どうやろ真依ちゃんに聞いてみよか 作:人の心とかない。AIだから
長寿郎は、静かに目を閉じた。ここまでは順調だった。少なくとも、少し前まではそう思っていた。
扇は扱いやすい駒だった。あの男には焦りがあり、劣等感があり、何より自分が不当に扱われているという思いが強かった。そういう人間は、正面から命じるよりも、少しずつ言葉を置いてやる方がよく動く。家の中での立場、当主への不満、自分こそ正当に評価されるべきだという感覚──そのあたりを軽く撫でるだけでいい。方向だけ与えれば、あとは自分で勝手に理屈を整えて動く。長寿郎はそれをよく知っていたし、実際、扇はその通りに動いた。
家宝の持ち出し自体が目的のすべてではなかった。むしろ、目立つ騒ぎを起こすことの方が重要だった。大きなものが一つ消えれば、視線はそこに集まる。皆がその一点ばかりを見るようになれば、その陰で他のものを少しずつ抜いていくことができる。倉に収められているのは、家宝のように分かりやすく価値の高いものばかりではない。低級の呪物、記録の類、単体では大した意味を持たない備品も多い。だが、そういうものでも組み合わせ方次第で価値は変わる。外に流せるもの、使い道のあるもの、術式の理解や細工に繋がるものを選んで持ち出せば、それは十分な準備になる。長寿郎はずっとそうしてきた。時間をかけて、気づかれないように、数を狂わせすぎないように、慎重に。
だからこそ、家宝が見つかるのはもっと先になるはずだった。本来なら、混乱はもう少し長引く。誰が持ち出したのか分からないまま疑心暗鬼が広がり、その間に倉の中をさらに整理できる。長寿郎の想定ではそうだった。数日、あるいはそれ以上、騒ぎは尾を引くはずだったし、その間にあといくつかは抜けるはずだった。少なくとも、自分が必要としているところまでは届くつもりでいた。
だが、実際にはそうならなかった。見つかるのが早すぎた。あまりにも、拍子抜けするほどに。
あれだけ短い間で家宝の所在が割れるのはおかしい。探し方が早いというだけでは説明がつかない。まるで最初から場所に見当がついていたかのような、そんな運びだった。長寿郎はその時点で薄く違和感を抱いたが、だからといってそこで動きを変えられるほど余裕があったわけではない。結果として混乱は想定よりもはるかに早く収束し、どさくさに紛れてさらに持ち出すつもりだったものには手をつけられなくなった。まだ足りない。組み方としては成り立つが、余裕がない。もう少しあれば選択肢が広がる、その「もう少し」が取れないまま、流れだけが変わってしまった。
そこへ来て、今度は直哉が動いた。
あのやり方は、長寿郎にとってもさすがに想定外だった。位の低い使用人から順に百人を目隠しのまま捕縛し、その中の一人を見せしめに痛めつける。表向きは扇の自作自演に協力した者を炙り出すため、といった理屈だったのだろうが、実際に見ていれば、狙いがそれだけでないことはすぐに分かる。外と繋がっている人間、あるいは外部の呪詛師と通じている者までまとめて拾おうとしている。その方向性自体は、乱暴ではあっても間違ってはいない。恐怖を植えつけて解放すれば、その後の行動に歪みが出る。秘密を抱えている人間ほど、その歪みは大きくなる。直哉はおそらくそう考えたのだろう。
理屈としては分かる。だが、やりすぎだった。
圧が強すぎる。範囲が広すぎる。その結果、関係のない人間まで一様に怯え、警戒し、動きを変えるようになった。裏切りを抱えているから動きが歪むのではなく、ただ恐怖のせいで誰も彼も同じように歪む状態になってしまったのだ。そうなれば、観察できるのは「全員が怯えている」という事実だけで、そこから先の区別がつかなくなる。選別のための圧が、逆に全体を均一にしてしまう。長寿郎はそこまで考えて、内心で舌打ちした。粗いだけの小僧だと思っていたが、粗いなりに面倒なところへ踏み込んできた。
