王都を襲った魔人族の軍勢。その迎撃にあたるため集められた異世界人たちは、突如として王国兵に拘束されていた。
剣を取り上げられ、魔法を封じられ、身動きの取れないクラスメイトたち。その前に立つ恵理は、口元を押さえながら楽しそうに笑っていた。
「恵理……お前、何をしているんだ?」
天之川光輝が、信じられないものを見るような目で彼女を見つめた。
これまで一緒に戦ってきた仲間。クラスメイトたちの中でも、比較的穏やかで、周囲を気遣う少女だったはずの恵理。
その彼女が、今は自分たちを拘束する兵士たちの後ろで、愉快そうに笑っている。
「何って……見れば分かるでしょう? あなたたちを捕まえたのよ」
「どうしてだよ! 俺たちは同じクラスの仲間だろ!」
「仲間?」
恵理はきょとんと首を傾げた。
そして、次の瞬間には、冷ややかな笑みを浮かべる。
「そんなもの、私にとってはどうでもいいの」
その一言で、周囲の空気が凍りついた。
「私が欲しいのは光輝くんだけ。最初から、ずっとそうだったのよ」
「……は?」
光輝は間の抜けた声を漏らした。
「光輝くんは勇者で、強くて、みんなから必要とされている。そんなあなたを私だけのものにできたら、どれほど素敵だろうって……ずっと考えていたの」
恵理はうっとりとした表情で光輝を見つめる。
「でも、あなたは私を見てくれなかった。いつも香織や雫、ほかの子たちばかり気にして……私がどんなに頑張っても、あなたは私を特別扱いしてくれなかった」
「だからって、こんなことをするのかよ!」
「ええ。だって、普通にお願いしても駄目だったでしょう?」
恵理は悪びれもせずに答えた。
「だから今回の王都襲撃を利用したの。魔人族と手を組んで、王都の防備を崩し、王国の重鎮たちを排除する。その混乱に乗じて、あなたを手に入れる……それだけのことよ」
光輝の顔から血の気が引いていく。
王都を襲った魔人族の軍勢。国の中枢を揺るがす混乱。自分たちを取り囲む王国兵。
そのすべてに、恵理が関わっていたのだ。
「まさか……王国の人たちまで……」
雫が震える声で尋ねる。
恵理は、まるで世間話でもするかのように答えた。
「ええ。国王に仕える重鎮たちも、兵士も、文官も。それから、たまたま居合わせた人たちもね」
「……何人、殺したんだ」
光輝の声が低くなった。
「数百人くらいかしら?」
「数百……!?」
「私の魔法で殺した人たちよ。必要な人間を残して、邪魔な人間は消したの。そうしたら、王都の中はずいぶん動きやすくなったわ」
恵理は片手を持ち上げた。
その指先が、拘束されたクラスメイトたちの背後へと向けられる。
「でも、殺しただけじゃ使い道がないでしょう?」
兵士たちが一斉に動いた。
彼らの動きには、生きた人間らしい迷いや戸惑いがない。命令を受ければ即座に動き、武器を構え、敵と判断した者を排除する。
その顔を見た瞬間、雫は息を呑んだ。
「嘘……この人たち……」
「そう。私の傀儡兵よ」
恵理は満足げに笑った。
「私の魔法で殺した人間を操っているの。生きている人間より扱いやすいし、裏切ることもない。国の重鎮だろうと兵士だろうと、私の命令一つで動くのよ」
「ふざけるな……!」
光輝の声が震えた。
怒りで。
目の前の少女が口にしたことが、あまりにも許しがたいものだったからだ。
「人の命を何だと思っているんだ!」
「何って……私の目的を叶えるための道具でしょう?」
恵理は不思議そうに首を傾げる。
「光輝くんを手に入れるためなら、それくらい当然じゃない?」
「恵理……お前……!」
竜太郎が歯を食いしばり、雫も怒りに満ちた眼差しを向ける。
かつての仲間が、数百人もの命を奪い、その遺体を操り人形にしていた。その事実は、彼らが信じていたものを根底から踏みにじるものだった。
「今すぐ、そいつらを解放しろ!」
