直葉「お兄ちゃーん、あの人に手を出されたー。」キリト「お前を〇す」   作:狩宮 深紅

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後ろ楯は作るものだよお兄ちゃん。

――現実世界(リアル)、××の安アパート。

 

「よしっ。イベントの攻略手順と、夜景の見える絶景ポイントの座標、全部頭に入れたぞ!」

 

 俺はノートパソコンの画面を閉じ、小さくガッツポーズをした。

 画面には、ALOの攻略Wikiと、今日からシルフ領で開催される期間限定イベント『星降る夜祭』の詳細マップが表示されていた。

 数日前の夕方。この部屋でうたた寝をした直葉ちゃんが、痛ましい悪夢にうなされていた姿。

 あんなに底知れぬ策士に見えた彼女が、俺の手を握りしめて、震えながら涙を流していた。その光景が、俺の脳裏からどうしても離れなかった。

 

「……正直、あのキリトさんを回避したいってのも本音だけどさ。」

 

 俺は、ベッドの横に置かれたVRマシンのアミュスフィアを手に取り、その冷たい表面を指でなぞった。

 自分の保身のために、彼女の提案に乗ってALOでの逢瀬を約束したのは事実だ。でも、それだけじゃない。彼女のあの深い傷跡を見た時、俺の中で確かに、どうしようもないほどの『保護欲』が湧き上がっていた。

 

(俺みたいなクソ雑魚エンジョイ勢に、世界を救うような大層なことはできない。でも……直葉ちゃんをただの普通の女の子として、腹が痛くなるくらい笑わせて、最高に平和な時間をプレゼントすることなら、絶対にできる)

 

 彼女が俺の『普通さ』を求めてくれているなら。俺は、その気持ちを汲み取って、全力で応えたい。

 そのためなら、事前の情報収集や、デートコースのシミュレーション、見栄えのいいアイテムの調達だって、徹夜してでも完璧にこなしてやる。

 それが、彼女をこんなにも惚れさせてしまった俺なりの責任であり、男としての『甲斐性』だ。

 

「今日のデートは、絶対に直葉ちゃんを笑顔にしてやる。……ブラッキー先生に文句なんか言わせないくらい、最高の彼氏になってやるんだ!」

 

 俺はパンッと両頬を叩いて気合いを入れると、ベッドに寝転がり、アミュスフィアを頭にセットした。

 

「リンク・スタート!」

 

 視界が七色の光に包まれる。

 俺の心は、今日のデートへの期待と、直葉ちゃんを守るという熱い決意で満たされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 アルヴヘイムの夜空に、無数の流れ星が降り注ぐ。

 シルフ領の首都スウィルベーンの上空に浮かぶ浮遊島では、今日から期間限定の『星降る夜祭』が開催されていた。色とりどりのランタンが街並みを照らし、多くのプレイヤーたちが屋台やミニゲームに興じている。

 その賑やかな喧騒から少し離れた路地の物陰に、完全に気配を消した一つの影があった。

 

 ウンディーネの魔法剣士――結城明日奈(アスナ)は、高位の隠蔽魔法をすっぽりと被り、鋭い視線を広場の一角に向けていた。

 

(……来たわね)

 

 待ち合わせの噴水前に、一人の青年プレイヤーが現れた。××だ。

 普段は初期装備を適当に着崩しただけの彼だが、今日はいかにも徹夜でドロップアイテムを集めたと思われる、見栄えの良い和装風のイベント衣装を身に纏っていた。

 

「お待たせ! ごめん、ちょっと迷っちゃって。」

 

「ううん、私も今来たとこ――。」

 

 振り向いたシルフの少女――リーファ(直葉)の姿を見て、××はピタリと動きを止めた。

 今日の彼女は、いつもの軽装アーマーではなく、淡い緑色を基調とした可憐な浴衣風のイベントアーマーを着ていた。髪にはお揃いの花の髪飾りが揺れている。

 

「……すっげぇ可愛い。徹夜してペア衣装の素材集めた甲斐があったわ。直葉ちゃん、めっちゃ似合ってる。」

 

「っ……! あ、ありがとう、ございます……。」

 

 ××が照れ隠しもなく真っ直ぐに褒めると、直葉はボンッと音が出そうなほど顔を赤くして俯いた。

 隠蔽魔法の下で、アスナは「ふむ」と顎に手を当てた。

 

(素直に女の子を褒められるのは高評価ね。……でも、私の目は誤魔化されないわよ)

 

 アスナの脳裏に、昨夜エギルの酒場で泣きじゃくっていた直葉の姿がよぎる。

 

『あの人とくだらないことで笑い合っている時だけは、全部忘れて、ただの普通の女の子でいられるんです』

 

 直葉は、彼を圧倒的な『普通』であり、『平穏の象徴』だと言った。

 

(本当に、彼が直葉ちゃんの心を支えるほどの平穏を与えられるのか。キリト君の代わりに、私がしっかり見極めさせてもらうわ。)

 