そして実際、そのせいで長寿郎自身もしばらく動けなくなった。本来であれば、家宝の件が片づいたあと、もう一度倉に入り、あと二つか三つ、必要なものを抜くつもりでいた。そこまで取れれば形になる。少なくとも、夏油と交わした約束を進めるには十分な段階に入れる。だが今は無理だ。誰が見ているか分からない。露骨な監視があるわけではなくても、空気が違う。皆が皆、次に何が起こるかを気にして息を潜めている。そういう時に動けば、それだけで浮く。浮けば拾われる。たとえ証拠にまではならなくとも、疑いの種にはなる。
長寿郎は、静かに呼吸を整えた。焦りはない。少なくとも、自分ではそう判断している。計画が完全に崩れたわけではない。少し遅れただけだ。扇は使い潰しても構わない駒だったし、家宝が早く見つかったのは誤算だったが、それだけで全てが終わるわけではない。直哉のやり方も、長く続けられるものではない。いずれ揺り戻しは来る。その時まで待てばいい。今は無理に動かず、周囲が落ち着くのを待ち、そのあとで必要な分だけ取り返せばいい。そう考えること自体は、長寿郎にとって自然なことだった。
ただ一つ、長寿郎にとって不気味だったのは、家宝が見つかった早さそのものではなく、その過程だった。誰が口を出したのかは、もう知れている。禪院家の中では、何かあるたび半ば冗談のように「どうやろ、真依ちゃんに聞いてみよか」と囁かれるようになっていたし、今回も実際にその流れで家宝の所在が割れた。だから、真依が関わったこと自体は分かっている。
分からないのは、その中身だ。
あの娘が何を根拠に言っているのか、長寿郎には見当がつかない。帳面を見たわけでも、蔵を改めたわけでもなく、術式の痕跡を辿った様子もない。それなのに、結果だけが妙に正確に出る。あれが単なる偶然ならまだいい。勘が良かった、たまたま当たった、それだけで済む。だが、一度ではない。しかも今回のように、隠しておく時間があると思っていたものをあっさり掘り返されると、偶然で片づけるには気味が悪い。
もっとも、だからといって今すぐ真依をどうこうできるわけでもない。あの娘が実際に何を見ているのか、どこまで届いているのか、それが分からない以上、むやみに刺激する方が危うい。ならば今は、余計な手を打たずに様子を見るしかない。長寿郎はそう判断していた。
長寿郎は、そう信じていた。
扇の件から五日が経った日、長寿郎は直毘人に呼び出された。
内容は扇の処罰についてだと、使いの者は簡潔にだけ伝えた。余計なことは何も言わない。だが、それで十分だった。先日の騒ぎが家の中でどう処理されるか、その話し合いに自分が呼ばれたのだと分かる。
長寿郎は、着替えにそれほど時間をかけなかった。もともと派手な身なりを好む方ではないし、こういう場で余計な印象を与えるのは得策ではない。いつも通りの格好で、いつも通りの速度で歩く。それだけでいい。気負いも、苛立ちも、表には出さない。九十年も生きていれば、その程度のことは身体が先に覚える。
廊下を進みながら、長寿郎は静かに考える。
扇の処罰そのものは驚く話ではない。家宝の持ち出しが表に出た以上、あの男が無傷で済むはずはなかった。問題は、その処罰がどこまで扇個人の責任として処理されるか、だ。もしここで話が扇一人に収束するなら、それはそれで悪くない。あの男はもともと使い潰すつもりでいた駒だ。必要なら切り離せばいい。実際、本人も勝手に膨らませた自尊心のせいで動きが荒い。庇う価値は薄い。
だが、完全に安心する気にもなれなかった。家宝が見つかるのが早すぎたこと、その後に直哉が妙な方向へ動き、さらにそれが止まったこと。その二つが重なった以上、扇の処罰を口実に別のものまで洗われる可能性はある。直毘人がそういう男であることは、長寿郎もよく知っていた。酒にだらしなく、飄々として見えて、その実、見るべきところは見ている。こちらが油断した時ほど、あの男は厄介だ。
