VRMMOで【食屍姫】になった無職だけど、現代ダンジョンでも化け物扱いされ始めて嬉しいです! 作:ちんこ良い肉
世界は、変わっていた。
それは比喩ではない。渋谷事変以降、ダンジョンと魔石と特別テスターの存在が社会の表側へ流れ出した時点で、旧来の産業構造も、安全保障も、雇用観も、すでに別物へ変わり始めていた。
その変化を、もっとも露骨に加速させたのは、皮肉にも玉織紬だった。
彼女が高位ダンジョンから持ち帰ったロボット群。迷宮産の自律機械。外見は作業用重機と人型補助機械の中間に近く、内部構造は現行技術ではほとんど理解できない。だが、試験運用の結果だけは明白だった。
ブルーカラーの現場が、劇的に楽になった。
重量物の搬送、危険区域での点検、老朽インフラの補修、高所作業、災害復旧、物流倉庫の仕分け。人間がやれば身体を削り、事故の危険を抱え、長時間労働になりがちな作業を、ロボット群は淡々と肩代わりした。しかも完全な代替ではなく、現場作業員の指示と判断を受けて動く"便利な腕"として設計し直されたため、雇用そのものは奪われなかった。人間は判断し、責任を負い、危険な部分だけを機械に任せる。それだけで実質労働時間は目に見えて減り、生産性はむしろ上がった。労働は消えなかった。ただ、少しだけ軽くなったのだ。
ホワイトカラー側にも変化は起きていた。同じく迷宮から回収された情報処理端末と、百年後の未来にでも存在しているのではないかと思える性能のAI。それらを、政府はあえて"労働者の代替"ではなく"労働者の道具"として提供した。管理権は人間側に置き、判断権も現場や組織に残す。資料作成、議事録、法令照合、予算案の粗整理、翻訳、設計補助、教育教材の個別最適化。面倒で、時間を食い、だが最終判断には人間の責任が必要な領域を、AIは恐ろしい精度で支えた。
さらに、ロボットの遠隔操作技術によって、非特別テスターでもダンジョン攻略に間接参加できるようになった。危険度の低い区域であれば、探索者本人が現地へ入らずとも、遠隔機体を通じて採掘、偵察、魔石回収補助、罠処理を行える。もちろん深層や高位ダンジョンには通用しない。だが、それでも"特別テスターだけがダンジョン資源へ触れられる"時代は、早くも終わり始めていた。
ダンジョン生まれの新秩序で、日本は三歩リードしている。そう評してよかった。そして、その原点に玉織紬がいる。贔屓抜きで、まごうことなき社会の歯車だった。少なくとも、持ち帰った資源と結果だけを見れば。
他国からも、玉織紬の引き抜きを狙う人間は現れた。高額報酬、移住支援、専用補給環境、研究協力、治外法権に近い特別待遇まで提示された例もある。だが、彼らの多くは、調査段階で帰国した。玉織紬の生態が、あまりにもあまりだったからだ。
食費。社会性。空腹時リスク。涎による床材侵食。自分の身体を食って回復する異常行動。家庭内窃盗歴。政府会議で胃液を吐いた記録。さらに先日、酔っ払った状態で妹のゴスロリ服を勝手に持ち出し、魔法少女マジカル☆ツムニーと称して繁華街を徘徊し、職質を受け、泣きながら逃げ帰り、妹に物理的な目潰しを食らった件。そのあたりの記録を見た外国担当官は、そろって「我が国では扱えない」という結論に達した。
実際、そうだろう。日本政府としても、扱えているわけではない。たまたま玉織家と公安と補給班と、本人の"職歴が欲しい"という切実な願望が噛み合って、どうにか制度の中へ押し込んでいるだけだ。
希望を運んだのも玉織紬だった。ロボットも、AI端末も、魔石も、鑑定紙片も。そして絶望を読めるようにしたのも、同じ女だった。
◇
総理大臣官邸地下、対接続現象対策会議室。
そこで本当に問題になっていたのは、玉織紬が先ほど提出した【鑑定紙片】によって、ついに読めるようになった一節だった。
接続真書。第七接続【黄昏】。これまで黒く塗り潰されたように読めなかったその項目が、ようやく解読されたのである。
内容は、簡潔だった。
半年後、あらゆる迷宮がSSS級へ変質する。それまでの接続現象を遥かに凌ぐ厄災級の怪物たちが、全ダンジョンから同時に溢れ出す。それを凌いだとしても、異界よりさらに上位の存在群が流入する。神話生物。ファンタジー生物。SFの怪物。シンギュラリティの極致に至った機械知性。魔王軍とは比較にもならない、世界観そのものが違う災害。扇動と変身を最悪の形で兼ね備え、国家中枢へ浸透し得るドッペルゲンガー。あらゆる核を自由に操作し、任意の地点で核爆発を引き起こせるAI。都市を一口で飲み込むショゴス。強化された二代目魔王。その他これを凌ぐ怪物達。そして最後に出現する終焉の怪物。
