雪原の大迷宮を後にした南雲ハジメたちは、魔人族の領地へ向かっていた。
帰還用ゲートを生み出すアーティファクトは完成した。残る課題は、魔人族側に渡った千年アイテムと三幻神のカードを取り戻すこと。そして、帰還の条件をすべて満たすことだった。
道中、ハジメは何度もアーティファクトの状態を確認した。
「ハジメ、さっきから何度も見ているわ」
隣を歩くユエが、彼の手元を覗き込む。
「問題がないか確認してるだけだ」
「さっきも確認した」
「確認は何度してもいいだろ」
「……ハジメは、帰ることになると本当に頑固」
「悪かったな」
ユエは小さく笑い、ハジメの腕に寄り添った。
その後ろでは、シアが周囲を警戒しながら耳を動かし、ティオは竜人族としての感覚を研ぎ澄ませていた。香織、雫、清水、龍太郎、鈴、そして光輝も、それぞれの装備とデッキを確認している。
以前の光輝なら、先頭に立つことにこだわっただろう。
しかし、雪原の大迷宮での一件を経た今、彼は自分の役割を考えるようになっていた。まだ完全に立ち直ったわけではない。それでも、自分の弱さを認めることから逃げないと決めていた。
その時だった。
「ようやく来たか、南雲ハジメ」
前方から、聞き覚えのある声が響いた。
一行が足を止める。
道を塞ぐように立っていたのは、白い衣服をまとった男――フリード・バグアー。そして、その隣には、かつてクラスメイトたちを裏切った中村恵理の姿があった。
「……フリード」
ハジメの声が冷たくなる。
「それに、恵理……!」
香織が息を呑んだ。
鈴は思わず一歩前へ出かけ、光輝は顔を強張らせる。
恵理はそんな彼らを眺め、以前と変わらない、どこか楽しげな笑みを浮かべた。
「あら。久しぶりね、みんな」
「……恵理。どうして、こんなことを」
鈴の声が震える。
「どうしてって? 私は私のしたいことをしただけよ」
恵理は肩をすくめた。
「それより、あなたたちに伝言があるの。魔王様が、南雲ハジメたちをお呼びよ」
「魔王が、俺たちを?」
ハジメは目を細めた。
「そう。あなたたちが帰る方法を探していることも、千年アイテムを集めていることも、全部ご存じみたい」
フリードが口を開いた。
「魔王アルブ様は、貴様らと話をしたいと仰せだ。大人しく城まで来てもらおう」
「断ったら?」
「それは困るな。お前たちが大切にしている者たちが、どうなるか分からなくなる」
その言葉に、ハジメの表情が変わった。
「……何をした」
「ようやく話が通じたか」
フリードは薄く笑った。
「愛子先生。お前たちのクラスメイト。そして、王女リリアーナ。さらに、海人族の娘ミュウと、その母親レミア。全員、すでに我々の手の中だ」
「――っ!」
香織が顔を青ざめさせる。
「愛子先生まで……!」
「ミュウとレミアさんを!?」
シアの耳が逆立った。
ユエはハジメの腕を握る手に力を込めた。ティオの瞳には、抑えきれない怒りが浮かぶ。
ハジメは一瞬、何も言わなかった。
ただ、左目を覆う眼帯の下で、千年眼が不気味な光を帯びた。
「……全員、生きているんだろうな」
「今のところはな」
フリードの返答に、ハジメは一歩踏み出した。
「案内しろ」
「話が早くて助かる」
「勘違いするな。お前らの要求を呑んだわけじゃない。人質を取り戻すために行くだけだ」
ハジメは仲間たちを振り返る。
「全員、警戒を怠るな。何があっても、俺の指示があるまでは勝手に動くな」
「ハジメ、私も一緒に行く」
ユエが即座に言った。
「分かってる」
「シアもです!」
「妾も当然じゃ。フリードめ、今度こそ逃がさぬぞ」
仲間たちはそれぞれ頷いた。
こうして一行は、フリードと恵理に導かれ、魔人族の城へと向かった。
そこに待つものが、単なる魔王との対面ではないことを、まだ誰も知らなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
魔人族の城は、黒い岩山を削り出したような威容を誇っていた。
城門をくぐり、幾重もの廊下を抜けた一行は、やがて大広間へと通された。
広間の奥。
玉座に座っていたのは、魔王アルブだった。
人間と大きく変わらない姿をした男。だが、その瞳には長い年月を生き抜いた者の冷静さと、他者を見定める鋭さがあった。
「よく来たな、南雲ハジメ」
アルブは玉座から立ち上がった。
「魔人族の王、アルブだ。お前の名は聞いている。数々の迷宮を攻略し、我々の計画に幾度となく干渉してきた男」
「俺もあんたの名前くらいは知ってる。魔王様が、わざわざ俺たちを招待してくれたってわけか」
「そうだ。お前たちが求めるものについて、話がある」
アルブの視線が、ハジメの腰にある収納具へと向く。
「千年アイテム。そして、三幻神のカード。お前たちは、それらを集めることで元の世界へ帰ろうとしているのだろう?」
「……誰から聞いた」
「情報の出所を明かす必要はない。だが、私はお前たちの目的を知っている。だからこそ、直接話をしたいと思ったのだ」
「それで、人質まで取ったのか?」
「人質という言い方は正確ではない。お前たちをこの場へ招くために、必要な措置を取っただけだ」
「呼び出すためなら、何をしてもいいってか?」
ハジメの声が低くなる。
「……なるほど。確かに、お前とは話し合いだけで済みそうにないな」
アルブは静かに息を吐いた。
