VRMMOで【食屍姫】になった無職だけど、現代ダンジョンでも化け物扱いされ始めて嬉しいです!      作:ちんこ良い肉

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第60話

 

お布団へくるまりながら、私はスマホの画面を眺めていた。

 

 真夜中だった。

 

 部屋は暗い。エアコンはちょっと寒い。でも、お布団の中はぬくぬくで、顔だけ出してホラー掲示板を巡回するには、あまりにも都合のいい温度だったのよね。人類が到達した文明の極みと言ってもいいわ。働いて、食って、風呂は今日はまあいいとして、ともかくお布団へ潜り込み、他人の怖い話を安全圏から覗き見る。この瞬間だけは、社会も怪異も少しだけ遠い。責任も義務も、寝具のふくらみの外へ置いてこられる気がするのだわ。

 

 ――廃校。子供行方不明。  ――赤い手形がガラスにびっしり。  ――夜中、廊下をひたひた歩く音。  ――笑い声。  ――保健室のカーテンの裏に、誰かいる。  ――理科室の人体模型が、朝になると一体増えている。  ――視聴覚室で映るはずのない卒業式のビデオが流れる。

 

 怖い。

 

 怖いのだけれど。

 

 じゅるり、と口の端が緩んだ。

 

「……夜食が欲しいわね」

 

 口へ出した瞬間、我ながら終わっていると思った。普通の女の子二十六歳なら、こういう時は「トイレ行けなくなる」とか「明かり消せない」とか、そういう可愛げのある反応をするのでしょうに。私の場合、怖い話の向こう側へまず「美味しそう」が立つのだから、だいぶ人生の配線が狂っているのよね。

 

 まあ、今さらだけれど。

 

 それに、最近の私は少し調子に乗っていたのだわ。

 

 龍化してから一週間。働いて、食って、飛んで、夜はつまみ食いまでしている。社会の歯車としては最低品質のくせに、妙に充実していたのよね。そうなると余計によくない。人間という生き物は、生活が少しうまく回り始めると、すぐに夜更かしと娯楽へ手を伸ばすのだわ。私はその上、食欲まで伸びる。

 

 しかも、今の私は移動が早い。

 

 ホラー掲示板に貼られていた場所情報を見て、へえ、と思った次の瞬間には、もうお布団から這い出していた。黒パーカーを羽織り、スマホをポケットへ突っ込み、窓を開ける。夜の空気が入ってきた時には、ほんの少しだけ理性が戻って、「いや、普通はここで寝るでしょう」と自分に言ったのだけれど、駄目だった。

 

 お腹が鳴った。

 

 その一音で、寝るという選択肢は、だいぶ遠くへ飛んでいった。

 

 私は黒い龍翼を広げ、夜空へ跳んだ。風が顔を叩き、街灯が下へ流れ、遠くの山際に沈む古い校舎の匂いが、獣道みたいに鼻の奥へ伸びてくる。湿った木材、古い血、子供の泣き声の残滓、そして怪異特有の、冷たいくせに妙に生臭い気配。

 

 夜食としては、悪くなさそうだった。

 

     ■■■■

 

 古い校舎だった。

 

 夜気に湿ったコンクリート。割れた窓。雑草の匂い。朽ちた木材の甘ったるい腐臭。雨が降ったわけでもないのに、壁の奥まで湿りきったような冷たさ。そして、その奥に混ざる、怪異特有の、冷たいくせに妙に生臭い気配。

 

 赤い手形が、ガラスへびっしり貼りついていた。まるで内側から何人もの子供が必死で助けを求めたみたいな、たいへん結構なホラー演出だったわね。廊下の奥からは、ひた、ひた、と濡れた足音が響き、どこか高いところから、くすくすと笑う声も落ちてくる。風もないのに、掲示物の端だけがめくれては戻る。誰もいないはずの教室の中で、椅子が少しずつ擦れる。保健室のカーテンの向こうには、呼吸に似た膨らみまであった。

 

 かなり怖い。

 

 かなり怖いのだけれど。

 

 私のお腹は、わりと素直だった。

 

 ぐううううう。

 

「ええ。分かってるわよ。メシよね」

 

 その時だった。

 

 ダクトの奥から、巨大な口が降ってきた。

 

 歯。唾液。肉の襞。顔のほとんど全部が口みたいな化け物で、天井裏から獲物へ落ちてくるタイプの、いかにもホラー映画で「ここから一人ずつ死んでいきますよ」と告げる担当みたいな怪異だった。赤子みたいな嗤い声まで混ざっていて、演出点は高い。高いけれど、タイミングが悪かったわね。今の私は、空腹寄りだったのよ。

