なんで私⁉ 野球知識皆無のJKが戦国時代で野球を広め、信長の恋女房になってしまう件~ 作:ハムえっぐ
出陣からわずか4日後のことだった。
岐阜城を猛スピードで出発し、遠江・高天神城の救援へと向かっていた私たち織田軍だったのだけれど、浜名湖のほとりに着陣した信長様の本隊に、冷水のような凶報が飛び込んできた。
「申し上げます! 高天神城、開城! 城主・小笠原信興、武田軍に降伏いたしました! 武田軍は勝鬨を挙げ、甲斐へ帰還したとのこと!」
伝令の叫びに、陣幕の空気がピタリと止まった。
「……なに?」
信長様が肩に担いでいたバットを下ろし、額に冷や汗をにじませて東の空を睨む。
「またもや……間に合わなんだか」
明知城に続き、高天神城。
いつもは電光石火の機動力で敵を圧倒する信長様が、自らの到着が遅いと突きつけられたのだ。
『クソッ! リリーフカーの到着前にサヨナラ負けしおったか!』
『降雨コールドじゃな。0−10で負けてて11点取るぞと円陣組んだのに土砂降り食らった気分よ』
センイチとモリミチも、悔しさに赤く明滅しながら空中でジタバタしている。
隣で半兵衛君が伝令から詳しい詳細を聞き、扇子で口元を隠しつつモリミチを指先で回しながら冷静に分析を始めた。
「降伏した小笠原をはじめ、城兵を一人残らず許し、武田の傘下に組み込んだとのこと。……武田勝頼。力でねじ伏せ、情で束ねる。その器量、偉大なる父・武田信玄に勝るとも劣らず、ですね」
この出来事は、武田勝頼の名が、あの信玄でさえ落とせなかった高天神城を落としたと天下に轟いていくこととなる。
「信長様ァァァ! 奪われたら奪い返すのが野球でござろう! このまま俺のバットで高天神城の赤備えを全員血祭りにあげてやりましょうぞォォォ!」
血走った目で特大バットを振り回す勝三君が、今にも陣幕を飛び出そうとする。
私は慌てて、後ろから彼の首根っこをガシッと掴んだ。
「勝三君! 落ち着いて! コールド負けした球場に乱入しても、スタンドから射殺されるだけだって!」
私は狂犬を抑えつつ、疑問を口にする。
「でもなんで高天神落としただけで、武田は軍事行動辞めたんだろ?」
すると堀久太郎君、蒲生鶴千代君、長岡熊千代君の若手側近トリオが、地面に数式を書きながら理詰めで計算して答えてくれた。
「補給線の限界と勝頼のモチベーションを変数Xとすると、これ以上西進して浜松まで来る確率は12%……」
「ええ。武田軍も連戦で疲労しています。高天神城降伏受け入れは略奪しなかったことを意味します。つまり兵糧の補充はなし。残りの兵糧10%を切ってるでしょう」
「勝頼の弱点はこれですね。大義を振り回す分、大軍を動かすのに入念な準備を毎回しなくてはなりません。次の手は金山収入で兵糧買い付けの確率が80%以上です」
君たち、本当に戦国時代の人間? 織田の若手にこんな教育して重矩君はどうしたいのかな?
このままだと、戦国時代に数学広めていずれ核兵器を生み出しそうな件になりそう。
……私は無関係だからね?
そんなアホなことを考えていると、浜松城から救援依頼してきた張本人の徳川家康さんが、ノムサンを握りしめてやってきた。
まあ当然だけど、めっちゃ落ち込んでるよ。
「すみませぬ、信長様。わざわざお呼びしてこの結末。……武田勝頼は高天神に城代を置き、すでに甲斐へ帰還したとのことにございます」
「高天神城攻めじゃあああ!」
とまだ喚く勝三君を、家康さんは首を横に振って制した。
「城には小笠原信興の他に今川の残党軍、岡部元信らが入り守りを固めております。さらに北条家の客将となっている朝比奈泰朝も後詰めに動いてるとのこと。……今、無理な力攻めをすれば被害が拡大するのみ。ここは暫く睨み合いといたしまする」
『泰朝の野郎しぶといのう。執念だけで守備固めしとるわい。ここは引くのが正解や』
家康さんの懐で、ノムサンも同意するようにボヤいている。
信長様は家康さんの決断を尊重し、決断を下す。
「……そうか、わかった。遠江のグラウンドはお前の庭だ。家康がそう判断するなら従おう。俺たちは岐阜へ帰るぞ」
軍を反転させる信長様に対し、家康さんは「せめて岡崎城までお見送りを」と同行を申し出た。
***
というわけで、私たちは家康さんの息子・松平信康君が守る三河・岡崎城へ立ち寄ることになった。
城門で出迎えてくれたのは家康さんの長男の信康君(なんと! タヌキ顔じゃなくイケメン!)と、それに寄り添う信長様の娘・おごとくちゃんだ。
「おごとくちゃん! すっかり立派な幼妻になっちゃって……ううっ、お姉ちゃん感激だよ!」
私は馬から飛び降りて、おごとくちゃんに駆け寄った。
児童カップルの尊さにほろりとしつつ、私は声を潜めて尋ねた。
「で、嫁姑問題とか大丈夫? 虐められてない?」
「大丈夫、問題ない」
おごとくちゃんが親指を立てて見せてくる。
……えっと、全く問題ないという不気味な自信満々の顔、お市ちゃんそっくりなんだけど。気のせいだよね?
