直葉「お兄ちゃーん、あの人に手を出されたー。」キリト「お前を〇す」   作:狩宮 深紅

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秘密の同盟

アルヴヘイム・オンライン。

 

中立都市の路地裏にひっそりと店を構える、プレイヤー相手の酒場兼アイテムショップ。

 

普段は多くの常連客で賑わうその店は、今日に限って入り口に『CLOSED』の看板が掛けられ、店内はひっそりと静まり返っていた。

 

薄暗いランプの灯り。重厚な木製のカウンターの奥で、屈強なノームの男

――エギルが、布で静かにグラスを磨いている。

 

そしてカウンター席には、ウンディーネの魔法剣士である結城明日奈(アスナ)と、シルフの少女――リーファ(直葉)が並んで座っていた。

 

「……急なお願いで場所を提供してくれて、ありがとうエギル。今日はどうしても、キリト君には内緒で直葉ちゃんと話したかったの。」

 

「気にするな。キリトの奴、最近現実(リアル)の方でもピリピリしてて、周りが見えてねえみたいだからな。」

 

 エギルは磨き終えたグラスを棚に置き、二人に向かって低い声で言った。

 

「……俺はただのバーテンダーとして場所を貸すだけだ。二人でゆっくり話しな。まぁ、大人の意見が欲しくなったら声かけろ。」

 

 そう言って、エギルは温かいハーブティーの入ったカップを二人の前にコトン、と置いた。

 

 アスナは「ありがとう」と微笑むと、隣で俯いているリーファへと、かつてないほど真剣で、思い詰めたような視線を向けた。

 

「……直葉ちゃん。この前の酒場では、他の人がいたから詳しく聞けなかったけど。」

 

 アスナは、かつてSAOのデスゲームをクリアに導いた『元・血盟騎士団副団長』としての凄みと、義理ではあるものの姉としての本気の心配を込めて、リーファの手をきつく握りしめた。

 

「あの、××さんっていう人に……本当に無理やり何かされたりしてない? 辛かったら誤魔化さなくていいのよ。もし本当に手を出されたなら私、許せないし、彼を法的に裁いてもらえるようにするから……!」

 

その優しさと、本気の怒り。

リーファは、ギュッと唇を噛み締め、ハーブティーのカップを持つ手を震わせた。

 

 これ以上、大好きな人たちに嘘をつき続けることはできない。自分の浅はかな計算が、どれほど取り返しのつかない事態を招いてしまったのか、彼女はファミレスで××が本気で怯える姿を見て、痛いほど理解していたのだ。

 

「……ごめんなさい、アスナさん。」

 

 リーファは、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら、深く、深く頭を下げた。

 

「実は……私、××さんには、いかがわしいことなんて一切されてないんです。無理やり手を出されたなんて、全部……私のついた嘘です。」

 

「………………え?」

 

 アスナの口から、間の抜けた声が漏れた。

 奥で作業をしていたエギルの手も、ピタリと止まる。

 

「え、えっと……でも、直葉ちゃん、あの時キリト君に『手を出された』って……。」

 

「リアルで初めて会った帰り道、駅前の人混みで私がいなくならないように、××さんが善意で『手を差し出して』くれたんです。私、それが嬉しくて……自分で彼の手を握って、恋人繋ぎをして帰りました」

 

 リーファは涙を拭いながら、真実を白状した。

 

「……つまり、物理的に手を引かれただけで、変なことは何一つされてないんです。」

 

その言葉の意味を正確に脳内で処理した瞬間。

 

 アスナは「あ、あちゃぁぁぁ……っ」と情けない声を上げ、両手で盛大に頭を抱えてカウンターに突っ伏した。

 

「ちょっと待って……。それじゃあ、キリト君は……直葉ちゃんの言葉遊びのせいで、あの無実で善良な男の人を、本気で社会的に(あるいは物理的に)抹殺しようとしてるの……!?」

 

「……はい。この前も、わざわざ××さんのバイト先のファミレスまでバイクで現れて、周囲をものすごい殺気で睨みつけてました……。まだ、何とか鉢合わせてないみたいですけど……。」

 

たまらず、エギルが大きな溜め息をついて額を押さえた。

 

(あのバカ、ただの迷子防止のエスコートを『肉体関係』と勘違いして……。いや、嬢ちゃんも悪いんだが、罪のない一般の大学生を本気で狩ろうとしてんのか。……笑えねえ冗談だぜ。)

 

「私、最低です……っ」

 

リーファは、カウンターに顔を伏せて嗚咽を漏らした。

アスナは、呆れ混じりに、けれど優しく彼女の背中を撫でた。

 