 

 私は反射でその頭へ噛みついた。

 

 ごりっ、と骨が砕ける。ぬるい脳漿が舌へ広がる。そのまま頭部が、ほぼ一瞬で消えた。

 

 化け物の胴体だけが二、三歩よろめいて、それから崩れ落ちる。長い腕が床を掻き、爪がコンクリートへ嫌な線を残して、それきり動かなくなった。

 

「……ぐぅ」

 

 静かになった廊下で、私のお腹の音だけが響いた。

 

 いや、だから、今のはしょうがないでしょう。向こうから飛び込んできたのだから。正当防衛よ。社会の歯車として、襲いかかってきた害を除去しただけなのだわ。ついでに食べたのは、まあ、片付けの一環ね。生ゴミ処理と似たようなものよ。だいぶ違う気もするけれど、方向性としてはそんな感じ。

 

 私は校舎の奥を見た。

 

 いる。

 

 まだまだ、いる。

 

 ひとつやふたつではなかった。笑い声も、泣き声も、床を這う音も、壁の中で脈打つ気配も、天井裏の擦過音も、全部ひっくるめて、ひどく濃い。よくまあ、廃校程度へここまで集まったものだわね。ホラー映画の怪物たちにとって、学校ってそんなに居心地がいいのかしら。私からすると、学校なんてだいたい嫌な思い出の方が多いのだけれど。

 

 でも、向こうにとっての居心地と、私にとっての夜食は別問題だった。

 

 私は、静かに【喰界領域】を展開した。

 

 空気が変わる。

 

 古い校舎全体が、薄く、私の胃袋に近いものへ再定義されていく。壁は壁のまま。床も天井もそのまま。でも、その内側で「ここは出られない」というルールだけが、ぬるりと上書きされた。廊下の暗さは、ただの夜闇ではなく、口腔の奥みたいに湿って深くなる。教室の扉は避難経路ではなく、皿にかぶせられた蓋へ近づく。机の下も、ロッカーの中も、天井裏も、怪異たちにとっての隠れ場所ではなく、私から見れば料理が転がり込んだ食器の縁でしかなかった。

 

 人間にとっての校舎ではなく、私にとっての食卓。

 

 空間の端がわずかに湿り、影の奥が赤黒く深くなる。逃げ道が、逃げ道としての意味を失っていく感覚は、やっぱり少しだけ気持ちがよかったわね。

 

 扉が、全部ロックされた。

 

 窓も、抜け道も、換気口も、割れた隙間も、今この校舎にいる怪異どもにとっては、全部ただの行き止まりになる。逃がさない。今日はそういう夜だった。

 

 私は息を吸った。

 

 そして、咆哮を上げた。

 

 龍化してからの【暴食咆哮】は、前よりずっとホラー向きだったわね。音というより、捕食の意思そのものが空間へ染み出す感じなのよ。食べる。逃がさない。残さない。そういう最低の意志だけが、夜の校舎へ一気に広がる。窓ガラスがびりびり震え、階段の手すりが軋み、理科室の薬品棚の瓶がいくつか勝手に割れた。

 

 子紬たちを呼んだ。

 

 床の影が七つ、膨らむ。

 

 這い出してきた小さな私たちには、今はもう小さな翼まで生えていた。黒髪、青い目、小さな牙、大きすぎる食欲。絵本の挿絵みたいに可愛いわけではないし、かといって完全な悪夢というにはどこか愛嬌もある、非常に扱いづらい見た目の子たち。

 

「ごはん」 「ごはん」 「ごはん!」 「まま、たべる?」 「いる」 「いっぱい」 「おなかへった!」

 

「ええ。そうね」

 

 私は頷いた。

 

「今夜は食べ放題よ」

 

 子紬たちの目が、きらりと光った。

 

 その瞬間、役割分担が決まった。誰が指示したわけでもないのに、一体はベッド下へ潜り、一体はロッカーを担当し、一体は天井裏へ逆さまに張りついた。一体は窓際、一体は階段、一体はトイレ方面、最後の一体は私の足元で、落ちてくる食べ残しを待つみたいに口を開けている。親に似て、やる気だけはある子たちなのよね。社会に出していいかは別として。

 

 そこから先は、かなり酷かったと思うわ。

 

 最初のうちは、怪異たちも応戦してきたのよね。影から首を伸ばすやつ、鏡の中から腕を掴んでくるやつ、階段の踊り場で首だけ転がって笑うやつ、血まみれの看護婦っぽいもの、包帯だらけの小児怪異、逆さまに天井を這う脚の長い女、廊下の端から端まで口だけになって噛みにくる何か。ホラー映画で見たことあるような連中が、だいたい全部いた。

