ウルの町から離れた街道。
生い茂る木々の向こうに、傷ついた冒険者たちの姿が見えた。
その前に立っていたのは、黒髪の青年と対峙する竜人族の女――ティオ・クラルスだった。
彼女の頭部には二本の角が生え、長い髪の間からは竜の特徴を思わせる部分が覗いている。人間とは異なる威圧感をまといながら、彼女はハジメたちを見据えていた。
「ほう。生き残りを連れて戻ってきたか。ならば、貴様らも私の相手をしてくれるのだろう?」
ティオは口元に笑みを浮かべた。
だが、その表情とは裏腹に、彼女の瞳には奇妙な濁りがあった。
ハジメはその目を見逃さなかった。
「……お前、さっきから妙だぞ」
「何がだ?」
「冒険者を襲ったことに、何のためらいもない。だが、さっきから妙に言葉が上滑りしている。自分の意思でやっている人間の顔じゃねえ」
「ふん。敗者の言い訳に付き合うつもりはない!」
ティオの身体から、赤黒い魔力が噴き上がった。
その瞬間、彼女の手首に黒い痣のような紋様が浮かび上がる。
ハジメの左目――黒い眼帯の下にある千年眼が、かすかに熱を帯びた。
千年眼が捉えたのは、ティオの身体にまとわりつく異質な精神干渉の痕跡だった。
単なる魔法による支配ではない。
憎悪、恐怖、破壊衝動。それらを増幅し、本人の意識を押し潰すような力が、彼女の精神に食い込んでいる。
「……やっぱりな。誰かに操られているのか」
「黙れ!」
ティオが吼える。
その声は、彼女自身の怒りであると同時に、何者かに言わされているようにも聞こえた。
「私は自らの意思で戦っている! 貴様のような人間に、私の何が分かる!」
「なら、確かめさせてもらう」
ハジメは腰のデッキケースに手をかけた。
「デュエルだ。お前を操っているものが何であれ、俺はそれを引きずり出す」
ティオの視線が、ハジメの手元へと向かう。
そして、彼女もまた、懐から一組のカードを取り出した。
「……面白い。ならば、私の竜の力を思い知らせてやろう」
彼女がカードを一枚抜き出す。
そこに描かれていたのは、燃え盛る炎の中で咆哮する漆黒の竜だった。
その名は――《レッド・デーモンズ・ドラゴン》。
ハジメの目が細くなる。
「なるほど。お前が、あの竜のデッキの継承者か」
「そうだ! この力こそ、私が受け継いだ竜の力! 貴様の星屑の竜など、紅蓮の炎で焼き尽くしてくれる!」
ティオが高らかに宣言した。
その声に反応するように、彼女の背後で赤黒い魔力が渦巻く。
ハジメは一瞬だけ、ユエとシアを振り返った。
「二人とも、ここは俺に任せろ」
「……ハジメ、気をつけて。あの人、普通じゃない」
ユエはティオの手首に浮かぶ紋様を見つめていた。
「はい! でも、ハジメさんならきっと勝てます!」
シアも不安を押し殺しながら、力強くうなずいた。
「無茶はしないでね、ハジメ」
ユエの言葉に、ハジメは口元をわずかに緩める。
「分かってる。必ず戻る」
そして彼は遊星号にまたがった。
機械仕掛けのエンジンが唸りを上げる。
対するティオも、魔力によって駆動する竜人族の戦闘用ライディングマシンを呼び出した。赤黒い装甲に覆われたその車体は、竜の頭部を思わせる鋭い意匠を備えている。
彼女が乗り込むと、車体の周囲に炎のような魔力が噴き上がった。
「さあ、始めようではないか!」
ハジメはデュエルディスクを起動する。
「来い、ティオ!」
二台のマシンが街道を駆け出した。
「「ライディングデュエル――アクセラレーション!」」
デュエルが始まる。
「私のターン!」
ティオがカードを引いた。
「私は《ダーク・リゾネーター》を召喚! さらに、手札から《バイス・ドラゴン》を特殊召喚する!」
黒い小悪魔と、翼を広げた竜がフィールドに並ぶ。
「レベル3のチューナー、《ダーク・リゾネーター》に、レベル5の《バイス・ドラゴン》をチューニング!」
二体のモンスターが光の輪へと変わり、赤黒い炎の渦に吸い込まれた。
