ウルの町での戦いを終えたハジメたちは、数日の移動を経てフューレンへと戻ってきた。
町の門をくぐり、冒険者ギルドへ向かう。受付で依頼の達成を報告すると、職員は提出された書類に目を通し、何度も頷いた。
「行方不明者の捜索に加え、ウルの町を襲った魔物の軍勢への対処まで……本当にお疲れさまでした。報酬はこちらになります」
「どうも」
ハジメは報酬を受け取ると、さっさと懐へしまった。
「これで依頼は完了だな。しばらく休むぞ」
「賛成です!」
シアが勢いよく手を挙げた。
「もう、ずーっと走りっぱなしでしたからね! ウルの町では魔物と戦ったし、ティオさんとの決闘もあったし、清水さんの件もあったし……」
「……シア、あなたはずっとハジメにくっついていただけの時間も多かった」
「ユ、ユエさん! そ、そんなことないですよ! 私だって頑張りました!」
「……ふふ。知ってる」
ユエは小さく微笑み、シアの頭を撫でた。
ティオはそんな三人のやり取りを眺めながら、苦笑する。
「ふむ。ならば、ここはシアの頑張りを労うべきではないか?」
「おっ、ティオさん、いいこと言いますね!」
「……なぜお前が得意げなんだ」
ハジメが呆れたように突っ込む。
それでも、シアはへこたれなかった。
ウルの町での戦いでは、彼女も自分にできることを精いっぱいやり遂げた。清水との決闘を見守り、町の人々を助け、ティオが正気を取り戻した後も彼女を気遣っていた。
普段は騒がしいシアだが、仲間のために動く時の彼女は真剣だ。
ハジメも、そのことはちゃんと分かっていた。
「……分かった。今日は一日、好きに過ごしていいぞ」
「本当ですか!?」
「ああ。ただし、無茶な買い物をしたり、勝手に面倒事を引き受けたりするなよ」
「やったあああっ! ハジメさん、ありがとうございます!」
シアは嬉しそうに飛び跳ねた。
そして、勢いよくハジメの前へ回り込む。
「それじゃあハジメさん!」
「ん?」
「私と、デートしてください!」
その場の空気が一瞬止まった。
ユエの目がすっと細くなる。
ティオは面白そうに口元を緩めた。
「ほう。真正面から来たな、シア」
「な、なんですか! 私だって、たまにはハジメさんと二人きりで過ごしたいんです!」
シアは頬を赤くしながらも、ハジメの服の裾をきゅっと掴んだ。
「……ダメ、ハジメ?」
ユエが静かに尋ねる。
「いや、ダメとは言ってねえだろ」
「……なら、許可する」
「許可ってお前……」
「ただし、帰ってきたら私とも過ごすこと」
「はいはい」
「……返事は一回」
「分かったって」
ハジメが苦笑すると、シアは満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、行きましょう! ハジメさん!」
こうして、ハジメとシアはフューレンの町へと繰り出すことになった。
残されたユエは二人の背中を見送り、ティオと目を合わせる。
「……シア、今日は楽しそう」
「うむ。あれほど喜んでいるのなら、存分に楽しませてやるべきだろう」
「……でも、帰ってきたら私の番」
「ふふっ。ユエもなかなか抜け目がないな」
そんな二人の会話を背に、ハジメとシアは賑やかな通りへと消えていった。
「わああっ! 見てください、ハジメさん! あのお店、すっごく可愛いです!」
「お前、さっきからそればっかりだな」
「だって、フューレンには素敵なお店がいっぱいあるんですもん!」
シアは町のあちこちを見て回り、気になる店を見つけるたびにハジメの手を引いた。
色とりどりの布地を並べた服屋。職人が装飾品を作る工房。焼き菓子の甘い香りが漂う屋台。通りには冒険者だけでなく、買い物を楽しむ家族連れや、店先で談笑する人々の姿もあった。
ウルでの戦いが遠い出来事のように思えるほど、平穏な日常がそこにはあった。
「ハジメさん、これなんてどうですか?」
シアが手に取ったのは、小さなウサギを模した髪飾りだった。
