どうやろ真依ちゃんに聞いてみよか   作:人の心とかない。AIだから

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【第2話】

 

 禪院家という場所では、生まれた瞬間から人の値打ちは半ば決まっていた。

 

 誰の子として生まれたか。どの術式を持っているか。どれほどの呪力を持っているか。男か、女か。家に何を返せるか。そういったものを順に並べ、秤にかけ、目方の重い者から上に置いていく。そこに情はない。少なくとも、優先されはしない。禪院家にとって大切なのは誰が可愛いかではなく、誰が役に立つかだった。

 

 御三家の名は伊達ではない。強い術師を生み、強い術式を継ぎ、強い者が上に立つ。その理屈自体は、ある意味では単純で、正しいとも言えた。呪いを祓う世界で、力が物を言うのは事実だからだ。力のない者が踏みにじられ、力のある者が前に出る。その残酷さを、禪院家はことさらに飾らなかっただけである。

 

 ただ、その家の「正しさ」は、あまりに身内へ容赦がなかった。

 

 真依は、その秤の上で軽い側に置かれる子だった。

 

 生まれつき呪力は多くない。術式も、家の者たちが目を見張るような華やかさとは縁遠い。おまけに女で、しかも双子だった。禪院家では双子そのものが忌まれた。ひとつのものが二つに割れることは、完成からの劣化と同義に扱われる。まして、その二つのうちどちらも家の期待に応えきれないとなれば、評価は推して知るべしだった。

 

 家の大人たちは、そういうことをわざわざ子どもにも隠さない。隠す必要がないと考えているからだ。価値の低い者が価値の低い自分を自覚するのは、家のためでもある。優しさではなく、効率の問題だった。

 

 そういう空気の中で育った直哉が、真依を下に見るようになるのは、ごく自然なことだった。

 

 直哉は残酷な性質を持っていたが、それだけではない。彼は強さに対して、本気で敬意を抱いていた。強い者が上に立つことを信じ、才能ある術師が尊ばれることを当然だと思っていた。逆に言えば、弱い者が下に置かれることにも、理屈の上では納得していた。そこに禪院家の歪みがある。強さを尊ぶ姿勢そのものは、呪術師としてはむしろ真っ当ですらあるのに、その尺度が人間の価値全体へとそのまま拡張されていた。

 

 直哉にとって、強いというのは美しいことだった。

 

 強い術式。強い呪力。強い在り方。そういうものを持つ者には、たとえ気に入らなくとも一目置く余地がある。逆に、弱く、冴えず、家の看板にもなれない者は、彼の目には酷く醜く映った。

 

 だから真依のような子どもは、直哉にとって最も分かりやすい軽蔑の対象だった。

 

 真希の方はまだ目障りだった。反抗するからである。睨み返してくるし、食いついてくるし、鬱陶しいなりに意思があった。だが真依は違った。表立って噛みついてくることもなく、かといって要領よく立ち回れるほど器用でもない。ただ静かにそこにいて、家の空気に押し潰されないよう息を潜めているように見えた。

 

 そういう子は、直哉の目にはひどく扱いやすく映る。

 

 泣かせるのも、怯えさせるのも、きっと簡単だろうと思えた。自分よりずっと幼く、ずっと弱い。術師としての格も、家の中の立場も、何もかもが下だ。年上の自分に逆らえるはずがない。そういう確信が、あの頃の直哉にはあった。

 

 その日も、ただの暇つぶしに近かった。

 

 屋敷の廊下は静かだった。日が傾きかけた時刻で、人の気配も少ない。真依はひとりでいた。真希の姿はない。使用人も近くにはいない。そういう状況を見つけると、直哉はほとんど考えもせず、そちらへ足を向けた。

 

 真依は廊下の端で座り込むようにしていた。小さな背中は薄く、禪院の子どもというより、どこかに置き忘れられた荷物のように頼りなく見える。あの家では、目立たないことそのものが防御になる。真依はそれを本能的に理解していたのかもしれない。

 

 だが、目立たなさは直哉の興味を引くには十分だった。

 

