直葉「お兄ちゃーん、あの人に手を出されたー。」キリト「お前を〇す」 作:狩宮 深紅
諸々細かいところは見逃していただけると嬉しいです!
時系列は本編終了後を想定しています。
黄昏時のアルヴヘイム。
赤銅色に染まる空と、遠くに見える世界樹の巨大なシルエット。
吹き抜ける風が仮想の草木を揺らす小高い丘の上で、シルフの少女――リーファは、一人膝を抱えてぼんやりと虚空を見つめていた。
(……平和、だなあ)
心の中で呟いたその言葉には、どこか乾いた響きが混じっていた。
アンダーワールドでの壮絶な戦いを終えてから、現実世界にもVR世界にも、穏やかな日常が戻ってきている。けれど、彼女の魂の奥底には、未だにあの血みどろの記憶がべっとりとこびりついていた。
地神テラリアとして降り立ち、無数の槍に肉体を貫かれた絶望的な激痛。目を焼かれるような感覚。命を削り、魂をすり減らして戦い抜いたあの極限状態。
現実ではまだ普通の高校生だというのに、ふとした瞬間に、自分だけが老練の退役軍人のようなひどく擦り切れた精神状態にあることを自覚してしまう。
ここに来るまでの道中では、他愛もないことで騒ぐプレイヤーたちの笑い声が微かに聞こえていた。
『レア泥キター!』だとか、『彼氏と喧嘩した最悪ー』だとか。
(いいなぁ……)
リーファは、深く、重たい溜め息を吐き出した。
私も、あんな風に。
生死も世界の存亡も関係ない、普通の、馬鹿馬鹿しくて平和なことで悩みたい。
もちろん、兄であるキリト君や、アスナさんたちと一緒にいる時間は大切だし、心から安心できる。でも、彼らと同じ地獄を見た『戦友』である以上、どうしても心のどこかで気を張ってしまう自分がいた。
強くて、頼りになるリーファでいなければならない。
ただの年相応の女の子に戻って、くだらないことで笑い合えるような、そんな平和な恋だってしてみたいのに。
でも、私の中に刻まれたこの重すぎる痛みを、無邪気な日常で上書きしてくれるような人なんて、きっと現れない。
私の周りにいる男性といえば既婚者のエギルさんや、クラインさん、レコンとかもいるけど私の事はキリト君の妹でテラリアとして戦ったリーファとして見られていることは何となく分かる。
レコンに関しては感はいいんだけど、最近は私の事情を知ってか知らずか、1歩引いた接し方になってからはこのALO内でも会う頻度は下がっている。
美しくも悲壮な感傷に浸りきり、リーファが静かに目を伏せた、まさにその瞬間だった。
「――どしたん、話きこか?(笑)」
「…………は?」
突如として背後から投げかけられた、あまりにも軽薄で、ペラッペラな声。
リーファが呆然と振り返ると、そこには初期装備を適当に着崩した、何者にも縛られていない、軽薄そうな男性アバターが立っていた。
男は『通りすがりの親切な好青年』を必死に演じようとしているらしいが、隠しきれない下心で口角がピクピクと引きつっている。明らかにワンチャンを狙う、どこにでもいる適当な大学生プレイヤーのそれだった。
さっきまでの重厚なダークファンタジーだった私の心の中の空気が、たった一言で、深夜のファミレスのドリンクバー前にまで引きずり落とされた瞬間だった。
「いや、ごめんごめん! あんまりにも寂しそうな顔して空見てるからさ。俺、××。しがない大学生プレイヤーなんだけど……隣、座ってもいい?」
断る間もなく、××と名乗った男はリーファの隣にどっこいしょと腰を下ろした。
(……うわぁ。いかにもネットのテンプレみたいな男が来た……)
リーファは内心で盛大にため息をついた。普段の彼女なら、適当にあしらって飛び去るか、しつこければ手元の剣の錆にしてやるところだ。
だが、今のひどく感傷的になっていた彼女には、その気力すら湧かなかった。
「……別に。ただ、少し昔のことを思い出してただけですから。」
「昔のこと? あー、なるほど。彼氏にフラれたとか? それともレアアイテム落としてヘコんでるとか?。」
「違います。……もっと、痛くて、苦しい記憶です。何度も何度も体が引き裂かれるような、そんな戦いの……。」
ふと、口からこぼれ出てしまった。
キリト君やアスナさんたちには絶対に言えない、地神テラリアとして味わったあの凄絶な痛みの記憶。誰にも理解されない、重すぎる地獄の残滓。
どうせこのチャラ男に言ったところで分かるはずもない。適当に重い女だと思われて、勝手に去っていくだろう。リーファはそう自嘲気味に目を伏せた。
しかし。
××は「あー……」と、心底同情したようにウンウンと深く頷き、とんでもないことを言った。
