どうやろ真依ちゃんに聞いてみよか   作:人の心とかない。AIだから

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【第5話】

 

 楽巌寺嘉伸に呼び出された時点で、五条はだいたい面倒な話だろうと思っていた。

 

 京都校の学長室は、東京校のそれとは空気が違う。狭いわけでも、散らかっているわけでもない。ただ、置かれているもの一つ一つに無言の重みがある。古い価値観と、保守と、変わる気のない時間の積み重ね。そういうものが部屋そのものに染みついている。

 

 五条はそういう空気が昔からあまり好きではなかった。

 

 けれど嫌いだからといって、まったく関わらずに済む立場でもない。むしろ今の呪術界で一番面倒な連中ほど、放っておくと勝手に話をややこしくする。

 

「それで」

 

 椅子に腰掛けるなり、五条は軽い調子で言った。

 

「わざわざ僕を呼びつけるくらいだから、相当おもしろい話なんだよね?」

 

 楽巌寺は机の向こうで眉ひとつ動かさなかった。

 

 年寄り特有の枯れた静けさというより、必要のない反応を削ぎ落とした結果の無愛想さだった。歳を取っている。だが、ただの老人ではない。年輪と頑固さと、呪術界の古い側面をそのまま人の形にしたような男だと、五条はずっと思っている。

 

「お前相手に“おもしろい話”と言う気はない」

 

「残念」

 

「先に確認する」

 

 楽巌寺はそこで、低い声のまま言った。

 

「夏油傑は、お前が確実に殺したのだな」

 

 五条は一拍だけ黙った。

 

 夏油傑の件について聞きたいという理由で招集された時点で、その問いが来ること自体は予想できていた。むしろ本題はそこから始まるのだろうとも思っていた。だが、言葉にされるとやはり少しだけ空気が変わる。軽口を差し込める温度ではなくなる。

 

「間違いないよ」

 

 五条は椅子の背にもたれたまま答えた。

 

「夏油はあの時、僕が殺した」

 

 楽巌寺の視線は変わらない。

 

「見届けたのか」

 

「そうだね」

 

 五条は少しだけ天井を見た。

 

 百鬼夜行の終わり。新宿。夜の冷え方。血の匂い。最後に交わした言葉。そこまで細かく思い返すつもりはなかったが、思い返そうとしなくても浮かぶものは浮かぶ。

 

「少なくとも、死んでない可能性を疑う余地はない。あれを生き延びた、なんて話なら、僕が一番先に気づくよ」

 

「ならば」

 

 楽巌寺の声が少しだけ低くなった。

 

「東堂と真依が見たという“夏油傑”は何だ」

 

 五条はそこで初めて、机の上の紙へ視線を向けた。

 

 簡潔な報告書だった。東堂の口頭報告をもとに整理したらしく、文面自体は意外なほどまともだった。会場、時間帯、目撃状況。顔貌は夏油傑と一致。ただし真依の証言によれば、歩行時の重心移動、周囲への視線の配り方、体の使い方に明確な違和感があった。

 

 本人の身のこなしではなく、夏油の姿をした別人のように見えたという。

 

「ずいぶん具体的だね」

 

 五条が言うと、楽巌寺は短く頷いた。

 

「東堂の説明だけなら、もう少し曖昧だった。真依の方が細部を拾っていたそうだ」

 

「へえ」

 

 五条は報告書を指先で軽く叩いた。

 

 夏油傑の顔をした何か。

 

 その時点で選択肢はいくつかある。

 

 まず最初に潰れるのは、単純な生存説だ。そこはもう五条の中では終わっている。感情の問題ではなく、確認の問題として終わっている。死んだはずの親友が実は生きていた、なんて甘い話ではない。

 

 なら残るのは、死体をどう扱ったか、だ。

 

「死体が利用された可能性を考えるのが自然かな」

 

 五条はそう言って、足を組んだ。それと同時に過去の自分の行動は軽率だったと少し後悔した。家入硝子に死体の処分を任せなかったことが、思わぬ形で災いを招いたのかもしれない。

 

「降霊術みたいなものも含めてね」

 

 楽巌寺が目を細める。

 

「お前もそこへ行きつくか」

 

