黒い地上絵が、王都の一角を覆い尽くしていた。
その中心に立つ檜山大介の身体には、赤黒い紋様が刻み込まれている。瀕死だったはずの肉体は、地縛神から与えられた力によって無理やり動かされていた。
檜山は、手にしたカードを掲げる。
「見ろよ、南雲……! これが俺の力だ!」
地上絵の上空に、巨大な鳥の影が浮かび上がった。
翼を広げた異形の神。頭部には仮面のような紋様が浮かび、全身から放たれる禍々しい気配が、周囲の空気を歪ませる。
「地縛神《ウィラコチャラスカ》!」
咆哮が王都を震わせた。
その姿を目にしたハジメは、眉をひそめる。
「地縛神……。なるほど、恵理が最後にお前へ渡した置き土産ってわけか」
「そうだ! このカードがあれば、俺はお前を超えられる! お前がどれだけ強くなろうが、もう関係ねえ!」
檜山は狂ったように笑った。
「お前はいつだって俺の邪魔をした! クラスでも、異世界でも、俺が欲しいものを全部奪っていった! だが、今度こそ違う! 俺が勝つ! 俺が上に立つんだ!」
「……まだそんなことを言ってるのか」
ハジメは冷めた目で檜山を見つめた。
「自分が何をしたのか、本当に理解してねえんだな」
「黙れ!」
檜山の怒号とともに、黒い風が吹き荒れる。
「お前を倒せば、俺はすべてを手に入れられる! お前の仲間も、力も、名声も! 全部、俺のものになるんだ!」
「寝言は終わったか?」
ハジメは遊星号のハンドルを握り直した。
「なら、決着をつけようぜ。今度こそ、お前がどこまで堕ちたのか、はっきりさせてやる」
デュエルディスクが起動する。
檜山もまた、黒い光を放つデュエルディスクを構えた。
「望むところだ! ライディングデュエルで、お前を地獄へ叩き落としてやる!」
二台のD・ホイールが走り出した。
「ライディングデュエル――アクセラレーション!」
* * *
先に仕掛けたのは檜山だった。
「俺のターン! モンスターを召喚し、さらに魔法カードを発動する!」
檜山は次々とカードを展開した。ハジメの攻撃を受け止めるためのモンスター、そして地縛神を呼び出すための生け贄。
それらが黒い地上絵の上へと並んでいく。
「これで準備は整った! 俺は三体のモンスターを生け贄に捧げる!」
フィールドにいた三体のモンスターが黒い光に包まれ、地上絵へ吸い込まれた。
「地上に降り立て、地縛神《ウィラコチャラスカ》!」
巨大な鳥の神が、再び姿を現した。
その瞬間、王都の地面が大きく揺れた。地縛神の影が地上絵と重なり、まるで王都そのものを生け贄に捧げようとしているかのように、周囲の光が吸い込まれていく。
「ははははっ! このカードの恐ろしさを教えてやる!」
檜山は腕を広げた。
「地縛神《ウィラコチャラスカ》の効果発動! 三体の生け贄を捧げて召喚したこの神の力で、お前のライフポイントを強制的に1にする!」
「何だと……!?」
ハジメのデュエルディスクに警告音が鳴り響いた。
ライフポイントが一瞬にして削られ、残り1へと変わる。
圧倒的なライフ差を、たった一度の効果でひっくり返す。それがアニメ版の《ウィラコチャラスカ》の力だった。
「どうだ、南雲! これでお前は一撃でも食らえば終わりだ!」
檜山は勝ち誇ったように叫んだ。
「地縛神は、フィールド魔法が存在する限り、相手から攻撃対象にされない! しかも、この神は空からお前を見下ろし、直接攻撃を仕掛けられる!」
巨大な翼が広がった。
「行け、《ウィラコチャラスカ》! 南雲にダイレクトアタック!」
黒い羽根が刃となって降り注ぐ。
ハジメはD・ホイールを傾け、路面すれすれまで車体を倒して攻撃を回避した。羽根の一枚が肩をかすめ、衝撃が身体を揺さぶる。
ライフは1。
次の一撃を受ければ、敗北する。
それでもハジメは速度を落とさなかった。
「どうした! 逃げ回るしかできねえのか!」
「……勘違いするなよ」
ハジメは前方を見据えたまま答えた。
「俺は逃げてるんじゃねえ。お前のカードを見極めてるんだ」
