次郎は、いつものように酒瓶を傾けながら、山小屋の縁側で少年を見ていた。
拾った時は死にかけの赤ん坊だったガキが、今じゃ俺の半分以上の高さまで伸びやがった。
黒髪は風に揺れ、指先には古い傷跡がいくつも刻まれている。それでも、奴の黒い目はいつも澄んでいた。
誰かが困ってると、すぐ駆けつける。自分がボロボロになっても、まず相手の無事を確かめる。そんな奴だ。
「おい瞬。指の皮、剥けてんぞ」
瞬は木の的に向かって指を突き刺す動作を止め、ちらりと自分の指を見た。血が滲んでいる。でも、瞬は平然と答える。
「平気。もう慣れた」
また始める。一本の指で、木の幹の小さな節目を正確にノック。
木が一瞬、硬直する。まるで時間が止まったように。
──ノッキング。
個性なんかなくても出来る「止める」技。俺がこの個性社会で瞬が生きるために十年かけて叩き込んだ、ただの技術だ。
「個性ねぇ、わしから言わせればあったら便利程度じゃがな」
この世界じゃ、無個性は「ヒーロー失格」の烙印だ。雄英の入試だって、個性なしで受かる奴なんざ、ほとんどいねェ。
なのに、こいつは明日、そこへ行く。一般入試とはいえ、個性持ちのガキどもがウジャウジャいる場所へ。
「瞬……お前はな、捨てられたくねェから、捨てられる前に捨てちまおうとしてる。気をつけるこったな」
次郎の呟きに、瞬は手を止めた。
「え?」
「なんでもねェ。ただ……明日から雄英だ、気張っていけよ」
瞬は少し戸惑った顔をして、でもすぐにいつもの優しい笑みを浮かべた。
「わかってるさ、ジジイ」
次郎は一口酒を煽り、酒瓶を置いた。夕陽が山の稜線に沈みかけ、小屋の影が長く伸びる。瞬は最後に一度、木をノックした。木が静かに止まる。まるで、世界が瞬の指先に従うように。
「ジジイ、飯作るよ。今日は山菜の天ぷらでいい?」
小さく頷いた。
「……ああ。お前が作る飯は、うめェからな」
瞬は笑って小屋の中へ入っていった。背中が、少しだけ大人びて見えた。次郎は空を見上た。
(明日からだな、瞬。お前の『一瞬』で、この個性社会に、一石を投じてみせろ)
静かな山に、酒の匂いと、少年の足音だけが残った。
────翌朝、雄英高校正門前────
受験生の波に飲まれながら、瞬は静かに息を整えた。
個性で派手に騒ぐ者たちの中で、ただの「人間」は異様に目立たない。
と思っているが、山での特訓により瞬の肉体は同学年とは思えないほど完成されており。良い意味で目立っているが本人にその自覚はなかった。
その時、爆発音のような声が響いた。
「どけよ、雑魚ども!」
爆豪勝己が、周囲の受験生を睨みつけながら強引に道を切り開いて歩いてくる。
金髪の頭が揺れ、手のひらから小さな火花が散っている。
周りを威嚇しながら動いていた視線が瞬の体格に一瞬止まった。
「……チッ、何だテメェ。山から出てきた猿かよ。邪魔だぞ」
瞬は穏やかに笑って、
「お前はイガグリの仲間か? 同じ山育ちじゃねぇか」
爆豪は一瞬、眉を吊り上げる。
「イガ!? ……んだッ! テメェこの!」
瞬は変わらず柔らかく返す。
「そんなことよりもう時間だよ、イガグリくん」
「……チッ! 覚えとけよ山猿!」
爆豪は舌打ちを大きくして、肩をぶつけるように通り過ぎた。だが、去り際にちらりと振り返った視線は、どこか引っかかった様子だった。
────筆記試験会場────
机に着き、問題用紙が配られる。
ヒーロー法規、戦術論、個性倫理、物理・化学の基礎……。