白い耳に桃色のリボンがついている。彼女のDホイール、バウンサーラビットを思わせるデザインだ。
「……お前らしいんじゃねえか」
「本当ですか!?」
「ああ」
「じゃ、じゃあ……ハジメさんが選んでくれませんか?」
シアは少しだけ恥ずかしそうに髪飾りを差し出した。
ハジメは品物とシアの顔を交互に見てから、髪飾りを受け取った。
「これでいいか?」
「……はい!」
ハジメが髪飾りをシアの髪に留めてやる。
シアは近くの店の窓に映った自分の姿を確かめると、花が咲いたような笑顔を見せた。
「えへへ……ハジメさんに選んでもらっちゃいました」
「そんなに嬉しいか?」
「嬉しいに決まってるじゃないですか!」
シアはぎゅっとハジメの腕に抱きついた。
「だって、ハジメさんと二人きりでお出かけできるんですよ? 私、ずっと楽しみにしてたんですから!」
「……そりゃどうも」
ハジメは照れ隠しのように顔をそらした。
それから二人は食事を楽しみ、屋台で買った菓子を分け合い、町の広場を散策した。
シアは旅の途中で見つけた面白いものや、ハジメと出会ってからの出来事を楽しそうに語った。時には自分の失敗談まで持ち出し、ハジメに笑われては頬を膨らませる。
その時間は、戦い続きだった二人にとって久しぶりの穏やかなひとときだった。
「……ハジメさん」
広場の噴水のそばで、シアがふと声を落とした。
「ん?」
「ウルの町でのことなんですけど……私、ちゃんと役に立てていましたか?」
ハジメは意外そうに彼女を見た。
「何だ、急に」
「いえ……ハジメさんはいつも先頭に立って戦いますし、ユエさんもティオさんもすごい力を持ってます。私は、まだまだだなって思うことが多くて」
シアは自分の手を見つめた。
「でも、あの時は、私にもできることをやろうって思ったんです。だから……」
ハジメは少し黙ってから、シアの頭に手を置いた。
「よくやったよ」
「……え?」
「ウルでのお前は、ちゃんと自分にできることをやってた。誰かと比べる必要はねえ。お前が考えて動いたことには、ちゃんと意味があった」
シアは目を見開いた。
そして、ゆっくりと頬を緩める。
「……えへへ」
「何だよ」
「いえ。ハジメさんにそう言ってもらえると、すっごく嬉しいです」
シアはハジメの腕にそっと寄り添った。
「私、もっと強くなりますね。ハジメさんの隣に、ずっといられるように」
「……ああ。期待してるぞ」
二人はしばらく、噴水の水音を聞きながら並んでいた。
穏やかな時間。
笑い声。
そして、仲間と過ごす何気ない幸せ。
だが、その平穏は長くは続かなかった。
「……ん?」
通りを歩いていたハジメが、ふと足を止めた。
人通りの少ない路地の奥から、小さな足音が聞こえたのだ。
続いて、かすかな泣き声。
「……いやっ……こないで……」
シアも表情を変えた。
「ハジメさん、今の……」
「ああ」
二人は顔を見合わせ、路地へ入った。
そこには、壁に背中を押しつけるようにして座り込んだ幼い女の子がいた。
年の頃は三、四歳ほどだろうか。
濡れたような青い髪。小さな身体。服は汚れ、頬には涙の跡が残っている。頭には海人族特有の鰭があり、彼女がこの土地の人間ではないことを示していた。
少女はハジメたちを見ると、びくりと身体を震わせた。
「……っ!」
「おい、大丈夫か?」
ハジメは警戒させないよう、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
少女は答えず、怯えた目で彼を見つめている。
シアも、できるだけ優しい声を出した。
「大丈夫だよ。私たちはあなたを傷つけたりしないからね?」
少女の唇が震える。
「……おじさんたち、あのひとのおともだち……?」
「おじ……」
ハジメの眉がぴくりと動いた。
「……ハジメさん、そこは気にしないであげてください」
「分かってる」
ハジメは軽く息を吐き、少女と目線を合わせた。
「俺はハジメ。こっちはシアだ。お前、名前は?」
「……ミュウ」
