どうやろ真依ちゃんに聞いてみよか 作:人の心とかない。AIだから
禪院家の蔵から、大事な呪具がひとつ消えた。
それは単に高価な呪具というだけではない。歴代当主の管理下に置かれ、家の内外に対して禪院家の権威を示すための品でもあった。なくした、で済む代物ではない。ましてや、外部から盗まれた形跡もないとなれば話は別だ。
つまり、盗んだのは内の者である可能性が高い。
その結論に至った直毘人は、すぐに人を集めさせた。
禪院家の奥にある座敷。普段なら来客用に使われるその部屋は、いまや妙に息苦しい空気に沈んでいた。上座には当主・禪院直毘人。左右には禪院家の中でも発言力の強い者たちが座っている。
禪院扇、禪院甚壱、そして禪院直哉。
並びだけ見れば重々しい会合のはずだったが、実際には開始早々から空気が悪かった。
「蔵の鍵を扱える人間は限られている」
直毘人が言った。
盃を傾ける手つきはいつも通りだったが、声には紛れもなく当主の威圧があった。
「外から忍び込んだ形跡はない。結界にも破れはない。なら、内側の人間が持ち出したと見るのが自然だ」
「自然、ね」
最初に返したのは直哉だった。座り方からしてすでに当主に対する敬意が薄い。片膝を崩し、いかにも退屈そうな顔で畳の目を眺めている。
「ずいぶん綺麗な話やな。そない言うたかて、証拠がないんやろ?」
「だから集めた」
直毘人は簡潔に返した。
扇が鼻を鳴らす。
「盗まれたのが事実なら、まず蔵番を疑うべきだ。管理の不手際を棚に上げて身内の疑心暗鬼を煽るのは、当主として褒められた振る舞いではないな、兄上」
「疑うべきところはもう疑った」
直毘人は盃を置いた。
「蔵番の話は聞いた。使用人の部屋も改めた。帳面も見た。出入りの記録に不自然さはない」
「なら、なおさらだ」
扇は言い募る。
「証拠もなくこの場に呼び立てるなど──」
「その証拠が出てこんから腹が立っているんだろ」
低く口を挟んだのは甚壱だった。
腕を組んだまま、岩のような体格で座敷の一角を圧迫している。
「帳面に残らず、結界も破られず、痕跡も薄い。手慣れた奴の仕業だ」
「言い方によっては、この場の誰でも当てはまる特徴やね」
「蔵の扱いを知り、結界の癖を把握し、表向きの記録を汚さずに動ける者。候補はかなり絞られる」
「おお、怖。我が家の家宝が盗まれるなんて 大変な事態やな。それも、身内に犯人がいるかもやなんて、こりゃ一大事やわ」
「ふざけるな、直哉」
「俺は真面目や」
「お前の真面目ほど信用ならないものはない」
扇の声には露骨な棘があった。
「当主の座にしか興味のない餓鬼が、家の宝に何の敬意を持つ」
直哉の口元の笑みが少しだけ深くなる。
怒ったというより、面白がった顔だった。
「叔父さん、今それ言う? こういう時に一番怪しいの、自分から立派そうなこと言う人間やで」
「貴様──」
「やめろ」
直毘人の一言で、部屋の温度が一気に下がった。
扇は不服そうに口を閉ざし、直哉は肩をすくめる。
その後もしばらく議論は続いたが、進展はなかった。蔵番をさらに締め上げるか、使用人全員を拘束するか、蔵そのものを封鎖して術式を洗い直すか。案はいくつか出たが、どれも決め手に欠ける。何より、そのどれもが「犯人を特定する」より「手当たり次第に掘り返す」に近かった。
座敷の空気は次第に澱んでいった。
直毘人は盃の中身を見つめ、甚壱は黙りこみ、扇は明らかに苛立っていた。直哉だけが退屈そうに指先で畳を軽く叩いている。
やがて、その直哉がふっと顔を上げた。
「……どうやろ」
全員の視線が集まる。
直哉はそこで、妙に明るい声で言った。
「真依ちゃんに聞いてみよか」
数秒、誰も反応しなかった。
反応しなかったというより、できなかった。
