魔法少女ノDr.STONE   作:ゴータロー

2 / 9
まあ、変な人ではあるよ。

情熱的、努力家、うん、そうだね。

それは正しいよ。

でもさ、なんていうかな、楽しそうなんだよね。

ずっとワクワクしてるって感じ。

知らないことが面白くて、たまらないんだろうね。

えっ?

いや、おじさんはそういうのじゃないよ!

見てるとなんかさ、思い出すんだよね、大事な人のことを。


ーー佐伯ミリア



#2『ガールズトーク』

 

 

千空が作り上げた味の素は、屋敷に囚われた少女たちに好評だった。徹底的に出汁を搾り尽くされたキノコは、塩漬けにして料理の付け合わせにも活用された。

その間も千空は、メルルに牢屋敷の周辺に自生している植物をしつこく聞き出していて、

「コイツはターメリックとサフランじゃねーかぁ〜! コレがあればカレーが作り放題だなぁ〜」

だとか、

「お花畑にタンポポが無限に生えてやがる。乾燥して焙煎すればコーヒーも飲み放題だなぁ〜」

だとか言って、少女たちの食生活を斜め上の方法で急速に改善していった。

牢屋敷周辺の採取、探索が千空の日課となる中、なし崩し的に運搬係としてシェリー、案内役としてのメルルに、その他全般としてエマが付いて歩くことが多くなっていた。

持ち帰られた素材は手先の器用なハンナと、どこからでも火を起こせるアリサが千空の指示で加工していく。

千空グループは大所帯となっていたが、それ以外のメンバーも手伝いに顔を出すようになっていた。何せ実益がある上、牢屋敷内は時間があって暇なのだ。

ココやマーゴは人に馴染もうとしない性格もあるのだろう、あまり深入りしようとしなかったが、それでも千空たちの行動を見咎めることはなかった。

少女たちの例外はただ一人、ナノカだった。

 

「ーー動かないで」

 

「……ああ、どうした。俺を殺しに来たか?」

ナノカだけは、屋外を歩く千空が、牢屋敷の裏手で一人だけでいる時を狙って会いに行った。

彼女は、携えた長銃の銃口を千空に向ける。

「あなたに触れさせてもらう。嫌とは言わせない」

「好きにしろ。銃で撃たれりゃ死ぬんだ。俺が逆らう道理がねえ」

ナノカはゆっくりと手を伸ばし、千空の肩に触れた。

数秒黙ってそうしていただろうか。ナノカは銃を下ろした。

「……悪かったわ。あなたがこの島の側の人間じゃないかと疑っていた。でも、疑いは解けた」

「それも魔法か?」

ナノカは口にするのを躊躇っていたようだったが、素直に答えた。

「ええ、私の魔法は幻視ーー過去視ね。それであなたの過去を見たの。良い友人がいるのね。羨ましいわ」

ナノカの答えを聞いた千空は、少しだけ遠くに目をやった。何かを思い出しているようだ。

「ああ、ガキの頃からの腐れ縁ってヤツだ。なあナノカ。何もなしに疑われたんだ、俺からも一つ聞かせてくれ」

「……私に答えられることなら」

二人はじっと見つめ合う。

「その銃……最初からずっと持ってただろ。それも魔法か? この島にあったのか?」

「ええ……そうよ。私がこの島で目を覚ました時、すぐにこの銃の記憶に辿り着いた。一日一発弾丸が増える、魔法の銃。誰かに危害を為す道具になってしまうならと思って……私が持っているわ」

千空は急にナノカの両手を握りしめた。

ナノカは千空の突然の行動に、頬を染めて困惑してしまう。

「今すぐ撃ってくれ。早く! もしかしたらもしかするじゃねえか!」

「あ、あなた正気なの? 撃てと言われて撃つわけないでしょう?!」

二人がじたばたと押し問答をしているところに、ミリアが通りがかる。

 

「えっ、千空くん、ナノカちゃん、何してーー」

二人の間で暴れていた銃口はミリアを向きーー

 

タァン、と。

 

一発の銃声が島内に響いた。

 

 

 

 

「……それで?」

 

隠しきれない怒りを顔に貼り付けたヒロが腕組みをして、千空とナノカを見下ろしている。

ヒロは一発の銃声を聞きつけ、飛ぶようにこの場にやってきていたのだった。

「お、おじさんの足を弾丸がかすめていったけど、怪我はさっきメルルちゃんに治してもらったんだ〜、あはは……」

ヒロは何事かと訪れた少女たちを、後で説明するからラウンジで待つようにと順番に帰した。

なんとも言えない表情を浮かべているミリアを前に、千空は気まずそうにしながら、地面に残された薬莢を手に取った。

「悪かったな、ミリア。それにナノカも。俺が用があったのはこの薬莢だ。予想通り真鍮でできてやがる。つまり、一日一個とは言え、無限に純度の高い真鍮が手に入るってことだ」

上手くバラしゃあ火薬に雷管も……と続けた千空は、すでにマッドな顔つきをしている。

ヒロは大きなため息を吐いた。

「……千空、君の科学の探究には理解を示すが、それは危険がないことが前提だ。人前で銃を暴発させるなど、言語道断だ。正しくない」

「……ああ、申し開きもできねえな。ヒロ、お前が気の済むようにしやがれ」

千空の言葉を聞いたナノカの瞳がわずかに揺れる。動揺を隠せないように、ヒロと千空を、交互に見ていた。

「安全の確保が最優先だな……もともと君は懲罰房にいるがーー頭が冷えるまで、禁錮とするのが適当だろう。食事は持って行くから、数日間は外出禁止だ。何か作ることもだ。それで構わないか?」

千空は二つ返事で了承した。

「ああ、それでいい。だがな、ヒロ、テメーにしかできねえ頼みがある」

千空はヒロに耳を貸すよう、手を振る仕草をした。

千空を軽蔑する目で見ていたヒロだが、仕方なくといった風に千空の口元に耳を寄せる。

千空がぼそぼそと呟いたとき、ヒロの顔がかすかに強張ったように見えた。

「……わかった。君のことを頭から信用したわけではないが、その提案には賛成だ。ミリア、これはゴクチョーから預かった、千空の房の鍵だ。君が千空を連れていってくれ」

固唾を飲んで成り行きを見守っていたミリアに、ヒロは小さな鍵を投げ渡した。

「えっ!? お、おじさんが行くの……?」

「君だって怪我をしたばかりだろう。ついでに医務室で、メルルに診てもらってくるといい」

う、うん、そうだね。とミリアは答えて、おずおずと千空を連れて歩き出した。

 

あとには、ナノカとヒロの二人だけが残される。

「……ごめんなさい」

「なぜ君が謝るんだ。悪いのは千空だろう?」

ナノカは黙って俯いた。

彼女はヒロに何も言わなかった。

いや、言えなかった。

 

 

あの時、ミリアが姿を見せた時。

明確な殺意を抱いてミリアに銃口を向けたのはーー他でもない自分なのだから。

 

 

 

 

千空に下されたヒロの判決は、少女たちの中でも評価が分かれた。

同情的なものから、凶器を振るってしまった以上、結果的に当然そうすべきだというものまで。

「でも、千空さんが考えもなしにそんなことをするとはとても思えませんわ!」

「そ、そうだよ! 何か理由があったんじゃないかな……?」

千空と行動をしばらく共にしていたハンナやエマは、彼の人となりを無垢に信じている。とても千空が人殺しをできるような人間だとは思っていなかった。

「でもでもー、それこそが狙いだった可能性もあります。千空さんのあの知識なら、人知れず私たちを毒や何かで皆殺しにすることだってできそうです。そうではありませんか?」

