ご飯と仕事、ときどき誰か   作:お米太郎

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03 少年が飲み物をとるだけの話

 

「優、一緒に帰ろう~」

「うん……」

 クラスで最もきらきらしていて、活発な男子に声をかけられた。静かに返す。重原優(しげはらゆう)は、きわめて落ち着いた十六歳の少年だ。今年の春、第一志望だった東京の高校に進学し、早いペースで進む授業になんとかして追いついている。両親からの何気ない言葉であった。

 『優ちゃん、失敗しないから大丈夫だよね』

 この言葉が、優には重荷となっていた。両親はできる。なんでも理解していて、幼少期から、幼い優にとって難解な問題もするすると解いた。中学受験をさせようか否かという議題で、優自身も巻き込まれた。優ちゃんは中学受験したい?と問われたが、自分の意見を言えなかった。小学生の頃に、中学受験をして御三家と呼ばれる中高一貫校に行っていたら、こんなに大変ではなかったのかもしれない。

 

 両親は、とてもいい人たちなのだ。でも、「できるひと」たちだから、「できないひと」の気持ちなんてこれっぽちもわからない。

 優を思っているから、薦める。

 優を思っているから、管理する。

 優を思っているから、ご飯をつくる。

 

 やわらかい愛情は、優には重荷であった。

 

 放課後の廊下は人通りが多い。この学校では、部活動に入るのを強制しておらず、それでいて有名な選手を輩出していた。部活動をしない自分に、両親は少し残念がっていた。今のままでも大変なんだよ、お父さん。お母さん。そういいたいが、喉からは出ることがない。いつもうなづいて笑ってしまう癖がついてしまった。

 

「今日の鈴木っちの授業、くそ難しくて笑ったんだけど」

「僕、ついていけないかも」

「そんなこと言うなよぉ!優ができなかったら、俺も無理じゃん」

「そうかな」

「そうだよ!だって、優。鈴木っちの小テストも、古典の単元テストだって、全部満点取ってんじゃん。頭いいんだな」

「予習してるだけだもの」

「それでとれるとは、やっぱ学年上位者は違うねえ」

 

 友人に悪気ない言葉で褒められる。優は笑う。彼の言葉に偽りはないが、居心地が悪い。彼は入学前から今の中間テストまで学年首位をキープしている。部活動は入っているが、ゆるい頻度のものを選んでいて、楽しそうにしていた。勉強のコツを尋ねると、『俺、本当にバカだから何回も口に出してぶつぶつ言うのが効くから~』と言った。彼もまた、「できるひと」であった。

 

 ――この学校は、人も優しい。けれど、「できるひと」が八割だった。

 その現実を思い出すたび、優の腹はひどく重苦しく沈んだ。

 

 学校の最寄り駅のホームで別れる。彼は半蔵門線利用者で、優は東急田園都市線利用者だった。電車に乗り込み、友人が先に出発した。ガラスを隔てて近くなる。友人は何を思ったのか、変顔をした。うまい。笑いをこらえるのが精いっぱいである。なんとかこらえ、息を整えた。

 今日は金曜日で、通塾の日だった。

 

 「――じゃあ、今日の授業はここまでね。宿題は言ったとおりにやってくれよぉ」

 「はーい」

 

 気づけば、時間は過ぎていた。派手な髪色の講師が、いつもの気の抜けた調子で授業の終わりを告げた。集中していたからか、優にはあっという間だった。前に座っていた少女、花塚志由黄《はなつかしゆき》が振り返った。

 

「優、お兄ちゃんの説明どう?まじ無理すぎるんだけど」

鷹黄(たかき)先生の説明わかりやすいと思う」

「えー!?まじでえ??なーに言ってんのか、ちんぷんかんぷーん」

「今日は一番わかりやすかったと思うけどな」

「なによー、二人して勉強得意なんだから」

 