「行きつくっていうか、それ以外が薄いんだよ。本人は死んでる。でも顔は夏油。身のこなしは別人。だったらまあ、身体の方を何かに使われたって考えるのが一番筋が通る。肉体の情報だけ降ろした降霊術って可能性は十分にあり得る」

 

 言いながら、五条は頭の中で可能性を並べていく。

 

 術式による憑依。降霊。何らかの受肉。術体の利用。肉体の再利用。呪術の世界では、死体が死体のままで終わるとは限らない。限らないから面倒なのだ。

 

 ただ、ここで重要なのは方法論そのものではない。

 

 問題は、誰が、何のために夏油傑の死体を使うのか、である。

 

「報告したのは葵と真依だったね」

 

「そうだ」

 

「葵は見たの?」

 

「顔までは確認していない。真依の反応を受けて状況を把握した形だ」

 

「なるほどね」

 

 なら実質的な目撃証言は真依ひとりだ。

 

 五条はそこを頭の中で切り分けた。証言の信用性を考える時、同席者がいることと、同じものを見ていることは別だ。東堂は現場にいた。だが異変に先に触れたのは真依の方らしい。

 

「で、あんたはその報告をどこまで信用してるの」

 

 五条が問うと、楽巌寺はしばらく無言だった。

 

 やがて重い声が返ってくる。

 

「東堂が無意味な虚言を持ち込むとは思わん」

 

「まあ、あいつは変だけど、変なところで妙に真面目だからね」

 

「真依については、見誤りかもしれんとは思うがな」

 

 五条は少しだけ笑った。

 

「率直だね」

 

「事実だ。顔を見ただけで故人を故人と断じ、その上で本人ではないとまで言う。普通なら戯言に近い」

 

「でも上げてきた」

 

「その場に一級術師である東堂がいたからだ。やつはこれをただの見間違いや虚言と判断しなかった。そのこと自体は信頼に値する」

 

 そこで一度、部屋が静かになる。

 

 外から風の音がした。古い校舎特有の鳴り方で、ほんのわずかに建具が震える。五条はその音を聞きながら、報告書の文面を改めて目で追った。

 

 歩き方が違う。重心の置き方が違う。周囲の見方が違う。自分の身体を使っている人間ではなく、借りている身体を丁寧に扱っているみたいだった。

 

「……借りてる身体、ね」

 

 五条がぼそりと呟く。

 

「何か思い当たることでもあるのか」

 

「まだ“思い当たる”ってほどじゃないよ」

 

 五条は軽く肩をすくめた。

 

「でも、嫌な方向にはきれいに揃ってる」

 

 死んだはずの夏油傑の姿。別人のような動き。目撃後、向こうも気づいたうえで距離を取っているらしいこと。偶然似た誰かでした、で片づくには情報が整いすぎている。

 

 五条は指先でこめかみを軽く叩いた。

 

 もし誰かが夏油の死体を利用しているのだとしたら、それはかなり悪趣味だ。加えて実利もある。夏油傑という名前と顔は、それだけで呪術界に大きな意味を持つ。恐怖も、警戒も、記憶も引きずる。利用価値としては十分すぎる。

 

 そして何より、五条悟に対して最悪だ。

 

 昔の友人の顔で現れる敵ほど、面倒なものはない。

 

「お前が本当に殺したという前提で考えるなら」

 

 楽巌寺が言った。

 

「死体の回収経路も洗い直す必要があるな」

 

 五条は薄く笑った。

 

「そこ突く? まあそうだよね」

 

「笑うところではない」

 

「分かってるよ」

 

 分かっている。

 

 だからこそ、少し笑うくらいしか余裕の置き場がない。もしここで感情をそのまま表へ出せば、話が先へ進まない。五条はそういう種類の人間だった。

 

「で、僕に聞きたいのは、本当に死んだかどうかの確認だけ?」

 

「それがひとつ」

 

 楽巌寺は答える。

 

「もうひとつは、この報告を五条悟がどう受け取るかだ。お前はそういう異常に関しては、最も見誤りにくい側の人間だ」

 

 五条は少しだけ目を伏せた。

 

 持ち上げているようで、実際にはただの事実確認だ。この老人は、お世辞で人を動かすタイプではない。だからこそ厄介でもあるし、たまにだけ話が早いこともある。

 