「チッ……こんなところでテメェと意見が一致するなんてな……」

腕を組んだシェリーや舌打ちをしたアリサは複雑そうだ。協力してきた反面、千空に対する疑いを拭い去れないのだろう。

「私も同意見だ。彼の知識は有用だが、信じすぎるのは危険であるように、思う」

レイアもどこか無念そうな顔つきだった。

「うーん。銃の弾が欲しいって言ってたの、ほんとうじゃないかな? せんくうが何しようとしてたかはわかんないけど」

[ヒロの処分はすでに決定されたのだ。ヤツもいくらか反省するだろう]

いつの間にか仲良くなったノアとアンアン。二人は千空の行動そのものに、あまり思うところはないらしい。

「だいたいさぁ、センクーが怪しいか怪しくないかって問題はあるワケじゃん! あてぃしは最初から信じてねーからな! 料理に毒でも盛られたらオシマイだし!」

明確に反発を抱いているのはココだ。そうは言っても、彼女も千空メシを今日の朝まで食べていたのだが。

「確かにね……千空ちゃんの話が本当だったとして、銃を撃つのは必要ないものね。銃の弾倉だけを分解できれば、撃つよりは安全に弾丸を取り出せるはず。何らかの理由があって発射したと考えるべきでしょうね……」

「あ、あうぅ……あまり考えたくは、ありませんが……千空さんも、人を殺そうとしてしまったのでしょうか……」

マーゴは一人で考え込んでいる。メルルも瞳に涙を浮かべて不安そうだ。

 

そこに、地下からヒロとミリアが戻ってきた。ナノカの姿はない。

エマは思わず声を上げた。

「ヒロちゃん! ナノカちゃんはどうしたの……?」

「ナノカは……自分も千空と同じ罰を受けるそうだ。銃の管理をしていた責任を取ると言っていた」

少女たちの間にどよめきが広がる。

「そ、それではどうしてヒロさんが、ナノカさんの銃を持っているんでございますの?」

ハンナが疑問を呈した通り、ヒロは脇にナノカが持っていた銃を抱えている。

ヒロの威圧感ある佇まいと合わせると、その姿は地獄の羅卒のように迫力ある見た目となっていた。

「千空の提案で、毎日朝に弾丸を使い切っておくべきだと言われた。私もそれに賛成した。魔法のおかげで一日一発回復してしまうが、逆に言えば一度にそれだけしか撃てないということだ」

ヒロは冷然と告げる。もはや決定事項で、居並ぶ者に有無を言わさない態度だ。

「もっとも、千空くんは薬莢を欲しがってたけどね……何かに使うつもりなんだろうね」

ミリアは眉根を寄せて困ったようにしている。

聴衆の無言の反応が続く中、弾丸を浪費する提案に賛意を示したのはマーゴだった。

「わかったわヒロちゃん。一人では、撃ったかどうかの確認にならないのでしょう? だから相互防衛のために、私も付き合ってあげる、その銃の無駄撃ちにね」

「話が早くて助かるよ、マーゴ」

銃の始末についての話がまとまると、自然と話題は千空とナノカのことに移っていった。

それでも、二人が執行猶予のない罰を受けたという事実は、少女たちの表情を暗くするには十分なものだった。

 

 

 

 

面会謝絶というわけではなかったため、懲罰房の千空の元には少女たちが代わる代わる訪れていた。それに軟禁は千空自らも選んだ自主的なもので、食事や清拭の除外など、人権を侵すような罰まで受けるわけではない。

千空やナノカの元にはハンナやエマが、食事やお湯、洗濯した着替えを差し入れていた。

「え……木の皮を?」

「ああそうだ。メルルに聞いて、この種類を重点的に確保しておいてくれ。量はあればあるほどいい」

エマと千空は頑丈な房の扉越しに会話している。

千空が口にしたのは樫や栗の木など、森に自生していた木々の名前だった。

「何に使うのかは分かりませんが……危ないものではないのでしょう?」

「たりめーだろーが。次に作るものを決めたんだよ。それに必要なんだ」

あと、悪いがシェリーを呼んできてくれと千空はハンナに言った。

果たして彼女はすぐにやってきた。

彼我の行動はともかくとして、千空が何を話すのかに興味があったようだ。

「私は枯れ木を集めろと……?」

シェリーは頭にはてなマークを浮かべて、千空に問い返す。

「ああ、倒木を運んでくるのは怪力のテメーにしか頼めねえ。生木じゃいまいちだからな。もしアリサが手伝う気があるんなら、火を起こして木材の燻蒸までやってくれるように頼んでくれるか」

「それは構いませんが……木工製品でも作るんですか?」

クックッと千空は笑った。

 

「ああ、檜風呂を作る」

 

風呂? 浴槽を? とエマたち三人は狼狽えた。

シャワールームには作り付けのバスタブがある。それがあるのに何故?

「まあ、作ってみなけりゃどうなるかわからねえからな。それは出来てのお楽しみだ。幸い閉じ込められたおかげで、時間ならアホほどある。設計図は無限に引いておけるぜ」

「千空さん、あなた全然懲りてませんのね……」

ハンナは呆れていた。どうやらこの男は反省や後悔という感情を、持ち合わせていないのかもしれない。

「あ〜ん? 今回はヒロの言うことが正しいから真面目に従ってんだよ」

千空は殊勝なフリをして頷いているが、エマたちは半信半疑だ。

シェリーですら半目で、疑い深そうな視線を送っている。

「それじゃお前ら、俺が外に出るまでの間、素材集めは頼んだぜ。あー、屋敷で紙を見つけたら差し入れしてくれ。必要分の材料を計算するために使うからな」

ヒロに作るなとは言われたが、書くなとは言われてねえからなと千空は口にして、牢の扉から離れていった。

 

「……どうする? ハンナちゃん?」

エマは一緒にいた時間が長いハンナに問いかける。ハンナは目前の重い扉を凝視していた。

 

「……私、思いますのよ。何かを作り出そうとする行為そのものは、きっと今を変えようとするための、人としての尊い行いなのです」

 

ですから、千空さんを手伝おうと思います。

ハンナは躊躇いなくそう宣言した。

「んー、私もハンナさんがそう言うなら、お手伝いしましょうかね。どこも探し終わってしまって、結局暇なのは変わりませんし」

シェリーはどちらでも良さそうだった。

「うん、ボクも千空くんを手伝うよ。アリサちゃんは難しいかもしれないけど、ボクから話してみる」

アリサちゃん、ああ見えて千空くんのことを嫌ってはいないと思うんだよね、とエマがこぼすと女子たちの会話に花が咲いた。

もっとも、当のアリサ本人にその話が伝われば、全員無事では済まないだろうが……

 

 

 

 

