う僅かな時間。

 

 それだけで十分だった。

 

 黒雷が走る。

 

 頼光の姿が消える。

 

 超躍電導によって極限まで加速された肉体は既に視認できる速度ではない。神経伝達速度そのものを強化する彼女の術式は、単純な身体能力強化とは根本的に異なる。脳が命令を下す前に身体が動き、視界が捉える前に拳が届く。故に源頼光という術師は、平安最強格として語られ続けた。

 

 認識した時には拳がある。

 

 それが源頼光だった。

 

 「黒閃」

 

 静かな宣告。

 

 次の瞬間、万の顔面へ拳がめり込んだ。

 

 黒い雷が爆ぜる。

 

 甲殻が砕ける。

 

 頭部装甲が吹き飛び、万の身体が砲弾のように遠方へ射出された。幾つものビルを貫通しながら吹き飛ぶその姿を見届けることなく、頼光は反転する。

 

 既に次の敵を見ていた。

 

 裏梅。

 

 宿儺に仕える最古の従者。

 

 絶対の忠誠を持つ怪物。

 

 その裏梅もまた頼光を見ていた。

 

 黒雷と氷雪。

 

 二人の間で呪力が唸る。

 

 大地が軋み、空気が凍る。

 

 

 しかし、その均衡は突如として破られる。

 

 最初に異変へ気付いたのは頼光だった。超躍電導によって極限まで活性化された神経網が空気の振動と呪力循環の乱れを捉え、彼女は反射的に顔を上げる。すると遥か遠方、鹿紫雲と宿儺が戦う方角から、まるで天そのものを貫こうとする巨大な柱のような呪力の奔流が立ち昇っていた。黒く禍々しい宿儺の呪力と、金色に脈動する異質な“流れ”が螺旋を描きながら夜空へ伸びており、その密度は距離を隔てているにもかかわらず皮膚を刺すような圧迫感を伴っている。頼光は即座に理解した。あれはただの術式ではない。王が玉座へ座る為の準備であり、怪物が本来の牙を剥こうとしている兆候だった。

 

 「宿儺……」

 

 低く漏れた呟きには怒りでも恐怖でもなく、長年追い続けた獲物を再び視界へ捉えた狩人の執念が滲んでいた。頼光が黒雷を纏う拳をゆっくりと握り締める。その瞳には宿儺以外の存在など映っていない。平安の時代より続く因縁。鬼を討つために生まれ、鬼を討つために鍛えられた武人にとって、あの怪物は未だ越えられぬ壁であり続けていた。

 

 そして直後、今度は裏梅もまた異変を察知する。宿儺へ絶対的な忠誠を捧げる術師は、その呪力を誰よりも知っている。だからこそ理解できた。今、宿儺は愉しんでいる。心の底から歓喜しながら闘争へ没頭している。その事実だけで裏梅の頬は僅かに紅潮し、冷え切った瞳の奥へ狂信的な熱が宿った。

 

 「宿儺様……」

 

 恍惚とした吐息が零れる。そこには戦況への不安も鹿紫雲への警戒も存在しない。ただ主君が全力を振るう光景を目撃できる幸福だけがあった。宿儺が怒れば世界が震え、宿儺が笑えば死が溢れる。その全てを美しいと感じる感性こそが裏梅という術師の本質であり、彼女は遠方から響いてくる呪力の脈動にすら酔いしれていた。

 

 一方、瓦礫の中から立ち上がった万は、付着した粉塵を払い落としながら夜空を見上げ、次第に吊り上がっていく口元を隠そうともしなかった。巨大な虫殻の隙間から覗く瞳は熱に浮かされたように潤み、まるで恋文でも受け取った少女のような表情を浮かべている。

 

 「もう……だから好きなのよッーー!!」

 

 誰へ向けた言葉かなど明白だった。宿儺が暴れれば暴れるほど、破壊すれば破壊するほど、万の胸に宿る歪んだ恋慕は加速する。常人なら恐怖する光景でさえ、彼女には愛おしいものにしか映らないのである。宿儺が世界を敵に回そうと、神仏へ牙を剥こうと、その隣へ立ちたいという願望だけは決して変わらなかった。

 

