1-9
僕は薄暗い森の中を走り続けた。
途中何度も転けそうになりながらも、決して振り返る事はなく、ただただ必死に進み続けた。
やはり神器を持つと身体の性能が上がるようで、息も上がる事はなく、スタミナが無限にあるようなそんな気さえした。
けれど……、本当にこれでよかったのだろうか。
「いや、これで良かった」
僕は頭に浮かんだ疑問をすぐに切り捨てた。
この問いは過去に何度も繰り返したもの。
きっとあの場で僕ができる事はなく、いたとしても足手まといになるだけだろう。
だから僕は日野さんの目的を、ここからの脱出を成し遂げなければいけない。
けれど、そう簡単にはいかないようで。
「ほんと運がないなあ……」
「大丈夫です! 貴方は幸運です! なんたって我々退魔士の未来への礎となれるですから!」
「いや、それが一番運がないと思うんですけど」
姉さんとの合流場所である空き地にたどり着いた時、そこにいたのは姉さんでなく軍服の上に白衣を着た女性だった。
あの男が現れた時点で察していたが、脱出作戦はあちらに筒抜けだったらしい。
それにしても、目の前の女性のテンションは高い。
「いやあ、これで不遇な一族たちが救われると思うとほんと涙が出てきそうですよ! 解剖最高! ねえ、こくとくぅん?」
「あの……、本当に勘弁して頂けないでしょうか?」
「え、それは無理ですよ。だって九条家からの命令ですし、逆らったら分家のそのまた分家の私なんてすぐに処分されちゃいますからね?」
「そうですか……」
命がかかっている、となれば見逃してもらう事は不可能だろう。
人は皆、自分の命が大切だ。
その為に他者を犠牲にしなければならないのなら、喜んでそうするという事を、僕は知っていた。
……死にたくない。
やりたい事はたくさんあるし、やらなければいけないこともある。
解剖されて、ホルマリン漬けなんて真っ平御免だ。
じゃあ、どうすればいいのか。
そんな事、分かりきっていた。
僕は静かに短剣を構える。
「へえ……、こくとくんって無謀って言葉、知ってます?」
「もちろんです」
「それが若さってやつですかねえ」
愚かですねえと白衣の女性は笑う。
そして、腰に刺していた剣を抜いた。
翡翠色に輝く剣、草薙剣と呼ばれる神器。
退魔士がマガツヒという化け物を殺すために使う武器。それが僕に向けられていた。
ごくりと唾を飲み込む。
冷や汗が僕の顔を伝って、首に流れ落ちる感覚があった。
今の僕にはあの時のような全能感はない。
きっと僕は負けるだろう。
けれど、それが戦わない理由にはならなかった。
白衣の女性と僕。
短剣と剣。
その剣先を向け合いながら、お互いに牽制し合う。
そして、先に動いたのは白衣の女性だった。
「もう焦ったいですね。一瞬で終わらせてあげますよ!」
痺れを切らした白衣の女性が僕に向かって足を踏み出す、その瞬間だった。
かちゃりと音がした。
「私の大切な弟に何をしようとしているんですか?」
「……はははっ。えっとおー、どちら様で?」
「質問を質問で返すな。頭を吹き飛ばすぞ」
「ひっ!?」
白衣の女性の背後。
その頭に拳銃を突きつけているのは、スーツを着たショートカットの女性、僕の姉さんだった。
怒りに満ちた顔で、今にも引き金を引いてしまいそうだ。
そんな姉さんに白衣の女性は、ひどく怯えた様子を見せた。
「貴方たちが行っているのは、明らかな犯罪行為です。お分かりですね?」
「で、でもお……これは退魔士の未来を守るためで〜」
「その未来を守るためなら、一般人の子供の未来を犠牲にしますか。貴方たちは退魔士が、そこまで落ちていたとは……」
嘆かわしいと首を振って、姉さんはため息をつく。
そして、見事な手捌きで白衣の女性に手錠をはめ、全身を縄でぐるぐる巻きにした。
最後には仕上げとばかりに、口にも縄を加えさせられて、白衣の女性はわんわんと涙を流していた。
姉さんはぱんぱんと手を払って、僕に向き直る。
「さあ、帰ろうかこくと」
「う、うん」
「どうしたの? 嬉しくないの?」
「嬉しいよ。ちょっとびっくりしただけ」
「なにそれえ」
僕の言葉に姉さんは笑う。
ともかくこれで終わった。
あとはすぐそこに止めてあるという姉さんの車に乗って日常へと帰るだけだ。
帰ったら何をしようか。
いや、そんな事は決まっている。
剛くんと新作ゲームを遊びまくるんだ。そう思うとワクワクした。
中学二年の夏。
しばらくすれば夏休みが来る。
やってみたいゲームはたくさんあった。
……そうあるはずなんだ。
「こくと?」
でも、これでいいんだろうか。
僕は自分の心に呼びかける。
折り合いはつけた。
けれど、それでも僕の心はすっきりしない。
日野さんはあれからどうなったのか、気になって仕方がなかった。
……あの人に似ているからかもしれない。
でもそれ以上に、このままじゃあゲームを存分に楽しめないような気がした。
だから……。
「姉さん、お願いがあるんだ」
「お願い? こくとが私にお願いするなんて珍しい」
「ぼく、日野さんを助けに行きたい」
「……本気で言ってるの、それ」
「うん、本気」
「そう……」
姉さんは心底不満げに、大きくため息を吐く。
「はあああ…………。多分だけどここが分かれ目よ。ここを逃したら貴方は退魔士の厄介な事情に巻き込まれて逃げ出せなくなる。それでもいいの?」
「そうだね。でも、それが『人間らしい』と思わない?」
「その言葉を今使うなんて、ほんと卑怯な男の子になっちゃったね。あの女の影響かな」
そう言いながら、姉さんは僕の手のひらに持っていた拳銃を置いた。
「きっとこれは役にたつ。だから持っていきなさい」
「ありがとう、姉さん」
「……じゃあ、行きなさい。その決意が鈍らないうちに」
「うん!」
僕は走り出した。
今の僕ならすぐに日野さんと別れた場所に着けるはずだ。
短剣を手に再び森の中へと足を踏み入れた。
その時、姉さんがどんな顔をしていたか、知ろうともせずに。