どうやろ真依ちゃんに聞いてみよか 作:人の心とかない。AIだから
扇の一件以降、禪院家の中には妙な空気がひとつ増えた。
何かあれば真依に聞け、という空気である。
もちろん、それが公然と家の総意になったわけではない。表向きには誰もそんなことは言わない。とりわけ扇などは、娘に手柄を立てられたという事実そのものを認めたがらなかったし、直毘人も面白がってはいても、わざわざ口に出して広めるほど軽く扱ってはいなかった。
それでも、一度起きたことは消えない。
蔵から消えた家宝級の呪具は、結局、本当に扇の部屋から出てきた。しかも真依が言った通り、押し入れの天袋、右の奥。布で二重に包まれ、その手前には古い装束箱が二つ。隠し場所まで寸分違わなかった。
あの時、扇はしばらく「違う」と言い張っていたが、問い詰められていくうちに、動機まで割れた。
要するに、自作自演だったのである。
先に自分で盗み、家中を騒がせた後で、「自分が取り返した」として功績にするつもりだった。大事な家宝が盗まれるという醜聞は、本来なら家にとって損失だ。だが、それを自らの手で解決したことにしてしまえば、当主筋への忠義にも、有能さの誇示にもなる。扇らしいと言えば、扇らしい発想だった。面倒な仕事を真正面から片づけて評価を得るのではなく、手柄の形だけ先に作る。そういう小細工の上手さだけは昔からあった。
もちろん、その企みは真依の一言で丸ごと潰れた。
あれ以来、扇は表向きますます真依を疎んじるようになったが、同時に妙な警戒も強めていた。自室の鍵は増えたし、私物の置き方も以前より神経質になった。本人は悟られていないつもりなのだろうが、見ている側からすれば分かりやすかった。
そして、あの一件を一番面白がっていたのが直哉だった。
直哉は元々、真依をまともに高く買っていたわけではない。術式も呪力量も、禪院家の基準で見れば中途半端だ。女で、双子で、家の中で上に来るタイプでもない。そういう意味では、今でも評価の根っこは大して変わっていない。
ただ、情報だけは別だった。
真依は妙なほど色々なことを知っている。しかも曖昧な勘ではなく、時々こちらが気味悪くなるくらい具体的に当てる。人の隠し事、置き場所、考えかけていること、最近では死んだはずの男の「中身が違う」まで拾ってきた。
直哉はそこを認めていた。
信頼、という言葉をそのまま使うには少し癪だったが、少なくとも情報源としてはかなり信頼していた。真依本人の性格については、相変わらず可愛げがないと思っているし、素直に褒める気もない。だが、「何かを知っている」という一点に限れば、家の中でもかなり上位に置いていいとすら考えていた。
そんな直哉に対して、真依の方もまた、別種の期待を持っていた。
直哉は嫌な男だ。性格は最悪に近いし、口も悪いし、無駄に人を苛立たせる天才みたいなところがある。そこは今さら変わらないし、今後もたぶん変わらない。
けれど、発言力はある。
禪院家の中で、あの男の声は通る。直毘人の息子であり、本人もまた自分の立ち位置をよく分かっている。家中から好かれているわけではないが、無視される人間でもない。誰かを押し通したい時、あるいは厄介ごとを「これはそういう流れや」と強引に整えたい時、直哉ほど便利な駒はいない。
真依はそこを見ていた。
要するに、二人の関係は少しだけ変わったのだ。
仲が良くなったわけではない。お互いの性格まで急に気に入るはずもない。ただ、前よりも「使い道」を分かってしまった。真依は直哉の口の軽さと発言力を、直哉は真依の異様な情報精度を、それぞれ把握した。
そういう打算の上に成り立つ微妙な協力関係というのは、禪院家ではむしろ珍しくない。