「強がりを!」
檜山はさらにカードを発動し、ハジメの進路を妨害する。黒い影が路面を覆い、地上絵から伸びた鎖のような魔力が遊星号へ絡みつこうとした。
ハジメはカードを引き、反撃を試みる。
「俺はモンスターを召喚! さらにチューナーモンスターを使い、シンクロ召喚!」
光の輪が重なり、白銀の竜が現れた。
「《スターダスト・ドラゴン》!」
スターダスト・ドラゴンが翼を広げる。
しかし、檜山は笑った。
「無駄だ! お前がどんなシンクロモンスターを出そうが、地縛神には届かねえ! この神は地上絵に守られている! そして、お前のライフはたったの1だ!」
「……確かに、普通に攻めればそうなるな」
ハジメは認めた。
「だが、お前は一つ見落としてる」
「何だと?」
「俺がどこまで行けるようになったのか、まだ知らねえってことだ」
ハジメの脳裏に、ノイトンとの決闘が蘇る。
機皇帝の妨害。シンクロモンスターを封じるための戦術。そして、クリアマインドへ至った瞬間。
あの時、彼はようやく理解した。
恐怖を消し去ることがクリアマインドなのではない。
怒りを忘れることでも、迷いを捨て去ることでもない。
自分の感情を抱えたまま、目の前の現実を見据え、未来へ向かって進み続けること。
その意志こそが、限界を超えるための力なのだ。
「俺はもう、クリアマインドを見失わねえ」
遊星号のエンジンが高鳴る。
「お前の地縛神がどれだけ強かろうが、俺は俺のやり方で勝つ!」
* * *
ハジメはスターダスト・ドラゴンを守りながら、必要なカードを手札に集めていった。
檜山は、その動きを警戒していた。
「何を企んでいる……?」
「見せてやるよ。星の力が、どこまで届くのかをな」
ハジメはカードを発動し、墓地から必要なモンスターを呼び戻す。そして、チューナーモンスターを召喚した。
「俺は《スターダスト・ドラゴン》をシンクロ素材として使う!」
「何だと!? せっかく召喚したスターダストを素材にするのか!」
「ああ。だが、ただのシンクロ召喚じゃねえ!」
ハジメの視線が鋭くなる。
「チューナーモンスター《救世竜 セイヴァー・ドラゴン》と、シンクロモンスター《スターダスト・ドラゴン》! さらに必要なモンスターを合わせ、シンクロ召喚の条件を満たす!」
光が集束する。
「集いし星が、希望の光を照らし出す! セイヴァー・シンクロ召喚!」
星々の輝きをまとった白銀の竜が、空へと舞い上がった。
「降臨せよ! 《セイヴァー・スター・ドラゴン》!」
その雄姿に、檜山の顔が引きつった。
「セイヴァー・スター・ドラゴン……! そんなモンスターまで……!」
「まだ終わりじゃねえ!」
ハジメはアクセルを開き、さらに速度を上げた。
「俺はシンクロチューナーを呼び出す! 《フォーミュラ・シンクロン》!」
小さな機械竜が光の輪とともに現れる。
ハジメは、先ほど召喚したセイヴァー・スター・ドラゴンを見上げた。
「レベル8のシンクロモンスター、《スターダスト・ドラゴン》と、レベル2のシンクロチューナーを用いたアクセルシンクロ。その境地を、俺はすでに知っている!」
ハジメの意識が再び静寂へと沈む。
風の音が消え、視界が星々の軌跡に変わる。
「アクセルシンクロォォォッ!」
星の光が交差し、空間を貫く。
「レベル8の《スターダスト・ドラゴン》に、レベル2のシンクロチューナー《フォーミュラ・シンクロン》をチューニング!」
十の光が重なり、白銀の竜が再び姿を現した。
「限界を超えろ! レベル10――《シューティング・スター・ドラゴン》!」
流星のような光が、夜空を駆け抜ける。
地上絵の禍々しい赤黒い光と、二体の竜が放つ白銀の輝きがぶつかり合った。
セイヴァー・スター・ドラゴン。
シューティング・スター・ドラゴン。
かつて一つの星から生まれた可能性が、二つの異なる姿となって戦場に並び立つ。
ハジメは二体の竜を見据えた。
「行くぞ。お前たちの力、貸してもらうぜ!」
