【完結】VRMMOで【食屍姫】になった無職だけど、現代ダンジョンでも化け物扱いされ始めて嬉しいです!      作:ちんこ良い肉

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第51話

 

 

 ――そして、命を賭して守るべき、いとしき国民よ。

 

 総理は胸の内でそう呟き、分厚い扉へ視線を向けた。

 

 会議室の空気は、まだ統合レポートの余熱を残していた。玉織紬という一個人について、あそこまで長く、あそこまで詳細に、しかも国家安全保障の文脈で語られる日が来るなど、数年前の自分へ言っても信じなかっただろう。

 

 

 扉の向こうから、かすかに声が漏れてきた。

 

「……この、幼馴染がいのない女め……! 人が国家規模の社会性圧で死にかけてる時に、野暮用って何よ、野暮用って……! 私より優先される野暮用、世界に存在していいのかしら……いや、存在するわね。むしろだいたいの用事は私より優先度高いわね。腹立つ……!」

 

 声は綺麗だった。

 

 綺麗なのに、内容がだいぶ終わっていた。

 

 扉の前で待機している玉織紬は、誰かへ電話をかけていたらしい。こちらからは相手の声までは聞こえない。ただ、紬がスマホ画面へ向けて何かしら品のない意思表示をしている気配だけは、なぜか容易に想像できた。

 

「来なさいよぉ……友達でしょうが……いや友達かどうか知らないけど、葬式で泣くって言った責任を取りなさいよ……今、私の社会性が死ぬかもしれないのよ……!」

 

 側近の一人が、何とも言えない顔をした。

 

 これから国家として交渉しようとしている相手が、扉の外で幼馴染らしき誰かへ助命嘆願に近い愚痴を垂れ流している。しかもその内容が、友情と恨みと自己卑下と食い物への執着でぐちゃぐちゃに混ざっている。

 

「……もういいわよ。薄情者。次に会ったら寿司奢らせるから。特上。回らないやつ。あと焼肉。あとケーキ。あと――」

 

 そこで職員が扉を開けた。

 

「玉織様。総理がお待ちです」

 

「ひゃいっ!?」

 

 黒いパーカーの女が跳ねた。

 

 スマホを胸元へ隠し、背筋を伸ばし、目を泳がせ、それから何事もなかったように咳払いする。慌てて着たのだろうスーツは、明らかにサイズが合っていなかった。肩が浮き、袖が余り、布地の硬さに本人が負けている。足元の黒いスニーカーだけが、場違いなほど彼女自身に馴染んでいた。

 

 衣服に着られている、という言葉がこれほど似合う二十六歳もなかなかいない。

 

 けれど、顔だけは妙に整っていた。

 

 色白で、青みのある瞳。黒髪は艶があり、表情は少し気だるげで、黙っていれば陰のある美人に見えなくもない。むしろ、黙って、背筋を伸ばし、余計なことを言わなければ、かなり強い部類だろう。

 

 黙っていれば、という条件付きではあるが。

 

「た、玉織紬です。本日は、その、お時間をいただき、ありがとうございます」

 

 丁寧だった。

 

 少なくとも、丁寧にしようという意思はあった。

 

 総理は立ち上がり、軽く頭を下げた。

 

「こちらこそ、来ていただいて感謝します。先ほどの会議では、負担をかけました」

 

「あ、いえ……こちらこそ床を溶かしてすみませんでした……」

 

 最初の謝罪がそれでいいのか、と側近の一人が目を伏せた。

 

 総理は何も言わなかった。あの胃液の件を忘れている者など、この部屋には一人もいない。

 国政の修羅場など、いくらでもくぐってきた。

 

 だが、目の前の女を見てるとすでに喉の奥が少し乾くのを感じた。

 

 こちらも怯えている。

 

 その事実を、総理は認めた。

 

 彼女が政府という社会性の塊に怯えているのと同じように、こちらも彼女に怯えている。

 

 国民を守るために、怪物性を見誤ってはならない。

 

 同時に、国民を守るために、彼女が国民であることも見失ってはならない。

 

 その両方が、総理の責任だった。

 

     ◇

 

 紬は席へ通されると、椅子の前で一度固まり、それからぎこちなく座った。

 

 目線は合わない。総理の顔の方へ上がりかけて、途中でネクタイの結び目あたりへ落ち、そこからさらに資料へ逃げる。手元のスマホを触りたそうにして、すぐに我慢する。膝の上で指を組んだり解いたりしながら、何とか「ちゃんとしている人間」の形を保とうとしている。

 

 その全部が、本人なりの努力として伝わってきた。

 

「食事を取りながらで構いません」

 