「深紅の闇より生まれし竜よ! その咆哮で敵を焼き尽くせ!」
「シンクロ召喚! 《レッド・デーモンズ・ドラゴン》!」
巨大な漆黒の竜が出現する。
その胸部から噴き上がる炎は、周囲の空気さえ歪めるほどの熱を放っていた。
「これが私の切り札だ! 紅蓮の王者よ、星屑の竜を砕け!」
ハジメはその姿を見上げた。
「……なるほど。確かに、すげえ迫力だ」
だが、彼は怯まない。
「けどな。竜の力は、破壊するためだけにあるんじゃねえ!」
「御託はいい! 私のターンはこれで終了だ!」
ティオがアクセルを踏み込む。
ハジメはデッキからカードを引いた。
「俺のターン!」
彼は手札から《ジャンク・シンクロン》を召喚する。
「ジャンク・シンクロンの効果発動! 召喚に成功した時、墓地のレベル2以下のモンスターを守備表示で特殊召喚する!」
墓地から小さなモンスターが蘇った。
「レベル3の《ジャンク・シンクロン》に、レベル5のモンスターをチューニング!」
二体のモンスターが星屑へと変わり、青白い光の輪が重なっていく。
「集いし星が、新たな力を呼び起こす! 光差す道となれ!」
ハジメの声が響き渡る。
「シンクロ召喚! 《スターダスト・ドラゴン》!」
銀白色の竜が翼を広げ、遊星号の上空へと舞い上がった。
レッド・デーモンズ・ドラゴンとスターダスト・ドラゴン。
二体の竜が、街道の上空で互いを睨みつける。
「来たか、星屑の竜!」
ティオが笑う。
「だが、私の竜の前では、その守りも無意味だ!」
「試してみろよ」
ハジメは遊星号をさらに加速させた。
ティオがカードを一枚発動する。
「《スカーレッド・カーペット》! 墓地の《リゾネーター》を蘇らせる!」
墓地からチューナーモンスターが戻り、ティオのフィールドに再び竜を呼び出すための布石が整う。
「さらに、チューナーを召喚! レベルを合わせる!」
ティオは次のシンクロ召喚を狙いながら、ハジメへ攻撃を仕掛けた。
「レッド・デーモンズ・ドラゴンで攻撃! アブソリュート・パワーフォース!」
紅蓮の炎がスターダスト・ドラゴンを襲う。
ハジメは即座に応じた。
「スターダスト・ドラゴンの効果を発動! フィールドのカードを破壊する効果を無効にし、破壊する!」
スターダスト・ドラゴンが翼を広げ、炎の奔流へ突進する。
ただし、ハジメは分かっていた。
この効果で無効にできるのは、フィールドのカードを破壊する効果だ。あらゆる攻撃や効果を無条件に防げるわけではない。
だからこそ、相手がどのカードを使い、何を狙っているのかを見極める必要があった。
ティオはその反応を見て、鋭く笑った。
「よく反応したな! だが、これで終わりではない!」
彼女は手札と墓地を巧みに使い、チューナーを再び展開する。
レッド・デーモンズ・ドラゴンを中心に、攻撃の手が途切れない。
ハジメは防御と反撃を繰り返したが、ティオの猛攻によってライフポイントを削られていった。
「どうした、南雲! その程度で、私の竜に勝てると思ったか!」
「……うるせえな。まだ決まってねえだろうが!」
ハジメは歯を食いしばった。
遊星号の車体が大きく揺れる。
ライディングデュエルでは、デュエルの判断だけでなく、速度と進路の制御も必要になる。わずかな判断の遅れが、走行の乱れにも直結する。
ティオはその隙を狙っていた。
彼女の攻撃は激しく、容赦がない。
だが、ハジメはただ耐えているわけではなかった。
相手の展開の癖、カードを切る順番、そして攻撃の前に生じるわずかな間。
そのすべてを観察し、反撃の機会を探っていた。
「……見えた」
ハジメはカードを引く。
「俺のターン!」
彼は墓地のカードを確認し、手札から《ジャンク・シンクロン》を召喚した。
「ジャンク・シンクロンの効果発動! 墓地のレベル2以下のモンスターを特殊召喚する!」
再びモンスターが蘇る。
「レベル3のチューナー、《ジャンク・シンクロン》に、レベル2のモンスターをチューニング!」
