第2話「振りでどうにかできるほど異世界は甘くはないんだよ!」
過敏性腸症候群というのをご存知だろうか。
専門家でもなければ医学を志す若人でもないので詳しくは省かせてもらうが、症状の現れ方によってそれぞれ不安定型、慢性下痢型、分泌型、ガス型の四種類に分けられるのだそうだ。
その中でも俺の症状は上記のガス型に相当し、現在進行形で苦しめられていた。
この症状を簡単に説明をするなら過度のストレスによって腸内にガスがたまってしまう、とかいえば分かりやすいと思う。
話を聞き及んだ程度の人からすれば「なんだそのくらいでがたがた言うなよ」とか思うだろうが、当人にとってはそんな生易しいもんじゃない。
実際に体験すればきっとその辛さが理解できるはず。
まず始めに、症状が出るタイミングとして周囲に人がいることが多い。
大抵の場合学校とか職場とかたくさんの人間に囲まれて、すぐに逃げ出せる状況じゃないことが原因の一つだ。
そして俺の発症トリガーは、これに他人の視線をプラスする。
やがて眼力で岩に穴でも開けるつもりなのか、四方八方を囲う同年の彼氏彼女の冷ややかな視線がス○シウム光線よろしく俺を照射していくのにつれて、腹がきゅるきゅると情けない音を奏で始めるのは序の口。
「ぐうぅ……」
だんだんと下降を始めようとするガスをなんとか留めるために体をぶるぶると震わせる様は往年のダンシングフラワーを思わせるが、本人としては割りと切迫している状態なので、なるべくなら笑わないでほしい。
気を抜くとすぐにでも体外にガスを放出しかけてしまうため、全然授業に集中できないのが悩みの種だった。
気を紛らわすべくひとまずここで自分が置かれた状況を整理してみよう。
死神の力で魔法が栄える異世界に転生し、二度めの人生を手に入れた所から物語はスタートする。
◆
長い眠りから目を覚ましてまず視界に入ってきた景色はといえば、鬱蒼と生い茂った雑木林ではなくせせこましさを感じさせる色褪せた天井で、ここはどこで俺は誰なんだと使いふるされたネタを孤独に行おうとした矢先に彼女が現れた。
「おっす、圭」
快活な少女だった。
後ろで軽く纏めたショートポニーと全体的にラフな格好で固めた服装から、元気が一人歩きしているような印象を受ける。
顔は綺麗というよりは可愛い系で、男好きのさせる笑顔の持ち主だった。
「一応初めましてになるのかな? あたしはステュクスちんの親友のぺルセポネっていうんだ。でも今は
差し出された手に訝しみつつもさざめと握手を交わす。
ステュクスの知り合いというからには恐らく彼女も死神なのだろうが、果たして何の用だろう。
そんな俺の疑問を表情から察したのか、さざめはパチンと手を叩き「よし、挨拶も済んだしいっちょ説明すっか」と口を開いた。
「ほら圭ってこの世界のことよく知らずに転生したでしょ? それに身寄りや戸籍はおろか、住む宿や生活基盤だって分からない状態なわけだし、正に赤子も同然さね。でなもんで、転生してしばらくはステュクスちんがアンタの面倒を見る予定だったんだけど、あの娘都合が悪くなっちゃってさ。そんでこんな時に頼れる同僚が他にいないってんでこの大親友天津さざめが代わりに圭の面倒見に来てやったというわけ」
「そうだったのか。そりゃ悪いことしたな」
「いや、別にあたしもたまってた有給休暇を使ういい機会だったし、アンタが気に病むことはないよ。それにステュクスちんのお願いとあっちゃあ、受けなきゃ男が廃るってもんでさあ。つってもあたしは女だけどね」
そう言って一人けらけらと笑うさざめ。
一体何が面白いのか分からないが釣られて俺も笑いそうになる。不思議だ。相手は人間と似ているようで正確には違う死神だというのに、なぜか親しみやすい。
きっと彼女らが裏表のない性格をしているからだろう。
少し話しただけでそれが分かってしまうのは、何も俺が鋭いからというわけではなく、単にステュクスやさざめがそういった純朴さを持ち合わせているからだと思う。
「んじゃあ、次に圭の設定を説明するね」
「設定?」
「うん、さっきも言ったけど圭ってこの世界にとってはイレギュラーな存在なわけ。本来なら転生する際に前世の記憶とかぜーんぶどド忘れさせるのが決まりなの。そうしなければ異世界に適応できないからね。だけどアンタにはその処理をしてないから、さて困りました」
「……確かに困るなぁ」
——って他人事みたいに言ってるけど自分のことだからね、俺?