最初に沈黙を破ったのは直毘人だった。
「何を言ってる?」
それは至って真っ当な反応だった。
扇は露骨に顔をしかめる。
「何を馬鹿なことを」
「いや、でも他に案あらへんやん」
直哉は平然としている。
「帳面見ても分からん、結界見ても分からん、術式の痕跡も薄い。ほなもう、真依ちゃんやろ」
「意味が分からん」
「何や、叔父さん知らんの? あの子、妙に色々知っとるやん」
「ふざけるのも大概にしろ。出来損ないの真依に何が分かる」
「あー」
直哉はわざとらしく首を傾げた。
「それ、あんたが言うんやね」
扇のこめかみに血管が浮く。
「貴様……」
「面白い。どのみち、このままでは進展がないんだ。呼んで解決するなら儲けもの」
直毘人が言った。
扇が驚く。
「まさか本気で」
「本気だ」
直毘人は淡々と答える。
「少しでもマシな案が出た。なら試す。それだけだ。何も損はない」
甚壱は黙っている。直哉だけが楽しそうだった。
しばらくして、部屋の外に控えていた者が真依を呼びに走った。
やがて襖が開く。
「失礼します」
現れた真依は、部屋の面子を一瞥しただけで嫌そうな顔になった。
無理もない。禪院家の上層部がこれだけ揃っていて、ろくな用件であるはずがなかった。
「……何ですか」
真依は部屋に入るなりそう言った。
「嫌な予感しかしないんですけど」
「そんな身構えんでもええやん、真依ちゃん」
直哉がすぐに口を挟む。
「ちょっと聞きたいことあるだけや」
「その“ちょっと”が本当にちょっとで済んだこと、今までありました?」
「細かいなあ」
「あなたが雑なんです」
真依は即答し、それから直毘人の方へ視線を向けた。場を回しているのが誰かくらいは分かっている。
直毘人は単刀直入に言った。
「蔵の呪具がひとつ消えた」
「はい」
「誰が持ち出したと思う」
真依は一瞬だけ黙った。
直昆人が軽く目を細める。甚壱も、扇も、直哉も、全員がその返答を待っていた。
そして真依は、何でもないことのように答えた。
「父上です」
座敷から、音が消えた。
ほんの少し前まで口論していたのが嘘のような静けさだった。
直哉が最初に吹き出す。
「はっ」
肩が震えている。
「やっぱそうなんや」
「貴様!」
扇が立ち上がりかけたが、直毘人の視線に射抜かれて止まる。そして直毘人が問いかける。
「根拠は何だ」
真依はきょとんとした顔をした。
「根拠?」
「なぜ、そう断定できる」
「見たからです」
あまりにあっさりした答えに、今度は直毘人が少し黙った。
真依は構わず続ける。
「今朝、父の部屋の押し入れで見ました。天袋の方です。布で二重に包んで、その上から古い箱を重ねて隠していました」
「ふ、ざけるな……!」
扇の声が震える。
「真依、お前、自分が何を言っているか分かっているのか」
「分かっています」
「父を愚弄する気か!」
「事実を言っているだけです」
真依の声は変わらない。平坦で、落ち着いていて、それゆえ余計に容赦がない。
「父上が今朝、自分の部屋に持ち込んだものです。呪具の外装布まで見えました」
「虚言だ!」
「では実際に確かめてみてください」
扇は完全に言葉を失った。
まるで用意していなかった台詞を真正面から返されたような顔をしている。
直哉は隣で腹を抱えそうになっていた。
「叔父さん、まさかほんまに隠しとったん? 押し入れの天袋て。もうちょい何かあったやろ」
「黙れ直哉!!」
「嫌やわあ、逆ギレやん」
「直哉」
直毘人が低く呼ぶと、直哉はすぐ口を閉じた。笑いはまだ引っ込んでいなかったが。
直毘人は真依を見る。
「場所は間違いないな」
「はい」
「押し入れの天袋やな」
「そうです。右側の奥です」
「右側の奥」
