ハジメが虚像との決闘を終えた直後。
雪原の大迷宮に満ちていた黒い霧が、再び蠢き始めた。
「……っ!」
雫が咄嗟に身構える。
先ほどまで隣にいた仲間たちの姿が、白い霧に呑まれて消えていった。
「ハジメ君!? ユエさん、シア!」
返事はない。
雫はすぐさま腰のデッキケースに手を伸ばした。ブラックフェザーを中心とした、自分のデッキ。幾度もの実戦を経て、ようやく自分の戦い方として馴染んできたカードたちだ。
そのカードがある限り、簡単には屈しない。
そう思った瞬間、目の前の霧が割れた。
「ようやく一人になったな、八重樫雫」
現れたのは、自分とまったく同じ顔をした少女だった。
黒い髪。冷静な瞳。剣を握る手の構えまで、鏡に映したかのように一致している。
だが、虚像の背後には、漆黒の翼を広げた黒羽の戦士たちが浮かんでいた。
ブラックフェザー。
しかも、通常のブラックフェザーではない。
装甲を増し、黒い翼の先端に鋭い刃を備えた戦士たち。その中央には、巨大な黒い竜の影が揺らめいている。
「……あなたは、私の虚像?」
「そうだ。お前の心の奥底にある迷いを形にした存在だ」
虚像は冷たく笑った。
「お前は本当に、今の仲間たちと肩を並べられると思っているのか?」
「何を……」
「ハジメは別格だ。ユエも、シアも、ティオも、香織も。あいつらは自分の力を理解し、それを使いこなしている。では、お前はどうだ?」
雫は唇を引き結んだ。
「私は、私なりに努力してきた」
「努力?」
虚像は鼻で笑った。
「ハジメに鍛えられ、強いカードを手に入れ、仲間たちに助けられて。それでようやく、同じ場所に立てるようになったつもりか?」
「……っ!」
「お前は剣士だ。剣の腕なら誇れるものがあった。だが、この世界では剣だけでは足りない。決闘でも、魔物との戦いでも、仲間たちに追いつくために必死になっている」
虚像がデュエルディスクを展開した。
「ならば証明してみろ。お前のブラックフェザーが、本当にお前自身の力なのか」
雫もデュエルディスクを構えた。
「……いいわ。あなたが私の弱さを映した存在だというなら、ここで乗り越えてみせる」
「その言葉、最後まで言っていられるかな?」
虚像がデッキを装填する。
「デュエル!」
◇
「私の先攻!」
虚像は迷いなくカードを展開した。
「私は《BF-毒風のシムーン》を手札から見せることで効果を発動! 手札から別のブラックフェザーを除外し、デッキから《黒い旋風》を置く。そして、通常召喚権を使わずにシムーンを召喚する!」
黒い旋風がフィールドに吹き荒れた。
「《黒い旋風》の効果発動! ブラックフェザーが召喚されたとき、その攻撃力より低い攻撃力を持つブラックフェザーをデッキから手札に加える!」
虚像は次々とカードを手札に加え、間髪入れずにモンスターを展開する。
「私は《BF-黒槍のブラスト》を特殊召喚! さらに、《BF-疾風のゲイル》も特殊召喚!」
黒い羽根が舞い、三体のブラックフェザーが並んだ。
「レベル4のシムーンに、レベル3のゲイルをチューニング!」
黒い輪が重なり、漆黒の竜が姿を現す。
「シンクロ召喚! 《BF-アーマード・ウィング》!」
続いて、虚像はブラストと別のチューナーを組み合わせ、さらにシンクロ召喚を重ねた。
「現れろ、《BF-アサルト・ブラックフェザー》!」
黒い鎧をまとった戦士が翼を広げる。
「そして、私は《BF-フルアーマード・ウィング》をシンクロ召喚!」
重装甲の黒羽の戦士が現れた。翼の周囲には、相手の力を奪うような不気味な黒い光が渦巻いている。
「これが私のアサルトブラックフェザーデッキだ」
虚像はフィールドを見渡した。
「ブラックフェザーの展開力に、連続シンクロ召喚。そして、相手の動きを封じる効果を重ねる。お前がどんな手を使おうと、ここから抜け出すことはできない」