「……どうして、そんな嘘をついたの? 一歩間違えれば、彼、本当にキリト君に消されてたわよ?」

 

 問いかけに対し、リーファは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。

 

「お兄ちゃんは過保護だから、普通に『好きな人ができた』って紹介しても、絶対に反対して××さんを追い払おうとする……そう思ったんです。だから、『もう手を出された(深い関係になった)』っていう既成事実を作れば、お兄ちゃんも渋々諦めて、私たちの関係を認めてくれると思って……」

 

それが、恋に盲目になった高校生の、あまりにも浅はかな計算だった。

 

「お兄ちゃんがあんなに本気で激怒するなんて、思わなかったんです。……私のせいで、××さんは本気でお兄ちゃんに殺されかけて。あんなに怯えてるのに、それでも私を許してくれて……っ。」

 

ファミレスで彼が「怒ってないよ」と笑って許してくれた時のことを思い出し、直葉はさらに強く唇を噛み締めた。

 

「あの人は、すごく適当で、軽薄に見えるかもしれないけど……バカみたいに平和で、優しい人なんです。キリト君もアスナさんも大好きだけど、一緒にいると、強くて立派な妹でいなきゃって気を張っちゃう。……でも、あの人の隣でくだらないことで笑い合っている時だけは、私、あの戦場(テラリア)の痛みも全部忘れて、ただの『普通の女の子』でいられるんです。」

 

その悲痛なまでの、泥臭くて重たい愛情。

なりふり構わず一人の男を求めて涙を流す彼女の姿を見て、アスナの心は大きく揺れ動いた。

 

「……一言だけ、いいか?」

 

静寂の中、エギルが低く、温かい声で口を開いた。

彼は新しいおしぼりをリーファの前に差し出すと、優しく微笑んだ。

 

「お前さんのやったことは、たしかに危なっかしい火遊びだ。一歩間違えれば、あの青年は本当に現実(リアル)でキリトに潰されてたかもしれない。」

 

「はい……っ」

 

「だがな、リーファ。あの『黒の剣士』に本気で睨まれて、命の危険を感じるほどビビり散らしてるのに、それでもお前さんの傍から逃げ出さずに留まってるんだろ? ……あの青年は、ただの平和ボケした腰抜けじゃねえよ。お前さんのために、腹ァ括ってるんだ。いい男じゃねえか。」

 

大人の男としての、エギルの静かな励まし。

その言葉に、リーファはパァッと顔を輝かせ、アスナもまた「ふふっ」と小さく笑って頷いた。

 

「……ええ。エギルの言う通りね。直葉ちゃんの気持ちは、痛いほど伝わったわ。」

 

アスナは、優しくリーファの涙を指で拭った。

そして、かつての『閃光』としての頼もしい笑みを浮かべた。

 

「キリト君のことは私に任せて。適当に理由をつけて足止めして、あなたたちと鉢合わせないようにしてあげるわ。」

 

「アスナさん……!」

 

「でも、もし彼が少しでも直葉ちゃんを悲しませるような男だったら、私がレイピアで蜂の巣にするからね」

 

 恐ろしい条件だったが、リーファは待っていましたとばかりに、力強く首を横に振った。

 

「アスナさん……ありがとう。でも大丈夫です。××さんは絶対に、そんなことする人じゃありませんから。」

 

「ふふっ、ずいぶん自信があるのね。……そこまで言うなら、私もその『完璧な彼氏』さんが普段どんな人なのか、自分の目で確かめてみたくなっちゃったわ。この前会った時は、キリト君に怯えて逃げ回ってる姿しか見てないもの」

 

「……そう、ですよね。あ、そういえば!」

 

(きた!ここしかない!)

リーファは、アスナのその言葉を待っていたかの様に、涙目のままパァッと顔を輝かせた。

 

「実は明日、シルフ領の浮遊島で彼と会う約束をしていて……アスナさん、キリト君には内緒で、隠蔽魔法を使って私たちのデートを監視してくれませんか?」

 

その淀みない提案を聞いた瞬間。

アスナの背筋に、冷たいものがスッと走った。

 

(……あれ? もしかして……)

 

アスナは、嬉しそうにニコニコと微笑む可憐なシルフの少女を、まじまじと見つめた。

 

(本気で反省して泣いていたのは事実だろうけど……でも、極めて自然な流れでこの『デートの監視』を提案してきた。……まさか、ここまで計算? 私の性格を利用して、彼を品定めさせることで、私が『公認』せざるを得ない状況を作ろうとしているの……?)