「ならば、別の方法でお互いの力を確かめよう」
彼は玉座の脇に置かれていたデュエルディスクを手に取った。
「デュエルだ、南雲ハジメ。お前が勝てば、少なくとも捕らえている者たちの処遇について、私の口から話そう」
「ずいぶん回りくどいな」
「お前もデュエリストなのだろう? 言葉だけでは分からないこともある」
アルブはデッキを装填した。
「私は機皇帝の力を使う。お前がどれほどの力を持つのか、見せてもらおう」
ハジメは自分のデュエルディスクを起動する。
「いいぜ。俺のデッキは、あんたの機械仕掛けの神様に付き合うほど安くないがな」
彼が取り出したのは、使い込まれたカードケースだった。
スターダストデッキ。
シグナーの力と、赤き竜の加護を宿すドラゴンを中心にしたデッキ。
そのデッキを手にする時、ハジメの表情にはいつもの冷静さが戻っていた。
「始めようか」
「望むところだ」
二人は同時に宣言した。
「デュエル!」
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「先攻は私がもらおう」
アルブはカードを引いた。
「私は《機皇兵ワイゼル・アイン》を召喚!」
機械の兵士がフィールドに出現する。
「さらに、カードを二枚伏せる。これでターンエンドだ」
アルブは余計な動きをしなかった。
機皇帝のデッキは、シンクロモンスターを破壊し、その力を吸収する戦術を得意としている。相手の切り札を奪い、相手自身の武器で相手を追い詰める。
ハジメは、その戦術をよく知っていた。
「俺のターン、ドロー!」
ハジメはカードを確認し、手札から一枚を選ぶ。
「俺は《ジャンク・シンクロン》を召喚! 召喚成功時の効果で、墓地のレベル二以下のモンスターを守備表示で特殊召喚する。俺は《スピード・ウォリアー》を蘇生!」
墓地から小柄な戦士が現れ、ジャンク・シンクロンの隣に並んだ。
「レベル三のジャンク・シンクロンに、レベル二のスピード・ウォリアーをチューニング!」
二体のモンスターが光の輪へと変わる。
「集いし星が、新たな力を呼び起こす! シンクロ召喚!」
白い光の中から、星屑の竜が姿を現した。
「現れろ、《スターダスト・ドラゴン》!」
ドラゴンの咆哮が広間を揺らす。
「来たか、シグナーのドラゴン」
アルブの目が鋭くなった。
「カードを一枚伏せ、ターンエンドだ」
次のターン、アルブは手札を確認すると、静かに笑った。
「私のターン。ドロー!」
彼は魔法カードを発動した。
「《機皇創出》! 手札のカードを墓地へ送り、機皇帝の力を呼び覚ます!」
機械兵の身体が歪み、黒い機械の影がフィールドに浮かび上がった。
「そして、私のモンスターが効果で破壊されたことを契機に、機皇帝の力を解放する!」
アルブは手札からカードを掲げる。
「現れよ、《機皇帝ワイゼル∞》!」
巨大な機械の胴体に、無数のパーツが合体した異形の存在が出現した。
その姿は、まるで戦場そのものを喰らう兵器だった。
「ワイゼルの力は、シンクロモンスターを利用することにある。シンクロ召喚を行うお前にとって、厄介な相手になるだろう」
「そりゃ、知ってるさ」
ハジメは冷静に返した。
「ワイゼルの効果を発動! 相手フィールドのシンクロモンスターを装備カードとして吸収する!」
機械の腕が伸び、スターダスト・ドラゴンへと襲いかかる。
「させるか! スターダスト・ドラゴンの効果を発動!」
ハジメはカードを墓地へ送る動作をした。
「自分フィールドのカードを破壊する効果が発動した時、このカードをリリースして、その発動を無効にし破壊する!」
スターダスト・ドラゴンが光に包まれ、機皇帝の力を押し返した。
「なるほど。己を犠牲にして仲間を守るか」
「星屑の竜は、誰かを守るために戦うんだよ」
ハジメは墓地へ送られたカードを見つめる。
「だが、スターダストはエンドフェイズに戻ってくる。お前が効果を使い続けるなら、俺もそのたびに対応するだけだ」
アルブは笑みを深めた。
「ならば、こちらも対応しよう」
機皇帝の周囲に、さらに機械の兵器が展開されていく。
次のターン、ハジメは墓地から戻ったスターダスト・ドラゴンを再びフィールドに立たせ、ジャンク・シンクロンを利用した展開を狙った。
しかし、アルブは伏せカードを使ってその動きを妨害する。
ハジメがスターダスト・ドラゴンの効果でそれを止めれば、アルブは別の機皇兵を呼び込み、フィールドを維持する。
アルブが機皇帝の効果でシンクロモンスターを狙えば、ハジメはスターダストの効果を使い、あるいは罠カードで攻撃を受け流した。
互いに決定打を与えられない。
ハジメは機皇帝の効果を理解しているからこそ、無闇にシンクロ召喚を繰り返さない。アルブもまた、スターダスト・ドラゴンの効果を警戒し、勝負を急がなかった。
互いの手札が減り、フィールドのカードが入れ替わる。
機皇帝の圧倒的な火力と、スターダストの防御能力。
どちらかが一歩でも判断を誤れば、その瞬間に勝敗が決まる。
「……やるな、南雲ハジメ」
アルブが感嘆する。
「機皇帝の性質を理解しながら、必要な時にしかシンクロ召喚を行わない。単に強力なモンスターを呼び出すだけではないということか」
「そっちこそな。魔王ってのは、もっと力任せな奴かと思ってたぜ」
「力を持つ者ほど、力の使いどころを見極める必要がある」
「同感だ」