 

 でも、食い荒らした。

 

 片っ端から。

 

 ベッド下へ隠れていたピエロは、子紬に足首を掴まれて引きずり出された。ああいうのって、自分が狩る側だと思っているからベッド下なんかへ潜るのよね。いざ自分が引きずられる側になると、ものすごく甲高い悲鳴を出すのだから、ちょっと可哀想ではあったわ。まあ食べたけれど。

 

 ショゴスのパチモンみたいな赤い捕食スライムは、ロッカーに隠れていた。隠れるって何よ。さっきまで人を溶かす側だったでしょうに。子紬たちが群がって、ロッカーごとごりごり食べた。中から「にゅるっ」とか「ぎゅぶっ」みたいな嫌な音がしていたけれど、あの子たちは気にしない。食欲って偉いわね。

 

 ブギーマンはダクトを通って逃げようとしていたので、ショゴスとクトゥルフベビーを食って変質した触手を伸ばして絡め取った。異界系のぬめりを覚えた私の触手は、こういう“逃げれば逃げるほど怖い”タイプの怪物へよく刺さるのよね。あれだけ人を怖がらせてきたくせに、自分が捕まる側になると、途端に哀れな鳴き声しか出せなくなるのだもの。

 

 エイリアンっぽいやつは、壁へ擬態していた。

 

 でも、バレバレだったわ。

 

 匂いが違うのだもの。石膏とコンクリートの匂いの中に、じっとりした酸と血と、内臓みたいな熱が混じっていれば、さすがに分かるでしょう。私はそこへ向かって、そのまま壁ごと噛んだ。擬態が剥がれた瞬間のあの顔、というかあの頭部の割れ方、ちょっと芸術点が高かったわね。理科準備室のガイコツ標本も巻き込んで食べたけれど、あれはまあ誤差よ。

 

 途中から、怪異たちの元気がなくなっていった。

 

 というより、明らかに怯え始めた。

 

 さっきまで廊下の奥でくすくす笑っていた子供の声は、今では泣き声に変わっていた。階段の踊り場で首だけ転がっていた女は、私と目が合った瞬間に笑うのをやめて、ころころ転がりながら必死に逃げようとした。血まみれの看護婦は、注射器を構えたまま震えていたし、天井を這う脚の長い女に至っては、子紬に片脚を齧られたあたりから、完全にホラー映画の被害者みたいな悲鳴しか上げなくなっていた。

 

 本来、加害者でしょうに。

 

 廃校へ肝試しに来た若者とか、迷い込んだ子供とか、そういう側が本来の被害者でしょうに、何で怪物の方が逃げ惑う側へ回っているのかしら。ちょっと理不尽だったわね。

 

 いや、客観的に見れば、私の方がだいぶホラーなのかもしれないけれど。

 

 でも、そこは違うのよ。向こうが先に襲ったの。私は夜食を探しに来ただけだし、最初に頭から降ってきたのは向こうなのだわ。つまり私は被害者。被害者が正当防衛の範囲で食べているだけ。やや範囲が広い気もするけれど、そこを細かく突くのは社会性がないと思う。

 

「まだいるわね」

 

 私は校舎の奥を見渡した。

 

 体育館の天井裏。  音楽室のピアノの中。  理科準備室の標本棚の影。  プールの排水溝。  校長室の壁の中。  放送室のスピーカーの向こう。  トイレの個室の下。  職員室のロッカーの隙間。

 

 ひどいものだわ。よくまあ、ここまでびっしり詰まったものね。ホラー映画の怪物たちって、普段は希少生物みたいな顔をしているくせに、集まる時はゴキブリみたいに一斉なのだから困る。大量のゴキブリを想像したら、逆に腹が減ってきた。

 

 扉に殺到していた怪異たちが、一斉にこちらを見た。

 

 その顔というか、顔に相当する何かが、全部まとめて恐怖へ歪む。

 

 傷つくわね。

 

「イタダキマス」

 

     ■■■■

 

「ごちそうさまでした!」

 

 夜明け前の廃校で、私は手を合わせた。

 

 静かだった。

 

 さっきまであれだけ騒がしかったのに、今はもう、風の音と、遠くの鳥の声と、私と子紬たちの満腹気味の吐息しか残っていない。赤い手形は途中で途切れ、保健室のカーテンは半分だけなくなり、放送室のスピーカーは中身まで綺麗に食われてノイズすら出なくなっていた。理科室の人体模型は、結局どれが増えた一体だったのか分からなかったので、全部食べた。床も壁も少し溶けていたし、教室はいくつか原型を失っていたけれど、少なくとも“何か出る学校”としての営業は、今夜で終わったでしょうね。

