VRMMOで【食屍姫】になった無職だけど、現代ダンジョンでも化け物扱いされ始めて嬉しいです!      作:ちんこ良い肉

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ここまで読んでいただけてとても嬉しいです!終わりに向けて進みたいですね…


第62話

 まず大前提として、私は反社が嫌いだ。

 

 嫌いというか、だいぶ腹立たしいのよね。

 

 あいつらはすぐに言う。社会から爪弾きにされた、とか。弱肉強食だ、とか。法では救えない街を俺たちが守っている、とか。必要悪だ、とか。そういう、いかにも自分たちの暴力と利得を薄汚いロマンで包んだような言葉を、酒と煙草と違法ダンジョンアイテムの匂いの中で吐く。

 

 舐めているのかしら。

 

 高校三年間、事務連絡を除けば、同級生とまともに交わした会話が両手の指で数えられる程度だった女がここにいるのよ。

 

 私は、スマホをいじっているクラスメイトの背後へ無言で立って、画面をじっと覗き込んだことがある。仲良くなりたかったのだ。今なら分かる。最悪のアプローチだったわね。本人からすれば、ただの不審者だもの。けれど当時の私は、それが会話へ入るきっかけになるかもしれないと本気で思っていたのだわ。

 

 そんな私から見ると、反社なんて、むしろ社会性生物の群れである。

 

 仲間がいる。上下関係がある。役割がある。隠れ家がある。縄張りがある。身内で肩を組み、外敵を決め、弱い奴から奪い、奪ったものを分配し、酒を飲み、笑い合う。やっていることはカスだけれど、構造だけ見ればだいぶ人間社会へ噛み合っている。

 

 それで「社会から爪弾きにされた」?

 

 寝言は布団の中で言いなさいよ。私は布団の中でも、もう少しアレな寝言を言うけれど

 

 だから今夜、特別テスター犯罪組織の隠れ家へ向かっている私の気持ちは、かなり澄んでいた。

 

 目的は海外渡航資金の調達。

 

 手段はカツアゲ。

 

 建前は社会貢献。

 

 最低ね。

 

 でも、相手は低級テスターから魔石を巻き上げ、ダンジョン産アイテムを横流しし、暴力と脅しで生きている連中だ。そこへ私みたいな、国から仮とはいえ役割をもらった食屍龍姫が押しかける。かなり怪しいけれど、ギリギリ治安維持活動と言えなくもない。言えるわよね。言えることにしましょう。今夜の私は、そういう雑な正当化で空を飛んでいる。

 

【嗅覚増強】

 

 夜の街が、匂いと音の地図に変わった。

 

 排気ガス。コンビニの油。古いビルの埃。濡れたコンクリート。人間の汗。魔石の冷たい甘さ。違法薬物めいた草の苦味。ダンジョン帰りの血と金属と魔力。それから、奥の方で聞こえる、男たちの声。

 

『弱肉強食だろ。取れる奴が取る。それだけだ』

 

『俺らがいなきゃ、この辺のダンジョン産ヤバ物、もっと上に流れて街が荒れるんだよ。必要悪ってやつだ』

 

『国に飼われたテスター様だけが美味い飯食ってりゃいいってか? ふざけんなよ』

 

 ああ。

 

 徹頭徹尾、カスに都合のいい理屈ね。

 

 でも少しありがたくもあった。弱肉強食という言葉を自分たちから出してくれるなら、こちらも強者の理論をぶち込む大義名分ができる。必要悪だと言うなら、街さえ守っていれば悪でも必要認定されるらしい。私の人格があいつらより優れているかは、だいぶ疑問の余地があるのだし、そういう判定基準を採用してくれるのは助かるわね。

 

 私は古い雑居ビルの屋上へ降りた。

 

 下の階から、笑い声と罵声と、魔石の匂いがした。窓は塞がれ、入口には見張りがいる。魔力反応は多い。最低でも二十人以上。特別テスターも混じっている。レベルはばらばらだけれど、百を超えていそうなのが二、三人。普通なら、かなり危険な集団なのだろう。

 

 普通なら。

 

 私は屋上のコンクリートへ爪を立て、そのまま床を丸く切り抜いた。

 

 ずぼ、と穴が開く。

 

 下の部屋へ、私は真っ直ぐ落ちた。

 

「お邪魔します」

 

 着地した瞬間、部屋中の視線がこちらを向いた。

 

