先輩シリーズ   作:正気 零

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第5話

 

 

【七】

 

 

 筆を持ち上げて紙につける直前。そこから微動だにせずに停止する。筆が入って抜ける場所とそれがどの様な効果をもたらすかを考えているからだ。力加減もそう。入れずぎても抜きすぎても色使いにムラが起きてしまう。だからこそゆっくりゆっくり筆先を流す。

 柔らかく手首を使い、抜けた。

 

 ふう、と息を吐く。それほど緊張していたんだろう。

 

 しかし間を置くことなく、再び構えて。抜ける。

 

 それを幾度となく繰り返し、ひと段落をつける。

 仕事を終えたその人の前に立てかけられた絵画は、まるで豪快な水の音が聞こえるような、川の上流、森林を描いた世界があった。

 

 画竜点睛というべきか。類い稀ない集中と見ただけでは効果や完成を想像できない技術と研鑽。

 僕は確信に似た感情を持ち断言できた。

 

 部長は天才であると。

 

 

 

 だからこそ、部長の手がけた作品の扱われ方には納得がいっていない。コンクールの結果だってそうだ。

 あんなにすごい、空間を感じる絵画というのに部活内では他の部員の絵画が素晴らしいものとして扱われている。

 たしかに部長の絵もすごい。けどこっちの方が良い気がする。コンクールもこっちの方が良かったし。

 そんな空気感がどうも嫌になり、未だ美術部室の扉に手をかけて固まっていた。

 扉が重い。

 

 

「…文芸部行くか」

 

「なにしてんの」

 

 

 諦めてる手を離し去ろうとすると背後から声がかかる。

 びっくりして肩が跳ねた。気まずく、すこし振り返る。ちぐはぐな格好の部長がいた。セーラー服の上からつなぎを着ていて、裾には乾いた絵の具がこびりついている。

 

「部長…ですか」

 

「うん。部長だよ」

 

「……あー、気分が乗らないから僕は今日文芸部の方に…」

 

「そう」

 

 

 そうして、美術部室兼美術室から去り、本を持つこともなく椅子に座り惚けていた。膝下にくつしたが乗っかり、それを無心で撫でる。

 

 いやされる。

 

 いつもうるさい先輩は猫を真剣に見つめて顎に手を置いてぶつぶつと何か呟いている。

聞こえてくる内容は猫に好かれる人間とは。猫に好かれる方法。人間の同一性、そして差について。など。

 膝下に来てくれた猫、くつしたのことがそれほど羨ましいのだろうが、呟く理論がどんどんと怖い方向へ向かっていっているので軌道修正してほしい。怖い。

 

 コツコツと扉が鳴った。

 はーいと腑抜けた声を出すと細い声が返る。

 

 

「美術部部長の——」

 

 

 どったんばったん。がだがたがっちゃん。

 訪れる客人としてはーーまず文芸部に訪れる人間なんて先輩と自分以外いないと思っていたーー意外すぎる人にびっくりして椅子から転がる。

 立ちあがろうとしたら膝下の猫を思い出し庇おうと変な姿勢になったことで転げて、その音に扉の向こうから驚きと心配そうな息遣いが聞こえた。

 

 驚いたくつしたが先輩の元へ向かい、両手で迎えて大事そうに抱えて胸に抱いた。

 心なしかいつもより先輩は嬉しそうだ。猫が好きなんだろう。

 

 カラリと扉のレールが鳴る。反射的に背中で扉を押さえて塞いだ。

 

 

「どうしましたか部長!?」

 

 

 扉越しに尋ねた。

 猫がいる。部室に猫がいる。判明してしまったらどうなることか分かったものではない。部長はチクるような人でもないが知る人は少ない方が良い。

 

 

「大丈夫? 痛そうな音がしたよ」

 

 

 先輩に精一杯目配せする。猫をどうにかしてくれと。

 先輩はバカなのか学ランの内側に猫を仕舞い込んだ。

 

 そしてこれでよしと向いてくる。本当だな。大丈夫なんだよな?

 

 扉から退くと部長が現れた。僕と目を合わせるとほっと息を吐いてあたりを見渡す。大事なさそうだねと、心配してくれていたようだ。そして奥の方に目を向けて。

 

 

「…ああ、彼がいる部活だったんだね」

 

 

 どうやら先輩を見つけたようだ。変な納得の仕方に、そういえば同学年だから知っていてもおかしくないかと納得する。

 

 

「えと、先輩。どうかしたんですか?」

 

「探しに来たんだよ」

 

「好かれてるな後輩。美術部へ行ってくるが良い」

 

 

 何言ってんだ先輩。さっさと猫で膨れた腹隠せよ。からかう口調の先輩を見やる。部長が不思議そうに口を開いた。

 

 

「…彼いつもこうなの?」

 

「いつも違うんですか?」

 

「いや、人伝には聞いていたけど。変人だって」

 

「ははは…」

 

 

 先輩はどこでも先輩をしていたらしい。こういうおかしなキャラクターは文芸部の中だけかと思っていたところもあり、こいつマジかという畏怖も含めて半目で見つめる。

 

 気になっていることを聞くことにした。

 

 

「そういえば、なんで探しに来てくれたんです? 文芸部とかで抜けるのよくあることなのに」

 

「ぁー、それはねー」

 

 

 自覚がないんだねと、部長ははにかんで続けた。

 

 

「私のコンクールの結果に私より納得いってなさそうな顔してたんだ。気になるじゃんか」

 

 

 そんなに顔に出ていたらしい。妙に恥ずかしくて、先輩に助け舟を求める。しかし出航せず。

 先輩の顔は面白いものを見る観客のそれだった。

 

 ニヤニヤすんなお前!!!

 

 

 

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