 

 あー、それにしても、ホラーは美味い。

 

 化け物って全体的に美味くて偉いのよ。あらためてそう思ったわ。

 

 龍化してからの一週間、私は【嗅覚増強】と【龍翼飛翔】でだいぶ色々飛び回った。働いて、迷宮へ潜って、夜は怪異をつまみ食いする。社会の歯車ポイントを稼ぎながら、こっそりホラー映画の捕食者たちまで処理しているのだから、もはやエクソシストと呼んでもいいのではないかしら。退魔師の副業でも始めようか、と本気で考えてしまうくらいには、手応えもあったのよね。

 

 猿夢は美味かったわ。

 

 寝ながら栄養補給できて、ぐっすり眠れた。悪夢の中へ現れる列車だの猿だのを、夢の中でそのまま食べると、起きた時にちゃんとお腹が満ちているの、だいぶ画期的だったのよ。睡眠と食事の同時進行。文明の次はこれだわ。

 

 リンフォンとかいうクソ語呂合わせ呪物は、地獄の味がして偉かった。

 

 名前は間抜けなのに、味だけは妙に本格派なのよね。呪いの濃さがそのまま舌へ刺さってきて、最初はうへぇと思ったのだけれど、噛んでいくうちに癖になる。珍味ってだいたいそういうところあるでしょう。

 

 コトリバコも美味しかった。

 

 木と血と呪詛を煮詰めた和菓子みたいな感じで、後味に変な祈りが残るのよね。人を殺すための箱が、私にはわりと上品なデザート寄りだったの、だいぶひどい話だわ。

 

 くねくねは、クトゥルフ共の親戚みたいだった。

 

 どう調理してやろうかと至近距離で直視していたら、向こうが先に発狂し始めたのよね。人を化け物みたいに……いや、化け物だけれど、化け物としては低級でしょう。私はピカチュウポジだわ。と言うか私なら知名度と汎用性で、企業マスコットも狙えるのではなくて? マスコットキャラクターつむぎちゃん。いい響きね、採用。任天堂に交渉しに行くわ。

 

 八尺様は、一瞬、こいつ人間かしらと迷ったのよね。さすがにカニバリズムはまだやりたくない。でも、試しに一口齧ったら、エリュシオンオンラインで食った人肉と違うと分かったのだわ。ああ、これは人ではないわ、と安心した次の瞬間には、気づいたらパイオツうんめえしていたし、奴の上半身が消えていたし、それを見た大学生らしき男が小便を漏らしながら逃げていった。

 

 後日その周辺で、妖怪人喰い黒パーカーとかいう怪異の噂が立っていたので、味見のために探していたのだけれど、見つからなかったわ。

 

 なんでかしら。絶対うまいのに。

 

 でもリョウメンスクナだけは、ちょっと期待外れだった。

 

 呪術廻戦の影響で強キャラだと思っていたのに、大して強くないし、パサパサしていてあまり美味しくない。こういうの、ちょっと悲しいのよね。知名度に味が追いついていないの、観光地の名物料理みたいでしょう。

 

 昨日なんて、きさらぎ駅へ行ってみようと思って、丸一日山手線をぐるぐる回っていたのに、いつまで経っても行けなかったわ。ひもじいだけだった。山手線の駅名はクトゥルフにやらせるだけで十分だったかもしれないわね。

 

 そう考えると、今夜の廃校は当たりだった。

 

 かなり満足したのよ。

 

 社会の歯車ポイントも上がった気がするし、澪が海外旅行へ行こうねと言っていたし、そろそろ真人間寄りの余暇も考えたいところ――などと、珍しく前向きなことを思っていた、その時だった。

 

 スマホが鳴った。

 

 LINE。

 

 私の友だち欄は、だいぶ終わっている。家族。澪。大量の企業アカウント。たまに政府。それだけで構成されている。人間関係の狭さが可視化されていて、たまに直視するとちょっと死にたくなるのよね。

 

 画面を見た。

 

 表示名は、玉織柚。

 

「げっ」

 

 声が漏れた。

 

 海外にいるはずの、我が姉。

 

 玉織柚。

 

 怪異まみれの廃校を一晩で食い尽くして満足していた私の胃袋が、その名前を見た瞬間だけ、少し冷えた




ここまで読んでいただけてとても嬉しいです!オチは決まってるのにオチに繋げられん…そういやこいつ本編開始後リアルで一回も風呂入ってないな…
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