先輩シリーズ   作:正気 零

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第1話

 

 

【一】

 

 

 文芸部の部室は古い。

 というか、部室棟が古い。旧校舎を文科系の部室棟として再利用しているからか、まだ新しい壁と古い壁が並ぶちぐはぐ。壁紙は少しはがれているし、本棚は誰も読まなそうな本が詰まっている。

 けれど僕はその場所が嫌いじゃない。

 

 なによりここは、訪れると必ずとある人がいる。もはや住んでいる疑惑のある、そんな人が。

 

 

「なぜ医学部とは狭き門で、なぜ金がかかると思う」

 

 

 放課後、いつもどおり部室へ向かい横開きの扉を開くと、模試の結果を手に持った先輩が窓辺で黄昏ながら呟いていた。志望校模試の結果が悪かったのか、紙の端に皴ができている。表情は逆光によりうかがえない。問いについては……結果に対する発散だろうか。

 

 先輩はたまにこういうことをする。

 

 突然人生について語り始めたり、世界の真理を発見した顔をしたり、昼休みにパンの値段から資本主義の欠陥を語り始めたり。

 

 だいたいろくでもない。

 

 その独り言は普通であれば返答はしないほどの声量、しかし僕は声を弾ませて答えた。

 

 

「そらあれでしょう。命に関わるとか健康に関わるとか、責任が重い仕事につながるものだからじゃないですか?」

 

 

 頭に浮かんだそれらしい答えを並べて反応を見た。あたりを引けたようで、嫌な結果のあとだろうに先輩は声高々と否定する。

 

 

「ちがう。ちがうとも!」

 

 

 その心は? と返答を待つ。荷物をいつもの場所へ置く。前日に読んでいた小説を手に取ろうとして、やめた。きっと先輩のほうが面白いから。

 

 きちりと着た学ランを揺らし、髪の奥の瞳は真剣さを帯びていた。そういえば先輩はこの学校でも珍しく学帽を買っている優等生さんだ。

 

 テストの順位は上位常連。けれど言っていることはだいたい変だ。

 

 なぜこんな変な理論を振り回しているんだ、この人は。

 

 

「誰もかれもを医者などの高給取りにしないためだ」

 

 

 なるほど。と特に納得したわけじゃないが続きを促す。

 

 

「人は生きていれば健康を気にする。生きていれば何かしら病にもかかるだろう。その際に必要なのは医療だ。そしてこの世の中なにか施しを受けるためには金が要る!」

 

 

 矢継ぎ早に言葉をつなぎ、身振り手振りが大きくなる。

 

 

「さらに医者になる内訳の三、四割は医者の家庭らしいぞ」

 

 

 にやりと告げられても困る。

 

 

「つまり! 医学部が金がかかり狭き門なのは自分たちの金の生る木を減らさぬためだ!」

 

 

 そうだろう!? と共感を求められるが僕はぷるぷると震えるばかりで返事に困ってしまう。結果が悪かったばかりだろうに、元気な先輩。

 この人はいつだってこんな調子だ。

 

 落ち込むより先に変な理論をこね始めるし、困った顔していても次の日には元気に妙なことを言い出す。

 だから僕は部室へ来る。

 

 古い本棚も、剥がれかけた壁紙も嫌いじゃない。

 

 この部屋には、いつだって先輩がいる。

 

 だから僕は今日も部室に訪れて。

 

 やっぱり先輩は楽しい人だった。

 

 

 

 

 

 

【二】

 

 

「まあつまり、植物にポジティブな言葉をかけることで成長が早くなるというのは嘘っぱちだということだよ」

 

 

 放課後、西日が横殴りに照らす部室。

 先輩はなにか真理に触れたような眼差しでそういった。日暮れの様子から察するに、今日ももう終わりそうだ。

 

 

「先輩。接続詞の使い方下手ですか。どこから繋がった話なんすか」

 

 

 つまり、と会話を始めていたが、何が詰まった話なのだと疑問を飛ばす。先輩はもちろん会話のボールを受け取らず続けた。

 

 

「植物に『早く大きくなって♡』『葉っぱが大きいね♡』『水たくさん飲んでえらいぞ♡』とか言って成長が早くなるなんてことは、断じて無い」

 

「妙に女声使わないで下さい気持ち悪い」

 

 

 苦言のような言葉と裏腹に、僕はへらへらと笑ってた。先輩の理論はここからのようで、バッと勢いよく身振りを行い喋り出す。

 

 

「言葉に出すというのは人の精神に影響を与えるものだ。たとえば落ち込んでいても『私は元気だ』とか前向きな言葉を言えば前を向ける。人間は自分の言葉に騙されるわけだよ」

 

 

 なるほど、それで。いつもどおり中身のない相槌出迎える。こういうときの先輩は、僕が話を聞いているかどうかなんて気にしない。

 

と、先輩は嬉しそうに続けた。つまりこういうことさ。と言って。

 

 

「植物を大切にしているような言葉を自分が言うことで、大切にしているのではと勘違いする。その勘違いが大切な植物の変化を以前より感じやすくなる。

それが、その現象の正体だ!」

 

 

 なるほどと顎に手を置く。先輩の語る理屈は筋がまかり通っていて悪く無い。けど、思いついた反論も置いておこう。

 

 

