どうやろ真依ちゃんに聞いてみよか   作:人の心とかない。AIだから

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【第4話】

 

 最初に言い出したのは東堂だった。

 

 どうしてそうなったのか、真依は今でもよく分からない。ただ、気づいた時にはもう遅かった。東堂葵という男は、自分の中で結論が出ている時に他人の都合をいちいち確認しない。確認したとしても、それは確認ではなく通告に近い。

 

 要するに、その日真依は高田ちゃんの個別握手会に連れて来られていた。

 

 会場に向かう電車の中でも、東堂は終始うるさかった。高田ちゃんのどこが素晴らしいか。いかに誠実で、いかに美しく、いかに人の心を理解しているか。話題の九割以上がそれで占められていた。残り一割は、今日の自分がどれだけ完璧な仕上がりでこの日を迎えているかについてだった。

 

 真依は途中からまともに聞くのをやめていた。

 

 別に芸能人が嫌いなわけではない。アイドルだからといって見下すつもりもない。ただ、東堂の熱量に付き合わされるのが面倒だった。ひどく面倒だった。しかもその面倒さを、東堂は善意百パーセントで押しつけてくる。

 

「お前も高田ちゃんの素晴らしさを知るべきだ」

 

 会場へ向かう途中、東堂は実に真面目な顔でそう言った。

 

「知らなくても別に困らないわ」

 

「困る困らないの話じゃない。世界を正しく認識する上で必要な教養だ」

 

「その教養、かなり偏ってないかしら」

 

「偏ってない。むしろ是正だ」

 

 何をどう是正するのか、真依には最後まで分からなかった。

 

 会場の周辺には、すでにかなりの人が集まっていた。年齢も格好もばらばらで、いかにも常連らしい者もいれば、明らかに浮き足立っている初見らしき者もいる。真依は東堂の後ろを歩きながら、少しだけ周囲を見回した。

 

 最初は、正直あまりいい印象はなかった。人が多すぎるし、熱気もあるし、独特の高揚感が空間に満ちている。そういう場所は得てして面倒なことが起きやすい。騒がしくて、周囲が見えなくなって、空気だけで人が動く。真依はそういう雰囲気があまり得意ではなかった。

 

 ただ、思っていたほど嫌でもなかった。

 

 人の目がぎらついているというより、どこか浮かれているだけの者が多い。東堂みたいな濃いのもいるにはいるが、全体としては妙な殺気がない。熱狂というより、楽しみにしてきた人間の集まりという感じだった。

 

 それに東堂は、ここでは意外なほど行儀がよかった。

 

 うるさいことに変わりはないが、列に割り込むでもなく、スタッフに無駄に突っかかるでもなく、ルールの範囲で最大限気持ち悪いだけで済んでいる。真依はそれを少し意外に思った。もっと周囲を振り回すかと思っていたのだが、東堂なりにこういう場の筋は通すらしい。

 

「何だ、その顔」

 

 列に並んでいる時、東堂が横目で言った。

 

「別に」

 

「今、俺を見直しただろ」

 

「そこまでは言ってない」

 

「言わなくても分かる」

 

「自信がすごいね」

 

「当然だ。高田ちゃんを前に無様を晒すわけにはいかないからな」

 

 それは、少なくとも東堂の中では本気の理屈なのだろう。

 

 実際、順番が近づくにつれて東堂の顔つきは引き締まっていた。普段ならただ暑苦しいだけの大男が、ここでは妙に神妙で、その温度差が少しだけ面白い。真依は面白いと思ったことを顔には出さなかったが、内心では少しだけ笑っていた。

 

 東堂に押しつけられるようにして、真依も握手券を一枚持たされていた。断るのも面倒だったし、この男がここで引き下がるとも思えなかったからである。来る前は、本当に気が進まなかった。

 

 だが実際にブースへ通され、高田ちゃん本人を前にした時、その印象は少し変わった。

 

 最初に感じたのは、思ったよりちゃんとしている、ということだった。

 

 芸能人だし、こういう対応には慣れているのだろう。愛想がいいだけならまだ分かる。だが高田ちゃんは、ただ機械的に愛想を振りまいている感じではなかった。相手の顔を見て、その場で必要な温度をきちんと選んでいる。相手を雑に扱わない。しかも、それが押しつけがましくない。