* * *
「ふざけるな……! そんなモンスターを二体も並べたところで、地縛神には勝てねえ!」
檜山は叫び、ウィラコチャラスカを操る。
「攻撃しろ! 《ウィラコチャラスカ》!」
巨大な鳥の神が翼を広げ、黒い衝撃波を放った。
ハジメは即座に指示を出す。
「《セイヴァー・スター・ドラゴン》! 効果発動!」
セイヴァー・スター・ドラゴンが前へ飛び出し、攻撃を受け止める。星の光が黒い衝撃波を押し返し、地上絵の上空で激突した。
檜山は舌打ちする。
「だったら、こっちだ! 《ウィラコチャラスカ》の攻撃!」
今度は別の角度から黒い羽根が襲いかかる。
ハジメは車体を大きく傾け、攻撃を紙一重でかわした。
「《シューティング・スター・ドラゴン》! 反撃だ!」
流星の竜が高速で突進する。
だが、地縛神の巨大な影は、地上絵に守られたまま攻撃を受け流した。
「はははっ! どうした、南雲! 攻撃が通らねえぞ!」
「……なら、通る道を作るまでだ」
ハジメは冷静にカードを確認した。
地縛神はフィールド魔法が存在する限り、相手から攻撃対象にされない。しかし、それは絶対無敵という意味ではない。攻撃を無効にするわけでも、効果をすべて遮断するわけでもない。
ならば、突破口はある。
「俺は《セイヴァー・スター・ドラゴン》の効果を発動する!」
セイヴァー・スター・ドラゴンが光を放った。
「相手モンスターの効果を無効にし、その力を利用する!」
星の光がウィラコチャラスカを包み込む。
「何っ!? 地縛神の力が……!」
檜山の顔が青ざめる。
「《セイヴァー・スター・ドラゴン》は、相手の効果を封じるだけじゃねえ。お前の神の力を、逆に利用してやる!」
ハジメはアクセルを開き、二体の竜を別々の方向へ走らせるように指示した。
セイヴァー・スター・ドラゴンが正面から地縛神を押さえ込む。その隙に、シューティング・スター・ドラゴンが側面から回り込み、地上絵の光を撃ち抜いた。
黒い紋様が一瞬、乱れる。
「今だ!」
ハジメの声に応じ、二体の竜が同時に攻撃を仕掛けた。
星の光と流星の奔流が、ウィラコチャラスカを包み込む。
だが、檜山は最後の手段に出た。
「まだだ! 俺には、こいつの力がある!」
彼はカードを叩きつける。
「《ウィラコチャラスカ》の効果を発動! 俺のモンスターを生け贄に捧げ、その力を使う!」
黒い光が檜山のフィールドを覆った。
その力は、ハジメのライフを削るために使われる。地縛神の影が巨大化し、再びハジメへと迫った。
「これで終わりだ、南雲! お前のライフは1! 次の一撃で、お前は負ける!」
檜山の声が響き渡る。
ハジメは、静かに息を吸った。
「……ああ。確かに、俺のライフは1だ」
彼は顔を上げた。
「だが、だから何だ?」
「なに……?」
「ライフが1だろうが、10000だろうが、俺がやることは変わらねえ。俺は勝つために走ってる。お前を止めるためにな!」
ハジメの意識が、完全な静寂へと沈み込んだ。
クリアマインド。
それは、ただの技術ではない。
自分の限界を理解し、その限界を超えるために、心と身体を一つにする境地。
ノイトンとの決闘で目覚めたその力は、今やハジメ自身のものとなっていた。
「俺は、もう迷わねえ!」
遊星号のエンジンが、星の鼓動のように高鳴る。
「《シューティング・スター・ドラゴン》! 効果発動! デッキの上からカードをめくり、チューナーの数だけ攻撃を行う!」
ハジメはデッキの上からカードをめくった。
一枚、二枚、三枚――。
めくられたカードの中に、複数のチューナーモンスターが現れる。
「よし……! このターン、複数回の攻撃が可能だ!」
シューティング・スター・ドラゴンが、流星のように加速した。
「セイヴァー・スター・ドラゴン! ウィラコチャラスカの力を封じろ!」
セイヴァー・スター・ドラゴンが光を放ち、地縛神の動きを押さえ込む。
「シューティング・スター・ドラゴン! 今だ!」