襖の前で足を止める。
「長寿郎です」
「入れ」
声は、いつも通りだった。低く、簡潔で、余計な感情の揺れがない。そのことが、かえって長寿郎には気にかかった。
襖を開ける。
座敷には直毘人がいた。直哉はいない。扇もいない。思っていたよりも人が少ないことに、長寿郎は一瞬だけ目を細めたが、顔には出さない。広くもない座敷で、直毘人はいつも通り盃を手にしていた。だが、酒を楽しんでいるという感じではない。手の中で重さを量るように持っているだけだ。
「急に呼び立ててすまんな」
直毘人はそう言った。
口調は軽い。だが、声の芯は緩んでいない。
「いえ」
長寿郎は座る。
「扇の件と聞いております」
「ああ」
直毘人は短く頷いた。
「一応な、家の宝に手をつけた話だ。処分をどうするかは、身内だけで固めておいた方がいい」
「妥当でしょう」
長寿郎は即答した。言い淀む理由はない。ここで扇を庇えば、それこそ不自然になる。
「そうか」
直毘人は盃を軽く揺らした。
「お前はどう見る」
問いは、扇の処罰そのものを聞いているようでいて、少し幅がある。長寿郎はそこで、言葉を選びすぎないよう注意した。選びすぎると、かえって考えていることが透ける。
「表に出た以上、何もなしというわけにはいかないでしょう。軽く流せば、今後の抑えが利きません」
「ふむ」
「ただ、あまり大事にしすぎても、家の中の無様を広げるだけです。処罰は必要ですが、見せ方は選ぶべきかと」
無難な意見だった。厳しさを否定せず、同時に家の体面にも触れる。こういう時の答えとしては悪くない。
直毘人はしばらく黙っていた。それから、ふっと小さく笑った。
「相変わらず、よく見とる」
「長くおりますので」
「それだけで済む話でもあるまい」
そこで初めて、直毘人の視線が正面から長寿郎に向く。軽さの薄い目だった。
長寿郎は何も返さない。
沈黙は、時に答えより役に立つ。
「扇の処罰は、まあどうとでもなる」
直毘人は言った。
「問題は、その先だ」
長寿郎はわずかに首を傾げる。
「先、ですか」
「ああ」
直毘人は盃を置く。
「家宝ひとつ見つかったから終わり、とは思っとらん」
その一言に、長寿郎の内側で何かがわずかに緊張した。だが、外には出さない。呼吸も、視線も変えない。
「……どういう意味でしょう」
「そのままの意味だ」
直毘人は答える。
「扇が一人で騒いだにしては、話が出来すぎとる」
「……」
「蔵のものがひとつ消えた。それだけならまだいい。だが、最初から妙に臭う」
直毘人はそこで言葉を切った。試しているのだと、長寿郎には分かる。こちらがどこで反応するかを見ている。だからこそ、長寿郎は反応しない。
「臭う、ですか」
「お前はそう思わんか」
「扇が浅はかだった、という話なら分かります」
長寿郎は言った。
「もともと隠し通せるような器量のある男ではない」
「そうだな」
直毘人はあっさり認めた。認めた上で、続ける。
「だが、浅はかだからこそ妙なんだ」
長寿郎は沈黙する。
「扇みたいな男が単独で動くなら、もっと粗い。無駄も増える。隠し方にも癖が出る。だが今回は、妙に半端に整っとる」
「……」
「雑なようでいて、雑すぎん。扇一人の仕事にしちゃ、少し座りが悪い」
長寿郎はそこで初めて、ゆっくりと息を吐いた。考えているふりをする必要はない。本当に、考えるべき局面だからだ。
「言われてみれば、そうかもしれません」
慎重にそう返す。
「お前ほど家に長くおる人間なら、そういう違和感は分かるだろ」
直毘人は言った。
「だから呼んだ」
長寿郎は視線をわずかに落とす。ここで否定しても不自然だし、かといって食いつきすぎてもいけない。
