さよならエトワール   作:人格分裂

5 / 10
自分が愛せないところを愛してくれる人間が傍にいて欲しい

 

「手加減無し。全力で。一発とは言わないわ。幾らでも好きにしなさいな」

「……嫌だよ」

 端的な否定を吐いた。

 言ってみて初めて気が付いたけれど、こんなに身も蓋もない、冗談でも婉曲でもない、避けようの無いほどに直球な拒絶の言葉を吐いたのは、とても久し振りだ。その音階は喉をザラリと引っ掻いて、酷くちくちくとした感触を感じさせている。

「どうして? 言うことは聞くんじゃなかったの」

「それは、貴方の利益になることならなんでもするって意味だ。貴方を傷付けるという意味じゃない。俺が実際にそうであるかはさておいて、ロボット三原則でもまず他者に危害を加えないことが第一条件な訳だし」

「貴方、少しは自分の言葉で喋ることを覚えたらどう?」

「俺の言葉は嫌だ以上でも以下でもないよ」

 人に殴られた経験は殆どない。筈だ。覚えていない。元来、嫌なことから喉元を過ぎて行く性質だから。

 それでも根源的に、殴られることは嫌だと思っているし、殴りたくも無いと思っている。

「……良いでしょう?」

 嗜虐的に少女は笑う。

 相変わらず彼女は意味が分からないけれど、いつもいつも彼女のことが漠然と正しいと思っていたし、今もそうだとは思っているけれど、今だけは絶対に譲れなかった。

「貴方、さっきまで私がいなくてせいせいしていたでしょう。良いのよ? 私に何も苛立っていない訳が無いでしょう。全部、私にぶつけてしまえばいいのよ」

 変なものを飲んだとも、変なものを見たとも思えない。可能・不可能以前の問題で、彼女はそんなものに簡単に影響されるような人間では無かった。彼女をこうまで狂わせる何かが、不在の間にあったに決まっている。けれど、何も心当たりがない。

「私は私自身が人に好かれるような人間じゃないことも分かっているし、少しばかり横柄に接し過ぎたとも思っているわ」

 退屈を宿した瞳で。

 それと同時に、何か焦がれているような瞳で。

「……お姫様。貴方は何か、俺を勘違いしている。俺はそんなことを何も求めていない」

「そうね。私も貴方も、あんまり互いのことは理解できていないもの」

 最早、酔っている暇では無かった。

 ペットボトルに詰まった水を一撃で全て飲み干して、無理矢理頭を振って、冷静に還ろうとする。

 重力に従って堕ちようとする瞼をどうにか持ち上げながら、すとんと床に座り込む。同じ高さで、必死に少女と視線を合わせる。

「俺は自身に価値を見出していないけれど、貴方をとても価値のあるものだと思っている。だから、貴方に自身を割くことに何も抵抗は無い。あと、気に障ったことがあれば言葉で語る。暴力に訴える程原始的ではない」

「私が貴方を度々踏むのは原始的なのかしら」

「貴方のは、……腕が無いことで発生したノンバーバルコミュニケーションだから当然だと思って受け入れる。俺がそれをするのは話が違う」

「何も違わないわ。私は口が利けない訳じゃないのだから」

 

「貴方に何の利益がある訳?」

「貴方が少なからず嫌な顔をするでしょう?」

「それは、……貴方の得になるの? だって、それは、」

「ええ」

 

「──私、貴方のこと、嫌いだもの」

 

「貴方が不快な思いをするのが好き。貴方が表情を歪めるところが見たい」

 

「なのに、貴方は一つもそんな素振りを見せないんだもの。私が排泄に失敗しても、長い時間髪と身体を洗わせても、高い物を買わせても、どれほど罵倒しても、踏み躙っても、乱雑に扱っても、貴方は悦びもしなければ文句も言わない。これじゃ、張り合いが薄いんだもの」