流星の竜が、黒い神へと突進する。
「シューティング・ソニック!」
第一撃が、ウィラコチャラスカの翼を貫いた。
「ぐっ……!」
檜山の身体が大きく揺れる。
「まだだ! 続けろ!」
第二撃が地上絵の光を切り裂き、第三撃が巨大な鳥の神を真正面から撃ち抜いた。
「馬鹿な……! 俺の地縛神が……!」
檜山は必死にカードを握りしめた。
しかし、ハジメの攻撃は止まらない。
「これで終わりだ、檜山!」
最後の流星が、ウィラコチャラスカの胸部を貫いた。
巨大な神の身体に亀裂が走る。
黒い地上絵が砕け、空を覆っていた闇が消え去った。
「う、うわああああああっ!」
ウィラコチャラスカが崩壊する。
地縛神のカードが砕け散るような光を放ち、檜山のフィールドから消えた。
同時に、デュエルディスクが勝敗を告げる。
檜山のライフポイントはゼロ。
ハジメの勝利だった。
* * *
「……うそ、だろ……?」
檜山は呆然と呟いた。
地面に膝をつき、震える手でカードを探す。だが、そこにはもう、地縛神の姿はなかった。
「俺は……力を手に入れたんだ……! こんなはずじゃ……!」
彼の身体から、黒い霧が噴き出した。
それは地縛神の呪いだった。
檜山の足元に、再び赤黒い地上絵が浮かび上がる。だが、今度は彼を守るためのものではない。
彼を連れ去るための、冥界への門だった。
「な、何だよ、これ……! やめろ! 俺はまだ死にたくねえ!」
檜山は必死に地面へ爪を立てた。
しかし、黒い地上絵から伸びた無数の腕が、彼の身体を掴む。
その時、地上絵の向こう側から、幾つもの人影が現れた。
王都で命を奪われた人々。
ウィラコチャラスカを召喚するために生け贄とされた、罪のない住民たちだった。
彼らの顔には、怒りと悲しみが刻まれていた。
「やめろ……来るな……!」
檜山は後ずさろうとする。
「俺は……俺は悪くねえ! 俺はただ、力が欲しかっただけなんだ!」
誰も答えなかった。
人々の手が、檜山の身体を掴む。
さらに、別の黒い影が現れた。
かつてダークシグナー清水を縛り、彼の魂を消滅へと導いた地縛神《コカパク・アプ》の呪い。その残滓が、檜山の魂を包み込んだ。
檜山の目が見開かれる。
「ま、待て……! 俺は、あいつとは違う! 俺はまだ……!」
言葉は最後まで続かなかった。
地縛神の呪いが彼の身体を引き裂くように締め上げ、冥界へと引きずり込んでいく。
檜山は地面にしがみつき、喉が裂けるほど叫んだ。
「助けてくれ! 誰か! 南雲! 南雲ぉぉぉっ!」
ハジメは、ただその光景を見つめていた。
檜山が手を伸ばす。
だが、ハジメは動かなかった。
「……自業自得だ」
冷たい声だった。
「お前が踏みにじった命の重さを、最後くらいは思い知れ」
黒い地上絵が閉じていく。
檜山の叫び声が遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。
最後に残ったのは、静まり返った王都と、風に揺れる瓦礫だけだった。
ハジメはゆっくりと目を閉じた。
怒りが消えたわけではない。
だが、これ以上、檜山のために心を乱すつもりもなかった。
「……終わったな」
彼は遊星号のハンドルを握り直した。
「帰るぞ。まだ、やることが山ほどある」
* * *
王都襲撃から、数日が経過した。
王城では、魔人族の侵攻によって生じた被害の整理と、王都の復旧作業が続いていた。
国の重鎮を含む多くの人々が命を落とし、兵士たちも多数が犠牲となった。生き残った者たちは、混乱の中で失われた人々の名を記録し、崩れた街並みを少しずつ修復していた。
クラスメイトたちも、その作業に参加していた。
光輝たちは恵理の裏切りを目の当たりにし、檜山の最期を知ったことで、以前のような無邪気さを失っていた。
それでも、彼らは立ち止まるわけにはいかなかった。
自分たちが何を見落とし、何を信じ、何を間違えたのか。それを考えながら、今できることを続けていた。
そんなある日のこと。