 強い者を見る時の直哉の目は、鋭くなる。値踏みするようでいて、同時にどこか嬉しそうでもある。だが弱い者を見る時の目はもっと単純だった。つまらなさと、優越と、弄ぶことへの気安さがそのまま出る。

 

 この程度なら、少し脅せばすぐ泣く。そう思った。

 

 何を言ってやろうか、と考える間すら大して必要なかった。家の中には、真依を傷つける言葉などいくらでも転がっている。女だの、出来損ないだの、双子だの、術式が冴えないだの。大人たちが口にする言葉を少し薄めて投げれば、それだけで十分に刺さるだろう。もし足りなければ、肩を小突くなり、腕を掴むなりすればいい。年上の男に乱暴に触れられるだけで、この年頃の子どもはたいてい固まる。

 

 直哉にとって、それはひどく容易いはずのことだった。

 

「何してんの、真依ちゃん」

 

 声をかけると、真依が顔を上げた。

 

 返事はない。

 

 ただこちらを見る。その目に怯えがないわけではない。ただ、泣き出すほどではない。直哉はそれが少し気に食わなかった。

 

「真希ちゃんはおらへんの?」

 

 真依は小さく首を振った。

 

「ふうん。ほな、ひとりなんや」

 

 確認するまでもないことを、直哉はわざわざ口にした。相手が不安になる言い方を知っていたからだ。年上の余裕と、相手の逃げ場のなさをじわじわ見せつけるような声音だった。

 

「なあ、真依ちゃん。ちゃんと分かってる?」

 

 直哉は廊下の柱に軽く寄りかかり、見下ろすように笑った。

 

「君みたいなん、禪院じゃ一番しんどい位置やで。女やろ。双子やろ。しかも術式もしょぼい」

 

 真依は何も言わなかった。

 

「真希ちゃんみたいに反抗する根性もなさそうやしなあ」

 

 返事がない。反抗したところでねじ伏せるだけだが、無視されると腹が立つ。

 

「ほんま、何ができるん?」

 

 その言い方には、純粋な疑問よりも、最初から相手を否定するような残酷さがあった。直哉は弱い相手に問いを投げる時、相手が答えに窮する瞬間まで含めて楽しんでいる。

 

 真依はしばらく黙っていたが、やがて小さな声で言った。

 

「……別に」

 

「別に?」

 

 直哉は笑う。

 

「それ、何もないやつが言う台詞やん」

 

 一歩、近づく。

 

「真希ちゃんの方がまだマシなんちゃう。あっちもむかつくけど、歯向かってくる分おもろい。その点、真依ちゃんはあかんわ。何かこう、見ててもつまらん」

 

 これは嘘だ。直哉は「女は男の3歩後ろ歩いているべき」という思想を持っている。それに照らし合わせれば、むしろ真依の方が好感が持てるはずだ。あえて追い詰めて否定するためにそのように言っただけだ。

 

 近づけば近づくほど、真依の小ささは際立つ。体格も、年齢も、立場も、何もかもが下だった。手を伸ばせば届く。少し乱暴にしたところで、大騒ぎにもならないだろう。そういう確信が、直哉の中でさらに強くなる。

 

「せめて泣くとかしてくれたらええのに」

 

 直哉はしゃがみ込み、真依の顔を覗き込んだ。

 

「なあ。そんな顔して黙ってるだけやと、余計腹立つんやけど」

 

 そう言って、頬に触れる寸前で手を止めた。止めたというより、わざと見せつけるように間を置いた。怯える顔を見たかったのだ。

 

 だが、真依はそこで泣かなかった。

 

 少しだけ視線を逸らしたあと、ぽつりと呟いた。

 

「……右の奥」

 

 直哉の手が止まる。

 

「は?」

 

「部屋の」

 

 真依は相変わらずこちらを見ないまま、小さく続けた。

 

「右の棚の、いちばん奥」

 

 一瞬、意味が分からなかった。

 

 だが次の瞬間には、分かってしまった。

 

 そこには、誰にも知られていないはずのものがあった。

 

