なんで私⁉ 野球知識皆無のJKが戦国時代で野球を広め、信長の恋女房になってしまう件~ 作:ハムえっぐ
新府から甲斐国東の岩殿城に向かう勝頼一行であったが、刻限が進めば進むほど同行する兵は姿を消していった。
「御屋形様。それがしが先行して岩殿に向かい、御屋形様を受け入れる準備をいたしまする」
「ああ。頼んだぞ、信茂」
ここで小山田信茂が配下を引き連れ、先の道を走る。
馬の蹄が響く音を、何故か夢の中にいるかのように勝頼は感じた。
この時で、新府を出た1000の兵は700まで減っていた。
「……昌恒、友晴、勝資、ワカダイショウ。頼みがある」
進む馬上で勝頼は信頼し、このような状況でも残ってくれている3人の家臣と白球に、他に聞こえないように囁きだす。
諸国まで名が轟く勇猛名高き・土屋昌恒、忠誠比類なし・小宮山友晴、忠実なる才覚者・跡部勝資へと。
「俺は岩殿で織田を引きつけ、自刃する。お前たちは信茂らと、桂と武王丸を連れて小田原へ向かえ」
武王丸は、勝頼の前妻との子である。
信長の妹であり、市の姉である娘の子の武王丸には織田の血筋も流れている。
まだ織田と蜜月だった時に病死してしまった前妻だが、生きていれば今の状況をどう思っているだろうか?
いや、死者の思考など今は不要。
北条に逃れて織田の血筋を最大限にアピールすれば、信長は武王丸を許す公算が高い。
ただし、武田が完全に滅亡していたらの話ではあるが。
『……わかった。ただし、僕は勝頼の側に残るよ。4人も妻子に付けるんだ。十分でしょ』
馬に並走して浮遊する英霊ボール『ワカダイショウ』が口を開くと、他の3人が不満を口々に言い出す。
「いやいやワカダイショウ。能力でいえば貴殿が奥方と若君を守るべきでは?」
「だよなあ。御屋形様の側にいるのは俺の役目よ」
「ったく。武田譜代を差し置いて美味しい役を横取りしようとは、さすが球体よ」
昌恒たちの朗らかな笑い声に、勝頼の顔が歪む。
「駄目だ。俺は死ぬしか道はないが、お前らには生き残る道がある。それを選ばぬのは俺が許さん」
馬を走らせる勝頼の顔は誰にも見えない。
それでも、どのような表情をしているかワカダイショウたちにはわかった。
「母上、父上は死ぬ以外の道はないのでしょうか?」
勝頼の背を見つめながら、母というより年の近い姉ほどの年齢差がない桂に訊ねた。
「武王丸、人は誰しも幕引きが訪れるのです。突然か、準備できるかの違いだけ。勝頼様は醜く生きようとしていないのです」
武王丸の目には、母もまた覚悟を決めているように見えた。
「そろそろ岩殿に着きます。信茂め、出迎えぬとは」
勝資が憤然として城へ駆け寄る。
「よい。城内で準備しているのだろう。……みな! 城に入ったら英気を養え!」
そう言って、なおも残る兵たちを勝頼が鼓舞した直後。
ドォォォォォォォォォン!
岩殿城から火縄の銃声が響き渡り、勝資が落馬し、地面の草木が赤く染まっていく。
「なっ⁉ 勝資!」
ドォォォォォォォォォン!
ドォォォォォォォォォン!
ドォォォォォォォォォン!