 そして次の瞬間、世界が爆ぜた。

 

 轟音と共に膨大な呪力と“流れ”が京都コロニーの一角で炸裂し、視界の先で空間そのものが捻じ曲がる。頼光、裏梅、万の三人はほぼ同時に後退した。宿儺の領域を知る者達だからこそ判断が早い。閉じない結界。渋谷に底の見えない大穴を穿った業。空に紙を用意せず絵を描くに等しい暴挙。それが今、再び現実へ降ろされようとしている。

 

 宿儺と鹿紫雲を中心とした半径100m。その範囲へ流れ込んだ呪力は一瞬で世界の法則を書き換え、地面の下から無数の骸骨と髑髏が姿を現した。積み重なった死の山は祭壇を形作り、その中央には禍々しくも神々しい巨大な御廚子が顕現する。人が築いた文明も、自然が積み上げた歳月も、その前では等しく無価値だった。存在するという事実そのものが斬撃の対象となり、立ち並んでいた高層ビルは根元から削り取られ、崩れた建造物も積み上がった瓦礫も道路も鉄骨も、全てが見えない刃によって細切れにされて砂塵へ変わっていく。その破壊は暴風でも爆発でもない。ただ世界そのものへ刻まれた死の法則によって、存在が解体され続けているのである。

 

 頼光は領域外からその光景を見据え、自らが命を賭して討たねばならない存在の大きさを改めて理解する。裏梅は震えるほどの歓喜を覚えながら主君の神業へ見惚れ、万は恋する少女のように宿儺の名を呼び続ける。それぞれの感情は違えど、その視線の先にいる怪物は同じだった。そして誰もが理解していた。今この瞬間、京都コロニーの中心では一人の術師の生涯が終わろうとしていることを。

 

 その頃、別の戦場では虎杖悠仁と五条悟が拳を交えていた。互いの拳が激突し、衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばした瞬間、二人もまた遠方で噴き上がる異常な“流れ”へ気付く。虎杖は反射的に顔を上げた。かつて自分の内側に存在していた怪物の気配は誰よりも知っている。しかし今感じる宿儺は違った。禪院直哉の肉体、九陽神功、呪力、そして理解し始めた“流れ”の理。その全てが混ざり合い、以前とは比較にならない密度へ到達している。

 

 「アイツ……めっちゃ強くなってる」

 

 危機感はある。だが同時に胸の奥が熱くなる。武術家として、闘争者として、より強い相手の存在は本能を刺激する。宿儺が高みへ到達するほど、自分もまた追い付きたくなる。その感情を否定できない自分に苦笑しながら、虎杖は遠く輝く呪力の柱を見つめ続けた。一方の五条も六眼を通して領域の構造を解析していたが、その口元には抑え切れない笑みが浮かんでいる。最強であり続けることは孤独だ。しかし今、自分と同じ景色へ手を伸ばそうとしている怪物達が確かに存在していた。

 

 「へぇ……いいね」

 

 静かな一言だった。だがその声音には歓喜が滲んでいる。宿儺、虎杖、頼光、そして五条が未だ見ぬ強者達。

 

 京都という巨大な坩堝へ集まりつつある怪物達は、それぞれ異なる信念と執念を抱えながらも、やがて避けられない衝突へ辿り着く。夜空を覆う呪力の残滓が風に流される中、京都の戦場は更なる混沌へ沈みながら、次なる闘争の幕開けを静かに待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「やっと着いたぜ……! 京都!」

 

 一人の男が瓦礫の山の上で両腕を大きく広げながら叫んだ。崩壊した高層ビルの残骸が月明かりを反射し、砕けた道路の隙間からは地下設備の鉄骨が剥き出しになっている。かつて観光客と学生で賑わっていた街並みは既に原形を留めておらず、風が吹く度に砂塵と紙片が舞い上がり、遠方では今なお断続的な轟音が鳴り響いていた。しかし、その終末めいた景色の中心で場違いなほど元気よく叫んでいる男がいた。

 

 センターマン。

 

 背中には何故か極彩色の蝶の羽。

 

 髙羽史彦。

 

 芸人。

 

 死滅回游の泳者。

 