「でも先輩、確か植物にクラシック音楽を聞かせると音源の方向に成長するという研究ありましたよね。この事例からだと音により植物の成長に影響が出ているのでは?」

 

 

 僕にしては理論めいた反論に先輩はピシリと固める。

 

 うるせえ。とポカリと殴られて、再び動き出した。

 

 

「音楽と言葉は別だろう!」

 

 

 似合わない暴論だ。似合ってはいるのか。しかし理屈を捨てさせたことに少なからずの優越感を覚えながら、思った。

 やっぱり先輩は変わらない。

 

 

 

 

 

 

【三】

 

 

 

「恋愛とは異常状態だ!!!」

 

 

 ハンパのない主語のデカさだ。そして声のデカさだ。耳が一瞬キーンとしたぞ。

 

 

「恋愛とは異常状態なんだ!!」

 

 

 もう聞いたよ。うるさいなと伝えるよりも前に、部室の壁がドンドンとなった。文芸部の隣の部室はパソコンか囲碁将棋とか? 覚えていないが、何回目かのクレームが入った。

 先輩はあいもかわらずアホである。あとで周辺の部活に頭を下げさせに行こう。

 

 

「…ばっかうるせえですね。なんすかフラれたんすか」

 

「違う」

 

 

 はええよ図星か。

 

 

「というのもな、最近中学校の頃の話を思い出すことがあり、この考えに至ったのだよ。後輩貴様恋はしていないのか」

 

「…してねえです」

 

「わかったしているのだな。わかるよ後輩、あの子は可愛いよな」

 

 

 知りもしねえでこのやろう…! 恋なんてしてねえし。恋なんかしないし……!?

 先輩はやれやれ、と肩をすくめていつものように考えを述べ始める。今回はホワイトボードまで持ってきた。本気だね。

 

 

「まず、人間は関わる人間にしか感情を抱けない。この関わるとは情報を得ることのできる人間だ。まあ言葉にすれば当たり前だな。知らない人間を嫌うなど全ての人間が嫌いな馬鹿だけだ」

 

 

 今日はやけに主語がでかい。当たり判定と先輩へ向ける罵詈雑言ばかりが増加するだけなのだけど。

 

 

「そして、その中で好意とか様々な感情が芽生えるわけだ。この好意の一部が恋愛、恋と呼ばれる」

 

 

 ホワイトボードに赤ピンクで書かれる。ハートとか小さく書いているのがなんだかおかしくて笑った。

 それにしてもこの人が恋愛や恋と口にするとやけに面白いな。茶化すと怒るだろうか。

 

 

「そしてなぜ状態異常と言ったか! 後輩貴様関わっている異性の数を述べよ!」

 

「うあ、え二人ですけど」

 

 

 突然の問いに上擦ってしまった。というか関わっている人数が少ないのは当たり前だ。この学校は去年まで男子校だったんだから。現在男女比は恐ろしく8:2。もちろん男子が8。

 

 

「後輩がノーマルな人間ならば好意の方向はその一方向へ固定される」

 

 

 つまりなんと言いたいのだろうか。偽物だと言いたいのだろうか。手が出るぞ先輩。

 

 

「まあ拳を下せ後輩。状態異常とはこの事ではない。話題がそれた」

 

 

 持ち上げた拳を引っ込めて座り直す。

 

 

「状態異常と言ったのは感情の持続性だ」

 

 

 少し怒っていた感情が収まる。難しい言葉を使った理論めいた何かが訪れる予感がした。

 

 

「好意とは簡単に冷めるべきではない。近年じゃあ蛙化などという馬鹿げた言葉が現れたがそんな現象存在してはならない!」

 

 

 今日の先輩は主張はトゲトゲだあ。人を刺し殺せるかもな。

 

 

「人の一側面に好意を抱くからこうなる! 人は多面的に好きにならなきゃいけない!」

 

「でも多面的に見ることなんてできなくないですか。先輩を部室以外で見かけた事ないすよ」

 

 

 教室か体育の移動とか、あとはトイレか。少なくとも下校登校を見た時ない。ここに住んでるのか?

 

 

「多面的とは相手のダメなところを知ることだ。人は色んな側面を持つものだ。好きなところ嫌いなところ不快なところ愉快なところ、エトセトラ」

 

 

 一つ一つ親指から指を上げていく。

 

 

「このうちの一本だけを知り、あたかも好意を抱き交際まで発展しかけたり望む。これを異常状態と言わずしてなんという」

 

「そりゃ…浅いやつ、とか?」

 

「存外に後輩も言葉が過ぎているな」

 

 

 はは。気のせいでしょう。

 

 

「つまりだ後輩。そうはなるなよ。あとこれプレゼントだ」

 

「…なんですか先輩。応援ですか。……ちょっと泣きそう」

 

 

 珍しすぎる贈り物と送り主。先輩が差し出す手には一冊の本。タイトルから察するジャンル的に僕の趣味でも先輩の趣味でもないが、どういう意図だろう。

 

 

「その子に送ってやりな。好みドンピシャだろうな」

 

 

 は?

 

 

「なんでわかるんすか?」

 

 

 先輩は少しだけ首を傾けた。そしてニヤリと笑い。

 

 

「だって中学の元カノだからな」

 

 

 やっぱり先輩はクソやろう!

 

 

 

 

 

 

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