「……」

「もしかして、貴方、私が貴方を好きで、貴方を大切にしているとでも思っていたの?」

 ──言葉が継げなかった。

 長らく、自己に閉じこもってばかりいた。蛹にもなれない芋虫だった。だから、今までこんなに感情が乱されたことは無かった。

 こんな風な──押し留めておけない類の激情が人間にあるだなんて、知らなかった。忘れていた。

「つまらない話ばかり長くて、いつも退屈で、」

 なるほど、こういうときに、人は人を殴るのかもしれない。

「私のことを見る目が下卑ていて、虫唾が走るもの。そんな貴方のことが、私は不快で堪らない」

 人間は所詮獣であって、こうした感情に言葉でラベル付けができない生物なのだ。どれほど高尚に振舞おうとしたって。

「だから、殴って」

「……しないよそんなこと」

 強情、と、相も変わらず呆れたように少女は言う。

 それがどれほど蔑んだ口調であろうと、それがどれほど正しく思えても、やはり意思を曲げる気は無かった。

「じゃあ、こうしましょう」

「駄目だよ。分かった、話は明日に持ち越そう。もう遅いから、一旦──」

「嫌よ。私はこんなものを抱えたまま眠りたくないもの。少しばかりは快適な睡眠を欲しがっても良いでしょう?」

 鮮やかに言い切って、少女は立ち上がった。

 ゆっくりと足を持ち上げて、その綺麗な踵で、とんとんと頬を小突いた。

「貴方が私を殴らないのなら、私が貴方をぐちゃぐちゃに蹴り飛ばすわ」

 

「貴方が泣いてもやめてあげない。この部屋が血塗れになるまで、貴方が舌を噛み切って死ぬまで、貴方を蹴り続けるわ」

 

 視線の先で、貴方は、静かに項垂れた。

 何かをぼそぼそと呟いていた。

 

「どう?」

 

 貴方のことは、やはりあんまり分からないのだ。私は。

 けれど、貴方の善悪は大体理解している。

 だから、分かる。

 自身が被害者になって、相手を加害者にするよりも、

 自身を加害者に仕立ててしまう方を、貴方は優先する。

 

「……メルティ」

「なあに?」

 

 立ち上がった。失意に満ちた瞳を揺ら揺らと揺らして、彼は私の背後へと周り込んだ。

 クローゼットの蝶番が軋む音。

 何かを取り出して、地面に置く音。

 確かに、そこには救急箱があったな、なんて。

 

「…………俺は好きだよ。メルティのこと」

「そうね」

 

 振り向きざま、野暮にもほどがある暴虐的な痛みが、頬に走った。

 

 ▲▼▲

 

 

 

 

「ねえ」

 と、いないと分かっている筈の貴方に声を掛けた回数が、数十回。

 

 

 

 

 

 

 何も困っていないのに、貴方に縋っていたくて、立ち上がった回数がこれまた数十回。

 後付けの用事を何か探そうとして部屋を一周して、また座る。その行為はただ無為なだけでは無くて、この部屋に貴方がいないことをもう一度認識することにも繋がっていて、その度に不愉快だった。

 

 

 

 

 

 

 

 喉が渇いたとも思わなかった。

 お腹が空いたとも思わなかった。

 風呂に入りたいとも思わなかった。

 眠りたくは無かった。

 

 義手の無い私にできないことは、最初から望んでいなかった。

 貴方がいなければできないことは、貴方がいないならできなくても良かった。

 

 ただ、貴方がいないことだけが私の陥穽だった。

 両肩の先に生まれた空っぽの洞よりもずっとずっとずっとずっとずっとずっとフェイタリティな欠落が私の中にはあった。

 貴方の形をした孔が空いている。傷口ではない。命が零れるための穴ではない。

 ただ、その孔を過ぎ去ってゆく風が冷たいだけのこと。身体の内側を凍えさせてしまう程度のこと。……それだけのことがこんなに耐え難いだなんて、知らなかった。知りたくも無かった。

 

 あまりに苛立って、私は何度も繰り返して、貴方の部屋にあった丸いクッションを蹴り続けていた。

 それ以外に欲求不満の発散のしようが無かったから。

 やがてそれは根負けしたかのように引き千切れて、中から安っぽい綿が溢れた。

 その様を見ていると、なんだか私の内側からも何かが溢れるような感触がして、……気付けば私は泣いていた。みっともなく。自分の愚かさが嫌になるほどに。しゃくりあげて、嗚咽を零して、仕方のない赤子に似ていた。

 腕が無い所為で涙が拭えない代わりに、千切れたクッションに顔を埋めた。そうして流した涙が吸い込まれ続けて水蒸気に還ってゆく。貴方がそれを呼吸で吸い込むのを想像して、それを縁に理性を手放さないように必死だった。

 

 

 

 

 ──常に地面に寝そべって寝ていた彼が枕に使っていたそのクッションからは、当然だけれど彼の香りがした。

 