【喰界屍姫:玉■■】
誰も止められない。世界は滅ぶ。
要約すれば、そういうことだった。文体は事務的だった。予言というより、運用計画書に近い。発生時期、脅威分類、初期被害予測、文明崩壊過程、残存人類の推定割合。どれも冷静で、簡潔で、整っている。だからこそ、節々に滲む嘲りが際立った。小さな生き物たちが、最後の数ヶ月を希望だの経済発展だの新産業だのと騒ぎながら踊っている。その様子を、上位の何者かが見下ろして楽しんでいる。そういう悪意が、文章の奥に薄く貼り付いていた。
「……ダンジョン景気は」
内閣情報調査室長が、乾いた声で言った。
「終末前の、最後の祭りということですか」
誰も答えなかった。
総理は資料を見つめていた。タルタロスオンライン。そこには、そう記されていた。エリュシオンオンラインではない。この差には意味がある。少なくとも、接続真書の書き手は意図的に名前を使い分けている。第五接続【羽化】を引き起こした運営、あるいはそれに連なる誰か。ゲームを通じて世界へ干渉し、人類の反応を眺め、最後には【黄昏】へ導く存在。上位者。あるいは、創造主気取りの何か。
会議室に絶望が沈殿していく。それは叫びではなかった。怒号でも、混乱でもない。もっと重く、もっと静かなものだった。
総理は、自分の家族を思った。妻を思った。友人を思った。名も知らぬ国民たちを思った。働き方が少し楽になった工場作業員。AI補助で定時に帰れるようになった若い官僚。遠隔ロボットでダンジョン資源を掘り、初めてまともな収入を得た地方の青年。ようやく回り始めた、泥でできた歪な歯車のことも思った。
玉織紬。あの女が、やっと自分の食欲を仕事にできるようになったところだった。ようやく泥の歯車が回り始めた。その矢先に、世界の方が歯車ごと砕ける予定だと判明した。
その名を、総理たちは終末の怪物として読んだ。そして同じ頃、当の玉織紬は、自分の進化候補の先に同じ名があることを知らないまま、青白いウィンドウと向き合っていた。
◇
銀座S級ダンジョンから帰ったあと、私はまだ目の前に浮かぶウィンドウを睨んでいた。
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【第四候補】
【■■龍■】
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読めない。いや、読めないのだけれど、そこに何かがあることだけは分かるのよ。文字が塗り潰されているのに、意味だけが胃袋の奥へ落ちてくるみたいな、かなり嫌な表示だったわ。私は慎重に、続きを開いた。
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【存在進化候補 四】
【■■龍■】
【分類】
仕様外進化。
食屍姫系統外より■■■によりねじ込まれたイレギュラー。
通常進化候補ではありません。
【概要】
捕食・屍肉・変性・龍性が混線した、未定義進化先。
超低確率で、捕食対象、被捕食対象、または深く食らい合った相手の能力・性質を模倣、変質取得する場合があります。
進化後の安定性は保証されません。
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普通に考えれば、選ばないわよ。仕様外。イレギュラー。安定性保証なし。こういう単語が並んでいる時点で、まともな人間は引き返すでしょう。政府に相談する。龍兄に相談する。ママに相談する。総理に報告する。そういう正しい手順を踏むはずだわ。
でもね。
私は、これがいいと思ったのよ。強く。本当に、強く。
理由は分からない。理屈もない。暴食姫のように分かりやすく食欲を刺激するわけではないし、転移屍姫のように社会の歯車としての用途が見えるわけでもない。領域屍姫のように正統進化の匂いがするわけでもないのに、なぜかこれだったのだわ。たぶん、これは横道なのよ。食屍姫という系統から、どこかへ無理やり噛み破って抜ける、仕様外の横道。正しいかどうかは分からない。安全かどうかも分からない。けれど、喰界屍姫へまっすぐ滑り落ちるよりは、まだ私らしい気がしたの。
気味が悪い。でも、逆らえなかったのよね。
私は指を伸ばした。
「……まあ、私の人生、だいたい仕様外みたいなものだし」
そう言って、第四候補を選択した。
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【存在進化を開始します】