銃声は鳴り止む気配がない。
ワカダイショウがいくつかの弾を身を挺して弾くも全弾防げることはできない。
鳴るたびに兵が地面に斃れた。
「は、話が違う! 敵じゃねえか!」
「織田がもう岩殿を落としていたのか⁉」
「いや、違う! 信茂様だ! 信茂様が指揮をしているぞ!」
動揺する兵たちに、戦国最強の風林火山の面影はない。
統制は乱れ、逃亡兵がここでも相次いだ。
「岩殿の民を戦禍に巻き込むわけにいかぬ。お引き取り願おう」
信茂からの非情にして無情の声が武田勢の鼓膜を揺らした。
「おのれ信茂! ここで裏切るか!」
「勝資の仇! 必ずや取る!」
昌恒と友晴が激昂して飛び出そうとするのを、勝頼は止めた。
「ことここに及んでは仕方あるまい。……栖雲寺に向かおう。そこで坊主たちに北条への使者を……」
最後まで口にせず、勝頼の唇から赤い血が滴り落ちていった。
***
天目山にある栖雲寺に武田勝頼が逃げ込んだと聞き、私は滝川一益さん率いる追撃部隊を追いかけ、狭い甲斐の路をひた走っていた。
「おい、どうするんだ? もう勝頼に従っている兵は百を切っている。一益軍は3000。勝負にならんだろう。貴様が来る意味はない」
私の同行者、というより高遠城まで進軍した信長様のところに報告に来た才蔵が、一益さんのところに戻るのを私が追いかけている状況で、木の上を跳躍しながら訊ねてくる。
ハアハアハア、クソ。忍者についてくの獣道だからしんどいぜえ。途中で馬はヘバッちゃったし。
「決まってる。降伏させる!」
走りながら叫ぶ私に、才蔵は鼻で笑ってきた。
「命乞いするならとっくにしてるだろうよ」
あっ、加速しやがった。女の子を置いて行こうなんて、あとでグラウンドに一人で立たせて1000人同時にノック打ってやる。
『小娘、このまま走れ! 山が見えてきたぞ!』
浮遊して私の前を行くセンイチに言われ、上を見上げる。
あれが天目山。
勝頼たちがいる場所。
……殺気が漲っているのがわかる。
徐々に金属がぶつかる音と、血が流れる生臭さ、斃れて動かない織田や武田の兵の姿が目に飛び込んでくる。
「一益さん!」
才蔵が片膝ついて報告している相手を見て、私は叫んだ。
木々が生い茂り、大軍が進むのに不向きな路。
そこで腕組みしてる一益さんが見ている視線の先に、複数人の織田兵が事切れていて、血まみれで立っているのもやっとの男が一人でこちらを睨んでいた。
「土屋昌恒でござる。あやつ一人に足止めされている状況でござるな」
一益さんの声は冷静だ。それに、織田兵の数が少ない。
……すでに別方面からの包囲を完了してるのかも。
「もう終わりか? 雑魚ばっかりだったな、織田は」
刀を杖代わりにして立ち上がる満身創痍の昌恒に向け、右腕を振り下ろそうとする一益さん。
「待って! もう十分でしょ? 降伏して。勝頼も一緒に!」
そんな私の声に、昌恒はフッと笑った。
「刻は稼いだ。……やれ、一益!」
一益さんの右腕が振り下ろされ、木々の隙間から火縄銃の轟音が炸裂し、昌恒は笑顔のまま地面に伏した。
「……全軍、このまま天目山に進め。火は使うな。生きている者がいれば丁重に扱え」
一益さんの命令は、まるで生存者なしを確信しているようだった。
***
天目山麓の田野の地にて。
滝川一益軍に追いつかれたことを知った勝頼は天を仰いだ。
もう、付き従う兵は30人にも満たない。
昌恒はたった一人でしんがりを引き受け、敵の進軍を遅らせてくれた。
せっかく稼いでくれた刻を無駄にするわけにいかない。
「ここまでか。友晴、俺の首を一益に持っていけ」
大粒の涙を零しながら友晴は首を横に振り続ける。
「まったく。頑固者よ。……ワカダイショウ、桂と武王丸を……」
「嫌でございます。私も勝頼様とともに黄泉へ行かせてくださいませ」
勝頼が言い終わる前に、桂は毅然として口にした。
「なぜだ……氏政はそなたの兄。必ずや受け入れてくれる」
「13歳であなた様に嫁ぎ、6年間ともに生きたあなた様をどうして捨てられましょうか? 悪夫ならともかく、私にとって、勝頼様が生きている世界がすべてなのでございます」
「それがしもここで。生き延びて織田に辱めらるより、ここで父上と母上と死ぬほうがそれがしらしく思います」
妻と息子の覚悟に、勝頼は拳を震わせた。
「……俺は武田を滅ぼしたのみならず、お前たちを死なせたら何も残せないではないか」
そんな勝頼を、桂は両手を広げて抱きしめていく。
「後世に何も残らなくてもいいじゃないですか。敵の手にかかって死ぬより、誇り高き死を選べる幸運を噛み締めましょう」
もう、勝頼に説得する言葉はなかった。
『勝頼……!』
「ワカダイショウ。すまぬな。最期まで俺のような凡庸な男に付き合わせてしまって」
『バカ言うな。記録には残らなくても、勝頼は記憶に残る名選手だったよ……』
ワカダイショウの震える声が終わると、勝頼たちの手に白刃が煌めき、大地が赤く染まっていった。
***
勝頼たちの遺体は、ワカダイショウのオレンジ色の光で優しく包まれていた。
『もういい。休め……立派やったぞ。さすがワカダイショウじゃ』
『センイチさん……』
抱擁するように近づいたセンイチによって、ワカダイショウの光が消えていく。
私は、私とそれほど年齢が変わらない女性や男の子の遺体を見つめたあと、真上の青空を睨んでいった。