星の光が重なり、新たなシンクロ召喚が成立する。
ハジメはそこからさらに、墓地のカードを利用して展開をつなげた。
「まだ終わりじゃねえ!」
彼は新たに呼び出したモンスターを足がかりに、フィールドのモンスターとチューナーのレベルを調整していく。
ただし、ここでハジメが狙うのは、すでにフィールドにいるスターダスト・ドラゴンを素材にして同名カードを再び召喚することではない。
今フィールドにいるモンスターを正しく素材として扱い、レベルの合計を合わせることで、新たなシンクロ召喚へつなげるのだ。
「レベル3のチューナーと、レベル5の非チューナーをチューニング!」
光の輪が重なり、星々が一直線に並ぶ。
「集いし星が、ここに新たな道を切り開く! 光差す道となれ!」
ハジメは新たなシンクロ召喚を成立させ、反撃の足場を作った。
ティオの眉がわずかに動く。
「小細工を……!」
「小細工じゃねえ。積み重ねた戦術って言うんだよ!」
ハジメは攻撃を仕掛け、ティオの戦術を少しずつ崩していく。
それでも、ティオの切り札は健在だった。
レッド・デーモンズ・ドラゴンが再び咆哮し、紅蓮の炎をまとって突撃してくる。
「これで終わりだ! アブソリュート・パワーフォース!」
ハジメのライフポイントがさらに削られた。
遊星号が衝撃に揺れ、ハジメの身体が傾く。
「ハジメ!」
遠くからユエの声が響いた。
ハジメは片手でハンドルを握り直し、口元の血を拭う。
「……まだだ!」
ここで負けるわけにはいかない。
目の前のティオは操られている。彼女を倒し、その精神を縛る力を弱めなければ、真相にはたどり着けない。
ハジメは最後の反撃に必要なカードを見定めた。
手札、墓地、フィールド。
残された可能性を一つずつ確認していく。
そして、ついに勝負を決めるための展開が整った。
「俺は、墓地のモンスターを特殊召喚する!」
ハジメはカードをフィールドへ置いた。
「さらに、チューナーを召喚! レベルを合わせる!」
モンスターたちが光の輪へと変わり、星屑の輝きが夜空のように広がっていく。
ハジメはフィールドに存在する素材を確認し、正確にレベルを合わせた。
「レベル2のチューナーに、レベル6の非チューナーをチューニング!」
八つの星が一直線に並ぶ。
「集いし星の輝きが、闇を切り裂く道となる! 光差す道となれ!」
星屑が爆発的な光を放つ。
「シンクロ召喚! 再び舞い上がれ、《スターダスト・ドラゴン》!」
銀白色の竜が、星の光をまとって姿を現した。
レベル2のチューナーとレベル6の非チューナー。その合計レベルは8。
正しい素材とレベルによって、スターダスト・ドラゴンが再び召喚されたのだ。
ティオが目を見開く。
「何……!?」
「お前の竜がどれだけ強かろうと、俺は何度でも立ち上がる!」
ハジメは遊星号を加速させた。
「バトル! スターダスト・ドラゴンで、レッド・デーモンズ・ドラゴンを攻撃!」
二体の竜が正面から激突する。
紅蓮の炎が渦を巻き、星屑の光がそれを押し返した。
「レッド・デーモンズ・ドラゴン! 迎え撃て!」
ティオが叫ぶ。
だが、ハジメの攻撃は止まらない。
星屑の竜は炎を突き破り、紅蓮の王者へと迫った。
轟音。
閃光。
そして、二体の竜が激突した衝撃が、街道の大地を揺らした。
レッド・デーモンズ・ドラゴンが咆哮を上げ、その巨体が光の中へと消えていく。
「そ、そんな……私の竜が……!」
ティオのライフポイントがゼロになる。
彼女のマシンが大きく揺れ、制御を失いかけた。
ハジメはすぐに遊星号を寄せ、速度を落とす。
二台のマシンは土煙を巻き上げながら、街道の端へと停止した。
激闘の末、勝利を収めたのはハジメだった。
だが、彼自身も無傷ではない。呼吸は荒く、身体には激しい痛みが残っていた。
「……ったく。とんでもない竜を使いやがる」
その時、ティオの身体から赤黒い魔力が噴き出した。
「ぐっ……あああああっ!」
彼女は頭を抱え、苦しげにうめく。