ハジメはデッキの上に手を置いた。
次の一手。
ここで攻めるか、それとも守りを固めるか。
千年眼が、わずかに未来の可能性を映し出す。
しかし、見える未来は一つではない。
アルブの伏せカード。手札に残された機皇帝の支援カード。自分の手札にあるシンクロ素材。
どの選択肢にも勝ち筋があり、同時に敗北の可能性があった。
「……面白い」
ハジメは呟いた。
「本当に、どっちが勝つか分からないな」
アルブも同じことを考えていた。
この決闘は、もはや単なる力比べではない。
機皇帝の戦術を知り尽くした魔王と、シグナーのドラゴンを使いこなす異世界の少年。
どちらも、相手の一手を待っていた。
そして――その均衡は、突然破られた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……ご苦労だったな、アルブ」
広間に、聞き覚えのない声が響いた。
いや、声そのものは初めて聞くものだった。
だが、そこに込められた圧倒的な威圧感は、誰もが本能的に理解できるものだった。
神。
その存在が、空間そのものを押し広げるように姿を現した。
「……エヒト!」
アルブが目を見開く。
ハジメの顔から、表情が消えた。
「ようやく会えたな、南雲ハジメ」
神エヒトは、愉快そうに笑った。
「お前はこの世界で、実に面白いことをしてくれた。迷宮を攻略し、私の使徒を倒し、私の計画に干渉し、帰還のための道具まで作り上げた。人間にしては、よくやったものだ」
「……何の用だ」
「決まっているだろう。お前たちを処分しに来たのだ」
エヒトは一歩、前に出た。
その視線が、ハジメの隣に立つユエへと向く。
「そして――ようやく、私が現し世で自由に活動するための器も見つかった」
「……っ、ユエ!」
ハジメが叫ぶより早く、エヒトの力が広間を満たした。
黒い光がユエの身体を包み込む。
「な……何を……!」
ユエが苦しげに顔を歪める。
ハジメが駆け寄ろうとした瞬間、見えない壁が二人の間に生まれた。
「ユエ!」
「ハジメ……!」
ユエは必死に手を伸ばす。
しかし、指先が届くことはなかった。
エヒトの声が、ユエの口から重なって響く。
「この身体は素晴らしい。強大な魔力、長い寿命、そして人間離れした適応力。私の依り代として、これ以上のものはない」
「ふざけるな……!」
ハジメの声が震えた。
「ユエを返せ!」
「返す? 何を言っている。私はこの身体を選んだだけだ。お前たち人間が、他者を所有物のように扱うことは珍しくないだろう?」
エヒトはユエの顔で笑った。
「ならば、私がこの身体を使って何をしようと、問題はないはずだ」
「――ぶっ殺す」
ハジメの声は、低く、冷たかった。
その瞬間、エヒトが手をかざす。
広間を満たしていた魔力が爆発した。
「ぐっ……!」
ハジメたちは一斉に吹き飛ばされた。
床に叩きつけられたシアが、苦痛に顔を歪める。
「ハジメさん……!」
「シア! 下がれ!」
ティオが竜の姿に近い形態へと変化し、エヒトへと飛びかかった。
「ユエを返せぇぇっ!」
だが、エヒトは片手を軽く振っただけだった。
ティオの巨体が見えない力に弾き飛ばされ、壁へ叩きつけられる。
「ティオさん!」
香織が駆け寄ろうとするが、エヒトの魔力が床を走り、彼女たちの足を止めた。
雫が剣を抜き、清水がデュエルディスクを構える。龍太郎と鈴も、光輝を守るように前へ出た。
しかし、彼らの攻撃はエヒトへ届く前に弾き返される。
ユエの身体を使ったエヒトは、圧倒的だった。
魔法も、武器も、カードも。
あらゆる抵抗が、まるで子供の遊びのように退けられていく。
「どうした、南雲ハジメ。私を殺すのではなかったのか?」
エヒトはユエの顔で微笑んだ。
「お前がここまで来たのは、帰るためだったな。ならば、目の前で大切な者を失う気分を味わってみるといい」
「……ユエ……!」
ハジメは立ち上がろうとした。
だが、身体が動かない。
何度も死線を越えてきた身体が、今は恐怖と怒りに縛られていた。
自分がどれほど強くなろうと、目の前の存在には届かない。
その現実が、ハジメの胸を抉った。
そして、エヒトはその隙を見逃さなかった。
「さて。こちらにも、少し働いてもらおうか」
エヒトの視線が、恵理へ向く。
恵理はその意図を理解したように、薄く笑った。
「ええ。任せてください」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「光輝君」
恵理が、光輝の名を呼んだ。
「……恵理」
光輝は警戒するように彼女を見つめた。
「そんなに怖い顔をしないでよ。昔は、もっと私たちのことを信じてくれたじゃない」
「……もう、騙されない」
「あら。ずいぶん強くなったのね」
恵理は笑った。
「でも、あなたは本当にそれでいいの? 南雲君は、あなたに何も教えてくれなかった。神のことも、世界の真実も。あなたがどれだけ苦しんでいたか、分かっていたはずなのに」
「……」
「それでも、あなたは南雲君を信じるの?」
恵理が手を伸ばす。
黒い魔力が光輝を包み込んだ。
「やめろ!」
ハジメが叫ぶ。
だが、エヒトの力が彼を押さえつけていた。
「光輝君。あなたは勇者なの。あなたには、もっとふさわしい力がある」
「俺は……!」
「もう迷わなくていい。私が、あなたに正しい道を教えてあげる」