 煙草の煙。酒瓶。乱雑な武器。拘束された低級テスターらしき若者たち。テーブルに積まれた魔石と、ダンジョン産の紙片や短剣。壁際には銃器。奥のソファには、いかにもボスですという顔をした男。

 

 誰かが叫んだ。

 

「こいつ、アレだ! 特別テスター最強の……害獣!」

 

「誰が害獣よ」

 

 反射で返したけれど、まあ、否定しきれないのが悔しいところだった。

 

 ボスらしき男は速かった。

 

 椅子を蹴るより早く、壁際の重火器へ手が伸びていた。対戦車砲。そこへスキルの気配が重なる。

 

【集中力】 【暗殺】 【会心強化】

 

 さらに、エリュシオンオンライン初期で確定会心コンボに使われていたスキルの派生。会心を確定させ、それをさらに殺傷へ寄せる類の、かなり陰湿な組み合わせ。近代兵器にゲームスキルを乗せる発想は、正直悪くないわ。近代兵器は本来、クソ強い。ファンタジー最強キャラの最終奥義だって、九割九分は核弾頭に劣るでしょうし。

 

 でも、今の私はその比較表から少し外れてしまっている。

 

 人間時代の私とパパなら、バンカーバスター直撃で普通にICU送りだったかもしれない。玉織家貧弱組だったものね、私たち。けれど朔や龍兄なら、戦略核の雨でも「突き指した」くらいの顔で帰ってくる。ABC兵器でもない火器は、玉織家上澄みにとって花火以下の扱いなのだわ。

 

 そして今の私は、少なくとも肉体だけなら、その上澄み側へかなり寄ってしまっている。

 

 発射音。

 

 砲弾が来る。

 

 私は顎を外した。

 

 丸呑み。

 

 喉を通る瞬間、ちょっと熱くて、ちょっと刺激が強かった。火薬のぴりっとした辛味、金属の苦み、油の香り。悪くない。酒のつまみには向いていないけれど、戦闘中の間食としてはかなり偉い。

 

「うん。ちょっと刺激が強いわね」

 

 部屋の空気が凍った。

 

「ば、化け物……!」

 

 誰かがそう言った。

 

 私は、ちょっとだけ笑った。

 

「イエース! アイアムモンスター! ギャハハハハ!」

 

 思ったより声が響いた。自分でも少し引くくらい、楽しそうだったわね。

 

 でも、こうやって分かりやすく化け物判定されると、少し生きやすいのよ。人間みたいな扱いをされると、私はどう振る舞っていいか分からなくなる。話を合わせて、空気を読んで、目線を合わせて、適切な距離を保って、善人っぽく、社会人っぽく、まともっぽく――そういう全部が苦手なのだ。

 

 けれど化け物相手なら、向こうも期待値を下げる。

 

 これはだいぶ助かる。

 

 そう思っていると、目の前に大男が立った。

 

 筋肉の密度が違う。骨の作りも、重心も、呼吸の深さも、そこらのテスターとは別物だった。クラス表示が薄く見える。

 

【格闘家】最上位派生。 【拳聖】

 

 レベルは少なく見積もって百五十。おそらく、さっきのボスより強い。犯罪組織の本命はこっちだったのだろう。

 

 拳聖は一切喋らず、踏み込んだ。

 

【ユピテルペイン】 【首はね】 【死滅願望】 【会心率強化】 【誰も死から逃れられない】

 

 一瞬のタメの後出される五連撃。素手攻撃時に一定確率で相手を即死させる【首はね】。会心時に追加追撃を繰り出す【死滅願望】。即死をレジストされた時、無属性大ダメージを与える【誰も死から逃れられない】。なるほど、殺す気しかない構成だわ。大変よろしい。戦闘職としてはかなり真面目。反社にいるのがもったいないくらいね。

 

 拳が、私の胸へ入った。

 

 空気が破裂する。

 

 普通の敵なら、たぶんこの時点で心臓ごと消し飛ぶ。即死判定が走り、会心が重なり、追撃が入り、逃げ道のない無属性ダメージが全身を砕く。そういう攻撃だった。

 

 でも、拳は龍鱗で止まった。

 

 即死は【捕食抵抗】で弾いた。

 

 無属性大ダメージは、私のHPと再生の前では、熱いお茶をこぼしたくらいの感覚だった。

 