真依は廊下の角を曲がったところで、ちょうど障子にもたれかかっていた直哉を見つけた。人を待っていたというより、たまたまそこに立っていただけのような、いつもの気の抜けた姿勢だった。だが真依が来たのを見ると、直哉はすぐに口元だけで笑った。
「お、真依ちゃん」
「何」
「怖。会って早々その温度なん」
「あなた相手に最初から機嫌がいい方が珍しいでしょ」
「ひどい言い方するなあ」
口ではそう言いながら、直哉はまったく傷ついた様子がない。むしろそのくらいの応酬をちょうどいいとすら思っていそうだった。
「で、何か用?」
「んー、用ってほどでもないけど」
直哉はそこで少しだけ身を起こした。
「真依ちゃんの方は?」
「あるわ」
「へえ」
「だから来たのよ、わざわざ」
真依がそう言うと、直哉はあからさまに面白そうな顔をした。
「何、また誰かが何か隠したんか?」
「今回はそういうのじゃない」
「ほな?」
真依は少しだけ間を置いた。
どう言うか考えているというより、どこから話すのが一番早いかを選んでいる顔だった。
「先に言っておくけど、あなたにしか頼めないわけじゃない」
「うわ、前置きが可愛くない」
「でも、あなたが一番やりやすい」
「それは褒めてる?」
「使いやすいって意味なら」
「褒めてへんなあ」
直哉は笑った。笑いながらも、聞く姿勢にはなっている。
真依はそこを確認してから言った。
「家の中で、また何か隠してる人がいる」
直哉の目が少し細くなる。
「また、ってことは扇叔父さん系列?」
「そこまで露骨じゃない。でも、似たようなにおいはする」
「ふうん」
「今回は家宝を盗んで手柄にしよう、みたいな陳腐で分かりやすい自作自演じゃない。もっと大がかりな何かよ」
真依の声は平坦だったが、その言い方には少しだけ刺があった。
あの件を思い出しているのだろう。無理もない。自分の父親が、家のためでも何でもなく、自分を有能に見せるためだけに家宝を隠し、しかもそれを回収した功績で立場を上げようとしていたのだから、娘として気分のいい話であるはずがない。
直哉は口元に薄い笑みを残したまま言った。
「叔父さん、あれ以降ちょっと静かやったもんな。まあ恥かいたし」
「恥で済んでるのが甘いと思うけど」
「それはそうやね」
そこで直哉は肩をすくめた。
「でも、あの人が小物なんは周知の事実やし」
「あなたに言われると、少し面白い」
「それ、悪口?」
「半分は」
「半分だけなんや」
真依は返さなかった。
代わりに、もう少し本題へ寄せるように言葉を継ぐ。
「今回は家の中の誰かが、悪い連中とつながっている可能性があるの」
直哉の表情が、そこでほんの少しだけ変わった。
ふざけた調子は残っている。けれど、目だけは少し真面目になる。その切り替えの速さは、この男の嫌なところでもあり、便利なところでもあった。
「悪って、どのくらいの悪なん?」
「そこまではまだ言い切れないわ」
「言い切れへんのに話持ってきたん?」
「言い切れないけど、家の中だけで完結する動きじゃないことは分かる」
真依は廊下の先をちらりと見た。誰もいないことを確認してから、声を少しだけ落とす。
「最近、人の出入りが少しおかしい。数の問題じゃなくて、見られ方を気にしてる人の動き方になってる。堂々と通るんじゃなくて、ちゃんとした用事があるふうに見せながら、視線だけ別の場所を見てる感じ」
「……相変わらず気味悪いとこ見てるなあ」
「そっちが勝手に隠そうとするからでしょ」
「いや俺ちゃうやん、今回」
「今のところはね」
さらりと言われて、直哉は少しだけ笑う。
気を悪くしたふうでもない。真依にそう言われること自体は、もはやある程度織り込み済みなのだろう。
「で、誰なん」
「まだ絞りきれてない」
「使えへんなあ」
「だから、あなたが必要なのよ」
その言い方に、直哉は少しだけ眉を上げた。
真依がこういう頼み方をするのは珍しい。下手に出るわけではないし、愛想よくお願いするわけでもない。必要だから動いて、必要だから名前を出す。それだけだ。