恵理の魔力が、光輝の精神へと侵入していく。
光輝の瞳から光が失われた。
「……俺は、勇者……」
「そう。あなたは勇者。南雲君に利用されていた、哀れな勇者よ」
「俺は……ハジメを……」
光輝の身体が震えた。
その瞬間、彼の脳裏に雪原の大迷宮での光景が蘇る。
虚像に身体を奪われ、ハジメと決闘した時。
自分の正義を押しつけ、相手を責め続けた時。
そして、ハジメが最後に言った言葉。
――正義も存在も、デュエルの勝敗で決まるもんじゃない。
――お前が本当に勇者でいたいなら、自分で考えろ。自分で選べ。
「……違う」
光輝が呟いた。
「……俺は、誰かに決めてもらうために……勇者になったんじゃない……!」
「何を言っているの?」
恵理の笑みが消える。
「俺は……俺自身で……!」
光輝の中で、二つの意識がぶつかり合った。
恵理の洗脳によって押さえ込まれようとする光輝の精神。
そして、雪原の大迷宮で完全には消えきらず、わずかに残っていた虚像の意識。
虚像は、光輝の弱さを映し出すために生まれた存在だった。
しかし、ハジメとの決闘を経て、その意識には光輝自身の後悔や迷いが混ざり込んでいた。
どちらか一方が完全な偽物というわけではない。
虚像には、光輝が隠していた本音がある。
光輝には、虚像が突きつけた弱さがある。
そして今、二つの意識が一つの身体の中で衝突し、互いを否定し合っていた。
「俺は……俺は……!」
「俺こそが本物だ!」
光輝の口から、二つの声が重なった。
「俺が本物だ! お前は俺の弱さから生まれた影にすぎない!」
「違う! 俺はお前が認めたくなかったお前自身だ!」
「黙れ!」
「お前こそ黙れ!」
光輝の身体が激しく震える。
恵理の洗脳が、二つの意識をまとめて支配しようとした。
しかし、混濁した意識は一つの方向へまとまらなかった。
むしろ、洗脳の力を受けたことで、二つの精神は互いを異物として弾き出そうとした。
黒い光が爆発する。
「な、何!?」
恵理が後ずさった。
光輝の身体から、二つの影が分かれていく。
一方は、これまでの天之河光輝。
もう一方は、雪原の大迷宮で彼の精神を映し出した虚像。
だが、完全に分かれたわけではなかった。
両者の輪郭は不安定に揺らぎ、互いの記憶と感情が混ざり合っている。
「……俺が、本物だ」
「いや、俺こそが本物だ」
どちらも同じ顔をしていた。
どちらも同じ記憶を持っていた。
そして、どちらも自分こそが天之河光輝だと信じていた。
恵理は二人を見比べ、忌々しげに舌打ちする。
「……面倒なことになったわね」
フリードが彼女の隣に立った。
「恵理殿、ここは一度退くべきです。神域へ向かいましょう」
「……そうね」
恵理は光輝の虚像へ目を向けた。
「あなた、私たちと来なさい。ここに残っても、南雲君の仲間に邪魔されるだけよ」
虚像は、ゆっくりと顔を上げた。
「……俺は、俺自身の答えを見つける」
「なら、なおさら私たちと来るべきよ。神域なら、あなたの望みを叶えられるかもしれない」
虚像はしばらく沈黙した。
そして、床に落ちていたデッキケースを拾い上げる。
それは、光輝が使っていたサイバーデッキだった。
「……分かった」
虚像はフリードと恵理の側へ歩いていった。
本物の光輝は、その場に崩れ落ちる。
「……待て……!」
光輝が手を伸ばす。
「そいつは……俺だ……!」
虚像は振り返った。
「お前が本物だと言うなら、証明してみろ」
その言葉を残し、虚像は恵理とフリード、そして数体の傀儡兵と共に、エヒトの生み出した異空間へと向かった。
神域。
そこは、神が現し世から切り離して作り上げた、独自の空間だった。
虚像たちの姿が黒い光に包まれ、消えていく。
そして、その瞬間。
ユエが、ほんのわずかに自分自身を取り戻した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「光輝君」
恵理が、光輝の名を呼んだ。
「……恵理」
光輝は警戒するように彼女を見つめた。
「そんなに怖い顔をしないでよ。昔は、もっと私たちのことを信じてくれたじゃない」
「……もう、騙されない」
「あら。ずいぶん強くなったのね」
恵理は笑った。
「でも、あなたは本当にそれでいいの? 南雲君は、あなたに何も教えてくれなかった。神のことも、世界の真実も。あなたがどれだけ苦しんでいたか、分かっていたはずなのに」
「……」
「それでも、あなたは南雲君を信じるの?」
恵理が手を伸ばす。
黒い魔力が光輝を包み込んだ。
「やめろ!」
ハジメが叫ぶ。
だが、エヒトの力が彼を押さえつけていた。
「光輝君。あなたは勇者なの。あなたには、もっとふさわしい力がある」
「俺は……!」
「もう迷わなくていい。私が、あなたに正しい道を教えてあげる」
恵理の魔力が、光輝の精神へと侵入していく。
光輝の瞳から光が失われた。
「……俺は、勇者……」
「そう。あなたは勇者。南雲君に利用されていた、哀れな勇者よ」
「俺は……ハジメを……」
光輝の身体が震えた。
その瞬間、彼の脳裏に雪原の大迷宮での光景が蘇る。
虚像に身体を奪われ、ハジメと決闘した時。
自分の正義を押しつけ、相手を責め続けた時。
そして、ハジメが最後に言った言葉。
――正義も存在も、デュエルの勝敗で決まるもんじゃない。
――お前が本当に勇者でいたいなら、自分で考えろ。自分で選べ。
