どうやろ真依ちゃんに聞いてみよか 作:人の心とかない。AIだから
湿った空気だった。
地下。
人の気配を遠ざけた空間に、呪霊たちが集まっている。
薄暗い室内の中央で、真人が床に座り込み、頬杖をついていた。
いかにも退屈そうな顔だが、その目だけは落ち着きがない。
何か面白い玩具でも探している子どものように、絶えずどこかを見ている。
「ねえ、あの子さあ」
最初に口を開いたのは真人だった。
「やっぱ変じゃない?」
言い方は軽い。
だがその軽さの裏で、視線だけが妙に細い。
少し離れたところで漏瑚が鼻を鳴らした。
「今さら何を言う。前にも似たようなことを言っておっただろう」
「言ったよ。でもさ、改めて考えてもやっぱ変なんだって。だって術式っぽくないじゃん」
「術式でないなら何だと言う」
「それが分かんないから気持ち悪いんでしょ」
真人はにいっと笑う。
笑ってはいるが、純粋に面白がっている時の笑いとは少し違う。
得体の知れないものへ近づく時の、あの妙に慎重な好奇心だ。
花御は黙っていた。
もともと多くを喋る方ではない。
だが話を聞いていないわけではなく、静かに気配だけを向けている。
そして、その場の最後の一人――夏油傑の顔をした男は、いつものように穏やかな顔で三体のやり取りを眺めていた。
「禪院真依、だっけ」
真人が続ける。
「弱いんだよね、あの子。少なくとも見た感じは。呪力量も別に大したことないし、いかにもすごい術師って感じじゃない」
「そこまで珍しい話ではあるまい」
漏瑚が言う。
「御三家とやらにも出来損ないは出るのだろう」
「そういう話じゃなくてさあ」
真人はそこで寝転がるみたいに後ろへ手をついた。
「弱いくせに、変なとこだけ触ってくる感じ。あれが嫌なんだよね」
「……触る?」
羂索が静かに問い返す。
わざと続きを促すような調子だった。
「うん。核心っていうの? そういうやつ」
真人は軽く指を振る。
「べつに殴ってくるわけじゃないし、術式でどうこうしてくるわけでもない。でも、こっちが隠してるものとか、見せてないつもりのものとか、そういうのの輪郭だけ妙に撫でてくる感じ」
漏瑚は不愉快そうに眉を寄せた。
「曖昧な物言いだな」
「曖昧にしか言えないんだって。俺もまだちゃんと分かってないし。なんなら、直接会った訳でもないし」
真人は肩をすくめる。
「でもさ、夏油の顔見て『これ本人じゃない』ってなるの、普通じゃなくない?」
その場の空気がほんの少しだけ静かになった。
羂索は否定も肯定もしない。
ただ、真人の言葉をそのまま受け止めるように目を細める。
花御がそこで初めて口を開いた。
「……人の子にしては、濁りが薄い」
低く、静かな声だった。
真人が顔だけそちらへ向ける。
「濁り?」
「恐れ、怒り、欲、執着……そういうものを辿れば、多くの人間は分かる。だがあの娘は、それが薄い」
「へえ」
真人は少しだけ目を丸くした。
「花御がそう言うの珍しいね」
「薄いというより、静かすぎる」
花御は続ける。
「静かだから空ではない。何もないのではない。ただ、騒がない。だから見失う」
「はあん……なるほどねえ」
真人は感心したように頷く。
「確かに。あの子、知っててもあんまり嬉しそうじゃないもんね。『知ってやった』って感じでもないし、優位に立ちたい感じも薄い。そこが余計に気持ち悪いんだ」
漏瑚が腕を組んだ。
「ならばなおさら、脅威ではあるまい。力として振るえぬものに大した意味はない」
「そうかなあ」
真人は笑う。
今度の笑みは少し悪い。
「自分で振るえなくても、勝手に当てられるだけで十分邪魔なことってあるよ。だって隠し事って、隠れてるから意味があるんじゃん。それこそ夏油みたいに」
「…………」
漏瑚はすぐには返さなかった。
理屈としては理解できるのだろう。
だが、理解した上で気に食わないという顔だ。
「例えばさ」
真人は指先を遊ばせるみたいに宙をなぞる。
「計画があるとして、それを誰にも話してないのに、なんか妙に嫌なところだけ察してくるやつがいたら嫌でしょ?」
「嫌、というより殺す」
漏瑚は即答した。
「だよねえ」
真人はくすくす笑った。
「だから気になるんだよ。強い弱いの話じゃなくて、相性の話として」
羂索はそこでようやく口を開いた。
「正しい見方だ」
穏やかにそう言う。
「呪術師として優秀かどうか、戦闘で脅威かどうか、それと別に厄介な性質というものはある」
「でしょ?」
真人は少し得意そうに笑う。
「俺、そういうの分かるんだよね」
「貴様は単に面白がっておるだけだろう」
漏瑚が吐き捨てる。
「面白いのも本当だよ。でもそれだけじゃない」
真人はそう言って、ころりと表情を変えた。
「俺、あの子あんまり好きじゃないかも」
軽い口調のまま、言葉だけが少し重くなる。
「好き嫌いで語るな」
漏瑚が苛立たしげに言う。
「だってそうでしょ。普通の人間は、もっと分かりやすいんだよ。歪んでたり、濁ってたり、叫んでたり、隠してるつもりでも結局どっかに出る。でもあの子、そういうのをすっ飛ばしてくる感じがする」
「すっ飛ばす、か」
羂索が繰り返した。
「うん。途中を踏まない」
真人は膝を抱え、顎を乗せる。
「観察したとか、推理したとか、そういう人間らしい手順が見えないんだよね。なのに結果だけ当たる。ああいうの、なんか嫌」