千空とナノカがヒロの罰を解かれて外に出たのは、五日後だった。差し入れがあったとは言え、流石に二人の顔には疲労の色が濃い。

千空の後ろを歩くナノカの表情には、泥沼のように沈んだ暗い影が差していた。

隣の房にいた千空は、眠るナノカの泣き声を耳にすることがあった。

夜の闇の中で、おねえちゃん、おねえちゃんと縋るような悲鳴を上げて、ナノカは静かに泣いていた。

それはとても、孤高の姿を周囲に見せつける、普段の彼女からは想像もできないものだった。

「あー……ナノカ。エマたちとの話は聞こえてただろ。罪滅ぼしだと思ってテメーも手伝え、次のクラフトは前よりも人手が必要だからな」

千空は人の心がわからない門外漢ではない。

むしろその逆だった。

彼からすればナノカも、銃で撃たれたミリアも、そして他の少女たちも、全員等しく生き延びなければならないと考えていた。

なぜか? それは千空の人としての善性としか、表現のしようがない。

とにかく彼は、初日に宣言した誰も殺させず、殺させないという約束を実現しなければならなかった。

「そう……ね。あなたは私にそうできる権利が、あるもの」

「テメーがそう思うなら、それでいい。今日からは忙しくなるんだから、しっかりメシを食べねえとだぞ」

ハンナたちの話から、風呂作りのための素材は順調に集まっていることが伝わってきていた。

アリサも最初はげんなりと渋っていたが、エマとハンナが説得して、嫌々の体で発火の魔法を使って協力しているらしい。

そうなれば、ここからは千空の本領発揮だ。

「千空? その手に持っているのは……」

ナノカはそのとき初めて気付いたように、千空が両手に持った物騒な獲物を見た。

千空はよくぞ聞いてくれたとばかりに、ニヤリと笑う。

 

「ああ、この屋敷のご大層な趣味の悪さ。お節介にもそれが俺らを救うんだ。唆るぜ、これはーー!!」

 

千空が自らの懲罰房から引っ張り出してきたのは、大きなノコギリと、金属製の鑿だった。

 

 

 

 

魔女たちが住み着いていたこの牢屋敷には、古来から相応の歴史があったのだろう。

懲罰房として設計されたその部屋には、古今東西多種多様の悪趣味な拷問道具が大量に置かれていた。

磔刑台に、鋸引きのためのノコ、鉄製のヤスリや鑿、よくもこんなに集めたものだと思うものまで、色々。

それが誰に、どのような用途で使われたのかは定かでないがーー少なくとも、今は幽閉された少女たちを助けるために、その道具らは使われようとしている。

「みんな大したもんじゃねえか。これなら予定通りに進められそうだな」

集積された素材を確認した千空は早速屋敷の外に少女たちを集めて、作業の方針を説明した。

その場に集まったのはエマ、ハンナ、シェリーの三人組と、メルルとアリサ。そして千空に無言で着いてきたナノカの、千空を含めた合計七人だった。

「いいか、テメーら。作業はいくつかに分担する。シェリー、ナノカ、お二人は力作業担当だ。枯れ木の下に厘木を入れて、木を切り出してくれ」

「りんぎ……って、なんですか?」

シェリーが耳慣れない単語に首を傾げる。他の少女も同様だった。

「ああ、木と地面の間に、いくつか枕木を挟んでから切り始めろってことだ。下に空間がなきゃ木は切れねーからな」

「ああそういうことですね! わかりました!」

シェリーは我が意を得たり、とばかりに早速枯れ木のセッティングに取り掛かっていく。

「私は、何をすればいいの」

「大きく切り出すのはシェリーに任せて、ナノカ、テメーはこの設計図を見ながら切られた丸太を板材に整えていってくれ。あいつは細かい作業に向いてねえ」

わかったわ、とナノカも一回り小さいノコギリを手にしてシェリーに続いた。

「ハンナとエマは俺と一緒に、さらに細かい加工担当だ。切り出された板材を鑿で彫って組み木にして、各部材を組み合わせられるようにする。メチャクチャ大変だぞ〜」

千空は人数分確保していた鑿と、アイアンメイデンの内棘を削り取って作り上げたタガネをハンナとエマに放り投げた。

「組み木って……木のパズルみたいなあれのことですわね? ずいぶん難しそうですわ……」

「が、頑張ろう! ハンナちゃん!」

エマがガッツポーズでハンナを励ました。

二人はナノカの作業待ちとなるので、ナノカの仕事の様子を確認しに向かう。

「あ、あの……私は……」

「メルルは片っ端から木の皮を煮て、木の渋を集めてくれ。タンニンたっぷりの天然の防腐剤だ。柿がありゃサイコーだったんだがな、ま、あるもので作るしかねえ」

柿渋ーー文字通り、柿の木の煮出し汁から作り出される、日本でも長年使われてきた天然の塗料。

しかし名前とは裏腹に、主成分の植物性タンニンさえ含まれている樹種なら、柿以外でも代用が可能である。

千空が指示した樫や栗、つまりオークやチェストナットは、西欧で高級木材として使われてきた歴史がある。木目の美しさだけではなく、このような優れた特性を持っていたためでもあった。

「本当に……お風呂、作るつもり、なんですね……」

メルルは迷いを隠し切れない様子だったが、結局は千空の言う通りに火を熾し、鍋でお湯を沸かし始めた。

残る一人はアリサだ。千空を睨みつけている。

「石神、テメェがこれ以上信用できる要素がどこにあるってんだよ」

「ああ? ねえよそんなモン。アリサ、テメーにしかできねえことだから、テメーに頼むんだ」

アリサと千空の揺るぎない視線が交錯する。

数十秒もお互いにそうしていただろうか、アリサは小さく舌打ちして、千空から目を逸らした。

「……言ってみろよ」

「テメーの炎がどこまでやれるかはわからねえ。アリサは真鍮を鋳溶かして、釘を作ってもらう。浴槽にかかる水の荷重を考えれば、木組みだけじゃ、どう考えても先に底が抜けちまうからな」

千空は白衣のポケットから、じゃらりと音を鳴らして薬莢を取り出した。事前に回収を頼んでいたミリアから預かったものだ。一日一発の制限があるため数はそれほど多くないが、釘だけに使う分には十分な量だろう。

「……あの煙はなんだったんだよ」

「ああ、虫除けと製材の前処理だ。水の中ならともかく、倒れてるだけの木は傷むし、虫や腐朽菌が大量につくからな」

しかし、水分を多く含む生木は加工に適さない。乾燥の工程を挟んでも、このクラフト作業には間に合わないだろう。

製材後に生じるしなりや歪みを考えれば、枯れ木がベストな選択だと千空は判断していた。

「ろくでもねーモン作りやがったら、今度こそ承知しねえからな」

アリサは千空に背を向けてかまどに向かっていく。それ以上は、千空も何も言わなかった。

 

これで、作業の分担は万全。

 

 

 

 

(一つ、仮定していることがある)

 

千空は懲罰房の中でぼんやりと考えていた思考を巡らせる。

 

(アイツらの、魔法のもとになるエネルギー……その正体は)

 

千空は科学に生きる輩として、無限の動力というものを頭から信じていない。

それは宇宙世界を構成する科学と物理学の崩壊に繋がり、あってはならないことだとも考えていた。

しかし、この地では魔法が実在する。

熱力学や重力、様々な法則を無視して超常的な力が行使されている。

 

(この科学の世の中でも、人の思考がどこから来るのか、脳の電気信号以上のことは解明されてねえ……認めたくはねえが)

 

魂。精神。人の思考。

千空は、それが魔法のエネルギーの源ではないかと疑っていた。

 

(こんなモン証明のしようがねえ。だが、仮説を立てないことには、この場所のルールと戦いようもねえ)

 