「……違う」
光輝が呟いた。
「……俺は、誰かに決めてもらうために……勇者になったんじゃない……!」
「何を言っているの?」
恵理の笑みが消える。
「俺は……俺自身で……!」
光輝の中で、二つの意識がぶつかり合った。
恵理の洗脳によって押さえ込まれようとする光輝の精神。
そして、雪原の大迷宮で完全には消えきらず、わずかに残っていた虚像の意識。
虚像は、光輝の弱さを映し出すために生まれた存在だった。
しかし、ハジメとの決闘を経て、その意識には光輝自身の後悔や迷いが混ざり込んでいた。
どちらか一方が完全な偽物というわけではない。
虚像には、光輝が隠していた本音がある。
光輝には、虚像が突きつけた弱さがある。
そして今、二つの意識が一つの身体の中で衝突し、互いを否定し合っていた。
「俺は……俺は……!」
「俺こそが本物だ!」
光輝の口から、二つの声が重なった。
「俺が本物だ! お前は俺の弱さから生まれた影にすぎない!」
「違う! 俺はお前が認めたくなかったお前自身だ!」
「黙れ!」
「お前こそ黙れ!」
光輝の身体が激しく震える。
恵理の洗脳が、二つの意識をまとめて支配しようとした。
しかし、混濁した意識は一つの方向へまとまらなかった。
むしろ、洗脳の力を受けたことで、二つの精神は互いを異物として弾き出そうとした。
黒い光が爆発する。
「な、何!?」
恵理が後ずさった。
光輝の身体から、二つの影が分かれていく。
一方は、これまでの天之河光輝。
もう一方は、雪原の大迷宮で彼の精神を映し出した虚像。
だが、完全に分かれたわけではなかった。
両者の輪郭は不安定に揺らぎ、互いの記憶と感情が混ざり合っている。
「……俺が、本物だ」
「いや、俺こそが本物だ」
どちらも同じ顔をしていた。
どちらも同じ記憶を持っていた。
そして、どちらも自分こそが天之河光輝だと信じていた。
恵理は二人を見比べ、忌々しげに舌打ちする。
「……面倒なことになったわね」
フリードが彼女の隣に立った。
「恵理殿、ここは一度退くべきです。神域へ向かいましょう」
「……そうね」
恵理は光輝の虚像へ目を向けた。
「あなた、私たちと来なさい。ここに残っても、南雲君の仲間に邪魔されるだけよ」
虚像は、ゆっくりと顔を上げた。
「……俺は、俺自身の答えを見つける」
「なら、なおさら私たちと来るべきよ。神域なら、あなたの望みを叶えられるかもしれない」
虚像はしばらく沈黙した。
そして、床に落ちていたデッキケースを拾い上げる。
それは、光輝が使っていたサイバーデッキだった。
「……分かった」
虚像はフリードと恵理の側へ歩いていった。
本物の光輝は、その場に崩れ落ちる。
「……待て……!」
光輝が手を伸ばす。
「そいつは……俺だ……!」
虚像は振り返った。
「お前が本物だと言うなら、証明してみろ」
その言葉を残し、虚像は恵理とフリード、そして数体の傀儡兵と共に、エヒトの生み出した異空間へと向かった。
神域。
そこは、神が現し世から切り離して作り上げた、独自の空間だった。
虚像たちの姿が黒い光に包まれ、消えていく。
そして、その瞬間。
ユエが、ほんのわずかに自分自身を取り戻した。
6.託された黒薔薇
「……ハジメ……!」
ユエの声が響いた。
エヒトに支配された身体の奥底から、彼女自身の意識が必死に浮かび上がる。
ユエの手が、かすかに動いた。
エヒトの力がそれを押さえつける。
「……何をしている。抵抗するな」
「……いや……」
ユエは唇を震わせた。
「……ハジメ……逃げて……」
「ユエ!」
ハジメが叫ぶ。
ユエは、残されたわずかな自由を振り絞り、ハジメへ向かって手を伸ばした。
その手に握られていたのは、一枚のカード。
黒い薔薇を思わせる意匠を持つ、彼女の切り札――《ブラック・ローズ・ドラゴン》だった。
ユエはカードを放つ。
カードは宙を舞い、ハジメの手元へ落ちた。
「……ハジメ……」
ユエの瞳に、涙が浮かぶ。
「……私……あなたと……帰りたかった……」
「……っ!」
「……だから……」
ユエの声が、途切れかける。
「……絶対に……帰って……」
次の瞬間、エヒトの意識がユエの身体を完全に支配した。
「くだらん」
エヒトは、冷たく言い放った。
「人間の感情とは、実に脆い。これほどの力を持つ器でありながら、最後まで私に抵抗するとはな」
ハジメは、手の中のカードを見つめていた。
黒い薔薇の竜。
ユエが自分の意志で選び、使いこなしてきたカード。
彼女が、最後の瞬間に託したもの。
ハジメの手が震えた。
「……ユエ」
彼の声は、かすれていた。
エヒトはユエの身体を操り、広間の中央へ歩み出る。
「さて、南雲ハジメ。お前も神域へ連れていってやろう。そこで、お前の帰還への執念がどれほど無意味なものだったのか、思い知らせて――」
「黙れ」
ハジメの声が、広間を切り裂いた。
エヒトが目を細める。
「……何?」
「黙れっつってんだよ」
ハジメは顔を上げた。
その目には、もう迷いも、ためらいもなかった。
怒り。
憎悪。
そして、目の前の存在を何としてでも破壊するという、純粋な殺意だけがあった。
「ユエを返せ」
「断る」
「……そうか」
ハジメは、手にしていたブラック・ローズ・ドラゴンのカードを強く握りしめた。
「なら、お前を殺す」
その言葉に、エヒトは愉快そうに笑った。