「……あれ?」
王城の入口で作業をしていた雫が、ふと顔を上げた。
門の向こうから、数人の人影が歩いてくる。
先頭にいるのは、黒い眼帯をつけた男。
その隣には、金髪の吸血鬼、兎人族の少女、龍人族の女性。そして、白い髪を持つ少女がいた。
「……ハジメ?」
雫の声に、周囲のクラスメイトたちが一斉に振り向いた。
「南雲!?」
「ハジメくん!」
光輝たちが駆け寄ってくる。
ハジメは片手を上げた。
「よう。ずいぶん忙しそうだな」
「ずいぶん忙しそう、じゃないだろ! お前、今までどこに――」
光輝は言いかけて、ハジメの隣にいる少女に気づいた。
白い髪。見覚えのある顔立ち。
しかし、その姿は以前の香織とは明らかに違っていた。
「……香織?」
光輝の声が震えた。
香織は少し困ったように微笑む。
「うん。久しぶり、光輝くん」
「で、でも……お前は、恵理に刺されて……!」
「うん。あの時は、本当に危なかったよ」
香織は自分の身体を見下ろした。
「でも、今の私は、前の身体とは違うの」
ハジメが代わりに説明する。
「ノイトンの肉体を利用して、新しい身体を用意した。香織の魂を移し替えたんだ。以前の身体はもう助からなかったが、こいつの意識と記憶は残っている」
クラスメイトたちは、言葉を失った。
神の使徒として現れたノイトン。その身体を利用して香織を蘇らせるという発想は、あまりにも常識外れだった。
だが、目の前にいる香織は確かに彼女だった。
「……香織」
雫が駆け寄り、彼女を抱きしめる。
「よかった……本当に、よかった……!」
「雫ちゃん……ありがとう」
香織も彼女を抱きしめ返した。
光輝は、何度も言葉を探しては口を閉じた。
自分たちが敗北し、香織が刺され、誰も助けられなかったあの時。ハジメが現れなければ、香織は恵理の傀儡にされていたかもしれない。
それどころか、命そのものを失っていた可能性もある。
「……南雲」
光輝はハジメへ向き直った。
「香織を助けてくれて、ありがとう」
「礼なら香織に言え。あいつが生きようとしたから、こうして戻ってこられたんだ」
ハジメは淡々と答えた。
その時、ハジメの後ろから、もう一人の人物が姿を現した。
「……みんな」
その声を聞いた瞬間、愛子が息を呑んだ。
「清水くん……?」
かつてウルで行方不明になり、ダークシグナーとなってハジメと戦い、地縛神の呪いから解放された末に消滅した少年。
清水だった。
彼は少し気まずそうに頭を掻いた。
「……久しぶり、先生」
「清水くん……! 本当に……本当に、あなたなの?」
愛子が駆け寄ろうとする。
清水は一度だけ目を伏せ、それから小さく頷いた。
「うん。俺だよ」
愛子の目から涙が溢れた。
「よかった……! 生きていてくれて、本当によかった……!」
清水は苦笑した。
「……いろいろあったんだ。俺も、まだ全部を整理できてない。でも、もう一度みんなに会えたことは……本当に、よかったと思ってる」
ハジメは清水の肩を軽く叩いた。
「これからだろ。やり直すなら、今度こそ自分の足で歩け」
「……ああ」
清水は力強く頷いた。
こうして、死んだはずの二人が、再び仲間たちの前に姿を現した。
* * *
再会の喜びが少し落ち着いた頃、光輝は改めてハジメの前に立った。
「南雲。お前に聞きたいことがある」
「何だ」
「神のことだ」
その言葉に、周囲の空気が変わった。
光輝は真剣な表情で続けた。
「お前は以前から、神が俺たちを操っているようなことを言っていた。今回の恵理の裏切りも、ノイトンのことも……お前は何か知っていたんだろう?」
ハジメは黙って光輝を見つめた。
「だったら、どうして教えてくれなかったんだ! 俺たちが神のことを知っていれば、今回だって――」
「教えたところで、信じたか?」
ハジメの言葉が、光輝を遮った。
「……何?」
「神が人間を駒として扱ってる。戦争を起こして、人間同士を殺し合わせて、それを楽しんでる。そう説明したところで、お前は信じたのか?」
