直葉「お兄ちゃーん、あの人に手を出されたー。」キリト「お前を〇す」   作:狩宮 深紅

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急な投稿に驚かれた方もいらっしゃると思います。
5話まではほぼ書き溜めから投稿していたので私自身気づくことが出来なかったのですが、今回の話が抜けておりました。申し訳ありません。
以後このような事がないように気をつけます。

8話の投稿は早く書ければ23日の0時に投稿させていただきます。


スペアキー取れば勝ち確だよお兄ちゃん。

ファミレスでの直葉ちゃんからの『謝罪と手料理の提案』から、数日が経った週末の昼下がり。

 

 俺は、朝から自室の安アパートを、これまでの二十数年の人生で一番というレベルで、文字通りピカピカに磨き上げていた。

 

「よしっ! 水回りの水垢ひとつなし! 脱ぎ散らかしてた服も全部クローゼットの奥底に封印したし、健全な男子たるものベッドの下に隠し持っている『アレな本』も、さらに段ボールに入れてガムテープで厳重に封印した!」

 

 額の汗を手の甲で拭いながら、俺はフローリングの床に腰に手を当てて大きく頷いた。

 

 あの日、ファミレスで彼女の口から真実を聞いて、俺の中の『キリトさんへの本能的な恐怖』は相変わらず残っているものの、直葉ちゃん本人に対する警戒心は完全に消え去っていた。

 

 それどころか、あんなに可愛くて、俺に嫌われたんじゃないかと本気で涙ぐんで謝ってくれた女の子が、わざわざ手料理を振る舞うために俺の部屋に来てくれるのだ。

 

 しがないモラトリアム大学生にとって、これ以上ない特大のボーナスイベントである。浮かれない男がいたら、そいつは絶対に血が通っていないサイボーグだ。

 

 ――ピンポーン。

 約束の時間ぴったり。アパートの古びたインターホンが、運命のベルのように鳴り響いた。

 

「来たっ!」

 

 俺は弾かれたように玄関へ向かい、勢いよくドアノブに手をかけた。

 しかし、そこでハッと我に返った。

 今、このドアの向こうにいるのは、現役の女子高生だ。対する俺は、一人暮らしの成人男性(大学生)。

 もし、このドアを開けて彼女を部屋に招き入れる瞬間を、誰かに見られでもしたら……?

 

(ヤバい。もし隣のおしゃべり好きの田中のおばちゃんにでも見られたら、明日には『××くんの部屋に女子高生が入り浸ってる』っていう噂が町内を駆け巡る! 完全に『事案』扱いされて通報されかねない!)

 

 俺は勢いよく開けようとしたドアを寸前で止め、チェーンをかけたまま、数センチだけ細く開けた。

 

「……あの、××さん?」

 

 ドアの隙間から、不思議そうに首を傾げる直葉ちゃんの顔が見えた。

 今日の彼女は、清楚な白いブラウスに、ふんわりとした淡いベージュの膝丈スカートという、破壊力抜群の私服姿だった。ブラウスの首元からは、華奢な鎖骨が覗いている。手には、スーパーのレジ袋を提げていた。

 

「す、直葉ちゃん! ちょっと待ってて! 今、安全確認するから!」

 

「……え? 安全確認、ですか?」

 

 俺はドアの隙間から目だけを出し、アパートの右の廊下をスッ……と確認。異常なし。

 次に左の廊下をスッ……と確認。田中のおばちゃんの姿も、回覧板を持って歩く大家さんの姿もなし!