 そして当人すら自分が何故ここへ送り込まれたのか完全には理解していない男である。

 

 「バタフライで来ました!!」

 

 誇らしげな宣言だった。

 

 正確にはバタフライではない。憂憂の術式によって京都近郊まで移動させられ、その後なぜか蝶の羽が生えた状態で空を飛んできただけである。しかし髙羽の脳内では「空を飛んだ」事実だけが残っており、その過程にある細かな理屈は全て省略されていた。

 

 「バッター!フラーーイ!アウト!」

 

 勢いよく両手を振り上げる。

 

 当然ながら誰も笑わない。

 

 返ってくるのは夜風の音だけだった。

 

 冷たい風が吹き抜け、蝶の羽がばさりと揺れる。遠くで崩れた看板が軋み、どこかの建物が倒壊する重い音が響いたが、それすら髙羽のギャグに対する返答のように思えて少し悲しくなる。

 

 「でも俺が行くしかないんでしょうが!余計なお世Wi-Fi!!」

 

 意味不明な叫びを放った後、髙羽はふうと息を吐いた。そして改めて京都コロニーの中心部へ視線を向ける。

 

 その瞬間だった。

 

 髙羽の表情から笑顔が少しだけ消える。

 

 遥か彼方。

 

 夜空を貫く巨大な呪力の柱が存在していた。

 

 黒く禍々しい奔流。

 

 黄金色に脈動する異質な輝き。

 

 二つの力が螺旋を描きながら天へ昇り、その周囲の雲を押し退け、空間そのものを歪ませている。距離など関係なかった。あまりにも巨大で、あまりにも濃密で、あまりにも異常な力だったからである。呪力の知識が深くない髙羽ですら、本能的に理解してしまう。あそこには人間が近付いてはいけない何かがいる、と。

 

 「…………」

 

 沈黙。

 

 数秒間の沈黙。

 

 そして髙羽は真顔になった。

 

 「帰ってもバレないかな」

 

 踵を返す。

 

 三歩ほど歩く。

 

 立ち止まる。

 

 振り返る。

 

 再び巨大な呪力の柱を見る。

 

 「いや絶対バレるな」

 

 頭を抱える。

 

 家入硝子の隠れ家でのやり取りが脳裏に蘇った。追い出すように送り出した術師達の顔。期待していたかは分からないが、少なくとも「京都へ行け」と言われたことだけは事実だった。

 

 「俺、今から逃げたら後でめちゃくちゃ怒られるやつじゃん……」

 

 しかも相手は呪術師である。

 

 普通の上司より怖い。

 

 何なら呪霊より怖い可能性すらある。

 

 そう考えた瞬間、髙羽は肩を落とした。

 

 しかし、その落胆は長く続かない。

 

 遠方から再び轟音が響き、大地そのものが微かに揺れたのである。空気が震え、瓦礫が跳ね、夜空では巨大な閃光が一瞬だけ咲き誇る。それは怪物達の戦いの余波に過ぎなかったが、一般人なら一生で一度見るかどうかという規模の災害そのものだった。

 

 髙羽はその光景を見ながら、ゆっくりと口元を緩める。

 

 怖い。

 

 正直かなり怖い。

 

 それでも胸の奥が少しだけ高鳴っていた。

 

 芸人として売れず、燻り続けた人生。

 

 誰にも期待されず、誰にも必要とされないと思っていた時間。

 

 そんな自分が今、人類史上でも屈指の怪物達が集う戦場へ向かおうとしている。

 

 意味は分からない。

 

 理屈も分からない。

 

 だが少しだけ面白そうだった。

 

 「よし」

 

 髙羽は蝶の羽を大きく広げた。

 

 崩壊した京都の夜風が羽を揺らす。

 

 「芸人が空気読んだら終わりだからな」

 

 誰に言うでもなく呟きながら、髙羽史彦は再び走り出した。

 

 呪いの王が君臨する戦場へ。

 

 最強の術師達が集う地獄へ。

 

 そして何より、自分でも予想できない最高のオチが待っているかもしれない場所へ向かって。

 

 「全員胃袋吐くまで笑わせてやるぜ!!!!」




伏黒「あいつどこ行った!?!?」
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