 

 

 

 喉が渇いたとも思わなかった。

 お腹が空いたとも思わなかった。

 風呂に入りたいとも思わなかった。

 眠りたくは無かった。

 

 貴方が欲しかったの。私。

 

 生命が潰えても。現実で生きられなくても。動物としての欲が全て枯れてしまっても。

 別にいい。どうでもいい。

 

 ただ、貴方が傍にいてくれたらいいの。

 私のことだけで手いっぱいな貴方がいいの。

 

 

 

 

 ──そんな内心がこんな形で出力されるなんて、本当に面倒な女よね。私。 

 

 宙を浮いている僅かな時間で、そんなことを考えていた。

 

 

 派手な音と共に、私の身体は転がってゆく。

 背中が痛い。背骨が痛い。硝子が割れるような音がして、私の身体はベッドフレームに衝突した。

「……痛いわね」

「だからやらないって言ったのに」

 声が降ってくる。彼は私の正面に座り込んで、救急箱から取り出した消毒液とガーゼを私に付き付けようとしていた。

 床に下半身を投げ出した私は、今久し振りに、彼に見下げられている。今だけは気分が良い。

「馬鹿ね、貴方」

 じくじくと痛む頬。不愉快な口腔内の感覚。血が混じった唾液と噛み切ってしまった肉の塊を呑み込むと、惨めと恥の味がする。

「馬鹿は貴方だよ。今は、……今だけは」

「……そうかもしれないわね。でも、私が馬鹿なんだったら、今の貴方は無知よ」

 ばたばた、と、エタノールの溶液が地面に落ちて跳ねる。

 彼の手は震えていたのだ。力が入らないのか、或いは入りすぎているのか。

 

 ──零れる。

 医者にもかかれないような人間性の彼にとっては貴重であるはずの医療薬が、折角出番を用意して貰えた便利な道具が、無為に散ってゆく。そのぴちゃぴちゃという音が、濡れた感触が、どうにも苦手だった。

 水滴。──涙。

 水滴。──消毒液。

 人間の肉体組成の過半数を占める元素。己の内側にあるものほど、己の近くにあるものほど、慣れ親しんで、簡単に嫌悪してしまえる。嫌だと思えてしまう。そこから生まれたのだという事実を知っているから、私の身体が生まれた瞬間から沈んでいたと知っているから、私はそこから逃れようと藻掻いて、藻掻いて、溺れ死ぬ。

「……」

「畜生」

 珍しく直接的に汚い言葉を吐いて、彼はその手元に持った道具を地面に叩き付けた。

 自身の肩に取り憑いた幽霊を振り払うかのように強引に腕を振り回した。

 背後にある机の角に手の甲がぶつかる。強い衝撃が地面を揺らす。

 大して痛くもないけれど、義務感だけで痛そうにしておく、そんな機械的な様子で手首を振る。

 彼のそんなあらゆる一挙手一投足は、不器用で、粗くて、現実に根差していた。藻掻いていた。

「拾わないで」

 彼は何も言わなかった。ただ、動きを止めて、私のその先を促している。

 だから、無遠慮に言ってやった。

「女の子の傷にそんな化学薬品を塗り込むなんて、野暮にもほどがあるわ」

 ──転がっているピンセットを、足先で蹴り飛ばした。

 ゆっくりと身を起こして、彼の瞳を射抜いて、私はやはり無表情を必死に繕っている。

 

 見上げる。額が触れるほどの近距離で。

 見つめる。消えた電燈。カーテンの隙間から漏れる僅かな光すら、私の前髪で遮ってしまう。

 表情は見えなかった。ただ、ぼんやりと霞んで浮かび上がったその瞳孔が揺れている気がした。

「もっと適したものがあるでしょう」

「……そうなの」

「そうよ」

 

 頬が痛かった。

 背中が痛かった。

 理不尽なことに、私は慰めて欲しかった。

 

「──キス、して」

 

 

 唇が震えていた。

 睫毛が揺れていた。

 貴方はやはりそうだった。どれほど強固に魂が清廉と潔癖と禁欲を旨としていても、貴方は僧でも無いし神父でも無ければ仙人でも山伏でも牧師でも無い。信じる神がいるのではなくて、寧ろ信じるものが何も無い貴方が一人で唇を噛んでいるだけ。その心臓を律するほどの機能は無く、理想から投影されたその肉体は虚像らしく、剥離され、乖離した、卑俗の肉塊。