 

「よし、今だ! 誰にも見られてない! 早く中に入って!」

 

「えっ、ちょ、ちょっと××さんっ!?」

 

 俺はガチャリとチェーンを外し、直葉ちゃんの細い腕を引いて素早く部屋の中に引き入れると、音を立てないようにバタンッ! とドアを閉め、厳重に鍵とチェーンをダブルでかけた。

 

 薄暗い玄関で、直葉ちゃんは目を丸くして、パチパチと瞬きをしている。

 

「……あの、××さん? 今の、なんの真似ですか? まるでスパイ映画みたいでしたけど。」

 

「いや、だってほら! 俺みたいな冴えない一人暮らしの男の部屋に、直葉ちゃんみたいなすっげぇ可愛い女子高生が昼間から入っていくところをご近所さんに見られたら……完全に俺、警察沙汰になるだろ!?」

 

「け、警察沙汰って……」

 

 俺が冷や汗を拭いながら熱弁すると、直葉ちゃんは数秒ぽかんとした後

――「ふふっ、あははははっ!」とお腹を抱えて笑い出した。

 

「もう、××さんってば心配性すぎますよ! 私、ちゃんと普通のお友達として遊びに来ただけなのに。」

 

「世間様はそうは見てくれないんだよ! 頼むから、俺の平穏なモラトリアム生活を守ってくれ……。」

 

「あははっ、ごめんなさい。でも、そんなに焦ってる××さん、なんだか可愛いです。」

 

 ひとしきり笑って緊張が解けたのか、直葉ちゃんはニコニコと花が咲いたような笑顔で、スニーカーを脱いで部屋に上がった。

 

「お邪魔しまーす。……わぁ、男の人の一人暮らしって感じですけど、すごく綺麗に片付いてますね。」

 

「そ、そりゃあね。女の子を呼ぶんだから、最低限の礼儀として、ね?(昨日徹夜で死ぬ気で掃除したとは口が裂けても言えない)」

 

 直葉ちゃんは、レジ袋を小さなキッチンのカウンターに置くと、持参してきた可愛らしいフリルのついたエプロンを取り出し、キュッと背中で紐を結んだ。

 

「それじゃあ、さっそくお詫びの手料理、作らせてもらいますね! ××さん、お肉好きですよね? 今日は特製の豚の生姜焼きと、お味噌汁を作ります!」

 

「うおおおっ、マジで!? 生姜焼き定食とか、ファミレスのまかない以外で食べるの何ヶ月ぶりだろう……!」

 

「ふふっ。座って待っててくださいね。」

 

 俺がローテーブルの前に座り、キッチンに立つ彼女の背中を眺めている間。

 直葉の胸の内は、トントンと小気味良い音を立てる包丁のリズムとは裏腹に、熱く、そして密かな決意に満ちていた。

 

(……よかった。××さん、本当に私のこと、嫌いになってなかった)

 

 数日前、自分の軽い悪戯心から始まった言葉遊びが、兄のキリトを本気で激怒させ、彼を殺しかけた。

 あの時、彼がログアウトして消えてしまった空間を見た瞬間、直葉の心臓は凍りつくかと思った。「あぁ、もう二度と、彼と一緒にあのくだらなくて平和な時間を過ごすことはできないんだ」と、絶望で目の前が真っ暗になった。

 

 SAO事件から帰還したお兄ちゃんは、優しくて、でもどこか遠くて、強すぎる存在だ。一緒にいると、直葉はどうしても『立派な妹』であろうと背伸びをしてしまう。

 

 けれど、このしがない大学生は違った。

 プレイヤースキルは底辺で、すぐに逃げ回って、冗談ばかり言っている。でも、彼と一緒にいる時だけは、直葉は背伸びをせず、ただの年相応の『普通の女の子』として、心の底から笑うことができたのだ。

 

(私……もう、××さんがいない日常なんて、考えられない)

 

 だからこそ、ファミレスで彼が「怒ってないよ」と笑って許してくれた時、直葉の中で、ある種の『執着』のようなものが明確に形作られた。

 もう絶対に、彼を手放さない。

 ゲームの中だけじゃない。現実世界(リアル)でも、彼にとって私を『特別』で『なくてはならない存在』にする。

(男の人の心を掴むには、まずは胃袋から、だよね)

 直葉は、フライパンで豚肉を炒めながら、タレの香ばしい匂いと共に、密かな『策士』としての笑みを深めた。

 

「お待たせしました! 冷めないうちにどうぞ!」

 