手首に浮かんでいた黒い紋様が激しく明滅し、やがて少しずつ薄れていった。
「ティオ!」
ハジメは彼女のもとへ駆け寄る。
「……離れろ! 私に近づくな!」
「落ち着け! お前を操っている力は弱まっている!」
「違う……私は……!」
ティオの瞳から、先ほどまでの歪んだ敵意が消えていく。
代わりに浮かんだのは、困惑と恐怖だった。
「私は……何を……?」
彼女は震える手を見つめた。
「冒険者たちを……私は、あの者たちを……」
ハジメは静かに言った。
「……話せるか、ティオ。お前に何があった?」
ティオはしばらく沈黙した後、かすれた声で答えた。
「……男だ」
「男?」
「黒い衣をまとった男……。そいつが、私の前に現れたのだ」
ティオは自分の手首を握りしめる。
「最初は、ただの人間だと思った。だが、そいつの身体から放たれる気配は異常だった。まるで、死そのものが人の形を取ったかのような……」
ハジメの表情が険しくなる。
「そいつに何をされた?」
「私の力を見たいと言われた。拒絶した瞬間、黒い紋様が身体に刻まれたのだ。それからは……」
ティオの声が震えた。
「怒りが抑えられなくなった。戦いたい、壊したい、誰かを蹂躙したい……そんな衝動が、頭の中を埋め尽くしていった。気づいた時には、冒険者たちを襲っていたのだ」
「……精神を支配する力か」
「違う。単に操られていたのではない。私の心にある衝動を増幅させ、理性を押し潰していた。抵抗しようとするたびに、意識が遠のいて……」
ティオは歯を食いしばった。
「私は竜人族だ。自分の力には誇りがある。だが、あの男はその誇りさえも踏みにじった。私の力を、ただの道具として扱ったのだ……!」
彼女の瞳に怒りが宿る。
それは、先ほどまでの歪んだ敵意とは違う、自分の意思から生まれた感情だった。
ハジメは千年眼の熱が引いていくのを感じながら、確信した。
デュエルによってティオの精神を縛っていた力が弱まり、彼女は自分を取り戻したのだ。
「そいつは今、どこにいる?」
「……ウルの町へ向かっている」
「何だと?」
「男は言っていた。町を襲い、そこにいる人間をすべて踏み潰すと。私に命じたのも、そのためだったのだろう」
ハジメの顔から表情が消えた。
「規模は?」
「……数万。いや、それ以上かもしれぬ」
シアが息を呑む。
「数万って……魔物が、ですか?」
ティオはうなずいた。
「男は、数万の魔物を率いていた。森の奥から、次々と集まってくるのが見えた。あれだけの数が一斉に町へ向かえば、普通の防衛では持ちこたえられまい」
ユエがハジメを見上げた。
「……ハジメ。愛子たちがいる」
「ああ」
ハジメは即座に立ち上がった。
ウルの町には、愛子がいる。
かつて同じ教室で過ごしたクラスメイトたちもいる。
そして、まだ戦う力を十分に持たない人々が暮らしている。
ここで時間を浪費するわけにはいかなかった。
「シア、ユエ。すぐにウルへ戻るぞ」
「はい!」
「……ん」
ハジメはティオへ視線を向けた。
「お前も来い。町の地形や、敵の進軍経路を知っているんだろう?」
「……当然だ」
ティオはゆっくりと立ち上がった。
「私が招いた災厄ではない。だが、私が操られて人々を襲ったのは事実だ。償いをする機会があるのなら、逃げるつもりはない」
「なら、力を貸せ。責任を感じているなら、今度は自分の意思で守る側に立て」
ティオは目を見開いた。
そして、強くうなずいた。
「……分かった。今度こそ、私自身の意思で戦おう」
ハジメは遊星号にまたがった。
「急ぐぞ!」
三台のマシンが再びエンジンを唸らせる。
ユエとシアが続き、ティオも自らのマシンを起動させた。
ウルの町を襲おうとする、数万の魔物。
その背後にいる黒衣の男。
そして、彼の力によって引き起こされた異常事態。
ハジメたちは、町を守るために全速力で街道を駆け戻った。