「できるものなら、やってみるがいい」
次の瞬間、エヒトの力が再び広間を包み込む。
黒い光が弾け、ハジメたちの身体を押し潰そうとした。
しかし、彼らが立ち上がるより早く、エヒトはユエの身体を連れて神域へと消えていった。
残されたのは、破壊された広間と、倒れた仲間たち。
そして、ユエが託した一枚のカードを握りしめるハジメだった。
「……ユエ」
ハジメは呟いた。
返事はない。
いつも隣にいた少女の声は、もう聞こえなかった。
彼の中で、何かが音を立てて壊れた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ハジメ……」
シアが、震える声で呼びかけた。
「……ハジメさん、ユエさんは……」
「……」
ハジメは答えなかった。
彼は腰のデッキケースから、スターダストデッキを取り出した。
シグナーの力を宿したカードたち。
これまで何度も窮地を乗り越え、仲間を守るために使ってきたデッキ。
その中心には、スターダスト・ドラゴンのカードがあった。
ハジメはそれを見つめた。
そして――
「……こんなもの」
デッキを、床へ投げ捨てた。
「ハジメさん!?」
香織が悲鳴を上げる。
カードが床に散らばり、スターダスト・ドラゴンのカードが石床を滑っていく。
「ハジメ、何を……!」
ティオが立ち上がろうとする。
しかし、ハジメは誰の声も聞いていなかった。
「守る? 仲間を守る? 笑わせるな……!」
彼の声が、広間に響く。
「何度も戦って、何度も死にかけて、それでも前に進んできた! 帰るために、みんなを連れて帰るために……俺は何だってやってきた!」
ハジメは自分の左腕を握りしめた。
「それなのに……また、目の前で……!」
声が震えた。
「俺は、何もできなかった……!」
ユエが奪われた。
手を伸ばしても届かなかった。
力を振り絞っても、神の前では何一つ変えられなかった。
彼女が最後に託したカードだけが、手元に残った。
ハジメの中で、怒りが膨れ上がる。
その怒りは、やがて憎悪へと変わった。
世界への憎悪。
神への憎悪。
自分自身への憎悪。
そして、何もかもを奪っていくものへの、底なしの憎悪。
「……許さねぇ」
その瞬間だった。
ハジメのデッキケースに残っていたE・HEROのカードが、黒い光を放ち始めた。
「……何だ?」
床に散らばったカードの中から、かつて英雄として戦ってきた者たちの姿が、黒い影となって浮かび上がる。
正義の心。
仲間を守る意志。
未来を信じる希望。
それらを象徴していた英雄たちの力が、ハジメの憎悪に反応して変質していく。
白い装甲が黒く染まる。
光を放っていた翼が、闇をまとう。
英雄の顔に、冷酷な影が差す。
ハジメの中で、E・HEROのデッキが変わり始めていた。
正義を信じる英雄ではない。
敵を倒すためなら、どんな手段もためらわない者たち。
闇に堕ちた英雄――E-HERO。
ハジメの負の感情が、その力を呼び覚ましたのだ。
「……そうか」
ハジメは、黒く染まったカードを拾い上げた。
「力が欲しいなら、くれてやる」
その顔には、もういつもの冷静さはなかった。
「神だろうが、魔王だろうが、関係ねぇ。俺から奪ったものを、全部取り返す」
彼はデュエルディスクを起動した。
その光は、以前のものとは違っていた。
冷たく、暗く、まるで深淵の底から湧き上がる炎のようだった。
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広間に、アルブの声が響いた。
「……南雲ハジメ」
彼はまだ、その場に残っていた。
エヒトの降臨によって決闘は中断されたが、アルブは逃げることなく、ハジメの変化を見つめていた。
「お前は、何をするつもりだ?」
「決まってる」
ハジメは黒いデッキを構えた。
「お前を殺す」
「……私との決闘は、まだ決着がついていない。だが、今のお前は冷静さを失っている」
「だから何だ?」
「その状態でデュエルをすれば、お前自身が破滅するかもしれないぞ」
「知るか」
ハジメは笑った。
それは、今まで誰も見たことのない笑みだった。
「俺はもう、何も失うものなんてねぇんだよ」
「……そうか」
アルブは静かにデュエルディスクを構え直した。
「ならば、最後まで付き合おう。私もまた、魔王として退くわけにはいかない」
「いい心がけだ」
二人のデュエルディスクが起動する。
今度は、ハジメのフィールドに星屑の竜は現れなかった。
代わりに、黒い炎をまとった英雄たちが姿を現す。
「俺のターン、ドロー!」
ハジメはカードを引いた。
「俺は《E-HERO ヘル・ブラット》を召喚!」
黒い炎をまとった悪魔のような英雄が、フィールドに現れる。
「さらに、魔法カード《ダーク・フュージョン》を発動! 手札のモンスターを融合素材にして、悪意に染まった英雄を呼び出す!」
闇の渦が広がり、融合素材が飲み込まれていく。
「融合召喚! 現れろ、《E-HERO インフェルノ・ウィング》!」
炎と闇をまとった翼の英雄が、広間に降り立った。
「……そのモンスターは」
アルブが目を細める。
「E・HEROではないのか?」
「もう違う」
ハジメは冷たく答えた。
「俺のデッキは変わった。今の俺には、守るための英雄なんて必要ない」
アルブは表情を引き締めた。