 ローテーブルに並べられたのは、完璧な照りと焦げ目のついた生姜焼き、千切りキャベツ、ふっくらと湯気を立てる白米、そして豆腐とわかめのお味噌汁。

 俺は両手を合わせ、「いただきます!」と勢いよく生姜焼きを口に運んだ。

 

「――――ッ!!」

 

「ど、どうですか……?」

 

 直葉ちゃんが、自分の箸をつける前に、不安そうに上目遣いで俺の顔を覗き込んでくる。

「……美味すぎる。なにこれ、お店出せるレベルじゃん! 肉が柔らかいし、タレの味が絶妙にご飯泥棒すぎる……!」

 

「ほ、本当ですか!? よかったぁ……!」

 

 俺が涙目で白米をかき込むと、直葉ちゃんはパァッと顔を輝かせ、ホッとしたように胸を撫で下ろして、自分も嬉しそうに箸を進め始めた。

 本当に、驚くほど美味かった。毎日コンビニ弁当か適当なパスタで済ませていた俺の荒んだ胃袋が、歓喜の産声を上げているのがわかる。

 

「あー、マジで生き返る……。直葉ちゃん、本当に料理上手いんだな。将来絶対、いい奥さんになるよ。」

 

 俺が何気なく、心からの賛辞としてそう言った瞬間だった。

 

「……いい奥さん、ですか。」

 

 直葉ちゃんは箸をピタリと止め、コトン、とお茶碗をテーブルに置いた。

 そして、テーブル越しに、少しだけ身を乗り出すようにして俺の顔をじっと見つめてきた。

 

「え、あ、うん。だってこんなに美味しいご飯作れるし、気配りもできるし……。」

 

「××さん。」

 

 直葉ちゃんの声のトーンが、先ほどまでの「元気な妹キャラ」から、ふっと一段階、低く、甘いものに変わった。

 身を乗り出した彼女の白いブラウスの胸元が、わずかにたわむ。そこから漂う、甘い花の香水と、シャンプーの匂い。

 先ほどまではただの『可愛い女の子』だったはずの彼女が、急に、圧倒的な『一人の女性』としての輪郭を帯びて俺の視界を支配し始めた。

 

「××さんは、私のこと……『ただの子供』とか『ゲーム仲間の妹』って、思ってますか?」

 

「えっ?」

 

 突然の問いに、俺は白米を咀嚼したまま固まった。

 

「あのね、××さん。私……今日、××さんの部屋に来るから、お洋服、すごく悩んだんですら、」

 

 直葉ちゃんは、頬をほんのりと薄紅に染め、少しだけ潤んだエメラルドグリーンの瞳で俺の目を真っ直ぐに射抜いた。

 

「××さんって、大学生だから、周りにはもっと大人っぽくて、綺麗な女の人がたくさんいますよね。……だから、少しでも、大人っぽく見られたくて。××さんに、『可愛い』って……女として、見てもらいたくて」

 

「……っ!」

 

 ドクン、と。

 俺の心臓が、先ほどの事案回避の恐怖とは全く違う理由で、けたたましく鳴り響いた。

 潤んだ瞳。上目遣い。少しだけ恥じらうような、けれど絶対に目を逸らさないその視線。

 彼女が、本気で俺を『男』として意識させようとしているのが、痛いほど伝わってくる。

 

「ど、どう……ですか? 今日の私、××さんの……恋愛対象に、見えますか?」

 

 直葉ちゃんが、テーブルの上でスッ……と手を伸ばし、俺のシャツの袖口をキュッと、弱々しく掴んだ。

 俺は、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 ズルい。こんなの、ズルすぎる。

 あんな最強の兄貴(キリトさん)の妹だからって、無意識のうちに『手を出してはいけないアンタッチャブルな存在』としてブレーキをかけていた俺の理性が、彼女のこのたった数秒の仕草と言葉で、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。

 

「……見えないわけ、ないじゃん」

 

 俺は、熱くなった顔を誤魔化すように、ポリポリと頬を掻いた。

 

「玄関開けた瞬間から、心臓バクバクだったよ。……めちゃくちゃ可愛いし、普通に、すっげぇ綺麗な『女の人』だなって、思ってた。」

 

