なんで私⁉ 野球知識皆無のJKが戦国時代で野球を広め、信長の恋女房になってしまう件~ 作:ハムえっぐ
これは戦国の世の裏側で、いかにしてあの食えないおじさんが生き残っていたか。
私たちが浅井・朝倉との血みどろの最終決戦を繰り広げていた裏側でのお話。
***
時計の針を少し戻す。
将軍・足利義昭が二条御所で挙兵し、東からは戦国最強の武田信玄が上洛の軍を起こした直後のこと。
大和国、多聞山城の天守で、松永久秀はニタリと野心に満ちた笑みを浮かべていた。
「クックック……。甲斐の虎が動いた。これにて信長のペナントレースもジ・エンドよ。さすがの信長も、多方面からの同時攻撃には耐えられまい」
久秀は卓上の地図を指でなぞる。
「だが、信玄に天下と英霊ボールの全てをかっさらわれるのは癪だ。……義昭の挙兵に呼応するフリをして、俺が空き家になった岐阜を落とし、美味しいところを頂くとしよう」
久秀は即座に兵を挙げ、京へ向けて進軍を開始した。
彼の脳内では、信長崩壊後の勢力図という完璧なデータが組み上がっていた。
岐阜を落とし、義昭を弑し、織田軍との決戦で疲弊した信玄を屠り、一気に畿内の王になるチャンスなのだ。
こんな機会、生涯二度と訪れることはないだろう。
安心しろ信長、俺が代わりに天下静謐を成就させてやる。
――しかし。
出陣した翌日のこと。
「父上! 東より急報にございます!」
息子の久通が、血相を変えて馬を駆け寄らせてきた。
「なんだ、騒々しい。信長が切腹でもしたか?」
「いえ! 武田勢、甲斐に撤退開始した模様!」
ピタリ、と久秀の動きが止まった。
「撤退……だと?」
脳裏に、最悪の選択肢が浮かぶ。
「信玄、死んだか」
「……恐らく」
無念の表情を浮かべ、久通は漏らす。
久秀が完璧に計算した信長敗北のデータが、寿命という神の気まぐれによって一瞬にして白紙に戻されたのだ。
しばしの静寂の後、久秀は思わず天を仰いだ。
「クックック……ハッハッハッハ! なんたる誤算! 乱世の風はどこまでも読めんわ!」
久秀は腹を抱えて乾いた笑いを漏らした。
これが笑わずにいられるか。翌日だぞ? 挙兵した翌日に全てが瓦解するなんて大凶、引く確率がどれほどあるというのか。前日に知っていたなら、誰が挙兵するものか。
だが、隣で冷や汗を流す久通は笑い事ではない。
「父上、どうされますか! 我らはすでに信長への叛意を鮮明にして兵を動かしております! 賽は投げられました、このまま京へ入り、将軍様を担いで徹底抗戦するしか……!」
血気盛んに進言する久通だったが、懐から青白く知的な光を放つ英霊ボール『ブレイザー』が飛び出し、冷徹な声でそれを遮った。
『No. 久通、落ち着きたまえ。状況が変わったのなら、即座にサインを変える。それがThinking Baseballだ。東の脅威が消えたあの信長に、今の飾り物の将軍が勝てるはずがない。正面からの突撃など
久秀も深く頷いた。
「ブレイザーの言う通りだ。全軍、直ちに反転しろ。大和に戻り、多聞山城に籠城するぞ」
「なっ……! しかし父上! 三好義継様や本願寺、雑賀衆も我らに呼応して立ち上がっておりますぞ! 彼らを見捨てるのですか⁉」
焦る久通に対し、久秀は氷のように冷たい目で言い放った。
「ああ、そうだ。徹底的に無視しろ」
「む、無視……!」
「奴らを囮にして、信長の体力を削らせる。我らは息を潜め、一切の攻撃を行わない。……いずれ信長の方から、俺に降伏勧告をしてくる」
「ここまで裏切りの立場を鮮明にした我らを、あの信長が許すとでも⁉」
久通の悲鳴のような問いに、久秀は喉の奥で低く笑った。
「……そうさせるまでよ」
***
季節が巡り、天下の情勢は激変していた。
信長の怒涛の反撃により、将軍・義昭は追放され幕府は滅亡。越前の朝倉、北近江の浅井も瞬く間に地上から消し去られた。