雫は相手の盤面を見据えた。
強力なシンクロモンスターが複数並び、さらに《黒い旋風》まで残っている。
だが、突破口がないわけではない。
「私のターン!」
雫はカードを引いた。
「私は《BF-砂塵のハルマッタン》を召喚!」
黒い戦士が現れる。
「さらに、手札から《BF-突風のオロシ》を特殊召喚!」
チューナーが並び、雫はシンクロ召喚の準備を整えた。
「レベル4のハルマッタンに、レベル1のオロシをチューニング! シンクロ召喚、《BF-星影のノートゥング》!」
黒い翼をまとった戦士が降り立つ。
「ノートゥングの効果で、相手に800ポイントのダメージ!」
黒い風が虚像を襲った。
だが、虚像は動じない。
「それで終わりか?」
「まだよ!」
雫はさらにカードを展開しようとした。
しかし、その瞬間。
「お前は、ハジメのようには戦えない」
虚像の声が、頭の奥に響いた。
「ハジメなら、今の盤面をどう崩すか。お前はそればかり考えている。自分の判断より、あいつの戦い方を正解だと思い込んでいるんだ」
「……違う!」
「違わない。お前は自分のデッキを使っているようで、実際にはハジメの教えに縋っているだけだ」
雫の手が止まった。
ほんの一瞬。
その迷いを、虚像は見逃さなかった。
「罠カード発動! 《ブラック・ソニック》!」
黒い旋風が雫のモンスターたちを包み込む。
「ブラックフェザーが攻撃対象になったとき、相手の攻撃表示モンスターをすべて除外する!」
「しまっ――!」
雫は反射的に防御しようとしたが、判断が遅れた。
フィールドのモンスターたちが、黒い風に呑まれて消えていく。
「くっ……!」
「今のは、プレイミスだな」
虚像は淡々と言い放った。
「お前は自分で考えることを恐れている。自分の判断が間違っていたら、ハジメに失望されると思っているのだろう?」
「そんなこと……!」
「なら、なぜ迷った?」
虚像がカードを引いた。
「私のターン!」
ブラックフェザーが次々と展開される。
「《BF-アサルト・ブラックフェザー》で攻撃!」
黒い戦士が突撃し、雫の残ったモンスターを破壊した。
「続けて、《BF-フルアーマード・ウィング》で直接攻撃!」
黒い翼が刃となって襲いかかる。
雫は吹き飛ばされ、膝をついた。
「……っ、まだ……!」
「まだ、何だ?」
虚像が近づいてくる。
「お前は剣士としての誇りを持っていた。相手の動きを見極め、自分の判断で一太刀を入れる。それがお前の戦い方だったはずだ」
虚像はデュエルディスクを指差した。
「なのに、今のお前はどうだ? カードの効果を追い、強いモンスターを出すことばかり考えている。決闘者としても、剣士としても、お前は自分を見失っている」
雫は言い返せなかった。
思い当たる節があったからだ。
ハジメの決闘は、いつだって合理的で、容赦がない。相手の動きを読み、勝つために必要な手段を選ぶ。
その背中に追いつきたい。
その思いが強すぎるあまり、いつしか自分の判断に自信を持てなくなっていた。
ハジメなら、どうする。
ハジメなら、この状況をどう打開する。
その考えが頭を支配し、自分のデッキと向き合うことを忘れかけていた。
「……私は」
雫は唇を噛んだ。
「私は、ハジメ君のようにはなれない」
「ようやく認めたか」
「でも……」
雫は、ゆっくりと立ち上がった。
「ハジメ君になる必要なんて、なかったんだ」
虚像の表情が変わった。
「何?」
「ハジメ君はハジメ君。私は私。彼の戦い方を学ぶことと、彼の真似をすることは違う」
雫はデッキに手を置いた。
「私は剣士よ。相手をよく見て、動きを読み、隙を見つけて斬り込む。それが私の戦い方。決闘だって同じはずだった」
彼女は、自分の手札を見つめた。