ウルの町に戻ったハジメたちが最初に目にしたのは、町の外れに集まった冒険者たちと、慌ただしく行き交う住民たちの姿だった。
異変は、すでに町にも伝わっていた。
森の向こうから、地鳴りのような音が響いている。
鳥たちが一斉に飛び立ち、遠くの地平線には黒い影が広がり始めていた。
「……あれが、魔物の大軍勢か」
ハジメは遊星号から降り、遠方を見据えた。
地面を埋め尽くすような魔物の群れ。
その数は、ティオの証言どおり数万に達する勢いだった。
通常の冒険者が相手にできる数ではない。
町の防衛設備だけで受け止めるには、あまりにも規模が大きすぎた。
「ハジメさん……!」
シアの顔から、いつもの明るさが消えていた。
「分かってる。まともにぶつかれば、町が持たない」
ハジメは即座に頭を切り替えた。
「ユエ、魔法で町の外壁と防衛線を補強してくれ。敵が集中する場所には障壁を張れ。ただし、魔力を使い切るな」
「……分かった」
「シア、冒険者たちの配置を手伝え。腕力が必要な作業はお前に任せる。負傷者の避難経路も確保してくれ」
「はい!」
「ティオは敵の構成と進軍速度を説明しろ。魔物の種類、指揮系統、どこから崩すべきか。知っていることを全部話せ」
「承知した」
ハジメは次々と指示を飛ばした。
町の門前に土嚢と障害物を積み上げ、街道沿いには即席の防衛陣地を構築する。
魔物を一か所に誘導し、狭い場所で迎え撃つ。
遠距離攻撃が可能な冒険者は後方へ配置し、前衛には防御力の高い者を集める。
負傷者を運ぶための経路を確保し、住民は町の中心部へ避難させる。
さらにハジメは、錬成で作り出した金属製の杭と罠を防衛線の前方へ配置した。
「これで多少は足止めできる。魔物が密集したところに爆発物を叩き込めば、先頭の勢いを削げるはずだ」
彼は冒険者たちに必要な使い方を説明し、危険な場所には近づかないよう念を押した。
ただし、敵の数が数万となれば、いくら罠を仕掛けても限界がある。
重要なのは、最初の一撃で敵の勢いをどれだけ削げるか。
そして、指揮を執る黒衣の男を見つけ出し、魔物の統率を崩せるかどうかだった。
「ハジメさん、住民の避難は進んでいます!」
シアが戻ってくる。
「よし。無理に戦わせるな。戦えない者は全員、町の奥へ下がらせろ」
「分かりました!」
ユエもまた、防衛線の上空に魔力の障壁を展開していた。
青白い光が町の外壁を包み込み、飛来する魔物の攻撃に備えている。
「……ハジメ。あの魔物たち、普通じゃない」
「どういうことだ?」
「……魔力の流れが不自然。何かに引っ張られているみたい」
ハジメはティオを振り返った。
「お前が操られた時と同じか?」
「……似ている。だが、魔物たちの様子はもっとひどい。あれでは自分の意思など残っていないだろう」
ハジメは遠くの群れを見つめた。
敵はただ数が多いだけではない。
何者かの力によって、魔物たちが一つの意思に束ねられている。
その中心にいるのが、ティオを洗脳した男だ。
「……やっぱり、親玉を潰さないと終わらないか」
ハジメはデュエルディスクに手を置いた。
戦う準備は整いつつある。
だが、敵の正体も、目的も、まだ完全には分かっていない。
その時だった。
「来たぞおおおっ!」
防衛線の上から、冒険者の叫び声が響いた。
森の奥から、黒い波のような魔物の大群が押し寄せてくる。
地面が揺れ、木々がなぎ倒され、魔物たちの咆哮が空気を震わせた。
数万の魔物が、ウルの町へ向けて一斉に進軍を開始したのだ。
「全員、持ち場につけ!」
ハジメの声が響き渡る。
「前衛は防衛線を死守しろ! 遠距離攻撃は敵が罠に入ってから撃て! 指示があるまで勝手に突っ込むな!」
冒険者たちが一斉に武器を構えた。
ユエは障壁を維持し、シアは巨大なハンマーを肩に担ぐ。
ティオもまた、竜人族の力を解放し、鋭い爪を構えた。
「……今度は、誰にも操られずに戦う」
彼女の瞳には、確かな意思が宿っていた。
そして――
魔物の先頭が、防衛線へと到達した。
「撃てえええっ!」