「さて、ここで問題です。身寄りも戸籍も一切合切ない圭がこの世界で生きていくためにはどうすればいいでしょーかっ?」
口でジャガジャンとクイズ番組のイントロクイズとかで流れそうなSEの真似をするさざめが、これまたクイズ番組の司会者ノリで俺に出題してくる。どうでもいいがステュクスといい死神は声楽にでも興味があるのか?
シンキングタイムスタート。
デデェーデ、デデェーデ(さざめのノリが移った)……。
シンキングタイム終了。
はい、それでは|回答者(おれ)の答えを見てみましょう。
「……記憶喪失の振りをする?」
「振りでどうにかできるほど異世界は甘くはないんだよ!」
怒られた。どうやら間違いだったらしい。
「正解は、転生前に圭の設定を書き換えるでした!」
「分かるか!」
そんなご都合主義の力業を使うなんて正解率一%を謳う某ミステリーぐらいしか許されないだろ。
いや別に貶してるわけじゃないからね?
「——って、そんなすごいこと出来るのか?」
「そりゃあまあ死神だしね、死者の設定くらいなら矛盾が生じない程度には弄くれるよ」
とんでもない事実が発覚する。
だったらステュクスに色々とオプション変更をお願いすればよかったな。今さら悔やんでも仕方ないがもったいないことをした。そういうことは早めに教えてくれよ。
むしろ今からでも遅くない。
俺はさざめの肩をがっちり掴み、哀願するようにその真珠のような瞳を覗き込む。
ギブミーイケメンフェイス!
ギブミーモテモテジンセイ!
などともはや欲望の塊となり果てた俺はどんなに一匹狼を気取った男子だろうと結局は根底にある異性によく見られたいという願望を現実のものにしてもらうべく、彼女をわさわさと揺らし続ける。
「……いや残念だけど、流石に死神も万能じゃないからさそういうのは無理だよ。あたしらはあくまで異世界転生の斡旋とかが仕事なわけだし、ましてや転生する前じゃないと」
はい短い希望でした。
杵どころかプレス機で餅をつくような感じで淡い期待は完膚なきまでに叩き潰される。
……あれおかしいな、目から汗が。
「あー、それで、書き換えられた俺の設定ってどんな風になってるわけ?」
「んーと、とりあえずアンタとあたしは幼馴染みってことになってるわ」
なってるわ、じゃなくてそういう風にしたんだろとは思っても口に出さないようにしとく。
口は災いの元というし、無用な突っ込みは控えておくのが吉だ。
こういった細かい配慮が人生を上手く生きるためにも(いやいや一度死んだけども)新婚夫婦が長らく結婚生活を続けるためにも必要なのである。
「他には?」
「えっと、圭の両親は共に病死をしていてアンタはこの家で一人暮らし。それを不憫に思った隣人宅のさざめちゃんが何かと甲斐甲斐しく世話を焼いているという設定よ」
その設定を聞いて俺は顔を苦くした。
この世界でも両親が既に他界していて奇しくも死因まで同じ病死とは。
だけど前世では妹の近絵がいたからまだ寂しさをまぎらわせられた。
だがこの世界にアイツはいない。
つまり俺は本当の意味で独りになった。
決してそのことを忘れていたわけじゃなかったが、しかし今の状況で思い出したくもなかったのもまた事実だ。
沈鬱な空気が場を支配していく。
もう遅いと知りつつも堪らずに俺はさざめにこう言っていた。
「せめて両親は生きている設定に出来なかったのか? よく知らなくてもいい、血が繋がってなくてもいい、それでも両親は健在させてくれててもよかったんじゃないか?」
「ちょっと落ち着きなって」
さざめは詰め寄る俺を突きだした手のひらで牽制し、それから続ける。
「圭の言うことも分からないではないけどさ、あたしたちとしてはそうしておいた方が色々と都合がいいの。矛盾を作らないためにもね。それに死神が生者に作用出来ないのは、さっきも言った通り。だからアンタの要望に合わせた擬似家族は作れやしない」
「……っ」
口調は辛辣だが、彼女の言ってることは全面的に正しい。悔しいがぐうの音も出ない。
「その、無理を言って困らせた。ごめん」
「こっちもちーっと口が悪くなっちゃった、たはは許してね。——まっ、でも分かってくれたようで何より」
お互いに謝罪しあうが、それでも微妙な空気は拭えない。参ったな。ここはやっぱり男の俺がリードして話題をそらした方がいいんだろうか……?