「強いカードを出せば勝てるわけじゃない。相手の効果を知っているだけで、勝てるわけでもない。自分が何をしたいのかを考えて、自分の判断でカードを使う……」
その言葉を口にしたとき、雫の心に、ハジメの声がよみがえった。
――自分の身を守れ。誰かを救うのは、その後だ。
――自分の弱さを認めたうえで、それでも進むかどうかだ。
ハジメは、自分の代わりに戦ってくれるわけではない。
答えを与えてくれることはあっても、最後に選ぶのは自分自身だ。
「……ありがとう、ハジメ君」
雫は小さく呟いた。
そして、虚像を見据えた。
「あなたは私の弱さを映した存在。でも、私のすべてを知っているわけじゃない」
「何だと……?」
「私は、まだ強くなれる。自分の判断で、自分のカードと一緒に!」
雫のデュエルディスクが、黒い光を放った。
◇
「私のターン!」
雫はカードを引いた。
「私は墓地の《BF-突風のオロシ》の効果を発動! フィールドにブラックフェザーが存在するとき、手札から特殊召喚する!」
黒い翼のチューナーが舞い戻る。
「そして、《BF-砂塵のハルマッタン》を召喚!」
雫のフィールドに二体のモンスターが並んだ。
「レベル4のハルマッタンに、レベル1のオロシをチューニング!」
黒い風が渦巻く。
「シンクロ召喚! 《BF-星影のノートゥング》!」
ノートゥングが現れる。
「さらに、墓地の《BF-突風のオロシ》の効果で、墓地のブラックフェザーを特殊召喚する!」
雫は盤面を確認した。
相手の《BF-フルアーマード・ウィング》は、効果の対象にならず、戦闘破壊にも強い。正面から攻撃するだけでは突破できない。
ならば、狙うべきはその周囲だ。
「私は《BF-星影のノートゥング》の効果で、相手モンスターの攻撃力を800ポイント下げる!」
黒い羽根が舞い、虚像のモンスターを覆う。
「そして、速攻魔法《ブラック・バード・クローズ》を発動!」
雫は手札のブラックフェザーを墓地へ送り、虚像の効果発動を無効にした。
「なっ……!」
「あなたの強さは認める。でも、私はあなたの言葉に惑わされない!」
雫は手札から新たなカードを取り出した。
「私は《BF-毒風のシムーン》を召喚! 《黒い旋風》の効果で、《BF-突風のオロシ》を手札に加える!」
さらに展開を重ね、雫は必要な素材を揃えていく。
「レベル4のシムーンに、レベル3のブラックフェザーをチューニング!」
黒い輪が重なり、巨大な翼が広がった。
「シンクロ召喚! 《ブラックフェザー・アサルト・ドラゴン》!」
黒き竜が咆哮し、漆黒の翼を大きく広げた。
その姿を見た瞬間、虚像の目が見開かれた。
「ブラックフェザー・アサルト・ドラゴン……!」
「このカードは、シンクロモンスターを素材としてシンクロ召喚する必要がある。そして、相手がモンスターの効果を発動するたび、黒い羽根のカウンターを置く!」
雫はカードを掲げた。
「カウンターが一定数に達すれば、その力を解き放つ!」
アサルト・ドラゴンの身体に、黒い羽根のような光が集まる。
「さらに、相手がモンスターの効果を発動した場合、その効果を受けずに戦闘を行うことができる!」
虚像は歯を食いしばった。
「ならば、効果を使わずに倒すだけだ!」
「そう簡単にはいかないわ」
雫は、静かに笑った。
「あなたは私の心を揺さぶることに夢中になって、私が何を見ているのかを忘れている」
「何……?」
「私は、あなたの盤面だけを見ていたわけじゃない。あなたの癖も、展開の順番も、攻撃を仕掛けるタイミングも、全部見ていた!」
雫はカードを一枚、墓地へ送った。
「私は墓地のブラックフェザーの効果を発動し、フィールドにチューナーを特殊召喚!」
黒い翼が舞い、シンクロ召喚の準備が整う。
「そして、《ブラックフェザー・アサルト・ドラゴン》で攻撃!」