瞬は鉛筆を握り、迷わず解答を埋めていく。次郎の声が、頭の中で響く。
「個性に頼る奴は、個性の限界でしか戦えねェ。理論を知りゃ、無個性でも先を読めるんだ」
周りの受験生が個性の応用問題で頭を抱える中、瞬は淡々と進める。
個性倫理の問題──「個性の暴走を防ぐための法規」
戦術論では、ロボットの弱点(関節、油圧部、センサー)を具体的に指摘。
(ジジイが言ってた。道具に頼らず、道具を理解する側になれ)
試験終了のベルが鳴る。瞬は席を立ち、廊下で深呼吸した。
「ふぅ……」
指先を軽く鳴らし、ノッキングの感覚を確かめる。血の滲んだ傷が、少し疼く。
「ここからが本番だ」
────実技試験会場・模擬市街地(B会場)────
プレゼントマイクの声が爆音で轟く。
「スタート!! 10分でぶっ飛ばせェェェ!!」
ゲートがに開き、瞬は怒涛のように飛び出す。山で何年も鍛え抜いた肉体が、火を噴くように動き始める。
「行くぞ!」
1ポイントロボットがビームを乱射しながら迫る。
瞬は低く身を沈め、地面を蹴る。コンクリートがひび割れ、瞬の体が弾丸のように射出される。
「ふッ!」
ロボットの胸部装甲に、右拳を叩き込む。
ドガァァン!! 金属が爆ぜ、火花が四散。内部回路が一瞬でショートし、ロボットが膝から崩壊。
ポイント1獲得。
「なんだ今の衝撃!?」
「次い!」
2ポイント中型ロボットが両腕を振り回して襲いかかる。
瞬は空中で体を捻り、回転しながら膝蹴りを叩き込む。
「オッラァァ」
ゴオオオオン!! ロボットの胴体が大きくへこみ、内部から火花が噴き出す。巨体が吹き飛び、ビル壁に激突して停止。
ポイント2追加。
「まだまだぁ!」
3ポイント大型ロボットが咆哮を上げ、ビームを連射。
瞬は瓦礫を盾にしながら猛ダッシュ。ビル影を跳び越え、死角から飛び込む。
ロボットの脚部油圧部に、低い位置から渾身のアッパーカットをぶち込む。
「チェストォォ」
ガキィィン!!
金属が悲鳴を上げ、脚が折れ曲がる。巨体が傾き、地面に激突。衝撃波で周囲の瓦礫が舞い上がる。
ポイント3獲得。
「きゃぁぁ」
突然、崩落音が響く。近くのビルが崩れ、瓦礫の下に少女が閉じ込められ悲鳴が上がる。
その悲鳴につられロボットが、少女に向かって突進する。
瞬は即座に方向転換。
「させるか!」
ロボットを砕き瓦礫を拳で粉砕し、少女を抱き上げる。
「大丈夫か?」
「はひ!? だッ大丈夫でしゅ」
救助した女の子の安否を確認し次の目標に向かう瞬間。ビルの崩壊音と共に0ポイントの巨大ロボット「アリーナトラップ」が出現。
「ゼッ0ポイント……ねぇ! 早く逃げましょう」
高さはビル20階分を超え、腕を一振りするだけでビル群が粉々に砕け散る。地面が震え、受験生たちが絶叫しながら逃げ惑う。
「いや……」
瞬は少女を安全な場所に下ろし、ゆっくりとロボットを見上げる。
拳を軽く握りしめ、静かに息を吐く。
「ここで逃げる奴がヒーローになれるかよ」
瞬の全身が熱を帯びる。筋肉が極限まで収縮し、血管が浮き上がる。心臓の鼓動が会場に響く。
「行くぞ!!」
地面を蹴った瞬間、コンクリートが直径30メートルにわたって粉砕。
衝撃波がドーナツ状に広がり、空気が爆発的に引き裂かれる。
瞬の体が音の壁を突破し、巨大ロボットに向かって一直線に向かう。
「ビッッッッグバン!!!」
右拳がロボットの中心に直撃する。
ドガァァァァァァァァァァァン!!!!!