「ほんと、ですか……?」

 

「嘘言ってどうするんだよ。……だから、あんまりそういう顔、反則だからな。」

 

 俺が完全に白旗を揚げて照れ隠しにそっぽを向くと。

 直葉ちゃんは、「ふふっ」と、心底嬉しそうな、甘くとろけるような笑顔を浮かべた。

 

「嬉しい……。××さんにそう言ってもらえただけで、今日、勇気を出して来て本当によかったです。」

 

 彼女は袖を掴んでいた手を離し、再び箸を取った。しかし、その瞳の奥には、確かな『勝者の余裕』と、さらなる一手を打つための策士の光が宿っていた。

 

「ねえ、××さん。」

 

「ん?」

 

 食後の温かいお茶を飲みながら、すっかり良い雰囲気になった空間で、直葉ちゃんが小悪魔のように首を傾げた。

 

「私、これからも時々、こうしてご飯を作りに来てもいいですか?」

 

「えっ? いや、さすがに毎回こんな手間かけさせるのは悪いし……。」

 

「手抜きのご飯ばっかり食べてたら、体壊しちゃいますよ? 私、××さんに元気でいてほしいから。」

 

 直葉ちゃんは、先ほど俺を撃沈させた『女の顔』とはまた違う、純粋に相手を案じるような『母性』を含んだ笑顔で俺を見た。

 

「それに、今回のことのお詫びは、一度だけじゃ足りません。……ね? いいですよね?。」

 

「うっ……。」

 その言葉と、今まさに極上の幸福感で満たされている俺の胃袋が、完全に降伏を宣言した。

 

「……わかった。じゃあ、時間がある時だけでいいから、お願いしようかな。」

 

「やったぁ! ありがとうございます!」

 

 直葉ちゃんは満面の笑みでガッツポーズをした後、コホン、とわざとらしく咳払いを一つした。

 

「でも、××さん、バイトとか大学で家にいない時もありますよね。……その時に食材を買ってきちゃったら、冷蔵庫に入れられないと困っちゃうなぁ。」

 

「あー、たしかに。」

 

 

「というわけで。」

 

 直葉ちゃんは、俺の目の前にスッ……と、小さな手のひらを差し出した。

 

「もし良ければ、合鍵、一つ預からせてもらえませんか?♡」

 

「――――えっ」

 

 俺は、お茶を吹き出しそうになった。

 ちょっと待て。いくらなんでも、合鍵はハードルが高すぎる。それはもう完全に『同棲カップル』の一歩手前ではないか。

 

「い、いや、さすがに合鍵は……! もしキリトさんにその鍵が見つかりでもしたら、今度こそ俺、物理的にバラバラにされる!」

 

「大丈夫ですよ! お兄ちゃんには絶対内緒にしますから! 私の部屋の、誰にも見つからない秘密の場所に隠しておきます。……ねっ?」

 

 彼女の笑顔は、完璧だった。

 俺の心臓の音を確かめるように、彼女の手が、俺の手をそっと握りしめる。

 先ほどの『女を意識させる会話』で完全に彼女のペースに飲まれている俺に、この至近距離での上目遣いと、圧倒的な「あなたに尽くしたい」という好意を跳ね除けることなど、土台無理な話だった。

 

「…………わ、わかったよ。絶対に、絶対に内緒だぞ……。」

 

「はいっ! これからよろしくお願いしますね、××さん♡」

 

 俺が机の引き出しからスペアキーを取り出して渡すと、直葉ちゃんはそれを宝物のように両手で包み込み、今日一番の、最高に愛おしい笑顔を見せた。

 

 あの日、ファミレスでの恐怖の逃亡劇から一転。

 俺は、彼女の『女性としての魅力』と『手料理』という、甘くて抗いがたい最強の罠によって、自ら進んで外堀を埋められようとしていた。

 俺の平穏で適当な一人暮らしは、こうして見事に、そして完全に――この恐ろしくも可愛い最強のヒロインによって、制圧されたのである。

 

 

 

 

 




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