気が付いたら原作のこの時期より湿度が高めになったような気もしますが、それもいい。
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3月14日。去年までは、1年365日のうちのただの1日だった。今年から俺にとって違う意味を持つ日になっていた。
1か月前の2月14日。幼いころから家族交流の一環のような形でバレンタインのチョコをくれていた久美子が、わざわざ京都まで行って、いいチョコレートを買ってプレゼントしてくれた。めでたく恋人同士になったのだから、例年とは違う何かがあるだろうと期待してはいたのだが、思っていたよりもしっかりしたものをもらってしまった。
もちろん嬉しかったのだが、「これはお返しも頑張らないといけないぞ」と思ったものだ。
どうするか悩んでいるうちに、気づけばホワイトデー直前の週末になっていた。たまたま同じような悩みを親友のちかおが抱えていることを知った俺は、二人で買い物に行くことを提案して実行した。
その結果、ホワイトデー当日となった今日。スクールバッグの中には、丁寧にラッピングされた包みが入っている。抜き打ちの荷物検査でもあったら困るところだったが、日付が日付なだけに実施はされなかったようだ。
「よかったな、塚本。荷物検査なくて」
「あったらどうしようかって思って朝から戦々恐々だったわ」
1日震えながら過ごしていたが、もう放課後で部活も終わる時間だ。さすがにここから取り締まるようなこともあるまい。
部活終わりの全体ミーティングが始まり、前で吉川部長が半月後に迫った新入生受け入れの話をしている。歓迎演奏の選曲結果と、楽器編成を発表していた。川島がエレキベースを弾けるのは駅ビルコンサートの時から知っていたけれど、中川先輩もエレキギターが弾けるらしい。
北宇治に入学して、もうすぐ1年。府大会銅賞常連だった北宇治吹奏楽部が、全国大会で銅賞を取った。本当にいろんなことがあった1年だった。
それに――。1年前、中学卒業したばかりの自分に、「お前、1年後には久美子と恋人同士になっているぞ」と言っても信じないだろう。あの時は、なんとか同じ高校に入学できることが決定し、どうやって仲を戻そうかと必死に考えていたのだから。
「塚本、瀧川。メシ行こーぜ」
全体ミーティングが終わり、部員が自主練に向かったり、帰宅の準備をしたり始めたころ。吹奏楽部内で数少ない男子の先輩である、滝野先輩に声をかけられた。吹奏楽部で圧倒的少数派男子同士、結束は大事だ。たまに部活帰りにファストフード店で集まり、親睦を深める――とはいっても、なかなか女子の前でしづらいような話をするだけだが――こともある。
「あれ、後藤先輩は誘わないんですか?」
隣にいたちかおが先輩に尋ねた。その質問に対し、「お前らわかってねぇなぁ」というように、ため息をつきながら滝野先輩は答える。
「今日は3月14日だろ?ホワイトデーだろ?アイツは用事があるに決まってるだろうが。わかっていて誘うほど野暮なことはしないって」
笑いながら言う滝野先輩。俺とちかおは苦笑いしながら顔を見合わせた。どうやらこれから、滝野先輩にとっては悲しいお知らせになることを伝えなければならないようだ。
「すみません、先輩。実は俺もちかおも、この後予定がありまして……」
徐々に先輩の顔から笑みが失われていく。最後に残ったのは、焦りなのか失望なのか。少なくとも、その表情に覇気はなかった。
「そうか、お前らもなのか……俺は独りで寂しく自主練でもしてくるよ。お幸せにな……」
今度詳しく教えてくれよ。そう言いながら悲壮感を漂わせながら去っていく先輩に申し訳なく思う。常日頃から彼女が欲しいと言っている先輩だが、ついに吹部のなかで唯一彼女のいない男子になってしまったわけだ。悪い人ではないわけだし、もう少しまじめにいろいろ取り組んでいれば自ずと好意を持ってくれる人も出てくるんじゃないか、とは思うのだけれど。