「嫌よ」
恵理は即答した。
「それに、あなたたちにはもう必要ないもの」
彼女が指を鳴らす。
傀儡兵たちがクラスメイトから離れ、恵理の前に整列した。
その中央に、恵理は一枚のカードを取り出す。
「せっかくだから、見せてあげる。魔人族からもらった、とっておきの力をね」
カードの表面に描かれていたのは、燃え盛る太陽を背負う巨大な神の姿だった。
神々しいはずのその姿は、見る者に畏怖よりも先に、底知れない不気味さを抱かせる。
「神の炎で、すべてを焼き尽くす……《ラーの翼神竜》!」
恵理のデュエルディスクが起動した。
カードから黄金色の光が噴き上がり、炎の翼を広げた巨大な竜が姿を現す。
その圧倒的な存在感に、クラスメイトたちは思わず息を呑んだ。
「ラーの翼神竜……!? どうして、そんなカードを……!」
光輝が驚愕する。
「魔人族が私にくれたの。あなたたちを確実に従わせるための、最高の力をね」
恵理はラーの翼神竜を見上げ、頬を紅潮させた。
「さあ、始めましょう。光輝くんを私のものにするための、最後の仕上げよ」
* * *
「恵理……俺たちがお前を止める!」
光輝は拘束を振りほどき、デュエルディスクを構えた。
王国兵の隙を突き、武器を取り戻したクラスメイトたちも立ち上がる。怒りに燃える彼らの視線が、恵理へと集中した。
「四人まとめて相手をしてやる!」
「いいわよ。四対一で構わないわ」
恵理は余裕たっぷりに笑う。
「あなたたちが束になったところで、私には勝てないもの」
光輝、雫、竜太郎、そしてもう一人の勇者パーティの仲間が、それぞれデュエルディスクを展開する。
四人対一人。
常識的に考えれば、恵理が圧倒的に不利な状況だった。
しかし、彼女はまるで負ける可能性など考えていなかった。
「デュエル!」
四人の声が重なり、恵理もまたカードを引いた。
最初に動いたのは光輝だった。
「俺はモンスターを召喚! さらにカードを伏せる!」
続けて雫たちも展開を進める。四人は互いに連携し、恵理の動きを封じ込めようとした。
だが、恵理はその連携を見ても動じなかった。
「そんなに急いで大丈夫? せっかくの手札なんだから、もっと大事に使ったら?」
「黙れ!」
光輝が攻撃を仕掛ける。
恵理は一枚のカードを発動した。
「罠カード発動! あなたたちの攻撃を利用させてもらうわ!」
戦場に黄金の光が広がる。
光輝たちが作り上げた攻勢が崩れ、その隙を突くように恵理はラーの翼神竜を呼び出すための布石を整えていった。
彼女は相手の動きを冷静に観察していた。誰がどのタイミングで攻め、誰が仲間を守ろうとするのか。その癖を見抜き、四人の連携の綻びを一つずつ突いていく。
「光輝くんは、いつもそう。自分が前に出れば、みんながついてくると思っている」
恵理はカードを掲げた。
「でも、あなたが前に出るほど、仲間はあなたを守ろうとする。その優しさが、あなたたちの弱点なのよ」
雫が仲間をかばおうとした瞬間、恵理はその隙を逃さなかった。
「ここで決めるわ! 神の力を示しなさい、《ラーの翼神竜》!」
黄金の炎が戦場を覆った。
ラーの翼神竜が翼を広げ、灼熱の光を放つ。恵理は神の力を巧みに操り、四人の防御を次々と崩していった。
「そんな……!」
雫が驚愕する。
「まだだ! 俺たちは四人いるんだぞ!」
竜太郎が反撃を試みるが、恵理はそれすら見越していた。
「遅いわ」
神の炎が彼のモンスターを焼き払い、続く攻撃が戦線を押し潰す。
光輝は必死に立て直そうとした。しかし、ラーの翼神竜の圧倒的な力と、恵理の冷酷な戦術が、彼らの選択肢を奪っていく。
「光輝くん、これで終わりよ」
恵理が最後の攻撃を宣言した。
「ゴッド・ブレイズ・キャノン!」
太陽の炎が一直線に迸り、四人を飲み込んだ。
「うわああああっ!」
