どうやろ真依ちゃんに聞いてみよか 作:人の心とかない。AIだから
真希にとって、真依は昔から面倒な妹だった。
可愛げがない、という意味ではない。むしろ逆だ。小さい頃の真依は、放っておくとすぐにどこかへ押しやられてしまいそうな危うさがあった。禪院家の中では、弱い者や従順な者ほど、空気みたいに扱われる。そこにいてもいないものとして数えられる。真依はまさにそういう側の子どもだった。
だから真希は、昔から真依のことを気にしていた。
双子だから、というだけではない。同じ顔をしているから、同じだけ傷つくわけでもないことを、真希は早くから知っていた。自分は殴られても睨み返すし、嫌なら嫌だと顔に出る。だが真依は、そういう形では抵抗しない。飲み込んで、黙って、何でもない顔をしてやり過ごそうとする。そういうやり方が、あの家では余計に危なっかしい。
泣きついてくれればまだいい。助けられる。
けれど真依は、助けを求めるのが下手だった。
そのくせ、どうでもいいところで意地を張る。何も言わないまま無理をして、後になって一人で拗ねる。可愛いと思う瞬間もあるが、面倒だと思う瞬間の方が多い。そういう意味で、真依は確かに面倒な妹だった。
ただ、その面倒くささとは別に、真希が昔からどうにも説明できないものがひとつだけあった。
真依は、妙なほどいろいろなことを知っていた。
それも、勉強ができるとか、記憶力がいいとか、そういう普通の話ではない。誰かが言い出す前のこと。まだ口にしていない考え。本人すらちゃんと整理できていないような気持ち。そういうものに、真依は時々、何でもない顔で先に触れてしまうことがあった。
最初は偶然だと思っていた。
双子だから、なんとなく分かることもあるのかもしれない。長く一緒にいるのだから、癖や考え方が読めるのかもしれない。そういうふうに思えば、一応は説明がつく。
だが、何度か重なると、さすがに偶然では片づけにくくなる。
真希が初めて本気で「おかしい」と思ったのは、まだ二人とも幼かった頃のことだった。
その日、真希はひとりでいた。
禪院家の庭の隅、手入れの行き届きすぎた木々の影にしゃがみ込み、地面に落ちていた小石をつまらなそうにいじっていた。別にそこに理由があっていたわけではない。ただ、家の中にいると嫌でも色んなものが目につく。出来のいい子、期待される子、男の子、術式を褒められる奴。そういう連中を見るたびに、胸の奥がざらついた。
その日は特に気分が悪かった。
朝、廊下の向こうで家人たちが何か話しているのが聞こえたのだ。内容は大したものではなかった。誰それの鍛錬がどうだとか、次の当主筋がどうだとか、いつもの禪院家らしい話である。ただ、その中に混ざっていた「女は駄目だ」「結局、家を背負うのは男だ」という調子が、妙に耳に残った。
聞き飽きるほど聞いてきた言葉のはずだった。
なのにその日は、やけに腹が立った。
真希は昔から、言われっぱなしで終わるのが嫌いだった。自分に向けられた評価が不当だと思えば、なおさら腹が立つ。ただ、その時の苛立ちは単純な反発より、もう少し形のあるものに近づきつつあった。
禪院家の中で見下されるたびに、頭のどこかで思うのだ。
だったら見返してやればいい。
だったら上に立ってやればいい。
だったら、あいつらが逆らえない場所まで行けばいい。
その「上」が何なのか、その時点ではまだ真希の中でもはっきりしていなかった。ただ、ぼんやりとでも浮かび始めていたのは、禪院家の中で一番高い場所のことだった。
当主。
そこまで考えて、自分で少し笑いそうになった。
馬鹿みたいだ、と思ったからだ。女で、術式もなくて、家の中では落ちこぼれ扱いの自分が、そんなものを目指すなんて。現実的ではない。禪院家の理屈からすれば、冗談にもならない。
けれど、冗談ではなかった。
一度そう考えてしまうと、頭の奥に火種みたいに残る。無理だとか、馬鹿げているとか、そういう理屈は後からいくらでも出てくる。だが最初に芽を出す「なってやる」という感情は、案外しぶとい。
真希は小石を強く放った。
庭石に当たって、乾いた音が鳴る。
「何してるの」
振り向くと、真依がいた。