ゴクチョーによれば、魔女の候補として集められた少女たちはいずれ堪えようのない殺人衝動に支配され、殺人の罪を犯すのだという。

そして【魔女】になる。

 

(魔女になる因果が、この屋敷で暮らすことにあるならーーまずは)

 

取り戻すべきだ。

千空が少女たちを救うのではなく、彼女たち自身が自分の手で救いを選ぶこと。

十三人の少女が魔法を使える根底の理由は、到底千空には思い当たらない。

彼女たちの悲惨な、凄惨な、無惨な、そしてひどく陰惨な過去を、彼は知らない。

しかし、仮に千空が知っていても、彼には関係がなかった。

脱出するという目標のために努力し、人を死なせないことに懸命になる以外の選択肢は、最初から存在し得なかった。

富める者、貧なる者、強き者から弱き者、老いたる者から病める者まで平等で、幸福にすることこそ、千空の目指す科学のあり方そのものだったからだ。

 

 

 

 

「むむむ……」

ところで、千空はハンナたちと共に頭を抱えていた。

紆余曲折ありながらも、風呂の制作作業は概ね順調に進んでいた。嬉々として大鋸を振り回して木を切り続けるシェリーのオーバースピードに、残された面々が追いつかないほどだった。

メルルの渋作りもまずまずの進みだった。基本的には集めた皮を砕いた抽出液を煮詰めるだけだから、そこは問題がない。

アリサの火力も、真鍮を溶かすに足るものだった。高音で溶かされた真鍮は木で作られた枠に流し込まれ、頭が半円の角釘に姿を変えていく。

千空は耐久性的には円釘が望ましいながらも、短期使用には問題ないと判断した。

 

大きな問題は、組みの過程だった。

 

接合した木組みのサンプルに水を張ったところ、作業の不慣れゆえか、工作精度の限界からか、木々の隙間から漏水していたのである。

たとえ柿渋を上から厚く塗ったとしても、この隙間を十分埋めることは難しいだろう。

「千空くん、どうしよう……?」

不安げなエマの問いかけに、千空は頷く。

「ヤスリがけでもやれねえことはねえだろうが……これ全部を組みつつ確かめるってなると、さすがに骨だな」

慣れない作業を続けた少女たちには疲労の色が濃い。千空は頭をフル回転させる。

(俺も含めて、全員がDIYのプロじゃねえ。せめて鉋があれば、もうちょっとは表面の凹凸も減らせるだろうが……ないなら作るしかねえ。だが……)

鉋の刃には、十分な硬さを持つ焼き入れをした鋼が必要だ。しかし、千空には思い当たる材料がなかった。ここで鑿を使ってしまえば、そもそも木組みの加工をできなくなってしまう。

千空は天を仰ぐ。アリサの火力があれば鉄や木炭を集めて鋼を作る方法はあるだろうが、満足な鍛造に要する時間は如何ともし難い。

そうなれば、完成する時間までに、少女たちに不慮の死が発生するのも有り得るーーミリアの足を掠めた銃弾を思い出し、千空は唸った。

「うまくいってないの?」

険しい表情をした千空たちの前に現れたのは、ノアとアンアンだった。ノアは絵筆とパレットを抱えていた。

[ノア、コイツらは放っておいてアトリエに行こう]

「……あ? アトリエ?」

千空が牢に閉ざされていた間、ヒロとノアの二人が、屋敷の二階で壁の中に隠されたアトリエを見つけていた。他の少女たちには共有されていたが、獄中の千空とナノカには伝わっていなかったのである。

「うん。このお絵描き道具も、そこから持ってきたの」

他にも色々あるよとノア。

みるみるうちに、千空の顔色が変わった。

「確かに屋敷の地図には変な空間があると思ってたが……アトリエか!! それなら、なんとかなるはずだ! ノア!! すぐ俺をそこまで案内しやがれ!」

ノアとアンアンは途端に騒ぎ出した千空に呆気に取られながらも、彼を屋敷内のアトリエに連れて行った。

 

 

 

 

一時間ほどして、作業場に帰ってきた千空は両腕にブリキの缶を抱えていた。結局ノアとアンアンもついてきている。

「見やがれ! これが原初の接着剤、膠だ!」

にかわ。主に動物性由来のコラーゲンから作られる、半透明の物質。それがブリキ缶の中になみなみと汲まれていた。

膠は加温して柔らかくし、古くから美術の領域においても木工の接着や、絵画の修復などに使われる素材だった。

「それに、鉋は無かったけどな……アトリエで彫刻刀も見つけたぜ〜! アリサ、この刃を外して鉋を作るから手伝え!」

「んだよ、もう!」

千空は白衣のポケットから大量の彫刻刀をばら撒く。集まった少女たちは、俄然生き生きとし始めた千空に、若干引き気味だ。

ハンナがおずおずと問いかける。

「千空さん……盛り上がってるところすみませんが、趣旨を説明してくださいませんこと?」

ああ悪い、と千空。

「膠は接着剤だ。板材を組んだ隙間をこれで埋めて上から柿渋を塗りゃあ、ちょっとくらいの隙間なんてなんでもねえ。それはわかるな?」

ええ、とハンナも頷いた。

「彫刻刀をバラして作る鉋は、浴槽内面の仕上げだ。浸かったらケツにささくれが刺さるような風呂はイヤすぎだろ?」

千空のあからさまな物言いに、少女たちが赤面する。こほん、とハンナが咳払いした。

「あなた、デリカシーというものはないんですの?」

「ああ? そんなモン生まれてこの方、どっかに置き忘れちまったなあ」

ギヒヒと千空は笑う。その姿は全くもって、自分の欲望に忠実なマッドサイエンティストのようにしか見えない。

「接着剤なら液体だから……のあの魔法、使えるかな?」

「んお、お前の魔法ってなんだ?」

んー、見せたほうが早いよねとノアは呟く。

彼女が懐から取り出したカラースプレーを振り撒くと、色とりどりの蝶がふわりふわりと辺り一面を舞い踊った。

その場にいた全員が言葉を失う。

いや、アンアンだけは知っていたのだろう。低い背と薄い胸を反らして自慢げだ。

[ノアの魔法は液体操作だ]

「驚いたどころじゃねえ。コイツは、すっ……げえな。もはや理屈を考えるのもアホらしいくらいだわ」

千空は分子が、流体が、力学が、とぶつぶつ言いかけて、途中で言葉を切った。結論が出ないので、一旦考えることをやめたらしい。

「その魔法があれば、柿渋の塗装までできちまうじゃねえか。ノア、お手柄だ」

「えへへ……」

ノアは千空の言葉を真に受けて、でれでれと相好を崩して照れている。

千空は開いた自らの手のひらに、拳をパンと打ちつけた。

 

「よーしお前ら! ここからはブッ飛ばしていくぞ! 魔法と科学の融合で、超絶最強な風呂作りだ! 唆るぜ、これはーー!!」

 

 

 

 