「……え?」

 

 拳聖が初めて声を漏らした。

 

 その顔が、少しだけ幼く見えたのよね。

 

 信じられない、という顔だった。自分の人生を積み上げて届いた拳が、目の前の黒パーカー女に、ほとんど意味を持たなかった。その現実を、まだ呑み込めていない顔。

 

 彼は、もう一度【ユピテルペイン】を撃った。

 

 今度砕けたのは、私ではなく、拳聖の拳だった。

 

 ぼきり、と嫌な音がした。

 

「合掌」

 

 私は思わず手を合わせた。

 

 それから、朔の前蹴りを真似して、拳聖のみぞおちへ叩き込んだ。

 

 死ぬほど食らってきただけあって、再現度は高かったと思う。腰の入れ方、膝の角度、踏み込みの殺意、蹴った後に相手を物扱いする雑さ。その全部が、私の身体には嫌というほど刻み込まれている。朔に蹴られ続けた経験が、まさか反社処理に役立つとは思わなかったわ。

 

 拳聖の大男は、壁を三枚ほど抜いて吹き飛んだ。

 

 朔の戦闘技術を、少ない労力でそれなりに再現できている。

 

 コスパ最高ね。

 

 こういう悪知恵や、怪物として必要な技能には、私の頭と身体は普通に回るのだわ。私は受験生時代、センター現代文で満点を取ったことがあるのに、古文と漢文が壊滅的すぎて国語全体ではまあまあ止まりだったように、一部だけならそこそこ見られる脳みそをしているのにそれらは社会でうまく生きる役には立たなかった。

 

 ただ、怪物に求められる技能では、ちゃんと役に立つ。

 

 嫌な話よね。

 

 そこから先は、暴れた。

 

 レベル百もない相手には、正直、苦戦要素がなかった。正拳を放てば、拳そのものが届く前に空気の衝撃が砲弾みたいに飛ぶ。殴れば空気との摩擦で拳が燃え、蹴れば床がめくれ、銃弾も魔術も、ガードするまでもなく私の皮膚に食われてエネルギーへ変わる。

 

 悲鳴が増えた。

 

 逃げようとする者も出た。

 

 けれど奥の部屋から、隠れていた召喚士の声が響いた。

 

「召喚準備終わった! これで終わりだ!」

 

 魔法陣が赤黒く光る。

 

【飢餓顕現】

 

 出てきたのは、十メートル級の怪物だった。

 

【エンシェント・グラトニー・キメラ】

 

 エリュシオンオンラインでは、三十二人で倒すレイドボス。食うほどに強化される厄介な巨体で、しかも自身が召喚術を使い、召喚した獣を捕食してさらにバフを積む。長期戦になればなるほど手がつけられなくなる、かなり性格の悪いボスだ。

 

 部屋の空気が変わった。

 

 さっきまで絶望していた連中が、露骨に息を吹き返す。

 

「勝った……!」

 

「食え! その化け物を食っちまえ!」

 

「やれ、グラトニー!」

 

 エンシェント・グラトニー・キメラが、私へ飛びかかってきた。

 

 私は指を鳴らした。

 

 ぱちん。

 

 次の瞬間、キメラが消えた。

 

 同時に、私のお腹がどん、と膨れた。

 

 部屋中が唖然とした。

 

 私も、ちょっとだけ感心していた。未成熟だった【転移魔術】が、思ったよりうまく噛み合ったのだわ。空間を食卓までの経路として認識し、対象を私の胃袋へ送る。理論としては分かっていたけれど、実際に十メートル級レイドボスを胃袋へ転送すると、さすがに迫力があるわね。

 

「……うっ」

 

 腹が一瞬、重くなる。

 

 でもすぐに、ぺたん、と戻っていく。

 

 膨れた腹が平らになるのと同時に、身体の奥へステータスの上昇が沈んでいく。肉、魔力、飢餓、召喚術、複合生命としての構造。全部が分解され、私の中へ少しずつ取り込まれる。消化を切り替えたあたりで、ウィンドウが開いた。

 

================== 【能力ラーニング】 【融合】を取得しました ==================

 

「もうだいたい決着ついたわね」

 

 私は【喰界領域】を展開した。

 

 部屋の扉が閉まる。

 

 窓も、通気口も、床下の抜け穴も、全部ただの行き止まりへ変わった。逃げ道を食卓の端として再定義する。外へ出るという選択肢だけを、ぬるりと潰す。

 

