なんで私⁉ 野球知識皆無のJKが戦国時代で野球を広め、信長の恋女房になってしまう件~   作:ハムえっぐ

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第156話 長谷川真昼、設楽原の風に誓う

 設楽原の台地に血と泥、硝煙の匂いで支配されていた。

 織田・徳川連合軍の構築した馬防柵と鉄砲の連続射撃という冷徹なシステムの前に、戦国最強を誇った武田の赤備えは無惨に粉砕された。

 無敵のフルスイングは空を切り、三振の山が築かれたのだ。

 

 武田軍は完全に崩壊し、武田勝頼を逃がすための絶望的な撤退戦へと移行していた。

 

「……御館様をお守りしろ! 追手を食い止めよ!」

 

 武田の宿老、馬場信春は僅かな手勢と共に最後尾に残り、津波のように押し寄せる織田・徳川の追撃部隊を必死に押し留めていた。

 彼の懐で、いぶし銀の鈍い光を放つ英霊ボール『タナベ』が明滅している。

 

『……信春さん。どうやら俺たちの出番、つまり守備固めの時間が来たみたいだね』

 

 タナベの声に派手さはないが、どんな泥仕事でも請け負うプロの覚悟が滲んでいた。

 彼はかつて、常勝ライオンズから戦力外通告を受け、引退の淵に立たされた過去を持つ。

 

『あの時……もうグラウンドには立てないと思っていた俺を拾ってくれたのが、ジャイアンツのシゲオさんだった。……シゲオさんに拾ってもらった恩、今ここで返さずしていつ返すんだ』

 

 タナベの光が、静かなる闘志で熱を帯びる。

 

『華やかなホームランも、豪速球も俺にはない。だが、チームのために泥にまみれ、守備固めとして最後の1アウトを取ることはできる。……信春さん、最後まで付き合うぜ』

 

 タナベの魂の声に、馬場信春も深く頷いた。

 

「ああ。武田の誇りは、御館様を無事に甲斐へお帰り頂くことにのみある。……タナベ、お主の堅実な守り、最後まで頼りにしているぞ」

 

 そこへ、血塗れになった伝令が信春の元へ駆け込んできた。

 

「申し上げます! 御館様、無事に豊川を渡り、安全圏へ脱出されました!」

 

 その報告を聞いた馬場の険しい顔に、憑き物が落ちたような満足げな笑みが浮かんだ。

 

「……よし。これにて俺の役目は終わった。あとは頼んだぞ、昌信」

 

 信春は馬の首を返し、武田四天王最期の一人、高坂昌信の顔を脳裏に浮かべ、迫りくる数千の織田軍へ向かって槍を構え直した。

 

「退くのはここまでだ! これより反転し、敵を迎え撃つ!」

 

 馬場信春率いる部隊が敵陣へ突撃する。

 タナベの堅実な守備力――無駄のないステップ、打球を予測する的確な捌き――が馬場の肉体に宿り、飛来する銃弾や四方から突き出される槍を、まるで内野ゴロを処理するかの如くギリギリでいなす。

 

「おのれ織田の犬ども! この馬場信春の守り、そう容易く抜けると思うな!」

 

 信春の槍が閃くたびに、織田の兵たちが次々と薙ぎ払われていく。

 いぶし銀の極致。派手さはなくとも、絶対に後ろへボールを逸らさない鉄壁のプレー。

 

 しかし、多勢に無勢。

 数の暴力の前に、個人の技術はいつか限界を迎える。

 

 ――ズドン! ズバッ!

 

 四方八方からの凶刃と銃弾が、ついに信春の身体を捉えた。

 血を吐き、膝をつきそうになりながらも信春は槍を杖にして立ち上がった。

 

「武田の馬場信春、ここにありぃぃぃ!」

 

 最期の咆哮を戦場に轟かせ、馬場信春は壮絶に討ち死にした。

 

『……ワカダイショウ……あとは、頼むぞ……』

 

 信春の遺体の横で、タナベの光も消えていった。

 

 ***

 

 命からがら信濃の国境付近まで逃げ延びた武田勝頼の姿は、見るも無惨だった。

 供回りはわずか数名。誇り高き赤備えの鎧はボロボロに砕け、兜すら失っている。

 

「……あぁ……すまん。俺が長篠攻めさえしなければ……っ!」

 

 勝頼の懐で、『ワカダイショウ』のボールは完全に光を失い、すすり泣くような声を漏らしていた。

 

『長篠攻めの選択肢は間違いじゃない……間違えたのは、長篠を落とせなかったのに固執したこと……僕がきちんと撤退を進言できてたら……』

 

 ワカダイショウの懺悔に、勝頼もまた、たった一つの選択肢のミスで大勢の配下を失った己の不甲斐なさを呪い、血の涙を流していく。

 