「ミュウか。いい名前だな」
ミュウはしばらく迷った後、小さな声で続けた。
「ミュウ……にげてきたの。こわいひとたち、ミュウをつれていこうとするの……」
ハジメの目が鋭くなる。
「連れていく?」
「……うん。ミュウ、いやだっていったのに……」
少女は再び泣きそうになり、両手で顔を覆った。
シアはすぐに彼女のそばへ寄り、そっと背中を撫でた。
「もう大丈夫。私たちがいるからね」
「……ほんとう?」
「うん。約束するよ」
ハジメは少女の様子を見て、静かに立ち上がった。
奴隷商人。
この世界では、奴隷制度そのものが完全に消えているわけではない。合法的な契約奴隷も存在する一方、誘拐や違法な売買を行う犯罪組織も暗躍している。
幼い海人族の少女が逃げてきたという話を聞けば、ただの迷子として扱うわけにはいかなかった。
「……まずは保安局だ。事情を話して保護してもらう」
「はい。でも、ハジメさん……」
シアが不安そうにミュウを見た。
「この子、すごく怯えています」
「分かってる。俺たちが一緒に行く」
ハジメはミュウへ手を差し出した。
「ミュウ。怖いだろうが、ここにいるより安全な場所へ行こう。俺たちも一緒に行くから」
少女は差し出された手を見つめた。
やがて、小さな手をそっと伸ばし、ハジメの指を握った。
「……うん」
その手は、驚くほど冷たかった。
ハジメたちはミュウを連れて、フューレンの保安局へ向かった。
事情を説明すると、担当者は真剣な表情で話を聞き、少女を保護する手続きを進めた。
「海人族の幼児が誘拐未遂に遭った、ということですね。分かりました。こちらで責任を持って保護します。身元の確認と、逃げてきた場所の特定を急ぎましょう」
「頼みます」
ハジメは短く答えた。
担当者はミュウに目線を合わせ、優しく語りかける。
「大丈夫だよ。ここにいれば安全だからね」
ミュウはハジメの服の裾をぎゅっと掴んだ。
「……ハジメおにいちゃん、いっちゃうの?」
「……ああ。俺たちは冒険者だからな。けど、ここなら保護してもらえる」
「……やだ」
小さな声だった。
ミュウはハジメの服を離そうとしない。
シアが困ったように笑い、少女の手を優しく包んだ。
「ミュウちゃん。ここにはあなたを守ってくれる人がいるんだよ。私たちも、また会いに来るから」
「……ほんと?」
「ああ。約束する」
ハジメが答えると、ミュウはようやく指をほどいた。
保安局の職員に抱き上げられ、保護用の部屋へ連れていかれる。その間も、ミュウは何度も振り返ってハジメたちを見ていた。
ハジメは、彼女の姿が見えなくなるまでその場を動かなかった。
「……大丈夫でしょうか」
シアが呟く。
「保安局がきちんと動けば、問題ないはずだ」
ハジメはそう答えたものの、胸の奥に小さな引っかかりが残っていた。
怯え切ったミュウの顔。
あの小さな手の冷たさ。
そして、彼女が口にした「こわいひとたち」という言葉。
嫌な予感が消えなかった。
その予感は、間もなく現実となる。
保安局を出てしばらくした頃、ハジメの通信機に緊急連絡が入った。
『冒険者の方! 先ほど保護された海人族の少女が、施設内から連れ去られました!』
「……何だと?」
ハジメの声が低くなる。
『複数の男が職員を襲い、少女を連れ去った模様です。現在、追跡班を――』
「場所は!」
『西側の裏門から出たという目撃情報があります!』
「分かった。こっちでも追う」
通信を切ったハジメの顔から、先ほどまでの穏やかさが消えていた。
シアも、怒りを押し殺した表情で拳を握る。
「……あの子を、また……!」
ハジメはゆっくりと顔を上げた。
「シア。ユエとティオを呼べ」
「はい!」
「……あの連中は、相手を間違えたことを思い知らせてやる」
その声は、冷え切っていた。
ほどなくして、ユエとティオが合流した。
ハジメから事情を聞いたユエの表情は、いつも以上に冷たくなっていた。
「……小さな子供をさらった?」
「ああ。保安局に預けた直後にな」