光輝たちは衝撃に弾き飛ばされ、地面へと倒れ込む。
四人のライフが、ほぼ同時にゼロへと落ちた。
瞬殺だった。
怒りも、連携も、勇者としての力も、ラーの翼神竜の前では届かなかった。
恵理は勝利を告げる表示を確認すると、満足そうに微笑んだ。
「ふふ……これで、邪魔者はいなくなったわね」
「恵理……お前だけは……!」
光輝は立ち上がろうとするが、身体に力が入らない。
恵理は彼のそばへ歩み寄り、しゃがみ込んだ。
「大丈夫よ、光輝くん。あなたを殺したりしないわ。私が欲しいのは、あなたなんだから」
そして、彼の頬へ手を伸ばす。
「少しの間、私の言うことを聞いてもらうだけよ」
光輝はその手を振り払おうとしたが、恵理は気にも留めなかった。
「さあ、傀儡にする準備を――」
――その時だった。
「みんな、無事!?」
兵士たちの包囲を抜け、広場へと駆け込んできた少女がいた。
白崎香織だった。
彼女は、拘束されたクラスメイトたちの姿を見つけると、ほっとしたように息を吐いた。だが、その表情はすぐに険しくなる。
地面に倒れた光輝たち。武器を奪われ、身動きの取れないクラスメイト。彼らを取り囲む傀儡兵。そして、その中心で笑っている恵理。
何が起きたのか、すべてを理解できたわけではない。
それでも、目の前の光景が尋常ではないことだけは分かった。
「恵理ちゃん……何をしているの?」
香織は歩みを進めた。
「どうして、みんなをこんな目に遭わせるの? 光輝くんたちは、恵理ちゃんの仲間だったでしょう?」
「……香織」
恵理は振り向いた。
その顔に浮かんでいたのは、驚きではなかった。むしろ、邪魔なものがまた一つ現れたとでも言いたげな、冷淡な表情だった。
「あなたまで来たのね」
「みんなを解放して。今なら、まだ――」
「まだ何?」
恵理は小首を傾げる。
「私が反省するとでも思っているの?」
「そうじゃないよ。でも、こんなことを続けたら、もう誰も恵理ちゃんを信じられなくなる。だから、お願い。もうやめよう?」
香織は、かつての友人に手を差し伸べた。
彼女はまだ、恵理が引き返せると信じていた。
どれほど恐ろしいことをしたのだとしても、話をすれば分かり合えるかもしれない。今なら、まだ止められるかもしれない。
香織はそう願っていた。
しかし、恵理はその手を見つめたあと、ふっと笑った。
「本当に、あなたって変わらないのね」
「……え?」
「いつだってそう。誰にでも優しくして、みんなを助けようとして。自分がどれだけ恵まれているのかも分からずに」
恵理の瞳に、暗い感情が宿った。
「あなたは、光輝くんにも好かれていた。みんなから信頼されて、誰かが困っていれば真っ先に手を差し伸べて……そのくせ、自分では何も分かっていない」
「恵理ちゃん……?」
「あなたみたいな人が、一番嫌いなのよ」
香織は言葉を失った。
恵理の声には、もう取り繕った優しさなどなかった。長い間、胸の奥に押し込めてきた嫉妬と憎悪が、剥き出しになっていた。
それでも香織は、彼女を見捨てられなかった。
「……私のことが嫌いでもいいよ。でも、だからって、みんなを傷つけていい理由にはならないよ」
香織は一歩、前へ出る。
「恵理ちゃん。私は、まだ――」
「うるさい」
その一言が、香織の言葉を断ち切った。
恵理は手を振り、傀儡兵たちに命じる。
「その女も捕まえて。抵抗するなら、動けなくして構わないわ」
「待って、恵理ちゃん!」
兵士たちが香織へと迫る。
香織は反射的にデュエルディスクを構えた。
「私は、みんなを助けに来たの! あなたたちの好きにはさせない!」
光が弾け、香織のモンスターが姿を現す。彼女は傀儡兵の進路を塞ぎ、クラスメイトたちへ手を伸ばそうとした。
だが、傀儡兵たちは倒されても止まらない。人間ならば怯むはずの攻撃にも反応を変えず、命令を遂行するためだけに香織へ迫ってくる。