§
「すまん、待ったか?」
「ううん、大丈夫」
京阪宇治駅から、自宅のあるマンションと逆方向にある住宅地の入口にあるブランコのある公園。付き合い始めてから、俺と久美子が一番一緒の時間を過ごしている場所だ。知り合いに目撃されることがないよう、学校近くで合流するのは避け。宇治駅まで戻ってきたとしても、家族や中学の同級生から目撃される可能性を考慮して――ということで、この場所に落ち着いた。
そこまで気にしなくても、とは思うのだが、知り合いに目撃されるのがどうやら恥ずかしいらしい。久美子がそう思うなら、俺はその考えを尊重するだけだ。
「今日のミーティングで吉川部長も言ってたけど、そろそろ新入生が来るよな。1年あっという間だったなぁ」
「ね。ちょっといろんなことがありすぎだった気もするけど」
溜息と苦笑いのセットを久美子は浮かべていた。あとから聞いた話も多かったが、傘木先輩の復帰の時や、田中先輩の時も久美子はかかわりを持っていたらしい。それ以外でも、定期演奏会係の補佐を務めていた。先輩の中に1年生一人だけ混ざって仕事するのは、正直かなり大変だったと思う。そして来週は、立華と合同のドリームパークで演奏会だ。久美子はそこで高坂とソリをやることになり、とても嬉しそうにしていたことは記憶に新しい。その表情がとてもかわいかったということは、俺の脳内メモリーに一生焼きつけておきたい。
「久美子は新入生指導係を加部先輩とやるんだっけか。うまくやれそうか?」
「う~ん、どうかなぁ……指名されたからには頑張りたいと思うけど、私より適任な人、いると思うんだけどなぁ。緑ちゃんとか葉月ちゃんのほうが、私より明るくて元気だから、新入生からの印象はいいと思うんだけどなぁ」
「先輩たちには先輩たちの考えがあるんだろうけれどさ。俺は久美子もいい仕事できると思うぜ」
「え……?」
久美子が目をぱちくりとさせて、不思議そうな表情を浮かべている。
「意識してやっていることではないと思うけどさ。久美子って部活全体の些細な変化も気がついているんだよ。そして気が付いた後、何かしら行動してる。そういうことに気づけるところ、久美子のいいところだと思うしさ。だから選ばれたんじゃないかな」
実際、どういう基準で2年生が久美子を選んだのかはわからないけれど。向いている面があるっていうのは間違いないと思う。
「困ったことがあれば声かけてくれよ。相談に乗れることがあれば相談に乗るし、加部先輩にも言いづらいような愚痴とかだって、聞いてやることはできるからさ」
久美子は少しだけ視線を落とした。それから、小さく笑う。
「……ありがと」
そう言って久美子はにっこりと笑った。これから吹部でいろんな仕事をすることになるかもしれないけれど、久美子にはいつもこの笑顔でいてほしい。それは俺のわがままだろうか。
「ということで。久美子が頑張れるようにこちらを差し上げます」
スクールバッグの中から、ラッピングされた包みを取り出して、久美子に渡した。
「いわゆるホワイトデーってやつだな。どうぞ、お納めください」
「ありがとう!でも、小四のころから今までずっとお返しなんてしてくれなかったのに、どういう風の吹き回し?」
「これでも一応、彼氏なので」
そう言った自分の頬が熱くなっているのを感じる。関係性が変わって数か月経ってはいるものの、まだまだ言葉にするのは慣れない。
久美子も同じようで、顔が真っ赤だ。
お互い、真っ赤になった顔を見合って自然と笑顔がこぼれ落ちた。
まだほんの数か月なのだ。きっと、これから長い間この関係性は続くはず。続くと、信じている。
先の未来を楽しみにしながら、俺は久美子の手をそっと握った。久美子もそっと、少し照れながら握り返してくれる。
いつか、「こういうこともあったよな」と振り返るときが来るのを夢見ながら、しばらく無言のまま座り、お互いの体温を感じていた。