【個体名:玉織紬】
【進化先:食屍龍姫】
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痛みが来ると思ったわ。実際、来た。でも、それ以上に空腹が来たのよ。
身体の奥から、ばきばきと何かが組み替わる。背中が裂け、肩甲骨の奥から熱い骨が伸びる。皮膚が破れ、黒い翼が展開した。薄い膜ではないわ。肉と骨と鱗と羽が混ざったような、ひどく禍々しい、けれど妙に美しい翼だったの。額の内側が軋み、角が生えた。皮膚の一部が硬質化し、黒い鱗が浮かぶ。指先の爪は少し長く鋭くなり、髪の内側には鱗粉めいた黒い艶が走った。青みのある瞳の奥が、ほんの一瞬だけ縦に裂けた気がする。喉の奥には、今までの【飢餓咆哮】とは違う、もっと深い炉ができていた。胃袋が増えたわけではない。けれど、胃袋の概念そのものが広がったような感じがしたのだわ。
私は膝をついた。
「……ドラゴン要素、どこから生えてきたのよ」
元々はグールだった。食屍姫になった。今は、ドラゴンなのかグールなのか、よく分からないわ。まあ、最初から人間なのか怪物なのかもよく分からなかったのだし、今さら分類が増えたところで、私の社会性が劇的に下がるわけではないでしょう。すでに底の方にいるのだから。
玉織さんちのメイドラゴン、などという最低の言葉が頭に浮かんだ。メイド要素はどこにもないのよ。あるのは食費と羽と角と、だいぶ終わった燃費だけだわ。
ウィンドウが開く。
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【存在進化完了】
【種族:食屍龍姫】
【習得・変質スキル】
【喰界領域】
※魅了効果はオミットされています。
【転移魔術】
※現段階では未成熟。実用には訓練が必要です。
【暴食活性】
※摂食行動全般に補正。
【龍鱗生成】
※身体変性由来防御能力の上位化。小規模核攻撃相当までの防護可能性を確認。
【龍翼飛翔】
※物理法則を一部無視した高速飛行。
【界滅爪牙】
※【断界歯牙 LV10】より派生。空間・結界・高位耐性への破砕力上昇。
【屍龍喰息】
※【飢餓咆哮 LV10】より派生。飢餓咆哮の正統進化ブレス。
【暴食咆哮】
※音響・空間圧による広域威圧咆哮。
【■■■■】
※詳細不明。
【既存スキル補正】
【偽装経典】を除く全スキルが最大値へ到達しました。
【偽装経典】が1レベル上昇しました。
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「……は?」
私は固まった。
魅了がオミットされた【喰界領域】。まだ使い物にならない【転移魔術】。全スキルレベルMAX。小規模核を無傷で防げるかもしれない【龍鱗生成】。物理法則を半分無視する【龍翼飛翔】。噛み砕けなかったものがそもそも記憶にない【断界歯牙】の上位版。飢餓咆哮の正統進化ブレス。空間が歪むほどの声。謎の【■■■■】。
そして。
【偽装経典】が1レベル上昇しました。
世界を焼けるブレスより、核を耐える鱗より、空間を噛む爪より、私の目はそこに釘付けになっていたのよ。たった1。でも、私にとってはその1が、たぶん一番遠かったのだわ。
「……そこだけ渋いわね」
思わず呟いた。
でも、1レベルでも上がったのだ。あの、毎日必死に使ってもまるで伸びなかった【偽装経典】が。寝起きに起動して、コンビニで起動して、政府職員へ挨拶する時に起動して、ママへごめんなさいを言う時に起動して、朔へ謝る時に起動して、龍兄へ罵倒する時にまで起動したのに、ずっと伸びなかった。私が社会の歯車へ近づくために、一番欲しくて、一番届かなかったスキルが、やっと1だけ進んだのよ。全スキルMAXより、そっちの方がよほど胸に来るあたり、私という女はつくづく戦闘向きなのか社会向きなのか分からないわね。
ただ、感動する暇はなかった。
腹が減った。
生まれてから一番、腹が減ったわ。成長期の頃、ご先祖様へのお供え物を食べ、ついでに他家のお供え物まで食い尽くし、折檻でコンクリ詰めにされて東京湾へ沈められ、三日間何も食えなかったあの地獄でも、ここまでではなかったのよ。胃袋が、空っぽというより、世界の側へ穴を開けている感じがするの。身体中の細胞が口を開けていて、骨も、血も、髪も、爪も、羽も、角も、心臓も、脳も、全部が食べ物を要求している。
ぐううううううううううううううううううううううううううううっ!!