「……しっかり狙って。貴方の唇と唾液を寄越して」

 彼は笑っていなかった。必死に目を見張って、怯えている訳でも無いだろうに、可哀想に、凍えている。

 

 

「お願い」

「────」

 

 何度か吐息を噛み殺して、瞳孔を見開いて、彼は私へと引き摺られてゆく。

 

 

 

 此の瞬間に、見えたのは、

 彼の首筋の黒子だった。

 

 

 

「…………嫌だった?」

「全然。だけど、そうしたら駄目だと思った。今も、そう思ってる。後悔は止まない」

 抱き締めてあげられたら、その泣きそうな瞳を癒せただろうか。相変わらず、私は間が悪い。貴方を程良く愛撫することに向いていない。傷付けることばかりに向いている。

「…………素直ね」

 どれほど彼が消毒液で擦っても、上書きされることのない温さが停滞している。私の全身は何よりも悦楽していた。この生涯のあらゆる不愉快を吹き飛ばしてしまいそうになるほどの強い衝撃だった。

「…………風呂、入ってくる」

「そう。倒れないように気を付けて。私は何もできないから」

「うん……」

 

 視界から彼が消えた。

 

 

 また、独りになってしまった。

 

 

「……お姫様。服、濡れるよ」

「もう手遅れよ。……貴方が脱がせて。貴方がしてくれないと、私にどうしろって言うの」

「……裸見ることになるけど」

「今更? 毎日身体洗わせてたでしょう」

「今まではなるべく見ないようにしてたから。……でも今の俺は、……貴方の裸から目を逸らすことも、それで何も感じないようにするのも、多分できない」

「そう。良いわよ、別に。だからといって何かが変わることは無いでしょう? 少なくとも私の身に限っては、だけれど」

 

 

「私の血縁じゃない人間で、裸体を見ても良いのは現状貴方だけよ。品が無くならない程度に見蕩れなさい」

「…………やっぱり目隠ししても良い?」

「全く反応を示さないと言うのもそれはそれで失礼じゃなくて?」

「失礼とかそういうものを超えたことを沢山した気がするんだけどね」

 

 

「貴方、普段こんなシャワー浴びてるの?」

「熱いでしょ。俺は過激なものばかり好きだから」

「物好きね」

 

 

 

「私ね」

「うん」

「貴方のことを考えると不愉快な気持ちになるの。──心臓が痛くなる。正気じゃいられないような錯覚に頭が支配される。貴方の前では見栄ばかり張って、貴方に賢いって思われることばかりが至上命題になってしまう。こんな感情に支配されて、普段の私とは全く異なる思考回路になってしまうから。その私は、私じゃないのに、誰よりも本源に近い私なの」

 

「……私は認めたくないけれど、認める気も毛頭ないけれど。貴方が目にしているのが、私。貴方が愛しているのが、私。私と貴方は互いのことを理解できていないけれど、貴方と私は互いに観測し合って生きていて、…………」

 

 

「なんて言えば良いと思う?」

「……俺で良いのかな。俺は、……貴方のことが好きなだけな、ただの凡人だけど」

「良いのよ。私、貴方のこと、ある程度は好きだもの」

「つまらない話ばかり長い俺でも?」

「あら、そこが一番刺さったのね」

「刺さったよ。泣くかと思った」

「少しも思っていないと言えば嘘になるけど、本音じゃないわ。気にしないで。……いや、良いわ。少しは気にして」

「随分俺の人生に疵を残したいらしい」

「貴方が残した孔に比べれば、大したことは無いわ」

 

 

「……自分らしさってものが何なのか、って話は、色んな言葉を変えて世界中に溢れてる。こういった文脈における自我の強さって、他人に流されない自分の価値観が大事だとか、自分の意志を曲げないとか、そういったものを美徳にする結論に帰着するものが多い。別に悪いとは思わないし、それは色んな軋轢に疲弊した情動が引き起こす反作用としてはとても自然なものだと思う」

 

「でも、……誰かのお陰で自分を歪めることになって、それが本意なものでは無いからと言って、その全てを自分のものじゃないって否定するのは、狭量で、自身を疎かにすることに他ならないんだろうなって。貴方といて、そんなことを思うようになった」

 