「ならば、こちらも全力で迎え撃とう。私のターン!」
機皇帝の力が再びフィールドに展開される。
だが、今度のハジメは、以前のように相手の動きを見極め、慎重に守りを固めることはしなかった。
彼は相手の伏せカードを千年眼で見抜き、危険な効果を使われる前に潰し、相手が立て直そうとするたびに攻撃を重ねた。
「罠カード発動!」
「無駄だ」
ハジメは即座にカードを開く。
「千年眼が見せてくれる。お前が何を伏せ、どのタイミングで使おうとしているのかもな」
千年眼の力は、単なる未来予知ではない。
相手の思考を読み、行動の可能性を見抜く。
その力を、ハジメは容赦なく利用していた。
アルブは機皇帝の効果で反撃を試みるが、ハジメはその一手を先読みしていた。
「《E-HERO ダーク・ガイア》を融合召喚!」
闇の力をまとった巨大な英雄が出現する。
その攻撃力は、融合素材の元々の攻撃力の合計によって決まる。ハジメは素材を厳選し、機皇帝を上回る圧倒的な数値を叩き出した。
「攻撃!」
闇の拳が、機皇帝の装甲を砕く。
「ぐっ……!」
アルブのライフが削られた。
「まだだ! 私は機皇帝の力を――」
「遅い」
ハジメは次のカードを叩きつける。
「魔法カード発動! さらに融合召喚!」
黒い炎が広がり、E-HEROたちが次々と現れる。
アルブは防御を固めようとするが、千年眼によって動きを読まれ、反撃の機会を奪われていく。
これまで五分五分だった決闘は、もはや一方的な蹂躙へと変わっていた。
「なぜだ……! なぜ、ここまで変わった!」
アルブが叫ぶ。
「さっきまでのお前は、これほど冷酷ではなかった!」
「……さっきまでの俺は、もういねぇよ」
ハジメは答えた。
「俺はもう、お前に勝つために戦ってるんじゃない」
彼の目が、暗く光る。
「お前を苦しめるために戦ってるんだ」
最後の一撃が放たれた。
E-HEROの闇が、アルブのフィールドを飲み込む。
ライフがゼロになった。
デュエルの勝敗が決した瞬間、広間の空気が凍りついた。
「……私の、負けか……」
アルブは膝をついた。
だが、ハジメはデュエルディスクを下ろさなかった。
「……終わりじゃねぇ」
「何……?」
「お前は、ユエを奪われる苦しみを知らない。俺がどれだけ帰ることに執着してきたかも知らない。なのに、俺から大切なものを奪う側に立った」
ハジメは一歩ずつ、アルブへ近づいた。
「だから、これからお前に教えてやる」
アルブの身体が、見えない力に拘束された。
「闇のゲーム……だと……?」
ハジメの千年眼が、黒い光を放つ。
「そうだ。お前が負けたことを、身体で理解させてやる」
アルブの全身に、激痛が走った。
「ぎやあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
その苦痛は、終わらなかった。
身体の端から、まるで永遠に続くかのような痛みが押し寄せる。
アルブは叫び、助けを求めようとした。
「や、やめろ! 私は魔王だ! 私を誰だと思って――!」
「知らねぇよ」
ハジメは冷たく言い放った。
「お前が誰だろうと、関係ねぇ」
アルブの声が、広間に響き続けた。
そして、やがて静かになった。
魔王アルブは、ハジメの手によって命を落とした。
だが、復讐を果たしても、ハジメの心は晴れなかった。
ユエは戻らない。
彼の胸に残っているのは、底なしの憎悪だけだった。
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広間の隅では、魔人族の男女が震えていた。
彼らは武器を持っていなかった。
戦いに加わったわけでも、ハジメたちを襲ったわけでもない。ただ城に仕える者として、そこにいただけの人々だった。
「……お前ら」
ハジメが振り返る。
男女は恐怖に顔を引きつらせ、必死に首を振った。
「ま、待ってくれ……! 俺たちは何もしていない!」
「お願いです! 私たちは命令に従っていただけで……!」
「命令?」
ハジメは笑った。
「そうか。命令に従っていただけか」
彼は、ゆっくりとデュエルディスクを構えた。
「なら、俺が何をしても文句はないよな」
「や、やめてくれ!」
男が逃げようとする。
しかし、ハジメの千年眼が、その動きを見抜いていた。
黒い光が広がり、男はその場に倒れ込む。
悲鳴が上がった。
ハジメは、まるで作業を続けるかのように、次の相手へと視線を向ける。
「ハジメさん……!」
香織が駆け寄ろうとした。
「やめてください! その人たちは、アルブとは違います!」
「……黙れ」
ハジメは振り返らない。
「ハジメ!」
シアが叫ぶ。
「もう、やめてください! こんなの、ハジメさんじゃありません!」
「俺が俺じゃない?」
ハジメはゆっくりと顔を向けた。
「じゃあ、誰がユエを取り戻すんだ?」
誰も答えられなかった。
「誰が、あいつを助けるんだ?」
「それは……」
「俺以外に、誰がいる!」
ハジメの叫びが広間を揺らす。
「俺が何もしなかったら、ユエは戻ってこない! 俺が力を持っていなかったら、また奪われる! だったら、全部壊すしかねぇだろうが!」
ティオが歯を食いしばる。
「ハジメ……お主は……」
「黙れ、ティオ」
ハジメは冷たく言い放った。
「今の俺に説教するつもりなら、近づくな」
ティオは言葉を失った。
彼女はハジメの怒りを理解できる。