「……確かに、扇にしては手際が良すぎる部分はあるかもしれません」
「ほう」
「ただ、それが誰かの差し金だとまでは、今の段階では」
「言い切れんか」
「ええ」
直毘人はそこで、また小さく笑った。
「慎重だな」
「年寄りですから」
「都合のいい時だけ年寄りぶる」
軽口のようでいて、探りは止まらない。
長寿郎は、そこで初めて少しだけ座り方を正した。わざとらしすぎない程度に、相手の話に向き合う姿勢を見せる。
「それで」
長寿郎が言う。
「当主は、扇の件をどうなさるおつもりで」
「しばらくは締める」
直毘人は答えた。
「表立って暴れさせん。口も利かせん。余計な言い訳をさせると面倒だ」
妥当な処置だ。扇を完全に潰すわけではないが、好きに喋らせもしない。長寿郎は内心で頷いた。あの男に余計な時間を与えると、自分を守るために何を言い出すか分からない。
「賢明かと」
長寿郎は言う。
「ああ。ただ」
直毘人の声が少しだけ低くなる。
「扇だけ見て終わる気はない」
その言葉は、今度は明確だった。
長寿郎は視線を上げる。
「……というと」
「まだ何かある」
直毘人は言った。
「そう見てる」
長寿郎は数秒、黙る。ここで下手に驚けば不自然だ。逆に無反応すぎても、冷たすぎる。だから、ごく小さく眉を寄せる程度に留める。
「私には、そこまでは」
「そうか」
直毘人はすぐに引いた。
だが、引いたように見せているだけだということも、長寿郎には分かった。
座敷の空気は静かだった。静かなまま、互いに相手の内側を測っている。長寿郎は、直毘人が今この場で証拠のようなものを持っているわけではないと見ていた。あるのは違和感だけだ。勘と観察、その程度。だからこそ危ういとも言えるが、まだ決定打ではない。
ならば、こちらがやるべきことは一つしかない。
動かないことだ。
扇の処罰について呼ばれたという建前は、その意味では都合がよかった。直毘人がどこまで見ているかを測るには十分だったし、こちらが不用意に口を滑らせなければ、この場はそれで終わる。長寿郎はそう判断していた。
直毘人はしばらく長寿郎を見ていたが、やがて盃を手に取った。
「まあいい。今日のところは、扇の処分だけで済ませる」
「承知しました」
「長寿郎」
「はい」
「お前もしばらく余計なことはするな」
直毘人は何気ない調子で言った。
「家の中が少し騒がしい。年寄りまで慌てると見苦しい」
冗談のような口ぶりだった。だが、長寿郎にはそれが冗談ではないと分かる。
「心得ております」
そう返すしかない。
「ならいい」
そこでようやく、話は終わった空気になった。
長寿郎は一礼して立ち上がる。襖へ向かう足取りは乱さない。背中に向けられる視線も感じるが、振り返らない。そのまま部屋を出て、襖を静かに閉める。
廊下に出てからも、しばらくは歩幅を変えなかった。
直毘人は疑っている。そこまでは間違いない。だが、まだ決め切れてはいない。そうでなければ、さっきの場であれほど回りくどい言い方をする必要はない。つまり、まだこちらは「疑われている側」に留まっている。決定的に踏み込まれたわけではない。
ならば今は、やはり動かないのが最善だ。
長寿郎はそう考えた。
ただ、部屋を離れてしばらくしてから、先日の真依のことがふと脳裏をかすめた。理屈も手順も見えないまま、結果だけを持ってくるあの娘の顔。直毘人の探りよりも、むしろそちらの方が長寿郎には不気味だった。
もっとも、だからといって今できることは変わらない。
待つしかない。
様子を見るしかない。
そう自分に言い聞かせるように、長寿郎は静かに廊下を歩いていった。
だからこそ気づいていなかった。自分が「動かなければ見つからない側」にまだいられると思っていること自体が、すでに甘いのだということに。