漆黒の竜が、虚像の《BF-フルアーマード・ウィング》へと突撃した。
「無駄だ! フルアーマード・ウィングは――」
「わかっているわ!」
雫は叫んだ。
「だからこそ、正面から突破する!」
アサルト・ドラゴンの翼から黒い炎が噴き出す。
その炎は、相手の防御を力任せに打ち砕くのではない。
攻撃力を高め、相手の効果に頼らず、真正面から戦闘を成立させる力だった。
黒い竜の爪が、フルアーマード・ウィングの装甲を貫く。
「ぐっ……!」
虚像のモンスターが破壊され、黒い羽根となって散った。
「まだよ!」
雫は続けて攻撃を宣言した。
「《BF-星影のノートゥング》で攻撃!」
ノートゥングが虚像へと斬りかかる。
虚像は後退したが、すでに防御するモンスターはいない。
「そして、ブラックフェザー・アサルト・ドラゴンで直接攻撃!」
黒い竜が翼を広げ、最後の一撃を放つ。
「うああああああっ!」
虚像の身体に亀裂が走った。
「馬鹿な……お前は、ハジメの真似をしているだけのはず……!」
「違うわ」
雫はまっすぐに虚像を見つめた。
「私は、ハジメ君から学んだ。でも、ここで勝つのは私自身よ」
ブラックフェザー・アサルト・ドラゴンが咆哮した。
黒い炎が虚像を包み込み、やがてその姿は霧となって消えた。
静寂が戻る。
雫は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
やがて、デュエルディスクを下ろし、深く息を吐く。
「……勝てた」
その声は、少し震えていた。
勝利の喜びだけではない。
自分自身の弱さを認め、それでも前へ進めたことへの安堵だった。
「ありがとう、ブラックフェザー」
雫はデッキケースに手を置いた。
「これからも、一緒に強くなろうね」
黒い羽根が一枚、彼女の手のひらに舞い落ちた。
◇
一方、その頃。
清水は、薄暗い洞窟の中にひとり立っていた。
目の前に広がっているのは、雪原の大迷宮とは思えないほど不気味な光景だった。
地面は黒くひび割れ、空には赤黒い雲が渦巻いている。
そして、その中央に立つ男の姿を見た瞬間、清水は息を呑んだ。
黒い服。
顔を覆う影。
人間のものとは思えない、不気味な気配。
かつて、自分がダークシグナーだった頃の姿。
「……俺か」
清水の声が震えた。
虚像はゆっくりと顔を上げた。
「久しぶりだな、清水」
その声は、かつて自分が発していたものと同じだった。
「忘れたとは言わせないぞ。お前が何をしたのか。どれだけの人間を巻き込んだのか」
「……忘れるわけがない」
清水は拳を握りしめた。
地縛神の力に囚われ、正気を失っていた日々。
誰かと友達になりたかった。
誰かに認められたかった。
ただそれだけの願いを、歪んだ形で叶えようとした。
自分を理解してくれない世界を憎み、周囲を巻き込み、取り返しのつかない罪を犯した。
そして、ハジメとの決闘によって呪いから解放された。
あのとき、確かに自分は救われたはずだった。
だが、罪が消えたわけではない。
失われた命が戻ったわけでもない。
自分がしたことを、なかったことにはできない。
「……俺は、あのときの自分を許していない」
清水は静かに言った。
「許せるはずがない。何度思い返しても、後悔しかない」
「ならば、なぜ生きている?」
虚像が一歩近づいた。
「お前は、呪いから解放された。ハジメに助けられた。仲間たちに受け入れられた。だが、お前がしたことは変わらない」
「……」
「お前は今も、あいつらの優しさに縋っているだけだ。自分の罪を償うこともできず、誰かに許してもらうことを待っている」
清水の顔が歪んだ。
否定したかった。
だが、心の奥底にある恐怖が、その言葉を完全には否定させてくれなかった。
自分は本当に、やり直せるのだろうか。