「……許さない」
短い言葉だった。
しかし、その声には明確な怒りが宿っていた。
ティオもまた、いつもの余裕を消していた。
「弱い者を狙い、逃げ場を奪い、保護された後にまで手を出すとは……。犯罪者としても、あまりに卑劣だな」
「同感だ」
ハジメは左目の眼帯に触れた。
千年眼が、わずかに熱を帯びる。
周囲に残されたわずかな魔力の痕跡。路地に刻まれた車輪の跡。逃走に使われた馬車の進行方向。
ハジメはそれらを順に確認していった。
「連中は組織的に動いている。保安局への侵入も手際がいい。おそらく、町の中に協力者がいる」
「……なら、時間をかけて調べるより、逃げ道を塞いで一気に叩くべき」
ユエが言う。
「そうだな。ティオ、空から周辺を確認できるか?」
「任せろ。私の竜の力を使えば、馬車の進路を探るくらい造作もない」
「シアは俺と来い。足跡を追う。見つけたら、俺の合図があるまで突っ込むな」
「分かりました!」
四人はそれぞれの役割を確認すると、すぐに動き始めた。
ハジメはミュウの痕跡を追い、シアは周囲の足跡と車輪の跡を確認する。ユエは魔力の流れを読み、ティオは高所から逃走経路を探った。
やがて、町外れの倉庫街で不自然な動きが見つかった。
人目につかない古い建物。
窓には板が打ちつけられ、出入り口には武装した男たちが立っている。
そして、建物の奥から聞こえたのは、小さな泣き声だった。
「……ミュウ!」
シアが思わず声を上げかける。
ハジメは片手を上げて制止した。
「落ち着け。まずは状況を確認する」
千年眼の力で、ハジメは建物の内部にいる人間の気配を探る。
見張りが複数。奥には檻のような設備。さらに、帳簿や荷物が積まれた部屋もある。
そして、その中央に小さな反応があった。
間違いない。ミュウだ。
「……見つけた」
ハジメの声が低く響く。
「ここが連中の拠点だ。ミュウを取り戻す。犯罪の証拠も押さえられるなら押さえる。だが、あの子の安全が最優先だ」
「……分かった」
ユエが頷く。
「当然です!」
シアが鎌を握り直す。
「私、絶対にミュウちゃんを助けます!」
「うむ。私も全力を尽くそう」
ティオは赤黒い魔力を静かにまとった。
ハジメは最後に三人を見渡した。
「行くぞ」
四人は、闇に沈む倉庫へと踏み込んだ。
「な、何だお前ら!」
見張りの男が声を上げた。
返事の代わりに、ハジメの義手に組み込まれた武装が唸る。
銃声。
男たちの足元で地面が弾け、出入り口を塞ぐように破片が飛び散った。
「動くな。抵抗すれば、次は足元じゃ済まさねえ」
「て、てめえら! ここをどこだと思って――」
「犯罪組織の巣窟だろ?」
ハジメは冷たい声で遮った。
「誘拐、違法な奴隷売買、保安局への襲撃。十分すぎるほどの理由がある」
男たちが武器を抜く。
だが、彼らが動くより早く、ユエが魔法を放った。
氷の壁が通路を塞ぎ、逃走経路を断つ。
「……逃がさない」
シアは大鎌を振るい、武器を持った男たちの手元を正確に弾き飛ばした。殺傷を避けながらも、戦闘不能にするための一撃は容赦がない。
「ミュウちゃんを返してください!」
ティオは竜の力を解放し、奥へ向かおうとする男たちの前に立ちはだかった。
「子供をさらっておいて、まだ逃げるつもりか?」
赤黒い魔力が床を走る。
男たちは恐怖に顔を引きつらせ、次々に武器を捨てた。
しかし、組織の奥からは、まだ複数の気配が動いていた。
「侵入者だ! 商品を運べ! 奥の通路から逃げろ!」
怒鳴り声が響く。
「……商品だと?」
ハジメの目が、さらに冷たくなる。
ミュウを人として扱う気がない。
その事実が、彼の中の最後の遠慮を消し去った。
「ユエ、奥の通路を封鎖しろ。ティオ、二階だ。逃走する奴を止めろ。シア、俺と一緒にミュウを探す!」
「「「了解!」」」
四人は一気に散開した。
ハジメは通路を駆け抜け、行く手を阻む男たちを次々に制圧していく。義手の武装が武器を弾き、投げつけられた刃物は身体をわずかに傾けてかわす。