浴槽の最後の組み立ては、作りかけの部材を屋敷のシャワールームに運び込んで行われた。

少女たちの半数が同時に入れるほどの大きさがあるため、あらかじめ分解しておかなければ建物に持ち込めなかったのである。

外での作業時に事前に水を張って、継ぎ目継ぎ目の耐水性は確認済みだ。

浴槽の外面はヤスリで荒目に削り、柿渋が満遍なく馴染むように加工してある。

柿渋はノアが浴槽を彩色するイメージで塗り潰していき、細かなところは手作業で対応した。

木目が床のタイルに直接触れれば当然傷みが早くなるため、複数の足をつけて底面の通気性も確保。

内面は少女たちを傷つける棘を残さぬよう、ハンナとエマが鉋と鑿で丁寧に仕上げていた。

水抜きは千空のアイデアで、浴槽に緩やかなすり鉢状の傾斜をつけて、底面を丸くくり抜いた水抜き栓をつけることとなった。

そうして丸一日をかけて、大浴槽は完成した。

木の浴槽から薫る優しい匂いが、シャワールームに広がっていく。

作り上げた時には少女たちは疲労困憊で、一刻も早くそれに入りたがった。

「お湯は夜時間以外出ねえって話だろうが。まあ……おあつらえ向きのヤツがいるからな?」

「……ウチの魔法で湯を沸かせってのかよ……」

アリサはいい加減何か言いたそうだったが、もはや千空に反論する気にもならないほど、本心から疲れ果てていたのだろう。

 

彼女は、諦めて千空の言う通りにした。

 

 

 

 

そして、ようやくそして。

 

ハンナとシェリー、エマは思う存分一番風呂を堪能した。

少女たちの入浴順に関しては、公平にくじ引きで決められていた。

彼女たち三人が先頭になったのは、偶然とくじ運の賜物にすぎない。

身体を洗い流してから、たっぷり湯を張った湯船に肩まで浸かり、全身脱力したハンナが情けない声を上げる。

長い髪は後ろにまとめ上げている。その点、短髪のエマとシェリーは楽なものだ。

「ふはぁ〜……生き返りますわ〜……」

時刻はまだまだ午前中。年かさに似つかわしくない、朝風呂を浴びる少女たち。

それでも、重労働の後に待ち侘びた入浴ともあれば、なんとも気の抜けた声も出ると言うものだ。

「千空さんが風呂を作ると聞いた時には一体何をと思いましたが……確かに、シャワーよりも開放感があって、全然違いますね!」

シェリーは浴槽の縁に掴まってバタ足をしている。アリサがせっかく沸かしたお湯が台無しだ。

シェリーはすぐにハンナにやめろと制されている。もしかすると彼女は、ハンナに構ってもらうためにバタ足しているのかもしれない。

「うん……お風呂って、いいね」

ほう、とエマは深いため息を吐く。

思えば牢屋敷に閉じ込められてから、入浴は全てシャワーで済ませていた。

何かに追い立てられるようにシャワーを浴び、罪を犯した者のようにこそこそと汚れた布団で眠っていた。

エマは思う。

ここに来る前は毎日お風呂に入ることができて、当たり前だった。

食事も、入浴も、何かを『できない』と制限されることが、心身をここまで蝕む歪みに変わってしまうのを、少女たちは努めて気付かないふりをしていた。

それは人間として、自らの身と心を守るための当たり前の防衛本能であったが、微かな澱は少しも払われることなく延々と蓄積し続けていく。

久方ぶりの広い風呂での入浴は、それらをリセットしてくれるかのようだった。

「あら? この袋は……」

ハンナが湯船に浮かぶ小さな袋を手に取る。中には、刻んだ植物の葉が詰められていた。

「メルルちゃんが、お風呂を入れるなら、ハーブを入れてみたらどうでしょう……って、ポプリを用意してくれたんだよ。すごくいい匂い……」

ハンナの手のひらの中で、ポプリが中身の葉と擦れ、深緑の瑞々しい匂いで浴槽を彩っていく。

もうもうと湯気が立つおろしたての風呂を堪能して、エマたち三人は、すっかり胸が洗われるような気持ちになった。

しかし、のぼせるほど長風呂し続けるわけにもいかない理由があった。

少女たちの入浴の順番待ちは、まだまだ続いていたのである。

 

 

 

 

「おぶふぇ〜、はぁ〜……風呂だぁ〜♡」

 

ココはあまりの快感に白目を剥いていた。

両手両足を思う存分に伸ばし、指の先からつま先まで、しっかりと強張りをほぐしていく。

「あらあら……ココちゃん、千空ちゃんのことは嫌っていたんじゃなかったの?」

マーゴがいつもの艶めいた微笑を浮かべながら、足先を浴槽の湯にくぐらせる。

はあ、と妖艶な呼吸が、マーゴの唇の端から零れた。

「それは……それだろ! 全員入れるんだから、入らなきゃソンじゃん!」

ココは頬を膨らませて、マーゴからそっぽを向いた。ナノカは騒がしい二人を意に介さず、浴槽の外で、無言で髪を洗っていた。

「ナノカちゃんもそうだけど、髪の長い子たちはここだとお手入れが大変よね。シャワーだけで済ませたら、湯冷めしてしまうでしょう?」

「……もう、こんなことに意味があるのかは、わからないけれど」

ナノカは無機質な声でマーゴに答える。それでも、彼女が髪を洗う手を止めることはなかった。

マーゴはくすくすと笑った。

「いいのよ、それで。私たちは女の子なんだもの。お洒落や外見に気を使えなくなったら終わりだわ」

心の乱れは、いつだってどこかに現れる。あなた、牢から出た時は酷い顔だったものね。マーゴは薄ら寒い笑みを浮かべる。

「……そうね。その通りだわ」

「ナノカっちは暗いなー。あてぃしたちと馴れ合うつもりはないってかー?」

ざばぁっ、と洗い桶に汲んだお湯を頭から被ったナノカの長い髪から、勢いよく水滴が滴り落ちる。

桶は木工の試作品として、千空たちがいくつか拵えたものだった。

「そう……思っていたわ。だって、そうでしょう。誰かを殺したくはないし、誰かに殺されるのも嫌。それならば、私たちは最初から関わりを持つべきではないはずよ」

「正論ね。私もその考えには賛成よ♡」

ナノカは二人と視線を合わせないようにしながら、ちゃぷんと音を立てて浴槽に上半身を浸からせる。じわりとした薬湯の温かさが、ナノカの緊張を溶かしていくかのようだった。

「私の魔法は知っているでしょう。マーゴ、ココ、あなたたちの過去も……今さっき見えてしまった。この魔法は、私が見たいものだけ見れる魔法じゃない」

「ああー……そか。それでテンション低いんだ、ナノカっちは」

ココはぶくぶくと口でお湯を泡立てながら浴槽に沈んでいった。明かしてもいない過去を覗かれ、さすがにいい気持ちはしないらしい。

「……難儀な魔法ね。ハリネズミのよう。役には立ちそうだけど、私ならゴメンだわ」

人の禁忌になんて、望んで踏み込みたくないものねと、マーゴはおかしそうに言った。

「本当、知りたくないことばかり。こんなところ、来たくなかった。私は殺し合いなんてしたくない、したくないのに……」

ナノカは静かに肩を震わせる。ひっく、ひっくと微かな泣き声が口から漏れていた。

普段からは明らかに考えられないナノカの様子に、ココはひどく狼狽する。

「な、ナノカっち落ち着けし! あてぃしたちが風呂で殺し合いなんかするワケねーだろ!」

ココは慌ててナノカの肩に手を置く。どうしたらいいかわからずに、大丈夫だから、大丈夫だからとナノカをおろおろと宥めている。

 

マーゴは諧謔を抑えた真剣な面持ちで、そんなココたちの様子を静かに見つめていた。

 

 

 

 

