【完結&3章リメイク中】VRMMOで【食屍姫】になった無職だけど、現代ダンジョンでも化け物扱いされ始めて嬉しいです! 作:ちんこ良い肉
高校時代の私は、かなり分かりやすく終わっていた。
進学校にいた。周囲には、ちゃんとした奴らがいたのよね。中学の頃みたいに、露骨に腐った人間ばかりというわけではなかった。普通に挨拶して、普通に雑談して、普通に部活や塾や恋愛の話をして、たまに「一緒に帰る?」とか「今度カラオケ来なよ」とか、悪意なく声をかけてくるような連中だった。
だからこそ、余計に噛み合わなかった。
悪人相手に怯えるならまだ理屈は立つでしょう。でも、相手はそこまで悪くない。むしろ、たぶん善良な部類だった。それでも私は、そいつらの輪の中へ入れなかったのよね。声が出ないのだもの。
スマホゲームをやっている奴の後ろへ、何度か無言で立ったことがある。話しかけるきっかけが欲しかった。仲良くなりたかった。今なら分かるけれど、普通に怖いわよね。背後に黒い気配だけが立っていて、しかも喋らないのだから。
でも当時の私は、本気でそれが第一歩になるかもしれないと思っていたのよ。
何も言えなかったけれど。
結局、向こうがこちらに気づいても、私は「……」と固まるだけで、意味の分からない愛想笑いを浮かべて、そのまま逃げるようにトイレへ向かった。ずっとそんな調子だった。
便所を拠点にしていた。
文字通り、拠点だったわ。鍵がかかる。狭い。誰も入ってこない。昼休みも、休み時間も、そこに籠もっていた。便所飯、というほど優雅なものですらない。高カロリーのレーションみたいなものを流し込み、ラードを舐め、他にも色々な“餌”を腹へ突っ込んでいた。
成長期で、常に腹が減っていたのよね。
でも、食べることに意味はなかった。美味しいとか、不味いとか、そういう感覚はほとんど死んでいたわ。ただ成長という穴が身体の奥にあって、そこへ餌を詰め込んでいた。詰めないと倒れるから。詰めても満たされないけれど、詰めなければもっと駄目になるから。
高校時代に、美味しいと感じた記憶はほとんどない。
あの時期の食事は、幸福ではなく作業だった。補給だった。空腹を黙らせ、意識を保ち、机へ戻るための手順でしかなかったのよね。
噛み合わない。
何もかもが、噛み合わなかった。
善良な同級生とも噛み合わない。雑談にも入れない。友達になろうと言われても、カラオケに誘われても、怖くて行けない。社会進出チュートリアルセットみたいな、あいつらとすら噛み合わないのなら、もう人として終わりでしょう。
だから、せめて学歴というメッキが必要だった。
他に何も無かったから。
コミュニケーション能力。
社会性。
良心。
人が人たる、澪みたいな正規品の歯車たる三大要素が、私には致命的に足りていなかった。だったら、それ以外で殴るしかないでしょう。知能で。学歴で。肩書きで。そういう、誰の目にも分かりやすい形で、自分を社会へねじ込むしかなかったのだわ。
だから、東大に行く。
絶対に。
それができなきゃ、何も無い。
それしか武器が無いんだから。
寝るな。回れ。
回れ。回れ。それをやめた瞬間、泥になる。
食ってる瞬間も単語帳に目を通せ。ゲームも漫画も手を出したら終わりだ。そんなものに逃げたら、その時点で負ける。社会の歯車になる、人間になる、最後のチャンスなのだと、本気でそう思っていた。
食う。
籠もる。
勉強する。
それで三年。
一生分の努力を使い果たすくらいに、必死だった。
平均で一日十六時間は勉強していたと思う。意識が飛びかけながらペンを動かしたこともあるし、机の上で一瞬だけ落ちて、起きた瞬間に単語帳を開き直したこともある。睡眠時間は削れるだけ削った。遊びは全部切った。ゲームも漫画も、その時期は本当に一切やらなかった。あのママが、ひたすら飯だけはくれていたけれど、味なんて分からなかった。噛んで飲んで、また机へ戻る。それだけだった。
進学校でも、成績はどうにかギリギリ上位層へ入った。
でも、全てを捨てても届かない。
その感覚は、ずっとあったわね。周囲の連中は、部活をして、友達と笑って、文化祭だの恋愛だのをしながら、私と同じかそれ以上の位置にいた。正規品の歯車ってこういうことなのだろうと思った。人間の形をしたまま回れる連中。私はそれができないから、全部を切って、全部を燃やして、それでようやく食らいつく。
朔にすら、「そこまでやらなくてもいい」と言われたことがあった。
私は、ぶん殴った。
生まれついて正規品の歯車に何が分かる、と。
あいつは何も言わずに部屋へ帰った。今思えば、あの時の私はだいぶ終わっている。いや、今でもだいぶ終わっているけれど、あの時はもっと切羽詰まっていたのだわ。やめたら泥になると思っていた。回るのを止めた瞬間、私はもう二度と人間側へ戻れないと、本気で信じていた。
そして、落ちた。
東大に。
落ちた日、早稲田の合格も出ていた。
今なら分かる。普通にすごいでしょう。我、早稲田ぞ。胸を張れ。よくやった。称賛に値する。そう言える。
でも当時の私には、何一つ救いに見えなかった。
早稲田も受かってるよ、と誰かが言った気がする。
家族が何か言っていた気もする。
でも、音としてしか入ってこなかった。
終わりだ、と思った。
浪人?