あれほどの罪を犯した自分が、再び誰かと笑い合っていいのだろうか。
仲間たちと同じ場所に立っていいのだろうか。
「……俺は」
清水は俯いた。
「俺は、ただ友達が欲しかったんだ」
その言葉は、かつてダークシグナーだった頃にも口にした願いだった。
「誰かと話したかった。誰かに自分を見てほしかった。自分を特別だと思ってほしかった……」
声がかすれる。
「でも、だからって、あんなことをしていい理由にはならなかった。俺は自分の寂しさを言い訳にして、誰かを傷つけた」
虚像は冷たく笑った。
「なら、今すぐ消えろ。お前が生きている限り、罪は消えない」
「……違う」
清水は顔を上げた。
「罪は消えない。俺がしたことも、消えない。だからこそ、俺は生きていかなきゃならない」
虚像の笑みが止まる。
「何だと?」
「俺が犯した罪を、なかったことにするつもりはない。許してもらえるとも思っていない。だけど……俺はもう、あの頃の自分に戻るつもりもない」
清水はデュエルディスクを構えた。
「お前は俺の過去だ。俺が犯した罪だ。俺が忘れたくても忘れられない、俺自身の闇だ」
彼は一度、深く息を吸った。
「だから、ここで決着をつける。お前を倒して、過去をなかったことにするんじゃない。過去から逃げずに、これからの自分を選ぶために!」
虚像の背後で、巨大な影が動いた。
赤黒い空を突き破るようにして、異形の神が姿を現す。
地縛神。
かつて清水を呪いに縛りつけた、忌まわしき存在。
「ならば、見せてみろ」
虚像がデュエルディスクを展開した。
「お前が本当に変わったというのなら、俺を倒してみろ。かつてのお前が従えた神を、今度こそ打ち破ってみせろ!」
清水はデッキを装填した。
「……ああ。今度こそ、俺自身の意志で戦う」
「デュエル!」
◇
「俺の先攻!」
虚像がカードを引いた。
「俺は《地縛囚人 ストーン・スィーパー》を召喚!」
黒い鎖をまとった囚人のようなモンスターが現れる。
「さらに、手札から《地縛囚人 ライン・ウォーカー》を特殊召喚!」
虚像のフィールドに、二体のモンスターが並んだ。
「レベル4のストーン・スィーパーに、レベル3のライン・ウォーカーをチューニング!」
黒い輪が重なり、禍々しい竜が姿を現す。
「シンクロ召喚! 《地縛戒隷 ジオグラシャ=ラボラス》!」
地面が割れ、黒い竜が咆哮した。
さらに、虚像はフィールド魔法を発動した。
「《地縛神の復活》!」
黒い大地が広がり、赤黒い空がフィールドを覆い尽くす。
「このフィールドが存在する限り、地縛神は大地に縛られず、空を舞うことができる!」
虚像の背後に、巨大な影が浮かび上がった。
「現れろ! 《地縛神 Ccapac Apu》!」
コカパクアプ。
黒い翼を持つ巨大な地縛神が、赤黒い空を震わせた。
その姿を見た瞬間、清水の身体が硬直した。
かつて、自分が従えていた神。
多くの人々を恐怖に陥れ、自分の心を歪めた存在。
その姿は、あの頃の記憶を鮮明に呼び起こした。
「……っ」
呼吸が乱れる。
目の前にいるのは、ただの幻だ。
そう理解していても、身体は過去の恐怖を覚えていた。
「どうした、清水?」
虚像が笑う。
「お前が呼び出した神だろう? 懐かしいか?」
「……」
「お前は、この力にすがった。誰かに認められたいという願いを叶えるために、地縛神の力を使った。だが、最後には自分自身さえも制御できなくなった」
コカパクアプが翼を広げる。
「お前はまた同じことを繰り返す。寂しさに負け、罪に負け、誰かに救ってもらうことを待つだけの人間に戻るのだ!」
清水は目を閉じた。
あのときの自分。
暗闇の中で、誰かに手を伸ばしていた自分。
その手を、ハジメがつかんでくれた。
自分は救われた。
だが、それは誰かにすべてを許されたという意味ではない。