入浴順はおよそ三人ずつのグループ分けとしていたが、追い焚きのために、アリサは中間に一人で入ることを許されていた。ウチばっかりにやらせてんだから、それくらいはいいだろと彼女が全員を怒鳴りつけたのもある。

湯加減ならぬ火加減を間違えれば風呂か千空が燃えてしまうのだから、アリサの言葉には否応もなかった。

そのためヒロ、レイア、アンアン、そしてノアがアリサの次に入浴する、三巡目のグループとなった。

すでに少女たちにも風呂嫌いであることが知られていたノアはくじを引かなかったため、ヒロが入浴するタイミングで強制連行されていた。

 

残念ながら、ヒロからは逃げられない。

 

「むー……」

ヒロにわしゃわしゃと頭を洗われているノアはまだ不服そうだ。その隣では、アンアンがレイアに洗った後の髪を梳かされている。

「わがはいから見ても、ノアは渋や膠まみれで肌も服も汚れていたからな。【風呂には入るべきだ】」

ノアの耳に語尾が届いた瞬間、アンアンの魔法、洗脳が発動してノアはかくんと首を揺らす。普段のアンアンが、口数少ない理由である。

「アンアンちゃん、それはずるいよー……」

ノアはヒロから桶を受け取り身体についた泡を洗い流すと、自分から浴槽に入っていった。

「はは……ヒロ君、私たちは役得のようなものになってしまったようだ」

「人の好意を無下にする理由はないさ。もっともレイア、君は複雑かもしれないけどね」

髪を括ったノアとアンアンは、ノアの液体操作の魔法で、水流や泡を操って遊んでいる。室内に、人魚姫の世界でも顕現させようとしているかのようだ。

「なんでもお見通しだね、ヒロ君。ああ、私は少し……千空君に嫉妬している。それは間違いない気持ちだよ」

ヒロは黙って頷いた。

彼女たち二人から見た千空の評は、善人ではあるが、得体がしれないというところで一致していた。彼が少女たちに害なす者であれば、直ちに除くべきだという点も、ほとんどのところで一致していた。

禁錮という処分にしたのは、ミリアが気に病みぎないよう、顔を立てたからにすぎない。ヒロはそれすらも甘かったのではないかと疑っていた。

一方レイアは、それよりも自分寄りの問題を抱えていた。

グループの中心が千空に変わっていくことに対して、言い知れない不安を感じていたのである。

ヒロはその様子に目敏く気付いているようだった。

「レイア、まだ少ししか時間を共にしていないが、君の性格はわかる。でも、変なことは考えるな。君は別の方法で目立てばいい」

 

「……実は、考えていることがあるんだ」

 

レイアはヒロに耳打ちした。

レイアの提案を耳にしたヒロは少しの間、口を開いてぽかんとしていたが、やがて、ふふっと小さく笑った。

「なるほどね。それが君のやり方なんだな。上手くいくように……そうだな、祈っておくよ」

レイアとヒロは浴槽の中でばしゃばしゃと水飛沫を立てて騒がしいノアたちを振り返ると、やれやれと息を吐いた。

 

 

 

 

最後はミリアとメルルが、二人で入浴することとなった。

 

「メルルちゃん……服を着てる時は気付かなかったけど……意外と、あるね……おじさん、びっくりしちゃったよ……」

 

入浴のため一糸纏わぬ姿になったメルルを前に、ミリアはごくりと生唾を飲み込んだ。

「な、なにが、ですか……?」

メルルはひたすら困惑し、日焼けもしていない白い体をもじもじとくねらせながら、羞恥に頬を染めてミリアの絡みつくような視線に耐えている。

「それはその……いろんなね、でっぱりがね……」

「あ、あうぅ……」

セクハラまがいーーセクハラそのもののミリアの発言に顔を真っ赤にしたメルルは、そそくさと浴槽に体を浸からせ、ミリアの凝視から逃れていった。

ミリアはいけないいけないと掬ったお湯で顔を洗い、ざぶりと音を立てて浴槽を波立たせる。

後ろに回った順番が災いして少しぬるくはなっているが、これならむしろ長時間入っていられそうだ。

ミリアは、んーっと大きく伸びをした。彼女の肉付きの良い肢体がぶるんぶるんと跳ね回るので、メルルは慌てて目を逸らした。

「うわぁ、これはおじさん生き返っちゃうよ。千空くんに感謝しないとだねぇ」

「はい……お風呂を作ってくれたのは、すごいことです……」

メルルもミリアの言葉に同意する。しかし、メルルの言い方に、もごもごとした煩悶が含まれていたことに、ミリアは気付かなかった。

もしも千空がおらず、十三人の少女たちだけであったら、誰かと一緒に入浴している光景など想像すらしなかったに違いない。

心の温もりは少しずつ冷えていき、きっといつかーー本当に人を殺すように変わってしまっていたのかもしれない。

 

ーーまだ自分の心は、失われていない、と思う。

 

ミリアは、千空の立ち居振る舞いを通して自分の知る男性を思い浮かべていた。

入れ替わりの魔法を使える自分の心を、自らの立場を投げ打って救ってくれた先生。彼は今、どうしているだろうか。

「千空さん、本当に変わった人です……こんな場所に閉じ込められたのに、なんだかワクワクしているようで……」

「そうだね……おじさんたちの魔法にもすごく興味を持ってた。たぶん、悪い人じゃないと思うんだ」

千空は、魔法を分からない存在と決めつけず、そのうえ魔法を使える少女たちを不気味がらなかった。

むしろ千空は魔法の良い使い方ーーそれはユニークな物も含まれるがーーを、ずっと模索しているように見える。そのことがミリアや他の少女たちには、にわかに信じられなかった。

ミリアは自分の経験から、魔法はある種の呪いのようなものであることを悟っている。自分以外に魔法が使える他の少女もきっと、何かしらの辛い過去や記憶、そういったものがあるのだろうと思っていた。

「ミリアさんは……千空さんが本当にこの島から脱出できる方法を探し出せると思いますか?」 

メルルが水面に揺蕩う胸を両腕で隠すようにしながら、おずおずとミリアに話しかける。ミリアは少し考え込んだ。

「それは……どうだろうね。今のところ彼がやっているのは、環境の改善だけだし……」

ミリアも千空の行いの恩恵を現在進行形で受けている身として、彼をポジティブに評価していることは間違いがない。

それでも、全周を高い塀に囲まれたこの牢屋敷で、監獄のような暮らしを強制できる相手に、まともな方法で抜け出すことができるとは思えなかった。

それに、もし塀を越えられたとしても、周囲が海であったらどうしたら良いのだろう。

この場所ではときどき風に流れて潮の香りが漂ってくることから、ミリアのその予想は正しいものであるように思われた。

「ここから出ていくのは、空でも飛ばないと無理なんじゃないかな……?」

「そう、ですよね……そんなこと、できると思えません……」

島内には、神出鬼没なゴクチョーたちの監視網もある。脱出は不可能だと考えるほかない。

「でも……うん、おじさんはここの暮らし、そんなに悪くないって思えてきちゃったな。自由はないけど、人の目を気にしなくて良いしさ」

ミリアは自分の手のひらをじっと見つめる。

肌が弾く水滴に映るのは、過去の自分とそれを責め苛んだ少女たちの顔。

「みんな明るく振る舞ってるけど、本当は辛いことも多いと思うんだ。その辺りは人を癒せるメルルちゃんの方が、よくわかるのかもしれないけどさ……」

メルルは無言だった。ミリアはそれを彼女なりの肯定として受け取った。

「本当に、私たちはお互いに殺し合いをしちゃうのかな……」

ミリアはいつもの一人称を封印して、ぼそりと呟いた。悲しそうな響きだった。

「……わかりません……」

 