だが、今のハジメは、怒りに身を任せているだけではない。
怒りを理由に、無関係な者まで傷つけようとしていた。
そして、そのことを自分でも分かっていながら、止まろうとしなかった。
ハジメは、次の魔人族へと歩いていく。
その先には、武器を持たない者たちがいた。
城の雑務を担っていた者。
戦いとは無縁の者。
ただ家族と暮らし、日々を過ごしていただけの者。
彼らは震えながら、命乞いをしていた。
しかし、ハジメの目には、もう何も映っていなかった。
「……全員、同じだ」
彼は呟く。
「俺から奪った奴らと同じ世界にいる。だったら……」
「ハジメさん、もうやめて!」
香織の声が響く。
だが、ハジメは止まらなかった。
そして――
彼の視線が、広間の奥に隠れていた魔人族の子供たちへと向いた。
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「……次は、お前らか」
ハジメが一歩、踏み出す。
子供たちは悲鳴を上げ、互いに抱き合った。
その姿を見ても、ハジメの表情は変わらなかった。
ユエが奪われた。
それだけが、彼の中に残っていた。
「ハジメさん……!」
シアが駆け出そうとする。
しかし、傷ついた身体は思うように動かない。
ティオも香織も、ハジメを止めるために立ち上がろうとした。
だが、誰もが一瞬、動けなかった。
今のハジメは、仲間の言葉さえ届かない場所にいた。
その時。
「……パパ」
小さな声が響いた。
ハジメの足が止まる。
彼は、ゆっくりと振り返った。
そこにいたのは、ミュウだった。
幼い海人族の少女。
母親のレミアと共に、エリセンで暮らしていたはずの少女。
そのミュウが、どうしてここにいるのか。
ハジメは、すぐには理解できなかった。
「……ミュウ?」
ミュウは答えなかった。
彼女の小さな手には、一つのデッキケースが握られていた。
ハジメが投げ捨てた、スターダストデッキ。
床に散らばっていたカードを、ミュウは一枚ずつ拾い集めていたのだ。
ミュウはケースを抱きしめ、ハジメを見上げた。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「……パパ、もう、やめて」
ハジメの表情が歪む。
「……ミュウ。お前は……」
「ミュウ、パパがこわい……」
その言葉に、ハジメの胸がわずかに揺れた。
だが、すぐに憎悪がその揺らぎを押し潰す。
「……どけ」
ハジメは低く言った。
「それを返せ。俺は、まだやることがある」
「いや」
ミュウは首を横に振った。
「ミュウ、パパを止める」
「……何?」
「パパが、こんなことするの、いやなの」
ミュウは涙をこぼしながら、デッキケースを胸に抱きしめた。
「ユエおねえちゃんを助けたいの、ミュウも分かる。でも……パパが、みんなを傷つけるのは、いや!」
ハジメは何も言わなかった。
「パパ、いつも言ってた。ミュウを守るって。みんなを守るって。帰るって……」
ミュウの声が震える。
「でも、今のパパは……みんなをこわがらせてる」
「……黙れ」
「いや!」
ミュウは初めて、強く言い返した。
「ミュウ、パパに負けない!」
彼女はデッキケースを開き、スターダスト・ドラゴンのカードを取り出した。
星屑の竜。
ハジメが、何度も仲間を守るために使ってきたカード。
ミュウはそれを両手で握りしめた。
「パパ……ミュウと、決闘して」
広間が静まり返った。
ハジメは、目の前の少女を見つめた。
小さな身体。
震える手。
涙で濡れた頬。
それでも、彼女は逃げなかった。
「……ミュウ。お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか」
「分かってる」
「俺に勝てると思ってるのか?」
「……分からない」
ミュウは正直に答えた。
「でも、パパを止めたい」
彼女はスターダスト・ドラゴンのカードを掲げた。
「パパが捨てたカード、ミュウが拾ったよ。パパが大切にしてたカードだから。パパが、みんなを守るために使ってたカードだから……」
涙が、カードの表面に落ちた。
「だから、ミュウがこれでパパと決闘する!」
ハジメの手が震えた。
怒りが、憎悪が、胸の奥で渦巻く。
それでも、目の前の少女の声だけは、完全には消えなかった。
「……ミュウ」
ハジメは、ゆっくりとデュエルディスクを構えた。
黒く染まったE-HEROのデッキが、闇の光を放つ。
ミュウは、スターダストデッキを抱きしめたまま、デュエルディスクを起動した。
「……分かった」
ハジメの声は、ひどく冷たかった。
「相手をしてやる」
ミュウは涙を拭い、震える手でカードを構えた。
「……絶対に、パパを止める」
星屑の竜と、闇に染まった英雄たち。
かつて同じ目的のために戦っていた二つの力が、今、互いに向き合おうとしていた。
ハジメを憎悪の底から引き戻すことができるのか。
それとも、小さな少女の願いさえ、闇に飲み込まれてしまうのか。
答えを知る者は、まだ誰もいなかった。
ただ一つ確かなのは――
この決闘が、勝敗を決めるだけのものではないということだった。
ミュウは、パパを取り戻すために。
ハジメは、すべてを壊そうとする自分自身を止められるかどうかを試されることになる。
雪原の大迷宮で終わったはずの試練は、ここで再び始まろうとしていた。