いつの間に来たのか分からなかった。足音も気配も薄いのは昔からだ。真依はその頃から、何となくそこにいる。こちらが目を離した隙に、気づけば傍にいる。そういうところがあった。
「別に」
真希がぶっきらぼうに返すと、真依は少しだけ首を傾げた。
「機嫌悪い」
「悪くねえよ」
「悪いじゃん」
「うるせえ」
真依は怒るでもなく、庭の縁に座った。隣ではなく、少しだけ距離を置いて座るのが真依らしい。べったり寄ってくるわけではないが、離れていくわけでもない。
しばらく沈黙があった。
真希は何も言う気がなかったし、真依も無理に話しかけてはこない。双子なのに、二人の間にはそういう黙り方があった。気まずいわけではない。ただ、同じ場所で別々のことを考えている時間が流れるだけだ。
やがて真依がぽつりと言った。
「当主にでもなるつもり?」
真希は顔を上げた。
「……は?」
真依は庭を見たまま続ける。
「さっきから、そういう顔してる」
「どういう顔だよ」
「むかついてて、でも諦めてない顔」
真希はしばらく言葉が出なかった。
当主、という単語を、今日はまだ誰にも言っていない。自分の頭の中で形になりかけていただけだ。明確に口にしたわけでもないし、真依にそれを仄めかした覚えもない。
「……何でそうなるんだよ」
「何でって」
真依はそこでようやく真希を見た。
「真希、そういう時いつも同じ顔するから」
「してねえよ」
「してる」
「してねえって」
「してる」
淡々と返されて、真希はむっとした。
「何だよそれ。適当言ってんじゃねえぞ」
「適当じゃない」
真依は平然としている。
「真希、昨日も廊下で当主の話してる人たち見て、すごい嫌そうな顔してた」
「見てたのかよ」
「見えてた」
「何だその言い方」
「見えてたから見えてたの」
真希は思わず眉をひそめた。
真依のこういうところが、時々よく分からない。別に大げさなことを言っているわけではない。なのに、言い方だけ妙に引っかかる。まるで最初から知っていたことを確認しているみたいな喋り方をするのだ。
「……当主になりたいとか、そんなんじゃねえよ」
とりあえずそう言ってみたものの、声にあまり自信はなかった。
真依はあっさり返す。
「なりたいんでしょ」
「違う」
「でも、なりたい」
「……お前な」
「だって、そうしないと嫌なんでしょ」
真希はそこで黙った。
嫌なんでしょ。
その言い方は妙に正確だった。
当主になりたい、という願望そのものは、まだ真希の中でも完成していない。立派な志があるわけでも、家を変えてやると明確に決めたわけでもない。ただ、このまま下に置かれて終わるのが嫌だ。その嫌さが、いずれ一番上を向く。真依はたぶん、その途中の形をそのまま言い当てたのだ。
「……言うなよ」
真希が低く言うと、真依は目をぱちぱちさせた。
「何を」
「今の」
「誰に」
「誰にもだよ」
「言わないよ」
「ほんとか?」
「うん」
「絶対だぞ」
「言ったら面倒だし」
「そこは否定しろよ」
思わずそう返すと、真依は少しだけ口元を緩めた。笑った、というほどでもない。本当に少し、表情が和らいだだけだった。
真希は小さく息を吐く。
こいつはこういうところがある。
人の隠しておきたいことを、変な精度で拾う。そのくせ、言いふらして相手を困らせようとか、優位に立とうとか、そういう気配はほとんどない。ただ知っていて、知っているから言う。時々それが信じられないほど面倒だし、同時に妙に安心もする。
少なくとも真依は、真希のそういう部分を笑わない。
「……お前、何でそんな分かるんだよ」
真希が訊くと、真依は少し考えた。
「分かるから」
「答えになってねえ」
「でも分かる」
「勘か?」
「うーん」
真依は首を傾げる。
「勘っていうか、真希だから」
「余計分かんねえよ」
「真希のことだから」
「だから、それが分かんねえんだって」
真依はそこで黙った。説明しようとして、諦めたような顔だった。たぶん本人も、うまく言葉にできないのだろう。あるいは、そもそも説明する気がないのかもしれない。
真希は少しだけ真依を見た。