 

 真依を見た瞬間に「あ、女の子」と少し嬉しそうにしたのも、営業の一部だと考えればそれまでなのだろう。けれど少なくとも、相手をきちんと見て反応しているのは本当だった。

 

 名前を聞かれ、疲れていないかと気遣われ、最後には軽く耳元でまた来てねと囁かれた。

 

 あまりに手際がいいので、逆に感心したくらいだった。

 

 ブースを出た後、東堂がすぐに寄ってくる。

 

「どうだった」

 

 問いの勢いに対して、真依はしばらく答えなかった。

 

「……まあ」

 

「何だ」

 

「思ってたよりは、ずっと悪くなかったわ」

 

 東堂の目が光る。

 

「ほう」

 

「少なくとも、相手を適当に流すような人じゃなかった。ああいう対応を毎回やってるなら、人気があるのも分かる」

 

「そうだろう」

 

「ただ、だからって毎回付き合う気はない。今回は本当に仕方なくだから」

 

「強情だな」

 

「そもそも勝手に連れてきたの、そっちでしょ」

 

 そう返しながらも、真依はさっきまでより機嫌が悪くなかった。

 

 正直に言えば、会場に来る前よりはだいぶ印象がいい。少なくとも、東堂がただ頭のおかしい熱量で騒いでいるだけではなかった、という程度には評価を改めた。高田ちゃん本人が善人かどうかを断言するほどの接点はない。それでも、人を雑に扱わないことと、場をきちんと保つこと、その二つは短い時間でも十分伝わった。

 

 東堂があれだけ信奉する理由を完全に理解したわけではないが、少しなら分かる気もした。

 

 会場を出る頃には、空の色がだいぶ傾いていた。

 

 人の流れはまだ多い。駅へ向かう者、余韻に浸って立ち話をする者、次の予定へ急ぐ者。会場周辺は独特のざわめきを保ったまま、ゆっくり解散へ向かっていた。真依と東堂も、人の流れに沿って歩く。

 

 東堂はまだ高田ちゃんの余韻の中にいた。

 

「今日の高田ちゃんも、やはり素晴らしかったな」

 

「さっきからそれしか言ってない」

 

「当たり前だ。素晴らしいものを素晴らしいと言って何が悪い」

 

「悪くはないけど、同じ話を何回もされるとさすがに――」

 

 そこまで言いかけて、真依はふと視線を止めた。

 

 人混みの向こう、少し離れた歩道の端。流れる群衆の中を、ひとりの男が歩いていた。

 

 最初に見えたのは横顔だった。

 

 真依はそこで、反射的に足を止めた。

 

「……どうした」

 

 東堂が怪訝そうに振り向く。

 

 真依はすぐに答えなかった。視線だけが、その男を追っている。人混みに紛れそうで、けれど完全には見失わない位置。ほんの数秒のことだったのに、その数秒で十分だった。

 

 顔は見間違えようがない。

 

 夏油傑だった。

 

 少なくとも、見た目は。

 

「東堂」

 

 真依が静かに言った。

 

「今の人、夏油傑に見えた」

 

 東堂の顔から、さっきまでの熱が少し引いた。

 

「何?」

 

「顔だけなら見間違いかもしれない。でも、たぶん違う」

 

「何を言ってる。夏油傑は死んだはずだぞ」

 

「そう」

 

 真依はまだ目を離さなかった。

 

「だから変なのよ」

 

 男は信号の向こうへ流れていく。足は止めない。周囲の人間ともぶつからない。無駄に急いでいるわけでもないのに、人の流れの中で妙に引っかからない。自然に見えて、その実かなり計算された動き方だった。

 

 真依はその歩き方に、強い違和感を覚えていた。

 

「見た目は夏油傑だった。でも、本人かと言われると違うと思う」

 

 東堂が眉を寄せる。

 

「顔が同じで、本人ではないとはどういうことだ」

 

「説明が難しい」

 

 真依は短く息を吐いた。

 

「歩き方が違った。重心の置き方も、周囲の見方も違う。私が知っている夏油傑は、ああいう歩き方はしない」

 

