なんで私⁉ 野球知識皆無のJKが戦国時代で野球を広め、信長の恋女房になってしまう件~ 作:ハムえっぐ
――ガゴォォォォォンッ!
私が全力で振り抜いた金属バットが、土牢の重厚な鉄格子と錠前を粉砕した。
歪んだ鉄の扉を善助さんと太兵衛さんが力任せにこじ開ける。
「殿ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「よくぞ……よくぞご無事で……!」
暗闇に松明の炎が揺れ、牢の中にいた物体が露わになる。
号泣する善助さんと太兵衛さんを眺め……私は耐えきれず顔を背け、口元を両手で強く覆った。
牢にいたのは……髪は泥と埃で固まって乱れ、髭は胸元まで伸び放題に伸びている存在。
肌は日差しを浴びていないせいで青白く爛れ、頬は極限まで痩せこけ、文字通り骨と皮だけの姿。
満足に横になることもできない狭さのせいで、足の関節は不自然に曲がりきっており、まともに立つことすらできない状態だ。
これが……あの官兵衛さん?
私の知っている、氷のように冷徹で、ピンと背筋を伸ばし、いつも冷静で怜悧に理を説いていた姿は見る影もなかった。
ここは、この世の地獄そのもの。
むせ返るような湿気と鼻を突く強烈な腐臭と排泄物の臭い。
腐りきった藁と、錆びた鉄の生臭い匂いが混ざり合い、息をするだけで肺が汚れそうなほどの悪臭が充満している。
光すら届かない、冷たく、狭く、ただ人を絶望させるためだけに作られた泥の穴。
酷い……人間をここまで壊すことができるなんて。
『……遅いわ、アホども』
官兵衛さんの口は動いてるけど音にならない。
代わりに彼の横にいる英霊ボール『ドンデン』が小さく囁いてきた。
いつもの飄々としたボヤきではない。
光は震え、声は嗚咽に混じった泣き声のようだった。
『……なんべん、心が折れそうになったか……』
「ドンデン……」
私は胸が締め付けられ、涙がこぼれ落ちる。
『遅くなってすまんドンデン、官兵衛』
センイチも下手な言い訳せず、優しく虎縞模様の明滅をした。
「早く脱出を! 太兵衛さん! 酒樽飲み干してそこに官兵衛さんを!」
背中に乗せようとしても官兵衛さんは捕まることもできない。
当然、酒を飲む仕草すらままならない。
酒樽背負って来るなんて太兵衛さん何してんのと思ったけど、今となっては運ぶ道具持ってきた判断、ナイスだよ。
「うおおおおおおおおお! 善助手伝え!」
「ったく。しゃあねえな。……って9割9分飲んでんじゃねえか!」
こうして私たちは、触ったら粉々に砕け散ってしまうんじゃないかという官兵衛さんの身体を慎重に酒樽に入れ、ついでにドンデンも放り込んで土牢から脱出していった。
地上に出ると、有岡城もまた地獄そのものだった。
狂乱状態で高笑いしながら織田兵に捕まってる人、泣き崩れながら縄で縛られる人、織田兵に抵抗よりも怨恨からか背中を見せる味方に斬りつける人。
残酷な落城の事実のみが視界に広がっていく。
「フフフフフ、村重め! 地獄で再会したらメッタ刺しにしてくれるわ!」
女の人の金切り声が耳に届き、私は振り向く。
光秀さんが冷静に縄で縛っているから、重要な人なのだと一発でわかる。
私の視線に気づいた光秀さんと彼の英霊ボール『イシイ』がゆっくりと首を横に振ってきた。
「村重の妻・だし殿です。極刑は免れないでしょう」
善助さんの囁く声に、私は直視していた目を背けていく。
「調略に応じず、村重の側に居続けたんだ。……当然よ。特に奥方なら我が主の処遇を覆すこともできたはず」
太兵衛さんの恨み節に、私は頷くことしかできない。
あの人はただ村重の奥さんだっただけ、なんて理屈は通用しないんだ。
他の痩せこけた兵や領民と違って肉付きも良い。
それだけで村重と同罪になってしまうのが、この戦国の世なのだから。
信忠君がいる陣まで行くと、秀吉さんと秀長の姿も見えた。
来てくれたんだ。……よかった。
「真昼! 官兵衛殿は!」
私たちは酒樽からそっと官兵衛さんを出す。
すると見ていた信忠君、利治君、一益さんたち諸将が目を背けていく。
無惨な死体を見慣れた彼らでも直視できないほど、官兵衛さんの状態が酷いから。
秀吉さんが駆け寄り、そっと官兵衛さんの口に白い散薬の入った包みを流し込み、秀長が水筒を当てていった。
「秀吉さん、それって」
「曲直瀬先生から頂いていた気つけ薬だ。このまま京に運び、治療してもらう手筈は整えている」
「ウキッ!」
秀長もこれは効き目バッチリと胸を張る。
すると官兵衛さんの目が薄っすらと開き、目の焦点が合わないまま、声が音となった。
「……半兵衛……殿は?」
開口一番が半兵衛君の名なんて……。
見つめる織田軍全体が沈黙に包まれていった。
それだけで、官兵衛さんは察したように瞳を閉じた。
「喋らなくていい。まずは身体を治すことを専念せよ。……それと、松寿丸は生きている」
秀吉さんの囁きに、官兵衛さんの頬が濡れていく。
「なんと……これが播磨にその人ありと謳われた黒田官兵衛の成れの果て。見事だ。この織田信忠が責任を持って父上に忠義を伝えよう」
信忠君の目にも涙が浮かぶ。
「このような姿になっても変節しない。裏切りが当たり前の世で、官兵衛殿のような御仁を見ると心に染みるでござる」
一益さんも感極まったのか、珍しくポーカーフェイスが崩れて涙を浮かべていた。
「姉上、真昼殿、お早く京へ。有岡及び村重の始末は我らにお任せを」
利治君に促され、私たちは京の曲直瀬道三のところへ馬を走らせる。
ゆっくり慎重に、官兵衛さんの身体にダメージを与えないように。
後方の織田軍から勝ち鬨の声と、黒田官兵衛万歳の声を耳にしながら。
後日。
荒木村重は尚も抵抗を続けたが、池田恒興さんと森長可君の猛攻に逃げた先の尼崎城からまたもや兵たちを見捨てて脱出。
また、御着城にいた官兵衛さんの主君の小寺政職も、官兵衛さん生存の報を聞いて仰天して城を捨てて逃亡。
両者とも、毛利領へと単身で落ち延びていった。