「あ」
なんてことを考えているうちに俺の腹がぐるるるると情けない音を立てる。言っておくが、別に腹を下したわけじゃないぞ。
「圭、もしかしてお腹空いたの?」
人間として生きる以上切り捨てることの出来ない生理現象、食の欲求は仕方のないことではあるが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。けれども、さざめにも俺の腹の音は聞かれてしまったので、多少赤面しつつも首肯する。
「じゃあちょびーと待ってな。あたしがちょちょちょいっと何か料理でも拵えるからさ」
とりあえず台所借りるねー、とさざめが腕捲りをしながら消えようとするので、慌ててその背中を追いかける。彼女曰くこの家が俺の住まいらしいが、内装を初めて見るため他人の家となんら変わらない。
自室から廊下へ出ると、すぐ右手の扉に『物置』と書かれた下げ札がてるてる坊主よろしく吊られていた。へぇ、魔法世界にも物置は必要なのか。てっきり俺は異次元にでも物品を保管してるのかと思った。だけど待てよ、実はこの扉の先は異次元に繋がっているという可能性もなきにしもあらずだな……って、いやいやいや! そんな考察は後からにしよう。
「料理ってさざめが作るのか?」
俺は目の前の文字通り風を切って歩く勇ましさを秘めた彼女に話しかける。
「他に誰がいるのさ」
すると返って来たのはそんな言葉。強いてあげれば俺とさざめと、大五郎——はいないか。
「いやだってさざめは死神だろ? 確か死神ってリンゴしか食べないんじゃ」
「あのねぇ、それは名前を書いたら人が死ぬノートを持つ死神だけの話でしょうが。だいたい今のあたしは受肉してるから死神というよりは人間に近いの。個人としての能力もね。だから料理とか得意なのよん。それにホラ、幼馴染みだし!」
「幼馴染みだからなんだ!?」
初めて聞いたよその理論!
「そ、幼馴染みの女の子って主人公の男の子に料理を作るために存在するんでしょ? 漫画で知ったんだけどもさ」
「それは間違った知識だ」
どんな偏見だよ。それじゃただの小間使いじゃないか。違うだろ。幼馴染みってのはもっとこうさあ、昔から積み上げてきたなんともいえない距離感とか、そっちの方で語るべきことがいくらでもあるだろ。なので俺はさっそく幼馴染みについての意見を滔々と語るべく、さざめから外していた目線を前に戻す。
が、しかし。
「——いないし!」
◆
「はい、お待たせ」
数十分後、ゴトリと重い音を立て、縁に曲線が描かれている白皿が卓上に置かれた。
白皿に盛られているのは香ばしい臭いが食欲を刺激する炒飯だ。
結局あれから誤解を解く前に台所へと消えてしまい(俺はといえば家の中で迷子になってしまう始末)、さざめに幼馴染みのイロハを教えるのは諦めた。力説して引かれるのもなんだかなぁと思うし。
それよりも今は目の前にご注目だ。
出来立てほやほやの炒飯は、中身を白皿に移してもまだもうもうと白煙を上げている。
表面は暗褐色。この色は恐らく焦がし醤油によるものだろう。油の量も適切だったのか照りもいい。米粒の一つ一つがきらきらと輝き、まるで水面に陽光を照らし込んだかのようだ。
具材は全体的に細かく刻んであるもののちゃんと何が投入されているか分かるから、小さな子供でも安心して食べられそうだ。
また匂いから察するに、隠し味はにんにくのすり下ろしとみた。
「有り合わせの材料をしっちゃかめっちゃかぶちこんで作ったからさ、もしかしたらあんまり美味しくないかもだけど、その時は我慢しないでよ?」