無理。
全部を使い果たした。怠惰なクズが、本能に逆らって、全てを絞りきって、それでも届かなかったのよ。絞り出せるものなんて、もう一滴も残っていなかった。最後のチャンスを取り逃がした。なら、損切りでしょう。
ベルトを輪っかにした。
その時の静けさだけは、今でも妙に覚えている。泣きもしなかった。悔しいとか悲しいとか、そういう派手な感情も出なかった。ただ、ああ、無駄だったのだわ、という感覚だけがあった。
これだけやっても、自分を肯定できない。
これだけ足掻いても、人間になれない。
泥の断章だった。
◇
……とまあ、こんなのが高校時代である。
今思えば、視野が狭すぎたわね。
東大へ行けなければ終わり?
何を大げさな、と思う。だって早稲田よ。普通にすごいわよね。あの時の私は本気で、自分を人間側へ繋ぎ止めようとしていた。
善良でもなかった。
社交的でもなかった。
余裕なんて一つもなかった。
それでも、三年間、回るのを止めなかった。
泥の歯車なりに、必死で社会へ噛み合おうとしていた。
◇
……とまあ、こんなのが高校時代である。
今思えば、視野が狭すぎたわね。
東大へ行けなければ終わり?
何を大げさな、と思う。だって早稲田よ。普通にすごいわよね。あの時の私は本気で、自分を人間側へ繋ぎ止めようとしていた。
善良でもなかった。
社交的でもなかった。
余裕なんて一つもなかった。
それでも、三年間、回るのを止めなかった。
泥の歯車なりに、必死で社会へ噛み合おうとしていた。
「……待ちなさいよ」
私は布団の中で、天井を見つめながら気づいてしまった。
「私、オタサーの姫になれたのでは?」
声に出した瞬間、あまりにも完璧すぎて、自分で少し引いたわね。
だって見てみなさいよ。顔はまあ悪くない。スリーサイズも十分。黒髪陰キャ。オタク。ゲーマー。日課ツムニー。布団常駐型。人付き合いは終わっているけれど、そのへんはむしろ“守ってあげたい感”へ変換できる余地があるでしょう。しかも、彼氏とかいるんですか? みたいな質問へ、ちょっとだけ目を逸らして「……い、いないわよ別に……」とか返せば、童貞共なんて一撃だったはずなのよね。
馬鹿だから。
いや、馬鹿は言い過ぎかしら。でも、少なくとも、ああいうのへ夢を見る層はいるでしょう。分かるわ。私だって、ちょっと分かるもの。隅でゲームしてる女が急に話しかけてきたら、何かあるのではって思うでしょう。思うわよね? そこで少しだけ笑って、ちょっと距離を詰めて、共通のソシャゲの話でも振って、たまに「それ、すごいわね」って褒めてやれば、もうサークル内カーストの頂点までは一直線だったのではなくて?