ハジメの号令と同時に、冒険者たちの遠距離攻撃が一斉に放たれた。
矢が飛び、魔法が炸裂し、錬成によって仕掛けられた爆発物が次々と起動する。
魔物の先頭集団が吹き飛び、後続の群れが足を止めた。
だが、それで終わりではない。
倒れた魔物を踏み越え、次の群れが押し寄せてくる。
「数が多すぎる!」
「怯むな! 防衛線を維持しろ!」
冒険者たちは必死に武器を振るった。
シアは前線へ飛び込み、巨大なハンマーで魔物をまとめて薙ぎ払う。
「これ以上、町に入れさせません!」
彼女の一撃で魔物の群れが吹き飛び、押し寄せていた先頭の勢いが一瞬だけ止まった。
ユエはその隙を逃さない。
「……燃えなさい」
魔力が収束し、敵の密集地帯を炎が包み込む。
魔物たちが悲鳴を上げて倒れ、周囲の群れが混乱した。
ティオも竜の力を解放し、前線を守る。
彼女の爪が魔物を切り裂き、強烈な一撃が大型の魔物を地面へ叩きつけた。
しかし、敵は減らない。
倒しても倒しても、後方から新たな魔物が押し寄せてくる。
まるで、終わりのない波を相手にしているようだった。
「くそっ……! このままじゃ、いずれ押し切られる!」
ハジメは防衛線の後方から戦場全体を見渡した。
敵の動きには統率がある。
単なる魔物の暴走ではない。
特定の場所へ向けて、まっすぐに進軍している。
そして、時折、群れの奥から黒い光が立ち上っていた。
「あそこか……!」
ハジメは黒い光を見つめた。
魔物たちを束ねる何かが、群れの中心にある。
その時、町の外れから低い笑い声が響いた。
「……ふ、ふふ……はははははっ!」
戦場の喧騒を突き抜ける、不気味な笑い声。
魔物たちが左右へと分かれ、黒い道が生まれた。
その奥から、一人の男が姿を現す。
黒い衣。
血のように赤い紋様。
そして、胸元から覗く禍々しい痣。
男の周囲には、魔物たちのものとは明らかに異なる闇の魔力が渦巻いていた。
ハジメの千年眼が、眼帯の下で熱を帯びる。
その男の背後には、巨大な影が揺らめいていた。
地面から這い出すような、異形の神の気配。
男は防衛線を見渡し、愉快そうに口元を歪めた。
「いい眺めだ。人間どもが必死に足掻く姿は、いつ見ても滑稽だな」
その声を聞いた瞬間、ハジメの胸の奥で何かが冷たくなった。
聞き覚えがある。
この世界に来てから、何度も聞いた声。
かつて同じ教室で授業を受け、同じクラスで過ごした――あの男の声。
「……まさか」
ハジメは一歩前へ出た。
男がゆっくりと顔を上げる。
その顔は、間違いなく見覚えのあるものだった。
黒い髪。
細い目。
かつてはクラスメイトの一人だった青年。
だが、その表情には、以前の面影がほとんど残っていなかった。
「久しぶりだな、南雲」
男は笑った。
「いや……今のお前には、そう呼ぶのも違うか。奈落から這い上がった化け物め」
ハジメは目を見開いた。
「……清水?」
そこに立っていたのは、清水幸利。
かつて同じクラスにいた、あの清水だった。
しかし、彼の背後には禍々しい影が揺らめき、身体からは黒い魔力が溢れ出している。
そして、彼の腕には、闇に染まった痣が刻まれていた。
ダークシグナー。
清水は、ダークシグナーと化していたのだ。
「清水……お前、何をやっている?」
ハジメの声は低かった。
清水は肩をすくめる。
「何を、だと? 見れば分かるだろう。俺はようやく、自分の力を手に入れたんだ」
彼は片手を広げた。
その指先から黒い稲妻が走り、足元の魔物たちが一斉に咆哮する。
「この世界に来てから、俺はずっと考えていた。どうして南雲ばかりが特別扱いされるのか。どうしてお前だけが、あの奈落から生きて帰ってこられるのか」
「……」
「俺たちは同じクラスだった。なのに、お前はいつもそうだ。最初は冴えない奴だったくせに、気づけば誰もが無視できない存在になっている」
清水の顔が歪む。