けれど今の一言には、打算の輪郭がかなりはっきり出ていた。
「僕の発言力が欲しいわけや」
「そう」
「正直でええやん」
「分かりやすい方が早いでしょ」
「まあな」
直哉は障子から背を離した。
「ほんで、俺に何をさせたいん」
「簡単よ。ちょっと騒いでほしいだけ。いつもみたいに」
「最低の依頼やな」
「適任でしょ」
即答だった。
直哉はそこでとうとう声を出して笑った。
「真依ちゃんさあ、最近ちょっと俺の使い方うまなってへん?」
「前から分かってた。あなたが何か言えば、人は集まるし、余計な顔も出てくる。誰が反応するか見たい」
「なるほどなあ」
直哉は顎に手を当てた。
その顔は楽しそうだった。厄介ごとを嗅ぎつけた時の顔である。自分が主導権を取れるかもしれない話、自分の声で場が動く話、そして自分より先に真依が何かを嗅ぎ取っている話。その三つが揃えば、この男が食いつかないはずがない。
「ちなみに、どの程度の確信なん」
「八割くらい」
「高いな」
「残り二割は、私の考えすぎ。父みたいな小物って可能性」
「辛辣やね」
真依は少しだけ視線を細めた。
「ただ、もしこれがヤバイ連中とつながる話なら、家の中だけの格好悪い自作自演より面倒になる。だから、早めに揺さぶりたい」
直哉はそこで一瞬だけ黙った。
真依の言葉には、たまにこういう種類の重さが混ざる。いつものように「誰が何を隠している」では済まない、もう少し大きな嫌さの予感。そういう時、直哉は本能的に聞き流さない。
「……ヤバイ連中ってのは呪詛師のことなん?」
「その可能性もあるわ。夏油傑が絡んでいるかもしれないし」
「あの人、死んだんやなかったん?」
「それらしい人物を見たのよ」
「それやと悟君が仕留め損なったことになるやん。トロすぎん?そんなことある?」
「あるいは死体を悪用しているのかもしれないわ」
「根拠は?」
「夏油傑の死体を処理した記録がどこにも残ってない。いつ誰がやったのか」
「それが家と何の関係があるん?上の連中にねずみが紛れ込んでるちゃうんか」
「構築術式」
「!」
「死体を偽造するにはちょうどいいと思わない?」
「ちょい待ち、構築術式でそれやったんなら」
「ええ。自死の縛りで底上げしている」
真依は少し考えてから、言葉を足した。
「……相変わらず説明が嫌に具体的やな」
真依はそこで、少しだけ息を吐いた。
「それで、やるの?」
「やるやろ、そら」
直哉は笑った。
「せっかく真依ちゃんが頼ってきてくれてんのに、断る理由ないやん」
「頼ってるって言い方は違う」
「どちらにせよ、貸し1つや。ほんで?」
直哉はすぐに続ける。
「どう騒いだらええ?」
「最近、蔵の管理がまた甘いって話をして」
「うわ、叔父さん刺されるやん」
「そのため」
「正直やなあ」
「前の件を蒸し返せば、あの時関わった人たちはたぶん反応する。そもそも実行犯は父じゃないし」
「それ、もうちょい早く言ってや」
「直接じゃなくても、目線とか、口の挟み方とかで分かると思う」
「つまり、扇叔父さんが家宝を盗んで、あとから自分で取り返したことにして手柄を作ろうとした件を、あえてまた思い出させるわけや」
「そう」
「性格悪」
「あなたほどじゃない」
「どうやろ?真依ちゃん、分かっとるんやない?」
直哉は上機嫌だった。
真依から見ても、それが分かった。こういう場面の直哉は本当に扱いやすい。面倒な男だが、自分が面白がれる話には勝手に乗ってくる。しかも発言力があるから、勝手に波を立ててくれる。
真依が欲しいのは、まさにそこだった。
「一応聞いとくけど」
直哉がふと声の調子を変えた。
「もし外とつながってるんが、叔父さんレベルやのうて、もうちょい厄介な相手やったら?」
「その時は、その時で次を考える」