 そこへ国境の守備を任されていた高坂昌信が、手勢を率いて出迎えに現れた。

 昌信は勝頼の惨状を見るや否や、サッと陣幕を張らせ、用意していた真新しい具足と衣服を差し出す。

 

「御館様。敗軍の将としてではなく、武田の当主としての威厳を保って甲斐へご帰還くだされ」

 

 昌信の肩に乗る英霊ボール『アオタ』も、意気消沈しているワカダイショウへ怒気を飛ばす。

 

『バカヤロー。いちいちメソメソすんな! 金が無くなったわけじゃねえ。借金もねえ。……なら、あとはひたすら抵抗するだけよ』

 

『ア……アオタさん! そうさ……まだ、僕たちは生きている! なら、復讐あるのみ!』

 

『生きてるっちゅうか、俺とお前は球体だがな』

 

 白球どもの励ましだったが、勝頼は俯いて吐き捨てる。

 

「金があったとしても、死んだ者は蘇らぬ!」

 

 それを昌信は、諭すように淡々と答える。

 

「その通りです。ですが、皆殺しにされたわけではありますまい。……喜兵衛」

 

「はっ」

 

「貴様は真田を継げ」

 

「……はっ」

 

 昌信が勝頼に振り返る。

 

「まだ武田には喜兵衛のように有望な人材が多くいます。さらにアオタの言う通り、我らには甲斐の金山があり、背後には北条という盤石の同盟者と、そして……」

 

 低く、冷たい声で昌信は言い放つ。

 

「越後の龍を動かす道がございます」

 

 ***

 

 硝煙と血の匂いが立ち込める設楽原。

 戦いが終わり、織田軍が勝利の歓喜に沸く中、私は泥だらけのグラウンド――戦場跡を歩いていた。

 

「……ひどい、有様だね」

 

 私は足元に転がる馬防柵の残骸と、無数の赤備えの遺体を見つめて呟いた。

 やがて、全身に銃弾を浴びて倒れている山県昌景さんの遺体の側で、毒々しい赤色を失った『アクタロウ』のボールを発見した。

 さらに歩を進めると、無数の敵に囲まれて倒れた馬場信春さんの側に、血にまみれた『タナベ』のボールが転がっていた。

 

 私はしゃがみ込み、2つのボールを拾い上げると、持っていたハンカチで優しく泥を拭った。

 

『……恩は、返せただろうか……』

 

 タナベから伝わってくる微かな思念に、私はポロリと涙をこぼした。

 

「うん。カッコよかったよ。最高の守備固め、エラーなんて一つもなかった。……お疲れ様」

 

 そして、アクタロウのボールにも優しく語りかける。

 

「アクタロウも……危険球上等の真っ向勝負、逃げない姿勢、最高にカッコよかったよ」

 

 センイチがふわりと浮かび上がって、静寂な青い光を放つ。

 

『……敵ながら見事な最期じゃった。プロの矜持、しかと見せてもらったわ。……ゆっくり休め、タナベ、アクタロウ』

 

 センイチの敬意の言葉に、2つのボールは完全に安らかな眠りについた。

 

 私はボールを胸に抱きしめ、立ち上がった。

 視線の先の無傷の馬防柵の前に、信長様が立っている。

 累々と横たわる武田の赤備えの死体を見下ろす顔には、勝利の喜びすらなく、ただ無機質な冷徹さだけが張り付いている。

 

「勝頼。信玄の遺言通りに3年間動かなければ、この結果はなかっただろうよ。動いてくれて感謝よ」

 

 信長様が非情な総括をする隣で、半兵衛君がパチンと扇子を開いた。手元のモリミチボールが冷たい光を放つ。

 

「これで東の最大の脅威は去りました。……信長様、次はいよいよ西。本願寺と、毛利ですね」

 

「ふう。三方ヶ原の仇は取ったぞ。……赤備えの夢、これで見ることもなくなるわい」

 

 家康さんは、どこか寂しそうに呟いていた。

 

 私は胸に抱いた英霊ボールの温もりを感じながら、ギュッと唇を噛み締めた。

 戦国の死の非情さには、いつまで経っても慣れない。

 

(でも……だからこそ、私がやるしかないんだ)

 

 私は決意を新たにする。

 

「もう誰も、こんな悲しいアウトの取られ方をしないように……私が108個、全部回収して、この狂った戦国の世を終わらせる」

 

 武田の没落という一つの時代の終焉。

 そして新たな激戦へ向かう予感が、設楽原の風に乗って吹き抜けていった。

 

 ――【信長VS勝頼、新旧英雄激突編】完

 

 【平安楽土の道険し、安土築城編】に続く

 

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