シアはその後ろを追い、襲いかかる敵を大鎌の柄で打ち据えた。
「ハジメさん、右です!」
「分かってる!」
ハジメは振り向きざまに男の腕を掴み、床へ叩きつけた。
ユエの氷魔法が別の通路を封鎖し、逃げ道を完全に塞ぐ。ティオは上階から飛び降り、出口へ向かっていた男たちの前に立った。
「逃げられると思ったか?」
竜の力を帯びた一撃が床を砕き、男たちの足を止める。
「ひっ……!」
「武器を捨てろ。さもなくば、次は本当に容赦しない」
ティオの声は、いつになく厳しかった。
彼女はかつて操られ、罪のない人々を傷つけた。その後悔は消えていない。
だからこそ、今ここで見過ごすわけにはいかなかった。
一方、ハジメとシアは建物の最奥へとたどり着いた。
そこには、鉄格子のついた小部屋がいくつも並んでいた。
中には、怯えた人々の姿がある。
ハジメは歯を食いしばった。
「……胸糞悪い」
「ハジメさん……!」
シアの声が震える。
だが、今は立ち止まっている場合ではない。
ハジメは鍵のかかった扉を次々と破壊し、閉じ込められていた人々を解放していった。
「もう大丈夫だ。ここから出ろ。入口に仲間がいる。そっちへ行け」
そして、最後の部屋。
そこに、ミュウがいた。
小さな檻の中で膝を抱え、涙を流している。
「……ミュウ!」
シアが駆け寄った。
ミュウは顔を上げ、二人を見た。
「……おねえちゃん……? ハジメおにいちゃん……?」
「ああ。迎えに来たぞ」
ハジメは檻の扉を破壊し、そっと手を差し出した。
「もう大丈夫だ。帰ろう」
ミュウは一瞬、信じられないという顔をした。
そして、次の瞬間。
「……うわああああんっ!」
彼女は泣きながらハジメへ飛びついた。
「こわかったぁ! ミュウ、こわかったのぉ!」
「……ああ。もう大丈夫だ」
ハジメはミュウを抱き上げ、背中を優しく撫でた。
「もう誰にも、こんなことはさせねえ」
ミュウはハジメの胸に顔を埋め、しゃくり上げながら泣き続けた。
シアも、ほっとしたように涙を浮かべる。
「よかった……本当に、よかった……!」
そこへユエとティオが合流した。
「……ミュウ、無事?」
「ああ。怪我も大きなものはなさそうだ」
ユエはミュウの顔を確かめ、そっと頬に触れた。
「……怖かったね。もう大丈夫」
ミュウはハジメにしがみついたまま、こくこくと頷いた。
ティオは周囲を見渡し、静かに言った。
「建物内の人間は全員制圧した。逃げようとした者も、ユエが封鎖した通路で捕らえられている」
「よし。保安局に連絡しろ。解放した人たちの保護も頼む」
「了解した」
ハジメはミュウを抱き直した。
少女の小さな手が、彼の服をぎゅっと握っている。
その手を見て、ハジメは静かに息を吐いた。
間に合った。
今度は、間に合ったのだ。
その後の処理は、驚くほど早かった。
ハジメたちが保安局へ連絡すると、武装した職員たちが倉庫街へ駆けつけた。現場には違法な売買の帳簿や、誘拐された人々の記録、各地の協力者に関する書類まで残されていた。
組織の構成員は全員拘束され、拠点は完全に制圧された。
抵抗した者たちも、ユエの魔法とティオの圧倒的な力、そしてハジメとシアの連携の前にはなすすべがなかった。
犯罪組織は、まさに四人の手によって壊滅したのである。
保安局の責任者は、押収された書類を確認しながら深々と頭を下げた。
「この規模の組織を一晩で制圧するとは……。あなた方が介入してくださらなければ、被害はさらに拡大していたでしょう。本当にありがとうございます」
「礼はいい。まずは保護された人たちを頼む。特に子供は、家族と連絡が取れるまで慎重に扱ってくれ」
「もちろんです。今回の件は、保安局としても重大な失態です。二度と同じことが起きないよう、警備体制を見直します」
「そうしてくれ」
ハジメは短く答えた。
腕の中では、ミュウが疲れ果てて眠っていた。
彼女はハジメの胸元に顔を寄せ、小さな手で服を握ったままだ。
シアがその寝顔を覗き込み、ほっとしたように微笑んだ。