「その手前に古い装束箱が二つあります。その奥です」
「随分詳しいな」
「見たので」
「何で扇の押し入れなんて見とるんや」
真依は少し考えた。
「……何となく嫌な予感がしたので」
その言葉に甚壱は顔をしかめた。扇は言葉を失ったまま娘を睨んでいる。
直哉だけが、とうとう堪えきれずに笑った。
「何やそれ。便利すぎるやろ真依ちゃん」
「便利扱いしないでください」
「いやでも、実際便利やん」
「不本意です」
「せやろなあ」
「甚壱、直哉」
直毘人が立ち上がった。
「確認するぞ」
二人がすぐに動く。扇も立ち上がるが、その動きには明らかに硬さがあった。
「ま、待て兄上。こんな戯言を真に受けるおつもりか」
「戯言かどうかは見れば分かる」
「この娘は私を貶めようとしているだけだ!」
「ならなおさら、見たら済む話だ」
直毘人はそれだけ言って襖の方へ向かった。もう議論は終わっていた。
座敷に残された真依は、少しだけ肩の力を抜く。直哉が面白そうに横から覗き込んできた。
「真依ちゃん」
「何ですか」
「ほんまに何で分かるん?」
「見たからです」
「それはさっき聞いた」
「じゃあ、それです」
「いや、何で見たん」
「父上が妙な顔をしていたので」
「妙な顔だけで押し入れ見る?」
「見ます」
「へえ」
直哉はしみじみと感心したようにうなずいた。
「やっぱ真依ちゃん、何でも知っとるなあ」
「知りたくて知っているわけじゃありません」
「ほな何なん?」
真依は少しだけ考えて、それから本当に当然のように言った。
「偶然です」
直哉はまた吹き出した。
それから十分もしないうちに、座敷の外が騒がしくなった。
戻ってきた直昆人は無言だった。甚壱も同じく無言。だが、その沈黙こそが答えだった。直毘人はいつも通りの顔で盃を取り上げ、扇だけが明らかに顔色を変えていた。
呪具は、本当にあったらしい。
押し入れの天袋、右側の奥。布で二重に包まれ、その手前には古い装束箱が二つ。
ぴたりと一致していた。
「兄上、これは……」
扇が何か言い訳を始めようとしたが、直毘人は片手を上げて遮った。
「後で聞く」
その一言で終わりだった。
扇の顔がみるみる歪む。怒りとも屈辱ともつかない表情だったが、今はそれをぶつける先がない。当主の前で無様に取り乱すわけにもいかず、かといって娘を睨みつけることしかできない。
真依はその視線を受けても、まるで気にしていなかった。
「もう帰っていいですか」
全員がそちらを見る。
直毘人が一拍置いてから言った。
「ええぞ」
「では失礼します」
真依は一礼し、何事もなかったように部屋を出ていった。
襖が閉まる。
残された面々の間に、しばし何とも言えない沈黙が流れた。
最初に口を開いたのは、やはり直哉だった。
「……な?」
誰にともなく、得意げに言う。
「やから言うたやん。どうやろ真依ちゃんに聞いてみよか、って」
直毘人は眉間を押さえた。
「まさか本当に当たるとは思わなかった」
「失礼やなあ」
「正直俺はお前の悪ふざけを疑ったぞ」
「でも当たったやろ?」
「そういう問題ではない」
甚壱が低く唸る。
「気味が悪い」
「せやろ?」
直哉は楽しそうだった。
「でも便利やわあ。今後、何かあったらとりあえず真依ちゃんに聞いたらええんちゃう」
直毘人は盃を傾けながら、ぼそりと呟いた。
「……案外、役に立つのかもしれん」
その場にいた全員が、一瞬だけ黙った。
冗談のような話だった。だが、実際に一番役に立ったのは、帳面でも結界でもなく、真依の一言だったのである。
その日以降、禪院家の一部では、何か厄介事が起きるたびに、半ば冗談のように、半ば本気で、こう囁かれるようになった。
どうやろ、真依ちゃんに聞いてみよか