光輝は言葉に詰まった。
「それは……」
「どうせ確証がないって否定するのが落ちだろ」
ハジメは容赦なく言い切った。
「お前は自分が正しいと思ったことを疑わない。神が善なる存在だと教えられたなら、それを信じる。俺が正反対のことを言えば、証拠を出せと迫る。だが、証拠を見せたところで、今度は何かの間違いだって言い出すかもしれねえ」
「そんなことは……!」
「今回の恵理の件だってそうだ。お前は自分の仲間を信じてた。信じること自体が悪いとは言わねえ。だが、信じることと、疑うべきものを見ないことは違う」
光輝は唇を噛んだ。
言い返したいことはあった。
しかし、恵理を信じていたのは事実だ。彼女が王都襲撃を手引きし、数百人を殺し、傀儡兵として操っていたなど、考えたこともなかった。
「……じゃあ、今は信じていいのか?」
光輝が、ようやく問いかけた。
「お前が自分で考えろ」
ハジメは即答した。
「俺は事実を話す。信じるかどうかは、お前らが決めろ」
ハジメは一度、周囲のクラスメイトたちを見渡した。
「この世界には、俺たちが知らされていない真実がある。神は人間を駒として扱い、戦争や悲劇を引き起こしている。大迷宮を作った連中は、その神に抗うための力や知識を後世に残そうとした」
彼は言葉を切る。
「俺が奈落に落ちたのも、ただの事故じゃなかった可能性が高い。誰かが俺を殺そうとした。そう考えるだけの理由がある」
光輝たちは静かに耳を傾けていた。
「そして、元の世界に帰る方法も分かってきた」
「本当か!?」
光輝が身を乗り出す。
「ああ。鍵になるのは、千年アイテムと三幻神のカード。それに、シグナーと、その使徒たる六枚のドラゴンのカードだ」
「千年アイテム……三幻神……?」
「詳しいことは、まだ全部分かってねえ。だが、これらを集めることが帰還への道につながる。だから俺たちは大迷宮を攻略しながら、必要なものを探してる」
ハジメの説明に、クラスメイトたちは顔を見合わせた。
元の世界に帰る方法がある。
それは彼らにとって、何よりも大きな希望だった。
「だったら、俺たちも一緒に行く!」
光輝が声を上げた。
「これ以上、何も知らないままでいるわけにはいかない。神のことも、帰還の方法も、自分たちの目で確かめたいんだ!」
ほかのクラスメイトたちも頷いた。
恵理の裏切りを経験し、神の使徒の脅威を知った彼らは、以前とは違っていた。誰かに守られるだけではなく、自分たちも力をつけ、真実を確かめる必要があると感じていた。
「……お前らを連れていけば、面倒が増えるんだがな」
ハジメは頭を掻いた。
「ハジメ」
ユエが隣から声をかける。
「彼らも、もう無関係じゃない。神に狙われる可能性があるなら、一緒にいた方が守りやすい」
「そうですね! みんなで訓練すれば、もっと強くなれます!」
シアも頷いた。
ティオは腕を組み、口元を緩める。
「妾としても、数が増えるのは悪くないのじゃ。もっとも、足手まといにならぬよう鍛えてもらう必要はあるがのう」
「……分かったよ」
ハジメはため息をついた。
「ただし、条件がある。俺の指示を無視しないこと。危険を感じたらすぐに報告すること。勝手に突っ走らないこと。そして、訓練から逃げないことだ」
「分かった!」
光輝は力強く答えた。
「今度こそ、俺たちも自分の力で戦えるようになる!」
「その言葉、忘れるなよ」
ハジメは念を押した。
* * *
その後、彼らは王城で今後の方針を話し合った。
王都は復旧の途上にあり、魔人族の動きも完全には把握できていない。今後の戦いに備え、王国へ情報を共有する必要があった。
そこで同行を申し出たのが、リリアーナ王女だった。
「私も、帝国へ今後のことを伝えなければなりません。王都で起きたこと、魔人族の侵攻、そして神の使徒の存在……各国が知らないままでは、同じ悲劇が繰り返されるかもしれません」
「帝国に話を通すのは構わない。だが、俺たちは樹海へ向かう。安全な道を選ぶとは限らないぞ」