自分がこれから何をするかは、自分で決めなければならない。
「……俺のターン」
清水はカードを引いた。
「俺は手札から《インフェルニティ・デーモン》を召喚!」
赤い鎧をまとった悪魔が姿を現す。
「さらに、手札を使い切る!」
清水は残りの手札を墓地へ送った。
「俺の手札が0枚になったことで、《インフェルニティ・デーモン》の効果発動! デッキからインフェルニティカード1枚を手札に加える!」
清水はカードを引き抜いた。
「俺は《インフェルニティ・ネクロマンサー》を手札に加え、召喚!」
骸骨の魔術師が現れる。
「《インフェルニティ・ネクロマンサー》の効果発動! 手札が0枚のとき、墓地のインフェルニティモンスター1体を特殊召喚する!」
「蘇れ、《インフェルニティ・デーモン》!」
二体の悪魔が並ぶ。
虚像は鼻で笑った。
「小細工を。そんな程度で、地縛神を倒せると思っているのか?」
「……思っているさ」
清水は静かに答えた。
「俺のデッキは、手札が0枚になったときに真価を発揮する。何も持たない状態から、墓地に眠る仲間たちを呼び戻して戦うんだ」
清水は墓地のカードに目を落とした。
「昔の俺は、何も持っていないことが怖かった。だから、力を欲しがった。自分を特別に見せるために、誰かを傷つけた」
彼は虚像を見据えた。
「でも、今は違う。手札が0枚でも、俺には仲間がいる。墓地に眠るカードがある。俺が積み重ねてきた経験がある」
清水はカードを掲げた。
「俺はレベル4の《インフェルニティ・デーモン》と、レベル3の《インフェルニティ・ネクロマンサー》をチューニング!」
漆黒の輪が広がる。
「シンクロ召喚! 《インフェルニティ・デス・ドラゴン》!」
黒い竜が現れた。
その姿は禍々しくも、清水の意志に応えるように静かに翼を広げている。
「《インフェルニティ・デス・ドラゴン》の効果発動! 手札が0枚のとき、相手フィールドの表側表示モンスター1体を破壊し、その攻撃力の半分のダメージを与える!」
清水はコカパクアプを指差した。
「俺は《地縛神 Ccapac Apu》を破壊する!」
インフェルニティ・デス・ドラゴンが口を開き、漆黒の炎を吐き出した。
しかし、炎はコカパクアプに届く直前、黒い壁に阻まれた。
「無駄だ!」
虚像が叫ぶ。
「地縛神はフィールド魔法が存在する限り、相手モンスターの攻撃対象にならない! そして、地縛神は直接攻撃ができる!」
コカパクアプが翼を広げた。
「《地縛神 Ccapac Apu》で直接攻撃!」
巨大な翼から黒い衝撃波が放たれる。
「ぐあっ!」
清水は吹き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。
「どうした、清水! お前の力はその程度か!」
虚像の声が響く。
「お前はまた失敗する。誰かに助けてもらわなければ、何もできない!」
清水は地面に手をつき、ゆっくりと起き上がった。
「……違う」
彼は、口元の血を拭った。
「俺は、助けてもらったことを恥じているわけじゃない」
虚像が眉をひそめる。
「何?」
「ハジメに救われたことも、みんなが俺を受け入れてくれたことも……俺は、忘れたくない」
清水はデュエルディスクを構え直した。
「でも、いつまでも誰かに助けてもらうだけじゃいけない。今度は俺が、誰かを守れるようになりたいんだ!」
◇
「俺のターン!」
清水はカードを引いた。
手札は再び0枚。
だが、彼の目には迷いがなかった。
「俺は墓地の《インフェルニティ・ネクロマンサー》の効果を発動! 墓地のインフェルニティモンスター1体を特殊召喚する!」
「蘇れ、《インフェルニティ・デーモン》!」
悪魔が再び姿を現した。
「さらに、墓地の《インフェルニティ・ビートル》の効果発動! 手札が0枚のとき、このカードをリリースし、デッキから同名モンスター2体を特殊召喚する!」