爆音が試験会場を震わせ、衝撃が空を突き抜ける。装甲が一瞬で蒸発し、内部の油圧・回路が全損。衝撃波が放射状に広がり、周辺のビルのガラスが一斉に割れる。
巨大ロボットの巨体が、完全に崩壊し瓦礫の山を形成する。
プレゼントマイクの声が、興奮と驚愕で上ずる。
「な、なんだこの破壊力!? 試験史上最大級の衝撃波だァァァ!! タイムアップ! 実技試験……終了!!」
煙と瓦礫の山が広がる模擬市街地巨大ロボットの残骸が静かに横たわり、火花がぱちぱちと音を立てている。
受験生たちは呆然と立ち尽くし、遠くからプレゼントマイクの興奮した声が響く。
「すげェェェ!! 試験史上最大の衝撃波だァァァ! 全員、退場! 結果は後日発表だぞォォ!!」
瞬は着地した場所で、ゆっくりと体を伸ばす。右腕に軽い熱と痺れが残り、全身の筋肉がじんわりと疼く。まるで激しいトレーニングの後のように。
「お〜いちち、これやると体中が痛いんだよな……」
瞬は苦笑いしながら、拳を軽く振る。痛みは強いが、骨折や内出血レベルではない。
少女が駆け寄ってくる。顔は涙でぐしゃぐしゃだが、笑顔だった。
「ありがとう……! 本当に……ありがとう! あなたがいなかったら、私……」
瞬は穏やかに笑って、頭を軽く撫でる。
「無事でよかった。もう大丈夫だよ。早く外に出て、休みな」
少女は頷き、他の受験生たちも退場していく。
────山小屋・数日後────
夕陽が山の稜線を赤く染める。次郎はいつものように縁側で酒瓶を傾けている。足音が近づき、瞬がリュックを背負って帰ってきた。
「ただいま、ジジイ」
次郎は酒を一口飲み、ニヤリと笑う。
「遅ェぞ。試験、どうだった?」
瞬は縁側に腰を下ろし、拳を軽く開閉する。まだ少し筋肉痛が残っている。
「受かったと思うよ。0ポイントのデカブツも……ぶっ壊したし」
次郎は小さく笑う。
「そうかそうか、そりゃ良いことを聞いた。祝いだ今日はわしが飯を作ろう」
「マジ!? ジジイの飯上手いから楽しみだ」
次郎は酒瓶を置いて立ち上がり、小屋の中へ入る。
瞬は少し驚いた顔で後を追う。普段は瞬が料理を担当しているのに、今日は珍しく次郎が鍋を火にかける。
「ジジイ、今日は何作るの?」
「山菜の鍋だ。わしが昔、旅してた頃に覚えたやつだ。酒も少し入れて、味を深くする」
次郎は意外に手際よく野菜を切り、鍋に放り込む。瞬は隣で火を調整しながら、ふと呟く。
「ジジイ……俺、雄英で無個性だってバカにされるかな」
次郎は鍋をかき回しながら、静かに言う。
「バカにされたら、ぶっ飛ばせばいい。それすら出来ないほど弱く鍛えたつもりはねぇ。それに……ヒーローってのは、個性じゃねェ。誰かを守る心だ」
瞬は少し目を伏せ、笑う。
「ありがとう、ジジイ。俺雄英で……もっと強くなるよ」
次郎は鍋の蓋をして、酒瓶を手に取る。
「ふん。期待してるぞ。合格通知が来たら、わしも酒をもう一本開ける」
その夜、鍋の湯気が立ち上る中、二人は静かに食事をした。山菜の甘みと酒の香りが混ざり、温かい空気が小屋を満たす。瞬は箸を止め、ふと窓の外を見る。
「……明日、本当に合格通知が来るかな」
次郎は酒を煽り、ニヤリ。
「来るさ」
翌朝、瞬は山を下り、郵便受けに届いた封筒を開ける。
雄英高校からの合格通知。
瞬は封筒を握りしめ、空を見上げて笑った。
「ジジイ……やったよ」
山小屋の縁側で、次郎は酒瓶を掲げて待っていた。
「遅ェぞ、瞬。祝いの酒、開けるぞ」
瞬は走って駆け寄り、二人は拳を合わせる。
これから始まる、無個性ヒーローの物語。
読んだくれてサンガツ