メルルは顔を俯かせて、誰にでもなく言葉を零す。彼女にも、これからこの島がどうなるかは予想がつかないことだった。

 

 

 

 

ミリアとメルルの二人がシャワールームからラウンジに戻ると、ココが千空に向かってゴネていた。

「あ? ココ、アホかテメー。俺がカメラなんて持ってるわけねえだろ」

「で、でもさ! センクーはスマホを持ってないって言ってただろ? それがほんとは嘘で、あてぃしたちの覗きにでも使われたらイヤじゃん! せっかく、ゆっくりお風呂に入れるようになったのにさ……」

エマがわたわたと手を振りながら、ココを宥めようとしている。

「ココちゃん、千空くんがいなければ、浴槽を作ろうなんて誰も考えなかったと思うよ……?」

エマっちはわかってない! これはあてぃしらのプライバシーと可能性の話なの! とココは叫んだ。

二人を取り囲む周囲の少女たちも、どうしたものかと思案している。何人か、ここに居ない者もいた。

さすがに作り手が利用できないのはどうかと感じる反面、少女たちの着替えや下着があの室内に用意されていることを考えれば、ココの理不尽な言い分にも多少の理屈はあるように思えた。

だいたい、千空がその手のことに欲望を剥き出しにするような男なら、とっくの昔にヒロとレイアにこの屋敷から叩き出されていただろう。

千空はココのヒステリじみた議論に、呆れたようにひきつった笑いを浮かべていたが、すぐに両手を挙げて降参した。

「つまりフロに入るなってことか、まあいいけどよ。今日くらいは勘弁してもらえねえか? 男風呂を新しく作るのにも、時間がかかるからな」

「いいや! 一日あれば十分何かするチャンスはあるはずだし! それにさ……」

 

……風呂入ったあと、男に見られるのヤじゃん。

 

視線を千空から外して小さく呟いたココの声は、周囲の少女をああ……と納得させた。こればかりは理屈ではなく、本当に、少女たちの聖域なのだった。

千空は、ココからのクレームを素直に聞いた。

そもそも、異常な環境に置かれた彼女らが真っ当な警戒心を取り戻しているのであれば、それはまだ心が人間らしさを保っている証左でもある。悪いことばかりではなかった。

それに、湯上がりの少女たちの寛いだ様子を見れば、千空の大目的が果たされていたのは一目瞭然だった。

さらに言えば、理詰めの理屈の論理的思考で千空が負けることはなくても、感情論で彼女たちに勝つことは到底不可能なのだった。

「せ、千空さん。しかしそれでは、あなただけが不条理な扱いを受けすぎてしまいますわ……?」

「ああハンナ、そりゃまあ仕方ねえ。多数決の意見なんだから、従った方が合理的だ。別に一日や二日、フロに入らなくたって死にゃあしねえよ」

そうだよねーとノアが密かに頷いている。

後で一人用の風呂作るの、お前らも手伝えよと言い残し、千空はラウンジを後にして、ズカズカと地下へ降りていった。

時刻はもう夜、じきに各々の牢から外出禁止の時間になる。

千空が居なくなったラウンジには、いくらか気まずい沈黙が訪れた。

ココも思ったより千空が突っ掛からなかったことで、後味の悪さを感じているのだろう、むくれ顔をしている。

 

「み、みんな! あのさ……」

 

突然ミリアが声を上げたので、何事かと少女たちの注目が集まった。

「おじさんがなんとかするから……今回だけは千空くんがお風呂に入るの、見逃してもらえないかな?」

「なんとかするったって……荷物検査でもするってのか? まさか一緒に……」

目を丸くしたアリサがとんでもないことを言い出したので、ミリアは慌てて否定した。

「ち、違うよ! おじさんの魔法でなんとかしようと思うんだ。変なことには……ならないはずだよ」

やっぱり、一番苦労した人が報われて欲しいからさ、とミリアは感情を込めて口に出した。

少なくとも、居並ぶ少女たちから、それ以上反対の意見は出なかった。

 

 

 

 

ミリアの提案を懲罰房の外で聞いた千空は目を剥いた。

 

「おいマジで言ってんのか? 俺と入れ替わってフロに入る?」

「う、うん。本気だよ」

 

千空は頭を抱えた。この展開は彼にとって、完全に想定外だった。

いや、そもそも誰が他人と精神を入れ替えられる魔法が存在するなどと思えるのだろうか。

「一応、ラウンジにいたみんなには説明したんだ。おじさんは、前にも男の人と入れ替わってたことがあるから、平気だって」

「俺が平気じゃねえだろ……あのなあ、一時的とは言え、自分の体を知らねえ男に渡すんだぞ。エロいこととかアブねーこととか、いくらでもミリアに危険はあるだろうが」

千空の注意は全て正論だ。

ミリアの考えはこうだ。

他の少女たちは、千空に風呂場に入られることを嫌がっている。

それは年相応の羞恥心と、警戒心の表れだ。

なら、精神を入れ替えた自分が千空くんの体で、代わりに風呂に入るなら問題がないよね?

当然、千空が指摘した内容と同様の懸念を示す少女はいた。

「千空くんは……そんなこと、しないと思うからさ」

千空はこの屋敷に来てから見たことがないほどの、大きなため息を漏らした。

「あ〜……信じられねえほど信用されてて、随分お有り難えこった。たかがフロに入るくらいで、どうしてお前がそこまですんだよ」

「たかが、じゃないよ。お風呂に入って、しっかり温まって、おじさんたちは本当に元気になれたんだ。みんなきっと、誰かとお風呂に入ってすごくリラックスできたと思う」

だから、千空くんも絶対お風呂には入るべきなんだ。自分だけ入らなければいいなんて自己犠牲、全然カッコよく見えないよ。

強い決意を秘めたミリアの表情を見て、千空は諦めたように首を振った。

「わかったよ。だが条件がある。入れ替わりが始まってから終わるまで、誰かに俺を監視させろ。じゃなきゃこの話はナシだ」

お前だってそれくらいは理解できるだろ、と千空は言った。ミリアはいつかヒロが話していた、相互防衛という言葉を思い出した。

「……そうだね。じゃあ、エマちゃんとハンナちゃんの二人にお願いすることにするよ」

彼女たちは比較的千空に信頼を寄せている二人だ。変な話にはならないだろう。

ミリアは二人をスマホのチャット機能を使って呼び出した。

エマたち二人はラウンジでのやりとりを見ていたため、ミリアの呼び出しが意味するところをすぐに察したから、程なくやってきた。

二人が見ている前で、ミリアは千空の胸に手を触れ、強く念じる。

傍目には何が起きたか、わからない。

千空が立ち上がり、これでよしっ、と言った。

「も、もう入れ替わったんですの?」

「そうだよ、いま千空くんに入っているのは、おじさんの方」

二人から見れば千空の話し方が急に変わってしまったものだから、驚く以外に反応しようがなかった。

「なるほどな……自分の姿を目の前で見るなんてのはメチャクチャ変な気分だが、何事も経験か。じゃあ、頼んだぞミリア。俺たちはここでガールズトークに花を咲かせてるからな〜」