小さい。細い。禪院家の空気の中では、簡単に折れそうな方の子どもだ。実際、真依は自分ほど強くはないし、真正面から反抗する度胸もない。放っておけば、この家に呑まれて終わるかもしれない。
なのに、変なところで、こいつは昔から何でも知っている。
誰が今機嫌が悪いとか、どの部屋に誰がいるとか、その程度ならまだいい。問題は、本人がまだ口にしていないことまで、時々当たり前みたいに拾ってしまうことだった。真希が怪我を隠していれば、しばらくしてから「痛いんでしょ」と言う。大人に言われて腹を立てていれば、その日のうちに「今日、すごい怒ってる」と言う。真希が何かを決めかけていると、その輪郭が固まる前に、先にそこへ触れてくる。
それは双子だからなのか、と考えたこともあった。
同じ腹から生まれて、同じ顔をして、同じ家の中で育ってきたから、妙に分かることがあるのかもしれない。そう思えば少しは納得できる。
けれど、双子だからで説明しきれない瞬間も確かにあった。
本人がまだ自分でも気づききっていないことを、真依はまるで前から知っていたみたいに口にする。
それは正直、少し気味が悪い。
ただ真希は、直哉みたいにそれを恐ろしいとは思わなかった。
面倒ではある。厄介でもある。何で分かるんだと問い詰めたくなる時もある。だがその妙な知り方が真希へ向く時、そこには悪意がない。覗き見てやろうとか、弱みを握ってやろうとか、そういう気配は本当にないのだ。
ただ、真依は真希のことをよく見ている。
たぶん真希が思っている以上に。
それが分かるから、真希は完全に気味悪がれない。
むしろ、そうやって見てくるのが真依なりの寄りかかり方なのだと、どこかで思っている節があった。直接「助けて」と言うのは下手なのに、真希の考えていることは変に拾ってくる。真依にとって真希は、たぶんそういう相手だった。
「……当主になる」
気づけば、真希はそう言っていた。
口にした瞬間、自分でも驚いた。まだ誰にも言うつもりはなかったのに、こんなふうにあっさり出てくるとは思わなかった。
真依は「うん」とだけ言った。
驚きもしない。止めもしない。無理だとも言わない。
「なるよ、私は」
今度は、さっきより少しだけ強い声で言う。
「この家、気に食わねえし」
「うん」
「見返してやる」
「うん」
「ぜってえ、上に立ってやる」
「そうだと思った」
真希は顔をしかめた。
「何だよ、その反応」
「だって、真希そういうの好きだし」
「好きでやるわけじゃねえよ」
「でも向いてる」
「どこがだ」
「そういう、絶対言うこと聞かないとこ」
「褒めてんのかそれ」
「半分」
「半分かよ」
真依の返しに、真希は鼻で笑った。
完全に気分が晴れたわけではない。禪院家の空気は相変わらず最悪だし、当主になるなんて現実的には無茶苦茶だ。女で、術式もなくて、家の中では評価も低い。そんな自分が上を取るなんて、周囲から見れば寝言に近い。
それでも、さっきまでより少しだけその考えが現実味を持った気がした。
誰かに言葉にされるというのは、時々そういう力がある。しかもそれが真依の口から出ると、妙な確かさがつく。根拠があるわけではないのに、こいつが言うと何となくそうなる気がしてしまう。昔から、そういうところがあった。
「……お前も来いよ」
ふと、真希は言った。
「は?」
「だから、お前も」
少し言い淀む。
「私が上に行くなら、お前もその方が楽だろ」
真依はしばらく黙っていた。
断るかと思った。面倒そうな顔をするかとも思った。だが真依は、そうはしなかった。
「真希が行くなら」
小さな声で言う。
「私も、たぶん行く」
「たぶんって何だよ」
「絶対って言うと、何か嫌だから」
「分かるような分かんねえような返しすんな」
「でも行くよ」
その声は静かだったが、真希には十分だった。
結局のところ、真依はそういう妹なのだ。
弱い。危なっかしい。面倒くさい。放っておけない。妙なところで何でも知っている。たまにこっちの考えを勝手に拾ってきて腹が立つ。そのくせ、本当に大事なところではちゃんと隣にいる。
真希は真依のそういうところを、昔から知っていた。
だから、異常だと思う瞬間があっても、それだけで遠ざけようとはならない。真依が何かを知りすぎているとしても、それは真希を脅かすためではない。むしろ逆で、真依はたぶん、真希のことを知っているからこそ、ずっと傍にいる。