 総理がそう言うと、紬の目だけが一瞬で生き返った。

 

「えっ」

 

「緊張で体調を崩されるより、その方がいいでしょう。こちらで用意しています」

 

 合図とともに、控えていた職員が弁当箱を運び込んだ。

 

 弁当というより、重箱だった。

 

 米、肉、魚、卵、揚げ物、煮物、果物、高カロリー補助食。普通の人間なら数日分の量だが、紬はそれを見た瞬間、少しだけ表情を緩めた。肩の強張りが、食べ物の気配によってほんの少し溶ける。

 

「……政府、やはり良いところがありますね」

 

「評価が食事に寄りすぎている気もしますが、喜んでいただけたなら何よりです」

 

「いただきます」

 

 紬はきちんと手を合わせてから食べ始めた。

 

 その礼儀正しさ自体は本物だった。食べ物へ対する敬意だけは、疑いようがない。箸の扱いも、思ったより綺麗だった。出されたものを粗末にしない、作った人間への礼を忘れない、という一点に関しては、かなり真っ当ですらある。

 

 ただし、その後の速度が問題だった。

 

 箸が動き、米が消え、肉が消え、魚が骨ごと消える。煮物を味わっているような顔をした次の瞬間には、もう器が空になっている。揚げ物を一つ食べたと思えば、次の呼吸で三つ減っている。

 

 そして、彼女は総理の説明へ一応頷きながらも、明らかに返事より咀嚼を優先していた。

 

「まず、渋谷事変後の国内状況ですが――」

 

「はい」

 

 返事は早い。

 

 だが、目線は豚角煮に向いている。

 

「日本国内で確認されたダンジョンは現在百。諸外国がおおむね五十前後で推移していることを考えると、我が国は突出して多い」

 

「はい」

 

 今度は唐揚げが消えた。

 

「探索者は特別テスターを中心に六万人規模。しかし高位ダンジョンへ即応可能な人材は限られます」

 

「はい」

 

 紬は卵焼きを追加で二つ取った。

 

「魔石については、すでに各省庁で重要資源として扱っています。エネルギー、医療、農業、資源加工、防衛。いずれの分野でも、既存の制度を根本から揺るがす可能性がある」

 

「はい」

 

 今度の「はい」は、口の中の米を飲み込みながらのものだった。

 

 総理は、静かに尋ねた。

 

「今の説明は、理解できていますか」

 

「はい」

 

「どの部分を?」

 

「……日本が、多いです」

 

「何が?」

 

「……ダンジョン?」

 

 語尾が疑問形だった。

 

 側近の一人が、こめかみを押さえた。

 

 紬は自分でもまずいと思ったのか、慌てて背筋を伸ばした。

 

「すみません。聞いてはいます。聞いてはいるのですけれど、揚げ物のタイミングが良すぎて、脳のリソースが少し持っていかれました」

 

「魔石の用途については」

 

「……すごく、便利」

 

「具体的には」

 

「電気とか、医療とか、農業とか、防衛とか……あと、たぶんご飯にも関係します」

 

「最後は?」

 

「すみません。願望が混ざりました」

 

 その場に、奇妙な沈黙が落ちた。

 

 総理は、改めて思った。

 

 玉織紬はクズである。

 

 それは、同情で消していい事実ではない。

 

 人の話を聞く場で食事を優先している。理解していないのに、分かったような顔で頷く。目線を合わせられないのは仕方ないにせよ、相手の言葉より胃袋の要求が前へ出る。態度として褒められたものではない。

 

 しかも、これは極限状態だから出ている一時的な悪癖ではないのだろう。

 

 報告書には、その種の記録がずらりと並んでいた。家庭内の食料を盗む。金品を勝手に使う。アルバイト中に役割を果たせないまま給料は受け取ろうとする。赤の他人の結婚式に紛れ込み、食事を貪る。悪いと分かっている。にもかかわらず、空腹や逃避が前に出ると、行動が追いつかない。

 

 善悪判定は真っ当。  なら少しは改善しろ。

 

 そう言いたくなる者の気持ちは、総理にも分かる。

 

 その迷惑を、最も近くで引き受けてきた者たちがいる。

 

 とりわけ、玉織結。

 

 玉織家当主。日本政府の暗部に深く関わり、対怪異・対異能の最前線を長く支えてきた、鉄面のような女。

 

 総理は、まだ官僚だった頃のことを覚えている。紬と龍が生まれてから、結が官邸の片隅で、珍しく鉄面を崩して愚痴をこぼしていた姿を。あの女が、任務でも怪異でも政争でもなく、自分の子供たちのことで本気で頭を抱えていた姿を。

 