「…………」
私はしばらく黙った。
思い返せば、早稲田にいた頃の私は、何をしていたのか。
トイレの個室を結界にして、Switchやってた記憶しかない。
終わってるでしょう。
講義棟の空気がしんどい。食堂は人が多い。サークル勧誘は怖い。知らない人間が話しかけてくるのはもっと怖い。結果、一番落ち着くのが個室だったのよね。鍵がかかる。狭い。敵が少ない。しかも電源が近い時もある。完璧なダンジョンだったわ。
そこで私は、イヤホンをして、膝へSwitchを載せて、世界を救ったり、魔王を倒したり、モンスターを狩ったりしていた。
現実では、誰ともほとんど喋らずに。
「何やってんのよ私……」
オタサーの姫どころか、トイレの妖精じゃない。
いや、妖精ならまだ可愛いけれど、実態としては“個室へ棲みついた謎の黒い気配”だったわね。たぶん目撃されていたら、普通に害獣カテゴリへぶち込まれるのは時間の問題だったと思う。サークル勧誘どころか、学内注意喚起の対象でしょう。
でも、惜しいところまでは行っていた気もするのよね。
見た目だけなら、まだ擬態の余地はあった。 属性だけ見れば、かなり強い。 問題は中身だった。
彼氏とかいるんですか、と聞かれて初心な反応を返す以前に、私はたぶん「……は?」って真顔になるか、挙動不審で「い、いないけど……何で……?」って警戒心を丸出しにするか、最悪、その場から逃げて個室へ籠もる。駄目だわ。姫ムーブ以前の問題なのよ。王国が始まる前に城門を閉じているタイプ。
それに、仮にうまくいったとしても、そのうち絶対にボロが出るでしょうね。
差し入れのお菓子を全部食う。 打ち上げで十人前を平らげる。 徹夜マルチの最中に「眠いから帰る」じゃなく「布団が恋しいから死ぬ」って言う。 距離感を間違えて急に背後から画面を覗く。 あとたぶん、サークルの備品を売る。
駄目だわ。
害獣カテゴリどころか、封印指定まで見えてきた。
「……まあでも」
私は布団の中で寝返りを打った。
「一回くらいは、ちやほやされてみたかったわね……」
そう呟いてから、少しだけ笑った。
結局のところ、私はオタサーの姫になれなかったし、大学生活はトイレ個室とSwitchの記憶にかなり侵食されている。けれど今の私は、世界規模で飯を送られているのよね。
オタサーの姫ではない。
胃袋インフラの姫。
いや、姫ですらないかしら。公共珍獣の女王とか、そのへんかもしれない。
「……うん、やっぱり嫌だわその肩書き」
でも、まあ。
童貞共を手玉に取るルートよりは、今の方がちょっとだけ、私らしいのかもしれないわね。
■■■■■
総理大臣官邸、地下。
特別防空壕を改修した対接続現象対策会議室には、分厚い報告書をめくる紙の音だけが残っていた。
「……以上が、玉織紬という生物の報告書、か」
総理が静かに呟くと、室内の何人かが小さく息を呑んだ。
生物。
その言葉を選んだ自分に、総理自身も少しだけ苦味を覚えた。 人間、と言い切るには、肉体の事実があまりにも重い。 怪物、と切り捨てるには、報告書の後半に並ぶ人間臭さがあまりにも生々しい。
自業自得の悪事。 社会不適合。 食欲。 善性への憧れ。 歯車願望。 中学時代の傷。 大学受験のの失敗。 製氷工場での退職。 面接で気絶した記録。 それでも、役に立ちたいという執着。
その全部が、同じ一人の女の中に詰まっている。
会議室の外から、かすかな声が聞こえた。
『……だから来てって言ってるでしょう!? いや野暮用って何よ! 私が今から総理と話すのよ!? 国家よ国家! こっちは社会性の怪物と戦うところなのよ!?』
防音扉越しでも分かるくらい、相当に慌てている声だった。
誰かに電話しているらしい。
『ちょっと! 切らないで! 野暮用って何!? 私より大事な野暮用って何なのよ!? いや、別に私が大事とは言ってないけど! でも来なさいよ! 精神的救援物資として! ……切った!? あの女、切ったわね!?』
数秒の沈黙。
次いで、扉の向こうから、布か何かをばふばふ叩くような音がした。
『終わった……終わったわ……私、総理大臣の前で胃液吐いて床を溶かす未来しか見えない……。龍兄どこ行ったのよ……村山君もいないし……ああああ、社会性が濃い……壁の向こうからもう濃い……』
内閣情報調査室長が、わずかに視線を落とした。