「分かるわー。PK(プレイヤーキル)な。あれマジでウザいしヘコむよな!」
「……え?」
「俺もこの前、狩場でいきなり後ろからザクザク斬られてさ! 一番お気に入りの剣ドロップしちゃって、リアルで枕濡らしたもん! 体引き裂かれるくらい痛いって感覚、マジで分かるわー!」
リーファは、目を丸くした。
この男は今、彼女のアンダーワールドでの『命と魂を懸けた絶対的な死闘』を、その辺の『PK被害によるアイテム全ロス』と完全に同列に語ったのだ。
あまりの浅さ。圧倒的なまでの、想像力の欠如。
だが、不思議なことに、怒りは全く湧いてこなかった。
代わりに、××がケラケラと笑いながら言う。
「でもさ、所詮ゲームじゃん? 嫌なことあっても、美味い飯食って寝たら明日には大体忘れてるって! ほら、そんなシリアスな顔すんなって。この後、街で美味いモンでも奢ってやるからさ。元気出せよ!」
所詮、ゲーム。
その言葉は、キリトや彼女たちにとっては時に禁句になり得る言葉だ。
けれど、今の彼女にとって。一切の事情を知らず、ただ『落ち込んでいる女の子を元気づけようとする(下心ありの)能天気な大学生』のその言葉は――。
「……っ」
重く暗い泥沼から、力ずくで地上へと引きずり上げてくれる、最高に平和な響きだった。
「ぷっ……あははっ! あはははははっ!」
「えっ!? ちょ、なんで爆笑してんの!? 俺変なこと言った!?」
リーファはお腹を抱え、涙が出るほど笑い転げた。
心の中にべっとりと張り付いていた暗い感情が、彼の圧倒的な『軽さ』によって、嘘のように吹き飛ばされていくのを感じながら。
「ま、まあ……笑ってくれたならいっか。なんか知らんけど。」
××は素っ頓狂な声を上げた後、照れ隠しのようにポリポリと頬を掻き、ポンポンと軽くリーファの頭を撫でた。
それは、女慣れしたチャラ男の計算し尽くされたボディタッチなどではない。泣きそうな顔をしていた小さな女の子を慰めようとする、ただのお人好しで不器用な、大学生の兄ちゃんとしての純粋な優しさだった。
「まー、あんま一人で抱え込むなよ。俺でよければ、いつでも愚痴くらい聞いてやるからさ。なんなら、元気出るまで俺が彼氏のフリでもして、思いっきり甘やかしてやろっか?(笑)」
冗談めかして笑う××。
彼にとっては、ちょっと背伸びをした『大人の余裕』のつもりだったのだろう。
リーファは笑い涙を拭いながら、彼を見上げた。
普通なら軽薄だと切り捨てて終わる提案。
けれど、もしかしたらこの底抜けに平和な男と一緒にいれば、私は『ただの女の子』でいられるかもしれない。
「へぇ……。いいですよ」
リーファは、悪戯っぽく微笑んでみせた。
「本当に甘やかしてくれるなら、お試しで『彼女』になってあげます。……でも、一つだけ条件があります」
「おっ、マジで? なになに?」
「ALOの中限定のお試し、ってことです。お互いのリアル(現実世界)の詮索は一切なし。それが守れるなら、付き合ってあげます。」
「オッケーオッケー! ネットの距離感ってやつな。任せとけって、俺、そういうのわきまえてる大人だからさ!」
親指を立ててウィンクしてくる××を見て、リーファは再び吹き出した。
こうして、彼女の重たい過去を知らない平和な大学生と、最強の剣士の妹による、奇妙な『お試しカレシ』の関係がスタートしたのだった。
――それから、約一ヶ月。
『うぉぉぉっ! リーファちゃん危ないっ!!』
『ちょっと××さん、無茶しないで! あぁもう、私がやりますから下がってて!』
ダンジョンの中、ドジを踏んでモンスターに囲まれた××を、リーファが呆れながらも圧倒的な剣技で救出する。
戦闘後、HPがミリ残りでへたり込む××に回復魔法をかけながら、リーファは小言をこぼした。
『もう、本当に危なっかしいんだから。私の彼氏(お試し)なんだから、もう少しカッコいいところ見せてくださいよ』
『ごめんごめん! いやー、リーファちゃんマジで強えな! 助かったわ、今日の夕飯は俺の奢りでスイーツ付きな!』
『……ふふっ。約束、忘れないでくださいね』
ALOの中で共に過ごす日々は、リーファにとって想像以上に心地の良いものだった。
××はゲームのプレイスキルこそ平凡(むしろ少し下手)だったが、裏表がなく、誰に対しても気さくで、何よりリーファの話をただの『普通の女の子の悩み』として聞いてくれた。
キリト君の話を濁して「ちょっと身近にすごい人がいて、比べられちゃうんです」と愚痴れば、「分かるわー、俺も兄貴が優秀でさー」と同じ目線で共感してくれる。