 途端に、空気が崩れた。

 

「助けて!」

 

「ママ!」

 

「もう悪いことはしません!」

 

「みんな、あいつに食べられちゃうよ!」

 

 私は、少しだけ悪ノリした。

 

 涎を垂らしながら、両手を上げる。

 

「食べちゃうぞ! がおー」

 

 ばたばたと何人か倒れた。

 

 小水の匂いがした。

 

 脱糞したやつまでいた。

 

「……ええ? ここまで怖がられる?」

 

 ちょっと脅かすつもりだっただけなのに。

 

 そもそも私は、人間は食わない。少なくともまだ。たぶん。きっと。メイビー。そこは社会の歯車として大事な一線なのだわ。人を食ったら、たぶん戻れない。仕事どころではない。職歴に「人食い」を書くことになる。嫌すぎる。

 

 食わない食わない。

 

 いや、でも、暴れていたら腹も減ったし、なかなか美味そうに見えてきたわね。

 

 一口だけならセーフでは?

 

 社会性をラーニングできそうだし、私が社会性を持てば最大多数の最大幸福的にはセーフなのでは?

 

 私の中のクソ部分が、わりと真面目にそう囁いた。

 

 駄目。

 

 それをやったら、本当に歯止めが利かなくなる。

 

 私は自分の舌を噛んだ。少し血が出る。自分の血の味で、なんとか人間たちの匂いから意識を外す。

 

「食わないわよ」

 

 私は低く言った。

 

「食わない。食べない。……たぶん。だから、変に暴れないで。不可抗力で口に入ったら、私も責任取りきれないから」

 

 場の恐怖がさらに濃くなった。

 

 なんでよ。

 

 でもまあ、食べないだけで、嫌がらせはする。

 

 私はボスの男へ近づいた。対戦車砲を撃ってきた男だ。床に尻をつき、顔色を失っている。近くで見て、そこでようやく気づいた。

 

 中学時代の同級生だった。

 

 私をロッカーに詰めて、二階から放り投げた奴。

 

 名前は、たしか――覚えている。覚えているのに、思い出した瞬間、怒りより先に「どう調理したら美味そうか」が出てきた。

 

 そこが一番、私の終わっているところなのだと思う。

 

 恨みはある。

 

 あるのよ。痛かったし、怖かったし、惨めだった。ロッカーの中の鉄の匂い、落ちる時の浮遊感、ぶつかった瞬間の骨の嫌な音、笑い声。そういうものは、今でもちゃんと残っている。

 

 でも、目の前のこいつを見た時、真っ先に浮かんだのは、復讐ではなく、食材としての情報だった。

 

 肉質はどうか。  脂は乗っているか。  酒に合うか。  焼くなら強火か低温か。  骨から出汁は取れるか。

 

 最悪だわ。

 

 でも、その最悪さが私だ。

 

 私は男の顔のすぐそばまで寄った。

 

「あら。あなた、中学の時の」

 

「ひっ……!」

 

「私をロッカーに詰めたわよね。二階から落としたわよね。あの時はどうも」

 

 男の顔から血の気が引いた。

 

 私はにこりと笑った。

 

「ねえ、あなた、自分がどんな料理になりたいか考えたことある?」

 

 そこから私は、全員へ食レポもどきを言って回った。

 

 あなたは脂が少ないから、煮込み向きね。  あなたは酒と煙草の匂いが強すぎるから、下処理に時間がかかるわ。  あなたは筋肉が硬そうだから、叩いてから焼いた方がいいかしら。  あなたは魔石を横流ししていた分、魔力の臭みがあるわね。香草がいるわ。  あなたは……うん、ちょっと人間としても食材としても厳しいわね。

 

 誰も笑わなかった。

 

 当然でしょうね。

 

 私は食べていない。食べてはいないのだけれど、食べられる側として見られる経験は、かなり効いたらしい。必要悪。弱肉強食。社会に爪弾き。そういう言葉で自分を飾っていた連中が、一斉にただの怯えた人間になっていく。私はそれを見ながら、少しだけ溜飲が下がった。

 

 めちゃくちゃなことをしている自覚はある。

 

 でも、こいつらに真っ当な論理で付き合う価値は、あまり無いと思うのよ。

 