「そんな……!」
香織が一瞬、足を止めた。
その時だった。
「香織!」
倒れていた光輝が叫んだ。
香織の背後――彼女が駆け込んできた通路の陰から、一人の男が姿を現していた。
檜山大介。
香織は、その姿を認めて一瞬だけ安堵した。
「檜山くん! よかった、あなたも無事だったんだね!」
彼女は振り返り、助けを求めるように声を上げた。
「お願い、みんなを助けるのを手伝って! 恵理ちゃんが――」
檜山は答えなかった。
ただ、彼女を見つめていた。
その顔には、いつもの卑屈な笑みが浮かんでいた。だが、その目だけは笑っていなかった。
香織は違和感を覚えた。
「……檜山くん?」
「相変わらずだな、白崎」
檜山が、ゆっくりと口を開いた。
「誰にでも優しくして、誰でも助けようとして……本当に、おめでたい女だぜ」
「え……?」
香織の表情が曇る。
その言葉の意味を理解するより早く、檜山が一歩踏み出した。
「お前は、何も分かってねえんだよ」
檜山の右手が動いた。
そこに握られていたのは、短い刃物だった。
香織が異変に気づいた時には、もう遅かった。
「――っ!」
背中に、鋭い衝撃が走った。
何が起きたのか分からない。
身体の奥へ、冷たいものが押し込まれる感覚。続いて、焼けるような痛みが広がった。
香織の目が大きく見開かれる。
檜山の手に握られた刃が、彼女の背中へ深く突き立っていた。
「……ひ、やま……くん……?」
かすれた声が漏れる。
香織は自分の背後を振り返ろうとした。しかし、身体が思うように動かない。
檜山は彼女の耳元で、吐き捨てるように言った。
「お前らみたいな連中が、いつも俺を見下してきたんだ。勇者様に、優等生に、みんなの人気者……俺はずっと、お前らの陰で笑われてきた」
「そん、な……私は……」
「黙れ!」
檜山は刃を引き抜いた。
香織の身体が大きく揺れた。
彼女は反射的に背中へ手を伸ばしたが、指先に伝わる感触と、制服に広がる赤を見た瞬間、ようやく理解した。
自分は刺されたのだ。
しかも、仲間だと思っていた檜山に。
「どうして……?」
香織の唇が震える。
「どうして、こんなことを……?」
「決まってんだろ。俺は恵理の味方だからだ」
檜山は冷たく笑った。
「お前らがどうなろうと知ったことか。俺は、俺の欲しいものを手に入れるんだよ」
香織の膝から力が抜けた。
倒れそうになった彼女の身体を、檜山は支えようともしなかった。
「香織ぃぃぃっ!」
光輝の絶叫が広場に響き渡る。
雫が目を見開き、竜太郎は言葉を失った。拘束されたクラスメイトたちも、目の前で起きた裏切りに凍りついていた。
香織は地面へ膝をつき、震える手で傷口を押さえた。
「……そんな……檜山、くん……」
彼女の瞳には、痛み以上に深い悲しみが浮かんでいた。
自分が傷つけられたことよりも、信じていた相手が、何のためらいもなく自分を刺したという事実が、心を抉っていた。
「もういいわ、檜山くん」
恵理が、退屈そうに告げた。
「その女は、まだ利用価値があるもの。殺さないでちょうだい」
「分かってるよ」
檜山は香織を見下ろした。
香織は必死に顔を上げ、恵理を見た。
「……恵理、ちゃん……お願い……みんなだけは……」
「まだそんなことを言っているの?」
恵理はしゃがみ込み、香織の顎を指先で持ち上げた。
「あなたには、少しだけ役に立ってもらうわ」
「……何を……するの……?」
「あなたも、私の傀儡兵にしてあげる」
香織の顔から血の気が引いた。
「……え……?」
「あなたはみんなから信頼されている。そんなあなたが私の命令に従って、光輝くんたちを襲ったら……きっと素敵な顔をするでしょうね」
恵理は楽しげに笑った。
「それに、あなたは治癒魔法が使える。生きたまま私の傀儡にできれば、何かと便利そうだもの」