「月が光っている姿は、喩えそれが海の反射が生み出すものであって、自分から輝いているわけではないからと言って、それが月の光ではないとか、月が綺麗だと思う心が嘘だとか、そんな訳じゃないんだ。誰かと一緒にいる自分だって、全くの零から作られる態度じゃないんだ。ならばそこには存在意義があって良い筈だ」

 

「自分が愛せないものを切り捨てるんじゃなくて、自分が愛せないところを愛してくれる人間が傍にいて欲しいって思ったよ。俺は」

 

「或いは──自分の嫌いな場所を同じように憎んでくれる人間がいれば、それはどれほど気分が良いだろうって」

 

「そう。……そうね」

 

「…………貴方は、愛してくれる? あらゆる手段を用いて貴方を加虐することでしか貴方との関わり方は分からないの。身体の痛みよりもよっぽど酷く私を傷付ける不愉快な疼痛と、まともに付き合うことのできない弱い私を、それでも愛してくれる?」

「愛してるよ。愛してる。熱湯を浴びるより、酒を飲んでいるよりも、よっぽど貴方の方が強いから。この枷で、重荷で、それでしかない肉塊を人間らしく動かしてくれる電気信号は、きっと貴方だけだから。……貴方がいないと、少しだけ寂しくなる」

「あら、寂しかったの?」

「寂し過ぎて死ぬほど飲んだし、んな酔っ払いにちゃんと構ってくれるほど殊勝な奴もいないよ。適当にあしらわれてすごすご帰ってきたって訳。二次会にも行かなかっただろ。貴方に早く会いたかった」

 

「ああ。……そう。それは、……悪いことをしたわね」

「憐れだと笑ってくれても良いよ」

「……嬉しくて笑いそう」

「お姫様にはそりゃ喜ばしいか」

 

 

 振り返らない貴方の背中に、額を触れさせて、重心を押し付けてみる。

 その程度ではびくともしない筈だ。私の身体は軽いから。なのに貴方はみっともなく身体を跳ねさせて、背骨の向こうからの心音が聞こえてしまいそう。

 

「……私ね。もう少しここに居たいの」

「好きにして良いよ。俺のことを顧みて生きる必要なんて無いんだから」

「そうね。……まあ、帰る計画はまたおいおい考えれば良いわ」

 

「それでね、その。何にせよ、もう少し貴方と過ごさなくてはならない訳よね。そうなると、その。……今日の件は、私にも非が無いとは言えないというか」

 

「ええ。ある程度は、私にも悪かった点が無い訳では無いわ。幾ら貴方が寛容だからと言って、超えてはならないラインを少しばかり爪先で踏んでしまったような気がするわ。……許して、とは言わないわ。…………許しなさい」

「貴方、さては死ぬほど命乞い下手でしょ」

「……まあ、そう、ね。良いのよ。命乞いが上手くたって現代では意味無いもの。許しなさい」

「…………うん。でも、まあ、割とちゃんと傷付いたんだよね俺」

「そ、……そうよね。それは当然だわ」

 

「俺のこと好きって言ってくれたら傷も癒えるかもな……」

 

「……そ、そう」

「言ってくれたら嬉しいな。うん。どうですか?」

「……もしかして貴方、いや、もしかしなくても」

「言って欲しいな。……言って欲しいです。言ってくれませんか。俺寂しかったんだから」

「酔い抜けて無いわね絶対に。貴方ずっとそんなのだったの」

「……駄目なら良いですけど」

「駄目ね。そんなつまらないことを堂々と宣うような愚か者にはなりたくないもの、私」

「…………俺のこと嫌いなんだ?」

「知能低下が著しいわね……」

 

 溜息を吐く。

 貴方の肩を叩く代わりに、足の甲を二度軽く踏む。

 

 意図を汲み取ってしまった貴方は、振り返ってしまう。

 

「……何」

 薄目で私の身体を眺めながら、拗ねたように彼は言った。

 潤んだ瞳。濡れている以上に濡れた顔。

なんだ。貴方も泣いていたのか。

 私はそれに思い当たって、申し訳ないのと同時にやっぱり嬉しくて、性格が悪い。

「…………」

 ──。

「……」

 ──────。

「……はい。これでもう文句は無いでしょ」

 

「無いわね。じゃあ、身体洗って。寒いのよ」

「……長かったね。二回目」

「貴方みたいな臆病者とは違うのよ、私」

 




割とお気に入りなパートです。
読了ありがとうございます。感想・評価してくださると幸いです。
あともう少し続きます。お付き合いください。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。