 志由黄(しゆき)の隣に座っていた少年、獅子堂(ししどう)カオルも優に同意した。彼らは、塾で会う友人であった。他校に通っていて、学校とは異なるちょっと変わった友達だった。優にとっては、本音を吐き出せる数少ない相手でもあった。

 

「おまえら、どこでつまづいてんの」

「ここからここまでぜーんぶ!わっかりまっせーん」

「こら志由黄。お前、予習してねえだろ。母さんにどやされるぞ。それに、ここでは講師やってんだから、花塚先生か鷹黄先生って言いなさい」

「えっへへー」

 

 鷹黄も話に入ってきた。先ほど担当していた先生である。彼が塾講師と言われるとはなはだ疑問に思うほど見た目が派手であった。というのも、彼はモノクロ調のグラデーションがかった髪色である。毛先は真っ白、その下半分から眉あたりまでが明るい灰色で、残りが鼠色なのだ。

 

 おしゃれなのかと誰かが聞けば、『妹の治療薬の治験に参加してた結果だよ』と言ってくれた。どこかの島で受けていたそうだ。鷹黄に尋ねればもう少し詳しい話を聞けるようだが、それをするのはなんだか、優にはひどく嫌なことに思えて、そこで止めた。志由黄も同じように脱色されている。ちょっと不良と思われるのがめんどくさーいと明るく言うものの、大変だったのだろう。ただ、色合いがきれいであった。

 優は、大人になったらやってみたいと考えていた。

 

 自分を出せる彼らがうらやましい。その感情が腹の奥を占めていく。無意識なのだろう。そうなるたび、優は顔が険しくなっていた。カオルはよくそれに気づいた。

 

「優。眉間、ブルドッグみたいになってる」

「あ、……ありがとう。カオル君」

 

 この険しさがある時は、同時に腹の具合も悪くなっている。実際にお腹が痛い。いろいろ積み重なっていて、体が主張しているから、ストレスの一種なのだろう。冷たいものより、あたたかい飲み物のほうがましになることを知っていた。

 

「優、ちょっとしんどいか?」

「……すこしです」

「少しって言ったって、顔色悪いよ!鷹黄せんせー!ココア!ココア買ってきてー」

「志由黄、ひびくから」

「むー……」

「ちょっと待ってろ」

「あ、僕、自分で買ってきます……先生に申し訳ないもの」

「申し訳ないとか思うな。お前、まだ子供なんだから。しんどい時はちゃんと言いな」

「はい……」

 

 鷹黄が戻ってきた。その手には、ココアのほかに数本持っていた。

「ほい。カオルと志由黄、あと俺の分」

「お、やった。先生ありがとう」

「やっりー!お兄ちゃん太っ腹!優、飲めそう?」

「うん」

 

 なじみのある甘さが喉を通った。すでに落ち着いた気がしてならない。

 

「鷹黄先生、ありがとう」

「ん。生徒がしんどい時にこっちへ戻してやるのも大人の役目ってもんよ」

 

 鷹黄は甘ったるいコーヒーを飲んでいる。授業後に飲んでいるのを、ここに通う学生たちにはなじみある光景だ。

 

「先生ってそればっか飲むよな」

「甘いの好きなんだよ。これにほんとは砂糖でもいれたいぐらい」

「うわあ、血糖値やばいよ、ぜってーやばい」

「大人になるとな、いろいろ飲み込まなきゃあかんわけよ。カオル、覚えとけ」

「そんなもんかな」

「お兄ちゃんったら。まだ一年生でしょー」

「成人してるから、大人側でーす」

「ふふ」

「お兄ちゃん!見てみてみて!!!優、笑ってくれたじゃんか」

「おう。見た見た」

 

 ココアの半分とともに、腹の痛みは消えた。

 誰かのスマホが振動した。優のものだった。

 優は、差出人の名を見て笑う。

 

 八木原海(やぎはらかい)

 兄のような、それでいて友達のような人からの言葉だった。

 

『優!キルフェボンで限定フェアやってるって!食いに行こう』

 

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