「やめ……て……」
香織は身体を動かそうとした。
しかし、力が入らない。
視界が揺れ、音が遠のいていく。傷口から広がる痛みと、身体から抜けていく力。自分の命が危険に晒されていることを、香織自身が誰よりも理解していた。
それでも、彼女は必死に顔を上げた。
目の前には、倒れた光輝たちがいる。
誰も助けられなかった。
せめて、彼らだけでも――。
「お願い……みんなを……」
「黙りなさい」
恵理が香織の額へ手を伸ばす。
指先に、黒い魔力が集まっていく。
傀儡にするための魔法。
それが発動すれば、香織の意識も、心も、恵理の支配下に置かれることになる。
光輝が必死に身体を起こそうとした。
「やめろ……! 恵理、やめろおおおっ!」
「無駄よ。あなたはもう動けないでしょう?」
恵理は振り返りもせずに言った。
「大人しく見ていなさい。あなたの大切な仲間が、私の人形になるところをね」
黒い魔力が、香織の身体へと降り注ごうとした。
香織は目を閉じた。
悔しかった。
怖かった。
まだ、みんなと話したいことがあった。ハジメたちがどうなったのかも知りたかった。もう一度、みんなで笑いたかった。
それなのに。
自分は、何もできないまま終わってしまうのだろうか。
――誰か。
心の中で、香織は願った。
――誰か、助けて。
その瞬間。
「――その手を離せ、恵理」
地を震わせるような低い声が、広場に響き渡った。
恵理の手が止まる。
檜山が振り向いた。
光輝たちが、信じられないものを見るように顔を上げる。
広場の入口に、一台のD・ホイールが停車していた。
その車体から降りた男は、左目を覆う眼帯の下に千年眼を隠し、機械仕掛けの左腕にデュエルディスクを装着していた。
南雲ハジメ。
彼は倒れた香織を見た。
血に染まった制服。震える手。今にも消えそうな意識。
そして、そのすぐそばで刃物を握る檜山と、香織を傀儡にしようとしている恵理。
ハジメの表情から、感情が消えた。
いや、違う。
怒りがあまりにも深く、表情に出ることすらなくなったのだ。
「……香織」
彼は一歩、前へ進んだ。
「悪い。遅くなった」
香織は、かすかに目を開いた。
「……ハ、ジメ……くん……?」
「ああ。もう大丈夫だ」
ハジメは恵理を睨みつけた。
「そいつから離れろ」
恵理は一瞬、怯んだ。
だが、すぐに笑みを取り戻す。
「……あなた、また邪魔をするのね」
「二度は言わねえ」
ハジメのデュエルディスクが起動する。
「香織に手を出したことも、クラスメイトを利用したことも、殺した人間を傀儡にしたことも……全部、後悔させてやる」
その声には、容赦など微塵もなかった。
恵理は香織から手を離し、ゆっくりと立ち上がる。
彼女はハジメの視線を受け止めながら、唇を歪めた。
「……やれるものなら、やってみなさい」
だが、その余裕は長く続かなかった。
ハジメの攻撃が、傀儡兵たちを次々と吹き飛ばしていく。
恵理は初めて、自分の計画が崩れ始めたことを悟るのだった。
「恵理! こっちだ!」
遠くから男の声が響いた。
煙の向こうに、魔人族の部隊を率いるフリードの姿が現れる。乱れていた部隊を立て直し、撤退の準備を整えたらしい。
フリードはハジメの戦いぶりを見て、険しい顔をした。
「このままでは全滅する。撤退だ!」
「……くっ!」
恵理は唇を噛んだ。
ここでハジメと戦い続ければ、残りの傀儡兵まで失う。ラーの翼神竜を使ったとしても、彼がどんな手札を隠しているか分からない。
今は引くしかなかった。
「覚えていなさい、ハジメ……!」
恵理は傀儡兵たちに撤退を命じ、フリードの部隊へと合流する。
彼女が去り際に振り返った時、その瞳には憎悪と執着が渦巻いていた。
「光輝くんは、必ず私のものにするわ。邪魔をするなら、あなたも絶対に許さない!」