花御が静かに言った。
「人ではある。だが、人の流れから少し外れている」
「花御、それ結構ひどくない?」
真人が笑う。
「事実だ」
花御の声に揺れはない。
「外れているものは、時に森でも先に風を知る」
「詩的だねえ」
真人は面白そうに言ったが、意味はちゃんと拾ったらしい。
「要するに、流れの先をちょっと先に踏む感じ?」
「近い」
漏瑚は不機嫌そうに舌打ちした。
「どいつもこいつも回りくどい。要は危険か、危険でないかだ」
「すぐそれ言う」
真人が呆れたみたいに言う。
「でも、その分け方だと今はまだ半端じゃない? 強くはない。けど邪魔かもしれない。使えるかもしれない。放っておいたら面倒かもしれない。そういうやつ」
「ならば早めに潰すべきだ」
漏瑚は低く言い切る。
「芽のうちに摘めるなら摘む。それだけだ」
「でもさあ」
真人はわざとらしく首を傾げる。
「使えるかもしれないんでしょ?」
その言葉に、漏瑚の目がわずかに細くなる。
「使う?」
「だって、何か知れるんなら便利じゃん」
真人は無邪気な声で言う。
「隠れてるものとか、騙してるものとか、そういうのを勝手に拾うなら。こっちで上手く向けられたら楽しそう」
「楽しそう、で決めるな」
漏瑚は露骨に嫌そうだった。
真人は笑うだけで答えない。
羂索はそのやり取りをしばらく眺めていたが、やがて静かに口を開いた。
「今のところ、接触は急がない」
結論だけを置くような口調だった。
「まだ情報が足りない。あれが本人の資質によるものか、偶発的なものか、あるいは別の条件があるのかも見えていない」
「へえ。慎重」
真人が言う。
「慎重というより当然だよ」
羂索は微笑む。
「理解していないものに、早い段階で触れすぎるのは得策ではない」
「でも、気になってはいるんでしょ?」
真人は覗き込むように訊いた。
「もちろん」
羂索はあっさり認めた。
「私自身との相性があまり良くなさそうだからね」
漏瑚がそこで低く唸るように言った。
「やはり、正体を見抜かれる恐れがあるか」
「恐れ、というほどではない」
羂索は穏やかなままだ。
「ただ、ああいう手合いは偽装と相性が悪い。理屈を辿らずに違和感へ届くなら、整えた表面ごと剥がされる可能性がある」
「やっぱ嫌じゃん」
真人がすぐ言う。
「嫌だとも」
羂索は笑った。
「だが嫌なものと価値があるものは、両立する」
花御が小さく頷いた。
「脅威と種は、似た顔をすることがある」
「また詩的」
真人が言う。
「でも分かるかも」
漏瑚はまだ納得していない顔だった。
「結局どうする」
「見る」
羂索は言った。
「もう少しだけ。あの娘がどこまで触れるのか、何に反応し、何には反応しないのか。そこを確かめる」
「放置か」
漏瑚は不満そうだ。
「監視と言ってほしいな」
羂索は穏やかに訂正した。
「変わらん」
漏瑚は切って捨てる。
「では、それを察知されたらどうするというのだ」
「それを含めて監視だよ。心配しなくても、私が接触することはもうない」
真人はそこでくすっと笑った。
「でもさ、ちょっと分かる。消すには惜しいよね、ああいうの」
「本当に玩具を見る目だな」
漏瑚が吐き捨てる。
「だって面白そうじゃん」
真人は悪びれない。
「弱いのに、弱いだけじゃ済まない感じ。壊したらどうなるかも、近づいたら何が見えるかも、ちょっと気になる」
「勝手に動くなと言っている」
「はいはい」
返事は軽い。
どうせ半分も本気で聞いていない。
漏瑚は明らかにそう思っていたし、実際その通りでもある。
だが羂索はそこで真人を咎めなかった。
ただ静かに視線を向けるだけだった。
「まあ、君が興味を持つのも分かるよ」
羂索は言う。
「人間らしくない人間、というのは案外珍しい」
「でしょ?」
真人はにっと笑う。
「呪霊っぽくもないのがまた変なんだよね。人間なのに、人間の嫌なとこが妙に静かでさ」
「静かだからといって無害ではない」
花御が言う。
「うん、それ」
真人はすぐ同意した。
「たぶんそこ。静かなのに、たまに刃物みたい」
漏瑚が鼻を鳴らす。
「結局、貴様も危険だと思っているではないか」
「思ってるよ」
真人は笑ったまま答える。
「ただ、危険だから面白いんじゃん」
その言葉に、漏瑚は露骨に顔をしかめた。
花御は何も言わない。
羂索だけが、わずかに目を細める。
「……では、しばらくは保留だ」
羂索が最後にそう告げた。
「禪院真依。今はまだ、盤面の端にいる小さな駒に過ぎない。だが、端の駒が時に思わぬ形で盤を乱すこともある」
「それ、将棋の話?」
真人が首を傾げる。
「さあ、どうかな」
羂索は笑うだけだった。
そこで会話はひとまず途切れる。
湿った空気。
薄暗い地下。
誰もが次の言葉を急がない沈黙の中で、それぞれ別々のかたちで同じ少女を思い浮かべていた。
弱いはずの娘。
禪院家の中で軽く扱われている娘。
なのに時々、触れてほしくない場所へ妙に正確に手をかけてくる娘。
漏瑚にとっては、不快な火種だった。
花御にとっては、流れから少し外れた静かな異物だった。
真人にとっては、気味が悪くて面白い玩具候補だった。
そして羂索にとっては――
まだ名付けきれない、厄介で、有用かもしれない何かだった。