「雑やなあ」
「雑じゃない。あなたが動く範囲がそこまでってだけ。あなたにとって面白い話じゃないから、絶対に手伝わない」
「ひどいなあ。まるで俺に人の心とかないみたいやん」
「事実でしょ」
「まあ否定はせんけど」
そこで直哉は少しだけ真依を見下ろした。
昔なら、この距離で立たれるだけでも真依を不快にさせるための圧になっただろう。実際、今でもそういう意図がゼロとは言わない。だが、今の二人の間には昔と少し違う均衡があった。
真依は直哉の声の通り方を知っている。
直哉は真依の情報の精度を知っている。
それだけで、力関係は少し変わる。
「真依ちゃん」
「何」
「最近ほんまに、俺の使い方覚えたよな」
「前から知ってたって言った」
「いや、知ってるだけやのうて、加減が分かってきてる。前は嫌がって終わりやったのに」
「必要になっただけ」
「それ、成長って言うんやで」
「あなたが言うと嫌」
「ほんまひどいなあ」
言いながら、直哉はもう廊下の向こうへ足を向けていた。
やる気になった時の動きは早い。思いついたらすぐやるし、やるなら人前で派手にやる。そういう男だ。
真依はその背中を見ながら、小さく言った。
「直哉」
「ん?」
振り向きもしないまま返事が来る。
「必要以上に話を大きくしないでよ」
「そこは善処するわ」
「信用ならない」
「任してくれとるやん」
直哉がようやく振り向いた。
口元にはいつもの軽薄そうな笑みがある。けれど、真依は知っている。こういう時の直哉は、少なくとも自分の中ではきちんと線を引いている。完全に放埒に壊しに行く時の顔ではない。
「あなたが厄介な人間なのは知ってる」
真依は言った。
「でも、最近そこそこ信用してる」
それは半分だけ本音だった。
本当に信用しているのは、直哉そのものではなく、直哉が自分の利益になりそうな話を見逃さないことの方だ。だが、そのくらいならわざわざ細かく訂正しなくてもいい。
直哉はそこで、少しだけ目を丸くした。
「へえ。真依ちゃんにそこまで言われるん、結構珍しいで」
「喜ばないで」
「喜ぶやろ、そら」
直哉は喉の奥で笑う。
「俺かて、真依ちゃんのこと、情報に限ればかなり信用してるし」
真依は黙った。
それは冗談ではないのだろう。少なくとも、半分以上は。
直哉が人を信用する時、それはだいたい能力に対してであって、人間性に対してではない。真依もまた、同じだった。だからたぶん、この言葉は二人の間ではかなりまともな部類のやり取りだった。
「じゃ、ちょっと騒がせてもらうわ」
直哉はそう言って歩き出した。
「上手く釣れたら褒めてな」
「結果次第」
「厳し」
その背中が廊下の角を曲がって見えなくなるまで、真依はその場に立っていた。
少ししてから、家の向こう側で直哉の声が聞こえ始める。わざとらしく大きく、少し人を苛立たせるような調子で、最近の蔵の管理だの、家宝の扱いだの、誰かさんの手柄の立て方だのを口にしている。
あれなら、何人かは確実に反応する。
真依は小さく息を吐いた。
直哉は嫌な男だ。そこは本当にどうしようもない。性格も悪いし、無駄に人を煽るし、自分が気持ちよくなるために場を混ぜ返すことも多い。
けれど、使いどころだけは間違えなければ役に立つ。
少なくとも今は、その役に立ってくれればそれでよかった。
それに、少しだけ昔を思えば、今のこの関係はやはり変だった。
昔の直哉は、真依を軽く見ていた。今でも軽く見ている部分はあるだろう。だが、同時に情報に関しては無視できなくなっている。真依もまた、直哉の性格の悪さを嫌っていながら、その発言力に期待して動かしている。
禪院家らしいと言えば、禪院家らしい。
好き嫌いではなく、使えるかどうかで組む。
その打算の上に、妙な信頼だけが少しずつ積もっていく。
たぶん、それで十分なのだ。