「……眠っちゃいましたね」
「ああ。そりゃ、あれだけ怖い思いをしたんだ。疲れたんだろ」
「……ミュウ、ハジメから離れない」
ユエが静かに言う。
「……当然だろ。あんな目に遭ったんだからな」
「……別に、責めてない」
ユエはハジメの隣へ寄り、眠るミュウの頭をそっと撫でた。
「……今は安心して眠ればいい」
ティオも穏やかな表情を浮かべる。
「この子が安心して眠れる場所を、早く見つけてやらねばな」
「ああ」
ハジメは頷いた。
保安局にミュウを預けた時には、ここまでの事態になるとは思っていなかった。
だが、彼女を保護した責任がある以上、もう他人事では済まされない。
ミュウがどこから来たのか。
なぜフューレンにいたのか。
そして、彼女を故郷へ帰すにはどうすればいいのか。
確認すべきことは、まだ多く残されていた。
翌日。
ハジメたちは、ミュウを連れて冒険者ギルドを訪れた。
受付には、前日に保安局で対応した職員から連絡が入っていたらしく、ギルド職員も事情を把握していた。
「海人族の少女、ミュウさんですね。保安局から、あなた方が保護された方々の救出に協力したと聞いています」
「それで、ミュウの故郷について何か分かったか?」
ハジメが尋ねると、職員は記録を確認した。
「本人から聞き取りを行いましたが、まだ幼いため、詳しい地名までは分かっていません。ただ、海人族が暮らす地域へ向かう必要があることは間違いないでしょう。正式な捜索と護衛の依頼として登録することは可能です」
「なら、その依頼を俺たちが受ける」
ハジメは即答した。
シアも頷く。
「もちろんです! ミュウちゃんを、ちゃんとおうちに帰してあげたいですから!」
ユエはミュウの手を握った。
「……私たちが、一緒に行く」
ティオも静かに続けた。
「この子が再び危険な目に遭わぬよう、私も同行しよう」
職員は四人の顔を見渡し、依頼書を取り出した。
「承知しました。それでは、海人族の少女ミュウさんを故郷まで送り届ける護衛依頼として、正式に受理します。道中の安全確保と、身元の確認も依頼内容に含めます」
ハジメは依頼書に目を通し、署名した。
「これでいいな」
「はい。よろしくお願いします」
手続きが終わると、ハジメはミュウの前にしゃがみ込んだ。
「ミュウ。俺たちはこれから、お前の家を探しに行く。お前の知っていることを少しずつ教えてくれればいい」
ミュウは不安そうにハジメを見つめた。
「……ハジメおにいちゃんも、いっしょ?」
「ああ。俺も、ユエも、シアも、ティオも一緒だ」
「……ずっと?」
「故郷に着くまではな」
ミュウはしばらく考え込んでいた。
やがて、ぱっと顔を輝かせる。
「……じゃあ、ハジメおにいちゃんは、ミュウのパパ?」
「…………は?」
ギルドの一角が、ぴたりと静まり返った。
シアが口を押さえる。
ユエの目が細くなる。
ティオは肩を震わせ、必死に笑いをこらえていた。
「いや、待て。何でそうなる」
ハジメが困惑した声を出す。
ミュウはきょとんとした顔で首を傾げた。
「だって、ミュウをたすけてくれたもん。こわいひとたちから、まもってくれたもん」
「いや、それは……」
「パパ!」
ミュウは嬉しそうに、ハジメの胸へ飛びついた。
「ミュウ、パパといっしょにいく!」
「……おいおい」
ハジメは頭を抱えた。
シアがついに吹き出す。
「あははっ! ハジメさん、パパになっちゃいましたね!」
「笑うな!」
「だ、だって……ふふっ……!」
「……ハジメ、パパ」
ユエまで、どこか楽しそうに呟いた。
「ユエ、お前まで……!」
ティオはとうとう堪えきれず、声を上げて笑った。
「ははははっ! まさか南雲が、こんなに早く父親役を務めることになるとはな!」
「お前らな……!」
ハジメは反論しかけたが、胸にしがみつくミュウの顔を見て、言葉を止めた。
ミュウは本当に嬉しそうだった。
誰かに守ってもらえること。
誰かと一緒にいられること。