家康さんは宴の準備を甲斐甲斐しく手伝う着物姿の猿――秀長の妹の旭ちゃんを見つけ、鼻の下を限界まで伸ばしていた。
「おお、旭殿……今日も毛並みが美しい。儂のために宴の準備をしてくれるとは……ポッ」
「ウキー……」
タヌキが猿にデレデレしているという絵面、酷いな。旭ちゃん、めっちゃ困ってるよ。
てか家康さん、信長様の見送りはついでで本当の目的、これだろ。
そんな家康さんの背後に、スッと現れた影から棘感増し増しな声が響く。
「……高天神城をあっさり落とされたとか。いっそ、信康に家督を譲って隠居なされたらどうでしょう?」
空気が一瞬で凍りつく。
現れたのが家康さんの奥さんの瀬名さんだからだ。
信康君は瀬名さん似だね。めっちゃ美人さんだ。
家康さんはタヌキ顔を顰め、「……まだ信康は子供じゃ」と不機嫌に言い返した。
『……ホンマ、女房が監督の采配にいちいち口出しすなや。儂のことやないぞ。胸が痛いわ』
ノムサンも気まずそうにボヤくけど、なんか私情が入ってない?
そんな様子を、私と秀長は影から見て完全にドン引きした。
「うわぁ……完全な倦怠期じゃん。嫁姑問題どころか、姑舅問題が一番ヤバいよ徳川家。空気がお通夜だよ」
「ウキー……」
秀長も「夫婦仲って難しいな」とでも言いたげに同情している。
私の両親はずっとラブラブだから、こういう空気苦手だよ。
「そういえば、秀長は結婚しないの?」
「ウキー、ウキキノキー」
「……ごめん。何言ってるかわかんないけど、男泣きされた様子で理解したよ。てか、後半、お前が言うなって言ったでしょ?」
「ウキッ⁉」
私が秀長の毛並みを全部抜き取ろうと画策していると、背後から信長様と半兵衛君が現れて、冷めた声で解説してくれる。
「ったく、家康も女房と同居してないからこうなる。浜松と岡崎で別居だろ? 家庭の管理もできん奴が領国経営できると思うなよ」
「瀬名殿は名門今川の姫。家康殿への当てつけと、今川を滅ぼした織田家への意地もあるのでしょうね」
「ちょっとちょっと、2人とも他人事みたいに! おごとくちゃんがお嫁に行って大人しくなったと思ったら、嫁ぎ先がこんなドロドロの愛憎劇真っ只中なの⁉ おごとくちゃんが心配だよ!」
「なるようにしかならんさ。家庭の問題は当人同士にしか解決できん」
「……もう、信長様はドライなんだから」
それから気まずい空気が漂う宴も済まし、私たち織田軍は岐阜へ向けて出発することになった。
岡崎城の門前で、おごとくちゃんと信康君が手を振って見送ってくれる。
「バイバーイ! おごとくちゃん、またねー!」
私は大きく手を振り返し、おごとくちゃんとの別れを惜しんだ。
この話、ここでおしまいなら徳川夫婦ヤバくね? って感想で終わりなんだけど、残念ながらちょっと続く。
やがて私たちの背中が見えなくなり、2人きりになった信康君とおごとくちゃん。
信康君が妻であるおごとくちゃんの前にスッと跪く。
おごとくちゃんは妖艶で狂気を孕んだ笑みを浮かべ、私が去っていった方角をジッと見つめながら口を開いた。
「……信康。見ましたか? あの方が長谷川真昼です」
「はい、五徳様」
「信康は、あれを私の物にするよう、全力で努力するのです。わかりましたね? あなたは家康も信長も超えなくてはなりません」
「承知いたしました! 我が妻、五徳様のためならば、この命に代えましても!」
遠く美濃への道を馬に揺られながら、私はブルッと悪寒を感じて背中をさすったよ。
「……なんか、急に寒気がした。風邪ひいたかな?」