「……ただ歩いているだけで、そこまで分かるのか」

 

「分かる」

 

 真依の声は淡々としていたが、内容はかなり具体的だった。

 

「足運び自体は普通だった。でも、体重の逃がし方が少し変だった。前に進んでるのに、どこか引いてるというか、いつでも別の方向へ抜けられる置き方をしてた。あれは警戒してる人の歩き方だと思う。でも、必要以上に周囲を見てる感じでもなかった」

 

 東堂は黙って聞いている。

 

「それに、人の流れの抜け方も変だった。夏油傑本人なら、もう少し自然に見えると思う。今の人は上手かったけど、上手すぎて少しずれてた。自分の体に慣れきってない人みたいだった」

 

「……見間違いじゃなくて、違和感の話か」

 

「顔は本当に夏油傑だった」

 

 真依ははっきり言った。

 

「そこは間違ってない。ただ、あれをそのまま夏油傑本人だと思うのも変。生きていた、って感じではなかった」

 

「じゃあ何だ」

 

「夏油傑の姿をした別の人、みたいだった」

 

 東堂の表情がさらに険しくなる。

 

「別人が化けていると?」

 

「そこまでは分からない。でも、少なくとも私は、夏油傑本人を見たとは思ってない」

 

 真依はようやく視線を戻した。もう男の姿は人の流れに消えている。

 

 だが、見失ったからといって違和感が消えるわけではなかった。むしろ逆に、見失った後の方が気持ち悪さは残る。顔は間違いなく夏油傑だった。けれど立ち方、重心、視線の配り方、そのどれもが「一致していない」と訴えていた。

 

 人間は顔だけでできているわけではない。

 

 体の使い方には癖がある。視線の向け方には性格が出る。強い術師ならなおさらだ。重心の乗せ方ひとつ取っても、戦い方や考え方が滲む。だから真依は、見た目が一致していることよりも、その内側のずれの方を気にした。

 

 あれは、夏油傑の顔をしていた。

 

 でも、夏油傑そのものではない。

 

 その感覚だけが、妙にくっきりしていた。

 

「追うか」

 

 東堂が低く言った。

 

 さっきまでの浮かれた空気はもうない。切り替えの速さは、さすがに呪術師だった。

 

 真依は少し考えてから首を振った。

 

「今からだと難しいと思う。人が多すぎるし、あっちも気づいてたなら、もう流れに乗って抜けてる」

 

「気づいていた、だと?」

 

「たぶん」

 

「何で分かる」

 

「一回だけ、こっちを見たから」

 

「目が合ったのか」

 

「正面からではないけど」

 

 真依は言葉を選ぶように少し間を置いた。

 

「こっちを認識した上で、そのまま通り過ぎた感じだった。焦ってなかった。だから余計に変なんだよ。隠れたい人の動きじゃないのに、見失う前提で動いてるみたいだった」

 

 東堂は腕を組んだ。

 

「厄介だな」

 

「うん」

 

「お前、確信あるのか」

 

「ある」

 

 真依はきっぱり言った。

 

「少なくとも、ただの見間違いではない。もし報告して無駄だったとしても、それでも一度は伝えた方がいいと思う」

 

「……夏油傑は死んだ。そこは前提だ」

 

「分かってる」

 

「その上で、お前は夏油傑の顔をした何かを見たと」

 

「そう」

 

「そして、その違和感の根拠は歩き方と重心の置き方」

 

「それだけじゃない」

 

 真依は少しだけ眉を寄せた。

 

「うまく言えないけど、体に対する意識の向き方が違った。自分の体を使ってる人の感覚と、借りてるものを丁寧に扱ってる人の感覚は、少しだけずれることがある」

 

 東堂が真依を見る。

 

「よくそこまで見てるな、お前」

 

「見えたから」

 

「便利なやつだ」

 

「便利扱いしないで」

 

 真依は即座に言い返したが、今はさすがに声が少し硬かった。

 

 自分でも分かっている。今の証言は、普通ならかなり曖昧だ。顔は見た、でも本人ではない気がする。根拠は歩き方と重心。そんなものを報告したところで、聞く側からすれば半信半疑になるのが当然だろう。

 