千空が取り憑いたミリアからは、隠しきれない邪悪さが滲み出ているような気がする。

千空の体を操るミリアは苦笑してから、シャワールームへと歩いていった。

 

 

 

 

ミリアの魔法で体を入れ替えても、相互に思考がつながるわけではない。ミリアが急に千空の膨大な知識を覚えるようなこともない。

ただし、体に残された記憶は共有されていく。

千空の体で浴槽に浸かっているミリアは、千空の過去に少しずつ触れることとなった。

千空は捻くれているようでいて、どこまでもまっすぐな少年だった。

飽くなき好奇心と渇望にも近い探究心から、無茶なことをやるのも数度ではないが、その都度友人や家族に助けられ、健やかに成長してきた過去が見えた。

ミリアは、やはり彼は、根っからの善人なのだなと確信する。

(きっと千空くんにも、おじさんのことが伝わっちゃったかな)

仲間と思っていた人々にネットの世界で晒し上げられた過去、線路に飛び込んで死のうとした自分と、助けてくれた先生。

そんな人間がいるのだと知って、私は、誰かのために生きられるようになりたいと思った。

人生を黒く塗り潰した悲観と絶望に飲まれず、生きることができた。

この島から出られなくてもいい、ただあの人のことを思うと、胸がずきりと痛む。

 

着替えを終えてシャワールームを出ようとすると、どこから現れたのか、ナノカが着替え棚の近くにある、ダストシュートの前に立っていた。

「ーー!」

「千空、少しだけいいかしら」

ミリアの存在に気付いていない。

そう言えばあの時、ナノカはラウンジにいなかった。一時的な入れ替わりが行われていることを知らないのだ。

 

ミリアがどう声をかけたものかと思案していると、言葉を待たずにナノカが口を開いた。

 

 

 

 

「あの時……銃が発射された時から、あなたにずっと謝ろうと思っていた」

 

ごめんなさい、とナノカは口にした。

 

「佐伯ミリアに向けて引き金を引いたのは私。あなたは私が撃つ瞬間それに気付いて、銃身を逸らしたのでしょう……ずっと、そのことが気になっていた」

 

ナノカの喉の奥から絞り出すような独白は続く。反応を気にしているようではなかった。

ただ懺悔のように、ナノカは言葉を紡ぎ続ける。

 

「ミリアに怪我をさせてしまった時、私はとても後悔したわ。でもそれ以上にーー恐ろしかった。殺人者になろうとした私が。身勝手に人の命を奪おうとした行いが」

ナノカは千空と二人きりになるタイミングを測っていたのだろう。

入浴時であれば、彼が一人になると踏んだ上で、シャワールームの付近で待っていたに違いなかった。

「私の魔法で見た佐伯ミリアは男だった。ミリアの中身は得体の知れない男に入れ替わっていて、それがこの島の管理者なのだと……全部、私の思い込みだった」

ごめんなさい。ナノカは重ねて謝罪の言葉を告げる。

「あなたがヒロの処分を受けると聞いた時ーー私の……身、代わり……になるんじゃないかって、だから、私も同じ罰を受けた……悪いのは全部、私だから……」

身代わり。そう口にした時、ナノカが激しく動揺したように見えた。

 

ああーーとミリアは気付いた。

彼女は、罰して欲しいのだ。

自らの行いに正当性がなかったことを、千空の口から非難して欲しいのだ。

ナノカは赦しにつながるためのステップが、身を犠牲にした贖罪なのだと信じている。

千空がヒロに糾弾され、投獄されてしまった責任は全て自身にあるのだと。

「……千空?」

自分が黙ってしまうと、室内を包み込む沈黙に耐えかねたのだろう。ナノカは視線を上に向けた。

「……ナノカちゃん、あのね、黙って聞いててごめん。千空くんに入れ替わりの魔法、使ってて……」

「なっーーあなた、ミリア?!」

ナノカは後ずさるが、銃は手元にない。

ナノカがミリアに向ける視線には、敵意と戸惑いが多分に含まれている。

「おじさんはね、千空くんにもなんとかして、お風呂に入ってもらいたかっただけなんだ。間が悪くて本当にごめん。ナノカちゃんの話を盗み聞き、しようとなんて思っていなかったんだ」

千空が自分の命を救っていた事実。

それを彼が自分から話そうとしない思いやりと暖かみに触れ、ミリアは涙が溢れそうになった。

「……大体、わかったわ。まさか、殺そうとしたあなたに聞かれてしまうなんてねーー」

ナノカは後悔に顔を歪めてそう言い放つと、シャワールームから足早に出て行こうとする。

 

「待って! おじさんはナノカちゃんを赦すよ!」

 

 

 

 

ナノカちゃんが魔法で見た過去は本当のことだよ。『私』が自分の魔法をみんなに伝えられていなかったのは、心が弱いから。

男の人と入れ替わっていたことがあるなんて、信じてもらえると思ってなかった。

それに、気持ち悪がられると思ったんだ。

でも、千空くんを見ていて、私の先生を思い出して、きっとこの魔法で、いま自分ができることをすべきだって思ったんだ。

 

「その結果はさ……こんなことになるなんて、おじさんも思ってなかったけど」

 

ミリアが見た千空の体は、汗と垢の匂いがして、お世辞にも清潔に保たれていたとは言い難かった。

それも当然だろう。彼が体を拭いていたとは言え、牢の外に出たのは数日ぶりであったし、他の少女たちと同様に、大仕事の後だったのだ。

口では強がっていたが、千空の心身が休息を求めていたことに間違いはなかったはずだ。

 

「おじさんはさ、ナノカちゃんさえ良いなら、仲直りしたい」

「っ、それはーー」

ナノカの瞳が躊躇いで揺れる。

 

「殺されかけたのは、結果的に運良く死ななかっただけでも、もう良いんだ。自分で死のうとした日から、おじさんが生きてるのは幸運なんだと思ってるから。でも、ナノカちゃんが罪を背負って生きていくのは嫌だ。仲直りして、君の力になりたい」

 

……どうかな。

先生、私は上手くやれるのかな。

 

流れた静寂は数秒。

二人にとっては、永遠にも感じる刹那。

 

「……変ね、あなたも」

「えっ?」

 

この島は変な人ばかり。

ナノカはそう呟き、確かに笑った。

「ありがとうーー佐伯ミリア。でも、千空の口じゃなくて、あなたの口からもう一度、それを話してくれるかしら」

千空が女言葉で話してるから、ずっと笑いそうだったの。ナノカは蕾が綻ぶようにくすくす微笑んだ。

 

「あ、ああーーそうだよねぇ! なんか締まらない感じになっちゃってごめん!」

 

ミリアは言い繕うがーーナノカの反応に動揺して、声が裏返ってしまう。

その時、ホーホーとナノカが持っていたスマホが鳴り、ゴクチョーから就寝時刻の到来が告げられた。もう、時間がない。

「ま、また明日でもいいかな? 千空くんに体返さなくちゃ!」

「ええーーおやすみなさい、ミリア。また明日」

ナノカに別れの挨拶もそこそこに、ミリアは廊下を駆け出した。

 

少なくとも、また明日。

心は、浮き立つように弾んでいる。

ナノカの無邪気な笑顔。

 

それを見られたんだから、この魔法はきっと、意味があるものだったんだよね?

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。