「と……、ごふぅぐふっげぶぅぶあぁぁぁぁぁっ!?」
とんでもない! そう叫ぼうとしたがごくりと生唾を飲んでしまい、それが気管の変な所に銀行強盗の如く押し入ったようで激しくむせてしまった。
「け、圭、大丈夫?」
「だ、大丈夫、モーマンタイ」
さんざん床をのた打ち回ったあげくにそんなことを言っても説得力ないぞ俺。
とはいえ、いくらみっともない姿を晒そうとも強がりを見せるのが男という生き物なのだ。
いやはや、まっこと男の路は茨の道である。
さて、改めて卓の前に居直る。
時間が経ってしまったせいでさっきよりも白煙が減っていたがまだまだ炒飯は温かそうだ。これ以上冷めてしまう前に食べることにしよう。
「——いただきます」
俺は両手を合わせ、それからレンゲを手に取った。先端で炒飯の外壁を崩し、ショベルカーの要領でざっくり一口分取り分ける。
そして、火傷しないよう十分に冷ましてから口元に運ぶ。舌先で転がすようにして米を噛み締めると、ちゃんと中まで火が通っていて、米がパラパラしているのが分かる。
一方で味はというと、幸いというべきか、料理下手がよくやる砂糖と塩を間違えて使用するだとか、見た目は綺麗なのに味はおそ松さんということもなく、しっかりと味付けがなされていた。どうやら俺の心配は杞憂に終わったようだ。
「……どう?」
不安げに俺の一挙手一投足を見つめていたさざめは、恐る恐る感想を尋ねててくる。あえて焦らすようにゆっくりと炒飯を嚥下し、次いで余韻を楽しむかのようにほうと息を吐いた。
「……美味いよ」
「ほんと?」
「ああ、本当に。すごい美味いよこれ。ご家庭で簡単にプロの味だよ」
「ま、まぁた、そんなお世辞なんか言っちゃってぇ。このこのっ。よっ、上手いねー」
口ではそんなことを言っているものの、さざめは口角を緩ませて軽く笑みを浮かべていた。俺に料理の腕を褒められたのがそんなに嬉しかったのかな。それともただ単に褒められ慣れていないだけか。どちらにしても料理が美味いことには違いない。
だが、あまり美味い美味いと連呼しては賛辞が安っぽくなってしまうので控えておく。代わりといっちゃあ何だが、炒飯を綺麗にかっ食らうことでその美味しさをすることに表現しよう。
それから数分間、俺はほぼ無言で炒飯を口に運び続けた。一回一回ちゃんと味を噛み締めて最後まで愉悦に浸りながら完食。感謝の伏せ丼は怒られそうなのでやめておいた。
「ご馳走さま、ありがとうな」
「お粗末様、どういたしましてっ」
すっかり空になった皿を見て、さざめもやっと安心したのか、そこでようやく楽にする。
「死神の手料理を食べた男なんて異世界広しといえど、俺ぐらいなもんじゃないか?」
「かもね。それを言ったら人間に手料理を作った死神もあたししかいないかもしれないよ?」
「なるほど。つまりお互いに初体験ということか」
「その言い方だとなんかえっちっぽく聞こえるね」
「な、そういう意味で言ったんじゃ……!」
さざめは「分かってるって。圭はホントにからかいがいがあるなー」とけらけら笑い、再びつられるようにして俺も声を上げて笑う。
この短時間で俺とさざめの距離はだいぶ縮んだと思う。あくまで俺の方はだが。
もし彼女がそう感じてくれていなかったとしても、ならこれから良好な関係を築いていけばいい。
焦る必要はないのだから。
時間は有限だけど、可能性は無限なのだ。
人間だとか、死神だとか、そんなことは重要じゃない。大事なのは当人の気持ちだ。
自分が仲よくなれそうだと感じたのならその時点で可能性はあるんだ……って何を力説しているんだろう、俺は。