 けれど、それでも真依は自分の判断を曲げる気になれなかった。

 

 顔だけなら、見間違いで済んだかもしれない。

 

 声を聞いたわけでもない。術式を見たわけでもない。直接接触したわけでもない。証拠だけを並べれば、弱いと言われても仕方がない。

 

 それでも、あの数秒で感じたずれは、簡単に無視していい種類のものではなかった。

 

「……高田ちゃんの握手会の帰りに、こんな話になるとはな」

 

 東堂がぼそりと言う。

 

 真依は少しだけ肩を落とした。

 

「私もそう思う」

 

「せっかくの余韻が台無しだ」

 

「それはごめん」

 

「いや、謝ることじゃない」

 

 東堂はそこで真顔になった。

 

「お前が見たものが事実なら、かなり面倒なことになる」

 

「だから言ってる」

 

「分かってる」

 

 少しだけ間があってから、東堂は続けた。

 

「ただ、お前の説明は他の連中には伝わりにくいかもしれない」

 

「それも分かってる」

 

「じゃあ、どう言う」

 

 真依は少し考えた。

 

「夏油傑と思われる人物を目撃した。ただし、顔は一致していても、本人の身のこなしとは一致しない。生存していたというより、夏油傑の身体を別人が使っているような違和感があった、くらいかな」

 

 東堂が一瞬黙る。

 

「お前、言い方を選ぶと急にちゃんと報告書みたいになるな」

 

「最初からそうしてるつもりなんだけど」

 

「いや、普段はもう少し棘がある」

 

「東堂相手だと必要だから」

 

「何だその必要性は」

 

 少しだけ、空気が緩んだ。

 

 それでも、根っこにある不穏さは消えない。

 

 東堂はすぐに次の行動を考え始めている顔だったし、真依もまた、さっきの男の歩き方を頭の中で反芻していた。肩の向き、足の運び、視線の散らし方。重心は前足寄りだが深くは乗せない。人を避ける時の動きが滑らかすぎる。妙に完成していて、その完成の仕方が、体に馴染んだものではなく操作に近い。

 

 夏油傑本人なら、もっと自然に見えたはずだ。

 

 強い術師ほど、体の使い方には無理がない。技術で整えていても、その整い方自体が肉体と一体化している。だが今の男には、その最後の一体感が欠けていた。上手く扱っているのに、持ち主そのものではないような、わずかな遅れがあった。

 

 あれを言葉にしろと言われても困る。

 

 けれど、真依の中では十分すぎるほど明確だった。

 

「東堂」

 

 歩き出しながら、真依は言った。

 

「さっきの人、もし本当に夏油傑じゃないとしても、夏油傑のことを知ってる側の人間だと思う。あの顔で人前を歩くなら、それだけで騒ぎになるはずなのに、そこを避ける動きはちゃんとしてた」

 

「つまり、偶然ではないと」

 

「うん。あれが本当に見間違いじゃないなら、向こうもただそこにいただけではないと思う」

 

「余計に嫌な話だな」

 

「そうだね」

 

 会場から離れるにつれて、人の数は少しずつ減っていった。代わりに、現実感が戻ってくる。ついさっきまでアイドルの握手会帰りだったはずなのに、気づけば死んだはずの特級呪詛師の目撃報告をどう上げるかという話になっているのだから、まともな日ではない。

 

 真依は一度だけ振り返った。

 

 もちろん、もう姿は見えない。

 

 だが見えないままの方が、かえって嫌だった。

 

 もし本当に夏油傑の顔をした別の何かが動いているのだとしたら、それは単に一人の生死の問題では済まない。そこに術式が絡むのか、もっと別の仕組みがあるのか、真依には分からない。分からないが、分からないまま放置していいものでもない、ということだけは分かる。

 

 東堂がふと横で言った。

 

「それで」

 

「何」

 

「握手会そのものは、結局どうだった」

 

 真依は一瞬だけ目を瞬いた。

 

「今そこ聞く?」

 

「今だからだ。重い話ばかりしてると頭が固まる」

 

 東堂らしい理屈だった。真依は少しだけ呆れたが、否定する気にもなれなかった。

 

「……思ってたよりは、悪くなかった」

 

「ほう」

 