「寝言は寝て言え」
ハジメは吐き捨てた。
恵理たちは残存する傀儡兵を連れ、王都の混乱に紛れて姿を消した。
戦場に残されたのは、倒れた傀儡兵たちと、傷ついたクラスメイトたち。そして、ハジメの胸に残る消えない怒りだった。
* * *
「……くそっ、くそおおおおっ!」
ハジメがクラスメイトたちのもとへ向かおうとした、その時。
崩れた壁の陰から、荒い息遣いが聞こえた。
檜山大介だった。
彼は血に染まった身体を引きずりながら、恵理たちが去っていった方向を睨みつけていた。
先ほどの混乱の中で負傷したらしく、立っているのもやっとの状態だった。それでも彼の目には、敗北への悔しさと、ハジメへの憎悪が燃え盛っていた。
「……南雲……!」
ハジメは足を止めた。
「檜山……お前、何をしてやがる」
「うるせえ……! お前さえ……お前さえいなければ……!」
檜山は震える手で、懐から一枚のカードを取り出した。
それは、恵理が去り際に彼へ残していったものだった。
「恵理……あの女……俺に、これを……」
カードの表面には、奇怪な鳥の姿が描かれていた。
翼を広げた異形の神。太陽のような輝きとは対照的に、その姿からは不吉な気配が漂っている。
地縛神――《ウィラコチャラスカ》。
檜山はカードを握りしめた。
「これがあれば……俺だって……!」
「やめろ」
ハジメは即座に警告した。
「そいつは普通のカードじゃねえ。今のお前が手を出していいものじゃない」
「黙れ! お前に指図される筋合いはねえ!」
檜山は血まみれの手でカードを掲げた。
「力が欲しい……! 南雲を倒せる力が! 俺を見下してきた奴らを、全員ぶっ潰せる力が!」
カードが黒く輝いた。
地面に、巨大な赤黒い地上絵が浮かび上がる。
不気味な紋様が檜山の足元から広がり、周囲の空気が凍りつく。風が渦を巻き、黒い霧が彼の身体を包み込んだ。
「な、何だ……この力は……!?」
檜山は最初こそ怯えたが、すぐに口元を歪めた。
自分の身体から流れ込む異様な力。それは、瀕死の肉体を無理やり動かし、傷の痛みさえ忘れさせていく。
だが、その力には代償があった。
檜山の背中に、赤い痣が浮かび上がる。地上絵の紋様が皮膚に焼きつき、彼の瞳が暗い紅色へと変わっていった。
「はは……ははははっ!」
檜山は笑った。
「そうか……そういうことか! これが力……これが、俺の望んでいた力なんだ!」
「檜山、そいつから手を離せ!」
ハジメが叫ぶ。
しかし、もう遅かった。
地上絵の光が檜山の身体へと吸い込まれ、最後の一筋が消えた瞬間、彼の周囲に黒い炎が噴き上がった。
檜山の表情から人間らしい温度が失われていく。
憎悪だけが、濃く、深く、その瞳に残った。
「南雲……」
檜山はゆっくりと顔を上げた。
「俺は、もうお前には負けねえ……!」
その声は、先ほどまでの檜山のものとは違っていた。地の底から響くような、不気味な響きを帯びている。
「俺はダークシグナーだ!」
黒い地上絵が、再び大きく輝いた。
ハジメはデュエルディスクを構え直す。目の前の男が、地縛神の力に取り込まれたことを理解していた。
「……最後まで面倒をかけやがる」
ハジメの声は冷たかった。
檜山は血に濡れた口元を歪め、カードを突きつける。
「南雲ハジメ! 俺と決闘しろ! 今度こそ、お前をぶっ潰してやる!」
ハジメは一歩前へ出た。
「いいぜ、檜山。お前が何の力を手に入れようが、やることは変わらねえ」
デュエルディスクが起動し、二人の間に火花が散る。
「お前の腐った根性ごと、叩き潰してやる」
黒い地上絵の中央で、地縛神《ウィラコチャラスカ》の影が巨大に膨れ上がった。
こうして、王都を巡る戦いは新たな局面へと突入する。
神の使徒、裏切り者の少女、そして地縛神に魂を売った男。
ハジメは再び、闇の決闘へと身を投じることになった。