聖女は穢れ判定が出たら即世界滅亡ってマジで? 作:no-bell
――神様、バグ報告です。それとも、仕様変更の通知漏れでしょうか。
鏡の中に立っていたのは、どう見ても「俺」ではなかった。
透き通るような白銀の髪。指を通せば光の粒子が零れ落ちそうなほどに細く、滑らかだ。背中に流れるたびに、絹糸が肌を愛撫するような、微かな重みと冷ややかな摩擦が伝わってくる。
蒼氷色の瞳は、潤みを帯びて世界を拒絶するように美しい。
『エピタフ・ファンタジー』。
サービス終了直前、俺が全財産と睡眠時間を投げ打ってランキング1位を死守した、あの覇権ソシャゲの不動のヒロイン。
慈愛の聖女、セレーナ・エル・フェリス。
(……いやいや、待て待て。落ち着け。まずは状況整理だ。三日三晩の不眠不休イベント周回。ランキング確定の瞬間、心臓が「ギュッ」となって……。あ、これ死んだわ。過労死して推しキャラに転生したやつだ。令和のテンプレかよ!)
パニックに陥る脳が、オタク特有の回転数で現状を分析しようとする。だが、肉体がそれを許さない。
ふと、視線を下げた。
薄いシルクの寝着越しに、控えめだが確かな自己主張を持った「膨らみ」が視界に入る。
恐る恐る、震える指先でそこへ触れてみた。
「…………っ!?」
指先から脳天へ突き抜ける、電気のような熱。
柔らかい。あまりにも柔らかい。自分の肉体とは思えないほど弾力があり、それでいて指の体温がダイレクトに胸の奥へと溶け込んでくる。
そして、致命的な喪失感。
股間の、あの、長年連れ添った「重量感」が消え失せている。
代わりにそこにあるのは、ひどく心許ない空虚さと、太腿同士が直接触れ合うスースーとした未体験の感触。
(ない。俺の
あまりの衝撃に、思わず吐息が漏れた。
「あ、……ぁ…………っ」
その瞬間、脳が震えた。
自分の喉から溢れたのは、鈴の音を転がしたような、あまりにも澄んだソプラノ。
その響きがセレーナとしての繊細な鼓膜を震わせ、脊髄を伝って全身をゾクゾクと駆け巡る。自分の声に、自分の身体が「女」として反応してしまう――吐き気を催すほどの倒錯した快感。
その時、網膜にノイズが走った。
――――――――――――――――
【警告:聖域の純潔指数が低下しています】
現在値:99.98% (判定:極めて清純)
※指数が0%に到達した瞬間、世界結界が崩壊し、全人類が消滅します。
――――――――――――――――
(は……? 純潔、指数……?)
目の前に浮かぶ半透明のウィンドウ。ゲーム画面そのもののUIだ。
だが、書かれている内容は冗談では済まない。
99.98%。
たった今、俺が自分の「胸」に触れ、股間の「消失」に動揺した瞬間に、0.02%減った。
(待て、これってもしかして……中身が「おじさん」だって自覚したり、エロいこと考えたり、男らしい動作をするだけで減るのか!? 聖女のアイデンティティが損なわれる=世界の終わり? 判定ガバガバすぎんだろ、どんなクソゲーだよ!)
青ざめる俺――否、セレーナの前に、音もなく部屋の扉が開いた。
「――セレーナ様。お目覚めになられましたか」
入ってきたのは、数人の侍女たちだ。
彼女たちは一様に床に跪き、まるで神を仰ぐような、熱烈で狂信的な眼差しを向けてくる。
その中心に立つ筆頭侍女のイネスが、慈しむような笑みを浮かべて近づいてきた。
(うわ、出た。チュートリアルNPCのイネス。設定では『聖女を崇拝するあまり、入浴後の残り湯を聖水として服用している』ヤバい女だ……!)
「皆様、聖女様がお目覚めです。さあ、本日も世界を癒やす清らかな一日を始めましょう」
イネスが差し出してきた手に、反射的に自分の手を重ねてしまう。
おじさんのガサついた手ではない。白磁のように白く、指先まで完璧に整えられた、触れれば折れてしまいそうな美少女の手。
彼女の指先が俺の掌をなぞった瞬間、ぞわっと鳥肌が立った。
(やべえ、今『女の手に触られてビビる』っていうチェリーな反応しちゃった……!)
【純潔指数:99.90%(↓下降中)】
(減ってる! どんどん減ってる!! 落ち着け、俺。いや、私! 私は聖女! 私は世界で一番清らかな美少女! おじさんなんて最初から存在しない、いいね!?)
必死で脳内のおじさんを深淵へと押し込み、ゲーム内での彼女の台詞回しをトレースする。
唇をわずかに震わせ、慈愛に満ちた、それでいてどこか儚げな微笑を形作った。
「……ええ、おはよう、イネス。皆も……。今日も、主の光が皆様に降り注ぎますように」
完璧だ。
自分の声ながら、聞き惚れるほどに「聖女」している。
侍女たちは感極まったように溜息を漏らし、数人は涙ぐんで祈りを捧げ始めた。ちょろい。これならいける。
だが、イネスの次の言葉に、思考は氷結した。
「さあ、まずは御身を清めましょう。昨夜の汗を流し、その尊きお身体を磨き上げるお時間です。……さあ、寝着をお脱ぎくださいませ」
(…………は?)
イネスの手が、寝着の襟元にかかる。
指先が鎖骨をかすめ、薄い布地が肩から滑り落ちようとする。
(ちょっと待て。清めるって何。お身体を拭く……? まさか、全裸にする気か!? この、今まさに開発されたばかりの、処女膜から毛穴の数まで設定されているであろう完璧な肉体を、他人の前で、真っ裸に!?)
鏡の中の自分が、屈辱と羞恥に頬を染め、瞳に涙を浮かべている。
その「聖女の恥じらい」という最高のスパイスに、侍女たちの眼差しはさらに濁った熱を帯びていく。
「セレーナ様? どうされました、そんなに震えて……。大丈夫ですよ、私たちが隅々まで、丁寧に、慈しみを持って、お拭きいたしますから」
イネスの瞳の奥に、隠しきれない独占欲が宿る。
彼女たちの手が一斉に伸びてくる。
俺の、まだ自分でも全容を把握していない「女の子」の身体を、暴き、弄ぶために。
(……詰んだ。これ、脱がされた瞬間に精神が耐えきれなくて、純潔指数がゼロになる。世界が滅ぶ。俺の羞恥心一つで、この世界の全人類が巻き添えだ……!!)
【純潔指数:98.50%(↓急速に下降中)】
「さあ、セレーナ様。……すべて、私にお預けください」
薄いシルクが、音もなく床に落ちた。
肌に触れる冷たい空気。そして、自分のものではない複数の視線が、俺の柔らかな肌を舐めるように這い回る。
(やめろ……来るな! 見ないでくれ! そこは、そこだけはまだ俺も見てな――っ!!)
絶望の悲鳴を上げようとした喉から、可愛らしい、くぐもった吐息が漏れる。
聖女セレーナの、世界で一番過酷な一日が始まった。