「そして今度は、こんな世界で英雄気取りか? 女を連れて、強い力を手に入れて、好き勝手に生きている。俺がどれだけ惨めな思いをしてきたか、お前には分からないだろう!」
ハジメは清水を見つめた。
確かに、清水がこの世界で何を経験したのか、すべてを知っているわけではない。
だが、だからといって、無関係な人々を巻き込んでいい理由にはならない。
「……お前が何を経験したかは知らねえ。だが、関係のない人間を襲う理由にはならない」
「関係ない?」
清水が嘲笑した。
「こいつらは、俺の力を示すための舞台だ。お前に分からせてやるための、最高の舞台なんだよ!」
彼の背後で、巨大な影が大きく揺れた。
地面が裂け、黒い魔力が噴き上がる。
魔物たちが一斉に咆哮し、防衛線へと押し寄せた。
「さあ、南雲。見せてみろよ。お前がどれほど強くなったのか。俺の力を前にして、どこまで足掻けるのか!」
ハジメはデュエルディスクを起動させた。
機械の駆動音が響き、カードを収めたデッキケースが光を反射する。
「……いいだろう」
ハジメは静かに言った。
「お前が何を望んでいるのか、何を考えているのか。ここで全部聞いてやる」
彼の背後には、ユエ、シア、そしてティオが並んでいた。
ユエは静かに魔力を高め、シアはハンマーを構える。
ティオは清水を睨みつけていた。
「貴様……私を操り、人々を襲わせた報いは受けてもらうぞ」
「おや、竜人族の女か。せっかく役に立ってもらったのに、正気に戻ってしまったとは残念だ」
清水は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「だが、構わない。お前たちが何人いようと、結果は変わらない」
彼は片手を掲げる。
その瞬間、魔物たちの動きが一斉に変わった。
防衛線の左右へと分かれ、町を包囲するように進み始める。
「なっ……! 敵が回り込んでくるぞ!」
「左右の防衛線を維持しろ! 孤立するな!」
ハジメはすぐに指示を飛ばした。
だが、彼の視線は清水から離れなかった。
この男を止めなければ、魔物たちは止まらない。
そして、清水の背後にある闇の力が何なのかも、突き止めなければならない。
千年眼が、かつてないほど強く熱を帯びていた。
清水の身体から漂う力は、単なる魔力ではない。
魂にまで食い込むような、異質な闇。
その奥には、何者かの意志すら感じられた。
「……清水。お前、いったい何を手に入れた?」
ハジメの問いに、清水は笑った。
「神の力だよ、南雲」
彼の背後で、巨大な異形がゆっくりと姿を現し始める。
「地縛神――《コカパク・アプ》。俺に与えられた、絶対の力だ!」
その名が告げられた瞬間、周囲の空気が凍りついた。
冒険者たちは恐怖に顔を歪め、魔物たちは一斉に頭を垂れる。
黒い神の影が、ウルの町を覆い尽くそうとしていた。
ハジメはデュエルディスクを構え直す。
「……そうか。お前も、神に利用されているってわけか」
「黙れ!」
清水の顔が怒りに染まった。
「俺は誰にも利用されていない! 俺は自分の意思で、この力を手に入れたんだ!」
「なら、なおさらだ」
ハジメは一歩前へ出る。
「自分の意思でやっているなら、その結果から逃げるな。お前がこの町を襲い、ティオを操り、無関係な人間を巻き込んだ。その責任は、お前自身が取れ」
清水はしばらくハジメを睨みつけていた。
やがて、口元を歪める。
「いいだろう。ならば見せてやる。俺が手に入れた力を! お前の星屑の竜など、地縛神の前では塵に等しいということを!」
ハジメは静かにデッキからカードを引き抜いた。
そのカードに描かれていたのは、星屑の光をまとった竜。
かつて何度倒されても、再び立ち上がってきた相棒。
「……来い、清水」
ハジメの声が、戦場に響き渡る。
「お前の闇ごと、俺がぶっ潰してやる」
黒い神の咆哮が、空を震わせた。
星屑の竜と、地縛神。
かつて同じ教室にいた二人の青年が、今、敵として向かい合う。
ウルの町を懸けた戦いは、まだ始まったばかりだった。