「……かなり怯えていますね」
「こちらも同じだ」
総理は言った。
それは本音だった。
怖い。
当然だ。 怖くないはずがない。
扉一枚の向こうにいる女は、飢えれば車両を食う。 戦車砲を飲み込み、迷宮を噛み砕き、怪異を補給食のように処理する。 機嫌を損ねればどうなるか、空腹にすればどうなるか、国家として想定しなければならない。
玉織龍は言った。 彼女は民間人だ。 怪物扱いするな、と。
総理は、その言葉を軽んじるつもりはなかった。
だが、国家の元首として、履き違えるわけにもいかなかった。
少なくとも、肉体に限れば、玉織紬は怪物である。
それを認めないことは、優しさではない。 現実から目を逸らすことだ。 国民を守る立場の人間が、それをしてはならない。
戦術級兵器に匹敵する個体を、ただの繊細な女性として扱うわけにはいかない。 摂食対象が戦車や核汚染物に及ぶ存在を、通常の民間協力者と同じ枠へ押し込めるわけにはいかない。 危険は危険として評価する。 怪物性は怪物性として記録する。 それを怠れば、守れるはずの命を守れなくなる。
しかし。
それでも。
玉織紬は、日本国民だった。
この国で生まれ、この国で失敗し、この国の学校で傷つき、この国の工場で働こうとして挫折し、この国の公務員試験を受け、この国の家族へ迷惑をかけ、この国の食べ物を食い荒らし、この国の渋谷で怪異を食い止めた。
どうしようもなく厄介で。 どうしようもなく危険で。 どうしようもなく手間がかかる。
それでも、国民である。
国家にとって、国民とは、優秀な者だけを指す言葉ではない。 善良な者だけを指す言葉でもない。 扱いやすい者、役に立つ者、礼儀正しい者だけを守るなら、それは国家ではない。
迷惑な国民もいる。 失敗する国民もいる。 社会に馴染めない国民もいる。 とんでもない力を持ってしまった国民もいる。
それでも、守る対象であることに変わりはない。
防衛大臣が、低く言った。
「総理。率直に申し上げます。危険です」
「分かっている」
「彼女を信頼しすぎるのは危うい。かといって、敵に回すのは論外です」
「それも分かっている」
「ならば、どう扱いますか」
総理は、報告書を閉じた。
厚みのある紙束が、重い音を立てる。
「怪物として警戒する」
室内の空気が引き締まる。
「そして、国民として遇する」
誰もすぐには返答しなかった。
「玉織龍補佐官の言葉は正しい。彼女をただの兵器として扱えば、我々は一線を越える。だが同時に、彼女の危険性を見誤れば、国民を守れない。だから両方だ。警戒し、備え、記録し、制御策を用意する。その上で、彼女を一人の国民として扱う」
総理は扉を見た。
向こうではまだ、玉織紬が小さく騒いでいる。
『……いや、帰りたい。帰りたいけど、ご飯出るって聞いたし……でも総理……総理って何話せばいいの? 支持率? 税金? 年金? 全部怖い……』
側近の一人が、思わず小さく笑いかけて、すぐに表情を引き締めた。
総理は咎めなかった。
笑えるなら、まだいい。 完全な怪物としてしか見えなくなったら、人はもう笑えない。
「向こうも怯えている」
総理は言った。
「我々が彼女に怯えているように、彼女もまた、我々に怯えている。ならば、最初に示すべきものは威圧ではない」
「では、何を」
「国家の覚悟だ」
総理はゆっくりと立ち上がった。
怖くないわけではない。
扉の向こうにいるのは、現代国家の常識では測れない存在だ。 一歩間違えれば、会談ではなく災害になる。 国家の元首として、それを軽視することはできない。
だが、恐怖だけで相対するわけにもいかない。
相手は化け物だ。 少なくとも、肉体は。
そして同時に、愛しき民だ。
守るべき国民だ。
必要なら、国家は命を賭ける。 国民を守るために。 国民から、国民を守るためにも。 そして時には、国民自身が自分を怪物としてしか扱えなくなることからも。
総理は、扉へ向かって歩き出した。
側近たちが姿勢を正す。 警備が緊張する。 研究員が息を止める。
扉の向こうで、玉織紬が情けない声を上げた。
『あっ、やだ、足音する。来た。絶対来た。総理の足音って何? 音に責任感がある……無理……』
総理は、わずかに口元を緩めた。
そして、胸の内で静かに呟いた。
さあ来い。
化け物。
そして、命を賭して守るべき、いとしき国民よ。