 少なくとも直哉はそう思っていた。思っていた、というより、そうでなければ困る。家の中では、力の序列だけでなく、弱みの管理もまた重要だった。強い者は隙を見せない。見せたとしても、格下には知られない。知っていいのは同格か、それ以上だけだ。幼い真依のような子どもが、自分だけの秘密の置き場所に触れるなど、あってはならないことだった。

 

「……何のことや」

 

 声が少し低くなる。

 

 直哉自身、その変化に気づいた。さっきまでの、弄ぶ側の軽さが抜けていた。

 

 真依は答えない。

 

「おい」

 

 今度は少し強めに言う。

 

「何の話してるんか、聞いてるんやけど。答えろや、カス」

 

 真依はようやく直哉を見た。幼い顔だった。幼いままなのに、その目だけが妙に静かだった。

 

「……あるでしょ」

 

「何が」

 

「隠してるの」

 

 あまりにも平たい声だった。

 

 脅しではない。勝ち誇りでもない。ただ知っていることを知っているまま口にしたような、温度の薄い言い方だった。

 

「誰に聞いた」

 

「聞いてない」

 

「ほな何で知ってるん」

 

「見たから」

 

 直哉はすぐに問い返せなかった。

 

 何を言われたのかは分かる。だが、どうしてそれを知っているのかが分からない。見たのか。いつ。どうやって。誰かから聞いたのか。いや、あの場所を他人が知っているのもおかしい。なら本当に見たのか。だとして、どうしてそんなことができる。

 

「いつ見た」

 

「前」

 

「前っていつや」

 

「前は前」

 

「ふざけるなや」

 

 語気を荒げても、真依はほとんど揺れなかった。

 

 理解が追いつく前に、先に嫌なものが背筋を這った。

 

 目の前にいるのは、小さくて、弱くて、さっきまで簡単に泣かせられると思っていた子どものはずだった。力もない。術式も大したことがない。自分よりずっと下にいるはずの存在だ。なのに、その瞬間だけ、真依は直哉の秤の上にうまく乗らなかった。

 

 軽いはずのものが、軽くない。

 

 下にあるはずのものが、どこに置けばいいのか分からない。

 

 その感覚が、直哉にはたまらなく気味悪かった。

 

 もし真依が得意げに喋ったなら、まだ対処はできたかもしれない。脅しだと切り捨てて、黙らせればいい。泣かせて、口を塞いで、自分の方が上だと叩き込めば、それで済んだだろう。

 

 だが真依はそうしなかった。

 

 脅したのではない。ただ、知っていることを知っているまま口にしたような、あまりに平たい声音だった。そこに勝ち誇りも、媚びも、駆け引きもない。ただ事実だけが置かれたような言い方だった。

 

 それが、余計に不気味だった。

 

 弱い者が強い者へ逆らう時には、それなりの形がある。必死さだとか、怨みだとか、震えながらの反抗だとか。そういうものなら直哉にも理解できる。力のない者なりの悪あがきとして、踏み潰し方も分かる。

 

 けれど真依のその一言には、そういう分かりやすい感情がなかった。

 

 だから直哉は、怒ることより先に戸惑った。

 

「……どこまで、どこまで見た」

 

 気づけば、そんなことを聞いていた。

 

 きつく問い詰めるつもりだったのに、実際には確認するような口調になっている。

 

 真依は少しだけ考えた。

 

「……そこだけ」

 

「嘘つくなや」

 

「嘘じゃない」

 

「ほんまに?」

 

「ほんと」

 

 幼い声だった。けれど、その幼さが安心材料にならない。むしろ逆だった。こんな小さい子どもが、何でそんなことを知っているのか。どうしてそこに触れられるのか。それが分からない。

 

 手を出してしまえば済むのかもしれない。実際、理屈だけで言えばそうだった。ここで頬を張って、泣かせて、二度と訳の分からないことを言うなと脅せばいい。年齢も力も立場も、すべて自分の側にある。真依が抵抗できるはずもない。

 

 それでも、直哉はその場でそれをしなかった。

 

 できなかった、という方が近い。

 

 気味が悪かったからだ。

 

 その理由を、当時の直哉はうまく言葉にできなかっただろう。恐怖と呼ぶには、まだ彼の自尊心が邪魔をした。相手は幼い女の子どもで、自分は禪院の男だ。そこに怯えたと認めるのは、直哉の感覚に反する。