二体の小さな昆虫型モンスターが現れた。
清水はその姿を見て、かすかに笑った。
「……昔の俺は、強いカードだけを求めていた。圧倒的な力があれば、誰かに認めてもらえると思っていた」
彼は、インフェルニティ・デス・ドラゴンを見上げた。
「でも、本当の強さは、ひとりで何もかも背負うことじゃない。仲間を信じて、力を合わせて戦うことだ」
清水は二体のモンスターを指差した。
「レベル2の《インフェルニティ・ビートル》2体と、レベル4の《インフェルニティ・デーモン》を使い、シンクロ召喚の準備を整える!」
虚像が目を見開く。
「何を呼び出すつもりだ……!」
「俺が、過去に犯した罪と向き合うための力だ!」
清水はカードを掲げた。
「レベル4の《インフェルニティ・デーモン》に、レベル2の《インフェルニティ・ビートル》2体をチューニング!」
三体のモンスターが光へと変わる。
黒い輪が幾重にも重なり、赤黒い空に巨大な光柱が立ち上がった。
「集いし闇が、過去を越える力を呼び覚ます!」
清水の声が震える。
しかし、それは恐怖からではなかった。
「シンクロ召喚! 現れろ、《ワンハンドレッド・アイ・ドラゴン》!」
百の目を持つ異形の竜が姿を現した。
その姿は、かつてダークシグナーだった清水にとって、決して忘れることのできないカードのひとつだった。
虚像は、勝ち誇ったように笑った。
「愚かな! その竜こそ、お前が闇に囚われていた頃の象徴だ! お前は結局、過去から逃げられない!」
「……ああ」
清水は、ワンハンドレッド・アイ・ドラゴンを見つめた。
「このカードには、俺が闇に囚われていた頃の記憶がある。だから、見るたびに思い出す。自分が何をしたのかを」
彼は、ゆっくりと虚像へ向き直った。
「だが、過去の自分が使ったカードだからといって、今の俺が使ってはいけない理由にはならない」
ワンハンドレッド・アイ・ドラゴンが翼を広げる。
「俺は、このカードを憎んでいるわけじゃない。憎むべきなのは、カードじゃない。力にすがり、誰かを傷つけた自分自身だ」
清水はデッキを握りしめた。
「だからこそ、俺はこのカードと一緒に戦う。過去を忘れるためじゃない。過去を背負って、前へ進むために!」
ワンハンドレッド・アイ・ドラゴンの百の目が、赤い光を放った。
「《ワンハンドレッド・アイ・ドラゴン》の効果発動! 墓地の闇属性モンスターの効果を得る!」
清水は墓地のカードを指差した。
「俺は墓地の《インフェルニティ・デス・ドラゴン》の力を得る!」
ワンハンドレッド・アイ・ドラゴンの身体に、漆黒の炎が宿る。
「これで、お前の地縛神を倒す準備は整った!」
虚像は顔を歪めた。
「ふざけるな! お前は過去の罪から逃れられない! どれだけ仲間ができても、どれだけ強くなっても、お前が犯したことは消えない!」
「わかっている!」
清水は叫んだ。
「俺が犯した罪は消えない! 誰かに許してもらったからって、なかったことにはならない! 俺はこれからも、その罪を背負って生きていく!」
彼は、ワンハンドレッド・アイ・ドラゴンを見上げた。
「だけど、罪を背負うことと、罪に縛られ続けることは違う!」
赤黒い空が震えた。
「俺はもう、誰かを傷つけることで寂しさを埋めたりしない。自分が特別だと証明するために、誰かを踏みにじったりもしない!」
清水は虚像を見据えた。
「俺は清水だ。ダークシグナーだった頃の俺も、今ここにいる俺も、どちらも俺自身だ。だから、俺は過去から逃げずに、お前を倒す!」
虚像は歯を食いしばった。
「ならば、地縛神の力を見せてやる!」
コカパクアプが翼を広げた。
「《地縛神 Ccapac Apu》の効果発動! 相手プレイヤーへ直接攻撃!」
黒い衝撃波が放たれる。