「僕の答えは簡単だよ」

 

 五条は報告書を机に戻した。

 

「傑は死んでる。そこは間違いない」

 

 一拍置く。

 

「そのうえで、死体が何らかの形で利用されてる可能性は十分ある。降霊術か、別の術式か、もっと面倒な方法かはまだ分からない。でも、“顔は夏油傑、でも本人じゃない”って報告は、むしろそういう方向でしか説明しにくい」

 

 楽巌寺は黙って聞いていた。

 

「なら、対処は」

 

「追うしかないでしょ」

 

 五条はあっさり言った。

 

「証拠が足りないなら足せばいい。目撃情報が一件なら次を待つ。夏油の顔で動く以上、どこかでまた痕跡は出る」

 

「その前に五条悟へ意図的に接触してくる可能性は」

 

「あるかもね」

 

 五条は軽く笑った。

 

「むしろ、それが一番あり得ると思っているよ。でも、それならそれで早くて助かる。問題は、相手が僕に会いたがる理由がろくでもないことくらいかな」

 

 それを言ってから、五条は椅子の背に深く体を預けた。

 

 少しだけ沈黙が落ちる。

 

 楽巌寺の部屋は相変わらず重い。古い価値観の重さと、今回の報告の重さが変に噛み合って、ひどく息苦しい空気になっていた。

 

 だから五条は、少しだけ話の角度を変えた。

 

「それにしても」

 

「何だ」

 

「真依、ね」

 

 楽巌寺の眉がわずかに動く。

 

「何か言いたいことでもあるのか」

 

「いや別に。意外だっただけ」

 

 五条は肩をすくめた。

 

「真依って、僕の中だとそこまで期待値高い生徒じゃないんだよね」

 

 言い方は軽いが、本心だった。

 

 五条は生徒を見る時、どうしても伸びしろや爆発力の方へ目が行く。乙骨みたいに本人の素質がずば抜けているタイプ、伏黒みたいに本人の自覚より大きいものを抱えてるタイプ。そういう連中に比べると、真依はどうしても地味だった。

 

 悪い意味で言っているわけではない。ただ、呪術師としてのスケールに期待する種類ではない、というだけだ。

 

「呪力も術式も、御三家基準で見れば平凡寄りだしね。あの子が本筋に引っかかる感じはあまりしてなかった」

 

「だが今回は引っかかった」

 

「そうみたい」

 

 五条は報告書へ視線を落とした。

 

「しかも、力押しじゃなくて観察で、っていうのがまたね」

 

 正面突破で世界をひっくり返すタイプではない。けれど、他人が見落とす細部を拾うことにかけては妙に鋭い。もしそういう生徒なのだとしたら、五条が今まであまり注目していなかったのもある意味当然だった。派手じゃないからだ。派手じゃない異常は、派手な異常より気づかれにくい。

 

「まあ」

 

 五条は軽く笑った。

 

「だからって、いきなり評価を改めるほどでもないけど」

 

 五条は立ち上がる。

 

「でも、今回の報告は無視しない方がいい。真依が何を見たのかはともかく、少なくとも“何かおかしい”ってところまでは当たってる可能性が高い」

 

「同感だ」

 

「あと葵にも一応言っといて。アイドルの握手会ついでに毎回毎回特級案件を拾ってくるの、あいつらしいけど困るから」

 

「本人に言え」

 

「めんどくさい」

 

「そういうところだぞ」

 

 五条はそれには答えず、学長室の戸へ向かった。

 

 手をかける直前、少しだけ振り返る。

 

「……もし本当に、傑の死体を使ってる何かがいるなら」

 

 楽巌寺は無言のまま視線を返した。

 

「僕が片づけるよ」

 

 軽い口調のまま言ったその一言だけは、妙に温度が低かった。

 

 冗談でも、見栄でもない。事実として言っている声だった。

 

 楽巌寺は何も言わなかったが、止めもしなかった。

 

 五条はそのまま部屋を出る。

 

 廊下に出た瞬間、学長室の重い空気が少しだけ薄まった。けれど胸の奥に残るものまでは軽くならない。

 

「ほんと、面倒くさいなあ」

 

 誰に聞かせるでもなく呟いて、五条は笑った。

 

 その目だけは、少しも笑っていなかった。

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