もし私が彼を認めて味方になれば、キリト君は絶対に手出しができなくなる。

 

そう、それこそが直葉の真の狙い。

だが、まだアスナはその確信には至らず、いや、敢えて至らせなかった。

 

(……この子、いつからこんなに恐ろしい策士になったの……?)

 

同じ女として、その底知れぬしたたかさにうっすらと戦慄を覚えながらも、アスナは「ええ、いいわよ」と承諾の笑みを浮かべるしかなかった。

 

エギルは、リーファの恐ろしい駆け引きに気づかないフリをして、「俺はグラス磨きに集中するぜ」とそっぽを向いていた。

 

 こうして、大人のマスターが見守る酒場で、黒の剣士の目を盗んだ女性陣だけの『秘密の同盟』が結ばれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それから一時間後。

 

 アスナとリーファがログアウトし、再び静寂を取り戻した店内に、カラン、とドアベルの音が響いた。

 

「……いらっしゃい。悪いが、今日はもう閉めて……って、キリトか。」

 

入り口に立っていたのは、黒の剣士のアバターを纏ったキリトだった。

しかし、その顔にはいつもの余裕はなく、ひどく疲弊しきった様子で、足取りも重い。

 

彼はカウンターにどさりと腰を下ろすと、深い、深いため息を吐き出した。

 

「エギル……悪い、冷たい水を一杯くれ。」

 

「ほらよ。ずいぶんとお疲れだな。またあの青年のことか?」

 

エギルが水の入ったグラスを差し出すと、キリトはそれを一気に飲み干した。

「ああ……。色んなツテを使って調べたあいつが働いているらしいファミレスを張ってるんだが、一向に現れなくてな。ある程度の目星はついているんだが、流石に人が多くて難しいな。今日、直葉がALOにログインしたと聞いたからシルフ領中を飛び回ったんだが、結局二人の姿は見つからなかった。」

 

苛立ちと、妹を心配する焦燥感。

 エギルは、先ほどまでの少女たちの会話を腹の底に隠したまま、静かに口を開いた。

 

「キリト。……お前があの青年を警戒する気持ちはわかる。妹を心配する兄貴としては当然だ。だがな。」

 

 エギルは、カウンターを拭く手を止め、真っ直ぐにキリトの漆黒の瞳を見つめた。

 

「俺から見て、あの青年は……お前が言うような、卑劣で悪意のある人間には見えなかったぜ。」

 

「なに……?」

 

「思い返してみろ。この前ここで対峙した時、あいつは自分の言い分を口にしてただろ。『現実(リアル)で、人混みにはぐれないように手を引っ張っただけだ』ってな。」

 

エギルの言葉に、キリトの眉がピクリと動く。

 

「大人の俺から言わせてもらえば、あいつのあの態度は、嘘をついている奴のそれじゃなかった。……お前、自分の過保護さで頭に血が上って、あいつの言葉を最初から『嘘』だと決めつけて、聞く耳を持たなかったんじゃないか?」

 

「…………」

 

キリトは、ハッとしたように息を呑んだ。

脳裏に蘇る、あの夜の光景。

あの時、××は圧倒的なステータス差と殺気に本気で怯えながらも、必死に『誤解だ』と説明しようとしていた。もしあれが本当に、ただ迷子にならないように手を引いただけの親切だったとしたら?

 

「……俺は……。」

 

 キリトは、自分の両手を見つめた。

 SAOのデスゲームで培われた『敵を排除する』という本能。それが、現実世界の、しかも妹の恋愛というデリケートな問題において、最悪の形で暴走してしまっていたのではないか。

 

「俺は、また……早とちりをして、直葉を悲しませたのか……?」

 

 キリトの声のトーンから、あのバーサーカーのような殺意がスッと抜け落ちていく。

 完全に矛を収めたわけではない。しかし、エギルの大人の視点による冷静な諭しが、間違いなく英雄の頭をクールダウンさせていた。

 

「ま、焦るな。本当に悪い奴なら、そのうち必ずボロを出す。今は少し、冷静に周りを見てみることだな。」

 

「……ああ。そうだな。……ありがとう、エギル。」

 

 キリトは、少しだけ憑き物が落ちたような顔で、再び深く息を吐き出した。

 エギルは「どういたしまして」と笑いながら、グラスを磨き直す。

秘密の同盟を結び、監視デートへと向かう少女たち。

そして、少しだけ冷静さを取り戻し、真実を見極めようとし始めた最強の兄。

 それぞれの想いが交差するアルヴヘイムの夜は、静かに更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いかがでしょうか?
やっぱエギルさんなんですよねぇ〜。

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