なんで私⁉ 野球知識皆無のJKが戦国時代で野球を広め、信長の恋女房になってしまう件~ 作:ハムえっぐ
羽柴軍に包囲され、輸送経路は消え去り、人が生きるために必要不可欠な水も美嚢川を堰き止められた。
三木城にいる者から生気が消え失せる。
動く気力が湧くのは雨が降った時だけ。
桶に溜めれば、また数日生き延びれる。……他人の桶を奪えば、さらにもう数日。
この雨が降り止んだタイミングで、官兵衛さんは何通もの矢文を城内に放つ。
文面は今までのような降伏勧告ではない。
『貴殿らが苦しむ原因は誰か。民が主に税を払うは何のためか。武士が忠節を誓うは滅びのためか。主が存在するは生きるためか』
美辞麗句も、喜怒哀楽もない文面。
それでも、民や足軽を突き動かすのに十分だった。
彼らが鋤、鍬、包丁、欠けた刀を引き摺らせながら向かったのは三木城の主・別所長治ら別所一族がいる本丸。
「ここまで、か」
守りたかった民の心が離れたことを知り、長治は立ち上がる。
「開城せよ。籠城はもう終わりだ。秀吉の陣に行き、そこでそれがしの切腹で終わらせよう」
泣き崩れる重臣や一族の面々に、集まる群衆に、長治は頭を下げた。
「すまぬ……皆、すまぬ……織田に背いたばかりに……」
涙を浮かべる長治だが、群衆は納得しない。
「降伏? 敵陣で切腹? 随分美しい最期を夢見てるじゃねえか」
「そんなんじゃ、俺たちは報われねえ。首だ、首を持っていけば俺たちに褒賞が出る」
「そうよ。……安心しな。首から下は俺たちの胃袋に入れてやるよ」
群衆から、問答無用の突撃が長治を襲う。
長治は目を閉じた。
(それもまた、死に変わらぬ、か)
ただ、いつまで経っても喧騒も殺意も、己の心音も消えない。
長治はゆっくりと目を開けた。
すると——
『儂は覚えとるで。織田やなく毛利に付けと長治に言ってたのは武士だけやない。毛利圏と商いしてるし流通があると長治に談判しに来た民を』
英霊ボール『オオギ』がブルーウェーブを放ち、迫りくる敵を弾いていく。
オオギの言葉に、群衆のあちこちから舌打ちが炸裂する。
「殿! オオギ殿! ここはお任せを」
もう1人は叔父の吉親だ。
殺意のこもった相手を刀で受け止め、峰打ちで沈黙させていく。
「吉親……無茶だ。お前だけでは」
「なあに、殿が切腹したと聞いたらその場で死ぬつもりだったのです。少し早く、黄泉の国の入口に到着するだけ」
「わかった。頼む」
長治はオオギを手にしてブルーウェーブの風に乗り、城門まで走っていく。
吉親はフッと、笑った。
「……重宗。別所の血を残せよ」
ズブッ! ズブッ! ズブッ!
群衆の得物が、一つ二つ三つと身体に突き刺さり、吉親は生涯を閉じた。
***
別所長治降伏、三木城開城の報を受け、私たちは秀吉さんの陣に集結する。
現れたのが長治とオオギだけに、誰もが息を呑む。
空腹なのに猛スピードで走ったからか、城を出て陣にたどり着いた頃にはスタミナ切れで今にも倒れそうだ。
重宗さんが駆け寄り、長治を支える。
「……よく、来てくれた」
「重宗叔父上。すみませんでした」
重宗さんの目に涙が浮かぶ。
これから共に織田で——なんて甘い考えは両者にない。
今生の別れの空気に、蒼い風が凪ぎた。
「……城兵、ならびに城内の領民すべての助命を。それと引き換えに、それがしがここで腹を切りまする」
秀吉さんの前で平伏し、長治は告げる。
「委細承知。領民の助命は必ず果たそう」
秀長が白装束を両手で持ってきて、長治に渡した。
『小娘、行け。オオギさんが待ってる』
センイチに促され、私は長治の前に立った。
「……」
声が出ないわけじゃない。言いたいこともいっぱいある。
どうして織田を裏切ったんですか?
重宗さんすごい苦しんでましたよ?
なんで兵糧尽きた時点で降伏してくれなかったんですか?
……言えない。全部結果論だ。三木城が寝返った段階で、播磨は織田より毛利が優勢だったんだから。
「お嬢さん、どうぞ」
これから死ぬ人なのに、長治は爽やかな笑顔で私にオオギを渡してきた。
『どうやセンイチ。この長治、もうちょい育てばメジャーでも超一流になれたやろ』
『ああ、そうじゃな。……猛牛のごとき蒼い風、見事じゃった』
敬意を込め、センイチが囁いた。
『お嬢さん、そんな顔しなさんな。勝負の世界は勝ったもんが正義や』
「……そんな正義、嫌い。私は私の正義を貫きたい」
『フフフ、ノモやスズキのようなやっちゃな。そんなんじゃ永遠に監督になれんで。その2人もコーチにもなれん奴やった』
『オオギさんはええのう。儂のドメとケンシンはメジャーじゃさっぱりやったわ』
センイチが嘆息すると、ドンデンも出てくる。
『オオギさん、ブルーウェーブで世話になりました。……ちなみに儂のイガワ、メジャーに何しに行ったんやろ?』
『ちょっと待てセンイチさん、ドメとケンシンはオレのだろ?』
ヒロミツ……あんたまで出てくるんか。
『それ言うたらイガワだって儂のや!』
『おーん、そらないでセンイチさん』
ギャーギャー喚くセンイチたち。
こんな時にも野球ネタかい。まったく英霊ボールって奴らは……。
するとオオギが咳払いし、再び陣に静寂が戻る。
これだけでオオギの格がわかるよ。
『お嬢さん、頼みがある』
「はい。私でできることなら」
『長治が死ぬまで、儂が眠るの待っててくれ』
「……うん」
オオギは私の手のひらに乗り、長治が白装束に着替え、準備を整え、澄み切った青空に声を響かせるように、ゆったりとした口調で一つの句を詠み上げる彼の姿をジッと見つめていく。
「……今はただ恨みもあらじ諸人の命にかわる我が身と思えば」
詠み終えた長治の顔に、もう迷いは一切なかった。
「……官兵衛さん。今のは、どういう意味?」
私が涙声で尋ねると、官兵衛さんは松寿丸君に寄りかかりながら教えてくれた。
「皆の命に代わる我が身と思えば、もはや織田への恨みはない。……という意味です」
自分が死ぬことで城の皆が助かる。だから恨みはない。
そんな綺麗事、そんな悲しすぎる自己犠牲……やはり私の正義なんかじゃない。
秀吉さんもまた、唇を噛み締めて長治に最期の言葉をかけていく。
「見事なご覚悟。……別所長治殿の御名、この羽柴秀吉が、後世まで確かに語り継ぎましょう」
長治は座したまま、最後に城の方角へ一礼した。
すべてを失ってなお、最後に守るものを選んだ当主の姿。
そうして彼は、己の腹へ刃を立てた。
手のひらに乗るオオギが、軽くなった。
***
長きにわたった三木の干殺しは、ついに終わった。
城門が開かれ、骨と皮だけになった城兵や領民たちが、フラフラと城外へ歩み出てくる。
織田軍が用意した粥をすすりながら、彼らはただ泣きながら生を噛み締めていた。
そんな光景の裏側で三木城の本丸で、長治の一族たちが腹を切り裂いていった。
強硬派であった別所吉親もすでに民によって討たれ、ここに別所一族は重宗さんを残し、滅亡した。