 冷蔵庫を襲撃される。食費が国家予算の端数みたいな勢いで膨らむ。家庭内の金品が消える。躾と保護の境界が崩れる。それでも、娘であり、息子であり、家族である。

 

 結が受けた迷惑は、本物だった。

 

 彼女は被害者でもある。玉織紬という娘を愛し、守り、叱り、殴り、時には島へ流し、それでも見捨てなかった母親であると同時に、紬の異常性に人生のかなりの部分を削られた人間でもある。

 

 紬はクズだ。

 

 迷惑をかけている。

 

 しかしその迷惑は、本人の悪性だけでは説明できないほど大きいのもまた事実だ。

 

 異常な食欲。異常な肉体。異常な社会不適合。そこへ本人の怠惰や自己中心性や逃避癖が重なり、迷惑性が本人の悪性をはるかに超えて膨れ上がっている。

 

 真っ当な燃費と最低限の社会性があれば、せいぜい少し迷惑な人間で済んだかもしれない女が、家庭内と近隣で災害になっていた。

 

 行政が扱うべきなのは、その迷惑の調整先だった。一言の先だった。

 

「玉織さん」

 

「は、はい」

 

 紬は卵焼きを飲み込んでから返事をした。少し慌てている。敬語を維持しようとしているが、口元に米粒がついていた。

 

「まず、前提を共有します。あなたを拘束するつもりはありません。所有するつもりもありません。兵器として扱うつもりもない」

 

「……兵器」

 

「あなたの肉体能力だけを見れば、そう呼びたくなる者はいるでしょう。私も、国民を守る立場として、危険性を無視することはできません」

 

 紬の箸が少し止まった。

 

 総理は、慎重に、間違えないように言葉を選んだ。

 

「ですが、それと同時に、あなたは日本国民です。こちらが仕事を頼むなら、それは怪物への餌付けではなく、国民への依頼でなければならない。働きに対して、対価を支払う必要がある」

 

 紬は、今度は真面目にこちらを見ようとした。

 

 目は合わなかった。総理のネクタイの少し下あたりを見ている。それでも、聞こうとしているのは分かった。

 

「……仕事、ですか」

 

「はい」

 

「面接は」

 

「ありません」

 

 紬の瞳に、ほんのわずかな光が宿った。

 

「集団面接も?」

 

「ありません」

 

「黒パーカーで来ても?」

 

「業務上危険がなければ、服装規定は最小限にします」

 

「……かなり良い条件ですね」

 

 側近の一人が、職歴条件より先に服装と面接を気にするのか、という顔をした。総理は咎めなかった。

 

 彼女にとってそこが地獄だったのだろう。

 

 筆記や作文ではなく、面接で壊れた女にとって、面接なしというだけで十分に救いになり得る。スーツを正しく着ること、目を見ること、適切なタイミングで相槌を打つこと、場に合わせて自己を整えること。そういう、普通の人間が「少し緊張する」で済ませる一つ一つが、紬にとっては胃液を吐くほど重い。

 

「具体的には、特別協力探索者として登録していただきます。国の正式な委託業務です」

 

「委託……つまり、公務員味がある?」

 

「公務員味と言うかそのものですね」

 

 総理は続けた。

 

「高位ダンジョンへの協力、スタンピード時の緊急対応、魔石回収、怪異死骸や迷宮残骸の処理。そして段階的な試験を経て、有害物質や核廃棄物の処理協力も検討します」

 

「核廃棄物」

 

 紬は復唱した。

 

 恐怖ではない。

 

 むしろ味を想像している顔だった。

 

「食べていいんですか」

 

「安全性が確認された範囲で、です」

 

「安全性って、私の?」

 

「あなたと、周辺環境の両方です」

 

「ああ……なるほど。吐いたり汗かいたり血が漏れたりすると、逆に面倒かもしれませんものね」

 

 理解の方向がだいぶ嫌だったが、的外れではなかった。

 

「その通りです。ですから、無制限に食べてよい、という話ではありません。こちらが指定したものを、指定した場所で、記録を取りながら処理していただく」

 

「……指定されたものを食べる」

 

「はい」

 

「それで感謝される」

 

「少なくとも、国家として正式に評価します」

 

「報酬は」

 

「危険度と成果に応じて支払います。任務前後の食事、活動後の休憩場所、必要な場合の睡眠設備も用意する。空腹状態での会議は禁止。長時間の対人説明は担当者を介します。生放送での公式広報は原則なし。必要な場合は短い事前収録にします」

 

 紬は弁当の唐揚げを見つめたまま、じっと黙った。

 

 

紬のクズ度

  • 100
  • 90
  • 80
  • 70
  • 60
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