「……誰にも言うなよ」
「分かってる」
「特に当主の話」
「言わない」
「絶対だぞ」
「真希、さっきからそればっか」
「大事だからだよ」
「大丈夫」
真依はそう言って、少しだけ真希の袖をつまんだ。
幼い頃の真依は、甘え方が上手くなかった。抱きついてくるわけでもないし、素直に頼るわけでもない。ただ、時々こうして服の端を掴んだり、気づけば近くに座っていたりする。それが真依なりの距離の詰め方だと、真希は何となく分かっていた。
だから真希は、その手を振り払わなかった。
細い指先が袖を掴んでいる。その小ささを見ていると、こいつを置いていくわけにはいかないな、と改めて思う。禪院家の中では、弱い方の人間は簡単に捨てられる。価値がないと見なされたものから順に、いないものとして扱われる。
真依は、放っておけばそうされる側だ。
それが嫌だった。
双子だからというだけではない。妹だからというだけでもない。真依が真依だから、真希はそれが許せない。
「……まあ、お前は私が何とかする」
半分独り言みたいにそう言うと、真依がこちらを見た。
「何それ」
「何でもねえよ」
「聞こえた」
「聞こえなくていい」
「真希、そういうの恥ずかしいんだ」
「うるせえ」
「ふうん」
「何だよ、その顔」
「別に」
真依がほんの少しだけ笑った。大きく表情が動くわけではない。けれど真希には、それで十分だった。
その顔を見ていると、やっぱりこいつは妹だなと思う。変で、面倒で、何だか妙に人のことを知っていて、それでも結局、どうしようもなく自分の片割れだった。
その日からすぐに何かが変わったわけではない。
禪院家は相変わらずだったし、真希も真依も、すぐに強くなれたわけではない。理不尽は減らないし、見下されることもなくならない。真希が当主を目指すと決めたところで、それだけで道が開けるはずもない。
ただ、少なくとも真希の中では、その決意はもう一度口に出されたことで、簡単には消えないものになった。
そしてその隣には、当たり前みたいに真依がいた。
昔からそうだった。
真依は、妙なほど色々なことを知っている。
真希が怪我を隠していれば気づくし、機嫌が悪ければ当てるし、何かを決めかけていれば、その輪郭が固まる前に先に触れてくる。まるで本人より少しだけ先回りするみたいに、当たり前の顔でそこにいる。
普通なら、少し気味が悪いと思うのかもしれない。
実際、他の連中が相手なら真希だってそう感じたはずだ。心の内側に踏み込まれるのは、気持ちのいいことじゃない。
けれど相手が真依なら、少し違う。
面倒だとは思う。たまに腹も立つ。何でそんなことまで分かるんだ、と言いたくなることもある。
それでも、嫌ではない。
真依が知っているのは、真希を貶めるためじゃない。真希のことを見ているからだ。見て、分かって、それで傍にいる。だったらもう、それは気味の悪さというより、真依の不器用な愛情みたいなものだった。
真希はそういう妹を、昔からちゃんと好きだった。
可愛いと思う時もあるし、手のかかる奴だと思う時もある。放り出したくなることもあるが、結局放り出せない。真依が隣にいるのは面倒くさいのに、いないとそれはそれで落ち着かない。
双子とは、たぶんそういうものなのだろう。
真希は立ち上がった。つられるように真依も立つ。
「行くぞ」
「どこに」
「鍛錬」
「今から?」
「今からだよ」
「さっきまで機嫌悪かったのに」
「悪いままじゃ終われねえだろ」
「単純」
「何か言ったか」
「別に」
真依はそう言って、少しだけ真希の後ろを歩いた。
その距離感が、真依らしかった。真横ではない。かといって離れもしない。何かあればすぐ手が届くくらいの位置を、昔から真依はよく知っている。
真希は前を向いたまま、小さく息を吐く。
この家は嫌いだ。
この家の理屈も嫌いだ。
けれど、その中で真依が隣にいるのなら、まだ少しはましだった。
そしてたぶん、真依は明日になればまた、真希がまだ口にしていないことまで勝手に知っているのだろう。
面倒な妹だ。
でも、それでいいと真希は思っていた。