 

 けれど実際には、あれは恐怖に近いものだった。

 

 自分が上に立つために信じていた秩序、その秩序の外に、目の前の真依がほんの少しだけ足を出しているように見えたのだ。弱いはずの子どもが、強いはずの自分の知られたくない場所を知っている。その時点で、もう理屈は崩れている。

 

 禪院家では、強さとは支配の資格だった。

 

 支配する側は、支配される側を見通す。逆はない。上が下を測るのであって、下が上の秘密に触れることはない。そう信じているからこそ、直哉は強さに真摯でいられた。強い者が上に立つ世界は、自分に都合がいいだけでなく、筋の通ったものでもあると考えられた。

 

 だが真依は、その筋を歪めた。

 

 力はない。術式も冴えない。家の評価も低い。なのに、知るはずのないことを知っている。

 

 それは強さではない。少なくとも直哉の知っている強さの形ではない。だからこそ対処の仕方が分からなかった。

 

「……誰にも言うなや」

 

 気づけば、そんな言葉が口をついていた。

 

 言った直後、直哉は自分で自分に腹が立った。命令しているつもりなのに、実際には口止めのように聞こえる。相手は幼い真依だ。そんな相手に、こんな言い方をすること自体がしゃくに障る。

 

 けれど真依は、頷きもせずに言った。

 

「言ってない」

 

「今までのことだけやない。これからもや」

 

「……別に」

 

「別に、やない」

 

 声を強くしても、思ったほど効かない。

 

 真依はただ静かに座っている。泣きもしないし、怯えてもいない。ただ、知っているものを知っているままにしているだけの顔だった。

 

 その顔が、ひどく嫌だった。

 

 もし意図してやっているならまだいい。計算があるなら、その計算ごと叩き潰せば済む。だが意図もなく、ただ見えてしまっているだけだとしたら、それはもっと気味が悪い。自分の部屋の秘密を、本人だけが知らない形で他人が知っているようなものだ。

 

 結局その日、直哉は真依を泣かせなかった。

 

 からかうつもりで近づいて、貶してやるはずで、少しくらい乱暴にしても構わないと思っていたのに、最後はそれすらできなかった。手を出せばどうにかなりそうなのに、手を出した後で何が返ってくるのかが分からない。それが、若い直哉にはひどく不快だった。

 

 真依は相変わらず、小さく、弱く、禪院家の中では軽い存在のままだった。

 

 秤の数字そのものは変わらない。呪力が急に増えたわけでも、術式が化けたわけでもない。禪院家の大人たちが真依を見る目も、おそらく昨日までと同じだった。

 

 それでも直哉の中では、その日を境に、真依だけは少し扱いが変わった。

 

 上か下かで言えば、依然として下だ。禪院家の基準で見れば、取るに足らない幼い娘であることに変わりはない。だがその「下」の中に、理屈では片づけられない薄気味悪さが混じった。

 

 後になって思えば、それが最初だったのかもしれない。

 

 直哉が真依を、本当の意味で軽んじきれなくなったのは。

 

 弱い。冴えない。家の基準では見るべきところがない。そう思っているのに、完全に安心して踏みにじれる相手でもない。どこかで、自分の知らないところに触れてくる。そういう得体の知れなさが、真依にはあった。

 

 禪院家は強さで人を分ける家だった。

 

 その家の論理に最も忠実であろうとした直哉が、たった一度、理屈に乗らないものへ足を止めた。

 

 それは、強さに対する彼の真摯さゆえでもある。

 

 何が強いかを真面目に見ているからこそ、強さの形ではないものに対して、どう向き合えばいいのか分からなかったのだ。暴力で黙らせられる相手は怖くない。才能で上回ってくる相手も、まだ理解できる。だが、どこから見ているのか分からないものは、直哉の価値観の外側にある。

 

 だから、その小さな違和感だけが残った。

 

 真依は弱い。

 

 それでも、何かがおかしい。

 

 その矛盾が、長く直哉の中に引っかかることになる。

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