1-10
森の中を駆ける。
ただひたすらに、目の前だけを見て。
僕の向上した身体能力を全力で使い、日野さんと別れた場所へと急ぐ。
強化された五感は、その先で鳴り響く戦闘音を捉えていた。
しかし、少し前からその音が消えた。
僕は焦る。
もう手遅れなのかもしれないと。
けれどそれが諦める理由にはならなかった。
そして、倒れ込む日野さんの姿が目に入った。
「日野さん!!」
声をあげる。
倒れている日野さんの前に立っているのは、あの男だ。
剣を掲げ、いままさに日野さんの命を刈り取ろうとしている。
僕は短剣を構え、その中心へと飛び込んだ。
ガッと振り下ろされた剣と短剣が火花を散らす。
僕の存在を認識した男は、目を見開いて驚き、笑った。
「マジかよ。すげえなお前、ハハッ」
男は獰猛な笑みを浮かべ、僕から距離を取った。
その間に日野さんの状態を確認する。
全身ぼろぼろで傷だらけだが、マガツヒと戦った時のような大怪我ではない。
ひとまず安心する僕に日野さんは声を荒げた。
「なんで、戻って、来たんだ……!!」
「心配だからですよ。それに助けてくれた人を見殺しにしてやるゲームはつまらないでしょうからね」
「げ、げーむ?」
「そうです。僕はすっきりした気持ちでゲームを全力で楽しみたいんです」
呆気に取られる日野さんに僕は笑いかける。
そうだ、僕は助けるために人が死んで、それを知りながらゲームを楽しめるほど神経は図太くない。
それに……、僕はこの人に死んでほしくなかった。
だから、抗う。
短剣を構え、正面で笑う男を睨みつける。
「やっぱりな。俺の予想は正しかった。そうだろう? 紅音」
「源次郎殿、あなたは……!」
「こいよ、異端者。……俺が見極めてやる」
「言われなくても……!!」
僕は大地を駆け、真っ直ぐ正面から飛び込んだ。
笑みを浮かべる男の懐はガラ空きだ。
そこに一撃を叩き込めば終わる。
相手はこちらを侮っている。これほどの好条件はない。
たが、振り抜いた剣は難なく弾かれた。
「くっ……!」
「舐めんじゃねえ、よ!」
「うぐっ」
体制を崩した僕。
その腹に叩き込まれる鋭い蹴り。
僕の身体はくの字に曲がり、そのまま無様に地べたを転がる。
……あぁ、強い。
たった数回のやり取りだけでそれが分かった。
「くそ……」
相手は万全の状態ではない。
僕とやり合う前に、日野さんと剣を交えている。
それなのに、衰えない剣筋。
比べるまでもない実力の差が、そこにはあった。
けれど……。
「ほぅ……、立ち上がるか」
「もち、ろん……」
それが何だというのか。
まだ、死んではいないのだ。
僕は今、剣を握っている。
命のやり取りをしている。
それも僕のものだけじゃない。
日野さんの命も賭けて。
……思い出せ、
あの時の屈辱を、後悔を、激情を。
冷静さを取り戻せ、そうすれば道は開ける。
飛鳥さんがそうしていたように。
「ふぅ……」
息を吐く。
全身を一度、脱力させる。
そして、もう一度短剣を握り直す。
飛び込め、そこに正気はある。
齧り付け、弱者の意地を見せてやれ。
僕はさっきと同じように、一気に距離を詰めた。
「同じ手とか面白味のカケラも――ッ!?」
笑いながら振り下ろされた剣を弾く。
産まれた火花が顔を掠める。
続いて叩き込まれる蹴りを、同じように蹴りで相殺した。
そこから行われるのは剣撃の応酬。
守り、逸らし、反撃。
その繰り返し。
相手は無傷で、僕は数多の切り傷で血だらけ。
だが、それでいい。
思考する時間を与えない事が一番だった。
身体は熱く、頭は冷静に。
僕は待ち続けた。
その時が来るのを。
そして――
「――来た」
「お前っ!!」
見逃さない。
男に生まれた疲労による致命的な隙。
きっとこれは僕だから引き出せた。
相手が弱者である僕だから、男は無意識のうちに手を抜いたのだ。
僕は振り抜かれる剣を逸らし、そのまま男の首元へと剣先を伸ばす。
僕の全力。
その全てを賭けた一撃。
それは……。
「舐めんじゃねえ、ガキが」
「なんで……」
後もう少しという所で、手首を掴まれ防がれた。
僕が必死に動かそうとしても、ぴくりとも動かない。
そして、そのまま投げ飛ばされた。
手から短剣が抜け、僕から少し離れた地面に落ちる。
カランと乾いた音がした。
何度も立ち上がろうとするが、全身に力が入らない。
もう限界だった。
「こくとくん!!」
日野さんの声がする。
そうだ諦めるな。
僕には守らなければいけないものがあるんだ。
それでもずりずりと地面が擦れるだけで、起き上がることは出来なかった。
視界の中に泥で汚れた靴が映る。
下から見上げる光景はまさに敗者であった。
「すげえよ、お前。よくここまで食らいついた。なあ、教えてくれ。何がお前をそうさせる?」
「……なんで教えないといけないんですか」
「単なる興味だ。初めて会った時から変だと思ってたが、こりゃ度を超えてやがる」
そう言って、男はしゃがみ込み僕と目を合わせる。
「やっぱりだ。その目は見た事がある。……お前、何を失った?」
「だまれえええええ!!!」
抑えることのできない激情が僕に最後の力を与えてくれた。
しゃがみ込んだ男を押し倒し、剣を奪いその憎たらしい顔と身体を両断するべく、首に剣先を向ける。
「お前に、お前に何が分かる! ふざけるな、黙れ、二度とその口を開けないようにしてやろうか!?」
「おいおい、冷静になれよ」
「冷静に? 冷静になれだと!? あんたは無理矢理塞いだ傷口を抉られて、冷静でいられんのかよ!」
自分を誤魔化して、やっと閉じられた。
忘れることはないけれど、感情に振り回されないように。
この激情に支配されないように。
『人間らしく』あるようにと、演じてきたのに。
ぽつんと男の顔に雫が落ちる。
それが自分から溢れ出したものだ理解するには、少し時間がかかった。
男は目を伏せ、先程までの薄ら笑いを引っ込めて僕に謝罪した。
「すまねえ」
「謝るなら、最初から言うなよ……」
「そうだな。これは俺の昔からの悪い癖だ。本当にすまねえ」
こいつは敵だ。
そのはずなのに僕の手に握られた剣をこれ以上、男に向けることは出来なかった。
僕は剣から流れ込む力を使い、立ち上がる。
そして、倒れている日野さんに肩を貸した。
「こくとくん、君は……」
「早く行きましょう。実は姉さんに無理を言ってこっちに来たんです。早く帰らないと、怒られますから」
「そ、そうか。確かに君のお姉さんは怒ったら怖そうだ」
「そうでしょう?」
僕と日野さんは小さく笑い合う。
今度こそ終わりだ。
地面に倒れている男が追ってくる様子はなく、このまま日常への帰還を果たすだけ。
一歩踏み出せば全ては丸く収まる。
そのはずだった。
それは森のざわめきと共に現れた。
「それは困るのお」
最初に聞こえたのは弱々しい老人の声。
次に認識出来たのは、木々の間から次々に現れる、軍服を着た大勢の退魔士の姿だった。
「お主には退魔士になってもらわねば」
杖を突き、腰の曲がった老人はそう言いながら僕達の前に姿を現した。