ハジメが告げると、リリアーナは迷いなく頷いた。
「承知しています。それでも、伝えなければならないことがありますから」
「……分かった。途中までなら一緒に来い」
こうして、ハジメたちは勇者一行を加え、リリアーナ王女とともに樹海へ向かうことになった。
出発前、ハジメは一人の少女を呼び止めた。
「雫」
「えっ? 私?」
八重樫雫が振り返る。
「お前、正式にこっちへ来るんだろ?」
「う、うん。そのつもりだけど……」
「なら、これをやる」
ハジメは格納庫から一台のD・ホイールを引き出した。
黒い車体。軽量で鋭いフォルム。鳥の翼を思わせるリアカウル。高い機動性と旋回性能を重視した設計で、細い道や複雑な地形でも扱いやすい。
それは、クロウ・ホーガンの愛機をモデルにしたD・ホイール――《ブラックバード》だった。
「……これ、D・ホイール?」
雫は目を丸くした。
「クロウのブラックバードを参考にして、お前用に調整した。防御性能も強化してある。扱い方は後で教える」
「私に……くれるの?」
「ああ。これから一緒に行くなら、自分の足が必要だろ」
雫は車体にそっと手を触れた。
黒い装甲に映る自分の顔を見つめ、しばらく言葉を失っていたが、やがて笑みを浮かべた。
「……ありがとう、ハジメ。大切にするね」
「壊したら自分で整備を手伝えよ」
「うっ……それは頑張る」
雫は苦笑しながらも、嬉しそうにブラックバードを見つめていた。
ユエが隣から声をかける。
「雫も、これで正式に仲間」
「はい! これからは一緒に走れますね!」
シアも嬉しそうに手を叩いた。
雫は少し照れくさそうに笑い、ハジメたちの輪に加わった。
* * *
出発の日。
王都の外れに、巨大な飛行船が姿を現した。
流線形の船体に、複雑な魔導機関と機械仕掛けの推進装置を組み合わせた高速飛行船。その船体には、竜を思わせる紋様が刻まれている。
その名は――《アルティマヤ・ツィオルキン》。
ハジメが旅のために用意した、長距離移動用の高速飛行船だった。
「……これ、全部ハジメが作ったのか?」
光輝が呆然と呟く。
「全部じゃねえ。使える技術を組み合わせただけだ」
「それを普通は全部作ったって言うんじゃないかな……」
香織が苦笑した。
飛行船の甲板には、ユエ、シア、ティオ、香織、清水、雫、そして勇者一行とリリアーナ王女が集まっていた。
以前よりもはるかに大所帯になった一行。
旅の危険も、背負う責任も、これまで以上に大きくなるだろう。
それでも、ハジメは迷わなかった。
彼には守りたいものがある。
元の世界へ帰るという目的がある。
そして、神の思惑に抗い、自分たちの未来を自分たちの手で掴み取るという決意があった。
「全員、乗ったな?」
ハジメが確認する。
「はい!」
シアが元気よく返事をした。
「問題ない」
ユエが頷く。
「妾も準備万端じゃ!」
ティオは胸を張る。
香織は新しい身体の感覚を確かめながら、清水と並んで立っていた。清水もまた、今度こそ自分の足で歩いていくと決めたように、前を見据えている。
雫はブラックバードの鍵を握りしめ、光輝たちはそれぞれ決意を新たにしていた。
リリアーナ王女も、帝国へ伝えるべき情報を胸に、静かに頷く。
「よし。出発するぞ」
ハジメが操縦席へ向かう。
飛行船の魔導機関が起動し、低い唸りを上げた。
巨大な船体がゆっくりと浮かび上がる。王都の街並みが眼下へと遠ざかり、やがて城壁も小さくなっていった。
彼らの行き先は、樹海。
その先には、さらなる大迷宮と、神が仕掛けた数々の罠が待ち受けている。
けれど、今度は一人ではない。
それぞれの傷と後悔を抱えながらも、彼らは同じ目的へ向かって進み始めた。
ハジメは操縦席から前方を見つめ、静かに呟く。
「待ってろよ、神。お前の筋書きなんざ、全部ぶっ壊してやる」
《アルティマヤ・ツィオルキン》は青空を切り裂き、次なる大迷宮が待つ樹海へ向けて加速していった。