久秀の籠もる大和の多聞山城も、宿敵である筒井順慶の軍勢によって完全に包囲されていた。
「出てこい松永! 裏切り者の首を寄越せ!」
「梟雄め! 今度こそ貴様の最後だ!」
城の外からは、筒井兵の激しい罵声と鉄砲の音が昼夜問わず鳴り響いている。
そんな中、天守閣の最上階では異様な光景が広がっていた。
「……ふむ。今日の湯加減は絶妙だな」
久秀が、国宝級の茶釜『平蜘蛛』を火にかけ、ブレイザーと共に優雅にお茶を楽しんでいたのだ。
「ち、父上! 筒井の挑発が激しくなっております! 城門が破られるのも時間の問題です、ここは打って出ましょう!」
苛立ちと恐怖で部屋を右往左往する久通をよそに、久秀は茶を啜りながら諭す。
「動くな久通。これも試合のテンポを操る遅延行為よ」
「遅延行為、ですか?」
「そうだ。信長の最大の武器は合理性だ。大和一国を平らげるために、この堅牢な多聞山城で何ヶ月も無駄な血と銭を流すより、俺が大人しく降伏する方が効率が良いと判断する時が必ず来る」
『Of course. 勝つための最善手が何もしないことである場合もある。我々はただ、ベンチで嵐が過ぎるのを待てばいい。無駄なアウトカウントを増やす必要はない』
ブレイザーの言葉に、久秀は満足げに頷いた。
「もし信長が、父上の思い描く人物でなかったら?」
恐る恐る訊ねる久通に、久秀の目が険しくなる。
「それなら、生き残っても仕方あるまい。攻め込んでくる連中を多く道連れにするまでよ」
――父上は本気だ。多聞山城で数万の織田軍は死ぬだろう。
松永家諸共に。
織田信長よ、俺はどっちでもいいが、父上を失望させるなよ。
ことここまで及ぶと、久通も笑うしかない。
そこに河内の若江城にいるかつての主君・三好義継から急使が飛び込んでくる。
部屋の隅に柳生宗厳が無言で控えていた。
筒井方から離れ、今は久秀に身を寄せる大和の剣士である。
「弾正様! 義継様より悲痛なる要請にございます! 『亡命してきた将軍・義昭公を擁して一発逆転の蜂起を画策している! 頼む、共に立ち上がってくれ!』とのこと!」
血を吐くような要請の書状だったが、久秀は一瞥しただけで、囲炉裏の火にヒョイとくべた。
「……弾正様⁉」
「……哀れだな、義継。義昭という疫病神の恐ろしさをまだ理解していないとはな」
「よろしいのですか? 弾正様。合流すれば義継様は救えるかと」
訊ねたのは、久秀が目をかけている柳生宗厳。
「覚えておけ宗厳、命に価値などない。価値があるのは役割よ」
久秀の回答に、宗厳は心音を早め、身震いした。
久秀の予想通りだった。
義昭は「義継の負け戦に利用されて共に死ぬのはご免だ」と保身に走り、さっさと若江城から堺へと逃亡してしまったのだ。
将軍という大義名分の梯子を外され、完全に破れかぶれになった三好義継は、佐久間信盛を総大将とする織田軍に対し、玉砕覚悟の突撃を敢行。
結果、名門・三好家の当主は壮絶な戦死を遂げた。
「……義継様が、討ち死に……」
宗厳の背筋を、奇妙な熱が走った。
義継の死にではない。
自分たちが助かったことにでもない。
その死を、あらかじめ盤上に置いていた久秀の眼に、である。
久秀は冷酷な瞳で、平蜘蛛の茶釜から立ち上る湯気を見つめていた。
『……
ブレイザーの冷徹な評価を聞きながら、久秀は茶を飲み干し、底知れぬ笑みを浮かべた。
「……さて。これで畿内の掃除は粗方終わったようだな。信長も浅井・朝倉戦の連続で相当疲弊している頃合いだ。そろそろ外で喚いている筒井順慶の頭越しに、信長から直接降伏の使者が来るだろう」
久秀はゆっくりと立ち上がり、眼下の筒井軍を見下ろした。
「生き残った者が勝者よ。さあ、信長との契約更改の準備をするとしようか。手土産の多聞山城を、どう高く売りつけるか見物だな」
義を貫いて死んだ者たちを嘲笑うかのように、久秀は嗤った。