「少なくとも、あの人はちゃんとしてた。相手を適当に見ないし、疲れていても雑に流さない。ああいうのをずっとやってるなら、神対応って言われるのも分かる」

 

「そうだろうが」

 

「でも、東堂みたいな熱量にはならない」

 

「それは修行不足だな」

 

「そういう問題じゃない」

 

 東堂は満足そうに笑った。

 

 真依は小さく息を吐く。

 

 やはり面倒な先輩であることに変わりはない。けれど、今日は最初に思っていたほど最悪ではなかった。それは握手会についてもそうだし、東堂についても少しだけそうだった。

 

 その少しだけましな一日の終わりに、最悪に近いものを見てしまったのは、あまりにも呪術師らしいと言えば呪術師らしい。

 

「戻ったら、私からもちゃんと説明する」

 

 真依が言うと、東堂は頷いた。

 

「そうしろ。お前が見た違和感は、お前の言葉で話した方がいい」

 

「信じてもらえるかな」

 

「信じるかどうかは聞いた後の話だ」

 

 東堂は前を向いたまま続ける。

 

「少なくとも、俺は今の話を適当に流す気はない」

 

 それは、東堂なりの最大限まともな返答だった。

 

 真依は少しだけ目を細める。

 

「それなら十分」

 

 空はもうだいぶ暗かった。

 

 街の灯りが増えて、人の顔は昼よりも見えにくくなる。そういう時間帯だったからこそ、あの男は人混みに紛れやすかったのかもしれない。あるいは、そういう時間帯を選んでいたのかもしれない。

 

 どちらにしても、嫌なものを見たという感覚だけは消えなかった。

 

 顔は夏油傑だった。

 

 けれど、夏油傑ではなかった。

 

 真依の中には、その結論だけが静かに残っていた。

 

 

 

 まずったねぇ。

 

 人の流れから外れた路地の奥で、その男――夏油傑の姿をした何者かは、くつくつと喉の奥で笑った。

 

 言葉と裏腹に、その表情は沈んでいない。むしろ少しばかり面白がっているようにさえ見える。御三家の落ちこぼれが変わった特技を持っていると言うから、興味本位で近くまで来てみれば、計画に大きな支障が出るかもしれないレベルの失態を犯してしまった。

 

「私の存在は五条悟に漏れてしまうと、今後に響くんだがね。私に気づくのは想定外だった」

 

 誰に聞かせるでもなく呟き、男は自分の手を軽く見下ろした。

 

 夏油傑のものだった指先が、街灯の下で静かに影を落とす。

 

「顔だけ見て本人だと思うなら、いくらでも誤魔化しようはある。だが、歩き方や重心で違和感を持たれるのは厄介だ。しかも、ただ勘がいいという類いでもない」

 

 薄く笑う。

 

「面白いものだね。禪院家にも、ああいう外れ値が混じることがあるらしい」

 

 追ってくる気配は、今のところない。気づかれた直後に離脱した判断は正しかった。あの場で余計な接触をしていれば、痕跡が増えただけだろう。問題は、あの少女がどこまで言語化して報告できるかだった。

 

 あまり具体的に話されると面倒だ。

 

 歩き方、重心、身のこなし。そういった細部から「中身が違う」とまで言われると、夏油傑を知る者には妙な引っかかりが残る。たとえ証拠にならなくても、五条悟のような人間に警戒の種を渡すには十分かもしれない。

 

「まあ、いいさ」

 

 男は口元の笑みを消さないまま、静かに踵を返した。

 

「今この段階で露見するほど、こちらも安くはない。少し予定を調整すれば済む話だ」

 

 それでも、あの少女の顔は覚えておくべきだろう。

 

 禪院真依。

 

 才能に恵まれたわけでもない。呪力量も、術式の華やかさも、御三家の基準では到底上澄みとは言えない。だが、だからこそ見落としていた。強さの規格から外れた位置に、別種の鋭さが潜んでいる可能性を。

 

「五条悟に伝わる前に、どこまで手を打つべきか」

 

 考える声音は、焦りよりも計算に近い。

 

 男――羂索は、夏油傑の顔のまま静かに目を細めた。

 

「さて、どう動こうか」

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