それが、今の彼女にとって何よりも大切なのだろう。
ハジメは小さく息を吐き、ミュウの頭を撫でた。
「……分かった。少なくとも、故郷に帰るまでは、ちゃんと守ってやる」
「……ほんと?」
「ああ。約束だ」
「えへへ……パパ!」
「……その呼び方は、できれば……いや、もういい」
ハジメは諦めたように肩を落とした。
シアは笑いながらミュウの頭を撫でる。
「ミュウちゃん、よろしくね! 私はシアお姉ちゃんだよ!」
「……シアおねえちゃん!」
「はいっ!」
ユエもミュウの前にしゃがんだ。
「……私はユエ。困ったことがあったら、いつでも言って」
「ユエおねえちゃん!」
「……うん」
ティオも胸を張る。
「私はティオだ。何かあれば、遠慮なく頼るといい」
「ティオおねえちゃん!」
「うむ。よい返事だ!」
こうして、ハジメたちの旅には新たな同行者が加わった。
小さな海人族の少女、ミュウ。
彼女を故郷へ送り届けることが、次の目的となったのだ。
出発の準備を終えたハジメたちは、フューレンの町の門へと向かった。
ハジメは遊星号の調整を済ませ、ユエはブラッディー・キッスの装備を確認する。シアはバウンサーラビットの荷物を整え、ティオも自身のDホイールの状態を点検していた。
ミュウはハジメのそばを離れようとせず、彼の服の裾を握っている。
「……パパ、どこいくの?」
「ホルアドだ。オルクス迷宮のある町だな」
「……ほるあど?」
「ああ。そこで必要な情報を集めて、それからお前の故郷を探す」
ミュウは少し考えてから、こくりと頷いた。
「……パパといっしょなら、だいじょうぶ!」
「……そうかよ」
ハジメは苦笑しながら、ミュウを抱き上げた。
彼女は嬉しそうに首へ腕を回す。
その様子を見たシアが、にやにやしながら近づいてきた。
「ハジメさん、すっかりパパですね!」
「うるせえ」
「パパ、パパ!」
「ミュウ、お前まで……」
ミュウが楽しそうに呼ぶたび、ハジメの表情は困ったように歪む。
それでも、彼はミュウを降ろそうとはしなかった。
ユエはその様子を見つめ、小さく微笑む。
「……ハジメ、優しい」
「……そんなんじゃねえよ」
「……そう?」
「……そうだ」
ティオは笑いながらDホイールへまたがった。
「さて、そろそろ出発しよう。道中は長い。ミュウが疲れないよう、適度に休憩を挟むべきだな」
「分かってる。無理はさせねえよ」
ハジメはミュウを抱き直し、遊星号の後部に設けた座席へ慎重に乗せた。安全を確かめ、彼女がしっかり掴まれるようにしてから、自分も運転席にまたがる。
「ミュウ、怖かったらすぐ言えよ」
「うん、パパ!」
「……だから、その呼び方は……」
言いかけて、ハジメは口を閉じた。
今さら何を言っても、ミュウは変える気がなさそうだった。
「……はあ。好きにしろ」
「えへへ!」
シアが声を弾ませる。
「それじゃあ、出発です!」
ユエとティオもそれぞれのDホイールに乗り込んだ。
青い遊星号。
赤と黒のブラッディー・キッス。
白と桃色のバウンサーラビット。
そして、竜の力を宿すティオのマシン。
四台のDホイールが、フューレンの門を抜けて街道へと走り出す。
目指すは、オルクス迷宮のあるホルアド。
その先に待つのは、新たな迷宮、新たな出会い、そして世界の秘密へとつながる道。
ハジメは前を見据えた。
腕の中から、小さな声が聞こえる。
「……パパ?」
「ん?」
「ミュウ、パパといっしょにいられて、うれしい!」
ハジメは一瞬だけ目を伏せた。
それから、穏やかな声で答えた。
「……ああ。俺も、お前をちゃんと故郷に送り届ける。だから、それまで安心してついてこい」
「うん!」
ミュウの笑顔が、朝の光の中で輝いた。
こうして、ハジメたちの旅は新たな目的を得て続いていく。
赤き竜の使徒――5D's。
その一行に、小さな海人族の少女が加わった。
彼女を故郷へ送り届けるために。
そして、まだ見ぬ真実へと近づくために。
四人と一人は、ホルアドを目指して走り続けた。