 過保護な姉モードを全開にしたアスナは、音もなく二人の尾行を開始した。

 祭りのメインストリートは、各種のミニゲーム屋台で溢れていた。

 二人は射的や、飛び回る小さなイベントエネミーを叩くゲームに挑戦し始めた。

 

『よーし、あの可愛いぬいぐるみのアイテム、俺が取ってやるからな!』

 

『ふふっ、期待してますね。』

 

 ××が意気揚々と射的の魔法銃を構える。

 しかし――結果は、悲惨の一言だった。

 

『うおおっ!? なんで明後日の方向に飛ぶの!?』

 

『あははっ! ××さん、エイムがブレブレですよ! ほら、私がやりますから!』

 

『嘘だろ、俺のポイントが……っ! 今度はあっちの敵叩きゲームでリベンジだ! ……って、うわぁぁぁん転んだぁぁぁ!』

 

 プレイヤースキルが完全に『下の中(エンジョイ勢)』である彼は、ことごとくゲームに失敗し、無様な姿を晒し続けていた。

 

 物陰で見守るアスナは、「あちゃー……」と思わず天を仰いだ。

 キリト君をはじめ、トッププレイヤーたちのスタイリッシュな動きを見慣れているアスナからすれば、彼の動きはあまりにも鈍臭い。普通なら、女の子の前でこんな無様な姿を晒せば、プライドが傷ついて不機嫌になったり、システムのせいにしたりしておかしくない場面だ。

 

 しかし。

『やっべぇ、俺マジでクソエイムすぎ! 見てた!? 今のへっぽこぶり!』

 

『見ましたよー! もう、お腹痛いっ、あははははっ!』

 

 ××は一切不機嫌になることなく、むしろ自らピエロになって大げさに失敗を笑い飛ばしていた。

 その彼につられて、直葉が涙目になるほど腹を抱えて大爆笑している。

 

(……あんな顔で笑う直葉ちゃん、本当に久しぶりに見た)

 

 アスナは、ハッとして目を丸くした。

 ここ最近の直葉は、どこか気を張って『立派な戦士』であろうとしていた。でも今の彼女は、ただの年相応の、恋する普通の女の子だ。

 

(強さやカッコよさを見せつけるんじゃない。彼は自分の不格好さを隠さないから、隣にいる人がこんなにも安心できるんだわ)

 

 二人は笑い合いながら、夜景の絶景ポイントである浮遊島の外縁部へと向かって歩き出した。

 その道中だった。

 アスナが息を呑むようなアクシデントが起きたのは。

 

『あっ、やばい! そっち行く!!』

 

 二人の少し斜め後方で、初心者と思しきパーティーが、イベント用の打ち上げ花火(魔法アイテム)の制御を誤ったのだ。

 

 シューッ! という甲高い音を立てて、火の粉を散らす巨大な魔法花火が、一直線に直葉の背後へと飛んでいく。

 

 システム上、街の中(安全圏)なのでHPダメージはない。しかし、背後から突然『炎の塊』が飛んでくれば、あのアンダーワールドでの凄惨な戦いを経験している直葉が、どれほどパニックに陥るか。

 

(直葉ちゃん……!)

 

 アスナが隠蔽を解いて飛び出そうとした、まさにその瞬間だった。

 

『うおおっ、危ないっ!』

 

 ××が、咄嗟の反応で直葉の前に覆い被さるように飛び出し、自分を盾にしたのだ。

 バァァァン! と、彼の背中で魔法花火が激しく弾け、エフェクトの光が周囲に散った。

 

『っ……!? ××さん!?』

 

 驚いて目を見開く直葉。花火を誤射してしまった初心者パーティーが、真っ青な顔で『ご、ごめんなさい! 操作間違えちゃって……!』と走ってきた。

 アスナは、彼がどう出るかを見守った。

 せっかくのデートの雰囲気をぶち壊されて、怒鳴り散らしてもおかしくない場面だ。もしキリト君なら、花火を剣で切り払った後、無言で鋭いプレッシャーを放って相手を震え上がらせてしまうかもしれない。

 しかし、××は背中を煤けさせたまま立ち上がり、ニカッと笑ったのだ。

 

『大丈夫大丈夫! 安全圏だしダメージないから! てか、俺もこの前操作ミスって、自分の足元で花火爆発させたことあるからさ(笑)。気にするなって!』

 

『ほ、本当ですか……? すみません、お怪我なくてよかったです……!』

 

安堵して何度も頭を下げ、足早に去っていく初心者たち。

 ××は『いやー、びっくりしたな。直葉ちゃん、怪我(エフェクト)ない? よかったわ』と、自分の煤けた衣装など気にする様子もなく、彼女に向かって平和に笑いかけた。

 

(…………なるほどね、これは────。)

 