 分かりやすく悪いことをやった奴が、ちょっと街を守ったような顔をすれば必要悪扱いされる。反社の実態を知らない奴から、妙なロマンまで与えられる。私と大差ないレベルの人格なのに、あいつらだけが「アウトロー」とか「闇の秩序」とか、変な優遇を受けてきた。

 

 つまり、同レベルの人格でそういう優遇を受けられなかった私を、相対的に不幸にした。

 

 権利侵害である。

 

 万死に値する。

 

 ……まあ、さすがに自分でも理屈がめちゃくちゃなのは分かっている。でも、反社の屁理屈よりは多少マシでしょう。たぶん。どっちもどっち? うるさいわね。

 

     ◇

 

 しばらくして、警察と公安が来た。

 

 領域を解除し、扉を開けると、武装した人たちが雪崩れ込んできた。床には気絶した犯罪者。壁にはめり込んだ拳聖。胃袋へ消えたレイドボスの残り香。テーブルの上には魔石と違法アイテム。低級テスターたちは泣きながら保護されている。

 

 私は黒パーカーの裾を直し、なるべく立派な顔をした。

 

「社会の歯車として、当然のことをしました!」

 

 公安の人たちは、何とも言えない顔をした。

 

 警察の人たちも、何とも言えない顔をした。

 

 保護された低級テスターの一人が、小さく拍手した。

 

 ちょっと嬉しかった。

 

 そのまま全員引き渡した。魔石も、違法アイテムも、証拠品として提出した。被害者の証言も取られた。私は現場協力者として、簡単な報告だけして終わった。偉い。かなり偉い。今夜の私はだいぶ社会側だったのではないかしら。

 

 そう思いながら外へ出て、夜風に当たった瞬間。

 

 私は重大な事実に気づいた。

 

「……あれ」

 

 カツアゲし忘れた。

 

 海外渡航資金。

 

 パスポート代。

 

 飛行機代。

 

 グルメテーブルかけ的アーティファクトへの道。

 

 何一つ回収していない。

 

「ど、どどどどどーしよう……!」

 

 私はその場で頭を抱えた。

 

 飛べば海外へ一分もかからず行けるかもしれない。今の私なら、空間を齧って、海を越えて、目的地へ突っ込むことくらいできるかもしれない。でも、それはたぶん不法入国だ。社会の歯車になったばかりの女が、いきなり国境を噛み破って入国するのは、だいぶ職歴に傷がつく。というか国際問題になる。

 

 私は震える手でスマホを開いた。

 

 連絡先。

 

 登録名、キチガイ。

 

 通話。

 

 数コールで出た。

 

『はい、澪です』

 

「澪。助けて。私、社会のためにカツアゲしに行ったのに、社会の歯車として完璧に動きすぎたせいでカツアゲし忘れたわ。海外に行けない。グルメテーブルかけが遠い。人生が終わる」

 

『大丈夫ですよぉ』

 

 澪の声は、いつも通りにこにこしていた。

 

『紬さんのパスポート、もう取ってありますから』

 

「……は?」

 

 私は夜道で固まった。

 

「何で?」

 

『必要になると思ったので』

 

「何で必要になると思ったのよ」

 

『ふふっ』

 

 笑うな。

 

 その「ふふっ」は、絶対にろくでもない時の「ふふっ」でしょうが。

 

 私はスマホを握りしめたまま、空を見上げた。夜は暗く、街はうるさく、胃袋はもう少しだけ何かを欲しがっている。反社は片付いた。社会貢献はした。渡航資金は得られなかった。でも、パスポートはなぜかある。

 

 世界は、私の知らないところで勝手に準備されている。

 

 気持ち悪い。

 

 とても気持ち悪い。

 

 でも、グルメテーブルかけ的アーティファクトは欲しい。

 

「……澪」

 

『はい』

 

「飛行機で機内食おかわりできるかしら」

 

『航空会社に確認しておきますね』

 

「お願い。あと、できれば十機分くらい」

 

『それは航空会社さんが泣くと思います』

 

「社会の歯車にも燃料が必要なのよ」

 

 そう言いながら、私は歩き出した。

 

 反社狩りは終わった。

 

 カツアゲは失敗した。

 

 けれど海外への道は、なぜか開いた。

 

 本当に、ろくでもないわね。

 

 まあ、私は玉織紬なので。

 

 ろくでもない道でも、食べ物があるなら進むのだわ。

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