腹の音が鳴った。近くのビルのガラスが割れた。
「……やば」
自分で言って、自分で本気で思ったわ。
世界が、食い物に見えるのよ。街灯。道路。車。看板。植え込み。ビル。空調設備。電線。アスファルト。コンビニのフライヤーの匂い。遠くの焼肉屋。スーパーの総菜。冷蔵倉庫。人間の持っている弁当。そして、人間そのもの。体温が分かる。汗の塩気が分かる。血糖値の揺れみたいなものまで、何となく分かるのよ。若い。脂がある。疲れている。緊張している。昼に揚げ物を食べた。コーヒーを飲んだ。血が温かい。食べ物としての情報が、勝手に入ってくるのだわ。
人肉は、ギリッッッッッッッッッッッッッッッギリだった。
ほんとうにギリ。まだ駄目だと思えている。そこは偉い。偉いけれど、ギリなのよ。頭のどこかが、「人間は駄目」「民間人は駄目」「仕事先の人を食べるな」「社会の歯車は国民を噛まない」と必死に叫んでいて、その声が、空腹の咆哮に押し潰されかけていたわ。
まずい。これは本当にまずいのよ。
玉織紬をこれ以上強くしてよいのか、きっと政府はそう考えるでしょうし、私だって今ならそう思うわ。こんなもの、どう考えても危険だもの。私が私でなくなるとか、そういう湿った話ではなく、もっと単純に、街が齧られる。国民が危ない。社会の歯車どころか、歯車の噛み合う盤面ごと食いかねないのだわ。でも、たぶん政府にとっても、その問いはもう贅沢品なのでしょうね。強くしなければ、半年後に何も残らない。私はまだ、その半年後のことを知らなかった。知らないまま、ただ空腹で死にそうになっていたのよ。
その時、スマホが鳴った。
表示名は、河村澪。
私は震える指で通話を取った。
「紬さん、今、お腹空いてません?」
「空いてるわよ!!」
思わず叫んだ。叫んだ衝撃で、また近くのガラスが割れた気がしたわ。ごめんなさい。後で弁償する。たぶん。今は無理。
「よかったです。食事しません? 芋煮とか、わんこそばとか、牛さんの丸焼きとか、色々用意できてます! 澪ちゃんハウスに来てくださいね! 場所はスマホに送っておきました!」
「何でこのタイミングで用意できてるのよ」
「ふふっ。野暮用のついでです」
「その野暮用、絶対にろくでもないやつでしょう」
「大丈夫です。だいたい片付きました」
何が。誰を。どうやって。そう聞くべきだったのよ。聞くべきだったのに、もうどうでもよくなっていたわ。芋煮。わんこそば。牛の丸焼き。食事。大量の食事。私が今、世界を食べ物として認識してしまう前に、ちゃんと食べていいものを用意してくれている人間がいる。
気持ち悪い女。ほんとうに気持ち悪いのよ、この人は。
でも、今は救世主だったわ。
私は割れたガラスの会社らしき建物の前へ、一千万円の束を放った。政府からの報酬の一部。たぶん足りるでしょう。足りなかったら後で請求してほしいわ。今の私は社会の歯車なので、弁償の意思くらいはあるもの。支払い能力の管理はママだけれど。
「ごめんなさい! 弁償します! あとで! 今は無理!」
そう叫んで、私は翼を広げた。
黒い羽が夜気を裂く。龍翼が、空間を噛んだ。次の瞬間、私の身体は空へ跳ね上がっていた。飛ぶ、というより、世界の中にある"上"という方向を無理やり食い破って進んでいるような感覚だったわ。風が顔を叩く。ビルの灯りが下へ流れる。胃袋が吠える。街全体が匂いの地図になる。
何故このタイミングで澪が呼んだのか。何故、食事を用意していたのか。野暮用とは何だったのか。そんなことは、全部どうでもよかったのよ。今の私は、ただ、食べられる場所へ向かうしかなかったのだわ。
でないと、たぶん。
社会の歯車になる前に、社会を少しかじってしまうから。
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