そんな彼の圧倒的な『普通さ』と『平和さ』は、乾ききっていた直葉の心に、ゆっくりと、しかし確実に染み込んでいった。
そして、感情の変化は必然だった。
ある日、街の広場で待ち合わせをしていた時のこと。リーファが少し遅れて到着すると、××が他のシルフの女性プレイヤーと親しげに立ち話をしている光景が目に入った。
『あ、そうなんですか? じゃあ今度、そのクエスト手伝いますよ』
『本当!? 嬉しい、ありがとー!』
楽しそうに笑い合う二人を見た瞬間。
リーファの胸の奥で、ドクン、と。黒くて重たい『泥』のような感情が跳ねた。
(……なにあれ)
無意識のうちに、腰の長剣の柄を握りしめる。
彼はただの『お試し』の彼氏。リアルも知らない、ただの気晴らしの相手のはずだ。それなのに、彼が自分以外の"女"にあの『平和な優しさ』を向けているという事実が、なぜだか分からないが腸が煮えくり返るほど許せなかった。
『……××さん』
『お、リーファちゃん! 遅かったじゃん。じゃあ俺、連れが来たから行くわー』
××が女性プレイヤーに手を振って駆け寄ってくる。
リーファは無言のまま、××の腕に自分の腕をきつく絡ませた。
『うおっ、どした? いきなりくっついてきて。』
『……別に。彼女なんだから、当たり前でしょ。早く行きますよ。』
半ば強引に彼を引っ張りながら、リーファは自覚した。
あぁ、ダメだ。私、もうこの人を手放せない。
ただの気晴らしだったはずなのに。彼と一緒にいる時の『ただの女の子でいられる自分』が、愛おしくてたまらない。
(冗談じゃない。私がこんなに本気になっているのに、この人はまだ『お試し』のつもりなんだ)
私だけを見てほしい。
この圧倒的な平和さを、すべて独占したい。
ALO内では上位に入る剣士であり、同時に一途な恋愛脳をこじらせた少女
――桐ヶ谷直葉の中で、決定的なスイッチが音を立ててONになった。
そして、運命のターニングポイントは、二人が出会ったあの黄昏の丘で訪れた。
「いやー、最近のリーファちゃん、すっごくよく笑うようになったよな!」
夕焼け空を見上げながら、××が満足げに伸びをした。
「最初に出会った時なんか、マジでこの世の終わりみたいな顔してたのにさ。最近はクエスト中もずっと楽しそうだし、よく笑うし。」
「……そうですか?」
「おう! だからさ……」
××は、リーファの方を向いて、ニカッと笑った。
「そろそろ元気出たみたいだし、俺の『お試しカレシ』の役目も終了でいいかな?」
彼に悪気は一切ない。むしろ彼にとっては途中から下心よりも庇護欲が勝ってしまっており、役目を終えた自分は身を引くべきだろう。
約束通り、落ち込んでいた女の子を元気づけられたから、この擬似的な関係を綺麗に終わらせてあげようという、彼なりの不器用な優しさだった。
――だが、それは直葉にとって、絶対に認められない宣告だった。
「…………終了?」
リーファは、ゆっくりと彼を見つめ返した。
そのエメラルドグリーンの瞳の奥には、彼を決して逃がさないという、底なし沼のような深い執着の色が渦巻いていた。
「な、なんだよ。なんか怒ってる……?」
無自覚に地雷を踏み抜いた××が、タジタジと一歩後ずさる。
リーファは、ぞくりとするほど美しい、蠱惑的な笑みを浮かべた。
「終わらせるわけ、ないじゃないですか。」
「えっ」
「弱っている女の子の心にズカズカ踏み込んで、さんざん甘やかして、依存させて……それで『はい終了』だなんて、無責任すぎますよ。」
リーファは××の腕をがっちりと掴み、絶対に逃げられない距離まで顔を近づけた。
「前に、美味しいもの奢ってくれるって言いましたよね?」
「え、あ、おう……言ったけど、それはALO内の話であって……。それに、お互いリアルの詮索はなしって約束じゃ…。」
「その約束、今ここで破棄しちゃいます♡」
まるで簡単に破られた不可侵条約のように。
リーファは、甘く、そして有無を言わさぬ圧を放つ声で囁いた。
「今度の週末。リアルで、会いましょう。……逃げたら、地の果てまで追いかけますからね?♡」
平和なモラトリアム大学生の日常が、一人の乙女の『策謀(外堀工事)』によって完全にロックオンされた瞬間だった。
――数日後。彼女の兄である『黒の剣士』から、俺宛てに本気の殺意が込められたデュエルをすることになるのだが、この時の俺は想像もしていなかった。
最後まで見ていただいてありがとうございます!
今回の感想と評価をしていただけると嬉しいです!