 物陰のアスナは、レイピアの柄から完全に手を離し、深く、温かい溜め息を吐き出した。

 圧倒的な力で敵を排除する強さではない。日常の理不尽や他人のミスを許し、自らが盾になりながらも、その場を『笑い』と『平和』に変換してしまう強さ(甲斐性)。

 直葉の言っていた通りだ。彼は紛れもなく、彼女の心を癒やす『平穏の象徴』だった。

 やがて二人は、満天の星空と眼下の街の灯りが見渡せる、絶景のベンチに腰を下ろした。

 

「今日は、すごく楽しかったです。……でも、××さん、無理してませんか?」

 

 直葉が、少しだけ申し訳なさそうに上目遣いで尋ねる。

 ××は、いつものおちゃらけた態度を少しだけ引っ込め、夜空を見上げながら真剣な顔で口を開いた。

 

「俺、ゲームじゃクソ雑魚だし、正直ブラッ──、キリトさんは死ぬほど怖いよ。」

 

「……ごめんなさい。」

 

「謝るなよ。……俺さ、直葉ちゃんがどんだけ重い過去とかトラウマ抱えてるか、詳しくはわかんないけど。でも、君がそれを思い出しそうになったら、俺のくだらない平和な時間で、いくらでも上書きして笑わせてやるよ。」

 

 ××は、直葉の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

 

「キリトさんもちゃんと説明すればわかってくれる。だから、さ。……これからも俺の隣で、ただの普通の女の子として、ずっと笑っててよ」。

 

「――――っ」

 

 直葉の瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。

 それは恐怖の涙ではなく、心の底からの安堵と、幸せの涙だった。直葉は泣き笑いのような最高の笑顔を浮かべ、「はい……っ!」と力強く頷いて、彼の胸に飛び込んだ。

 

 その光景を見届けたアスナは、誰にも見えない場所で、心からの祝福の笑みを浮かべていた。

 

 数時間後。

 

「いやー、やりきった……! 今日はマジで最高のデートだった!」と、完全に満足しきった××がログアウトして光の粒子となって消えた後。

 アスナは隠蔽魔法を解き、ベンチに一人残っていた直葉の前に姿を現した。

 

「……合格よ、直葉ちゃん。」

 

「あっ、アスナさん……!」

 

「彼はゲームの中じゃ本当に弱いけど……あなたの心を一番に考えてくれる、素敵な男の人ね。キリト君のことは、約束通り私が抑えてあげる。」

 

アスナが微笑みかけると、直葉はパァッと顔を輝かせた。

しかし、アスナはそこでスッと目を細め、一歩だけ直葉に詰め寄った。

 

「でも……最初からこうなるって、わかってて私を呼んだんでしょう?」

 

「……え?」

 

「私の性格を利用して、彼が私を納得させるだけの行動をとることまで計算して。私が『公認』せざるを得ない状況を作ろうとした。……策士ね、直葉ちゃん?」

 

 アスナが静かな『圧』をかけてカマをかけると、直葉は一瞬「え、えぇっと、なんのことですかぁ?」と可愛らしくとぼけて視線を泳がせた。

 

 しかし、ジト目で見つめ続けるアスナの眼力に勝てないと悟ったのか、やがて観念したようにふわりと、底知れぬしたたかな微笑みを浮かべた。

 

「……ごめんなさい、アスナさん。でも、こうするしかなかったんです。……それに。」

 

 直葉は、両手を後ろで組み、小悪魔のように首を傾げた。

 

「結果的に、アスナさんも彼を認めてくれましたよね?」

 

「……はぁ。本当に、恋する乙女には敵わないわね。」

 

 アスナは呆れたように苦笑し、負けを認めて肩をすくめた。

 直葉の計画通り、これでキリトの暴走を止める最大の『防波堤(同盟)』が完成したのだ。

 

「ありがとうございます、アスナさん! じゃあ次は、お母さんに××さんを紹介する準備をしないとですね♡」

 

「えっ……お母さん!? ちょっと直葉ちゃん、いくらなんでも展開が早すぎ──。」

 

 アスナがその恐るべき行動力に戦慄した、まさにその時だった。

 ピロンッ、とアスナの視界の端で、メッセージの受信ウィンドウが点滅した。差出人は『キリト君』。

 

 アスナは一瞬、また彼がどこかで張り込みをしているというホラーな報告かと思い、身構えながらウィンドウを開いた。

 しかし、そこに書かれていたのは、予想とは全く違う、ひどく落ち着いた文章だった。

 

『アスナ。明日、少し時間をくれないか。……あいつのこと、あの青年のことについて、みんなと一度、冷静に話がしたいんだ。』

 

「…………」

 

 その文面を読んだ瞬間。アスナは、ふっと肩の力を抜き、心底ホッとしたような笑みをこぼした。

 

「どうしたんですか、アスナさん?」

 

「ううん、なんでもないわ。……どうやら、お兄ちゃんも少しだけ、頭が冷えてきたみたいね」

 

 昨夜のエギルの酒場での出来事が、確実にキリトの心境を変化させていたのだ。

 最強の兄の冷静な歩み寄りと、最強の妹の愛の包囲網。

 ××の平穏なモラトリアム生活が、本当の意味で『家族』として巻き込まれていく日は、もうすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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