「その瞬間、俺は《インフェルニティ・デス・ドラゴン》の効果を発動!」
清水の声が響いた。
「手札が0枚のとき、相手フィールドの表側表示モンスター1体を破壊し、その攻撃力の半分のダメージを与える!」
インフェルニティ・デス・ドラゴンが黒い炎を吐き出した。
虚像のコカパクアプが咆哮する。
「無駄だ! 地縛神はフィールド魔法によって守られている!」
「違う!」
清水は叫んだ。
「俺が狙っているのは、地縛神そのものじゃない!」
黒い炎は、コカパクアプの周囲に展開された魔力の障壁を焼き払った。
同時に、ワンハンドレッド・アイ・ドラゴンが翼を広げる。
「今だ! 《ワンハンドレッド・アイ・ドラゴン》で攻撃!」
百の目から放たれた光が、コカパクアプを捉えた。
「何っ!?」
虚像の地縛神が、初めて大きく揺らいだ。
「ワンハンドレッド・アイ・ドラゴンは、墓地の闇属性モンスターの力を得ている! そして、インフェルニティ・デス・ドラゴンの効果を使ったことで、俺の攻撃を阻む力は弱まった!」
清水は、二体の竜を見上げた。
「俺はもう、ひとりじゃない!」
インフェルニティ・デス・ドラゴンが、ワンハンドレッド・アイ・ドラゴンの隣に並ぶ。
「二体の竜よ、力を合わせろ!」
黒い炎と赤い光が重なり合った。
「連携攻撃だ!」
ワンハンドレッド・アイ・ドラゴンが正面から突撃し、インフェルニティ・デス・ドラゴンが側面から黒い炎を放つ。
二つの攻撃が交差し、コカパクアプの巨体を貫いた。
「ぐおおおおおおっ!」
地縛神が咆哮する。
その身体に、無数の亀裂が走った。
「馬鹿な……! 俺の地縛神が……!」
「これで終わりだ!」
清水は、最後の一撃を宣言した。
「《ワンハンドレッド・アイ・ドラゴン》! 《インフェルニティ・デス・ドラゴン》! 過去の闇を、今ここで打ち破れ!」
二体の竜が、同時に咆哮した。
黒い炎と赤い光が、コカパクアプを完全に包み込む。
巨大な地縛神は、空を覆っていた赤黒い雲ごと砕け散った。
虚像は呆然と立ち尽くした。
「……俺が、負けた?」
その身体にも、亀裂が走る。
「あり得ない……! お前は、罪を背負ったまま生きていくことなどできないはずだ!」
「できるかどうかは、これから俺が決める」
清水は静かに答えた。
「俺は、過去を忘れない。自分が犯した罪を、なかったことにもしない。それでも、これからの人生をどう生きるかは、俺自身が選ぶ」
虚像の身体が崩れ始めた。
「俺はもう、闇に逃げない」
清水は、最後まで目を逸らさなかった。
「さよなら、過去の俺。お前の罪も、後悔も、全部背負って……俺は先へ進む」
虚像は何かを言いかけた。
だが、その声が形になる前に、黒い霧となって消えた。
赤黒い空が砕け、黒い大地が光へと変わっていく。
清水は、ゆっくりとデュエルディスクを下ろした。
「……終わった」
その声は、かすかに震えていた。
勝利の喜びだけではない。
長い間、自分の中に閉じ込めていた後悔と、ようやく向き合えた安堵が混じっていた。
清水はワンハンドレッド・アイ・ドラゴンのカードを見つめた。
「……お前も、俺と一緒に進んでくれるか?」
カードは答えない。
だが、表面に残った赤い光が、静かに輝いた。
「……ありがとう」
清水はカードをデッキに戻した。
「俺は、もう一度やり直す。過去を消すためじゃない。今度こそ、誰かを傷つけるんじゃなく、誰かの力になれるように」
そして、彼は前を向いた。
その先には、まだ迷宮の深部が続いている。
ハジメたちも、きっとどこかで戦っているはずだ。
「……待ってろよ、ハジメ」
清水は歩き出した。
「今度は、俺もお前の隣で戦うからな」
雪原の大迷宮の闇の中に、二体の竜の咆哮が遠く響いた。
それは、過去に囚われた者が、未来へ向かって歩き出した証だった。